カテゴリー「図書館系」の記事

2009/03/15

小手調べ

 図書館学は実学だと言うのであれば,やはり具体的な書名を挙げて「面白い」「つまらない」と批評するのがよい.批評精神のあるところに真っ当な学問が育つのだから,書名を挙げず具体的な言及を避けながら論敵を非難し自説を称揚するのはおおよそ不健全な姿勢であろう.例えば最近の伊藤昭治の手によるものでは,「出版ニュース」掲載の駄文よりは日本図書館協会「2008年度中堅職員ステップアップ研修(1)」におけるレジュメの方が,具体的に論難している相手の名前がわかるだけマシというもの.

 斯様な点からこちらのエントリーは,ちと物足りない(^^;).具体的な書名を挙げて,『公立図書館の歴史と現在』(森耕一)は面白い,『図書館情報学入門』(藤野幸雄ほか)はつまらない,『新版図書館の発見』(前川恒雄)は素晴らしい,『日本公共図書館の形成』(永末十四雄)は公共図書館と名乗っている時点でダメ,などと書いてくれなければ,発展的な議論を展開しようにも,対手が受ける術がないではないですか.

 もう少し踏み込んでみましょうか.


 これは,まだ拾い読みしかしてない本で恐縮ですが『創造都市・横浜の挑戦』(野田邦弘著/学芸出版社/2008年8月初版)という本.著者は2004年まで横浜市の職員として文化行政にたずさわり,「横浜トリエンナーレ」も手がけた方.「創造都市」という概念については当方も研究途上なので,今回は言及を控えるが,とにもかくにも横浜市には「創造都市」というグラウンドデザインに基づいた文化政策が組み立てられているらしい.ところが,文化政策を立案,実行している様を描いているこの『創造都市・横浜の挑戦』において公共図書館の姿は影も形も見当たらないのである.この本は丁寧なつくりの本で,索引も付いているのだが,そこには「横浜市立大学」「横浜美術館」「横浜みなとみらいホール」は立項されていても「横浜市立図書館」は見当たらない.横浜市の「文化」には公共図書館は無関係であるとおぼしい.これは一体,如何なる理由からだろうか?

 上記リンク先のエントリーの著者,あるいはその著者が属する団体の関係者で,この課題を政治的策動(労働運動)の視点抜きで,誰にでも理解可能な形に解説できる人間がいるのかどうか.恐らく政治的策動が前面に出る形でしか説明できないんじゃないだろうか.つまりそれは,「創造都市」というグラウンドデザインに対する公共図書館のグラウンドデザインを彼らが持ち得ていない,ということであることを意味している.

 この先は,また媒体を改めて論じるつもり(^^;).


 ・・・・・・図書館学の本を俎上に載せなくても,公共図書館の話は斯様に,十二分に展開できるんですよ.何も上記リンク先のエントリーのように,今更大見得を切る必要なんか,もう何処にもないの.実のところ,出来る人は,とっくに僕の10歩先を行っているわけで,ここに書き出したようなものは畢竟小手調べに過ぎないのではないかな.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/03/07

「土佐派」の裏切り(^^;)

旬刊 出版ニュース2009年3月上旬号の目次一覧
↑こちらに掲載の,↓この文章.


若い図書館職員に、あえて確認しておきたい図書館の役割: 館界に蔓延するおかしな論旨--伊藤昭治@元茨木市立中央図書館長
 無内容な代物であり,批判に多言を弄するのは時間の無駄なので1箇所だけ.

「歴史を学ぶことが大切だと言っているのは(以下略)(p.6)
では,こちらは如何ですか?

「このほか,立憲改進党の中心人物であった小野梓や馬場辰猪なども(以下略)
『新版図書館の発見』前川恒雄,石井敦著,日本放送出版協会,2006年1月,p.123
この程度の初歩的な間違いを30年以上指摘できない(初版でも間違っていた)方が「歴史を学ぶことが大切」とおっしゃる,その「歴史」って何ですか?
 ときに高知県(小野や馬場の出身地,立志社も高知人脈)には,図問研の有力な会員もいるかと聞いていますが,「土佐派」はこの箇所について指摘しないのでしょうか? 『市民の図書館』というイデオロギーの前には,「神」を守るために白も黒といわなければならないんでしょうか(sigh).

 ちなみにこの箇所,日本の近代政治思想史を多少なりとも齧った人間には,まったく些細な間違いではないですよ.小野梓(1852-1886)と懇意だった馬場辰猪(1850-1888)が,立志社との関わりがあったとはいえ,小野が設立に深く関与した改進党ではなく,板垣退助の自由党に参画し,「結党時の自由党で主導的な役割を果たしたのが馬場と枝盛だった」(『植木枝盛』米原謙著,中央公論社〈中公新書1086,p.5〉,1992年8月)ことはつとに常識であり,例えば馬場が「なぜ改進党をえらばなかったのであろうか」と,その評伝『馬場辰猪』(中公文庫,1995年6月)の著者である萩原延壽も問いを立て,わざわざその理由を考えているのですから(p. 206-222).


 というわけで,伊藤の文章はそもそものキモがダメです.そして,あとに延々と続く文章が信用にも信頼にも足らない,Gleichshaltungを意図したプロパガンダであることは,多言を要しますまい.この程度のものを載せる「出版ニュース」の見識を疑います.

(3月8日改稿)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/03/02

同床異夢

 去る2月15日に開催された「大阪国際児童文学館と府立図書館を考える集い」の資料群を,id:hana53さんのご好意で入手しました(hana53さんありがとうございました).先日で肉体労働もひと段落したところで,いただいた資料をためつすがめつしていましたが.

 結論から言ってしまえば,児童文学館の存続運動は府立図書館の市場化テスト(指定管理者委託の導入)問題とは別個の問題であり,これらは切り離して論じた方が,お互いの問題解決のためでもあると思わざるをえません.児童文学館の価値は府立図書館とは関係なく成立しているものですし,府立図書館の問題に触れずとも児童文学館の存続運動は可能です.ましてや配布された資料群のような形で府立図書館の問題を絡めたのでは,却って児童文学館存続への支持が減りはしないかと心配になってしまいます.

 というのも,資料群の中にある図書館問題研究会大阪支部の作成した資料が,教育行政からも文化財行政からも図書館行政からもおおよそかけはなれた,ヴィジョンもミッションも明確ではない既得権益護持を目的とした労働運動の産物であり,内容が「指定管理者」(=民業)を貶めるだけの拙劣なプロパガンダ(デマゴギーと言ってもいい)に堕しているからです.そもそも指定管理者の導入は「民営化」ではありません(国際児童文学館 寄贈者・関係者等と知事との意見交換会 発言要約によれば,橋下も「民営化」と言っているようですが).他の点についても,既に愚智提衡而立治之至也: 官尊民卑に弄ばれる「図書館の自由」で「官尊民卑」について述べているところなので,細々したところは一々繰り返しません.今回の件で言えば,例えば「大阪国際児童文学館と大阪府立図書館を考える集い」(2009.2.15)報告(1) - 帰ってきたハナログでhana53さんが紹介している,児童文学館へ鳥越氏の資料が引き取られるきっかけとなったらしい大阪府教育長の巧言令色ひとつとっても,公務員が公務員であるだけで無謬であるとは考えにくいところへ,指定管理者(=民業)を貶めるだけ(しかもどれひとつ取っても具体性に全く欠ける指摘ばかり)の資料を持ち出しても,彼らが期待するような効果があるとは思えないのですが.

 あるいは,やはりhana53さんにご紹介いただいた「トヨタ営業所で『お奨めの車ありまっか』と聞いて『日産エエですよ』とは言わないでしょう」という発言.そもそも公共図書館の指定管理者を引き受けるような企業・団体がそんなことを公共図書館という場所で公然とやれば,恐らくその企業・団体は来館者からも自治体の担当者からも信用を失うでしょうし,そのような企業・団体は淘汰されてしかるべきです.もしそのような行為を繰り返す企業・団体が何らかの力により淘汰されないのであれば,それはルールを定めている行政の失態であり,その場合企業・団体ともども信用を失うのは,ルールを運用している公務員だろうと思うのですが.そして,公共図書館においてトヨタと日産の比喩で想定される企業は出版流通関係の企業ではないかと考えられるのですが,出版流通業界は以前から児童文学館の維持に,公共図書館業界よりも遙かに貢献してきた業界であり,児童文学館の存続を考える場において,その業界を平然と揶揄できる政治的センス(リテラシーと言ってあげましょうか?)の欠如には恐れ入るばかりです.

 そもそも公共図書館における「資料」が書籍という形で成立するは,出版流通業界という「民業」によるところが大きいはずですし,公共図書館の来館者の過半は「民業」を生業とする人間とその家族じゃないかと思うのですが,資料群を作成した図問研大阪支部にはその程度の想像力を働かせるだけの能力も欠如しているんでしょうか? ついでにいえば,児童文学館の新規増加資料の多数は出版者の寄贈によるものであり,その出版者はほとんどが民業でしょう.そのような背景に想像力が働かないのであるならば,彼らには公共図書館に勤務するだけの経綸が不足しているのではないでしょうか.民業を謗ることで保身することのみを目的としている連中には,市場化テストにより公共図書館から退場してもらったほうがマシです.

 僕個人としては,大阪府立国際児童文学館を維持する運動の目的が,必ずしも大阪府立図書館の市場化テスト導入反対と目的を一にする必要がないと思われる現状では,両者を切り離して考えた方がいいと思います.ましてや府立図書館の市場化テスト反対に便乗して公務員の既得権益護持をはかり,民業への誹謗を繰り替えし,ひいては児童文学館の運営に多大の寄与をもたらしてきた出版者(=民業)を貶める行為をやめない連中とは,児童文学館の維持に知力体力を集中させるためにも手を切るべきです.


 手厳しい? まさか(^^;).

続きを読む "同床異夢"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/02/19

図書館目録再考

 OPACを考える前に,検索されるデータを作成するための目録法を考えることから.これはやっぱり,個人的な体験から起こさなければダメか(^^;).

 先日,敗北を喫したんですよ.MARC21準拠とかいう目録規則に.今や「大きな字で書いてあるのが本タイトル」という常識は通用しないorz 以前にも愚智提衡而立治之至也: ダメな図書館目録の例から始まる一連のエントリーで,あれこれ議論したところですが,大学図書館に関する限り現在の図書館目録は「提供のための目録」どころか「管理のための目録」ですらなく,「目録規則のための目録」即ち「人のために法がある」のではなく「法のために人がいる」状態に堕しているということだとしか,僕には思えないのですが,違うんでしょうか?

 ところで,過日僕が担当している演習の期末試験の採点をやっていたら,自由記述欄で「図書館目録があれほどマニアックなものだとは思いませんでした」 という記述にぶつかりました(^^;).それは確かにその通りで,目録規則とは「例外」を見つけるとそれをすべて飲み込まずにはいられない消化のいい胃袋を持っているために,あまりに精緻になりすぎて作る側も使う側も,誰もが簡単に使える代物ではなくなっているのが現状でしょう.

 図書館の目録は今後,マニアックと簡略化の二極分化が起きて進むだろうと,想像しているワタシ.マニアックの方向はAmazonの「なか見! 検索」みたいな方向と昔のキーワード・抄録検索の方向が,簡略化の方はメタデータ(ダブリン・コアみたいなの)程度の書誌記述で.という話は,既に僕自身が愚智提衡而立治之至也: ダメな図書館目録の例:補遺その3で繰り広げていたのでした(^^;).あれから4年ほど立つのに,全く考え方が変化していません.新しい展開もありません.どうしたものだか.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009/02/15

官尊民卑に弄ばれる「図書館の自由」

 昨年の今頃,【愚智提衡而立治之至也: 「法の下の平等」とレコメンドサービス】で俎上に載せた


田中,敦司
図書館は利用者の秘密を守る--カウンターで感じた素朴な疑問から (特集:図書館の自由、いまとこれから--新たな図問研自由委員会のスタートにあたって)
みんなの図書館 (通号 370),21~26,2008/2

が,最近そこここで取り上げられ,我が意を得たりと思ったことである.

図書館は利用者の秘密を守る-カウンターで感じた素朴な疑問から- - 読書ノートのつもり?なつれづれ日記
http://d.hatena.ne.jp/yoshim32/20090209/1234159904

それであなたはなにがしたいのか-田中敦司「図書館は利用者の秘密を守る-カウンターで感じた素朴な疑問から-」に感じた根本的な疑問 - ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版
http://d.hatena.ne.jp/arg/20090211/1234346362

その文章が掲載された「みんなの図書館」は言うまでもなく図書館問題研究会の機関誌である.それほど「図書館の自由」を金科玉条にしているはずの図問研が,最近明らかになった

容疑者と被害者情報漏らす 報道機関に東金市立図書館 - 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009012401000452.html

この件に関して,報道から3週間を経過した現在もなお,沈黙を守っているのは如何なる理由があってのことか.質問状に対する返答がない,というのは理由にならないだろう.記事に拠れば,この件を調査したのは日本図書館協会であり,図問研のメンバーにはこと「図書館の自由」について,日図協のイデオロギーを担っている人間も少なくないわけだから.
 また,2002年に発覚した,東京都の区立図書館において委託業者から派遣されていたカウンター要員が来館者の個人情報を悪用した件について,督促を怠業した公務員を弁護し委託会社とその派遣社員にすべての非を押し付け,そのことを指摘した意見に対し犯罪を使嗾してまで公務員の責任を回避しようとした東京の図書館をもっとよくする会の関係者もまた,この件については沈黙しているのである(なお,当時のコメントは注記も無く書き換えられ,犯罪を使嗾した箇所は改竄されているので現在では参考にならないことをお断りしておく).2002年の事件が「図書館の自由」に対する重大な挑戦(公務員による督促の怠業よりも罪が重い)というのであれば,東金市役所と東金市立図書館における,公務員による来館者の個人情報漏洩は,委託業者によるそれよりも責任が重いのではないかと思うのだが.

 共同通信の記事で気になるのは「調査に対し東金図書館は、一部の取材者が執拗に情報開示を要求したとしており、図書館関係者は、報道側にも利用情報の扱いに対する理解が必要だとしている。」というくだり.この,如何にも公共図書館に対して理解のありそうな文章だが,2002年の記事と比較してみると,論調の差異がわかると思う(エントリーの最後に全文を引いておく).日図協や図問研の指定管理者や委託に対する考え方,共同通信の関係者が「みんなの図書館」に連載を持っている事実などを考え合わせると,これは恐らく情報漏洩に対する報道機関への責任転嫁と公務員擁護のために(意図的にかどうかは別にして)執筆された文章ではないかと思われるが,どうだろうか?

 いずれにせよ,「公共図書館の民営化」などというデマゴギーを放送している団体に,公務員の罪を問わせることが,荷が重いのは重々承知の上で,それでもこの「図書館の自由」をめぐる公務員と民間への適用におけるダブルスタンダードについては,指摘しておかなければならないだろう.「図書館の自由」はあなたがたが「官尊民卑」という基準で恣意的に運用してもいいものだったのですか?

続きを読む "官尊民卑に弄ばれる「図書館の自由」"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009/02/14

レファレンス再考:インフォメーションとインテリジェンス

 承前

 以前の僕ならば,「貸出」と「レファレンス」を対抗させる形でレファレンスの優位性を説いたところですが,ところがどっこい,前振りで「枠組みを問い直す」とやってしまったので(^^;),この手は使えません.おまけに,そのような単純な二項対立で公共図書館経営を考えることは,「文脈から切断された〈象徴としての公共図書館〉」を想定しない限りは成立し得ないわけです.では,どのような考え方を以って課題にあたるか.

 公共図書館に限らず,図書館は「少しく叩けば少しく響き,大きく叩けば大きく響く」という特性を持っていると考えているのですが,その叩き方というものが,社会において共通の合意/認識が取り付けられている,という状況ではないと思うのですよ.だからこそ,そのような「待ち」の姿勢ではいけない,という議論があるのは承知の上なのですが,それでもなお,図書館をめぐる「リテラシー」が一様ではなく,そもそも「リテラシー」自体が地域の歴史や現状に左右され,拘束されてしまう状況があることは,率直に認めなければならないでしょう.この点を把握しておかないと,図書館サービスを論じるときに大きな過ちを犯すことになります.誰とは言いませんが.

 さて,これまでの「貸出」や「レファレンス」の分野に取り敢えず「資料提供サービス」という仮称を付けてみますが,これは要するにランガナタンの言う「利用者の時間を節約する」ためのサービスであると同時に,あくまでも情報(インフォメーション)を来館者なり,住民なりに提供するサービスである,という一線を引いておく必要があります.つまり「情報は自分で読んで,分析し,評価しなければ自分の役には立たない」(江畑謙介『情報と国家』講談社現代新書)ものであり,最終的に情報(インフォメーション)を「インテリジェンス」として何事かの役に立てるかどうかは,図書館がどれだけ有用な情報(インテリジェンス)であると判断して来館者に提供しても,来館者自身が判断を下さなければ何の意味もなくなってしまうものなんだろうと思うのです.

 図書館が提供するのは「回答」であって「解答」ではない,と言われる所以です.図書館は,来館者が判断に着手するための情報(インフォメーション)の収集作業を手助け/肩代わりすることによって,来館者が収集に要するであろう時間を節約する役どころとなります.どの形式(書籍・雑誌・webなどなど)の情報(インフォメーション)が求められた回答に相応しいかまで,ある程度のスピードで分析・判断することによって来館者の時間的負担(ひいては心理的負担も)を軽減することが求められます.それには,卓越した情報収集能力と分析能力(求められている主題における専門家ではないとはいえ,得られた情報〈インフォメーション〉が疑似科学であるか科学であるかを見分けられる程度の分析は可能でなければならないでしょう)が必要です.ちなみにこの能力は,オタクとかマニアとか呼ばれる程度に趣味に耽溺していれば,応用が利く程度には身に付いている筈です(^^;).生かさない手はない.


 ・・・・・・と,ここまで書いて,文章を上手く〆ることが出来ない(^^;).気の利いた結語が書ければよかったのに.ここ2か月ほど,いささかスランプで長い文章をblogどころかリアルでも書いてなかったことを理由にしておこうか.


以下は今回,触発された記事(覚えているものだけですごめんなさい)

CHOTTO TOWN 図書館日誌: レファレンスを見直してみる
http://c-town.way-nifty.com/blog/2009/02/post-c129.html
CHOTTO TOWN 図書館日誌: レファレンスを見直してみる(その2)
http://c-town.way-nifty.com/blog/2009/02/post-6dd9.html

図書館雑記&日記兼用:レファレンス再考? - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/lib110ka/archives/51854025.html
図書館雑記&日記兼用:「待つ」をやめる - livedoor Blog(ブログ)
http://blog.livedoor.jp/lib110ka/archives/51854753.html

ライブラリアンはBINARYの夢をみるか: ちょっと早急かもしれませんが・・・課題3「レファレンスの定義」
http://miffy-capybara.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-902c.html

これからのレファレンス(大学図書館) - かめの歩みとライブラリアン再考
http://d.hatena.ne.jp/makiko0812/20090213/1234529441

TB受け付けているblogには飛ばしてみますが,ココログは以前からTB上手く飛んでくれないので,送信できなかったらごめんなさいm(_ _)m

参考文献

| | コメント (2) | トラックバック (0)

レファレンス再考:その前提

 レファレンス再考,というより図書館業務再考,であるか(^^;).

 まず,「貸出」「レファレンス」「読書相談」「目録作成」などなど,従来言われてきた業務の区分を一度,見直したほうがいいんじゃないかと思う.特に「貸出」と「レファレンス」の間に,厳密な一線を画そうとしてきた考え方-現在もなお,その幻影が蠢いているようですが,この発想をまず疑ってかかれなくちゃ,将来の図書館業務の発展はないでしょう.このリンク先の内容については,ここでは過剰な現場主義が公共図書館を(歴史的,地域的)文脈から切断してしまっていることを指摘しておくに止めるけど.

 目録作成については稿を改めるとして,対来館者サービス業務について(余談だけど,公共図書館を考える際に「利用者」という言葉には手垢が付きすぎていて,とても多様な意味を込めて使える状態にはなく,いろいろ考えた結果,利用対象は「住民」,公共図書館に来館する住民は「来館者」と取り敢えず呼称してみる),その枠組みを考え直してみる.「貸出」や「レファレンス」は,資料(情報)を来館者に提供するサービスの異なる手段であると捉えてみてはどうか.例えば貸出至上主義者のように,「貸出し」を目的とし他の手段を排除した形で成り立つ公共図書館サービスの展開は,高度成長期ならまだしも,世紀を越えた現在の社会状況を把握しているのであれば,そのような単純なモデルが成立する要件は現状,非常に限られている(恵まれている)ことが理解できるのではないか.公刊された書籍にせよ,一部の関係者のみに配布される灰色文献にせよ,情報(インフォメーション)として捉えればそれは限られたモノでしか無いし,現在流布している情報(インフォメーション)がすべて物理的な筐体を成しているわけではないのだから.

 そういえば,「レファレンス」から始まる公共図書館利用,という表現をとると,「それはエリートのための公共図書館である」という反論が昔は来た(^^;).しかし,その批判は「エリート」という言葉の誤用なのではないか.曲がりなりにも民主制を標榜する国家の成員(=市民でも住民でも結構)が,与えられた/入手した情報(インフォメーション)を分析し「インテリジェンス(戦略情報,とでも言えばいいのか?)」に消化/昇華できない状態に置かれている,というのは学校教育の失態であろうし,市民に分析のリテラシーが備わっていることは,公共図書館業界が常日頃悲願としてきた「近代市民社会」の基盤ではなかったのか.情報(インフォメーション)の提供から始まる公共図書館の利用とは,民主制と近代市民社会を成立させるための,すぐれて基礎的な作業であると言えるだろう.
 誤解されると困るので付け足しておくけど,「公共図書館」の存在自体が必ずしも民主制の基盤だ,とは思わないのだよね.ただあればいい,というものでもない.「公共図書館」を利用する市民の意識とリテラシーが,公共図書館を民主制の基盤たらしめている,という話なので間違えないで欲しいところ.

 続くと思う(^^;).

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009/02/09

日本で一番利用者満足度の高い図書館といったらどこですか?

 たまたま見つけた.

日本で一番利用者満足度の高い図書館といったらどこですか? - Yahoo!知恵袋

 回答にアカデミーヒルズ六本木ライブラリー国立国会図書館しか挙がってない(^^;).しかもベストアンサーが六本木ライブラリーである.業界人が相変わらず足の引っ張り合いを繰り返しているうちに,足元の公共図書館が見捨てられてしまうのではないか,という危惧を拭い去ることができない.

 ・・・・・・と言いたいところだが,如何せん上記質問への回答数が少なすぎて,サンプルになりそうにないのであった(>_<).図書館への関心は,やっぱり低いのかな_| ̄|○

 とはいえ,ゼロ・トレランスよろしく「図書館」に対するイメージ戦略を業界団体が考えるのであれば,こーゆうひとつひとつの事例を検証する必要はありそうな気もします.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/01/25

隙を作っているのは誰?

 東京新聞:容疑者と被害者情報漏らす 報道機関に東金市立図書館:社会(TOKYO Web)
 http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009012401000452.html


 調査に対し東金図書館は、一部の取材者が執拗に情報開示を要求したとしており、図書館関係者は、報道側にも利用情報の扱いに対する理解が必要だとしている。
 協会の調査によると、逮捕前に容疑者が「事件当日は図書館にいた」と話していたことから、逮捕後、複数の報道機関が図書館に取材した。
 図書館は館長の不在を理由に断ったが、図書館を所管する市生涯学習課が、1社から取材を受け、容疑者と被害女児が利用登録した日と最終貸出日を教えた。その後、図書館もほかの報道機関に同じ対応をとった。

 最近は公共図書館が何か問題を起こすと,「指定管理者が」「委託業者が」という声の大合唱になりがちですが(何しろ公共図書館をめぐるトンチンカンな話は,昨今みんな指定管理者のせいにしたがっているオバカも業界には存在すると,小耳に挟んだこともある),ところがどっこい,直営だってこのザマですがね.指定管理者や委託業者がダメになるのも,指導監督する立場の公務員がこの有様ですから当然ではないかと.直営(公務員)に基盤を置くあのひとやあの団体が如何に糊塗しようとも,地金が明らかになってしまった,と言えます.上記の記事を読む限りでは,業界側は報道機関に責任を転嫁しようとしているようですが,その元はと言えば,結局は業界の周知努力があらゆる面において不足していたということに立ち返らざるを得ないでしょう.

 要するに,この件は公共図書館の運営が指定管理者であろうとなかろうと,お役所の漏れるところからは情報が漏れるんだということを,満天下に改めて知らしめてしまったわけで,「守秘義務」とやらを盾に公共図書館への指定管理者導入に反対し,プロパガンダを展開している連中には痛かったんじゃないですか? しかも,本庁が先立って情報を流している(「一部の取材者が執拗に情報開示を要求したとして」いるのは図書館サイドから出ている話ですから,信用できません.一方から出ている話のみでこれを断じるわけにはいきませんよ.曲がりなりにも,当方も「図書館」業界の一員ですから)わけで,まさに「背後からの一突き」.戦略も戦術もあったものではありませんね.

 付け入る隙を作っているのは誰ですか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/01/16

プロフェッショナルとしての基盤

 続き

 もう長々と書いても仕方がないので簡単に.
 個々の主題室がなければレファレンスが出来ないような図書館司書は,レファレンス・ライブラリアンとしてプロフェッショナルではない.レファレンス・ツールの種類と用法を広く心得ているのがレファレンス・ライブラリアンだとしたら,狭い分野の主題しか扱う必要がないところに必要なのは,司書ではなくその分野の専門家で充分だろう.その分野の専門家ではなく,プロフェッショナルとしての,レファレンス・ライブラリアンとしての図書館司書が必要なのは,図書館においては,どの分野の質問がどこに来るかわからないからではないのか?

 それとも,「図書館員の専門性」とやらを労働問題に回収したいのかな.それはもう,とっくに終わっている戦術であり,対抗言論だよ.この戦術を1980年代後半以降,主に「委託」問題で取り続けてきたがために,業界が無限の後退戦に陥り,しかも敗北が続きっぱなしであることを,もう少し自覚してもらわないと困る.何しろ,この期に及んでもなお,現場の人間が「非正規雇用者の待遇改善は非正規雇用者自らの手で」などと言っているようでは,労働問題としても遅れた問題意識であると思われても仕方があるまい.

 結局,「現状維持」という名のナルシシズムとフェティシズム以外に,プロフェッショナルとしての基盤はどこにあるのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/01/11

ワンストップサービス

 東京見聞録:都立中央図書館 新装開館に未来の姿を探る /東京 - 毎日jp(毎日新聞)

この記事へのはてなブックマーク


意味不明なので,どなたか乞解説>>“ワンストップサービスを巡っては、図書館関係者に「司書が培ってきた経験の蓄積や専門性が崩れかねない」との懸念の声が上がっている。”
とコメントを付けたところ,幾人かの方からこもごもご教示を頂きました.多謝m(_ _)m

毎日の記事中で,僕が引用した箇所の下敷きになっていると考えられる,nekokeiさんご教示の【東京の図書館をもっとよくする会: 「都立図書館改革の具体的方策」に関連して、都立図書館の充実を求める「陳情」を提出】における当該箇所の主張は


ワンストップサービスは、特定分野ごとのレファレンス体制をやめて、 一箇所で全分野に渡るレファレンスに対応しようというものです。都立中央図書館の蔵書は300万冊で、 この膨大な資料を使ってレファレンスを行います。一般参考係が窓口となり、 一般参考係で対応できないレファレンスについて4つの主題室が対応しています。ワンストップサービスにすれば、現在、 各主題室で行っている高度なレファレンスサービスがなくなるので、都民サービスは低下します。従来どおり司書職員を配置して、 レファレンス・サービスはじめ利用者のサポートを維持・充実すべきです。
となっているわけです.

