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ココログ


ほし2

カテゴリー「音楽」の記事

2014/02/15

「芸術音楽」と「商業音楽」という区別は聴き手にとって既に有効ではないのでは?

ご無沙汰をしております。久しぶりの,今年第1回めの更新は,


あまちゃんとゴジラ、作曲家を取り巻く環境の変化について - 夜の庭から
http://meerkat00.hatenadiary.jp/entry/20140211/1392066126




に対して,

“今や電子楽器や録音技術が一般に普及し、商業音楽と芸術音楽の違いが明確になりました。”このあたりに意識のズレがありそう。むしろ一時期は明確だった違いが現在は溶解してるんじゃないかしら。
http://b.hatena.ne.jp/wackunnpapa/20140211#bookmark-181754326




とはてなブックマークでコメントしたところ,blogの著者のmeerkat00さんから

id:wackunnpapa すみません。よろしければ具体例を教えてもらえますか?現代音楽の作曲家で、商業音楽に関与してなおかつクラ界でも評判の良い方が思い浮かばないです…。
http://b.hatena.ne.jp/meerkat00/20140211#bookmark-181763818


とお返事いただいたことへの,以下僕なりの回答です。
ぐずぐずしているうちにお返事が遅れました。お待たせしてごめんなさい。

実のところ,「現代音楽」を「ポスト・ウェーベルンの流れを組む音楽」ということで捉えると,これはなかなか難しい問いなのかなあ,と。ミニマル・ミュージック系のマイケル・ナイマンやフィリップ・グラスはシリアスでも映画音楽でも一定の評価を得ていると思いますが。このふたりは,シリアスな音楽でも映画音楽でも同じような芸風で曲を書いていますね。

「現代音楽」を1960年代以降のシリアスな音楽,ということで捉えると,他の方も述べているように武満徹の名前が浮上します。個人的には黛敏郎,松村禎三,林光なども挙げてよろしいかと。童謡も商業音楽に加えるなら,團伊玖磨も挙がりますでしょうか。


もっとも,僕が“一時期は明確だった違い”と考えたのは,個々の作曲家の誰それが「芸術音楽」「商業音楽」の双方で評価を得ている,という話ではなく。僕や他の方が挙げた作曲家が「現代音楽」じゃない,と言われたらそれまでになってしまいますが,「毀誉は他人の主張」だと思うので。

過去には,映画音楽に後期ロマン派の管弦楽法を持ち込んで現在も続く,分厚くて壮大で情緒纏綿たるハリウッドの映画音楽の一典型を作ったエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトが,第二次世界大戦後は「映画音楽に手を染めた」ことでヨーロッパの楽壇から忌避されたこと(ウェーベルンが教祖に祭り上げられた「前衛の時代」にコルンゴルトの芸風は時代遅れに思われたのでしょうし)や,ポスト・ウェーベルンとは無関係な芸風の伊福部昭が「特撮映画の映画音楽家」として「前衛の時代」には長らく不遇であったこと(伊福部昭のシリアス音楽が復権するのは平成に入ってからのことですから)がありました。

それがいまは,個々の作曲家の評価もさることながら,「前衛音楽」の退潮が聴く側における「芸術音楽」と「商業音楽」,もしくは「シリアスな音楽」と「娯楽音楽」を隔てる垣根を低くしたのではないでしょうか。クシシトフ・ペンデレツキの作風が前衛から新ロマン派に変貌したことや,ヘンリク・グレツキの交響曲第3番が(FM番組のテーマ音楽にされて)イギリスのポップチャートでヒットしたことなども,「前衛音楽」だけが現代の音楽ではなくなったことの現れのように思えます。

レコード録音では,数年前に世に出た,デイヴィッド・ジンマンとチューリヒ・トーンハレによるベートーヴェンの交響曲全集が奏でる音色が,マントヴァーニ・オーケストラの如きイージーリスニングのようで,個人的には気持ち悪かったのですが,これなども垣根が低くなったことの現れだったように思えます。そういえばグレツキの交響曲を録音してヒットさせたのも,ジンマンでした。

