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「貸出至上主義者」度チェックβ版

ココログ


ほし2

カテゴリー「図書館系」の記事

2009/03/15

小手調べ

 図書館学は実学だと言うのであれば,やはり具体的な書名を挙げて「面白い」「つまらない」と批評するのがよい.批評精神のあるところに真っ当な学問が育つのだから,書名を挙げず具体的な言及を避けながら論敵を非難し自説を称揚するのはおおよそ不健全な姿勢であろう.例えば最近の伊藤昭治の手によるものでは,「出版ニュース」掲載の駄文よりは日本図書館協会「2008年度中堅職員ステップアップ研修(1)」におけるレジュメの方が,具体的に論難している相手の名前がわかるだけマシというもの.

 斯様な点からこちらのエントリーは,ちと物足りない(^^;).具体的な書名を挙げて,『公立図書館の歴史と現在』(森耕一)は面白い,『図書館情報学入門』(藤野幸雄ほか)はつまらない,『新版図書館の発見』(前川恒雄)は素晴らしい,『日本公共図書館の形成』(永末十四雄)は公共図書館と名乗っている時点でダメ,などと書いてくれなければ,発展的な議論を展開しようにも,対手が受ける術がないではないですか.

 もう少し踏み込んでみましょうか.


 これは,まだ拾い読みしかしてない本で恐縮ですが『創造都市・横浜の挑戦』(野田邦弘著/学芸出版社/2008年8月初版)という本.著者は2004年まで横浜市の職員として文化行政にたずさわり,「横浜トリエンナーレ」も手がけた方.「創造都市」という概念については当方も研究途上なので,今回は言及を控えるが,とにもかくにも横浜市には「創造都市」というグラウンドデザインに基づいた文化政策が組み立てられているらしい.ところが,文化政策を立案,実行している様を描いているこの『創造都市・横浜の挑戦』において公共図書館の姿は影も形も見当たらないのである.この本は丁寧なつくりの本で,索引も付いているのだが,そこには「横浜市立大学」「横浜美術館」「横浜みなとみらいホール」は立項されていても「横浜市立図書館」は見当たらない.横浜市の「文化」には公共図書館は無関係であるとおぼしい.これは一体,如何なる理由からだろうか?

 上記リンク先のエントリーの著者,あるいはその著者が属する団体の関係者で,この課題を政治的策動(労働運動)の視点抜きで,誰にでも理解可能な形に解説できる人間がいるのかどうか.恐らく政治的策動が前面に出る形でしか説明できないんじゃないだろうか.つまりそれは,「創造都市」というグラウンドデザインに対する公共図書館のグラウンドデザインを彼らが持ち得ていない,ということであることを意味している.

 この先は,また媒体を改めて論じるつもり(^^;).


 ・・・・・・図書館学の本を俎上に載せなくても,公共図書館の話は斯様に,十二分に展開できるんですよ.何も上記リンク先のエントリーのように,今更大見得を切る必要なんか,もう何処にもないの.実のところ,出来る人は,とっくに僕の10歩先を行っているわけで,ここに書き出したようなものは畢竟小手調べに過ぎないのではないかな.

2009/03/07

「土佐派」の裏切り(^^;)

旬刊 出版ニュース2009年3月上旬号の目次一覧
↑こちらに掲載の,↓この文章.


若い図書館職員に、あえて確認しておきたい図書館の役割: 館界に蔓延するおかしな論旨--伊藤昭治@元茨木市立中央図書館長
 無内容な代物であり,批判に多言を弄するのは時間の無駄なので1箇所だけ.

「歴史を学ぶことが大切だと言っているのは(以下略)(p.6)
では,こちらは如何ですか?

