音楽から受け取るもの
先日,受講生相手にしゃべったものの,上手くまとまらなかった話を再構成してみる.
・・・・・・先日来,『東京大学のアルバート・アイラー』(文春文庫)という本を読んでいて,取り上げられている音楽をいくつか聴こうと(クラシックならクラヲタの端くれなのである程度の持ちネタはあるけど,ジャズは全く不案内で音源も持ち合わせが無い)近所のタワレコに出向いたら,たまたまそこでジャズのワゴンセール中.おお,これは僕のために安売りをしているのだな,とそのワゴンの中から僕でも知っているプレイヤーのCDを5枚ばかり引き抜いて購入し,まずはジョン・コルトレーンの「A Love Supreme」というアルバムを聴き始めたわけですよ.前の晩に,「Giant Steps」という曲をYou Tubeで聴いて「ほほう」と思った(3連符だ,5連符だと考えられないような装飾音を付けながら疾走するサックス!)ので,これも似たようなものかと予断を持って聴き始めたらとんでもない(^^;).疾走するどころか,その場所をぐるぐる廻り続けて出口のない音楽が延々と続く,といった趣きで,とても「Giant Steps」のような耳にわかりやすい(楽典的には,コード進行が非常に難しいらしいが)音楽ではなかったのでありました.が,ジャズ初心者の僕の耳でも取り敢えず「やたらと情報が詰まっている」音楽だということは理解できて,演奏時間以上に長い曲だと感じたわけですよ.
これはどういうことなのかな?
取り急ぎ,こういうことは言えるでしょう.僕は曲がりなりにも一応クラヲタなので,取り敢えず「音楽」そのものについてはある程度の基礎知識というものがあり,それが初めて聴く音楽に対しても無意識のうちに作用して,「A Love Supreme」が発信している「情報」を何がしか受け取っているから,よくわからないまでも「情報が詰まっていて長く感じる」ことになったのではないか,と(その無意識を「暗黙知」と呼ぶのかどうかまでは,さすがにわかりかねます).
でね,その音楽が何がしかの「情報」を発信しているかどうか,を感じるには取り敢えず「基礎知識」が必要だ,ということなんだけど,これはみなさんに出した課題でも同じことなんですよね.つまり,目の前にある課題に出て来る名前が誰であるか,を知っていれば(その名前に関する基礎知識があれば),その名前自体が何かをみなさんに伝えてくるわけ.そうであればしめたもの(^^;)で,何処を見れば目指すものが手に入るか,ある程度の目鼻は立つんですよ.問題はまったく未知の名前があるときですが,それについては基礎知識を得るための作業をすればいいだけの話なんですよ.まったく未知の音楽家の演奏でも,こりゃいい曲/演奏だとなれば,その演奏家が誰なのか探しに行くわけじゃないですか.それと同じことですよ.ましてや相手は僕の場合,John Coltraneだ,大物だということはすぐにわかる(^^;).課題だから面倒になるわけで,調べるプロセスに異なる作業があるわけじゃない.調べて基礎知識を得れば,その基礎知識が発信元から何かを受け止めるんですよ.
『家栽の人』に,盆栽が何かを伝えるんじゃない,じいさんが盆栽から何かを読み取るんだ,ということを孫に桑田判事が教える場面がありますが,分類における手順・作業も同じようなものだと思いますよ.
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