カテゴリー「「公共図書館の近代」を考えるために」の記事

2008/03/07

モデルの破綻

 結局,田井郁久雄氏のようなヒトがどう糊塗しようと,『市民の図書館』や『本をどう選ぶか』による公共図書館の経営モデルはとっくに破綻しちゃっている,ということでしょう.

 資料購入費の増額を目的とした,前川恒雄や伊藤昭治の生み出したモデルに従って如何に貸出を増やしても,経済が右肩下がりの現状では正規の税収が上がらない以上,公共図書館の資料購入費だけが上がる筈も無く,それでも前川や伊藤のモデルにしがみつけば,蔵書構築=選書のコントロールを正規の図書館員が手放すわけにはいかない(故に,内容の如何を問わず寄贈を大々的に活用し,結果的に60万冊を集めた「全国ありがとう文庫」や42万冊を集めた「矢祭もったいない図書館」などの,素人が考案したモデルは採用できない)となれば,正規の税収以外の収入源を何処かで確保しなければならなくなる.ところが悲しいかな,これまで「広報」「広告」「宣伝」というものの作り方を学んでこなかった-これは彼らが公務員だから,というよりは前川たちのバックボーンにある「正しいことをやっていれば必ず報われる」という,ある種のストイックな姿勢から来るものでしょう-それが次の事例に見られる「空回り」と言うか,結果として努力が報われないばかりか,その手法を採用するまでの思考法さえも疑わせることになる,原因のひとつを作り出しているのでしょう.

斐川町立図書館:財政難、募金1円も集まらず 図書購入費「みんなで育てて」 /島根 - 毎日jp(毎日新聞)
斐川町立図書館>お知らせ - 募金箱の設置について
斐川町立図書館からのお願い 図書購入に愛の手を!

広報媒体としての図書館サイトの価値 - Copy & Copyright Diary
平塚市図書館 みんなの掲示板

 高度成長期に生み出された公共図書館の経営モデルからの転換を,どのように組み立てていくのか,これからしばらくは「これではうまくいかない」という事例を幾つも積み上げていくことになるのでしょう.そして,その失敗から,何かを見つけ出し,新しいモデルを得るのが現場の知恵でもあり,学者の仕事でもあるはずです.

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2006/05/20

図書館の市場化

東京の図書館をもっとよくする会: [集会案内]「図書館の市場化とこれからの図書館づくり」

 「図書館の市場化」というのは,貸出至上主義の跋扈で公共図書館の蔵書構成が商業主義化し街の書店と区別がつかなくなった,という意味ではなく(^^;),公共図書館が指定管理者制度や業務委託の導入によって,市場に売りに出されている,という意味.
 売り飛ばされることに抵抗するのも結構ですが,蔵書の市場化によって専門職としての図書館司書の必要性が疑われるようになったことへの反省はあるのかしらん?

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2006/05/14

「貸出至上主義」今回の取り敢えずのまとめ

 matsuさんがこちらのコメント「貸出至上主義者の前川氏のみならずそれ以上に伊藤氏にはそもそもイデオロギーはなかったと思います。」と手厳しい指摘をされています.僕の考えはそこまで手厳しくはありませんで(^^;).1970年代以降公共図書館業界を煽動してきた指導者たちには,政治や社会に対して教条的(もしくは教科書的)なイデオロギー(マルクス・レーニン主義とかスターリニズムとか,その手のもの)は持ち合わせていたけど,それを実現・実行するための戦略を組み立てるだけの力量が欠けていた,と考えてます.短期的な戦術を作成する術は持ち合わせていた(その具体的な戦術文書が『市民の図書館』であり,戦術を実行するための指南役が伊藤昭治を中心とする日本図書館研究会読書調査グループであったわけです)ものの,長期的展望に立った戦略/グラウンドデザインは持ち合わせていなかったし,ましてや戦略を構築するだけの知恵も度量も彼らが持ち得なかったことが,現在の公共図書館を廻る言説のダメダメさを招いているのですね.