 うーん,やっぱりどこか釈然としない,というか,論理がつながってないような気がするのは,自分が大規模公共図書館に勤務した経験が無いからなのか(勤務先は20年このかた4人で廻してる大学図書館です),それともこのあたりに「既得権益護持」の臭い(^^;)を嗅ぎつけてしまうからなのか,いまひとつよくわかりませんが,自分の目が私心で曇ってないとすれば,一箇所で出来ないことが分散配置をすれば出来るようになる(一箇所でやるようになるとサービスが低下する),というところの論理はやっぱりよくわからないところです.

 今しばらく,考えてみることにしましょう.

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008/12/21

図書館が見る「コミュニティ」のパースペクティヴ

 『図書館概論』(JLA図書館情報学テキストシリーズ Ⅱ-1)の新訂版が届いたので,興味のあるところを拾い読みしてみたのです.そこで,どうも気になったのは「コミュニティ」というものの捉え方/考え方が,今もなお「定住者のコミュニティ」のみを前提にしているんじゃないか,というところなんですね.それはある種の公共図書館業界人が(指定管理者制度を導入していること以外でも)千代田区立千代田図書館を評価しない/できないことと,ほぼ裏表の関係を作っているんじゃないかと考えるのですよ.

 と言うのも,某研修会で千代田図書館の方の講演を拝聴した際,書き留めた僕のメモがあるのですが,それを僕なりに解釈・再構成してみると,千代田図書館は立地的に,定住者へのサービスに重点を置く従来型(『市民の図書館』が目指したような,新着図書と「貸出し」中心の運営による)の公共図書館を目指すことはもちろん,予算や建物から考えても,良いと思ったサービスを何でも取り入れることが可能な(浦安市立図書館のような)万能型の公共図書館を目指すことも難しい,と.定住人口(夜間人口)と流入人口(昼間人口)の落差を考えると,千代田図書館がターゲットにすべきは昼間人口(つまり黒川紀章が『都市革命』の中で述べている「テンポラリー・コミュニティ」を形成する人々)なのではないか,そして,テンポラリー・コミュニティへのサービスを考えれば,自ずと現在のサービス形態が千代田図書館として重点的に展開することが相応しいサービスになるのではないか,ということだったのですね.

 例えば神野直彦は『地域再生の経済学』の中で「情報の流通が激しくなれば人間の移動は減るのではないか」という意味のことを書いていますが,僕は現状,「情報の流通量の増大とともに人間も移動し,移動した先ごとにコミュニティを作る」(そのようなコミュニティを黒川は「テンポラリー・コミュニティ」と呼びます)という黒川紀章に左袒するところでして,『図書館概論』を読んで,まだまだ隙間産業(^^;)を考える余地はあるようだな,と受け止めているところです.方々で形成される時間的にも構成メンバー的にも重層的な「テンポラリー・コミュニティ」に対して,図書館-特に公共図書館-が為し得ること,更に進んで公共図書館が形成しうる「定住者のコミュニティ」だけではない重層的な「テンポラリー・コミュニティ」を考えることも,これからは必要でしょう.


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/11/24

学問と政治

 「みんなの図書館」12月号(No.380)が届いたので,早速読む.内容の詳細は【ともんけんウィークリー: みんなの図書館2008年12月号が出ました】に譲る.

 巻頭の「特集にあたって」を読んで,最初は栄光の「みんなの図書館」もこれを以って終刊なのか,と思いベートーヴェンの「エロイカ」を聴きながら茶化しのめすか,と読み始めたのだが,これがなかなかどうして,素晴らしく意気軒昂な特集で,今更ながらに図問研の,『市民の図書館』の強靭な生命力に舌を巻く思いである.これは皮肉で言っているのではない.公共図書館に関して,どのような立場に身を置くひとであれ,公共図書館に関心のあるひとなら一度は目を通すべき特集であることは間違いあるまい.僕自身も,付箋を貼ったり傍線を引いたりして,いろいろと勉強させられる内容であった.当初の偏見をお詫びする.

 それを踏まえた上で,1箇所どうしても首肯出来ない文章がある.


歴史認識が欠けていては将来を豊かに描くことは出来ないと思います.「『中小レポート』に何時までしがみついているのか」「『市民の図書館』の役割は終わった」「貸出しにうつつをぬかしていたから,今そのツケが回ってきたのだ」などという声を時々聞きます.私は何と傲慢な言葉かと思います.(29頁)
やれやれ(sigh),というしか無い.それは,何も僕が常々当blog等で最早『市民の図書館』の寿命が尽きかけていることを説いている,という立場にあるからそのような感慨をもらしているだけでは無い.他ならぬ「歴史認識」という言葉が,この文脈で使われていることに危惧を抱かざるを得ないからなのである.
 言い方を変えたほうがいいかもしれない.この箇所でこの文章の筆者が「歴史認識」という表現で問題視すべきは,『中小レポート』『市民の図書館』「貸出し」それぞれが現在この時点において,公共図書館の政策,機能として評価しうる内容であるかどうか,のはずであろう.それにもかかわらず,それらに疑問を差し挟むことを「傲慢」と切り捨てることにより,「歴史認識」を極めて政治的な文脈に回収しようとしているのである.これはとどのつまり,「学問の否定」に他ならない.

 なるほど,(図書館業界内における)政治においては,そのような文脈が「運動」として一定の力を持ち得た時代があったのかもしれない.しかし,現在においてその文脈の上で「傲慢」を指摘すること自体が,どれほどの意味を,力を持ち得るというのか.それは「歴史認識」ではなく,その時代を生きてきた人間による単なる「郷愁」では無い,と言い切れるのだろうか.僕は,ここで言われている「歴史認識」や「傲慢」は,この文章の筆者による郷愁でしか無いと考える.

 「歴史認識」という言葉が出ているので,ついでに改めて書いておくが,僕は『中小レポート』→『市民の図書館』→『公立図書館の任務と目標』という,現在に至る日図協の政策文書3部作の流れ,また『市民の図書館』→日本図書館研究会読書調査研究グループという学問的な流れは,必ずしも進歩的かつ単線的な「歴史」では無く,各々の連続性よりもその差異の方が現在では重要な研究すべき論点だと考えている.もしこれから公共図書館史を構想するのであれば,「連続する流れ」としての歴史認識の基本線としては,むしろ『中小レポート』→『市民の図書館』→浦安市立図書館→静岡市立御幸町図書館,千代田区立千代田図書館,矢祭もったいない図書館,アカデミーヒルズ六本木ライブラリー(以下煩雑になるので略)・・・・・・という線を設定したほうが,広がる公共図書館の枠組みと意義,という「歴史認識」として余程健全な立脚点となるであろう.

 『市民の図書館』を信奉する方々がそれを正典視するのは結構だが,「思想信条の自由」「学問の自由」「信教の自由」は日本国憲法でも保障されているわけだから(^^;),少なくとも僕が『市民の図書館』を正典視しないことを,こともあろうに公共図書館関係者から「傲慢」と切り捨てられる謂れは無い.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/11/21

やっとこさ試験運用を始めますよ(遅い!)

 以前,話題にしていたSBMを使ったパスファインダー,今日ようやく試験運用を勤務先のサイトでアナウンスしました.ここまでアナウンスが遅れたのは,ひとえに僕がサボっていたからなのですが,pliggを使ったおかげで,「カテゴリー」と「タグ」の使い分けがどうしても上手くまとめられずに,最初につくった18個のカテゴリー(学科ごとに主題をカテゴライズした)と,こちらで付けようとしたタグの整合性が,どうしてもつけられなかったことが原因のひとつです.

 結局,最初に作成したカテゴリーを全部削除して,新たに3つのカテゴリーを「内容説明」代わりとして,タグを主題別にする-つまり,最初の構想とは真逆に構成する-ことによって,それを解決したわけですが,これを考え付くまでに,密かに随分と悩んでおりましたですよ(^^;).

 タグを主題別にすることによって,パスファインダーの作り方をかじった図書館員なら,このシステムを使ってパスファインダーを作成することは,恐らくそれほど苦にならないと思います.僕以外の図書館員がパスファインダーを作らなければならなくなる局面で,システムの操作以外のことを教えることなくパスファインダーが作成できることを,このシステムの隠れた利点(^^;)にしなくちゃいけないな,と考えていたので,まあ悪くないかな,と思っております.

 今日現在,タグはまだひとつだけ,というお粗末なものですが,年度内にはせめて5つ程度には拡充したいと思います.今後ともよろしくお願いします.

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008/11/10

開かれた公共図書館とその敵(続)

 承前

 ところで,公共図書館業界関係者の中には,片方で「専門性」の未確立を嘆きながら,実のところ他方では『市民の図書館』とそれを発展・継承させたと称する疑似科学によって,その専門家としての自我を肥大化させ,そこに奇妙かつ巨大なコンプレックスを現出させた連中がいます.これはオルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』の中で“「専門主義」の野蛮性”という章を立てて,指摘している専門家と称する人々の知的傲慢,そのものではないでしょうか.自分たちだけが公共図書館を識る者であり,祖師が作り上げた「枠組み」が妥当かどうかを検証することも無くその「枠組み」を信奉して,そこから外れていると「彼らが」認識したものは「あれは公共図書館ではない」「これは“図書館的”だが公共図書館とは認められない」などなど,妥当かどうかもわからない「枠組み」,確立もしていない「専門性」に依拠して夜郎自大な批判を繰り返します.

 そのような専門家による夜郎自大を,例えばポール・ファイヤアーベントは自由社会における最終決定を専門家にのみ任せることなく,素人が最終決定に参画できる仕組みを必要不可欠のものとして組み込むことによって,排除することが可能であろうと指摘するわけです.USAにおける「図書館評議会」の役割は,くだんの『図書館ねこデューイ』を読む限りにおいては,ファイヤアーベントが批判する専門家の夜郎自大を防ぐための安全装置として働いている(それがあるときは障壁になっていることも否定できませんが)ように思えます.

 しかし,こと日本においては「図書館司書」が近代化する手前で「近代」が崩壊した,つまり専門化する以前に専門化するための前提が崩れてしまった-丸山眞男(前川恒雄でも構いませんが)が待望していたような形での「近代市民社会」はついぞ実現されていない-わけです.近代化による「正のスパイラル」が望んでいた形で訪れなかった以上,業界はそもそも妥当かどうかわからなかった「枠組み」を,より妥当な形に再構成しなければならなかったはずなのです.ところが,今もって「再構成」は実現する兆しさえ見えません.

 それは何故なのか,その理由こそ打ち砕かなければならない「開かれた公共図書館の敵」ではないだろうか,というのが,目下の僕の見立てです.


 なおアダム・スミスについては『アダム・スミス』(中公新書)を,ポール・ファイヤアーベントについては『パラダイムとは何か』(講談社学術文庫)を参考にしましたが,その読解については僕に責任があります.それからエントリーのタイトルはカール・R・ポパーの名著のパクリですが,彼の本『開かれた社会とその敵』(未来社)は未読ですごめんなさいm(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/11/09

開かれた公共図書館とその敵


asahi.com(朝日新聞社):ボーイズラブ小説は不適切?図書館貸し出しで議論白熱 - 社会 http://www.asahi.com/national/update/1105/OSK200811040115.html

28万冊いずこに…全国公立図書館で不明、被害4億円超す : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20081109-OYT1T00123.htm

 こーゆう記事を読んでいると,1970年代に『市民の図書館』の成立を支え,また成立以降の『市民の図書館』とその信奉者が目指してきたものが,名実ともにあっけなく破綻したなあ,と思わざるを得ません.残念ながら.

 『市民の図書館』には,このような文章があります.


「住民は,一人一人の自由意志によって公共図書館を利用するのであり,どのような強制も押しつけもあってはならない.」(p11-12,強調は引用者による)
問題は,住民における「自由意志」なるものが,例えばアダム・スミス言うところの「賢明さ」によって「弱さ」を自ら制御できるだけの近代市民としての自覚を持った住民によって行使されうる状況が,『市民の図書館』を理想とする公共図書館の発展によって現出したのか,というところにあるわけです.もちろん,公共図書館の発展のみによって住民の近代市民化は達成できるものではなく,むしろ他の要因の方がそれを達成するためには大きく働くと思われますが,少なくとも『市民の図書館』は貸出しによって公共図書館が発展(進歩)することが近代市民社会の構築に不可欠である,という貸出至上主義の立場に立って書かれており,故に「貸出し(利用者)増→予算獲得→さらに貸出し(利用者)増→さらに予算獲得→以下略」という正のスパイラルを公共図書館の発展(進歩)として念頭に置いていたわけです.そして,それは公共図書館の発展(進歩)が近代市民社会の成立に必要不可欠のものであるとともに,近代市民社会において公共図書館は必要不可欠のものである,という「信仰」によって支えられていたのです.

 それ故,『市民の図書館』が正典であった時代(1970年代後半から1990年代前半まで,と見ていいでしょう)は,「問題利用者」のことを取り上げることについて憚られるような雰囲気がありました.これにも,『市民の図書館』のみがその要因ではないのでしょうが(やたらと「良書主義」を振り回す業界関係者がいたのも事実だろうし,良い意味で公共図書館の利用に「自覚的な」利用者がいたことも事実でしょう),少なくとも公共図書館業界関係者において「利用者」を「神聖ニシテ犯スベカラズ」な存在に祭り上げてしまったことの,責任の一端が『市民の図書館』の説いた貸出至上主義にあったと見るのは,それほど誤った見方だとは思いません.

この項続く

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/10/20

Library of the Year 2008

 例の図書館総合展で行われるLibrary of the Year 2008の選考対象に,今年は千代田区立千代田図書館が選ばれたばかりか,あろうことか「図書館」ですらない団体が選ばれたことが,ごく一部で物議をかもしているようで何よりです(^^;).昨年のこの催しにて,選考対象に「矢祭もったいない図書館」が選ばれたことに,この期に及んで今もなお異議を唱えている方を某所で見つけて吹き出してしまったわけですが,そこまで「図書館」(この場合の「図書館」は「公共図書館」否「公立図書館」とほとんど同義か)の概念と機能を限定して,というよりも「純化」してどうしようというのだか,さっぱりその先が見えてこないところが,如何にも『市民の図書館』信者だなあ,と,それを読みながら思ったことでした.

 そして恐らく,2時間に1本列車が通るかどうか,というド田舎に「公共図書館」を名乗る「場所」がありそこに本がある,そのこと自体が,どれだけその地域にとって僥倖であるのか,それすら全くわかっていない都会人の発想/認識なんて,所詮はその程度だろうな,ということもよくわかりました.さらに『市民の図書館』信者の面目躍如なのが,矢祭が現在寄贈受付を停止していることを以って,新刊書籍が無い公共図書館なんて,とほざいていたこと.新刊書だけが知的好奇心を刺激するんですかねえ(^^;).だとしたら,僕のように今になって鈴木栄太郎(1894-1966)や矢崎武夫(1916-2005)の仕事を追いかけて苦労している人間は,『市民の図書館』信者が旨とする公共図書館のサービスの対象外ということになりますわな.実際,近所の公共図書館に鈴木栄太郎の所蔵は無かったしorz 現物貸借頼むなら自分の勤務先でやりますが,もしも近所で間に合うならその方が安上がりだったんですけどね.

 思うに「公共図書館」という存在,もしくは概念の拡大は受益者に多大の権利と利益をもたらすでしょうが,その真逆,即ち『市民の図書館』に基幹をおいて「公共図書館」の概念を「公立図書館」と「それ以外」とに,狭く純粋に捉えようと業界がし続け「あれは公立図書館ではない」「これは真の意味での公共図書館ではない」と言い募り続けることは,結局は受益者から本当の意味での利益と権利を奪うだけにとどまらず,純化路線の目的が最終的には「公務員の既得権益護持」であることを疑われる結果に終わるでしょうね.

 これ以上の『市民の図書館』信者の暴走を止めるためにも,Library of the Year 2008におかれましては是非「図書館」ではない団体が大賞を獲得することを密かに願っておりますよ(^^;).

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2008/10/18

失政のツケ

 昨日届いた「図書館雑誌」2008年10月号をつらつら読んでいてビックリしたのですが,


来年度以降の全国図書館大会の開催地が確定していない.(746頁)
のだそうで.毎年10月を目処に大会を開くのが慣習ですから,今頃にはすでに来年度の開催場所は決まっているのが通例だったと記憶しているのですが,来年度さえ決まっていないというのでは,日本図書館協会の基礎体力も相当な部分,衰えてきているのかとある種の感慨を禁じえません.

 ここ数十年来の日図協の公共図書館に偏重した運営(一例を挙げれば,日図協主催の「ステップアップ研修」とやらが始まってから随分になるのに,何時までたっても公共図書館司書のためのものにとどまり,他の館種に拡大する様子が見られないこと.しかも,導入にかかわった関係者が「公共から始めるのが当然」と言わんばかりのことを「図書館雑誌」に記している)がもたらすであろう「ひずみ」については,以前このblogではないところであれこれ述べたこともありました.しかるに公共図書館の関係者が全く聞く耳を持っていなかったので,がっかりして最近は何も言わずに来ております.が,どうやらここへ来て,懸念していた「ひずみ」がいよいよ具体的な形をもって表に出てきたような気がしますね.図書館大会にしても,建前は746頁に書いてあるとおりですが,実態が本当に伴っているのかどうかよくわからないので,1度も出席したこと無いですし.

 同じ頁で触れられている日図協大学図書館部会臨時総会についても,その「混乱」の主原因は日図協の公共偏重に対する大学側(特に負担が過重である感じていると言われる施設会員)の離反にあるのではないかと,推測される節がありますし.実際問題,大学図書館と大学図書館員に対して,日図協は何もしていないに等しいですからね.その遠因は恐らく栗原均元理事長が「ず・ぼん」のインタビューで語っていた「図書館事業振興法」をめぐる対立の構図だったのでしょうが,正直,年会費を9000円も取っておきながら,上の世代の失政のツケを次の世代(と言っても僕はもう40代ですが)に廻して事足れり,とされるのは勘弁して欲しいのですよ.

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2008/10/16

ねえねえ,いやはや,ちょっとこれ,やれどうしたものか.あーまったくもう

 たまには仕事の話.


2005年度 約24万円
2006年度 約31万円
2007年度 約35万円
2008年度 約50万円

これは,とある外国語雑誌の勤務先での購読料の推移(代理店経由).

 この雑誌は,もうひとつの雑誌とともに自然科学系の両巨頭とも言える雑誌であります.勤務先でも40年以上の長きに渡って購読を続けて来た雑誌でしたが,ここ数年,そのアコギな商売のやり口(無暗と増える派生誌,プリントよりオンラインが高額,派生誌をまとめ買いした顧客の優遇などなど)が水面下で取り沙汰されておりました.それがついに,単独でプリント版のみを購読すると50万円ですか.ちなみに,もうひとつの雑誌の購読料はプリント版のみでこちらの3分の1以下.昨今の円の独歩高を考えれば,これが当たり前ですよ.他の外国雑誌も,軒並み購読価格は据置きなのに,これだけが高騰を続けるというのは,さすがというか何というか.この雑誌の「大企業優遇,中小企業冷遇」な価格体系には,もうついていけませぬ.正直,外国雑誌は他を切り捨ててでも,これともうひとつの購読を維持しようと考えていた時期もありましたが,あまりの仕打ちに言葉もありませんわ.

 田舎のごく小規模大学図書館における事務長的立場にある者としては,これ以上費用対効果の見込めない雑誌を見栄で購読し続ける必要は無い,と判断しました.ぶっちゃけた話,50万はたいてこの雑誌の購読を維持するよりも,「日経エンタテインメント」の購読を維持したほうが学生が来ますからね.それが底辺校の現実.

 よって,今年度を以ってこの雑誌の購読を打ち切ることを,明日図書館長に進言し了解を得る予定ですので悪しからず.

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008/10/13

つくばオフ会ご参集御礼

 去る10月11日(土)の某(隠すほどのものでもないか)大学のホームカミングデーに併せて,min2-flyさんに企画していただいた,つくばのオフ会に参加していただきましたみなさま,ありがとうございましたm(_ _)m 何だか,勢いに任せてひとりでツクバの昔話をしゃべっていたような気がしますが,お楽しみいただけましたでしょうか? 若いみなさんと話をしていると,自分の頭の中が整理できるので,ついつい話が支離滅裂になってしまいます(-_-;).しかし,何方かがおっしゃられていた通り「教員と学生,という年齢構成ですよね」,若い方々と飲み会ができるのもこのblogのおかげでございます.今後は,もう少し内容を充実させねば>>当blog.

 ところで帰路,実家に辿り着いたのは日付が変わった0時半過ぎ.便利なことに23時過ぎても東北線は上野発が3本も走っているんですね,現在は.おかげで無事に帰宅できました.ときに上野駅でボンネット型特急車輌で運行する急行「能登」を隣りのホームで見かけて仰天しましたよ(恐らく「鉄道の日」関連の特別企画列車ですね).写真を撮り損ねたのが残念.
 ひょっとして,北千住から東武伊勢崎線使ったらもう少し早く帰れたのかな,と確認してみたら上野周りとまったく同じ結果になったので,JRのホリデーパス使っていた身としては,上野周りが正解だったみたいですね.

 そうそう,今回改めて自分が年をとったと思ったのは,酒を飲んでると食がほとんど進まなくなることだったりしました(^^;).昔はお酒飲みながらでも,もう少し食べられたはずなのにorz 酒量も落ちましたわ.

 それはともかく,今回都合でお会いできませんでしたみなさまには,次の機会を楽しみにしております.今回は,ありがとうございました!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/10/06

From Eroica with Love

 先日勤務先に届いた,Library Journal2008年9月15日号のReview欄にGlaphic Novelsという項目があって,そこに“From Eroica with Love”という文字列を見てぶったまげた,という話(10月13日改稿).

 いきなり「ケロロ軍曹」の絵が目に飛び込んできたのにも驚いたけど,よりにもよって『エロイカより愛をこめて』ですよ,奥さん(誰?)!


Aoike, Yasuko. From Eroica with Love. Vol. 13. CMX: DC Comics. 2008. 198p. tr. from Japanese by Tony Ogasawara. ISBN 978-1-4012-0882-0. pap. $9.99. F
しかも,よく見るとこの書誌“Vol. 13”ですって.コミックスの巻数と連動しているのか,別編集なのかは調べてませんが,それにしても,日本のマンガってUSAに随分と浸透しているのですね,と奇妙な感動を覚えましたことですよ.

ところで同じレビュー欄に


Hiramoto, Akira. Me and the Devil Blues. Bk. 1: The Unreal Life of Robert Johnson. Del Rey: Ballantine. 2008. 544p. ISBN 978-0-345-49926-4. pap. $19.95. F
という作品が取り上げられているのですが,これは原本がわからない.“Hiramoto, Akira”という名前にピンと来るものが無いので,最近のマンガ家さんなのかなあと思いますが(ここ15~6年ほどマンガ雑誌には縁が無いので),どなたかご教示いただけますと幸いですm(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/09/22

旧「おぼえがき」から再録(「クローズアップ現代」について)

市民・市立図書館の「複本購入」問題批判の底の浅さについて - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080921/fukuhon

↑こちらにて登場する「読無字書弾無絃琴」は,現行のものではなく,blog移行以前にhtmlで書いていた「日々のおぼえがき」なので,現在web上に置いてありません.ですので,こちらにいらした方への便宜に,以前の「おぼえがき」から関係する箇所を,以下↓に再録しておきます.なお,都合により一人称のみ書き直しまた.また,取り急ぎテキストを再録することを優先したので当時張られていたリンクは張りなおしてません.悪しからずご了承ください.

続きを読む "旧「おぼえがき」から再録(「クローズアップ現代」について)"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/09/19

過剰な期待

 言いたいことは過去に書いた,以下のエントリーで言い尽くしているので,再論の必要は無いでしょう.

 正直なところ,このところ議論している皆さん,公共図書館に対する前提がバラバラである上に,(一部の方を除いて)公共図書館にいささか過剰な期待をかけていませんか? もちろん,公共図書館は皆さんの都合のよろしいように使われなければ存在する価値はありませんが,それにしても,意義と機能を前提とした可能・不可能の「棲み分け」は考えていただきませんと,前提がバラバラな上に後ろ盾も無く「過剰な期待」をかけられても,それによって公共図書館が本来果たすべき機能が崩壊してしまったのでは元も子もありません.行政機関と言えども,二兎は追えないのです.

 しかし,この一連の論争を見て思ったのですが,現状のままでいると,公共図書館に誰が何を求めているのか,という前提を業界が構築しなおさないといけなくなるのは必定かと.そうなる前に業界側が新しい政策なり何なりを何とかするのか,それともなおもズルズルと状況に引きずられていくのか.このあたり,この件に限らず業界関係者のお偉方に危機感があるようにはさっぱり見えません.連中がコップの中の嵐を弄んでいる間に,市井の人における公共図書館に対する見方・考え方が,図書館情報学における「先人の蓄積」は大切だけど,それが無意味なものになりかねないほど,急速に流れるように変っていくことを,業界に君臨している方々がどれだけ真剣に捉えていることか.これまで幾度と無く警告してきたつもりですが,いよいよ状況は切迫してきているような気がします.


愚智提衡而立治之至也: 公共図書館が保障するもの
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2004/12/post_23.html

愚智提衡而立治之至也: 公共図書館の「ホームレス支援」
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2006/01/post_7d46.html

愚智提衡而立治之至也: 公共図書館における「場所」と「機能」
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2008/05/post_ea7a.html


2008年9月21日追記:こちら↓も参照してもらえれば幸い.

愚智提衡而立治之至也: 「友・敵関係」と公共性の喪失
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2007/09/post_513f.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/09/02

シャッター通りに図書館を誘致する

 単なる思い付きですから,本気にしてはいけません(^^;).

 いわゆる「旧市街」具体的には地方の大都市における駅前商店街のようなところで,郊外に展開する大規模小売店の攻勢に負けて旧来の個人商店が次々と閉店し,歯が抜けたように(それどころか閉店した店跡が延々と立ち並ぶ羽目になったところも)シャッターを下ろしてしまった通り,それを称して「シャッター通り」と言う訳ですが,僕が住んでいる街の駅前商店街もご他聞に漏れず何軒もの小売店が店仕舞いし,それどころか駅前の大規模小売店が次々と閉店する始末(>_<).

 そのシャッター通りの再生に,例えば公共図書館や大学図書館の分所(分館と呼ぶにはあまりに小規模なので,取り敢えず「分所」と呼んでおく)を誘致する,というのはどんなものでしょうね.もちろん,大規模な再開発などというものは無しで,必要最小限の補強と改装で,元からあった商店街の建物を活かした形で.当然,万単位の本など置けるはずも無いですから,その冊数は自ずから限られますが,例えばシャッター「通り」と言うくらいで,何軒もの元・店舗があるのですから,そのうち数軒を改装して図書館にしてしまう.その際,例えば紀伊国屋書店新宿本店の地下街のように,専門分化した図書館を複数配置することです.もしその街に複数の大学があれば,それらの大学にも協力を請い,その大学の学部・専攻の専門分野に関する蔵書を置いた大学図書館の分所を作ってもらう.本の内容が古ければ,見せ方を工夫すればいいでしょう.