「このほか,立憲改進党の中心人物であった小野梓や馬場辰猪なども(以下略)
『新版図書館の発見』前川恒雄,石井敦著,日本放送出版協会,2006年1月,p.123
この程度の初歩的な間違いを30年以上指摘できない(初版でも間違っていた)方が「歴史を学ぶことが大切」とおっしゃる,その「歴史」って何ですか?
 ときに高知県(小野や馬場の出身地,立志社も高知人脈)には,図問研の有力な会員もいるかと聞いていますが,「土佐派」はこの箇所について指摘しないのでしょうか? 『市民の図書館』というイデオロギーの前には,「神」を守るために白も黒といわなければならないんでしょうか(sigh).

 ちなみにこの箇所,日本の近代政治思想史を多少なりとも齧った人間には,まったく些細な間違いではないですよ.小野梓(1852-1886)と懇意だった馬場辰猪(1850-1888)が,立志社との関わりがあったとはいえ,小野が設立に深く関与した改進党ではなく,板垣退助の自由党に参画し,「結党時の自由党で主導的な役割を果たしたのが馬場と枝盛だった」(『植木枝盛』米原謙著,中央公論社〈中公新書1086,p.5〉,1992年8月)ことはつとに常識であり,例えば馬場が「なぜ改進党をえらばなかったのであろうか」と,その評伝『馬場辰猪』(中公文庫,1995年6月)の著者である萩原延壽も問いを立て,わざわざその理由を考えているのですから(p. 206-222).


 というわけで,伊藤の文章はそもそものキモがダメです.そして,あとに延々と続く文章が信用にも信頼にも足らない,Gleichshaltungを意図したプロパガンダであることは,多言を要しますまい.この程度のものを載せる「出版ニュース」の見識を疑います.

(3月8日改稿)

2009/03/02

同床異夢

 去る2月15日に開催された「大阪国際児童文学館と府立図書館を考える集い」の資料群を,id:hana53さんのご好意で入手しました(hana53さんありがとうございました).先日で肉体労働もひと段落したところで,いただいた資料をためつすがめつしていましたが.

 結論から言ってしまえば,児童文学館の存続運動は府立図書館の市場化テスト(指定管理者委託の導入)問題とは別個の問題であり,これらは切り離して論じた方が,お互いの問題解決のためでもあると思わざるをえません.児童文学館の価値は府立図書館とは関係なく成立しているものですし,府立図書館の問題に触れずとも児童文学館の存続運動は可能です.ましてや配布された資料群のような形で府立図書館の問題を絡めたのでは,却って児童文学館存続への支持が減りはしないかと心配になってしまいます.

 というのも,資料群の中にある図書館問題研究会大阪支部の作成した資料が,教育行政からも文化財行政からも図書館行政からもおおよそかけはなれた,ヴィジョンもミッションも明確ではない既得権益護持を目的とした労働運動の産物であり,内容が「指定管理者」(=民業)を貶めるだけの拙劣なプロパガンダ(デマゴギーと言ってもいい)に堕しているからです.そもそも指定管理者の導入は「民営化」ではありません(国際児童文学館 寄贈者・関係者等と知事との意見交換会 発言要約によれば,橋下も「民営化」と言っているようですが).他の点についても,既に愚智提衡而立治之至也: 官尊民卑に弄ばれる「図書館の自由」で「官尊民卑」について述べているところなので,細々したところは一々繰り返しません.今回の件で言えば,例えば「大阪国際児童文学館と大阪府立図書館を考える集い」(2009.2.15)報告(1) - 帰ってきたハナログでhana53さんが紹介している,児童文学館へ鳥越氏の資料が引き取られるきっかけとなったらしい大阪府教育長の巧言令色ひとつとっても,公務員が公務員であるだけで無謬であるとは考えにくいところへ,指定管理者(=民業)を貶めるだけ(しかもどれひとつ取っても具体性に全く欠ける指摘ばかり)の資料を持ち出しても,彼らが期待するような効果があるとは思えないのですが.