 第二次大戦後の日本の公共図書館史における図書館運動の指導的イデオローグとして,業界の主流派からは「連綿と精神が受け継がれてきたもの」として捉えられがちな『中小都市における公共図書館の運営』(中小レポート,1963年初版)から『市民の図書館』(1970年初版)への間,そして『市民の図書館』から「貸出至上主義」の煽動者であった日本図書館研究会読書調査研究グループ(1980年ごろからそれらしい論文が「図書館界」に散見されるが,恐らく画期は「公立図書館における大規模開架と貸出図書の分析」[「図書館界」35巻4号(1983年)]あたりか)への間には,必ずしも前者から後者へ継承されたものばかりがあったわけではないのだろうと,僕は今のところ考えてます.

 断絶の最たるものは,何と言っても『市民の図書館』におけるレファレンス・サービスの不在と「貸出」の目的化です.貸出数を増やすことが公共図書館発展の最も手っ取り早い方策だったことは【図書館屋の雑記帳】さんご指摘の通りですが,『市民の図書館』以来の「貸出」の目的化が最終的には「貸出至上主義」として「貸出」の神聖視もしくは宗教化にまで至った原因は,やはり『市民の図書館』がその主張の中に内包していたものであり,この「断絶」に問題があったと考えられます.
 
 その断絶をもたらした根底にあるのは,「多数派のための公共図書館」というコンセプトであり,多数の住民の支持を得るための意図的な選択(現在ではそれが「当然の選択」の如く前川恒雄は『図書館の発見』新版で語りますが)だったと思われる「反知性主義」であり,専門職制の根拠として図書館原理主義者(≒貸出至上主義者)が挙げた「人治主義」であり,公共図書館発展のための「予算獲得」という使命だったのでしょう.

中小都市における公共図書館の運営
日本図書館協会中小公共図書館運営基準委員会〔編〕
日本図書館協会 (1979)
通常1-3週間以内に発送します。

市民の図書館
市民の図書館
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.14
日本図書館協会編
日本図書館協会 (1980)
通常1-3週間以内に発送します。

図書館の発見
図書館の発見
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.14
石井 敦〔著〕 / 前川 恒雄〔著〕
日本放送出版協会 (1979)
この本は現在お取り扱いできません。

図書館の発見
図書館の発見
posted with 簡単リンクくん at 2006. 5.14
前川 恒雄著 / 石井 敦著
日本放送出版協会 (2006.1)
通常24時間以内に発送します。

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2006/05/09

「過去」は懐かしむためにあるものではありません:追記

 承前.先のエントリーに書き漏らしたこと,書いた後に思い出したことを2,3追記.

 【図書館屋の雑記帳:貸出と図書館 続き】では公共図書館と博物館・美術館の違いについて「ハレとケ」の論理で説明していますが,これは公共図書館が指定管理者委託不可,博物館・美術館が指定管理者委託可であることの説明にはなってません.況や体育館や文化ホール,文書館が委託されることにおいておや.全く説明になっていません.公共図書館業界の側から見た,極めて身勝手な理屈です.図書館原理主義の典型的言説と評してもいいでしょう.このような理屈が生み出されるところに,公共図書館業界を廻る言説の,現在のダメさ加減が明らかになっている,としたら言い過ぎですか(^^;).

 でもって,「消耗品」について話をすり替えないでいただきたい.僕は先にも書いたように,公共図書館(さらにはそのイデオローグ)が歴史的,思想的,機能的に「書籍」をどのように位置づけてきたかを論じる上で「財産→消耗品→資料」という見方を提示しているのですから.

 もうひとつ「成熟した市民」.あるいは「成熟した市民社会」という表現乃至概念は,社会学や政治学の世界ではよく用いられるものです.その意味するところについて,管見の限りでは恣意的に操作されているようなものは見受けられませんが.少なくとも


さもないと自らの意見と違う、あるいは進んで意見を述べない住民を「成熟してない」というレッテルで切り捨てることも可能だからです。
斯様な操作を認めない程度には,「成熟した市民」「成熟した市民社会」という言葉は成熟しており,公共図書館業界が好むと好まざると(^^;)定着している表現・概念であると考えます.
 僕が用いている言葉の好悪を表明している暇があったら,「まあそういう図書館もあったでしょうし、」などという,他者の言説をことさらに矮小化し貶めるような物言いは慎みましょう(^^;).