 それらの図書館分所と,これまで生き残ってきた商店街の店舗,それから別途入ってくるであろう新店舗(商売に限りません.それこそ「ラーニング・コモンズ」を商店街の一角に設置するのも一案かも.それとも,大学の中になければ「ラーニング・コモンズ」ではない別物になるのでしょうか? このあたりは不勉強なのでよくわかりません)などにより,活性化とまではいかなくとも,駅前における人の流れを変えて,うらぶれた旧市街の商店街に人を呼び込むことは不可能ではないだろうと夢想してみたのですが,この話,誰か真に受けてくれる方はいらしゃいませんかねえ?

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/08/29

「県立図書館」私論

asahi.com:県立図書館「3連覇」-マイタウン岡山
http://mytown.asahi.com/okayama/news.php?k_id=34000000808200002

はてなブックマーク - asahi.com:県立図書館「3連覇」-マイタウン岡山
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://mytown.asahi.com/okayama/news.php?k_id=34000000808200002

 『市民の図書館』においては,「県立図書館」は否定すべき対象なんですよね(14頁等).存在そのものが,ほぼ黙殺されています.「図書館の組織網」に一章を割いておきながら(95頁から),そこには相互貸借の対象として「県立図書館」は登場しませんし,もちろん「デポジット・ライブラリー」的な構想も無い.『市民の図書館』信者にとって「県立図書館」が市町村立図書館のバックアップやデポジット・ライブラリーではなく,単なる等価な公共図書館のひとつに過ぎない存在であることは,例えばケペル先生が兵庫県立図書館に来館者への直接貸出を実施させるべく圧力をかけ,実現したことを誇らしげに書いている(ケペル先生のブログ: 兵庫県と全国図書館大会)ことからも明らかですが,これからもそれでいいのでしょうか.

 実は『中小都市における公共図書館の運営』(中小レポート)にも「図書館協力」(202頁から)という項目があるのですが,そこでは県立図書館の役割が,当時の思想的な限界はあるものの,明示されているのですね.そこには不充分ながらもデポジット・ライブラリーの構想の萌芽も認められます.ですから,『市民の図書館』における県立図書館の黙殺は,『中小レポート』の思想と構想から見ると「裏切り者」(^^;)である可能性が大きいのですよね.少なくとも,県立図書館の役割に関する限り,県立図書館を否定し黙殺した『市民の図書館』は『中小レポート』の正当な後継者とは言い難い.『中小レポート』の思想と構想から考えれば,予算が少ないという点は問題視されても,兵庫県立図書館の「図書館の図書館」という開設当時の構想はそれなりの正当性を持っています.県立図書館が市町村立図書館と単に等価であっては「県立図書館」の意味が無いはずなのですが,ケペル先生たちは何を血迷ったんでしょうかね.

 というわけで,県立図書館が「個人貸出冊数」の多寡を競い合う状況というのは,「県立図書館」に『市民の図書館』の思想が,その固有の役割を無視して投影されているということであり,相互貸借という公共図書館のネットワーク(組織網)を破壊することにつながりかねない,危険な認識が業界の内外にはびこっているということになるのではないかと.特に『市民の図書館』の思想と構想の限界(貸出至上主義はポピュリズムを蔓延らせ,結果的に新自由主義を公共図書館に持ち込み,公共図書館の成長を疎外するばかりか,「良い公共図書館」の指標たりえない)が既に明らかになっている現況においては.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/08/27

純化路線で「衰退するコミュニティ」

 「図書館雑誌」2008年8月号(102巻8号)の「2008年度定期総会議事録」570頁から.


指定管理者に雇ってもらいたいという考えの司書が会員になると,協会と違う考えや意見も出てくるように思うので心配なのだが,どうか.
なるほど,「図書館の自由」を宗教だと指摘する考え方や,僕が『市民の図書館』を正典だと指摘することを,そっくり裏付けてくれる発言ですね.こーゆう発想のヒトが考える,公共図書館における「多文化サービス」とか「異文化との共生」って,どんなものなのだか,すこぶる興味があります.

 それもさることながら,斯様な意見が出ること自体,図書館業界(就中公共図書館関係者)が公共図書館を必要としてきた近代市民社会の支柱であるオールド・リベラリズム(古典的リベラリズム)の精神を失いファシズム化していること,そしてこの業界が既にアンソニー・ギデンズ言うところの「衰退するコミュニティ」になっているのだな,と強烈に実感させられるところです.あるところで「○○への招待」と称する布教本(^^;)のリストを見たときもそう感じたのですが,こういう発想の方々には,考え方の異なる人間が隣りに存在することによって対話が発生し,そこに議論が生まれて状況が活性化される,という視点はないのでしょうか?

 ・・・・・・ないのでしょうね.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/08/26

「ともんけんウィークリー」始まる

ともんけんウィークリー
http://tomonken-weekly.seesaa.net/

 えーと,今日は紹介だけです(^^;).他のblogで紹介されているようでもないので.今後,どのような展開が見られるのか,楽しみにしていますよ.非会員として.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/08/25

指定管理者委託から直営に戻した,ある公共図書館のこと

 休暇を利用して,いろいろと本を読んだり情報を仕入れてきたりしたわけですが(^^;).

 で,近頃「指定管理者委託」を「直営」に戻して「英断」とか何とか業界内で讃えられている(?)S県Y市の公共図書館について,裏口(^^;)から調べてきました.何でも「アルバイトが集まらなかった云々」という噂を聞き及んだので,まずはその真偽を確認してみると,そういうことはあったそうですわ.

 その理由がまた人間味臭い話で,何でも学校図書館に回るべき,例の地方交付税交付金がY市では学校図書館に回らなかったため,当該地域でその方面に影響力のある学校司書さんが市長とこの件でやりあった挙句にY市の学校を辞めて隣町の学校に転出してしまい,そのシンパの方々や,その話を聞き及んだ方々が「あの市では働きにくい」と公共図書館の募集を敬遠したためヒトが集まらなかった,のだそうです.
 その結果,止むを得ず大層な理由(?)を付けて直営に戻さざるを得なかったというわけ.

 つまり,別に「英断」でも何でもなく,市長とその側近が上手く情報を集めることも出来ず,人材を活用することも出来なかった,という,いわゆる「頭のいい」「腕力のある」政治家による側近政治にありがちな落とし穴に,彼の市長もまた,はまってしまったということでございました(^^;).それがたまたま公共図書館で噴出した,というだけのことで,公共図書館の未来に対して市長が偉大なことを成し遂げたわけではございませんのでご注意を,とのことでした.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/07/19

「財政難図書館、不要本に埋まる 寄贈募るが多くは廃棄」

asahi.com(朝日新聞社):財政難図書館、不要本に埋まる 寄贈募るが多くは廃棄

 ちと遅きに失したが,この記事について.

 善かれ悪しかれ,公共図書館の現場にいる図書館員の中で『市民の図書館』やその解釈(日本図書館研究会読書調査研究グループ等による)が正典化し,その解釈が教条化/硬直化しているのがよくわかる記事である.そもそも『市民の図書館』は選書論(あるいは蔵書構成論とも)において,「住民の要求に基づく選書」(「要求論」という)というあり方を打ち出し,それまでの「本の価値を判断する選書」(「価値論」という)を超克し,住民を公共図書館に呼び寄せることによって公共図書館の(住民と当局に対する)存在価値の向上と,それに伴う予算増を目指した政策文書だった(参考までに昔僕が書いたもの),というのが現行の(公式の)歴史的評価になるか.

 しかし,この記事に描き出される現状を読む限り,「要求論」とは「価値論」の1変種にすぎない(利用者の要求に至高の価値を見出す),という意見に同意せざるを得ない.何故なら,特定の本に予約が集中するのも住民の要求だが,


「もったいなくて捨てられない」と寄贈の申し出
があったこともまた,住民の要求であるにもかかわらず,こちらは「要求論」として処理されていない.それどころか

「専門的な教育本などが多く、図書館向きでなかった」
コメントした当人は「要求論」的物言いだと思っているかもしれないが,これはどう考えても「価値論」の物言いであろう.そこには,本と住民に対する明らかな二重基準と,それに気がつかない図書館員(とこの記事を書いた記者)における意識の断層が見える.

 この意識の断層は,元をたどれば,恐らく「公共図書館は設置母体/設置場所/規模の大小を問わず,みんな同一の思想と機能を有しなければならない」という発想にたどりつくのだろう,と思う.ひと口に「公共図書館」と言っても,設置母体/設置場所/規模の大小に応じて異なる機能や方向性を持たせるのは政策として間違っていないと考えられるのに,公共図書館の側から見るに,横並びを是とする小役人の体質と,視野狭窄な専門職集団が『市民の図書館』を正典化して,すべてを同一視してしまったのが,この断層の原因のひとつだろう(参考:ケペル先生のブログ: 兵庫県と全国図書館大会).誤った「単独館主義」(すべての公共図書館機能を単独の図書館ごとに担う)と言ってもいい.このため,例えばデポジット・ライブラリー(保管図書館)の考え方が充分に行き渡らず,専門職集団の思想と行動が却って公共図書館の衰退に手を貸すことになってしまったのは,何とも皮肉なことである.


 転回点となるべき箇所は,僕が業界に関わるようになってからでも何度かあった.京都市立図書館の財団委託が問題視されたとき,浦安市立図書館の活動が脚光を浴びたとき,津野海太郎が「図書館雑誌」の巻頭論文を書いたとき,「○○支援」が公共図書館の機能として注目されたとき・・・・・・.それをことごとく外した挙句に,「これからの図書館像」すら押さえているとは思えない新聞記者によって,『市民の図書館』のプロパガンダ記事が書かれるのだから,公共図書館におけるこれからの展望は,住民にとっても公共図書館にとっても,あまり明るくは無さそうである.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/07/14

道徳ではなく規則だろうに

東京新聞:区立図書館 貸し出し破損に苦悩 異例の履歴保存 効果:社会(TOKYO Web)

 はてなブックマークに僕は


この問題,正直,キレイごとではやってられません! 日図協の如く正論を吐くことは僕でもできるけど,この件に限っては,そんなもの屁のツッパリにもなりませんね.残念ながら.
と書いた.そう,自らの経験(大学図書館に勤務する者として,また過去の公共図書館利用時の経験)から考えても,まったく「キレイごと」では片の付く問題ではなくなりつつある.正直なところ,貸出履歴の保存が「図書館の自由」に抵触し,利用者のプライヴァシーを侵害する可能性があるかどうか,という次元の話を超えている.

 東京新聞の記事は


図書館の蔵書を切り取ったり、CDを破損したりするなど利用者のマナーが乱れている
と記すが,これはもはや「マナー」の問題ではないと考える.公共でも大学でも,図書館を利用する際の「ルール」を遵守できない輩が現実に存在し,図書館側はそれに対して対処しなければならない,ということなのであろう.

 ひとつ考えなければならないのは,特に公共図書館は「近代市民社会」という概念にその多くを負っている存在であり,その社会を形成する「近代市民」とは,個人の自由を享受できることが可能な立場にあるが,その自由は常に自らの意思で統制しなければ,権力によってあっという間に奪い取られてしまう性質のものである,ということである.その自由を自らの力で統制できない,即ち「自由からの逃走」を繰り返している輩を,これまで公共図書館は利用者として迎える準備をしてきたわけではない.そして,公共図書館が公共施設として地方自治体の傘下にある以上,公共図書館もまた権力を行使しうるのである.公然と公共図書館に対して「自由からの逃走」を繰り返す輩に対して公共図書館が持てる力として「権力」を行使するのは,当然と言えば余りにも当然の仕儀じゃないの?

 つまり,現状では公共図書館という概念/存在を成立させている前提が一部で崩壊し始めているわけ.記事にある日図協のコメントが正論であっても現状に対して何ら効力を持ち得ないのも同様の理由から.この状況を打開して近代市民社会を構築しようとなおも努力するか,「朽木不可雕也,糞土之牆,不可杇也」(『論語』公治長篇)と監視社会へ流されていくか,それを決めるのは公共図書館の側ではない.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/07/08

「レファレンス・サービスを促す図書館施設計画」ですか(^^;)

レファレンス・サービスを促す図書館施設計画について考えよう - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20080704/1215189635

 min2-flyさんのこのエントリーに付けた,僕のブクマに星が3つも付いているのは,ひょっとして回答を期待されているのかしら(^^;).と,勝手に解釈して回答を書いてみましょう.この回答,どの程度40過ぎの頭が硬くなっているかを確かめる,リトマス試験紙みたいなものかもしれませんね.


問い.


「これからの図書館像」にあるような「レファレンス・サービスの(充実と)促進」を実現するための図書館施設について考えよう

回答.

 一応,公共図書館を前提に.
 最初に考えたのは,対人サービスとしてのレファレンス・サービスということで,レファレンス・デスクがユーザーの動線上に存在する必要がある,ということ.ユーザーによる図書館員への質問は,わざわざデスクに出向くよりも館内で作業している図書館員へ質問するほうが質問しやすい,という経験則を説くひとが多いことを考えると,図書館内でわざわざ足を向けなければいけない位置にレファレンス・デスクがあるのは適切な配置とはいえないと考えられる.
 また,持込と据置とにかかわらずweb端末を利用するユーザーは今後増加することこそあれ,減少に転じるとは考えにくいので,web端末を利用できる設備(電源,有線LANを確保できる机,無線LANなど)は必須になるだろう.また,これは直接施設とは関係無いが,今次の図書館法改正により第三条一項に「電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録」が図書館資料に加えられたことにより,商業データベース,電子ジャーナルの無料提供が公共図書館に求められるのは必定であることから鑑みても,web環境の整備が不用であるはずが無い.
 とはいえ,歴史,文学の研究を中心に,資料として紙媒体(活字資料)群が今なお重要な役割を担っている分野があり,また自然科学分野においても何がしかの紙媒体群が「参考図書」として必要であることもまた,ここでくだくだと述べるまでも無く明らかなことであると考える.
 個人的には「ハイブリッド・ライブラリー」という機能は,ユーザーがweb資料と紙媒体資料をハイブリッドに使いこなせて(^^;)はじめて成立するものであると考えるので,そのようなユーザーが来館するとすれば,当然web媒体と紙媒体の間を往復しながら課題解決を図る,という行動を示すものと思われる.そこで,web媒体と紙媒体の間にレファレンス・デスクを配置し,ユーザーの動線上にデスクが存在するような施設の配置を考えるのが適当ではないだろうか.

Photo

「作業机群」と書いたが,実態は持込・据置双方を含むweb端末のスペースになるだろう(もちろん,紙と鉛筆によるユーザーを排除するものではない).出入口からレファレンス・デスクまでの間に空間があるのも,来館後まっすぐレファレンス・デスクに尋ねてに来るユーザーを想定してのものである.

以上


 さて,すっかり硬くなっているか,それとも少しは柔らかなところが残っているか,この頭? 自分では判断できませんわ(^^;).
 それにしても,まだ駆け出しの頃(いや,今でも「駆け出し」は駆け出しですか),ある老図書館人から「図書館建築の思想的な寿命は20年がいいとこ」と言われたことが,築40年を超えた建物に勤務していると,実に納得できます(^^;).先日の耐震補強に伴う改装で壁が増えて職員,ユーザーともにますます使いづらくなってしまい,この回答のような施設は夢のまた夢です.ル・コルビュジェじゃないけど,図書館建築の理想は「白い箱」だよな,と思う今日この頃ですよ.
 お目汚しでしたm(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/27

「大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント」について

 既に報道等で伝えられているように,大阪府立国際児童文学館は現在,橋下徹府知事による『大阪維新』プログラム(案)中の財政再建プログラム試案 に基づく公の施設の方向性により,一方的に施設の廃止・大阪府立中央図書館への移転・統合という名のコレクションの解体,という未曾有の危機に直面しています.1984年,国際児童年を期に12万冊のコレクションを寄贈した鳥越信氏が未だご健在であるにもかかわらず,これまでの功績へのリスペクトも感じられぬ府知事により,大阪府が貴重な資産を失おうとしているのは残念を通り越して言葉がありません.

 この事態に対して危機感を抱いた方が,僕の関心をそちらに向けてくれたおかげで,この前代未聞の暴挙が行われることについての理解を深めることが出来,その危機感からパブリックコメントを作成,送付しました.急いで書き上げたものなので,制限字数を超過してしまい,3分割して送ったために文章が一部重複しております上に,数字の間違いなどもありますが,大局は外していないつもりです.大阪府立国際児童文化会館存続のパブリックコメントを推敲するために,当blogの読者の方で必要とされる方がいらっしゃいましたら,ご自由にお使いください.

大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その1)
大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その2)
大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その3)

 そもそも成立する上で思想の異なる二つの施設を,単に活字媒体を扱っているからという理由で統合するのは,府立中央図書館にとっても迷惑この上ない愚挙です.公共図書館業界関係者のみなさまも,府立中央図書館を守るためにも大阪府に対して統合反対のパブリックコメントを送っていただきたく存じます.パブリックコメントの送付先はこちら↓です.

大阪府電子申込みサービス
https://www3.shinsei.pref.osaka.jp/ers/Uketuke/Form.do?tetudukiId=2008060006

 まったく,この貴重なコレクションが解体されるくらいなら,せめて日本学に関心のあるオイルマネーにでも売却し,合衆国もしくはヨーロッパにおける東洋文庫として活用していただいたほうが余程マシです.大阪府立国際児童文学館をここで潰したら,大阪府民末代までの恥になるでしょう.


参考:いま廃館の危機にある大阪府の国際児童文学館を応援します!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その3)

 「大阪維新」プログラムの「改革プログラム」の中で,「公の施設の方向性」25番にあります大阪府立国際児童文学館の廃止,大阪府立中央図書館への蔵書の統合を見直していただきたく存じます.大阪府立国際児童文学館は,1984年の国際児童年を記念した施設としては恐らく国内最大級のものであり,日本のみならずアジアにも目配りの行き届いた,歴史的かつ国際的にも素晴らしい児童文学・マンガのコレクションを所有するのみならず,児童文学に関する図書館・博物館・研究機関の機能を併せ持った,他都道府県にその類例を見ない貴重な施設であります.なお,児童文学館を廃止の止む無きに至ったとき(その可能性は無いと信じていますが)は,コレクションは一括して売却するのが望ましいと考えます.1917年,三菱合資会社の岩崎久彌は中華民国総統府顧問であったモリソンのアジア・中国に関するコレクションを一括して買い取った結果が,現在の財団法人東洋文庫として存続しております.東洋文庫の歴史的,学術的価値はここで説明するまでもありません.この際,合衆国やヨーロッパの日本学の発展のために,海外の資産家への一括売却も視野に入れては如何でしょうか.その方が,府立中央図書館への無理な統合・移転よりも素晴らしい学術的貢献を後世,謳われることになるのは確実です.残念な事態が招来した際は,ご一考をお願いいたします.以上字数制限もあり意を尽くせませんが,後世に禍根を残さないためにも大阪府立国際児童文学館のコレクションを後世に残していただきたく,謹んでお願い申し上げる次第です.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その2)

 「大阪維新」プログラムの「改革プログラム」の中で,「公の施設の方向性」25番にあります大阪府立国際児童文学館の廃止,大阪府立中央図書館への蔵書の統合を見直していただきたく存じます.資料の集約化は資料管理のリスクを増大化する結果になり,万が一にも自然災害(将来予想される南海地震,中南海地震)等により,ひとつに集約された拠点図書館が破壊されれば,その損失は計り知れないものになります(これは東海地震等で国際子ども図書館が損害を蒙った場合,府立国際児童文学館がそのバックアップたりえることをも意味しています).また,この統合により必要以上に早期の府立中央図書館の増改築が必要になるだけではなく,児童文学館を廃止した後の建物の解体撤去にも莫大な費用がかかることになり,これは結果として大阪の未来のための「負の布石」を打つことになります.それであれば,むしろ府立中央図書館から子ども資料室を引き上げ児童文学館に移転し,児童図書館・児童文学研究の拠点としての(子どもの「知のセーフティネット」としての)府立児童文学館,大規模な大人の「知のセーフティネット」としての府立中央図書館,ビジネス,法律,医療等市民活動に必要な支援活動を行う市民の「知のセーフティネット」としての府立中之島図書館という3館体制を整備し,必要に応じてその機能を融通することにより,吹田市・東大阪市・大阪市という大阪府内の一角に偏在することのない知のネットワークを構築することが可能になり,府知事のおっしゃる「知のセーフティネット」としての他都道府県に例を見ない,充実した府立図書館の業務が可能になると愚考いたします.後世に禍根を残さないためにも大阪府立国際児童文学館のコレクションを後世に残していただきたく,謹んでお願い申し上げる次第です.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その1)

 「大阪維新」プログラムの「改革プログラム」の中で,「公の施設の方向性」25番にあります大阪府立国際児童文学館の廃止,大阪府立中央図書館への蔵書の統合を見直していただきたく存じます.大阪府立国際児童文学館は,1984年の国際児童年を記念した施設としては恐らく国内最大級のものであり,日本のみならずアジアにも目配りの行き届いた,歴史的かつ国際的にも素晴らしい児童文学・マンガのコレクションを所有するのみならず,児童文学に関する図書館・博物館・研究機関の機能を併せ持った,他都道府県にその類例を見ない貴重な施設であります.これまで出版社等の協力を仰ぎつつ築き上げたコレクションは70万冊と言われておりますが,これは東京都にある国立国会図書館付属の国際子ども図書館(ちなみにこちらは「子ども読書年」を記念して設置された施設であり,府立児童文学館とは設立の意義も内容も大きく異なります)における約28万冊を遙かに超える点数です.この児童文学館のコレクションは改革プログラムが実行され一たび解体されれば恐らく,二度と構築することは不可能であり,大阪府知事が危惧している将来世代の児童文学・マンガ研究者に大きな負担を強いることは確実であり,日本の児童文学研究史に大きな禍根を残すことになることは確実であります.また,大阪府立中央図書館へのコレクションの移転は,府立国際児童文学館と府立図書館という,その成立時から異なる思想により構築された資料の運用を府立中央図書館が単独で担うことになり,これは府立中央図書館にとって運営の多大な非効率を生み出すことになります.図書館において「集約化」は必ずしも「効率化」には結びつきません.そこのところをよくお考え頂き,児童文学館の存続をお計り頂きたくお願いいたします.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/10

「殉教者」の驕り

 昨日の件に関する続きを,もう少し書いておきます.他の方々と重複するところはあると思いますが,取り敢えず自分の言葉で書いておくべきことは書いておきます.

 正直なところ,今回の一件について著作権的に特別怒っているというようなことはないのですね(僕を含む論者の「冷静さ」について関係者をミスリードさせたがっている方が若干,いらっしゃるようですが)(^^;).恐らく,僕の知らないところでこのblogがプリントアウト/コピー&ペーストされ,何がしかの用に供されているであろうことは,アクセスログを見ていると何となく想像できますから(そういえば一度,「古城探訪記」を僕が担当している某演習にて,受講生がプリントアウトして発表の典拠に使用したことがありましたっけ.あのときはさすがにビックリしましたね).

 まあ,転載についてはみなさんが問題視していることでもありますので,そのうちかの団体が自ら落とし前をつけることになるでしょう.それが如何なる形で決着するのか(しないのか),それはそれで見届けようと思いますが,むしろこの件で露わになった,イデオロギッシュな公共図書館系団体の「驕り」を僕はどうしても取り上げたいのですね.

 既にrajendraさんが指摘していますが【怒らないから、何に使ったのか言ってみなさい。 - The best is yet to be.】転載された側として,とにかく,このpdfファイルが作成された目的がわからないことに生理的な恐怖と嫌悪感を感じるんですよね.この団体が,自らの主張するところ(「東京の図書館をもっとよくする会」へは普通のリンクが張ってあるというダブルスタンダードからして,そちらの見解がその団体の主張に最も近似しているであろうことに,疑う余地はあまりないでしょう)に反論したblogの該当箇所を収集し,印刷と配布を通じて(恐らくは)学習会という名の「監視」(あわよくば「糾弾」まで?)を行う以外の理由が思いつかないからです.

 昨日の繰り返しになりますが,貸出記録の保存に反対していると思われる団体が,web言論の監視まがいのことをやっているのは明らかに矛盾する行為/行動なのですが,自分たちでそれに気が付かないのでしょうか? あまり右だ左だということは言いたくは無いのですが,正直なところ左翼系のイデオロギーに囚われた公共図書館運動の最も悪い部分が露わになったとしか,この件については評価の仕様がありません.それ故,敢えて大嫌いな「糾弾」という言葉まで持ち出して,かの団体があのファイルを作成した意図をお節介にも(^^;)考察しているのですよ.

 僕は,以前からある種の公共図書館系団体が「ファシズム」「プロパガンダ」「デマゴギー」などと親和性の高いことを指摘してきましたが,今回,それが「普通のリンク」と「pdfファイル」という,非常にわかりやすい形で表面化したことに,改めて自説の正しさを確認するとともに,この団体の行為/行動がこれまでの/これからの公共図書館運動に与える悪影響について,かの団体はその責を問われなければならないと考えます.このあたり,既にmin2-flyさんのところで岡本さんがコメントしている通りです.

 基本的に,公共図書館の運営方針は公共図書館の数だけあっても構わないと僕は考えてます.ただ,ひとつだけの主義主張(例えば『市民の図書館』)のみを以って正典として,あとの主張は「敵」として切り捨て潰しにかかる,その手段の陰険さと姑息さと,殉教者気取りの不寛容が許せないのですね.それ故,今回の団体の如き『市民の図書館』を正典視することによって自らの行為/行動を正当化している方々については,これからも機会のあるごとに批判します(^^;).例え僕の「言葉」が先方に届くことが絶望的であったとしても.あしからず.

6月10日追記:ご指摘によりエントリーの題名変更しました.ご迷惑をおかけしますm(__)m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/06/09

監視を嫌う者の監視

http://homepage3.nifty.com/riyosha/betterlib/data/rireki_mondai_internet.pdf

 練馬区光が丘図書館利用者の会というところが作ったファイルのようですが,公共図書館利用者の貸出履歴をシステム内に残すことに反対していると思しき人たちが,web言論には監視の目を光らせているというのは,なかなかに矛盾しているんじゃないかと思いますが(^^;).何しろこれ,pdfファイルで作ってありますから,当然印刷を前提として作ったに相違ないブツですよね.監視されている側(^^;)としては実に気味が悪いわけでして,いったい斯様な品を作成して何事に使ったのか,作った方にお訊ねしてみたいものです.

 独裁を批判している奴が,自分は独裁者になっちゃっているという好例でしょうか(意識的なのか無意識なのかは知りませんが).何しろ当該サイトは「無断転載禁止」ですから.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/06/07

『公共図書館の論点整理』

 一度下がったテンションを戻すのに悪戦苦闘してますが(^^;).blogの記事について誰かに罵倒されたとかそういうのなら,まだ組み立て直しようもありますけど,何しろ今回は自分の生活のバックグラウンドがガタガタになってしまう目に遭ったので,とにかく条件が整わないことにはテンションの戻しようも無いという.まあ,ボチボチやっていきます.