知人が


“世の中には芸術にも商業にも該当しないものがたくさんあって,狭い領域だけで考えてもダメ”



と曰ってましたが,例えば吹奏楽のコンサートにのぼせられるおびただしい数のオリジナルとアレンジ作品群は,「芸術音楽」と「商業音楽」というくくりでは捉えきれないものがあるような気がします。以前聴かされたある作曲家のアニメのサントラが,まるで全日本吹奏楽コンクールの課題曲のような響きだったことに僕は爆笑したのですが,そのようなクロスオーバーが聴き手の側に刷り込まれた挙句に,伝・佐村河内守の音楽が受け入れられる素地ができていたような気もするのですね。もちろん,彼にまとわりついていた「感動の物語」がプロパガンダには大きな力を与えていたでしょう。

僕自身が居間ではシリアス音楽を,カラオケでは1980-90年代の歌謡曲,ニューミュージック,J-POP(娯楽音楽,ですかね)を歌うようなタイプですが,「芸術音楽」と「商業音楽」の垣根は,業界の中の人が身過ぎ世過ぎも含めて考えているほどには,聴いてる側には意識されていないんじゃないかなあ,と。携わっている方々には,これは心外なことなのかもしれませんが……。

こんなことをグルグル考えていたら,なかなかまとまらずに時間がかかってしまいました。お答えになっているかどうか心もとないですが,今日のところはこれにて。

2009/04/29

音楽から受け取るもの


 先日,受講生相手にしゃべったものの,上手くまとまらなかった話を再構成してみる.

 ・・・・・・先日来,『東京大学のアルバート・アイラー』(文春文庫)という本を読んでいて,取り上げられている音楽をいくつか聴こうと(クラシックならクラヲタの端くれなのである程度の持ちネタはあるけど,ジャズは全く不案内で音源も持ち合わせが無い)近所のタワレコに出向いたら,たまたまそこでジャズのワゴンセール中.おお,これは僕のために安売りをしているのだな,とそのワゴンの中から僕でも知っているプレイヤーのCDを5枚ばかり引き抜いて購入し,まずはジョン・コルトレーンの「A Love Supreme」というアルバムを聴き始めたわけですよ.前の晩に,「Giant Steps」という曲をYou Tubeで聴いて「ほほう」と思った(3連符だ,5連符だと考えられないような装飾音を付けながら疾走するサックス!)ので,これも似たようなものかと予断を持って聴き始めたらとんでもない(^^;).疾走するどころか,その場所をぐるぐる廻り続けて出口のない音楽が延々と続く,といった趣きで,とても「Giant Steps」のような耳にわかりやすい(楽典的には,コード進行が非常に難しいらしいが)音楽ではなかったのでありました.が,ジャズ初心者の僕の耳でも取り敢えず「やたらと情報が詰まっている」音楽だということは理解できて,演奏時間以上に長い曲だと感じたわけですよ.
 
 これはどういうことなのかな?

 取り急ぎ,こういうことは言えるでしょう.僕は曲がりなりにも一応クラヲタなので,取り敢えず「音楽」そのものについてはある程度の基礎知識というものがあり,それが初めて聴く音楽に対しても無意識のうちに作用して,「A Love Supreme」が発信している「情報」を何がしか受け取っているから,よくわからないまでも「情報が詰まっていて長く感じる」ことになったのではないか,と(その無意識を「暗黙知」と呼ぶのかどうかまでは,さすがにわかりかねます).

 でね,その音楽が何がしかの「情報」を発信しているかどうか,を感じるには取り敢えず「基礎知識」が必要だ,ということなんだけど,これはみなさんに出した課題でも同じことなんですよね.つまり,目の前にある課題に出て来る名前が誰であるか,を知っていれば(その名前に関する基礎知識があれば),その名前自体が何かをみなさんに伝えてくるわけ.そうであればしめたもの(^^;)で,何処を見れば目指すものが手に入るか,ある程度の目鼻は立つんですよ.問題はまったく未知の名前があるときですが,それについては基礎知識を得るための作業をすればいいだけの話なんですよ.まったく未知の音楽家の演奏でも,こりゃいい曲/演奏だとなれば,その演奏家が誰なのか探しに行くわけじゃないですか.それと同じことですよ.ましてや相手は僕の場合,John Coltraneだ,大物だということはすぐにわかる(^^;).課題だから面倒になるわけで,調べるプロセスに異なる作業があるわけじゃない.調べて基礎知識を得れば,その基礎知識が発信元から何かを受け止めるんですよ.