 あるいは,やはりhana53さんにご紹介いただいた「トヨタ営業所で『お奨めの車ありまっか』と聞いて『日産エエですよ』とは言わないでしょう」という発言.そもそも公共図書館の指定管理者を引き受けるような企業・団体がそんなことを公共図書館という場所で公然とやれば,恐らくその企業・団体は来館者からも自治体の担当者からも信用を失うでしょうし,そのような企業・団体は淘汰されてしかるべきです.もしそのような行為を繰り返す企業・団体が何らかの力により淘汰されないのであれば,それはルールを定めている行政の失態であり,その場合企業・団体ともども信用を失うのは,ルールを運用している公務員だろうと思うのですが.そして,公共図書館においてトヨタと日産の比喩で想定される企業は出版流通関係の企業ではないかと考えられるのですが,出版流通業界は以前から児童文学館の維持に,公共図書館業界よりも遙かに貢献してきた業界であり,児童文学館の存続を考える場において,その業界を平然と揶揄できる政治的センス(リテラシーと言ってあげましょうか?)の欠如には恐れ入るばかりです.

 そもそも公共図書館における「資料」が書籍という形で成立するは,出版流通業界という「民業」によるところが大きいはずですし,公共図書館の来館者の過半は「民業」を生業とする人間とその家族じゃないかと思うのですが,資料群を作成した図問研大阪支部にはその程度の想像力を働かせるだけの能力も欠如しているんでしょうか? ついでにいえば,児童文学館の新規増加資料の多数は出版者の寄贈によるものであり,その出版者はほとんどが民業でしょう.そのような背景に想像力が働かないのであるならば,彼らには公共図書館に勤務するだけの経綸が不足しているのではないでしょうか.民業を謗ることで保身することのみを目的としている連中には,市場化テストにより公共図書館から退場してもらったほうがマシです.

 僕個人としては,大阪府立国際児童文学館を維持する運動の目的が,必ずしも大阪府立図書館の市場化テスト導入反対と目的を一にする必要がないと思われる現状では,両者を切り離して考えた方がいいと思います.ましてや府立図書館の市場化テスト反対に便乗して公務員の既得権益護持をはかり,民業への誹謗を繰り替えし,ひいては児童文学館の運営に多大の寄与をもたらしてきた出版者(=民業)を貶める行為をやめない連中とは,児童文学館の維持に知力体力を集中させるためにも手を切るべきです.


 手厳しい? まさか(^^;).

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2009/02/19

図書館目録再考

 OPACを考える前に,検索されるデータを作成するための目録法を考えることから.これはやっぱり,個人的な体験から起こさなければダメか(^^;).

 先日,敗北を喫したんですよ.MARC21準拠とかいう目録規則に.今や「大きな字で書いてあるのが本タイトル」という常識は通用しないorz 以前にも愚智提衡而立治之至也: ダメな図書館目録の例から始まる一連のエントリーで,あれこれ議論したところですが,大学図書館に関する限り現在の図書館目録は「提供のための目録」どころか「管理のための目録」ですらなく,「目録規則のための目録」即ち「人のために法がある」のではなく「法のために人がいる」状態に堕しているということだとしか,僕には思えないのですが,違うんでしょうか?

 ところで,過日僕が担当している演習の期末試験の採点をやっていたら,自由記述欄で「図書館目録があれほどマニアックなものだとは思いませんでした」 という記述にぶつかりました(^^;).それは確かにその通りで,目録規則とは「例外」を見つけるとそれをすべて飲み込まずにはいられない消化のいい胃袋を持っているために,あまりに精緻になりすぎて作る側も使う側も,誰もが簡単に使える代物ではなくなっているのが現状でしょう.

 図書館の目録は今後,マニアックと簡略化の二極分化が起きて進むだろうと,想像しているワタシ.マニアックの方向はAmazonの「なか見! 検索」みたいな方向と昔のキーワード・抄録検索の方向が,簡略化の方はメタデータ(ダブリン・コアみたいなの)程度の書誌記述で.という話は,既に僕自身が愚智提衡而立治之至也: ダメな図書館目録の例:補遺その3で繰り広げていたのでした(^^;).あれから4年ほど立つのに,全く考え方が変化していません.新しい展開もありません.どうしたものだか.