 何はともあれ,まずは『公共図書館の論点整理』から.半月前に読み上げていたものですが,取り敢えず,自分がこれまで考えてきたことの方向性がそれほど間違っていなかったことを確認できただけでも,読んだ価値はあったというものです(^^;).特に,2,4,5の各章にはニンマリさせられました.他の章にもそれぞれ「なるほど」と.ホントに面白くて,2晩で読みきってしまいましたよ.

 必ずしも中立的な価値/視点に立った内容ではないので,恐らくこの本を読んでも,『市民の図書館』に拘泥し信仰しているひとびとには,何も響くところは無いでしょう.しかし,むしろこれから公共図書館について学ぶ人たち,また公共図書館について理解しようとしている人たちには,かの正典たる『市民の図書館』を相対化する視点が提供されていること自体が,大きな価値を持つことになるでしょうね.

 それから,何よりこの本を読むと「時間の節約」になります.文字通り「論点整理」がされていて,ここで取り上げられている主題について,この本が書かれた時点までに出た文献を,わざわざ自分で手間隙かけて探す時間を省くことが出来るでしょう.これはこの本を読むにあたっての,意外に大きな収穫だと思います.

 その他,一々細かい内容には言及しませんが,アダム・スミス言うところの「公平な観察者」(『道徳感情論』)たりえていないとしても,この本のような交通整理は折に触れて必要とされるところでしょうし,また行われるべきものです.何しろ,この業界において貸出至上主義/現場主義な方々は戦略と戦術を視点からして区別できないし,技術的な議論と政治的な議論も区別できないのが実情ですから.僕のような短気かつ短慮な人間がこんなことを言うと「お前が言うか」と笑われそうですが,公共図書館に関する「感情的な議論」はもうお腹一杯(^^;)です.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/05/09

公共図書館における「場所」と「機能」

あるべき図書館(公共施設)とは - Arisanのノート

 この種の論調は,僕が忘れた頃にひょっこり現れる(^^;).しかし正直,この種の論調には食傷気味.何しろ,僕は少なくとも2度(【愚智提衡而立治之至也: 公共図書館が保障するもの】【愚智提衡而立治之至也: 公共図書館の「ホームレス支援」】)既にこの問題に触れているので,また同じ事を書かなければならないのかと思うところ.

 ・・・・・・図書館業界内でも時々,「ホームレス支援も出来ないのに,何がビジネス支援だ」みたいな論調で「ビジネス支援」非難をする人々がいた(今もいる?).公共図書館でホームレスに居場所を提供し,風呂を提供し,炊き出しをするのが社会正義だ,と言わんばかりの勢いで.少なくとも僕には,彼らの言う「ホームレス支援」の究極の目標は,そこにあると感じられたが,実際のところ彼らはどこまで想定していたんだろう.
 しかし,前川恒雄が『新版図書館の発見』(日本放送出版協会/2006年1月初版)で「○○支援」を十把ひとからげに非難した頃から,業界ではぱったり「ホームレス支援」と言うことが言われなくなったような感触があるのは,僕の気のせいか? 他の「○○支援」はビジネスでも医療でも法律でも活発なのに.

 批判を承知で言わせてもらうが,(ホームレス支援に限らず)直接的な支援活動を公共図書館が引き受けることは,行政/地方自治という組織内においても,その存立にかかわる概念から考えても公共図書館の任ではない.特に直接的なホームレス支援については,行政/地方自治の中にそれを行う,しかるべき部署があるのだから.その部署が支援を怠っているが故に公共図書館が,炊き出しのような直接的なホームレス支援に乗り出すというのは本末転倒の謗りを免れない.もし公共図書館に可能な「ホームレス支援」というものがあるとすれば,それは『図書館の力』(森崎震二, 戸田あきら著/新日本出版社/1993年6月初版)の冒頭を飾る挿話のような,ビジネス支援の原点とも言うべき,公共図書館が持つ「知識」の集積を基礎にしたものであるべきで,炊き出しなどの直接的な支援行為ではありえないはずである.

 結局,反知性主義,とまでは言わないにせよ,「公共図書館」という概念に対する認識の相違と,民主制や行政/地方自治への批判と,「知」あるいは「知識」への軽視とがないまぜになっての結果が,この種の論調を生み出す素地になっているのかと思う.何しろ当事者である公共図書館の職員自身が目を瞑っていることが多いが,公共図書館もまた行政/地方自治の一部署であり,図書館職員は本人が好むと好まざると行政/地方自治における権力の一翼を担っているのである.時として,どこまでいっても交わらない「価値」「評価」の判断をせざるを得ない立場に置かれていることをもう少し,業界の内と外とを問わず,きちんと捉えなおしておかなければ今後ますます拙い立場に追い込まれることになるだろう.

 なお,Arisanさんは


そういう役目をあえて負うこと(意識すること)によってでなければ、図書館という場所の持つ公共空間としての価値は、再生できないのではないか、ということです。
とおっしゃられているが,ここで僕が述べているのは「公共空間」の問題ではなく,公共図書館が帯びている概念と機能の話である.公共図書館という「場所」を利用して,ホームレス支援のNPOなどが支援活動を行うことについては,また別の話であり,それは公共図書館を「公共空間」として新たな価値の創造をもたらすか,あるいはその利用/再生には有効な手段たりえるかもしれないことを,付記しておく.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/05/01

公共図書館の持続可能性

 取り敢えず,思いついたことをメモしておく.

 ・・・・・・持続可能な公共図書館は,(地域)住民の支持なしには存続し得ない.

 ・・・・・・住民を消費者としか捉え得ない『市民の図書館』に,スタグフレーション下での公共図書館を持続させるだけの説得力は,無い.供給は,無限ではありえない.どこかで「循環型社会」の発想を取り入れることが早晩必要になってくるだろう.

 ・・・・・・・公共図書館における「生産者」としての(地域)住民のあり方は,如何なる思想/方法論を以って位置付けることが可能か.

 ・・・・・・「思想なき実践」ほど危険なものは無い.それは如何なるものであれ,全体主義への道標である.労働運動系団体の如く,公共図書館は「持続」そのものが目的なのではない.

 ・・・・・・「公共図書館」という概念自体,それほど自明のものではない.その疑問それ自体を持つことが修正主義(リヴィジョニズム)だと言うのなら,それはあまりに教条主義というものだろう.

 ・・・・・・「空間」について,その重層性を考えてみること.


 明日から本格的な連休で,全然違うことを考えたり行動したりするだろうから,書いておかないと忘れる(^^;).

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008/04/22

図書館情報学は広大無辺でございましょう

 ・・・・・・そうですねえ,大学図書館ならまだしも,「すべてのひとに歩いて10分のところに図書館を」と言っている公共図書館関係者が,図書館建築にはうるさいくせに,都市計画に興味をもっていなさそうなのが,学生時代から20年この方不思議でしょうがないんですよ.で,個々の建築もさることながら,都市計画の中の公共図書館,という感じで,その街のどこに公共図書館を配置するか,とか天守閣のように公共図書館がランドマークになりえるのか,とかそーゆうことまで考えてしまうわけでして.あれやこれやで「コミュニティ」,と言われると中世ヨーロッパの「広場」までをも考慮に入れたくなっちゃうんですよ.机上の空論ではない,人間の営みを考えるわけですからね(^^;).歴史的視野,社会的視野というものを併せ持たなければならないのは,言うまでもないことだろうと思うわけです.

 まあ,単に僕が「節操が無い」あるいは「際限が無い」(^^;)だけなのかもしれませんが,図書館情報学は「社会科学」だと考えてることもありますので,経済学とか建築とか都市計画とか,やっぱり考慮に入れておかないと(『市民の図書館』のように)後々世を誤ることになるんじゃないかと考えておりますよ.公共図書館を公共図書館単独で考えていれば済むほど,牧歌的な時代はとっくに終わっているでしょう,とね.近代人なら「社会の中の公共図書館」「組織の中の公共図書館」ということを考えずにあれこれ叫べるほど,ナイーヴでいられるはずも無いと思うのですが,どうもオルテガ・イ・ガセット言うところの「野蛮人」だったか「原始人」だったか,公共図書館という概念を付与の前提と考えている関係者が多すぎやしないですかね.「公共図書館」って,それほど自明のものじゃないと思うんですけどねえ?


 時に実のところ,個人的に「建築」は大好きで,寺社仏閣でも城郭でも近代建築(専門でも何でもないのに『バウハウス叢書』個人で全巻買ってしまった奴です)でも何でも喜んでみますけど,ついでに鉄道好きで歴史も好きとくると,例えば「城下町」の形成とか「鉄道忌避伝説」などということにも興味津々なわけでして(^^;),近代日本についてですと,越沢明や初田亨の本はついつい買っちゃいますし,井上章一の仕事は大好きですし.「近代」を考えるときに「建築」や「都市計画」は避けて通るわけにはいかない主題なんだろう,と考えてます.

 ヨッパライのたわごとでしたm(_ _)m

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/04/20

Project Shizuku様宛,一筆啓上仕ります

 と言うわけで,【Project Shizuku ~次世代図書館情報システム~】に関する

利用者のつながりを創り出すコミュニティ指向型図書館システム
http://hdl.handle.net/2241/98548

を拝見しました.既にkatz3さん,argさんから適切な批評がなされているので,今更僕が何かを付け加えることは無いような気もしますが,kunimiyaさんにはSBMを応用したパスファインダーの件で大変応援していただいたので,そのご恩を幾許かでもお返ししたいな,と思って一筆啓上することにいたします.もっとも,何を書こうか考えていて,風呂場の出入り口の桟に頭をぶつけてしまったのはナイショです(^^;).

 一読してピンと来たのは「あ,こりゃ新しいタイプのmemexだ」(エラそうに原典にリンクしてますが,僕が読んだのはもちろん『情報学基本論文集』Ⅰ[勁草書房]に載っている翻訳です).memexは知識と知識をつなぐ装置もしくは概念ですが,Shizukuは知識と「経験」をつなぐ役割を担おうとしているな,と.僕は根っからの文系人間なので,取り敢えずShizukuという装置については,そのように理解しました.そして,知識と経験のつながりに人間が絡んで「コミュニティ」が成立し,そこでの「コミュニケーション」から「知識創出」(というのは僕が以前取り上げたシュンペーターの「イノヴェーション」と同義,でいいのでしょうか?)というものが編み出されてくると言うことですね.

 一言で評すれば「素敵だ!」

 で,先考が既に指摘しているように,やはり僕も「コミュニティ」という言葉で示されている内容が,どの程度の「拡がり」を想定しているのか,によって「コミュニケーション」の想定される質が変わってくると思うのですよ.このことについては,僕には僕なりの考え方があるのですが,それを開陳するのは控えておきます.いや,別にケチっているわけじゃなくて(^^;),書き始めると「公共性」論から「都市計画」までを射程に入れた大掛かりなものになりかねず,準備に時間がかかる上に,話がShizukuから大きく逸れてしまうと思いまして.

 取り敢えず現状での「コミュニティ」に関する具体論ということで,専門家による狭いコミュニティを想定しているのであれば『専門知と公共性』(藤垣裕子著,東京大学出版会,2003年5月初版)あたり,必ずしも専門家のみを想定していないのであれば『地域の力』(大江正章著,岩波書店,2008年2月)あたりが参考になるかもしれません.

 いずれにしても,豊かな可能性を感じる取り組みですね.何と頼もしいことであるか,というところで,先々の進展が楽しみです.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/15

早速RSS登録しました

りぽじとりの中の人々: RSSはじめました。

 ご一報ありがとうございますm(_ _)m 早速,勤務先のサイトにRSSを登録し,受信できるようにしました.
 これで勤務先のサイトは44のリンク先からRSSを拾ってくることになりました.こう増えてくると,産経,朝日はもとより,フィガロやらビルトやらフランクフルター・アルゲマイネやフィナンシャル・タイムズまでをも,勤務先のサイトでRSSを拾うのは控えたほうがいいかもしれないですね.何が何だかわからなくなりそう(^^;).目的を絞って整理するか,表示を切り分けるか,ちょっと考えてみますか.

 ・・・・・・がまじゃんぱー先生のスターバックス・タンブラーが欲しい今日この頃です(^^;).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/09

それはダブスタです,委員長!

京都新聞 - 児童書全点購入は継続 滋賀県立図書館、開始20年で20万冊に

 滋賀県立図書館が1988年から児童書の「全点収集」を実施していたことを,不勉強なもので,この記事を読むまで全く知りませんでした(^^;).1988年は僕が就職した年で,まだ何処の団体にも加入していなかったからなのか,勤務先で購入している「図書館雑誌」を読んでいる暇も無いほど仕事で覚えることが多かったのか,当時のことはよく覚えていませんが,とにかく僕としたことが張り巡らしていたはずのアンテナに穴があったのは大変残念です.だから2006年6月に大和市立図書館の「児童書すべてそろえます」が話題になったとき,日図研や図問研が批判しなかったんですね.前川恒雄の息のかかっている滋賀県立図書館の真似事を,彼らが批判できるはずが無いのでした.やれやれ(sigh).

 まったく,滋賀県立図書館の「全点収集」のことを知っていたら,大和市立図書館のこともさることながら,1991年に「みんなの図書館」170号に掲載された伊藤昭治「浦安市立図書館の特定中小出版社の徹底収集についての疑問」について,あのとき,もう少しまともな攻撃が出来たものを,こちらの戦術ミスであたら機会を潰してしまったこと(某誌に提出した原稿が1年店晒しにあった挙句に掲載されずに終わった)が悔やまれます.1991年当時でも,僕の周囲で滋賀県立図書館の「全点収集」について語られていた記憶は無いのですが,「全点収集」という言葉を図問研や日図研関係者が使用していたこと(浦安市立図書館についても「全点収集」と言い換えていた)を疑問に思った時点で,その元ネタを探すべきでした.あー情けない!

 僕の考えるところ,「児童書」の全点収集が可で,「特定中小出版社の徹底収集」が不可とされるのは,現在はおろか,1988年なり1991年なりの時点で考えても,「ダブルスタンダード」の謗りは免れ得ないですね.京都新聞の記事で滋賀県立図書館は


「児童書は絶版になる周期が短く、その時代に出版される本を責任を持って収集し、保存していきたい」
とコメントしていますが,「絶版になる周期が短く」なっているのは人文・社会科学でも同じことですよ.何しろ昨年(2007年)リクエスト復刊された岩波文庫のヒューム『人性論』の第1巻が昨年中に品切れになり,現在では入手できない有様ですからね.

 僕の記憶に錯誤が無ければ,1990年ごろには既に人文・社会系の書籍も出版すら困難であることが囁かれ始めていた覚えがあり,助成金が無ければ出版できない専門書の状況が語られ始めていたはずです.現在では,例えば1000部を印刷し長期間をかけて販売し利潤を回収する,といった態の専門書出版の販売モデルは一部の出版社を除いて機能していないんじゃないでしょうか.社会科学系のある出版社が,やたらと大学の名前を冠したシリーズ物を出すのは,そのモデルの代替として大学からの助成金で出版を続けている実態を反映していると思うのですが,このあたりを図書館業界はどう考えているのでしょうね.


 ・・・・・・しかし,17年も遠回りさせられたのが,身から出た錆とはいえ,ただただ,ただただ悔しいです.これがために,反知性主義者や学級会民主主義者から嘲られ,あなどられることになったのですから・・・・・・.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/03/29

SBMを応用したパスファインダー,稼動します

 (承前

 SEさんによる多大なる努力のおかげで,「SBMを応用したパスファインダー」(という表現が,今のところ最もしっくりくると思います)の器が,昨日ようやくサーバで稼動しました! 結局,pliggを利用した形に落ち着きました.Xiggは結局ダメで,Drupalも試してくれたそうですが,XOOPSとバッティングしてしまい,ウチのサーバでは稼動できなかった由.

 カテゴリーは当座18個(下位のカテゴリーを持つものが幾つかあります),タグクラウドを付すのに作り手がどれだけ禁欲的になれるか(何しろ,僕のはてブはタグが現時点で900を超えていて収拾が付かない.ありゃ図書館員のつくるブックマークじゃないな),論文ナビゲーション機能をどのような形で持ちえるか,このあたりが当座の課題でしょうか.なお,当分の間利用者からのコメントとvoteは受け付けないことになりました(spam対策).

 僕の,わけのわからない「思いつき」なアイデアを形にしてくれた業者Fさん,ARGさん,kunimiyaさんをはじめ,ご声援いただきましたみなさま,ありがとうございましたm(_ _)m

 なお,出来上がったのは,まだ「器」だけですので,中身はまだありません(^^;).これから半年ほどかけて,ある程度は中身を整えた上で勤務先のサイトのトップページからリンクを張る予定です(いろいろと内部事情が絡んでまして(^^;)).ですので,しばらくの間は何らかの機会に偶然見つけられても,まだ整備途上のものを見ることになりますのでご了承ください.あの手のモノは「常に未完成品」と,ある知人が申しておりましたが,空の器にリンクする度胸は,ちょっと無いです(>_<).

 というわけで,パスファインダーとしての本稼動までは,もう少々お待ちをm(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008/03/24

思想が無いから理想を語られたくないのでしょう

 これそのブクマから始まる,一連の話なのですが,取り敢えず元ネタのblog主が図書館業界(そうそう,自慢じゃないけど,僕は20年前から「図書館業界」って言ったり書いたりしてますよ.彼のblogが「業界」呼称の先駆みたいに思われるのは心外だな)の労働環境について一家言を持っているらしいことはわかりました.ただし,他業界の労働環境にどの程度通じているのかはよくわかりませんが.図書館業界の非正規雇用に言及するヒトが,他業種の非正規雇用(保育士とか幼稚園教諭とか,委託とか指定管理者とかという点では図書館の後塵を拝してますが,非正規雇用の蔓延という点では10数年前には図書館を遙かに凌駕してましたけど,そのことを10数年前にある会合で指摘されたらモノの見事にスルーされてしまい,それ以来,ある労働組合系図書館業界団体には含むところがありますのよ)に言及している例を(rajendraさんなどの他には)あまり知らないので.

 それにしても正直なところ,他所のblogを批判するのに,何を以って「高い理想を掲げて」と言っているのかが何度読んでも,よくわからないのです.元ネタの続きも書かれていますが,(少なくとも僕が理解するために)肝心なことはほとんど明らかにされていないばかりか,わからないことだけが増えていくという(^^;).で,取り敢えず労働環境に一家言を持ち,「ず・ぼん」への言及もあるところから推定するに,日図研図問研の発想に近しいところに元ネタを書いたblog主の,「あるべき図書館の労働環境」≒「あるべき理想の図書館像(≒『市民の図書館』)」があるのかな,と.そうでなければここ


図書館の状況に対して批判的なことを主張すると、反論としてその状況を現状追認する人がいます。そうした現状追認の意見ってわざわざ表明して何か役に立つんですかね。で、こうした主張をする人間とかつて議論をしたことが複数回あるんですが、彼らのイメージする理想の図書館は、現在の利用者から苦情が出そうな劣悪なものだったり、断片的な印象に基づく図書館だったりします。前提となる基本的な知識がないと議論は成立しない。だからその後この手の批判をする人に対しては逃げることにしています。
とは書かないでしょうから.ここで「現状追認」と非難されている人々の中に僕がいるのか,はたまた元ネタの「高い理想を掲げて」の中に含まれているのかさえも,本当によくわからないのですよ.元ネタのblog主が日図研≒図問研系の方なら,僕は恐らく前者に含まれているでしょうが,何せ元ネタ続きのエントリーにおける「理想」という言葉の含意が混乱しているようですから,そこのところは何とも判断しかねるところです.

 この,何故元ネタにおいて「理想」という言葉の含意が混乱している理由を考えるに,元ネタのblog主に図書館をめぐる「思想」もしくは「戦略」が欠けているからなんじゃないでしょうか? 恐らく,こんなことを彼のblog主は,僕には言われたく無いだろうと思いますけど(^^;).でも結局のところ,以前僕が別件で指摘したように


短期的な戦術を作成する術は持ち合わせていた(その具体的な戦術文書が『市民の図書館』であり,戦術を実行するための指南役が伊藤昭治を中心とする日本図書館研究会読書調査グループであったわけです)ものの,長期的展望に立った戦略/グラウンドデザインは持ち合わせていなかったし,ましてや戦略を構築するだけの知恵も度量も彼らが持ち得なかったことが,現在の公共図書館を廻る言説のダメダメさを招いているのですね.
を,まさに地で行くような言説に陥ってしまっているのではないでしょうか? だから「この手の批判をする人に対しては逃げること」になってしまうのでしょう.相手を説得するのに賞味期限切れの言説を持ち出し「Eine Zunft, eine Bibliothek, ein Fuhrer!」と言って議論を排除する以外に手が無いでしょうから.

 他のblogはさておき,今や僕が当blogで図書館を取り扱う際に僕が考えていることは,賞味期限が切れ袋小路に陥っているにもかかわらず,もはや「宗教的な」としか形容しようの無い情熱で支えられている「思想なき実践」「排除の論理」の帰結である図書館の現状を変えるための一助となることであり,そのための下支えとなるような「思想」を何らかの形で紡ぎ出すことです.ある意味,「高い理想」よりハードルは高いかもしれませんが,それを書こうと努力するだけの価値が「図書館」にはあると考えてます.


 ・・・・・・「空虚な中心」に向かって書くのは疲れます(^^;).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/03/22

「編集」力の不在について

 「みんなの図書館」2008年4月号(372号)届く.特集は「神奈川の図書館」,多少イデオロギッシュなところはあるが,思ったよりも良い内容.「貸出サービス」を大々的に取り上げた文章も,そもそも未開の地に公共図書館のサービスを届けていく話であり,公共図書館未開の地を開拓するために貸出(「貸出し」ではない)が利用できるのは当然なので,僕の批判するところではありません.

 ひとつ,気になったのは特集のあとに続く「展示のチカラ」(一戸町立図書館職員一同)という文章.いや,文章そのものの内容ではなく,この号での扱い方がわかりにくい,ということ.確かに「みんなの図書館」では毎号掲載されるクロスワード・パズルが特集と,その他の話題(文章)の区切りを務めているのは,毎号読んでいるひとならわかるだろうけど,例えば初めてこの号で「みんなの図書館」を手に取ったひとに,それがわかると思います? 「みんなの図書館」を10年以上読んでいる僕でさえ,最初は「一戸町立図書館って神奈川の図書館なのかな?」と,とまどってしまったほど.ちなみに,「展示のチカラ」自体には一戸町立図書館の所在地等の記載は無く,最後にあるサイトのURLを見て,ようやく岩手県の公共図書館かと得心がいった次第.

 こーゆう場合は,もう少し親切な編集が求められると思うのだが如何です? 当方,常々「みんなの図書館」については,編集者が出しゃばり過ぎることに苦言を呈してきたが,だからといって編集者の構成能力が必要なところまで手を出すな,とは言ってない(^^;).このケースでは,提出された文章に当該図書館の地理上の場所を示す一文を冒頭に挿入するように校正をかけるとか,編集で導入部を作成して一戸町立図書館の紹介をするとか,やり様があるはずなんですよね.

 もっともこの4月号,毎号必ず掲載されていた図問研の活動報告さえ掲載されていないほど切羽詰ったところで編集されているようなので(^^;),あまり多くを求めるのは酷なのかもしれないけど,いささか誤解を招きかねない編集が行われているのは事実なので,取り急ぎ指摘しておきます.せっかくの良い内容がもったいないですよ.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/03/21

新入生オリエンテーションをめぐるよしなしごと

 年度末なので,〆とともに新年度のことをそろそろ考えなくてはならない時期に来まして(^^;).今日はもう学生もあまり来なかったので,雑用をこなしながら「新入生オリエンテーション」のことを,あれこれ考えているのでした.

 何しろ,これまでがあまりにも質量ともに脆弱なオリエンテーションを繰り返してきたので,そろそろ転換を図ろうかと,ここ数年いろいろ工夫をしてみたり,外圧を利用してみたり(全体会で演説をぶつ機会をもらえた)して動かない職員をなだめすかしてきました(もちろん,こちらの意を挺して行動してくれる職員もいますが).昨年度は全体会でパワーポイントを導入するだけの環境が整ったので,ようやく説明に活用してみました.昨年度,僕がしでかした失敗は「全体会」と「学内見学で図書館までやってくる学科毎の案内」の内容をきちんと区分けできなかったこと.そのため,どちらもがガイダンスなんだかオリエンテーションなんだか,よくわからない状況に陥ってしまった(-_-;).

 他所の大学図書館ですと,入学して一段落したところで図書館オリエンテーションを希望する学生に対して行ったり,既に図書館の利用法に関する講義を受講することが義務付けられたりしているのでしょうが,仮にウチでそれをやろうと思ったら僕の負担が増えるばかりで,僕が辞めた後にその仕事を引き継げるひとがいなくなってしまう危険性が高いんですよ.これ,僕が「仕事が出来る」と自慢しているわけでも何でもなく,スタッフがラインも兼ねて仕事している小規模図書館の実情はそんなものです,というだけのことです.昨年度,とある教員に頼まれて「レポート・論文作成の手引き」を講義時間内に解説してきましたが,これだって僕自身が出馬せずに済めば,いろいろな意味で組織内に「図書館の力」を認めてもらえるんですよねえ.現状,それが出来ないところに僕の悩みの種(のひとつ)があるわけで(誤解の無いように書いておくと,ある個人に対して,ある仕事が出来るだけの人格と識見があると認めることと,その個人にその仕事を任せると決断することの間には,海よりも深い裂け目があるのです).

 そんなこんなで,何とか現状の形式を維持しつつ,オリエンテーションの質を向上させるとともに,効率よく新入生に「大学図書館は何が出来るところか」及び「大学図書館ではどのように振舞えばよいか」というふたつのことを大学入学という人生の節目に舞い上がっている(?)新入生に伝える,という難事業を敢行しなければならないのですね.で,恐らく当blogに図書館関係のエントリーを目当てに来ている学生諸賢には信じ難いことと思われそうだけど,僕の経験上,ウチに来る学生で,高校までに公共図書館や学校図書館を頻繁に利用した経験のある学生は5分の1もいないのが実情です.だから,そもそも18歳に対して「図書館とは何か」ということから教えなければいけない,という面倒な作業から始める必要があり,しかも,この18歳は年齢が18歳というだけで,学問や知識の経験値が年齢相応になっているのかどうかは,いささか疑問無しとしないわけですよ.このあたり,僕はオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』の愛読者だから,どうしても懐疑的かつ悲観的(^^;).

 取り敢えず,まずは「ガイダンス」と「オリエンテーション」をきちんと分けて,ガイダンスは全体会で「図書館とは何か」「大学図書館は何が出来るところか」を騙り,オリエンテーションでは「大学図書館での振舞い方」を必要最低限伝授する,というところを基本に据えて,全体を俯瞰しながら制度の設計(と書くと大袈裟だな)をいま一度,叩き直してみましょうか.もっと詳しい話を聞きたければ,その機会を作ってくれ,と相手にお願いするのも一興.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/03/19

公共図書館とフリーペーパー

 そんなわけで,地域メディアがRSS吐き出していれば,それを拾うことにより,何も料金取らなくてもある程度の地域情報を集め,サイトに掲載することは公共図書館でも技術的には充分可能だろうと思うのですが(^^;).例えば東北なら,河北新報岩手日日新聞社東奥日報のサイトはRSSを吐いているわけで,取り敢えずそのあたりから手を付けるもよし,もっとご近所さんの情報が必要なら,その公共図書館が立地する地域で配布されている「フリーペーパー」を活用するのも一案では.

