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カテゴリー「ポスト貸出至上主義の公共図書館経営論」の記事

2012/05/01

私立図書館の歴史的位置付けについて

ご無沙汰をしております。
2月末から4月末にかけて,10000字の依頼原稿を書いていたため,更新が滞っておりました。原稿執筆にご協力いただいたみなさまには御礼申し上げます。依頼原稿は落とさず無事に提出したわけですが,これが無事に原型のまま掲載されるかどうかはまた別の話かも(^^;)。どうなりますやら。
少し休んだら,次の草稿にとりかかります。

閑話休題。

今年の1月にこんなことを書きましたが,上記の依頼原稿を書いているうちに少々問題意識が変化しまして,現在は「公」と「官」と「私」の関係と「図書館」,なかでも公共図書館と「公」「官」「私」をめぐる意識とか制度とか,について少し考えています。これは,このところ立て続けに建築関係の書籍を読んでいるからでもありますが,「公」と「私」が重層的に融合する「場所」について,であるとか,「公=官」ではないことと公立図書館が公共図書館に優越すると考えることの妥当性についてであるとか,現在と切り結ぶための論点はいくつもあると思うわけです。

今日読んでいる「『場所』の復権」(平良敬一編著/建築資材研究社/2005.12)で,鈴木博之氏が興味深い視点を提供しています。

「恐らく,戦前まではプライベートな世界の中に文化の表現があったと思うのです。今,われわれはパブリックな表現というものを追求すべきなんだろうけれども,パブリックという概念自体を持ち得てない。」(p213)
「今まで個人が支えてきたものが公共に渡されて,それをみんなが共有する。それを「パブリック」と言って良いのかどうかわかりませんが,新しい「共有する空間」が生まれてくる可能性が底にあると思う。」(p221)

これは,なかなか面白い着眼点だと思うのですよ。鈴木氏は,山縣有朋がご贔屓にした小川治兵衛の作庭を取り上げて,前半の引用部分のような結論を引き出しているのですが,これを読んであっと思いましたね。第二次世界大戦以前の,華族や素封家,名望家による私立図書館というものも,また小川治兵衛の庭と同じような存在だったのではないかと。プライベートな空間で育まれた「文化」が,パブリックな空間に押し出されて共有される存在になったのではないかと。ひょっとすると,江戸時代末期に少しずつ出現した「前・図書館(pre-library)」もまた,プライベートからパブリックへ,という構造があったのではないか,と(明治以前に「パブリック=公共」という概念が存在しなかったであろうことは承知の上で,少々話を単純化しておりますが)。

と,考えてくると,石井敦の業績に代表される,現在の図書館史における私立図書館の歴史的な位置付け,即ち「過渡期の図書館」という捉え方は,やはり再検討の必要があるのではないかなあ,と。石井敦以来の位置付けは,石井敦とその追随者たちによる,多分に『創られた伝統』ではないかと考えるのです。それは第二次大戦後のこの国における政治的・社会的ニーズには合致した考え方だったのかもしれませんが,冷戦が崩壊して20年以上経過した現在,そろそろ,もう少し複雑な拡がりを捉え直すべきだと思います。

これからの「公」と「私」を考える上で,第二次大戦前のこの国における私立図書館の有り様は,今一度検討・精査を要すると考えますが,如何でしょうか。

追記:
鈴木博之氏には「庭師小川治兵衛とその時代」1-8(「UP」39巻8号から40巻10号にかけて断続的に連載)という小川治兵衛論があります。ご参考までに。

2012/02/04

「知る自由」は英語で何というのかしら?

「公共図書館における自由と自律」の前説として,「図書館の自由」に関するメモを取り始めている。メモを取って考えてはみるものの,予定されている論文に取り込むほどのものではないので(というか今更,僕が労力を費やすだけの価値があるとも思えないのだけど)「図書館の自由」については当blogでぼちぼち書き綴っていこうと思う。


続きを読む "「知る自由」は英語で何というのかしら?" »

2012/01/04

「自由」と「自律」

というわけで(?)2012年は,2011年にやり残したことに手をつけようと考えているわけですが,個人研究の案件は「ポスト貸出至上主義の公共図書館経営論」というものです。

そろそろ『市民の図書館』に替わる新たな公共図書館経営の指針が必要,と言われ始めて早幾星霜。もはや待ったなしの状況に業界は追い込まれているように見えます。追い込まれてからが強い,などと戯言を言っている場合ではございませぬ(^^;)。火事場の馬鹿力が通用するのはアマチュアのオケや合唱団であって。

その「ポスト貸出至上主義の公共図書館経営論」を論じるにあたって,今年は「公共図書館における『自由』と『自律』」について取り組むことを考えています。「図書館の自由に関する宣言」と名付けられた文書はあれども,これはいわゆる「自由」についての文書ではありません。「図書館の自由に関する宣言」が「自由」について述べているのであれば,業界系某雑誌の編集部がこの宣言をモチーフにした某小説を書いた作家の秩序なき検閲行動をヤニ下がりながら追認するわけがないじゃないですか(^^;)。

いま「秩序」という言葉を持ち出しましたが,「自由」を行使することを考える上で「秩序」を考えることは欠かすことができません。ところが上記の編集部もそうですが,秩序を嫌うくせに「秩序」を好む輩が,この業界には多すぎます(^^;)。その手のファシストが好む「秩序」から最も遠いところにある秩序,ハイエクが述べるところの「自発的秩序」を,果たしてこの業界において誰が,どのように担うことが可能なのか,もしくは不可能なのか,を考えることによって,公共図書館経営論に何がしかの光をあてることができれば,という目論見をいだいております。

そこで,「秩序」にせよ「自発的秩序」にせよ,ハイエクやミルトン・フリードマンをはじめとする新自由主義的な匂いを嗅ぎつけて喚き立てる輩もいるでしょうから,今回は「秩序」ではなく「自律」という言葉を用いて,公平と公正について考えることを織りまぜながら,何かを語ることができれば。


余談ながらハイエクは,ミルトン・フリードマンが『隷属への道』の序文で評価しているような意味でエラいひとであるわけではないと思うのですよねえ(^^;)。

平成23(2011)年東北地方太平洋沖地震

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