 『家栽の人』に,盆栽が何かを伝えるんじゃない,じいさんが盆栽から何かを読み取るんだ,ということを孫に桑田判事が教える場面がありますが,分類における手順・作業も同じようなものだと思いますよ.


2006/11/22

クラヲタに100の質問(その3)

今日は「コンサート編」.

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2006/11/19

クラヲタに100の質問(その2)

 承前.今日は「CD編」.

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2006/11/12

クラヲタに100の質問(その1)

 しばらく振りにバトン「100の質問」やります.気分転換ですね(^^;).

 【●○◎クラヲタに100の質問●○◎】まずは〈プロフィール編〉〈曲目編〉.

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2006/11/05

モーツァルトが特別な訳じゃない

 毎日新聞【クラシックブームを考える=梅津時比古(学芸部)-記者の目

 梅津さんは現在,毎日新聞きってのクラシック通として知られる記者.なるほど,W.A.モーツァルトの作品は狭い音域を忙しなく動き回る音形がよく聴かれるので,初めてその音楽を聴いたひとが,どれを聴いても「同じ」ように聴こえるのは止むを得ないかと(^^;).斯く言う僕も,時々クラリネット五重奏曲イ長調K.581とクラリネット協奏曲イ長調K.622の冒頭の区別が付かなくなるときがあります.

 ただですね,


モーツァルト生誕250年を機に、気軽にクラシックを聴けるCDがヒットしたのは歓迎だが、どれも同じように感じられるとしたら、ちょっと待てよと言いたくなる。
というのは,何もモーツァルトに限った話ではないのでは,と思うのですよ.僕の長女はメトロノームのファンですが,僕にはメトロノームと他のヴィジュアル系バンドの楽曲の区別は,恐らく付きません(^^;).ジャニーズ事務所に所属するタレントの楽曲も,どれが誰の曲なのか,区別が付いてない(ひょっとするとSMAPとそれ以外,程度ならわかるかもしれませんが)と思うし.正直,僕には大塚愛玉置成実の曲の区別が付くかどうかも怪しいです.
 そう言えばその昔,昭和59年ごろには松本伊代早見優の区別が付かないおぢさんが沢山いる,とあるマンガ雑誌のゴシップ欄にありましたっけ.

 話がアヤシゲな方に脱線しそうなので元に戻しますと,中学から高校にかけて「クラシックは何を聞いても同じに聞こえる」ってのはアイドル歌謡に熱中していた同年代の,聴く音楽の中心をクラシックに据えていた僕に対する常套句でした(^^;).僕らのアマデウスだけが特別な訳じゃないんですよ.ましてや,いま流行らしい“さわり”だけを集めたCDでモーツァルトがわかったような気になっている方々には,モーツァルトとシェーンベルクの違いがわかるかどうかだって怪しいかもしれませんよ.

 あまり湯気を立てて怒るような話じゃないように思えますが如何?

2006/07/15

近衛秀麿

近衛秀麿
近衛秀麿
posted with 簡単リンクくん at 2006. 7.15
大野 芳著
講談社 (2006.5)
通常2-3日以内に発送します。

 今日のBGMでも取り上げた(と言うより,これを読んだから録音を聴きたくなった),世界的な名声を博した名指揮者にして日本のオーケストラ草創期の立役者であった子爵・近衛秀麿(1898-1973)の,恐らく初めての一般向けの評伝である.親族・関係者へのインタビューや初出資料を駆使し,一世の快男児・近衛秀麿の肖像を余すところ無く描き切った,とは残念ながら言えないものの,一世の快男児たる所以の輪郭はある程度掴める労作だろう.
 税込み1995円という安価も魅力だが,多少価格が上がってもいいから近衛の「演奏会記録」と「ディスコグラフィ」が巻末にでも付いてればなおよかったのだが,それが付いて無いことが惜しまれる.