 と書いてから,ふと気がついたのですが,そもそも現在の公共図書館が発信している「情報提供」って,「フリーペーパー」ほどの地域への浸透力が,過去も現在もあるのでしょうか? 

 僕のような田舎に住んでいる人間のところにも,15,6年前から毎週2誌の「フリーペーパー」が配布されるようになってましたが,ここ1,2年でスーパーや駅前に「フリーペーパー」専用の籠棚があちらこちらに増殖し,硬軟取り混ぜ(?)10数種の「フリーペーパー」がある公共スペースも少なくない状況が出て来ています.先日読んだ『フリーペーパーの衝撃』(稲垣太郎著/集英社新書/集英社/2008年1月初版/680円+税)がリポートしている状況が,首都圏から地方に大きな広がりを見せているのが,まさに実感できます.実は「大学」も「フリーペーパー」専用の籠棚を置く有力な場所でして,僕の勤務先でもいながらにして5タイトルほどの「フリーペーパー」を入手することが出来ます.性別に偏りのある大学なので,主に女性向けの記事が多い「フリーペーパー」ばかりなのが僕には難で(^^;),僕が利用するのは食事(ラーメン,居酒屋等)の情報程度ですが.

 先に挙げた『フリーペーパーの衝撃』でも,その広告効果について「信頼性の乏しさ」(77頁)が問題にはなっているものの,それまで存在した有料のタウン誌を駆逐し,街の書店までが「R25」を置き代目当てに置こうとする状況というのが存在するわけです.そのような状況に対して,公共図書館の情報発信,乃至は情報提供が地域情報を提供したい側,情報を受け取りたい側にとって有力な選択肢たりえるのかどうか,さらには「フリーペーパー」が百花繚乱に近い現下の状況に楔を打ち込めるほどのインパクトを持ちえるのかどうか,業界人は「フリーペーパー」について考えてみたら如何でしょうか.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

学術機関リポジトリがRSSを吐いてないような気がする話

 SBMを利用したパスファインダーの計画は,あれ以降進展がありません.与えられたサーバ環境が問題の根源なので,SEさんも苦戦しているようで,音沙汰がありません.うーむ.

 当方,今日は休暇をもらった(昨日が卒業式→謝恩会で,謝恩会の終了時刻が読めなかったため)ので自宅から,勤務先のサイトに新しく実装された,サイトのリンク集に掲載したリンク先が吐いているRSSを拾って新着記事を掲載する機能について,幾つかのリンク先からRSSフィードをリンクに追加する作業を,ちょこまかとやっていたのですが,大学の学術機関リポジトリでRSS吐いているところは意外に少ないことに気がつきました.北海道大と京都大と名古屋大くらいなんですね.

 僕個人は,ブラウザにSleipnir使っているくせに,最近までRSSをほとんど利用していなかったのですが,ようやくこの頃7,8箇所のメディア(カレントアウェアネス・ポータルなど)についてRSSを拾うようになりまして,でもそれほど個人では使いどころも無いかな,と感じているところではあります.ですが,図書館のサイトのようなところが他所のRSS拾って記事を集めるのは,それなりに意味のあることのような気がしてきています.LCBritish LibraryのRSSを拾ってみたら記事が膨大でどうしてくれよう,と思ってもいますが(^^;).

 それはともかく,もう少しRSSを吐いてくれる機関リポジトリが増えてくれると学術的な記事が収集できて有難いかなあ,と思う昨日今日です.ちなみに自分の勤務先は図書館に紀要等に関する権限が絶無なので,そもそもリポジトリどころの話では無いのです.ふう(sigh).

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2008/03/07

モデルの破綻

 結局,田井郁久雄氏のようなヒトがどう糊塗しようと,『市民の図書館』や『本をどう選ぶか』による公共図書館の経営モデルはとっくに破綻しちゃっている,ということでしょう.

 資料購入費の増額を目的とした,前川恒雄や伊藤昭治の生み出したモデルに従って如何に貸出を増やしても,経済が右肩下がりの現状では正規の税収が上がらない以上,公共図書館の資料購入費だけが上がる筈も無く,それでも前川や伊藤のモデルにしがみつけば,蔵書構築=選書のコントロールを正規の図書館員が手放すわけにはいかない(故に,内容の如何を問わず寄贈を大々的に活用し,結果的に60万冊を集めた「全国ありがとう文庫」や42万冊を集めた「矢祭もったいない図書館」などの,素人が考案したモデルは採用できない)となれば,正規の税収以外の収入源を何処かで確保しなければならなくなる.ところが悲しいかな,これまで「広報」「広告」「宣伝」というものの作り方を学んでこなかった-これは彼らが公務員だから,というよりは前川たちのバックボーンにある「正しいことをやっていれば必ず報われる」という,ある種のストイックな姿勢から来るものでしょう-それが次の事例に見られる「空回り」と言うか,結果として努力が報われないばかりか,その手法を採用するまでの思考法さえも疑わせることになる,原因のひとつを作り出しているのでしょう.

斐川町立図書館:財政難、募金1円も集まらず 図書購入費「みんなで育てて」 /島根 - 毎日jp(毎日新聞)
斐川町立図書館>お知らせ - 募金箱の設置について
斐川町立図書館からのお願い 図書購入に愛の手を!

広報媒体としての図書館サイトの価値 - Copy & Copyright Diary
平塚市図書館 みんなの掲示板

 高度成長期に生み出された公共図書館の経営モデルからの転換を,どのように組み立てていくのか,これからしばらくは「これではうまくいかない」という事例を幾つも積み上げていくことになるのでしょう.そして,その失敗から,何かを見つけ出し,新しいモデルを得るのが現場の知恵でもあり,学者の仕事でもあるはずです.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/03/05

幻に終わるか,SBMパスファインダー

 承前

 さて,本日業者さんが勤務先に来られて,サイトのXOOPSをXOOPS Cubeにアップデートしました.アップデートは順調で,サイトのリンク集で拾ったRSSをサイトのトップページに表示することや(もっとも,さっき確認したらRSSをちゃんと拾ってないかも拾ってました.1日2回更新のようです何だか拾いまくり始めました),リンク集にGoogle Mapでリンク先の所在地を示すことも出来るようになったのは,うれしい誤算です.正直,そこまで出来るようになるとは想像してませんでしたから(^^;).
 さらに,アクセス解析をGoogle Analyticsに変更して楽しい解析をやりましょう,と.覚えることが多いわ(>_<).

 ところが,僕がもっとも期待していたSBMを使ったパスファインダーの方は,Xiggが当館のサーバではISS(これは“Internet Security Systems”のことかな?)の関係で動かないことが判明したばかりか,Pliggまでもが業者さんのノートによる事前の動作確認では動いていたにもかかわらず,サーバに載せたら動作しなくなる有様_| ̄|○ これには正直,参りました.これは「はてな」や「livedoor」のブックマークでやったのではダメで(コメント欄の「炎上」が怖いだけではなく),やはり自サーバで動かしてこそ価値のある仕事だと思っているものですから.

 僕の頭の中にある,SBMを使ったパスファインダーに一番近いイメージを具体化しているのは,リニューアルしたカレントアウェアネス・ポータルのトップページですが,さてここまでたどりつくことが出来るでしょうか? もうしばらく,試行錯誤が続きます.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/03/03

ある書店の閉店

 (注:3月4日一部改稿)

 3月中は充電するつもりでいた(^^;)のですが,さすがにこれは気になりまして.

asahi.com:全国初の公設書店「わかば」が閉店へ-マイタウン大分

 この書店は,出版文化産業振興財団(JPIC)による地域読書環境整備事業のトップを切って,1992年5月に旧・耶馬溪町の町立書店として開店したものです.当時,耶馬溪町には公共図書館も書店も無く,JPICのモデル事業の一環として公営書店が開設されました.JPIC自体,1991年3月に旧・通商産業省による生涯学習振興の動きを受けて出版業界が設立したばかりで,同じく1992年10月には岩手県三陸町でも町営書店「ブックワールド椿」の開店に関わり,書店経営のノウハウなどを提供したと伝えられています(参考:朝日新聞東京版夕刊1992年11月7日付「本の過疎に悩む町村 町営書店開設し対応も(スペクトル)」,「生涯学習政策における図書館関連事業--出版文化産業振興財団の事業をめぐって」三井幸子[「図書館学会年報」39巻3号,1993.9.]).

 開店当時,公共図書館業界関係者の中から,JPICとこの事業に対して猛烈なバッシングが沸き起こったことを記憶しています.「何故,公共図書館ではなく町営書店なのか」「書店は公共図書館の肩代わりにはならない」などと.それが影響したのかどうか,JPICは他に手がけている事業ほどはこの事業を熱心に進めることは無かったようです.当時の図書館業界によるバッシングの記録としては,「町村の図書館 1992年を振り返って」(「図書館雑誌」87巻2号,1993.2.)や「図書館問題研究会第40回全国大会基調報告(案)」(「みんなの図書館」194号,1993.7.)がありますので,お時間のある方はどうぞ(ちなみに前掲三井論文の注30に記載されている巻号データは誤りで,「1993.7」が正しい).面白いのは,朝日新聞1992年11月7日の記事で日本図書館協会の事務局長(当時)・栗原均氏が


「財政力の強弱より、行政としての考え方が問われているのではないか。文化行政のあり方としては図書館の設置が基礎的な条件。町村だけにそれを押し付けるのではなく、県や国の積極的な対応が必要だ
とコメントしていること(強調部分は引用者による).今更ながら,栗原氏のタヌキ振りには舌を巻くわ(^^;).

 あれから15年以上の歳月が過ぎ,何時の間にか耶馬溪町にも公共図書館が出来たようですが(「図書館雑誌」か『日本の図書館』を調べれば設置年がわかるのかな?),そのうち中津市・本耶馬溪町・三光村・山国村との平成の大合併で中津市に併合されたのちは,継子扱いをされたのか,朝日の記事に拠れば惨憺たる状態の中にその歴史を閉じることになったようです.ただ,よくわからないのは,中津市立耶馬溪図書館が図書館サイトの説明に拠れば「オープンして5年目の新しい建物なので、比較的所蔵資料が新しいことが自慢の図書館」とあることで,朝日の記事にある「開店後の数年間は、図書館にも本を納めるなどして」という記述と,いささか齟齬を来たしていることです.朝日の記事に出て来る「図書館」が耶馬溪町の図書館なのか,それとも隣りの本耶馬溪町の図書館(1983年開館)だったのか,大分に土地勘も情報源も無い当方には調べる術とて思いつきませんが.何故か中津市立図書館のサイトでは,耶馬溪図書館のみ略年表が付いていないし_| ̄|○.

 取り敢えず,今は1992年当時に旧・耶馬溪町とJPICを非難した方々の感想が知りたいと思うところです.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/24

「図書館の自由に関する宣言 20××年改訂」の可能性

葦岸堂之日々是日々: 練馬の貸出履歴保存一件、回答書

相変わらず,このblogの中の人らしい皮肉と「政治」的センスにすぐれたエントリーです.悔しいけど,追いつきたくても追い越せないのが正直なところで(-_-;).


この辺り、こうした「図書館の自由」の原則に基づく発想を<古い><昔の基準を引きずっている>とする批判の論調がネットでは見られますが、「9・11」以後のアメリカ合衆国で起こっている事態として現在的な問題なんですけどね。「WEB2.0」はそういう社会性・歴史性をどう媒介しているんでしょうか? ネット論議を見る限りではどうにも読み取れません。
まったく,そう思うなら,まず自らが範を垂れよ,と嫌味のひとつも言いたくなるのですけどね(^^;).彼のヒトは,自らが取り上げた問題に対しては,既に自分で何らかの答をはじき出していながら,それを明示することなく,それを「謎」としてボールを投げ返すヒトですから.

 それはさておき,例の「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」には,わざわざ「1979年改訂」という言葉が付されている,この意味は案外重要なんじゃないかと思うわけですよ.つまり,これを制定された先人も,この宣言が永久不滅の「不磨の大典」だとは考えていなかったひとつの証左にはなるだろうと.で,「1979年改訂」の理念なり内容なりが「古い」かどうかの当否はともかく,それがいま現在の状況に反応し得ているのかどうか,については,多少なりとも考える余地はあるのではないかい,と思うのですが,どんなものなのでしょうね.

 例えば,誰かが言及していたように,日本図書館協会における「貸出業務へのコンピュータ導入に伴う個人情報の保護に関する基準」が1984年5月25日という日付で採択が行われた後,20年以上そのまま据え置かれて見直された形跡が無いことなど,明らかに技術の進歩が(いい意味でも悪い意味でも)「基準」を置き去りにしてしまっている現状というのは,やはり日図協の詰めが甘い,と言われても仕方が無いんじゃないかと思いますよ.そこで,僕は何処かのエントリーでレコメンドサービスについて述べたついでに「図書館側ではなく,利用者が自らの履歴をコントロールできるシステム」について,そこはかとなく言及したような気になってますが,それについては,もう少しはっきりと書いた方がよいのでしょう.

 ただですねえ,自分が過去に何を借りたかを確認したい利用者って,想像以上に存在するぞ,というのがこの仕事をしていての実感でもあるわけで,少なくとも利用者の「希望」を選別し,あれは可だけどこれは不可,とするのに,「みんなの図書館」2月号掲載の「図書館は利用者の秘密を守る」(21-26頁)に見られるような官僚的発想は採用したくないんですよねえ(^^;).【葦岸堂之日々是日々】の中の人なら,それが法治における正解と言いそうですが,それならば「自由に関する宣言」の新たな改訂を視野に入れることもまた,問題ないと思うのですがね.


 ・・・・・・何だか,自分で書いていて何が言いたいのだかわからなくなってしまいましたが,取り敢えず未整理のまま,後考のためにここへ放り出しておきます.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/16

ICタグの盲点

ICタグで紙のコピーにDRM - Copy & Copyright Diary

 正直に言いますが,このことは可能性としても全く失念していました.盲点を突かれました_| ̄|○

 図書館資料へのICタグとかRFIDタグとか言われているものの貼付については,僕も2002年頃から関心があって,その頃はICタグを付けることにより,ICカードを持っている利用者がICタグの付いている資料を持ち出せばそれがそのまま貸出手続きになり,貸出期間内に利用者が書架に戻せば返却になる,というシステムを夢想していたものです.
 それどころか,ICカードを持ってない利用者が図書館外に資料を持ち出そうとすると,全館に警告音が鳴り響くとともにすべての出入口がロックされ,資料の窃盗を防止するシステムや,書架にもタグを付けて書架と資料をマッチングさせることにより資料の検索をより精密に行うことを可能にしたり,ある書架に排架した資料を別の書架に戻そうとすると書架が警告を発するシステムとか,書架から資料が引き出される回数を記録してより詳細な資料の稼働率を割り出して選書に役立てよう,と何時実現するかはわからないものの,そのようなシステムの導入を本気で考えていたものです.特に自動貸出・返却と書架のシステムは,『市民の図書館』や日本図書館研究会読書調査研究グループの思想に対抗できる有力な手段であり,実装できれば素晴らしい,という話をある活字媒体に書いたこともあります.

 しかし,末廣さんご指摘のように,


ICタグを用いることで、紙のコピーにDRMが実現してしまう。
となると,話はかなり変わってきます.DRM(Digital Rights Management)自体に反対というわけではないのですが,それがICタグの貼付によってすべての書籍に適用されることになると,私的複製のためには著作権管理団体に一々お伺いを立てなきゃいけない,どころか,著作権管理団体が膨大な個人情報を捕捉・把握できる仕掛けが出来上がってしまうということにつながるわけですよね.そうしたら,これは公共図書館が利用者の貸出履歴を保存していることよりも,遙かに大きな問題を抱えることになるんじゃないでしょうか? 館種を問わず,図書館から利用者個人のコピー履歴が簡単に流出する(と,敢えて書いておきましょう)ことになるのですから,今から何らかの対策を図書館業界は考える必要があります.

 僕自身も,ICタグについては少々考えを改めなければならないようです.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

何だか懐かしい風景を見ているようです

平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ : 公立図書館はもっと寄贈に対して体制を整えるべき論
はてなブックマーク - 平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ : 公立図書館はもっと寄贈に対して体制を整えるべき論

 はてブのコメントが何だかなあ,という感じで.相変わらずの反「矢祭もったいない図書館」感情については後回しにして,気になるコメントを幾つか.


それじゃぁ、本当に必要な本は集まらない。全集や百科事典ぐらいならいざ知らず、新聞縮刷版、高価な美術書、専門的な事典、その外論文集、白書や郷土史料。図書館は無料貸し本屋ではない。
一瞬,掬すべきご意見だと思ったのですが,よく読むと「郷土史料」が購入すべきものに含まれています.残念ながら,郷土資料の相当部分は灰色文献(gray literature)に近いものでして,一般の出版流通のルートに載らず売買の形での入手が難しいものなのですよ.僕も仕事で,ある方から寄贈された郷土資料を図書館の目録に載せたことがありますが,地域の篤志家や郷土史家により作成・配布された自費出版物や,発行元の如何を問わず「非売品」となっている資料の実に多かったこと.それこそ見開き4ページのパンフレットまで目録作った記憶がありますが,そのほとんどが勤務先に当時所蔵の無い資料ばかりでしたね.
 そんな経験をした身からすると,郷土資料を購入で揃えろなどというのは,それこそ机上の空論です.図書館員が自らの目と足で稼ぐ(現地まで出向いて収集する)のが一番ですが,それでも見落としていたものは寄贈されてくるのを待つかしかないのが,上記で示した郷土資料の性格上,止むを得ない収集策でしょう.

寄贈を呼びかけても狙い通りの選書が実現するとは到底考えられないところに想像が至らない限界。
公共図書館における「選書」って基本的に権力の行使なんですよね.これは業界でも意外に見過ごされている(と言うより,プロ公共図書館員は自らの立場が公務員であるにもかかわらず,自分たちを「公的権力の敵」だと看做しているので,自分たちが権力を行使しているとはゆめゆめ考えていない)ことなんですけど,だから公共図書館による「狙い通りの選書」がパターナリズムに陥らない保障は,現状では何処にも無いのです.これとほとんど同じ理由で「選書ツアー」が批判されたことを考え併せると,むしろ【平太郎独白録】の中の人の発想に,公共図書館に対する反パターナリズムの萌芽を見るのですよ,僕は.橋下徹大阪府知事は「図書館は知のセーフティネット」と言ったらしいですが(参考:葦岸堂之日々是日々: 「図書館は知のセーフティネット」と橋下知事は言っているが),権力の行使とも思わずに「選書」を惰性で行っている公共図書館の「選書」が,「知のセーフティネット」とまで持ち上げられる公共施設のすることかどうか,実際に内情を確認してみたほうがいいと思います.【本読みの記録:図書館のラインナップについて物申す】実際に,このような報告を上げている方もいらっしゃいますし.
 ついでに言えば現状では,結構な数の公共図書館の選書が,某社による納品システムを中心にしているんじゃないでしょうか?

続きを読む "何だか懐かしい風景を見ているようです"

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008/02/13

もう「学問」のレベルで解決できる話じゃない

司書と書誌ーn氏の批判に答えるー - 総合歴史研究会 - Yahoo!ブログ

 僕も今,ちょっと忙しくて頭がちゃんと回っているかどうかもさだかじゃないんだけど(何しろ「n氏」と言われて真っ先に思い出したのは星新一のショートショートと真鍋博の絵だった),

愚智提衡而立治之至也: 図書館神授説

僕がいつ「書誌学を否定するかのごとき発言」を弄したというの? もう一度↑このエントリー読んでくださいよ.


書誌(特に郷土資料に限りませんが)を作成する能力は必要でしょうが,それが求められてくる場はこれまでよりも限られてきているし,これからはもっと狭められてくることになっていくでしょうね.市民から求めらているスキルは,明らかに変化していますから.
これの何処をどう読んだら書誌学を否定しているんだか? 僕は,書誌学を否定している(と言うよりは,書誌学じゃない,別の能力を図書館員に求めている)のはこちら側(図書館)じゃない,そちら側(利用者)に立っている方々なんですよ,と言っているんですがね.

 実のところ,すでに10年前には,僕も「郷土資料の書誌が書けない若い公共図書館職員」に関する嘆き節を知人の図書館関係者から聞いてますが,それまで求められてもこなかったことを,いきなり要求しても,経験も知識も無いのに出来るわけが無いだろう,と.恐らく,郷土史家が求めるレベルの「書誌」を資料を見ながら,いきなり書けるだけの修練を大学等で積んでいるのは,ぶっちゃけた話,手書きの目録カードを書いた経験のある世代まで.

 ときに,ここで「書誌」と読んでいるものは,恐らくは図書館学における目録法での「書誌記述」と,歴史学などで作られる「解題書誌」の両方が混同されているきらいがあるんだけど,例えばこれ.

会津坂下町史 / 会津坂下町史編さん委員会編

現物を入手次第,訂正を入れる予定だけど,これが間違っているの,わかります? 少なくとも,その程度には僕も仕事をしているわけで,だから「求められているスキルが変わってきている」ことは,自らの肌で感じているんですよ.僕個人は,少数派の要求を無視するようなことはしないつもりだけど,それが世代が変わってからも,何時まで続けられるかは,「書誌学」云々のレベルで決められるようなところには,もう無いの.政治と行政と民主制によって答えが導かれるレベルの話なんですよ.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/07

NDC・NCRの電子化と公開はいつになるの?

 ところで,日本図書館協会はNDC(日本十進分類法)とNCR(日本目録規則)の各版を電子化して,有料・無料の別を問わず(さすがに一月1万円も取られたら勘弁して欲しいけど)webで公開する予定は無いのかな? できたら画像データじゃなくてテキストデータで,図書館向きにIPアドレス認証で年間3万円程度ならペイするんじゃないのかしら.いや,本当は無料で公開するのが図書館振興と日図協の宣伝を兼ねた良策だと思うけど,J-BISCで大損した日図協には,そんな余裕は無いだろうから,まあ折り合いのつきそうな価格での,有料公開でも構わないや.

 何しろ,自分で司書課程の片棒担ぐようになって10年以上立つけど,一向にNDCもNCRも電子化される気配が無い.だから『図書館講習資料』の無くなった今,学生にテキストを作るのにも余計な手間がかかるし,勤務先には「指定図書」と称して学生向けに,大量に購入するだけの余裕も無いわけで,NCRの輪読会さえ企画倒れに終わりそうな雲行きなのよね(-_-;).コピーを渡すにしても金がかかるし,ましてやこれから業界に就職できるかどうかわからない学生にNDCやNCRを購入させるのは,いささか酷というもの.え,『JLA図書館情報学テキストシリーズ』? あのね,NDCやNCRに関する教科書や解説書は,もういらないの.欲しいのは,テキストそのもの.

 K社やM社では,NDCやNCRを電子ブック事業に取り込む予定はございませんか(^^;)?

2月8日追記:
 USAでは,Library of Congressが【Cataloger's Desktop】なるページを公開しているですよ.AACR2やMARC21 Formatが有料ながらwebで見れるらしい.Single concurrent userが年間$525だから,だいたい6000円見当ですか.真面目な話,日本図書館協会は本気で考えませんか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/02/06

どうなる? SBMパスファインダー

 承前

 さすがに専門家は探すのも早い.今朝出勤してメーラー立ち上げたら,もうXiggというXOOPSのモジュールを見つけてきた旨メールが入っている(^^;).見た目は「はてなブックマーク」よりも「livedoorクリップ」に似たものが出来上がりそうなモジュール.Scuttleが現在の環境で動かないのであれば,元々図書館のwebsiteを動かしているXOOPSの圏内で安全策を取った方がいいでしょう.
 というわけで,Xiggを入れることに決定.voteとコメント・トラックバック機能もあるからweb2.0っぽいサービスもゆくゆくは可能だし(今回は,試運転的状況でもあるので,そのあたりの機能は活性化しない).

 今のところ,3月中には試運転が可能になる予定でスケジュールを組んでもらうつもり.試運転までに,カテゴリーとタグを絞り込んでおかないと.自分のはてブみたいに自然語でタグが溢れかえる事態は避けないといけないからねwobbly

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/02/05

SBMパスファインダー改め,ただの「タグクラウド」パスファインダーになるかも?

 ・・・・・・(承前)というわけで,今日は某社さんとSBMを利用したパスファインダーについて打ち合わせしました.が,どうも僕と業者さんの抱いていた「SBM」という言葉に対するイメージがズレていたらしくて,業者さんは利用者-図書館間の双方向コミュニケーションを考えたMyLibraryっぽい機能の実装を想定して,わざわざNetCommonsを調べてきてくださったのでした(^^;).僕の3歩くらい先を行ってるわ(^^;).いや,ウチが現在使用している図書館システムに「MyLibrary」機能が無いのは事実ですからねえcatface

 で,あれこれざっくばらんに話をして,「あれこれのようなページを,タグクラウドとコメント付ける形で簡単に作りたい」という線で内容の一致を見たのですが,せっかくweb2.0的な構想をあれこれ考えてもらったのと,現在のサーバが実装しているMySQLやphpの関係で,まずはphpのヴァージョンアップでセキュリティの強化を優先するとともに,現在図書館のwebsiteを構築しているXOOPSのモジュールでSBMっぽくタグクラウドが付けられるものがあるかどうかを確認してもらうことにしました.で,それがあればそちらを実装するか,もしくはSBMのソースをScuttleではなくPliggに変更し,web2.0っぽく図書館-利用者による双方向のコミュニケーション(vote機能で「これは役に立った!」を投票してもらう)を計るという方向か,今のところはどちらかになりそうな雰囲気です.僕の発想のみですと,現在XOOPSで作っているリンク集との差別化が難しいのと,どうも今の状態では,Scuttleが勤務先の環境で上手く動作しそうにないようなのが問題になりましてdespair

 ・・・・・・あ,図書館間の相互協力でパスファインダー作るかも,という話をするのを忘れた_| ̄|○

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/02/04

貸出履歴の保存は資料破壊の抑止力たりえるか?

 貸出履歴の保存の話は,すっかりレコメンドサービスの方へ流れていましたが,そもそもの発端は2008年1月11日付朝日新聞の記事


図書館の貸し出し履歴、保存 東京・練馬区「利用マナー悪化、蔵書守る」

図書館で利用者のマナーが悪化し蔵書が破損するケースが増えているとして、東京都練馬区立の11図書館が今月から、本の貸し出し履歴を一定期間職員が参照できるシステムを導入した。

ここからでしたね.その後,いち早く練馬区立に対する意見を表明したのが【東京の図書館をもっとよくする会: 「練馬区立図書館貸し出し履歴保存」報道に関して】だったものですから,敢えてそちら側には首を突っ込まないようにしていたのですが,どうやらそうも言っていられなくなってきたようですので【参考:貸出履歴の話 - 図書館を読む】,取り急ぎ一言書いておきます.