2009/02/15

官尊民卑に弄ばれる「図書館の自由」

 昨年の今頃,【愚智提衡而立治之至也: 「法の下の平等」とレコメンドサービス】で俎上に載せた


田中,敦司
図書館は利用者の秘密を守る--カウンターで感じた素朴な疑問から (特集:図書館の自由、いまとこれから--新たな図問研自由委員会のスタートにあたって)
みんなの図書館 (通号 370),21~26,2008/2

が,最近そこここで取り上げられ,我が意を得たりと思ったことである.

図書館は利用者の秘密を守る-カウンターで感じた素朴な疑問から- - 読書ノートのつもり?なつれづれ日記
http://d.hatena.ne.jp/yoshim32/20090209/1234159904

それであなたはなにがしたいのか-田中敦司「図書館は利用者の秘密を守る-カウンターで感じた素朴な疑問から-」に感じた根本的な疑問 - ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版
http://d.hatena.ne.jp/arg/20090211/1234346362

その文章が掲載された「みんなの図書館」は言うまでもなく図書館問題研究会の機関誌である.それほど「図書館の自由」を金科玉条にしているはずの図問研が,最近明らかになった

容疑者と被害者情報漏らす 報道機関に東金市立図書館 - 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009012401000452.html

この件に関して,報道から3週間を経過した現在もなお,沈黙を守っているのは如何なる理由があってのことか.質問状に対する返答がない,というのは理由にならないだろう.記事に拠れば,この件を調査したのは日本図書館協会であり,図問研のメンバーにはこと「図書館の自由」について,日図協のイデオロギーを担っている人間も少なくないわけだから.
 また,2002年に発覚した,東京都の区立図書館において委託業者から派遣されていたカウンター要員が来館者の個人情報を悪用した件について,督促を怠業した公務員を弁護し委託会社とその派遣社員にすべての非を押し付け,そのことを指摘した意見に対し犯罪を使嗾してまで公務員の責任を回避しようとした東京の図書館をもっとよくする会の関係者もまた,この件については沈黙しているのである(なお,当時のコメントは注記も無く書き換えられ,犯罪を使嗾した箇所は改竄されているので現在では参考にならないことをお断りしておく).2002年の事件が「図書館の自由」に対する重大な挑戦(公務員による督促の怠業よりも罪が重い)というのであれば,東金市役所と東金市立図書館における,公務員による来館者の個人情報漏洩は,委託業者によるそれよりも責任が重いのではないかと思うのだが.

 共同通信の記事で気になるのは「調査に対し東金図書館は、一部の取材者が執拗に情報開示を要求したとしており、図書館関係者は、報道側にも利用情報の扱いに対する理解が必要だとしている。」というくだり.この,如何にも公共図書館に対して理解のありそうな文章だが,2002年の記事と比較してみると,論調の差異がわかると思う(エントリーの最後に全文を引いておく).日図協や図問研の指定管理者や委託に対する考え方,共同通信の関係者が「みんなの図書館」に連載を持っている事実などを考え合わせると,これは恐らく情報漏洩に対する報道機関への責任転嫁と公務員擁護のために(意図的にかどうかは別にして)執筆された文章ではないかと思われるが,どうだろうか?

 いずれにせよ,「公共図書館の民営化」などというデマゴギーを放送している団体に,公務員の罪を問わせることが,荷が重いのは重々承知の上で,それでもこの「図書館の自由」をめぐる公務員と民間への適用におけるダブルスタンダードについては,指摘しておかなければならないだろう.「図書館の自由」はあなたがたが「官尊民卑」という基準で恣意的に運用してもいいものだったのですか?