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2006/05/08

「過去」は懐かしむためにあるものではありません

 【図書館屋の雑記帳:貸出と図書館 続き

 正直なところ,ホントに噛み合ってません,話が(-_-;).こちらは公共図書館における政策に対するイデオローグの功罪を問題にしているのに,あちらは性急に議論を解体-再構築してイデオローグを免罪もしくはその存在自体を抹消してしまうことを目論んでいるわけですから.このズレがある以上,政策論争はおろか,「丁寧な分析」など望むべくもない,と僕は考えます.

 何と言ったらいいのか,戦後日本の公共図書館史における「イデオローグ」に対する歴史的認識の欠落には驚かされます.【図書館屋の雑記帳】さんが主張していることは,煎じ詰めれば貸出至上主義のイデオローグたる前川恒雄や伊藤昭治が何を主張しようが,それを真に受けなかった公共図書館がある以上,貸出至上主義は無罪,ということです.それは「アドルフ・ヒトラーに対してマルティン・ニーメラーやカール・アマデウス・ハルトマンがいたから第三帝国は無罪である」と言っているのに等しいのですが.こんな馬鹿な話は無いでしょう(^^;).

 また,僕を薬袋教授とひとし並みに扱っていただいたのは汗顔の至りですが,ある自治体なり団体なりがある時点において採用したイデオロギー,政策あるいは判断に対して,その経過と結果を論じないのは,公共図書館と自らの無謬性を信じて已まない図問研ならまだしも,僕らのレベルにおいては,採用されたイデオロギーや政策,判断に対して失礼と言うものです.経過と結果に対する不断の議論を通じて,政策は鍛えられていくのではありませんか.そして結果が失敗であったら,その政策を採用した自治体なり団体なり個人なりは批判を甘受すべきでしょう.

 ましてやそれが日本図書館協会という日本の図書館業界を代表するナショナルセンターであったり,日本図書館研究会や図書館問題研究会という業界を代表するイデオローグを擁する団体のことであれば,なおさらのことでしょう.これがmatsuさんのコメントにある


貸出至上主義をしっかり総括する
ということではないかと,愚考しております.イデオロギーや政策の評価において,「過去」は懐かしむためにあるものではありません.

 僕は「草の根が正しかったから時代を煽動したイデオロギーは免罪できる」と考えるほど,歴史に対して甘い考えは抱いていない,そのことは明確にしておきます.取り敢えず.

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2006/04/06

これからの図書館像-地域を支える情報拠点をめざして-(「これからの図書館の在り方検討協力者会議」報告書)

これからの図書館像-地域を支える情報拠点をめざして-(「これからの図書館の在り方検討協力者会議」報告書)-文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/04/06040513.htm

 取り急ぎメモ.週末にゆっくり読みますm(_)m

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2006/04/05

かくも長き不在

 先日,こんなエントリーを上げ,国会図書館改革の迷走にかこつけて「貸出至上主義」を免罪するかの如き言動について取り上げたが,あのエントリーは目前の敵(^^;)に過剰に反応する余り,肝心なことを書き落としてしまったよ(^^;).

 そもそも,国立中央図書館の思想/構想が不在だというのは,東京上野に建設された帝国図書館(現在の国際子ども図書館)の挫折に象徴される歴史的な経緯があるわけで,国立中央図書館の思想/構想の不在の方が貸出至上主義よりも遥かに長い歴史を持っているのですから(^^;).それを葦岸堂の中のひとのように(故意か無意識かはともかく)隠蔽して一足飛びに「貸出至上主義」批判への非難の材料として国立中央図書館の不在を持ち出すのは,あまりに短絡的なんじゃあないかしらん.

 むしろ「貸出至上主義」は国立中央図書館の不在と都道府県立図書館の存在意義のあいまいさの間隙を縫う形で,それらの不在を補うために形成された主張という面が全く無いとは言えないでしょう.それが貸出至上主義者による,いわゆる「予約」の高評価につながってくるわけですね.まあ,それはそれでよかったんですよ.貸出至上主義は日本経済の高度成長期に寄り添うことにより,公共図書館業界に大きく貢献したわけだし.