 要するに,練馬区立図書館が貸出履歴を保存することによって目指したことは,資料破壊に対する抑止効果なんでしょう.いわゆる「核抑止論」とか「死刑存置による犯罪抑止論」みたいなものを,貸出履歴の保存に求めたというわけで,それは正直,貸出履歴の利用としては逸脱であると(図書館側がコントロールできる状態化に置かれていると意味も含めて)言わざるを得ないところだとは思いますよ.明示化されないルールを以ってモラルの向上を狙う,というのは全体主義国家のやるこった,という点では東京の図書館をもっとよくする会に左袒してもいいけど,正直なところ専門職問題を労働問題として捉えている団体が提示する,資料破壊への解決策が


本を貸すときには破損していない本を貸し、本が返されたときはその場で異常がないかチェックして受取るようにするという、原則的な窓口対応を行わなければならない。本は区民の財産である。破損していれば弁償してもらう。その当然のことができなければ、切抜きや書き込みは増えるばかりである。図書館が行わなければならないのは、窓口対応の能力を向上させることである。
というのは如何なものかと思う.何よりこの解決策,練馬区民を近代市民として全く信用していないことがバレバレじゃないですか(^^;).だって「その当然のことができなければ、切抜きや書き込みは増えるばかりである。」って書いちゃっているもの.ここで提示されている解決策のようなものは,公共図書館の夜警国家化の推進に他ならないことくらい,自分たちでわからなかったのかなあ?

 破壊行為に対する抑止効果をルールに担わせるならば,むしろ図書館を設置する根拠となっている条例を改正して「当図書館を利用する者において,図書館が所蔵する資料を故意に破壊し,また故意と過失とによらず資料を破壊しその行為を隠蔽しようとした者は,3か月以下の懲役または100万円以下の過料と処す」とでも条例に明記するのがせいぜいと違いますか? それを現場での対応でカバーしようという姿勢は一見麗しいものだけど,実際には自分たちが反対している石原慎太郎の方針とコインの裏表でしかない対応をやろうとしているにすぎないことくらいは,お願いだから弁えていただきたく.結局根っ子は都下の公務員という,同じ穴の狢なんですかね.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

SBMパスファインダー更にその後

 例のSBMを利用したパスファインダー構築話の続き(承前).

 出入りのSEさんが協力してくれて,テスト用にとノートパソコンを仮サーバとしてphpとMySQLを仕込み,そこへScuttleをインストールしたまではよかったのですが,起動したら画面が真っ白_| ̄|○ どこをどういじっても白い画面しか出ず,さてどうしたものかと頭を抱えたのが年の初め.

 その後,だるまさん状態で2月に突入したら突如,理由は申し上げられませんが3月までにあげること,という条件で予算が天から降ってきまして(^^;).そこで渡りに船とばかりに,XOOPSで作ってある図書館のwebsiteのセキュリティ面からのヴァージョンアップとともに,Scuttleのページ作成もプロに構築を丸投げすることになりそうです.上手くいけば,これで4月からweb上で仮稼動できるかも.

 技術面での目処が立てば,あとは運用面での取り扱いと言うことで,これについては暇を見つけて1本きちんと書いておかないといけないですね(僕以外の人間でも運用できるようにしておくためにも.僕自身,仕事を何もかも抱え込むだけの余裕はもう無い).私立大学図書館協会東地区企画広報研究分科会 パスファインダーバンクが言うところの「ナビゲーション機能」をどう担保するかが,目下の課題です.先日この話をした知人には「そこまで難しく考えなくちゃいけないの?」と言われましたが,まあ考えておいて損は無いのではないかと(^^;).結果,単なるリンク集と言われるのも癪の種なのでね.


 ・・・・・・この件,今後もあまり期待なさらずに,続報を気長にお待ちくださいm(_ _)m

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008/02/03

すれ違い・めぐり合い

 【愚智提衡而立治之至也: 此れ臣の未だ解せざるの一なり】にブクマ(【はてなブックマーク - 愚智提衡而立治之至也: 此れ臣の未だ解せざるの一なり】)をはじめ,いろいろな感想・意見をいただくことができ,大変参考になりますとともに,寄せられたご意見の中には多少びっくりするものもありまして.

 あのエントリーは,特定の誰かの意見に対しての回答とか反論とか意見とか,そういった類のことを意図して書いたものではなかったのでした.あのエントリーを書いた,もともとの動機は河北新報の記事【レコード文化後世に 天童オルゴール博物館が収集活動】(リンクが切れましたorz)を見たことによるものです.天童オルゴール博物館(リンク先を開くと音が鳴りますので,勤務先で見ている方はご注意を)による「倉庫などに眠っているレコードがあれば、譲ってほしい」という呼びかけを記事で読んで,新冠町のレ・コード館を思い出し,そこから翻って「矢祭現象」(図問研周辺では「矢祭問題」と呼んでいたようですが,最近は雨後の筍の如く同種の手法を用いて蔵書構築を図る公共図書館が続出しているので,もはや矢祭単独の「問題」ではなく,公共図書館整備のための「運動(movement)」として捉えるのが適当であり,「矢祭現象」とでも呼ぶのが適切な命名であるかと考えます)を考え直そうとはしたものの,どうしても本とレコードの間にある差異を見出すことが出来ず-これは,僕個人の経験と属性が大きく関わっているのかもしれません.小学生のときから学校図書館の,中学生のときからの公共図書館のヘヴィユーザーであり,高校時代通った県立図書館と市立図書館はレコードを貸出資料にしていましたから.それ故か,施設の種類が異なるにしても,資料の収集方法として同じ手段を取っているにもかかわらず,公共図書館のみが「本の寄贈」について批判を受けるのはどうにも解せない部分が残っているので【此れ臣の未だ解せざるの一なり】を書きました.その際,取り敢えず本とレコードが共通して抱えているもののひとつが著作権だったので,そう言えばと思いついて著作権にも言及してみたわけです.自分の率直な疑問を吐き出して,世に問うた,と書くと格好よすぎますが(^^;),とにかく,そんなスタンスでのエントリーです.

 ですから,【図書館員の愛弟子: 自分自身も寄贈はしたいんですけどね】を読み「相変わらず議論がかみ合っていないな…と思います」(相手にしていただいていないかもしれませんが)。と言われて「えー」とびっくりしたのでした.roeさんに限らず,特定の誰かを想定して書いたものではなかったものですから.「相手にしてない」わけじゃなくて,むしろ議論どころか「自分語り」しかしていなかったつもりだったんですよ.ところが,【愚智提衡而立治之至也: 「全国ありがとう文庫」のことなど】以来の文脈で読まれてしまったわけですね.すみませんm(_ _)m

 いずれまた,今度はみなさんのご意見を踏まえて,矢祭に関するエントリーを書きますので,しばらくお待ちください.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/30

此れ臣の未だ解せざるの一なり

 矢祭もったいない図書館の成功を受けて,あちこちの公共図書館もしくは文庫的な施設で,本の寄贈を受けて資料を充実させようという動きが見られるようです.今年に入ってからでも(最初の2つは同じ福島県中島村の記事ですが),

図書寄贈呼び掛け 中島の文化複合施設 - 福島民報 | 福島のニュース
中島村:「読んだ本、寄贈を」 新図書室の収蔵に余裕 /福島 - 毎日jp(毎日新聞)
神戸新聞|社会|絵本は捨てないで 全蔵書寄贈の図書館開設へ 明石市
東京新聞:空き店舗に絵本図書館 親子連れ気軽に利用 壬生の商店街 『蘭学童夢館』 蔵書500冊は町民が提供:栃木(TOKYO Web)

これだけ見つかります.また,多少毛色は異なりますが,このようなものもあります.

京都新聞電子版 - 「かえる文庫」が好評 左京 旧堰源小・中校舎】(学校統合後の廃校の蔵書を譲り受けての開館)

 しかし,どうも「寄贈による蔵書構築」というのは,いろいろな理由からか,玄人筋の評判がいまひとつのようです.それも公共図書館業界だけではなく,著作権をフィールドにしている方々からも受けが悪い.「著作権ドロボー」と声高に叫んだヒトの意見はわからないでもありませんが,以前三田誠広辺りが主張していた「消尽しない譲渡権」に反対の立場をとる方々からの,矢祭への反感というのは,ちょっと解せないものがあります.正直,拠って立つところが違うのか,と思うしかありませんが,残念なことです.

 そういえば,矢祭町が3億円かけて建物を整備した,その3億円が地方債の一種を活用したものだったらしいことに目をつけて「3億円あれば図書館を新築できる」だの「3億で本を買え」という批判も聞きますが,まず建築を知らない人間のたわごとですね.概算ですが,10万冊を開架で並べられる図書館建築は新築で25億はかかるそうです.3億じゃ逆立ちしても立ちません.某市で潰れた百貨店の建物を公共図書館に転用したら,という意見が通らなかったのも,図書館建築というものが特殊な内部構造を必要とするうえに,書籍と書架を並べても建物が崩壊しないだけの強度が必要だったため,断念したらしいですし.また,「3億で本を買え」と言ったヒトは,買った本を何処に並べておくつもりなのでしょう.露営地にでも置いておこうというのでしょうかね(^^;).
 矢祭に関して言えば,もったいない図書館に近接するJR水郡線の東館駅を改造するという手も素敵だったかもしれませんが(^^;)<<ここ「鉄」入ってますね,すみません.

 そんなことを考えている折もおり,10日ほど前の河北新報にこんな記事が載りました.

続きを読む "此れ臣の未だ解せざるの一なり"

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008/01/29

垂直構造・水平構造

図書館、書店の共存(出版不況の原因について)|黒澤公人のドキュメンテーションシステムの100年(1960年-2060年)
はてなブックマーク - 図書館、書店の共存(出版不況の原因について)|黒澤公人のドキュメンテーションシステムの100年(1960年-2060年)

 ブクマに拠れば,何故か埼玉県には,同じ建物内の違う階に公共図書館と書店が同居しているケースが何軒かあるようですね.何か考えあってのことなのか,偶々の偶然なのかよくわかりませんが(^^;).

 極めて個人的な考察では,同一の建物内で階が違うところにある公共図書館と書店の関係は,隣接する2つの建物に公共図書館と書店があることとは,必ずしも同じことである,と考えることが出来ないのですね.この感覚が何処から来るものなのか,自分でもいまひとつ不分明なところがあるので,しばし考えてみたいところです.垂直な構造と水平な構造の違いに,無意識(!?)が何か意味を見出したがっているのかもしれません.あるいは都市計画的なところの問題なのかなあ? 

 何かね,図書館の門を出るとそこに書店があった! 的な,文学的(?)なワクワク感を水平の移動では感じるけど,垂直の移動では感じ難いというか,見出し難いというか,そんな感じがしています.まあ,こんなことは,業態的には何の関係も無いことなんでしょうがね.

| | コメント (4) | トラックバック (0)

「法の下の平等」とレコメンドサービス

 でまあ,懲りもせず(^^;)「みんなの図書館」2008年2月号(No.370)を話題に載せる.特集は〈図書館の自由,いまとこれから〉.何でも図問研の自由委員会が再起動するのに合わせての特集との由.忙しくてblogにエントリーが書けなかった1月号(No.369)の特集〈としょかんきほんのき〉が意外に(失礼!)良い特集だったので(安心して図書館を勉強する学生にも薦められる),今回も期待したのだけど,残念ながらハズレである.

 中でも感心しないのは「図書館は利用者の秘密を守る」(21-26頁)という文章.これ,期せずして折からblog界隈で話題になっていた,例の練馬区立図書館における貸出履歴保存の問題と,そこから派生して話題になった,公共図書館が貸出履歴を利用してレコメンドサービスを展開することの是非(参考:貸し出し履歴保存延長問題(まとめ) - 図書館学の門をたたく**えるえす。)を,生真面目な融通の利かない公共図書館員がどう捉えるか,を考える上で非常に示唆に富んでいる.
 あわてて誤解のないように断っておくが,もちろんこの文章が直接,練馬区立の話やレコメンドサービスの話を扱っているわけではない(執筆から掲載までのタイムラグを考えても,それらが当該文の執筆の動機とは考え難い).

 当該文の筆者はこう書く.


商店などでは,お得意様セールと称して,よく来る客を優遇する場合がある.(中略)では,この手法は図書館で使えるのか.答えは否である.日常的によく利用する利用者,いわゆる常連のかたと,今日カードを作って初めて利用する利用者の間に,対応の差があってはならない.してはいけないことである.憲法第14条,地方公務員法第13条によって規定されている「法の下の平等」である.(23頁)
憲法まで持ち出して,さても,公僕の鑑であることよ,と一見もっともらしいことを書いているように見える.彼は更に

常連に「こんな本が入りましたよ」とは言えないことである.
とまで説く.この発想で考えれば,確かにblog界隈で論じられている,貸出履歴に基づくレコメンドサービスを,公共図書館員が「法の下の平等」に外れる,と考えるのも無理はないのかもしれない.

 しかし,むしろ当該文から立ち上ってくるのは過度なまでにかたくなに「結果の平等」にこだわり,「図書館の自由」にこだわり,それらを達成するためには地域のコミュニティを破壊しても構わないとする官僚乃至は擬似インテリの傲慢である.こーゆう主張を「法のために人がある」と言うのだろうか.何しろ,上記引用で「(中略)」としたところには,実はこう書いてあるのだから.


実際には,顧客を囲い込んで他の店へ行かせないようにするのが目的だと思われるが,客にとっては優遇されることが優越感をくすぐって,両者とも満足であることが多い.
これが地域住民に対する公務員の視線の実態である,としたらどうだろう.斯様に地域住民を愚民視するパターナリズムに染まりきっている公共図書館員に「法の下の平等」を説かれても,そんなものが信用できますか? 当該文の筆者が現在,マツダか三菱のクルマに乗っているのであれば,確かに筆者自身は近代の公共図書館思想が想定している近代市民なのかもしれませんがね.
 まあ,「常連に「こんな本が入りましたよ」とは言えない」これさえ許されないのであれば,公共図書館が「利用者の時間を節約する」ことは永遠の絵空事に終わるだろう.

 挙句に,大学図書館の図書館システムで取り入れられている「My Library」機能(当該文の筆者は文章では明示していないが,注記で取り上げられている大学図書館のサイトを見てみたら,明らかに「My Library」機能のことを指していると確認できる)にまで苦情を申し立てている有様である.余計なお世話だ.図書館は機能を利用する「機会」をお客に提供しているのであって,全員に機能の利用を強制しているわけでもなし.使わない自由は保障されている(と思う).

 いや,むしろ公共図書館の図書館システムに貸出履歴をコントロールできる「My Library」や「レコメンドサービス」機能を積極的に導入することにより,個々の貸出履歴を図書館側ではなくお客個々がコントロールできることになれば,貸出履歴に対する国家権力の介入が,そのまま住民の自治への介入に直結することになるのではなかろうか.公共図書館において,そのような個々による多元的な自治を目指すことの方が,近代市民社会を形成している,と形容するに相応しい社会なのではないだろうか,と愚考するのだが如何?

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2008/01/23

レコメンド!

 時間がないので推敲無しに書きなぐり.乱文悪文ご容赦m(_ _)m

 「公共図書館のレコメンドサービス」ですが,確かに片方にはAmazon的な買い物(貸出)履歴からおススメ資料を(雑誌論文だって構わないでしょ)新着資料が出る毎に,メールを自動生成してでサービスするなり,AmazonのようにIDとパスワードを入力してアクセスしたらトップページにおススメ資料がドーンと出る(先日『よつばと』関連商品をAmazonで買ったおかげで,現在僕のAmazonトップページには,涼宮ハルヒ(!)関連のフィギュアがこれでもかと出て来るのには困ったものですが)なりしたっていいんじゃないですか.当人が希望すれば.そのようなレコメンドの希望が住民の側から出ているにも関わらず,「図書館の自由」を盾に貸出履歴の利用を妨害しようってのは,どういう了見なんだかさすがの僕もよくわからない.貸出履歴が個人情報であるなら,登録した住民自らがコントロールできればいい,という話なんじゃないの? 正直,図書館の仕事を全うしないことを屁理屈で糊塗したり,個人の年金記録を勝手に見たりする公務員よりはwebのセキュリティの方が信用できるかもしれない.

 「機会」は提供したらいいじゃないですか.その機能を使うか使わないかは,貸出証を登録した住民の自由と裁量にゆだねられても,まったくおかしくないと思うのですが.何で公共図書館業界人は「すべてかゼロか」で何でも捉え考えようとするんでしょうね.レコメンドサービスの機能を備えたら,すべての登録者にサービスを提供しなくちゃいけない,という話でもありますまい.『市民の図書館』信者は何かというと「結果の平等」にこだわり,「守秘義務」にこだわるわけですが,既に幾つかのblogによってどちらもその欺瞞が指摘されているじゃないですか.

 図書館システム作成しているメーカーは,物は試しに貸出履歴に基づくレコメンド機能を付加してみたらいいんじゃないんですか? もし個別のシステムにひとつひとつ実装するのは無理かも,と言うのであればASP・SaaSだって構わないでしょう.って言うか,ASP・SaaSで公共図書館の広域サービスとしての所蔵目録を組んでしまっても,ある程度の規模の公共図書館なら複数でひとつのシステム使うということも,何とかならない話でもないんじゃないのかしらん? ひょっとしてASP・SaaSだと実入りが減ります(^^;)?


 ・・・・・・話が当初流そうと思っていたのと随分ズレました.ホントは某書店webのレコメンドサービスのような,自分で興味関心のある分野をあらかじめ登録しておいて,それを毎週の新着資料に合わせてメールを自動生成して送信するなり,ログインするとwebページに出るようにするなりするやり方の方が,貸出履歴を利用したレコメンドサービスよりは,公共図書館業界には抵抗が少ないんじゃないかしらん,という話を書くつもりだったんですよ(^^;).

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008/01/14

『安来市誌』問題

東京新聞:郷土史、異例の削除要請 図書館に「差別助長」と:社会(TOKYO Web)
はてなブックマーク - 東京新聞 : 郷土史、異例の削除要請 図書館に「差別助長」と:社会(TOKYO Web)

郷土史に差別表現 安来市と旧伯太町 図書館で閲覧制限に - 島根 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
はてなブックマーク - 郷土史に差別表現 安来市と旧伯太町 図書館で閲覧制限に 島根 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「「差別表現切り取って」図書館に異例の要請 市の郷土史で」話題!‐話のタネニュース:イザ!
はてなブックマーク - 「「差別表現切り取って」図書館に異例の要請 市の郷土史で」話題!‐話のタネニュース:イザ!

 正直,幾重もの意味で取り上げるのに気が重い/荷が重い話題ですが,取り上げないわけにもいきますまい.内容は産経新聞の「イザ!」が残念ながら(と言うのも,産経が「図書館の自由」を持ち出すときは,一般的に自らの立場に都合がいいとき,という経験則があるので)一番詳しい.日図協図書館の自由委員会委員長のコメントもあります.

 今回は,事象としては,全く以って事後の対応について安来市当局が下手を打ったことに尽きるでしょう.僕のように北関東で22年煮しめられ,その後20年にわたって南東北に在住している人間には感覚的にわかりにくいのですが,西日本ではその方面に関してかなり敏感なところがあるようで,公共図書館業界においても幾つもの事例が積み上げられてきたはずです(例示は避けます).おまけに近来,隣りの鳥取県のみならず島根県内でも斐川町や出雲市の公共図書館が注目され,また(その当否はともかく)ハンセン病に関する件名標目への対処依頼を発信した方が近在の鳥取県大山町在住であり,さらに昨年図問研の全国大会が島根県であったわけで,それにもかかわらず安来市当局が「公共図書館」の何たるかを全く学習していなかったことが白日の下に晒される始末となりました.恥ずかしい(-_-;).

続きを読む "『安来市誌』問題"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/12/27

当blogの歴史概説(不完全版)

 【図書館系ブロガーの皆さん、御協力お願いしますm(_ _)m - かたつむりは電子図書館の夢をみるか】を受け,【簡単な日記(2007-12-26)】や【日々記―へっぽこライブラリアンの日常―: 図書館系ブログの話】も読みましたので,取り敢えず自分のことも少しまとめてみますか.

 調べてみたら,当blogの最初のエントリーは2004年6月10日の【愚智提衡而立治之至也: ココログはじめました】.blogに移行する前は,htmlで(と言うよりはWordで書いた文書をhtmlで保存したものを,更にホームページビルダーで加工してホームページに置いていた)書いていた覚書がありました.そもそもホームページは2001年1月に開設したのち,ある一件で図問研とトラブって(^^;)ホームページの内容そのものを仕切りなおしたのが同年6月.それから約1年ごとに「紅旗征戎非我事」「読無字書弾無絃琴」「愚智提衡而立治之至也」と覚書にタイトルを付けながら書いてきたものを,そのままblogに引き継いで現在に至っています.だから,ホントはそろそろblogのタイトルを替えたいのですが,ある書籍にもこの読めないタイトルが引かれてしまっているので,今更替えるわけにもいかずそのままにしています.なお,「読無字書弾無絃琴」は「はてな」に作った別館にタイトルのみ引き継がせました.

 blogに移行した理由は,当人はすっかり忘れていました(^^;)が↑のエントリーに書いてありますね.あのころ僕が読んでいたblogは【日々記―へっぽこライブラリアンの日常―: 図書館系ブログの話】に出て来る方々とほぼダブっています.他には初期(?)egamidayや読書日記が既に始まっていたと記憶してます.

 さて,いろいろな自分の趣味を取り扱う中で「図書館」についても書いていく,という現在も続けているスタイルは,覚書を書き始めた当初からのやり方です.他との差別化を計ったわけではなく,「図書館」のことだけを書いていると間違いなく枯渇するな,と思ったのと,学生時代から図書館司書に投げかけられていた「視野の狭い専門職」という侮蔑(就職後,リアルでその手の侮蔑に出会うとは思いもよりませんでしたよ)に抵抗する(^^;)ことが目的です(音楽のことは図書館のことよりも,今でも書きやすいですし,当初は買い物リストも載せてましたね).だから,自分のところが「図書館系サイト」「図書館系ブログ」のひとつとして認知されていると知ったときは,意外に思われるかもしれませんが却ってびっくりしたものです.自分では業界内の人間としてというよりは,務めて業界外の目で図書館を眺めるように努力してきたつもりだったので.
 そうそう,図書館系ブログのリンク集としては【図書館へ行こう!】のリンク集も挙げておかなければならないでしょう.

 ときに,これは図書館系ブログの歴史と直接関係はありませんが,2001年9月11日の同時多発テロ発生以来,図書館員の役割としての「災害時の情報の収集と提供」ということは強く意識しています.既に持ちこたえられずに削除してしまいましたが,僕は当時911に関する(最終的には)40MB近い重さのリンク集を作りましたし,その後も災害の発生時に図書館にも被害がありそうなときは務めて情報の収集と提供を心がけてきました.これには個人blogなので限界があったとは言え,日図協や図問研が手がけようともしなかったことをやってきたんじゃないかなあ,とは思っています.

 あとは図書館系ブログにおける「論争史」について,当事者として何か書かなければいけないのでしょうが,このあたりは未だ生乾きの箇所もありますし,ここで下手を打つと図書館断想のポストモダンな言説にしてやられる可能性が大ですので(敵わないよなあ,あれには),これは【愚智提衡而立治之至也: 近頃,公共図書館について発言されているブロガー,ブックマーカーの皆さんに感謝を(加筆訂正版)】で述べたように「感謝を」繰り返し述べることで,責務に替えさせてください.

 さて,トラックバックをちゃんと打ってくださいよ>>ココログさん.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

九仞の功を一簣に虧く

 ようやく時間ができたので,溜まっていた雑誌を一気に読んでいるところですが,「ず・ぼん」13号(2007年11月)に掲載された『図書館戦争』の作家と編集部諸氏との「スペシャルインタビュー」と称する対談は,酷いシロモノでしたね.【ぶらぶらライブラリアン - ストーカー!されていた『図書館戦争』批判の顛末】が触れている,『図書館戦争』批判【ぶらぶらライブラリアン - 図書館戦争】から始まった一件ですが,左翼系と称する「ず・ぼん」の編集部諸氏は,『図書館戦争』の作家と出版社が企てた言論弾圧には,全く気がつかなかったかの如く対談を行い,「ず・ぼん」に堂々と顛末を掲載しているのだから,誠に以って無邪気と言うか,罪が無いと言うか,それでよくも「左翼系」が名乗れるものだと,心の底から呆れ返りましたよ.ある編集子に至っては「あんなものは放っておけばええんやけど」と嘯く始末.ああ,なるほどオルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』で指摘した“「専門主義」の野蛮性”とはこのことであったかと,あなた方が僕に納得させてどうするんですか?

 この「スペシャルインタビュー」のゲラ読んだときに,ポット出版の沢辺氏をはじめとして,誰も公共図書館業界が言論弾圧に加担する結果になることに気がつかなかったのかどうか.もし本当に誰も気がついていなかったのだとしたら,これは図書館業界人としても,出版人としても,『図書館戦争』の人気に目が眩んだか,作家と出版社に媚を売ったのか,それともそもそも左翼系図書館業界人という方々がスターリン時代のソヴェト共産党員程度の人間の集まりなのか(日図協への協力を拒絶したという作家が全国大会に出かけていった図問研も含めて),真相はよくわかりませんが,とにかく「スペシャルインタビュー」関係者の「言論の自由」に対する知性と教養を疑わせるには充分な記事であり,出来事であったとは言えるでしょう.

 「ず・ぼん」13号の他の記事がすこぶる充実した良い内容であっただけに,この「スペシャルインタビュー」が故に,13号そのものの出来が九仞の功を一簣に虧く結果になったことが残念です.


 ちなみに,僕は『図書館戦争』5ページも読めずに放り出したことを書いておきましょうか.「たかがラノベ」とは思ってませんが,20年以上前の高校時代にカフカもカミュもトーマス・マンもパスカルも読んでいた人間には不向きな小説だったのでしょう.周囲にも批判的に評価している同業者が何人もいましたしね.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/12/26

SBMファインダー:進捗状況(と書くのも情けない)

 取り敢えず今日で年内の開館は終わり(残りは大掃除と仕事納め)となりまして,多少なりとも余裕が出来ましたので,少しは「図書館系ブログ」らしいネタを,年末に何本か書いておこうかと思います.最近ほとんど図書館のことを書いてないのに,昔のエントリーのおかげで現在もなお「図書館系ブログ」カテゴリーに入れていただいていることでもありますし(【図書館系ブロガーの皆さん、御協力お願いしますm(_ _)m - かたつむりは電子図書館の夢をみるか】).

 で,↑でも話題にしていただいた「SBMによるパスファインダー」の件ですが,取り敢えず試験的にサーバ立てて実装できるかどうか試してみることにはなっております.実際に現在,図書館サイトとwebOPACを動かしているサーバにScuttleを入れることを,何故かサーバをメンテしてくれている業者さんが嫌がってまして,サーバのMySQLも触らせてくれないのですよ(やっぱり金ぶんどってこないとダメか(^^;)).妥協案でWindows XP Professional Editionで動いているノートを使って別にサーバを立てる方向で準備中なのですが,サーバ仕様にしてMySQLとphpを動かせるようにしてもらうために貸し出した,そのノートが先週から帰ってこない,という状況です.

 まったく,手順書は書いてもらって,自分でMySQLなどの準備もすることにしておけば(-_-;).一応,試験稼動の目標は来年の2月あたりに置いていたので,来年のセンター試験のころにサーバをいじくれればいいか,とは考えておりますが.今回の企画書は,文章としては詰めていますけど,そうこうしているうちに,誰か/何処かに先を越されてしまうかも(^^;).技術的には恐らく,とても簡単なことだと思うので.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/12/13

SBMによるパスファインダー:続

 【愚智提衡而立治之至也: SBMを図書館が運営し・・・・・・】に関して,あちこちからアドヴァイス,サジェスチョン,激励をいただきまして恐縮です.ありがとうございます.

