米国大使館文化交換局(USIS)と日本の公共図書館
「みすず」に2ヶ月の1回の頻度で連載されている宮田昇氏の「図書館に通う」,2011年9月号(597号)の第8回は「『ドクトル・ジバゴ』とアメリカ文化センター」というタイトルで,前半の3分の1がボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』の日本語訳をめぐる話,残りがGHQが設置したCIE(民間情報教育局)図書館およびその後身のUSIS(文化交換局)のアメリカ文化センターに関する話である。
宮田氏によれば,CIEの功績の中には「図書館制度を近代的にしたこと,アメリカの著作物を普及させたこと」があり,「しかもこの両者は,けっこう密接な関係があった」のだという。CIE図書館については,少し前に業界でも誰かが話題にしていたような記憶があるが,文中で宮田氏は『アメリカン・センター』(渡辺靖著/岩波書店)に依ってその仔細を紹介している(僕は『アメリカン・センター』は未見)。またCIEは「好ましくない著作物やソビエトの本を締め出し」「「民主化に役立つ」アメリカの著作物の出版を促進した」のだとという。
占領期が終わると,23館あったCIE図書館は整理統合され,13館のUSISアメリカ文化センターに衣替えした。アメリカの著作物の出版促進はUSIS書籍課に引き継がれ,「米書だより」( http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=AN00278503 )を通してその活動が行われることになる。USISは「著作権料を負担し,相当数の買い上げを」することで,アメリカの著作物の普及に務めたという。中には買い上げのみのケースや,その他いろいろな援助のやり方があったようである。宮田氏によれば,何でもドラッカーの著作もまた,当初はUSISの線で紹介されたんだとか。
USISの活動は,アイゼンハワーの時代に世界的に展開され始めたUSAの文化戦略の一環であった。宮田氏は「その活動を否定するものではない」としているが,同時にその問題点を幾つか指摘している。例えば「出版のほとんどをUSISの援助に依存している」出版社の存在があったことを宮田氏は指摘している。
USISの活動は1970年代まで続いたという(「米書だより」はNACSIS-CATの書誌データによれば1971年4月の発行日を持つ216号にて終刊)。USISが買い上げた書籍はときに千冊単位だったというが,宮田氏は「全国の地方公共体の首長に漏れなく配られていたとも聞いた」という。
ここからが今回のキモなのだが,宮田氏はこのように述べる。
「私のかすかな疑念は,それらの本が,そのころは予算が限られ,貧弱だった地方の公共図書館の書架に収まっていたのではないか,もしかして直接送られていたのではないか,ということだ。」
「ただ私の懸念が事実であれば,図書館の中立性からいって,問題なしといえたかどうか。」
この件,興味のある方は,是非「みすず」9月号を実見の上,「問題なしといえたかどうか」考えて欲しい。
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