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2009/02/14

レファレンス再考:インフォメーションとインテリジェンス

 承前

 以前の僕ならば,「貸出」と「レファレンス」を対抗させる形でレファレンスの優位性を説いたところですが,ところがどっこい,前振りで「枠組みを問い直す」とやってしまったので(^^;),この手は使えません.おまけに,そのような単純な二項対立で公共図書館経営を考えることは,「文脈から切断された〈象徴としての公共図書館〉」を想定しない限りは成立し得ないわけです.では,どのような考え方を以って課題にあたるか.

 公共図書館に限らず,図書館は「少しく叩けば少しく響き,大きく叩けば大きく響く」という特性を持っていると考えているのですが,その叩き方というものが,社会において共通の合意/認識が取り付けられている,という状況ではないと思うのですよ.だからこそ,そのような「待ち」の姿勢ではいけない,という議論があるのは承知の上なのですが,それでもなお,図書館をめぐる「リテラシー」が一様ではなく,そもそも「リテラシー」自体が地域の歴史や現状に左右され,拘束されてしまう状況があることは,率直に認めなければならないでしょう.この点を把握しておかないと,図書館サービスを論じるときに大きな過ちを犯すことになります.誰とは言いませんが.

 さて,これまでの「貸出」や「レファレンス」の分野に取り敢えず「資料提供サービス」という仮称を付けてみますが,これは要するにランガナタンの言う「利用者の時間を節約する」ためのサービスであると同時に,あくまでも情報(インフォメーション)を来館者なり,住民なりに提供するサービスである,という一線を引いておく必要があります.つまり「情報は自分で読んで,分析し,評価しなければ自分の役には立たない」(江畑謙介『情報と国家』講談社現代新書)ものであり,最終的に情報(インフォメーション)を「インテリジェンス」として何事かの役に立てるかどうかは,図書館がどれだけ有用な情報(インテリジェンス)であると判断して来館者に提供しても,来館者自身が判断を下さなければ何の意味もなくなってしまうものなんだろうと思うのです.

 図書館が提供するのは「回答」であって「解答」ではない,と言われる所以です.図書館は,来館者が判断に着手するための情報(インフォメーション)の収集作業を手助け/肩代わりすることによって,来館者が収集に要するであろう時間を節約する役どころとなります.どの形式(書籍・雑誌・webなどなど)の情報(インフォメーション)が求められた回答に相応しいかまで,ある程度のスピードで分析・判断することによって来館者の時間的負担(ひいては心理的負担も)を軽減することが求められます.それには,卓越した情報収集能力と分析能力(求められている主題における専門家ではないとはいえ,得られた情報〈インフォメーション〉が疑似科学であるか科学であるかを見分けられる程度の分析は可能でなければならないでしょう)が必要です.ちなみにこの能力は,オタクとかマニアとか呼ばれる程度に趣味に耽溺していれば,応用が利く程度には身に付いている筈です(^^;).生かさない手はない.


 ・・・・・・と,ここまで書いて,文章を上手く〆ることが出来ない(^^;).気の利いた結語が書ければよかったのに.ここ2か月ほど,いささかスランプで長い文章をblogどころかリアルでも書いてなかったことを理由にしておこうか.


以下は今回,触発された記事(覚えているものだけですごめんなさい)

CHOTTO TOWN 図書館日誌: レファレンスを見直してみる
http://c-town.way-nifty.com/blog/2009/02/post-c129.html
CHOTTO TOWN 図書館日誌: レファレンスを見直してみる(その2)
http://c-town.way-nifty.com/blog/2009/02/post-6dd9.html

図書館雑記&日記兼用:レファレンス再考? - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/lib110ka/archives/51854025.html
図書館雑記&日記兼用:「待つ」をやめる - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/lib110ka/archives/51854753.html

ライブラリアンはBINARYの夢をみるか: ちょっと早急かもしれませんが・・・課題3「レファレンスの定義」
http://miffy-capybara.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-902c.html

これからのレファレンス(大学図書館) - かめの歩みとライブラリアン再考
http://d.hatena.ne.jp/makiko0812/20090213/1234529441

TB受け付けているblogには飛ばしてみますが,ココログは以前からTB上手く飛んでくれないので,送信できなかったらごめんなさいm(_ _)m

参考文献

レファレンス再考:その前提

 レファレンス再考,というより図書館業務再考,であるか(^^;).