 みなさまのご教示により,取り敢えず,ソーシャルブックマークのオープンソースであるScuttleを利用して何か出来るかしら,というところまで考えが辿り着きました.pliggというのも教えてもらったのですが,こちらは投票機能が付いているのが僕にはちょっとお邪魔かな,ということで今回はパス.で,時間のあるときに,サーバにダウンロードしてインストールし動かせたらいいなあ,と.サーバを破壊しないように,内部の専門家に話を聞きながら,ということになりそうですが.

 さて,如何相成りますやら.ドキドキものです.もっとも,何時インストールする時間が取れるのかもわからないのに,やる前から緊張してどうするんですか(^^;)?>>わたし.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/12/02

SBMを図書館が運営し・・・・・・

 ソーシャルブックマークを使って,パスファインダーが作れないものかと,考え始めたのは,実は先週の火曜日(11月27日).その2日後,とある研修会で講師の先生に「機関リポジトリよりパスファインダーこそ図書館がやるべきことじゃ?」と質問したら,逆に図書館が作るパスファインダーの使いづらさと,同じ主題のものがあちらにもこちらにもあるのは無駄では,と指摘される.A大学の方が来てなくて幸い(^^;),とか思いながらも,確かにパスファインダーの使いづらさは感じていたところなので,懇親会で講師の先生に挨拶をしたついでに,「ソーシャルブックマーク形式によるパスファインダー」アイデアを話してみた.
 僕がこれを実現させるには,どうしたらいいんだろう?

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007/11/28

対象との距離,昨日の追記など

 【図書館員の愛弟子: 矢祭町立図書館の学問的評価に期待する(期待させて…)

 roeさんからは過分なお褒めにあづかりました.ありがとうございますm(_)m ただ,僕のはてなブックマークにも書きましたが,正直なところ「矢祭もったいない図書館」についてはご近所さん故,実際に足も運びましたが,あまりにもいろいろな話を聞いてしまい(矢祭以外の方からも),却って研究対象としては「距離」をきちんととるのが難しい状態にある,と言うのが現在の僕の立場です.マックス・ヴェーバーを持ち出すまでもなく,研究者が研究対象に対して「距離」をとれないのは,(特にフィールドワーカーとして)学問として成立させることの障碍になりますので,僕が矢祭や「全国ありがとう文庫」を研究の対象にするまでには,今しばらく時間がかかるだろうと思います.
 妙な喩えかもしれませんが,現在の僕にとって飯島真理や沢田聖子の歌が,もはや評価の対象を越えてしまっているのと,似たようなところがあるような気もします(^^;).

 以下,昨日のエントリーへの追記など.
 昨日のエントリーで秋田県の地元紙である秋田魁新報について触れなかったのは,記事データベースが2005年1月の記事からしか扱っていなかったからで,それ以上の他意はありません.それでも,念のため調べてみたら2005年から2007年の「<内外の歴史>7月3日」の欄にて,県内の出来事として


▽1999(同11)年 全国から古本を募る運動を展開してきた西木村の青年グループが「ひのきない本の家」をオープン
と載ってました.すでに秋田魁新報は,「ひのきない本の家」の誕生を,まるで歴史上の出来事とみなしているかのようです(^^;).なお,ここで「サラダハウス」という固有名を回避しているのは,恐らく中心人物が議員に転進したからかと思われます.

 そう,「成功か失敗か」という話ですが,基本的には,ある物事への評価と言うのはひとそれぞれですから,「全国ありがとう文庫」をどう評価するかは,評価する側がどの立ち位置にいるかで変わってくるだろうとは思います.例えば,現状において『市民の図書館』に基づく「貸出至上主義」に拠る公共図書館の拡大路線は破綻し,失敗に終わったと僕は評価しています.しかし一方では,「みんなの図書館」2007年12月号の特集記事のように,未だに『市民の図書館』が公共図書館の原典(誤記ではない)でありそこに依拠するのが成功への近道である,とする立場もあるわけです.
 それでも,「全国ありがとう文庫」が,少なくとも公共図書館業界における玄人中の玄人(と僕が評価しうる人物)が嘲笑したような「失敗」には終わらなかったことを理解するには,僕が昨日挙げた新聞記事と評価を見れば取り敢えず充分なんじゃないでしょうか? それでまだ不足があるとしたら,他に何が必要なのですか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/11/27

「全国ありがとう文庫」のことなど

 【図書館員の愛弟子: 昨今の図書館情報学における疑問:矢祭町立図書館】について.

 roeさんがここで取り上げている「秋田県北部でボランティアが同様に全国に寄贈を呼びかけ、失敗した事例」というのは,秋田県大仙市(元・西木村)全国ありがとう文庫のことだと思うのですが,結論から言えば,このプロジェクトは失敗していません(^^;).

 この件については以前,当blogでもチラッと触れていますが【愚智提衡而立治之至也: 玄人ばなし】,暇を見つけて朝日,読売,河北新報の記事データベースを引いてみたところ,2002年8月の時点で60万冊の本が届いていたようです.そのうち,30万冊余りが1998年2月から4月の間に届いてしまったことで,当初は1万冊を想定していた,図書館的な本の整理には素人であったメンバーが吃驚して「寄贈は打ち切り」と話したこと(河北新報1998年4月7日朝刊など)が,玄人筋には「失敗」と受け取られたのでしょう.

 実際,僕が聞いたこのプロジェクトへの玄人の嘲笑も,寄贈書が集まらないことに対してではなく,予想以上の寄贈書が来たことと,その整理ができないこと,寄贈書の中身がほとんど使えない本だったと伝えられたことへのものです.このうち,寄贈書の中身が本当に使えないものばかりだったのかどうかについては,その後の「全国ありがとう文庫」の活動や,また「矢祭もったいない図書館」で実見した蔵書を見る限りでは,少々疑義無しとしません.

 ところが,その後は日本青年会議所が運営するまちづくり市民財団が「まちづくり助成金」を拠出したり,朝日新聞の「天声人語」で取り上げられたり(もともと最初にこの話を取り上げたのは,1998年2月12日の朝日新聞夕刊だったそうで),1998年10月には11箇所の「引っ越し文庫」(当初の名称)が誕生します.1999年7月3日には全国ありがとう文庫檜木内交流学習館(ひのきない本の家)が開館し,2001年1月には地域づくり団体自治大臣表彰に選ばれるまでになっています.

 そして2002年の時点では,分館は36箇所に達し,60万冊にまで達した寄贈書を「同じように本がなくて困っている人たちに本を送り,恩返ししよう」というプロジェクトに発展しているようです.そのうちの1万冊は京都刑務所に贈られたとか(朝日新聞2002年8月12日夕刊).

続きを読む "「全国ありがとう文庫」のことなど"

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007/11/18

「絶滅危惧種」扱いを超えて

 個人的には,「図書館の原点を見直す」という作業は,周囲に対して現在地点における『市民の図書館』の優位性を折伏することや,「図書館の自由に関する宣言」を再確認することじゃないと思う.現状において公共図書館の機能が,現在の市民が公共図書館に求めているものとズレていないかどうかを確認し,ズレを修正するのみならず,『市民の図書館』を超える新しい戦略を生み出していく可能性を探る作業だと考える.と言うか,もう少し業界人は『市民の図書館』や「図書館の自由に関する宣言」に対して,ある程度の距離を置いて眺めるだけの現実感が必要なのではないかと,「みんなの図書館」12月号の特集を再読して嘆息する.特集の筆者諸氏がことごとく,痛々しいほど対象(この場合は「公共図書館」)との距離感を失っていることに同情と憂慮の念を禁じえない.

 「図書館の原点を見直す」のであれば,『市民の図書館』以前に,そもそも「公共図書館とは何であるか」から,誰かが説き起こすべきであっただろう.

 ・・・・・・図書館とは,「ある共同体(community)の記憶を保存するための記憶の共同体(utility)である」(こんな定義,何処の教科書にも載ってませんよ.その妥当性はこれを読んだ各人が判断しておくれ)であるという発想がそれほど誤ったものでなければ,現在公共図書館として象徴的な存在の事例として挙げるべきは,青空文庫と矢祭もったいない図書館だろうな.どちらも,その活動の根幹において「共同体の記憶を保存する記憶の共同体」としての役どころを見事に果たしている.矢祭については,将来は雑誌の寄贈も受け入れる必要(それも,できたら刊行が終了した雑誌の一揃い)はあるだろうけど,43万冊余の書籍が集まったことの価値は,図問研のような外野の雑音にすら猛省を促す効果があったのではないかと思う.

 ところで「記憶の共同体(utility)」には,当然ながら必要なときに必要なものを提示できる基盤整備が必要である.さもなければ,誰かが必要としているものを,必要な誰かが現れる何時の日かのために整備しておかなければならない.それは,例えば大学図書館がパスファインダーとして提供しているものもその一種であるが,そのために公共図書館がある種のメタな視点(これは,myrmecoleonさんのこちらのブクマコメントに示唆を受けた発想)に立つことが必要である,そのひとつのありようが横芝光町図書館の「ニュースkeywordで本探し」なんじゃないかと思うところである.


 ときに何処かのblogが「他人が賞賛しても僕はあいつを信用しないし相手にしない」という意味のことを当blogについて書いているようですが,僕は別に他人に相手にされたり,賞賛されたいためにblog書いているわけでもないので,そのような言及は迷惑極まりないものです.そのくせその当人は自分が悪罵をぶつけたエントリーを改稿し,相手にしていないはずの当blogにおける「学級会民主主義」批判に合わせて,自らのエントリーを書き直していることは隠蔽しているんだから,こんな奴の説く倫理がどの程度のものか,およそ見当が付くというものだ(^^;).

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/11/16

絶滅危惧種

 「みんなの図書館」12月号(368号)が届いたので“特集 図書館の原点を見直す”を一読してみたのだけど,これはひどい.特に巻頭の文章.現在,公共図書館がおかれている状況を全く無視するか,またはおかしなこととして論難し,ひたすら『市民の図書館』への信心を説いている.例えば,ほとんどその箇所でしか言及していない「レファレンス」に言及している箇所を取り出して,『市民の図書館』がレファレンスにも目配りが効いているかのごとき言辞を弄している.これでは信者には圧倒的な説得力を持つかもしれないが,これから『市民の図書館』を読む人間にとっては贔屓の引き倒しとなろう.『市民の図書館』は「貸出し」については予算獲得の道具とすることまで具体的に百万遍を費やしているが,レファレンスについて具体論はひとつも語っていないのだから.

 それにしても,この巻頭文,その公共図書館が属する地方自治体全体の予算がどの程度削減されたかを提示もせずに,公共図書館の予算削減のみを取り出し冒頭で嘆いているが,それでは,いまの読者は納得しないだろう.自治体における予算が幾らから幾らに減少している中で,特に公共図書館関連の予算の減少率が自治体予算の減少率を超えている,と言うのであれば話はわかるが,公共図書館関係の予算の数値のみを引き抜いてこれだけ減った,と言われてもね.元から言及されている公共図書館の予算よりも少ない予算しかもらっていないところから見たら「何を言っているんだか」と思われても仕方あるまい.要するに,公共図書館が自治体の一部門であることに配慮が行き届かない,視野の狭い立論であると言わざるを得ない.例えば同じ自治体の中で,では保育所はどのような扱いを受けているのか,また同種の文教施設-美術館,博物館,文書館等-の予算はどのように扱われているのか,そこまで言及した上で公共図書館が如何に迫害(!)されているかを,語れなければ,そんなものは公共図書館業界人の単なるひとりよがりと片付けられるのがオチである.

 巻頭の文章を含め,総じて今号の特集から立ち上ってくるのは,『市民の図書館』信奉者による公共図書館が今や「絶滅危惧種」と化しつつあると,『市民の図書館』を奉じる図問研関係者が感じている閉塞感と焦燥感のようなものである.何だか,ある種の動物愛護団体の思想と行動みたいなもので,このままでは『市民の図書館』モデルの公共図書館は絶滅が危惧されるからお金と人手をかけて手厚く保護すべきだ,と主張しているようにさえ感じられる.貸出至上主義を支えているのは公務員による横並び意識,それからパターナリズムと反知性主義だけど,今回の特集はまさにそれを象徴するような内容になっている.それが,それだけ業界における貸出至上主義の基盤も脆弱化したということを意味するのであれば,僕にとってはそれなりに喜ばしい事態なのだが,さて状況はそれほど単純ではあるまい.

 しかしこのひとたちの主張,自由民主党の農政族と保護主義の発想が同じに思えて仕方が無いのだが.つまり,「自立した市民」というものをまったく信用していないのね,彼らは.市民とは自分たちが「保護」する対象だと思っているんじゃないのかしら?


追記:
というわけで,「みんなの図書館」の特集を読んだ方は,併せて

前田章夫: 図書館(員)に欠けていた「力」,「図書館界」59(4),2007.11,p252-257

を読むことをお勧めする.この文章もあくまで「貸出」中心ではあるものの,「社会システム」の中での公共図書館と言う捉え方をしているだけ,マトモな問題提起になっているので,一読して損は無い.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/11/11

形式について

 【第9回図書館総合展 2日目 - 図書館を読む】から.


「パネルディスカッションのときに、案の定会場からレポートの書き方を教えるのは教員の役目ではないのかという反論が出た。」

 まだ,こんなことを言っている大学(?)図書館関係者がいるのか(^^;).この反論者,意識が10年は遅れているな,と思う.ランガナタンを持ち出すまでも無く,図書館司書がプロである所以のひとつは「利用者の時間を節約する」ことにあるわけだから,時間の節約のために必要な知識を学生に授ける(と,敢えて書く)ことは,大学図書館が果たすべき当然の役回りだろうに.それが図書館員・学生双方に有益なことだ,と言う視点が持てないようなら図書館司書なぞ辞めたほうがいい.

 ついでに言えば,大学図書館で教える「レポート・論文の書き方」ってのは,あくまでも書き方の「形式」そのもののことを指している.学生自身がレポートなり論文なりを書くモチベーションを大学図書館が教えるわけではないし,その必要も無いはず.そのあたりをごっちゃにして考えているから,「書き方を教えるのは教員の役目」という発想がしぶとく生き残っているんだろうな,と思う.

 例えば,音楽教師はソナタ形式(序奏-提示部[第1主題-第2主題-結尾]-展開部-再現部-コーダ)という形式を教えることはできるけど,そこにどのような楽想を盛り込み,どのような魅力を発散させるかは,その形式をどう活用するかも含めて,音楽を作曲する当人の才能如何にかかっているのと同様,大学図書館はレポート・論文の書き方として「序論-本論-結論」という形式を教え,レポート・論文を書く際に情報検索の技術が必要であることについては他者による「検証」の必要性,「反証可能性」の重要性を教えればよく,その先-学生が何を検索し,どのような観点からレポート・論文を書くのか-のモチベーションにまで言及する必要は皆無であり,それこそ,そこからが教員の出番である,と心得た方がよいのではないか.

 ・・・・・・と,先日久し振りで「レポート・論文の書き方」について講義した大学図書館員は考えるのだけど.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/10/31

図書館神授説

図書館司書への不満 - 総合歴史研究会
新潟市中央図書館に対する要望 - 総合歴史研究会

 基本的にこのblogを書いている方は,公共図書館を創り上げる主体が誰であるかを理解していない方であると評していいでしょう.公共図書館は図書館司書だけが努力して創り出すものと違いますよ.市民の意識が行政を動かすことによって,その基礎が築かれるものです.だから,このblogを書いている方には無意味な資料であっても,別の誰かには意味のある資料である以上は,それを揃える必要は無いとは,公共図書館を運営する立場では言えないわけなんですよね.もっとも,その「意味」を計るものさしが何であるかが,数十年前までとはズレてきていることは確かですけど,それがいいことなのか悪いことなのかは,個々の公共図書館によって,また個々の業界人によって判断が異なるでしょう.

 ただですね,公共図書館は決して,最初からそこにそのようにある「ありもの」じゃありません.すべての市民に自明のものとして天から授けられるものじゃないんです.「自由」と同じくらいにね.その市民と司書のせめぎあいの中から,いわゆる「良い公共図書館」というものが立ち上がってくるのが,本来のあるべき姿で,せめぎあいもなく良い資料が揃っていた公共図書館が存在していたこれまでが少々恵まれていた,と見るひとがいてもおかしくはないような気がします.

 そうそう,図書館司書を鍛えるのも,自立した市民の役割のひとつですよ.もっとも,書誌(特に郷土資料に限りませんが)を作成する能力は必要でしょうが,それが求められてくる場はこれまでよりも限られてきているし,これからはもっと狭められてくることになっていくでしょうね.市民から求めらているスキルは,明らかに変化していますから.これまでと同様のスキルを図書館司書に求めるのであれば,ある程度の声を糾合して公共図書館にとどまらず,その公共図書館を設置している自治体の首長なり,自治体議会の議員なりに陳情することも必要でしょう.

 事実,新潟市立中央図書館については,総合歴史研究会blogとは異なる感想を記しているblogも存在しますから,総合歴史研究会blogの見解のみが,新潟市立中央図書館に対する単一で最終の普遍的見解であるわけでもありません.このblogを書いている方が,「自分以外はみんなバカ」とした佐久間象山並みの過剰な自意識を持っているのでなければ,昨日・今日・明日を暮らしているすべての市民にとって無意味な資料という存在があると考えること自体がおかしなことくらいは,まさか歴史を学んでいる方ですから,ご理解いただけるものと思いますが,如何なものでしょうか?

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/10/29

「矢祭もったいない文庫」始まる

 毎日新聞【矢祭もったいない文庫:図書館の寄贈本、集会所などに分冊--開設式
 福島民報【矢祭もったいない文庫が開設 25カ所一斉に
 福島民友【集会施設に文庫開設 矢祭で寄贈図書を有効活用

 これらの記事をはてブするのに,しつこく「追いかけてますよ」と書いたのは,もちろん「これは“お祭り”や“イベント”ではない.目新しさで祭り上げ,飽きれば捨ててしまうこと自体が“もったいない図書館”の精神に反していると思うのは私だけだろうか?」と書いた方がいらっしゃったからで(^^;).少なくとも地元のメディアではそこそこ継続的に取り上げられているし,こうして近所の住人は新しい動きがあればエントリーを上げますよ.
 冬に一度行ったきりで,しばらく足を向けてないので,新しい動きもあったことだし,紅葉と袋田の滝見物のついでにでも,行ける時間があるといいのだけど.

 ところで,上に引いた文章が載っていた同じ「図書館評論」48号で,山本順一氏が矢祭もったいない図書館をめぐる言論を「全国の多くのブログや,図書館の関係者からクソミソに言われた中で」(p9)と評していますね.あれ,図問研全国大会で西河内氏の言ってたことと全く違うじゃないですか.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

青空文庫

 中日新聞【中日新聞:電子図書館・青空文庫が10周年 善意と完成度のはざまで:ネットの話題

 例のDVD,我が勤務先にも届きました.訳あって2枚(^^;).取り敢えず2枚とも手続きして書架に並べるように指示しておいたけど,今どき青空文庫を知らずに務まる図書館員というのも,さて如何なものかと.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/10/20

「矢祭もったいない図書館」をめぐる議論に関する「みんなの図書館」誌上でのある発言

 「みんなの図書館」2007年11月号(No.367)は特集「図書館問題研究会第54回全国大会の記録」.相変わらず,各分科会では興味深そうな,面白そうなことをやっているのに,全体会ではわけのわからないことになっているのが,それは別の意味で面白い(^^;).正直,分科会で奮闘している方々には気の毒なことになっていると思いますが.
 詳しいことは本誌に当たってもらうことにして,非常に気になった発言をひとつ挙げておきます.


 (前略)ただ,この矢祭の問題については基本的に非常に言論が制限されて,いわゆる非常に持ち上げるのが多くて,基本的には評価しつつ,克服する課題をわずかなコメントを述べた私にすらブログとかそういうところで誹謗中傷が来るというそういう事態で,大体図書館関係者これに関してのコメントを全部口封じされるという事実上のことがあり,一方ではまた,まあ出版社さんだとか作家さんだとか,複本問題のときはすごく攻撃されていたのにこういうところではあまり言わないという,その事実はございました.(p71)(強調部分は引用者による)

 矢祭もったいない図書館を取り上げたblogを運営されているみなさん,この発言どう思われます? 僕はこれまで何度も矢祭もったいない図書館について当blogに記して来ました(リンク集のようなものさえ作りました)が,多分僕も「図書館関係者」のはず(^^;)なんですけど(もっとも,自分ではそう思ってますが,この発言者の方から見ると公共図書館に出自を持つ/関係するひと以外は「図書館関係者」ではないのかもしれませんね),「言論が制限」「口封じ」なぞ一度もされたこと無いですよ(^^;).具体的に何方か,矢祭もったいない図書館について発言を封じられたり制限されたりした図書館関係者の方がいらっしゃるんですか? それとも,以前の僕(^^;)のように,某誌に投稿した原稿を1年間店晒しにされた挙句に掲載を断られた方がいるとか.

 それから,「基本的には評価しつつ,克服する課題をわずかなコメントを述べた」という発言は,恐らく共同通信社へのコメント(【愚智提衡而立治之至也: パターナリズム万歳\(^o^)/】を参照のこと)を指すのだと思うのですが,僕が上記エントリーで引いた記事を読む限り,このコメントに「基本的には評価し」た部分を認めるのは,ハイデガーがナチに協力する気がなかったことをナチ時代のハイデガーの発言から読み取るのと同程度の読解力が必要なんじゃないかと思います.それを判断するために必要な知識と情報の多くの欠落を,背景を読み取るだけの知識と想像力とを兼ね備えていなければ,それは非常に困難な作業でありましょう.もしもこのコメントがコメントの全文ではない,というのであれば発言者が問題視すべきは,この記事を配信したマスメディア,また掲載したマスメディアであって,その記事を受けて発言したblogでは無いはずですが如何でしょうか.

 また,もしそれらのblogのリテラシーを問題視するのであれば,自らの意に反するblogの発言を「誹謗中傷」というラベリングで非難するのは,これはもう発言者自身の「リテラシー」能力を問い返さざるを得ないことになります.各個人のblogでの活動を「口封じされる」などと形容されるのは,それこそ言われ無き「誹謗中傷」です.ましてや出版社や作家を引き合いに出すのは筋が違うでしょう.この発言については,後日改めて図書館問題研究会に問い合わせることも現在のところ考えております.
 どうやら,僕の上記エントリーも,かの発言者の発言を読む限りでは,「誹謗中傷」したblogに含まれているフシがありそうですので(^^;).

続きを読む "「矢祭もったいない図書館」をめぐる議論に関する「みんなの図書館」誌上でのある発言"

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/10/14

公共図書館経営のアヴァンギャルド

 北海道新聞【本を待つ人がいる 破たん後の夕張 巡回図書担う2人


「破たんした市に代わって市民自身が活動し自立することも必要」と岡沼さん。
これは,1970年代以降ニューヨークで活動が見られた「アヴァン・ガーデニング(Avant-Gardening)」の発想と実践に極めて近い考え方ではありませんか?

 ・・・・・・使えない公共図書館,どうせなら「わかっている」市民がこの際,正面から乗っ取ってしまったら如何ですか(^^;)? 「貸出し」しか考えていない公共図書館員,役所か労働組合しか見ていないようなヒラメで労働貴族な公共図書館員なんか追い出してしまえ.指定管理者委託どころか,公共図書館に精通した市民が図書館の建物を占拠して,仕事を奪ってしまえ,とね.先日,公共図書館はホームレスの寝袋じゃなくて知恵袋だ,と僕は書いたけど,ちゃんとした公共図書館の仕事ができるホームレスがいるなら,この際,自ら乗り込んで寝袋兼知恵袋にしてしまったら如何? 市民が自立して自らの公共図書館を創り直してしまおう!

 ボランティア? 違うよ,「手伝い」じゃない.公共図書館に意識的な,自立した市民が勝手に公共図書館を占拠して職員を追い出し,市民が勝手に主体的に公共図書館を運営するのよ.公共図書館で公務員が定められた仕事をしないことが,とある事件の遠因だ,と指摘したら「闇討ち」を僕に薦めた公務員よりも,よほど真っ当な公共図書館経営が意識的な,自立した市民には可能なんじゃないですか?

 要するに市民によるアヴァンギャルドな「無血クーデター」ですよ.公共図書館に「公共」を取り戻すためのね.

 役所に打ち捨てられてしまった公共図書館を本気で再生したいなら,公務員は市民による不法(?)占拠を徒手空拳で見送り,自ら退去するくらいの「痛み」を味わってみたらどうですか.地域住民が立派な公共図書館を「再建」するところを歯噛みしながら見守っているくらいで,実はちょうどいいのではないのですか.自分たちが,如何に「権力」に守られているか,そういう立場になれば嫌でもわかるだろうから.

 あー書いてスッキリした(^^;).お休みなさい.

 なお「アヴァン・ガーデニング」に興味がある方は,この本↓を読んでね.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/09/29

「友・敵関係」と公共性の喪失

 最近,面白い本を読んだんですよ.


「政治的な行動や動機の基因と考えられる,特殊政治的な区別とは,友と敵という区別である.」(15頁)
と断言する,ナチの御用法学者でもあった大法学者カール・シュミット(1888-1985)の『政治的なものの概念』(田中浩,原田武雄訳/未来社)という本.これ,実に危険なほど面白くて,ある種の人間の類型と言えるものを描き出して余すところが無いですね.ここでシュミットが描いた人間の類型に対して共感するところは皆無ですが,シュミットにおける人間,またその意識への洞察には,非常に興味深いものがあります.例えば,このような考察.

「敵とは,他者・異質者にほかならず,その本質は,とくに強い意味で,存在的に,他者・異質者であるということだけで足りる.」(16頁)
まったくもって,これはつい最近まである国家の最高指導者たる地位にあった政治家の取った手法の解説に相応しいものじゃないですか.しかも,それは見事な成功を収めたという(-_-;).その後任者は,同じことを別な主題で実行しようとして無残にも失敗し国政に混乱をもたらしましたけどね.

 さて,我ながらしばらくぶりで(^^;),9月にエントリーした当blogの図書館系論考の中で,エントリーした当人にも意外な反響があったのは【公共図書館の「イノヴェーション」】でしたね.何だか僕が「貸出」と「ビジネス支援」を,あたかもカール・シュミットの説く「友・敵関係」であるかの如く描いたように受け止められたのは,実は心外だったりします(^^;).

 確かに『市民の図書館』が提唱し日本図書館研究会読書調査研究グループが「貸出至上主義」として疑似科学化した,公共図書館の目的としての「貸出し」には,これまで僕は「貸出し」の内容が本質的に抱えている「排除の論理」(これがシュミットの述べる「友・敵関係」と同断であるとしても,あながち間違いではありますまい)とファシズムの匂いを指摘してきましたし,このことはこれからも,幾ら強調してもしすぎることは無いだろうと考えています.それらは公共図書館が無謬であることを前提とし,社会の変化を無視して世を公共図書館につれさせようとした,壮大な実験でしたが,今や「貸出し」の前提となるべき社会の条件が崩壊してしまっており,これ以上『市民の図書館』を正典とした「貸出し」の論理を正当化するのは無理なところまで来ているでしょう.

