「知る自由」は英語で何というのかしら?
「公共図書館における自由と自律」の前説として,「図書館の自由」に関するメモを取り始めている。メモを取って考えてはみるものの,予定されている論文に取り込むほどのものではないので(というか今更,僕が労力を費やすだけの価値があるとも思えないのだけど)「図書館の自由」については当blogでぼちぼち書き綴っていこうと思う。
図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。
という文言が掲げられている。ここでは「知る権利」ではなく「知る自由」が「基本的人権のひとつ」として挙げられている。この「知る自由」は,とある図書館業界人によれば「知る権利」よりも優越している概念なのだそうである。ところが如何なる理由か,図書館業界内で称揚されている「知る自由」は,取り敢えず僕がわかる範囲で他の分野をあたってみても,ほとんどその使われている例を探し出せない。例えばCiNii Articlesで「知る権利」「知る自由」それぞれについて検索をかけてみたところ,「知る権利」が590件あったのに対し,「知る自由」は26件にとどまる。しかも「知る自由」の検索結果26件のうち,19件までが図書館関係なのだった(^^;)。ほかは2件が報道関係,明らかなバグが3件。CiNii Articlesがすべての論文をを網羅しているとは言えないまでも,「知る自由」が意外に図書館業界用語(^^;)であるらしいことの片鱗は伺えるだろう。
それではと,「知る権利」が“Right to Know”の翻訳であるのと同じように,「知る自由」もまた西洋の政治学や社会学からとられたものなのだろう,と「知る自由」に該当する英語を探して見ることにしたら,これが意外に難渋することに(^^;)。近接する概念では“Intellectual Freedom”が「知的自由」,“Freedom of Thought”は「思想の自由」なのだが,どうしたことか「知る自由」に該当する英語は見つからない。このことについて,ツイッターで話題を投げかけてみたところ,「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」の英訳があることと,英語版Wikipediaの“Anti-copyright”(反-著作権)の項に“Freedom of knowledge”という見出しがあることをご教示いただいた。
“Anti-copyright”の“Freedom of knowledge”というのは,著作権は権利を主張することによって自由な知識の流通を阻害している,だから「反-著作権」を広めることにより,知識の自由な流通を促進しようじゃないか,ということらしい(理解が間違っていたら訂正のツッコミを乞う)。
「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」の英訳は『「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」解説』に掲載されている,というので,早速にも目の前にある同書を取り上げる。ワクワクしながらページを繙いてみたら,何と前文における「知る自由」は“Right to Know”と翻訳されている(p107)ではないですか! おいっ! それは「知る権利」だろうが!! あれだけ業界人が仰々しくも「知る自由」は「知る権利」に優越する,と議論しておきながら,業界のナショナルセンターが業界人の希望を裏切ってもいいのかー(^^;)。「オンドゥルルラギッタンディスカー」という声が耳元をかすめていったのでありました・・・・・・。
「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」の英訳については,かねてより「図書館の自由」について論考を重ねている中村克明という方が,すでに2006年の時点で疑問視している。早速読んでみたのだけど,中村氏の他の論考がそうであるように,この英訳の疑問視も「図書館」の範疇を超えるものではなく,しかも「知る自由」が「知る権利」に優越していると(すべてのではないにせよ)図書館業界人が考えていることへの認識が欠落している。少なくとも図書館業界人の中には,「知る自由」と「知る権利」が別種の概念であると考えている者がいる形跡がある以上,それを前提に「知る自由」を考えなければならないのではないか。中村氏が言うように「知る自由」と「知る権利」が同一のものであるならば,何も普遍性に欠ける「知る自由」を,「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」に恭しく掲載する必要はないのである。
・・・・・・図書館業界筋から「知る自由」に該当する英語を探しだすのは諦めて,CiNii Articlesで引いた「知る自由」の検索結果にあった図書館関係以外の論考で気になったものを取り寄せてみた。1972年の「新聞研究」に掲載されたものだが,タイトルにも「知る自由」とあり,しかも「海外情報」だというので期待していたところ,届いた論考には残念ながら「知る自由」に該当する英語そのものは載っておらず。しかし,ジョン・ホエールという著者の『ジャーナリズムと政府』なる本で「知る自由」が取り上げられている由。これはもう,乗りかかった船なのでトコトンまで探してみようと,『ジャーナリズムと政府』なる書物を探してみたところ,John Whaleの“Journalism and Government”という本であることはわかったが,日本語訳もなければGoogleBooksにも載っていない。仕方がないので現物を某大学図書館からお取り寄せである(^^;)。
で,このたび手元に届いた“Journalism and Government”によれば,「新聞研究」の論考の筆者が「知る自由」と翻訳していたのは“The Liberty to Know”なのでありました←イマココ。
本当は“The Liberty to Know”=「知る自由」が日本の政治学や社会学の分野でどの程度認知され,概念として用いられているのかを,図書館業界が検証すべきなんだろうが,期待は全くできない。僕の見聞する範囲では,どうやら“Right to Know”=「知る権利」ほどの知名度はないと見るが,如何だろうか。
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