 まず,「貸出」「レファレンス」「読書相談」「目録作成」などなど,従来言われてきた業務の区分を一度,見直したほうがいいんじゃないかと思う.特に「貸出」と「レファレンス」の間に,厳密な一線を画そうとしてきた考え方-現在もなお,その幻影が蠢いているようですが,この発想をまず疑ってかかれなくちゃ,将来の図書館業務の発展はないでしょう.このリンク先の内容については,ここでは過剰な現場主義が公共図書館を(歴史的,地域的)文脈から切断してしまっていることを指摘しておくに止めるけど.

 目録作成については稿を改めるとして,対来館者サービス業務について(余談だけど,公共図書館を考える際に「利用者」という言葉には手垢が付きすぎていて,とても多様な意味を込めて使える状態にはなく,いろいろ考えた結果,利用対象は「住民」,公共図書館に来館する住民は「来館者」と取り敢えず呼称してみる),その枠組みを考え直してみる.「貸出」や「レファレンス」は,資料(情報)を来館者に提供するサービスの異なる手段であると捉えてみてはどうか.例えば貸出至上主義者のように,「貸出し」を目的とし他の手段を排除した形で成り立つ公共図書館サービスの展開は,高度成長期ならまだしも,世紀を越えた現在の社会状況を把握しているのであれば,そのような単純なモデルが成立する要件は現状,非常に限られている(恵まれている)ことが理解できるのではないか.公刊された書籍にせよ,一部の関係者のみに配布される灰色文献にせよ,情報(インフォメーション)として捉えればそれは限られたモノでしか無いし,現在流布している情報(インフォメーション)がすべて物理的な筐体を成しているわけではないのだから.

 そういえば,「レファレンス」から始まる公共図書館利用,という表現をとると,「それはエリートのための公共図書館である」という反論が昔は来た(^^;).しかし,その批判は「エリート」という言葉の誤用なのではないか.曲がりなりにも民主制を標榜する国家の成員(=市民でも住民でも結構)が,与えられた/入手した情報(インフォメーション)を分析し「インテリジェンス(戦略情報,とでも言えばいいのか?)」に消化/昇華できない状態に置かれている,というのは学校教育の失態であろうし,市民に分析のリテラシーが備わっていることは,公共図書館業界が常日頃悲願としてきた「近代市民社会」の基盤ではなかったのか.情報(インフォメーション)の提供から始まる公共図書館の利用とは,民主制と近代市民社会を成立させるための,すぐれて基礎的な作業であると言えるだろう.
 誤解されると困るので付け足しておくけど,「公共図書館」の存在自体が必ずしも民主制の基盤だ,とは思わないのだよね.ただあればいい,というものでもない.「公共図書館」を利用する市民の意識とリテラシーが,公共図書館を民主制の基盤たらしめている,という話なので間違えないで欲しいところ.

 続くと思う(^^;).

2009/02/09

日本で一番利用者満足度の高い図書館といったらどこですか?

 たまたま見つけた.

日本で一番利用者満足度の高い図書館といったらどこですか? - Yahoo!知恵袋

 回答にアカデミーヒルズ六本木ライブラリー国立国会図書館しか挙がってない(^^;).しかもベストアンサーが六本木ライブラリーである.業界人が相変わらず足の引っ張り合いを繰り返しているうちに,足元の公共図書館が見捨てられてしまうのではないか,という危惧を拭い去ることができない.

 ・・・・・・と言いたいところだが,如何せん上記質問への回答数が少なすぎて,サンプルになりそうにないのであった(>_<).図書館への関心は,やっぱり低いのかな_| ̄|○

 とはいえ,ゼロ・トレランスよろしく「図書館」に対するイメージ戦略を業界団体が考えるのであれば,こーゆうひとつひとつの事例を検証する必要はありそうな気もします.