 ・・・・・・とは繰り返し繰り返し,同工異曲なことを当blog上で書いて来ましたが,僕は公共図書館が公共性と民主制を維持するための手段としての「貸出」を否定したことは一度もありませんよ(^^;).僕から見れば,「貸出」「ビジネス支援」「医療情報支援」「法律情報支援」などなどは,すべて等しく公共図書館が守るべき妥協と寛容を創出し,維持するための手段であって,それぞれが他の手段を排除するような関係であってはならない性格のものですし,ましてやその手段自体が公共図書館が存在する目的ではありえません.「貸出し」(とその正典である『市民の図書館』)を克服するためのイノヴェーションのひとつとして,「ビジネス支援」に何がしかの可能性がある,というところまでは言っていますが,「ビジネス支援」を以って「貸出」を否定ないしは排除しよう,とは主張していませんよ.それじゃ言っていることが日図研や図問研の主張を裏返しただけになってしまいます(^^;).

 彼らのような「排除の論理」あるいは「友・敵関係」に基づく前近代な公共図書館の思想を克服し,先日も引いたアイザイア・バーリンの提唱する「多元主義」にこそ,今後の公共図書館が生き残るための思想的な基盤がある,と述べているのです,僕は.公共図書館が何かひとつの手段を以って特化すべきだ,などというそんな目先の利益を優先した話に僕のエントリーが矮小化されることには,かなりの違和感があります.例えば500人の公共図書館の利用者がいたとして,その中の499人が「貸出」を求め,「医療情報支援」を求める利用者が1人しか存在しなかったとしても,そのたった1人のためにも公共図書館は存在する必要があるのですから.それが公共図書館の機能が保障する「公共性」というものではないでしょうか.それとも,貸出至上主義のように公共図書館の機能を「友・敵関係」で分断し,異質な1人を排除することに何か意味があるのですか?

 正直「貸出しに特化した(=「貸出し」を自己目的化した)公共図書館」は,排除の論理に基づく,僕の考える「公共性」を喪失した存在ですから,そんなものはホームレスの寝袋にした方が,公共性の観点からも有意義な存在になるでしょう.本来なら寝袋ではなく,知恵袋にならなければならないのが公共図書館の維持すべき「公共性」なのですから.

 今日の利用者には不満もあるでしょうが,公共図書館は昨日の利用者のためにも,明日の利用者のためにも存在しているのです.



続きを読む "「友・敵関係」と公共性の喪失"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/09/20

公共図書館の「イノヴェーション」

 「イノヴェーション(innovation)」とは,オーストリア出身の経済学者・社会学者のヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(1883-1950)が定義した言葉です.一般的には「技術革新」と訳されるようですが,むしろ経済学の方で「新結合」という訳があるように,「イノヴェーション」には単なる技術(メカニック)の新しい創造にはとどまらない意味があります.経済学・社会学の素人なりに考えてみると,それは技術,生産,流通,消費の組み合わせによるダイナミズムをあるいは新しく創造し,あるいは過去にあった組み合わせを創造的に(大胆に)組み直し,それらを新たに組織化するところまでが「イノヴェーション」という言葉が意味するところであると考えることが出来ます.

 ところで,「出版ニュース」2007年8月下旬号で,田井郁久雄氏が「行革の流れの中で-岡山市立図書館についての「事業仕分け」」と題する文章の中で,飽きもせず相変わらずの「ビジネス支援」批判を繰り返しています.自ら(あるいは自らの意見に賛同する者)が観察したビジネス支援を主たる業務としている公共図書館の部門(あるいはビジネス支援が主目的である公共図書館そのもの)が閑散としていることに対して,岡山市立図書館の盛況振りを比較し後者を激賞しています.しかし,僕はビジネス支援という,ある程度明確な目的を持つお客が来館する公共図書館と,主題に囚われることなく誰にでも開かれているのであろう公共図書館を,その差異について検討することもなく単に来館者数のみを比較することに何らかの意味があるとは考えません.また後者の職員の献身的かつ超人的な努力(それはもちろん,十二分に賞賛に値するものです)を賞賛し,後者が今後の公共図書館のあるべき姿であり,それが今後の公共図書館の繁栄を保障するかの如き田井氏の論陣には賛同しかねます.

 ここにおける田井氏の論の立て方は,例えるなら主題と利用層が限定されている専門図書館と,誰にでも開かれている公共図書館を比較してお客の多寡を比較し,専門があるが故にお客の絶対数が少ない専門図書館を「利用者が少ないからダメ図書館」と評価するに等しい,巧妙なプロパガンダです.これは,田井氏の賞賛する公共図書館のあり方が果たして現在の「民主制」や「公共性」に相応しい公共図書館のあり方であるかどうかも含めて,非常に疑問の余地がある議論の立て方でしょう.

 で,どうして田井氏や前川恒雄氏(とその取り巻き)がここまで「ビジネス支援」に対してあからさまな嫌悪を示すのかを,少々考えてみたのですが,「ビジネス支援」が話題になり始めた当初から「ビジネス支援は古くから公共図書館が行ってきたサービスのひとつであり,ことさらに新しいサービスとして取り上げるべきではないという声が常に彼らから上がります.そのような声に対して僕は「では何故,ビジネス支援という言葉が公共図書館に対して,業界の外側からもたらされ,なおかつそれを期待されるようになったんですか,と尋ねたいところではある」3年も前に書いているのですが(^^;),3年後の現在もなお,僕を納得させるような回答は業界の内側からは聞こえてこないのが実情です.現在では,ある種の出羽守の皆様が評価していたBritish Libraryのサイトにも「Services for Business」があるのに,『市民の図書館』にこだわる方々にはそれも見えないようです.

 つまるところ,田井氏や前川氏,そしてその取り巻きの方々は実のところ「ビジネス支援」に代表される動きが,公共図書館における「イノヴェーション」であることを直感的に見抜いているんじゃなかろうか,と思うのです.ひとつひとつの手法はどうあれ,その総体から紡ぎ出されるこの動きが本質的に新しい創造であることを.そして,それを「イノヴェーション」として認めることは,即ち「貸出し」を最前線に押し出すことで進めて来た彼らの公共図書館を発展させるために採用した戦術(そのバイブルが『市民の図書館』であり,『図書館の発見』初版です)の否定と崩壊につながることを,理屈ではなく感じ取っているのでしょう.ひとつひとつの行動・事象は旧来からのものであっても,その組み合わせの発想が大胆な再創造たりえれば,それは「イノヴェーション」であり,「イノヴェーション」とは旧来の手法を否定する発想の組み換えまでも含め求め得るものですから.
 ときに「ビジネス支援」が何故「イノヴェーション」たりえたのか,私見では「利用目的の具体化・明確化」「ポスト・バブル期のベンチャービジネス勃興との絶妙なマッチング」「『貸出し』に代表される排除の論理からの転換」このあたりが,ビジネス支援が公共図書館におけるイノヴェーションたる要素を満たしていると考えます.

 現在,僕らが考えなければいけないのは,そこで貸出至上主義の正典『市民の図書館』に立ち返ることではなく,公共図書館における「イノヴェーション」に相応しい,公共性と民主制を維持するための新しい科学としての公共図書館像を創造することです.本来なら100年の大計を見据えた創造を目指すことが望ましいのでしょうが,例えばこれから僕らが考えまとめる公共図書館像がよしんば10年の寿命しか持ち得なかったとしても,既に業界が30年以上しがみつき社会的寿命の尽きている『市民の図書館』に,更にこれから10年以上しがみつくことに比べれば,よほどマシなことでしょう.


 しかし,どうしてあのヒトたちは「公立図書館の単一性と不可分性」を,すべての公共図書館と図書館業界関係者に押し付けたがるのですかねえ.

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2007/09/16

「図書館員の匿名性」について

 前のエントリーにうっかり書き落としたので,別のエントリーにします.

 「情報の科学と技術」9月号の竹内論文が取り上げていた「図書館員の匿名性」ですが,これは僕が学生時代に受講した某大学での,竹内さとる教授(日本図書館協会前理事長)の授業で,既に竹内先生が問題視していたことでして,今に始まった問題ではないですわ.15年程前には,僕も何処かで誰かと議論した記憶もありますし.この話をしたある友人には「とにもかくにも,企業では考えられないことだ」と痛罵されましたことですよ(^^;).

 これは竹内論文が指摘する問題もありますし,別の議論ではむしろ「図書館員の専門性」故,つまり誰がそのレファレンスを引き受けても同じ結果が得られるはずだから匿名で構わない,という意見もありました.個人的には(公共図書館においては)正規職員が公務員であったことの方が問題だった(スペシャリストではなくゼネラリストが求められていた=誰でも同じ仕事が出来る代替性が重要視されていた)と思いますが.

 でもねえ,レファレンスなどご指名があるのはありがたいのですが,人数の少ないところでは,それはそれで大変なんですよ(^^;).仕事が重なったりすると名指しが無ければ他の職員に振り分けることもできますが,そういうわけにもいかないこともありますし.しかもその主題が僕でなければお客の「時間の節約」にならないようなケースであればあるほど.あ,これは僕が有能な図書館員である,と言う話ではなく,単に僕の趣味がクラシックだから,という「芸は身を助ける」程度の話ですよ(-_-;).
 もっとも,頼りにされるうちが花ですね(^^;).がんばろっと.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「場所としての図書館」試論

 【図書館情報学を学ぶ - 次世代の「場としての図書館」のあり方を自分なりに考えてみました 】に触発されたので,何か書こうと思い立ち,会員だから毎月届くのに積読のまま(技術志向じゃないもので,どうしても後回し)になっている「情報の科学と技術」の57巻9号(2007年9月)を読んでみましたが・・・・・・.

 本題に入る前に一言.特集中非常に気になったのは,実は薬師院はるみ「図書館員のあり方と電子化の進行:不安の昂進と専門職化の画策」(434-440頁)における,内容の異形さ.ジョン・コンスタブルやトマス・ガーティンが描いた風景画が整然と並ぶ中に,ひとつだけ晩年のエゴン・シーレの自画像が混ざっているような雰囲気ですね(^^;).このヒト,僕の記憶に間違いが無ければ日図研が発行する雑誌「図書館界」の常連寄稿者ですが,如何にも日図研のイデオローグらしく,『市民の図書館』(「貸出」という前川派特有の用語を使っているにもかかわらず,筆者が『市民の図書館』に依拠していることを隠そう,隠そうとしているところがまたイヤらしい)の破綻を糊塗して時代の変化と要請を否定する内容であり,今回の特集の趣旨からは明らかに浮き上がった論文なんじゃないでしょうか?

 まあ,気を取り直して(^^;).

 ・・・・・・とは言え,kunimiyaさんが取り上げている竹内比呂也「デジタルコンテンツの彼方に図書館の姿を求めて」への僕の評価はいささか両義的なもので,この論文が論じている図書館,もしくは図書館司書への評価はともかく,その前提がいささか粗雑(性急?)で,例えば,学術雑誌に区分される雑誌(特に外国誌)の新着雑誌架は電子化の進展で早晩撤去されるだろうとしても,広告収入を前提としている一般雑誌(特に国内誌,高年齢層向けの論壇雑誌などね)の雑誌架がそれとほとんど同時に撤去されるとは,僕には考えられない(古い奴だとお思いでしょうが)ため,これに基づいて「場所としての図書館」を論じるのは気が進まない(^^;)のです.そこで,取り敢えず「場所としての図書館」という言葉だけを引き取って,自由に書かせてもらいますね.

 で,ようやく本題.

続きを読む "「場所としての図書館」試論"

| | コメント (0) | トラックバック (1)

少年調書の引用本、公立図書館で閲覧中止の動き

 【愚智提衡而立治之至也: 「僕はパパを殺すことに決めた」】で懸念した通りの事態が起きているようです.

読売新聞【少年調書の引用本、公立図書館で閲覧中止の動き

どの程度まで「公共図書館」に精通している人間が,どのような立場にあってどのような判断を示しているのか(「館長」をはじめとする,決定権を有する正規職員が司書有資格者とは限らないし,たとえ有資格者でも当てにならないことは,幾多の先行事例が示しています),報道からでは何ともわかりかねますが,【はてなブックマーク - 少年調書の引用本、公立図書館で閲覧中止の動き : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)】でhimagine_no9さんがおっしゃっているように


「しかしこの問題を多くの人が検証し考察するためにも図書館での閲覧を保証してほしい」
これが,日本図書館協会が制定している「図書館の自由に関する宣言」の中に述べられている「国民の知る自由を守り」が意味するところでしょう.違いますか?

 まあ,お役人のやるリスクマネジメントは所詮,この程度の発想しか出来ないのかもしれませんが,そうしたら同じくお役人である公共図書館の正規職員が「図書館の自由」について声高に発言するのは,自家撞着って言われても仕方が無いのではありませんか>>諸賢.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/09/15

「僕はパパを殺すことに決めた」

 最初にお断りしておきますが,僕はこの本を読んでいません.ですから,以下の文章はその内容の当否を問題にしているものではありません.

 さて,昨日こんな出来事がありました.


奈良の放火少年調書漏えいで鑑定医宅など捜索

 奈良県田原本町で平成18年6月、医師(48)宅が全焼し母子3人が死亡した事件を題材にした書籍に、殺人などの非行事実で中等少年院送致になった長男(17)らの供述調書が引用されていた問題で、奈良地検は14日、調書の内容などを著者のフリージャーナリスト側に漏らしたとして、秘密漏示(ろうじ)容疑で、長男の精神鑑定を担当した京都市内の精神科医宅や勤務先病院の家宅捜索を始め、強制捜査に乗り出した。同容疑での強制捜査は異例で、「言論の自由」などとの関係をめぐって論議を呼びそうだ。

 問題となった書籍は、元法務省東京少年鑑別所法務教官の草薙厚子さんが今年5月、講談社から出版した「僕はパパを殺すことに決めた」。

 調べなどによると、精神科医は、当時高校1年だった長男の少年審判に際して長男の精神鑑定を担当。その後、草薙さん側に、事件の調書の写しを渡した疑いが持たれている。秘密漏示罪では、医師や弁護士らが正当な理由なく業務上知り得た秘密の漏洩(ろうえい)を禁じている。父親の医師らが著者や鑑定医を告訴していた。
(後略)

産経新聞 http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070914/jkn070914006.htm から
この件を受けて,今日(15日)の全国紙に真っ向から対立する2つの社説が出ています.

読売新聞【調書本出版 漏えいは少年法の精神にもとる
毎日新聞【社説:少年調書引用 強制捜査まで必要なのか

個人的には,読売新聞がことさら少年法を持ち出すのは天に唾するような(^^;)ものだと感じてますが,それはさておき.また,産経新聞webが意外にも,まめに著者をはじめ鳩山邦夫法相,講談社などの声を拾っていますので,興味のある方は参照してください.

 この件は早かれ遅かれ,対岸の火事に止まらず公共図書館業界に波及してくるものと思われます.全国の公共図書館各位,また日本図書館協会のリスクマネジメント能力がまたまた試される事態に陥らないよう,細心の注意を払っていただくことを,関係者に希望しておきます.なお,日本ペンクラブは既に法務省から勧告がなされた際,8月30日付で抗議の声明を出しています.【PEN声明 出版社及び著述家に対する法務省勧告に抗議する声明

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/09/12

「現場」と「研究」,「普遍」と「独創」

 単刀直入にお尋ねしますが,「現場」と「研究」は乖離していてはいけない代物なんでしょうか? いや,僕はあなたにお尋ねしているのです.

 「現場」の方々は,「研究」の側が現在見られる公共図書館の「惨状」(指定管理者委託を含めた業務委託や非正規職員の雇用がもたらす業務の非効率と不安定)を側面から支援していると主張しています(ケペル先生のblogにおける公共図書館に関する主張がweb上での好例).しかし,毎日毎日,公共図書館で繰り広げられるルーティンワークも含めた一場面,一場面における事例の積み重ねと言う,刹那的(他の場所での応用が出来るのかどうかもわからない,という意味で)な「現場」が自らを「学問」と称して闊歩したことが,公共図書館業界に『市民の図書館』の正典化をもたらし,『市民の図書館』の正典化が貸出至上主義による図書館司書の疎外という現象を生み出したことの方が,現在の公共図書館における「惨状」を説明するのにより相応しいと,僕のような立ち位置にいる人間には見えるのですね.

 刹那的な現場主義の限界は,公共図書館を語るときのケペル先生のblogにおける惨憺たる内容や,自らが属する組織と主義主張を守らんとするが余りに,「目的は手段を神聖にする」とばかりに公務員として,また公共図書館員としての倫理を踏み外してしまい,結局は公共図書館を公務員が運営することについての疑義を露呈させた,とあるblogに典型的に現れていると僕は見ますが如何.

 「現場」と「研究」における乖離(例えば,現状認識の差異)に,積極的な意義は見出せないものなのでしょうか? あるいは,見出してはいけないものなのでしょうか? いや,僕はあなたにお尋ねしているのです.

 正直に申し上げて,みなさんよく30数年前の既製服で満足していますよね.僕など中学のときから無類の制服嫌いで,お仕着せや出来合いの思考に自らを合わせることなど,今に始まったことでもなく随分前から,すっかりウンザリしております.おかげで,身内からさえ「アマノジャク」と言われる始末ですが,まあそれはともかく,自らを満足させるためにも,「哲学とはカントについて考えることではなく,カントのように考えることだ」とのひそみに倣い,原典(さすがに語学が×なので翻訳頼みではありますが)を寡聞ではありますが読み込んだ上で自分の頭と言葉で考え,綴ることを以って思考を鍛えて生きたいと,改めて思い及んでいます.

 ついでに言えば,自分の頭で考える際には「普遍的であること」と「独創的であること」を両立させるべく,どちらかと言えば前者に軸足を置いてその落とし所を考える必要があるのでしょうが,ついついそこで「独創的であること」に軸足を置いてしまうのが,多々ある失敗の原因のひとつであるところが,我ながら痛いところですね.

 でも,「現場」ではお仕着せの思考に自らを合わせることばかりが重要で,普遍を目指すのが当然で,独創的なことを考え実行するのは禁忌なのでしょうか? いや,僕はあなたにお尋ねしているのです.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/09/06

「公共図書館=無料貸本屋」説雑感

 そもそも一般的な状況としては,「公共図書館=無料貸本屋」という位置付けは『市民の図書館』が住民の支持を得るためと予算獲得のために採用した戦術ですから,それが廻り巡って自らの首を絞めているわけで,そのことについては業界の側にも責任があるわけですよ(追記:このことについては【愚智提衡而立治之至也: 違います】このエントリーも参考にしていただければ).

 でね,僕は10年以上前に,公共図書館の窓口委託が話題になっていたときだったかなと覚えてますが,「公共図書館員=公務員」であらねばならぬ,としても「公務員の既得権益護持」にしか思えない反対運動だったら,周囲の理解は得られませんよ,と,申し上げたことがありました.そうしたら「これは戦術ですから」と言う大意の返答でしたっけ.しかし結局のところ,この戦術も,使い物にならない正規職員を配置して公共図書館は熱意のある人材でなきゃダメだ,という空気を醸成されるのに逆に利用されてしまった感があります.

 例えば【かたつむりは電子図書館の夢をみるか - アウトソーシングが「不可能」な業務は存在しない、が・・・】むしろ行政の場合は,ゼネラリストは委託でも賄えるけど,スペシャリストは自前で準備するのが正当だと,僕は何年も前から言っているわけでね.「すべて公務員で!」を押し通した労働組合(自治労)的発想を採用したことが,「委託」闘争において公共図書館が敗北した原因だと思うのですよ.はっきり言ってしまえば,自治体においては総務や経理のような部署こそ委託の対象とするべきで,公共図書館や博物館のような専門的な知識と経験の必要なところこそ,ある意味採算の取れないところこそ,自前で雇用することが行政には求められるはずなのですよ.採算が取れるのであれば,第三セクターや委託をしなくとも民間が乗り出しているはずなんだから.

 ちょうど『「慰安婦」問題とは何だったのか』(大沼保昭著/中央公論新社/中公新書1900/2007年6月))という本を読み上げたところですが,この本の中で著者は


「慰安婦」問題にかかわった多くの支援団体,NGO,弁護士,学者,ジャーナリストは,みずからが政治闘争の主体であり,みずからの言動は結果責任を問われるという自覚をどれだけもっていたのだろうか.そうした自覚とリアリズムを欠いたまま,裁判闘争やメディアの圧力,国連などを利用した外圧によってみずからの主張を実現できると考え,被害者たちにそう助言してきたのではないか.こうした希望的観測のもとに被害者を引っ張ってきた支援団体や弁護団は,結果に対する責任を負うべき主体として,将来の予測と政治闘争の立て方において大きな過ちを犯したのではなかろうか.(p154-155)
と書いています.日図協や図問研,そして読書調査研究グループという貸出至上主義の牙城を抱える日図研にも,この言葉は当てはまるでしょう.そして誰よりも,過去に「『市民の図書館』はバイブル」と過日「図書館界」誌上で断言した日図協の理事長がまず,これまでの戦術の誤りを自ら認めない限りは,図書館業界に未来が開けるとは思えません.

 それにしても, 何故この業界には「公共図書館は無謬である」ことを信じて疑わない方々がこうも多いのかしらん.これまでの公共図書館の概念から運動まで,すべてが正しかったとしたら,現在の公共図書館を巡る事態はもう少し好転していそうなものですが.正しいことをしていたとしても,それが時代に受け入れられるかどうかは,また別の話,ということも承知してますが,それでもそう思わずにはいられない頑迷固陋さがこの業界には蔓延しているような気がしますよ.

 第一,業界に未だに「先進的」な公共図書館の在り様を「そこまで辿り着いていない公共図書館が沢山あるのだ」という理由で否定する意見があります.そのような意見の存在そのものは,民主制と自由主義を旨とする社会にとっては当たり前のこととはいえ,「先進的」な公共図書館をモデルとすることを極力阻止しようとするような発想があるうちは,ホントにダメですよ.「公共」図書館運動に巣食っている,多様性と寛容を否定するファシズム(スターリニズムか?)が,どれだけ世の中の公共図書館観に害をなしていることか! 


 ・・・・・・まあ,ぐだぐだと書いてきましたが,最終的には,例えば「委託される公共図書館」という「政策」が,果たして市民の支持を得ることが出来るかどうか,なんですよね.市民が委託を支持せず,公務員による直営を望めば市会議員に陳情も行われるでしょうし,市役所にもご意見が寄せられるでしょう.また昨年だったか,静岡市の計画していた委託が潰されたことには(市民運動に予断・予見を持たない)マスメディアの理解(一過性に終わらない,継続的な報道)があづかって力になったところがないとは言えないわけです.マスメディアを信用しないのは古い左翼系言論にありがちな固定観念ですが,戦術を間違えておいて後日繰言を述べても,それは引かれ者の小唄ですわ.

 まずは幅広い視点を持った戦略/グラウンドデザインがなければ,結局は場当たり的な玉砕戦術に陥るしかないのは,それこそ大東亜戦争が実証しています.公共図書館には『中小レポート』以降,責任ある団体がまとめた戦略的分析文書は存在しないわけで(『市民の図書館』は目先の戦術文書です),本当ならば,もうそこからやり直すしかない.ところが日図協には,先日の「図書館雑誌」8月号の総会・評議員会・理事会の記録を見た限り,とてもそんな余裕は無いようです.

 取り敢えず,僕らは出来るところから始めるしかないのでしょう.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/09/03

本寄贈呼び掛けから1年・・・

 先日(8月26日)の福島民友新聞3面に「本寄贈呼び掛けから1年・・・ 「図書の町」誕生へ着々」という,矢祭もったいない図書館の記事が大きく掲載されました.何でも「ライブラリーオブザイヤー2007」の最終選考に残ったとか(福島民友8月16日付記事参照).この記事,「経過」「現状」「課題」などを丹念に跡付けた,大変に好意的なトーンで書かれており,ささやかながらも応援していた人間としては,ちょっとホッとしています(^^;).何しろ記事に拠れば,


寄付を募り始めたころは,全国から善意の本が寄せられる一方で「古本を集めたようなのは図書館ではない」など,心ない電話やメールも数多く寄せられたという(強調は引用者)
そうですから.ちなみにこの箇所,僕の周囲では記事中もっともウケたところでしたよ.まあ,公共図書館業界人や関係者には,よもや「心ない」電話やメールをした方はいないと僕は固く信じておりますが(^^;),さてどうでしょうか?

 そう言えば「もったいない図書館」を「反図問研的公共図書館」と評した方も(この表現そのものは僕のひねり出した形容ですが,そのような意味のことを述べていた方は,僕の周囲には幾人もおりました(^^;))いましたが,図問研が「みんなの図書館」とは別途発行している雑誌(学術系もしくは理論誌)「図書館評論」の48号で,山本順一氏と中沢孝之氏による図問研研究集会での発表報告を掲載してます.これがまた僕の事前の予想を遙かに(^^;)上回る好意的な文言が並ぶもの.また本家の「みんなの図書館」2007年6月号では「もったいない図書館」の齊藤前館長(その節はお世話になりました)による「報告・矢祭町から 「矢祭もったいない図書館」開館す!!」という一文を掲載しているところを見ると,図問研の少なくとも一部の方々は「反・小泉改革路線」と「地方自治」の観点から「もったいない図書館」の評価を見直し転換したようにも思えます(敵の敵は味方!)が,一般の会員の見方もまたそれに倣っているのでしょうか.このあたり,公共図書館業界では今やもっとも官僚的かつ原理主義的な日図研の見解も知りたいところです.

 なお,現在のところ「もったいない図書館」は寄贈本の受付を中止していますが,8月26日の福島民友の記事では「もったいない図書館」が青森県の五所川原市立図書館に寄贈本を紹介したことが載せられています.五所川原市立図書館のサイトには「本を寄贈していただけませんか? ~めぐりあい、図書~」というページがあります.ご参考までに(ちょっと寄贈の条件が厳しいような気がしますが,まあそれは各館の経営方針と言うことで).

 思うにやはり,「もったいない図書館」を嚆矢とする「寄贈本による蔵書構築法」は,地域住民の参加による「選書ツアー」とともに『市民の図書館』が生み出した,公共図書館経営への市民参加の大きな実りだったのではないでしょうか? このふたつが『市民の図書館』支持者から非難されたところが,この国の公共図書館を巡る「捩れ」のようなものを感じ取ることは可能でしょう.
 と言うわけで,「お祭り」は終わったかもしれないけど,地の利も生かして(?)それなりに継続してウォッチしてますので>>誰かさんへ.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/07/31

柏崎市立図書館,8月1日より一部開館

 ソフィアセンター(柏崎市立図書館)が,明日8月1日より一部開館することが,ホームページに告知されました.詳細は,下記のリンク先(pdfファイルです)をご参照ください.

http://lib.city.kashiwazaki.niigata.jp/osirase/itibukaikan.pdf

開館時間や休館日の変更,利用できない資料群もあるようですが,まずは開館にこぎつけることができたことを喜びたいと思います.関係者の皆様,お疲れさまでした.

 私事ではありますが,数年前に某図書館の資料を勤務先で借り受けて利用者が破損してしまった際に,柏崎市立図書館にはいろいろとお世話になった記憶があります.本来ならば現地に入ってボランティア活動すべき立場にあるのでしょうが,公私とも諸事多忙な折でであり,止むを得ず情報の収集と提供にて,罹災者のお役に立てればと願っているところです.
 被災地において,一