自由民権運動の犠牲者
谷中霊園,加波山事件(1884年)に加担したとして逮捕され,刑死した福島県関係者の墓所。
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谷中霊園,加波山事件(1884年)に加担したとして逮捕され,刑死した福島県関係者の墓所。
谷中霊園,廣津和郎(1891-1968)。戦前は如何にも文士らしい放蕩無頼な生活をおくり,戦後は松川事件の被告を支援しその無罪を見届ける。
谷中霊園,大原重徳(1801-1879)。幕末に攘夷派として鳴らした公卿である。
青山霊園,中江兆民(1847-1901),丑吉(1889-1942)親子をはじめとする中江家の墓所。
谷中霊園,日立製作所の創業者である小平浪平(1874-1951)の墓。このひと,合戦場(栃木市の地名)の出身なのね。
谷中霊園,牧野富太郎(1862-1957)の墓。説明不要の大植物学者。牧野における金銭感覚のズボラさ(?)は,野口英世と好一対のような気がする。
谷中霊園,川上冬崖(1828-1881)の墓。信濃国のひと。若い頃,江戸に出て寛永寺に仕え,出入りの絵師(四条円山派)に絵を習う。御家人の株を買って川上姓を名乗る。幕府の蕃書調所に出仕し,長崎海軍伝習所を経て画学局筆頭になり,西洋画を学び教える。御一新ののちは,私塾「聴香読画館」を開き,多くの門弟を育てる。のち陸軍兵学寮,参謀本部に勤務するが明治14年5月3日,突然自殺する。理由はよくわからない。
谷中霊園,朝倉文夫(1883-1964)の墓。兄は万世橋駅前にあった広瀬武夫中佐像を製作した渡辺長男(1874-1952)。中学を落第したのち,兄を頼って上京し彫刻に出会う。写実的な彫刻の第一人者として,戦前戦後を通じて多数の作品を残す。
鳩山一郎(1883-1959)。
浜口雄幸内閣を統帥権干犯問題で犬養毅とともに攻撃し,滝川事件では文部大臣として滝川幸辰を追い落とすなど,軍部に迎合し第二次大戦前の政党政治に幕を引いた政治家のひとりである。
向かって右側は父の鳩山和夫(1856-1911)。
谷中霊園,原田一道(1830-1910)の墓。
岡山藩の支藩のひとつ鴨方藩(池田光政の次男正言にはじまる)の出身。蘭学を学び,江戸では伊東玄朴の下で学ぶ。幕末にオランダ留学を果たし,帰国後は明治政府に出仕し兵学校頭取。明治14年には陸軍少将に昇進する。兵学校の教え子には桂太郎,寺内正毅など。西園寺公望に洋行帰りの新知識を伝授したこともある(西園寺曰く「いわば半分先生さ」)。昨日とりあげた江木千之も明治3年,一道の洋学塾で学んだという。
なお一道の長男は地質学者原田直吉(1861-1894),次男は洋画家原田直次郎(1863-1899),豊吉の長男が西園寺公望の秘書だった原田熊雄(1888-1946)である。
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