2009/01/25

隙を作っているのは誰?

 東京新聞:容疑者と被害者情報漏らす 報道機関に東金市立図書館:社会(TOKYO Web)
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009012401000452.html


 調査に対し東金図書館は、一部の取材者が執拗に情報開示を要求したとしており、図書館関係者は、報道側にも利用情報の扱いに対する理解が必要だとしている。
 協会の調査によると、逮捕前に容疑者が「事件当日は図書館にいた」と話していたことから、逮捕後、複数の報道機関が図書館に取材した。
 図書館は館長の不在を理由に断ったが、図書館を所管する市生涯学習課が、1社から取材を受け、容疑者と被害女児が利用登録した日と最終貸出日を教えた。その後、図書館もほかの報道機関に同じ対応をとった。

 最近は公共図書館が何か問題を起こすと,「指定管理者が」「委託業者が」という声の大合唱になりがちですが(何しろ公共図書館をめぐるトンチンカンな話は,昨今みんな指定管理者のせいにしたがっているオバカも業界には存在すると,小耳に挟んだこともある),ところがどっこい,直営だってこのザマですがね.指定管理者や委託業者がダメになるのも,指導監督する立場の公務員がこの有様ですから当然ではないかと.直営(公務員)に基盤を置くあのひとやあの団体が如何に糊塗しようとも,地金が明らかになってしまった,と言えます.上記の記事を読む限りでは,業界側は報道機関に責任を転嫁しようとしているようですが,その元はと言えば,結局は業界の周知努力があらゆる面において不足していたということに立ち返らざるを得ないでしょう.

 要するに,この件は公共図書館の運営が指定管理者であろうとなかろうと,お役所の漏れるところからは情報が漏れるんだということを,満天下に改めて知らしめてしまったわけで,「守秘義務」とやらを盾に公共図書館への指定管理者導入に反対し,プロパガンダを展開している連中には痛かったんじゃないですか? しかも,本庁が先立って情報を流している(「一部の取材者が執拗に情報開示を要求したとして」いるのは図書館サイドから出ている話ですから,信用できません.一方から出ている話のみでこれを断じるわけにはいきませんよ.曲がりなりにも,当方も「図書館」業界の一員ですから)わけで,まさに「背後からの一突き」.戦略も戦術もあったものではありませんね.

 付け入る隙を作っているのは誰ですか?

2009/01/16

プロフェッショナルとしての基盤

 続き

 もう長々と書いても仕方がないので簡単に.
 個々の主題室がなければレファレンスが出来ないような図書館司書は,レファレンス・ライブラリアンとしてプロフェッショナルではない.レファレンス・ツールの種類と用法を広く心得ているのがレファレンス・ライブラリアンだとしたら,狭い分野の主題しか扱う必要がないところに必要なのは,司書ではなくその分野の専門家で充分だろう.その分野の専門家ではなく,プロフェッショナルとしての,レファレンス・ライブラリアンとしての図書館司書が必要なのは,図書館においては,どの分野の質問がどこに来るかわからないからではないのか?

 それとも,「図書館員の専門性」とやらを労働問題に回収したいのかな.それはもう,とっくに終わっている戦術であり,対抗言論だよ.この戦術を1980年代後半以降,主に「委託」問題で取り続けてきたがために,業界が無限の後退戦に陥り,しかも敗北が続きっぱなしであることを,もう少し自覚してもらわないと困る.何しろ,この期に及んでもなお,現場の人間が「非正規雇用者の待遇改善は非正規雇用者自らの手で」などと言っているようでは,労働問題としても遅れた問題意識であると思われても仕方があるまい.

 結局,「現状維持」という名のナルシシズムとフェティシズム以外に,プロフェッショナルとしての基盤はどこにあるのかな?

より以前の記事一覧

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