 時代を追って書かれているので,見通しのいいことが何よりである.著者が入れ込んでいるためか,強烈な個性派であった近衛のひととなりに対しては,かなり肯定的に書き込まれているようだ.山田耕筰,有馬大五郎,斎藤秀雄という,同じく強烈な個性を持った戦前戦後の日本楽壇の大立者とことごとく衝突したことも,この本を読んでいる限りでは近衛の側に非が無いかのように読める(なお,斎藤秀雄とは人間関係よりも「指揮」にまつわる音楽観の違いが問題だったのだろうか.斎藤は1973年11月18日に催された近衛の追悼演奏会で1曲だけだが新日フィルを振っている.斎藤の死はそれから1年もたたない1974年9月18日のことである).

 その艶福家ぶりをも正面から書いたことも含めて,大変な労作であることは間違いない本書だが,読み続けていてちょっと落ち着かなかったところもある.どうやら本書の著者が,クラシック音楽自体までには知識が行き届いていないところがあるためかもしれない.例えばマーラーの交響曲普及に関する箇所(15頁)など,音楽には素人の僕でも「?」と思える記述がある.
 細かいことだが,秀麿の兄,近衛文麿の次男の名前が一貫して「道隆」になっているけど,彼の名は「通隆」じゃなかったかしら?

2006/01/20

旧・図書館情報大学吹奏楽研究会閉会のご連絡

 筑波大学図書館情報専門学群(旧・図書館情報大学)の吹奏楽研究会が,このたび閉会することになりました.

図書館情報大学(現:筑波大学図書館情報専門学群) 吹奏楽研究会閉会について
図書館情報大学(現:筑波大学図書館情報専門学群) 吹奏楽研究会 楽器について

創立に多少関係したものとしては少々残念ですが,これも時の流れ,致し方ありません.この2月末か3月に最後の行事が予定されているそうなので,日程が合致すれば顔を出したいですね.ただ,その頃は蔵書点検があるので果たして行けるかどうか(-_-;).

2006/01/16

ラフマニノフ/交響曲第2番

ラフマニノフ/交響曲第2番ホ短調作品27@パウル・クレツキ/スイス・ロマンド管絃楽団(デッカ:470 6752)

 オーストラリア・デッカのエロクエンス・シリーズにあったものでアシュケナージの振る「死の島」とのカップリング.1967年の録音ですが,これは掘り出し物でしたよ(^^;).クレツキ(1900-1973)は先日購入したマーラー/4番&「大地の歌」がいまひとつピンと来なかったので,これも買うのを躊躇したのですが,「FIRST RELEASE ON CD」などと書いてあったので(割とこーゆう表記に弱い)ついつい購入.
 もう少し茫洋とした演奏を考えていたのですが,こんなにドラマティックに大きくうねり荒れ狂うラフマニノフの交響曲第2番は初めてですよ.いや,これは当たりでした.

2006/01/15

シューベルト/交響曲D.944

シューベルト/交響曲ハ長調D.944@サイモン・ラトル/ベルリン・フィル(EMI:TOCE-55790)

 ダメ.
 ラトルの古典は数年前に出たベートーヴェンの「第9」で大いに失望したはずのに,シューベルトのD.944に目が無いものだから,フッと出来心で購入してしまったが(-_-;).古楽系のアプローチを取り入れて新機軸を出しているのだろうが,モダン・オケから豊穣な響きを奪ってまで伝えたいモノがこのCDからは,僕には全く聴こえてこない.すれっからしのためのD.944かもしれないけど,この曲に関する限り僕はすれっからしにはなりたくないので,この演奏は却下.
 ところで,ライナーノートに掲載されているラトルのインタビューに「例えば,相撲取りを考えてみてください」というフレーズがあるのだが,これラトルがホントに「sumo wrestler」とか言っているんだろうか(^^;).

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