 ところが,「貸出至上主義」を牽引したみなさんはそれがあまりに上手くいったものだから,「貸出」を方法ではなく思想と考え,手段ではなく目的と捉え,戦術ではなく戦略だと勘違いした.初めの一歩を到達点だと思い込んだ.芋虫は脱皮して蝶になるわけだけど,言うなれば貸出至上主義というのは蝶になることを目指すのではなく,巨大な芋虫を作ろうとしたんですよ.

 結局,貸出至上主義は「図書館認識の不在に何も訴えることができていない」どころか,国立中央図書館の歴史的な不在を糊塗することさえ出来なかったということです.「世間の認識を誤らせたのだ」どころか,そもそも国立中央図書館の思想/構想など射程にさえ入っていなかったんじゃないんですか,貸出至上主義には.

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2006/03/15

森有礼,銀座煉瓦街に図書館を開く?に至る前史(その3)

 間が随分空いてしまいました.ご容赦くださいm(_)m

 (承前

 森有礼に対するピーター・クーパーの回答では,クーパー学院の「第十年次報告」が引用されている.クーパー学院の基本理念とそれを具体化した方策が語られる中で,図書館はその最後の箇所で触れられている(以下のクーパーの引用は尾形裕康訳による).


「この学校で行われる訓練を受けた後では,各自は目と耳を通して知識を血肉化しうる用意が出来ております.従って,本や新聞,雑誌,講座等を媒介としてより高度に進歩していけるのです.
クーパー・ユニオンの読書室と図書館は,この要求に応ずるように設計されたもので,昨年中に,その前の年より三千六百六十一人の増加である,二十一万九百十五人の閲覧者がその特典を利用しました.そこはすべての人に開放してあり,切符も紹介も必要でなく,室内で整頓と態度にさえ気をつければ,午前八時から午後十時まで誰でも利用出来るものであります.」

この引用の数行後にある,クーパーによる長大なセンテンスの文章からも一部を引く.

「このように自分たちの労働によって生きようとするすべての人を,(中略)思想を刺激し知識の獲得を促進する無料の図書館によって,(中略)ニュー・ヨークの機械工及び産業階層は,財産と幸運な機会に恵まれた富者のみが持ち得る有利さをもっているのです.」
引き写していて,思わず溜め息が出るような文章ではないか(^^;).その後の森による銀座煉瓦街図書館の構想は,このクーパーの回答に多くを負っているのではないかと推定したくなる.

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2006/03/01

社会の「要素」としての公共図書館

 【愚智提衡而立治之至也: 「役に立つ公共図書館」が排除するもの】について,【読書日記のおまけブックマーク/ 2006年02月28日】にてコメントいただきました.

 当たりです(^^;).

 出来れば「必要性」どころか,社会を構成する必要不可欠な「要素」として図書館,就中公共図書館を位置づけるのが理想です.ひとつでも失われると完成しない,ジグゾーパズルの1ピースとして.決して「The One and Only」ではなく,「One of Them」としての概念であり,存在であるものとして.少なくとも公共図書館が存在することが,その地域社会が「普通」であることを意味するものとして.

 そーゆう概念として「図書館」を根付かせたいですね.個々のユーザーは,その果実として図書館の存在を享受出来るようになるのが望ましいと考えてます.

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2006/02/28

「役に立つ公共図書館」が排除するもの

 はじめにお断りしておきます.当blogの【図書館】カテゴリーは,単独のエントリーごとになるべく完結するように書いてはいますし,続き物についてはリンクやトラックバックを利用して出来る限り関連をわかりやすく整理するように努力しています.しかし,以前に書いたエントリーからの積み重ねを前提に端折って書いているところもありますので,【図書館】カテゴリーにあるエントリーを俎上に載せてご議論いただくときは,出来れば俎上に載っているエントリー以前のエントリーも,背景として参照してもらえるとありがたいです.

 で,【愚智提衡而立治之至也: 「役に立つ公共図書館」の呪縛】についてdoraさんが【DORAの図書館日報: キーワードは「発見」】を書いてくださったところに付いたnora-takaさんのコメントなんですが.
 そういう読まれ方をするのは,ちょいと心外だったりします(^^;).

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