「本を選ぶ」「本を贈る」「本を待つ」ということ
本を送りません宣言 - saveMLAK
http://savemlak.jp/wiki/SendNoBooks
僕個人は,被災地に住んでいることもあるので,この宣言に対して賛同者に名を連ねることは遠慮しておきますが,これまでの経験と知識から,この宣言が言わんとしていることは充分に理解できます。
そもそも「本を選ぶ」「本を贈る」という行為は,少なくとも僕にとっては,実に「個人的な」行為なので,少なくとも特定の「誰か」ではない相手に対して(新古の別なく)本を選ぼうか,本を贈ろうか,という気持ちには,なかなかならないわけですよ。喜んでもらえる「本を待つ」誰かの顔が浮かばないと,本を選ぶこと自体が難しいから。
だから,先日ある機会に景品として僕が本を選んだら,上手くいかなかったわけですね。誰に当たるかわからなかったから,結果的に誰にもウケなかった,という。
古本を集めだすとコントロールが難しくなるのは,貸出至上主義者が非難して倦むところがない「全国ありがとう文庫」や「矢祭もったいない図書館」の事例を振り返れば明らかなんです(^^;)。とにかく,ちょっとしたきっかけで爆発的に集まるんですよ,あれは何故か。
で,貸出至上主義者たちが前例を非難してやまないものですから,図書館における「古本の収集と整理」事例の蓄積は,日本図書館協会にはもちろんのこと,日本図書館研究会にも図書館問題研究会にもない,というのが実情です。だから日図協は「古本を集めて被災地を支援する」ことは考えてもいないでしょうし,実行するだけのゆとりを持っていないでしょうが,それが結果として「怪我の功名」になってるのは皮肉なことです。
このように,何でもかんでも業界側の事象にひきつけて考えるのも如何なものかとは自分でも思いますよ。しかし,この宣言をめぐるあれこれを眺めていると,やっぱり公共図書館において「貸出至上主義」の罪は重いなあ,と思ってしまうのですよねえ(^^;)。
つまり「本を選ぶ」という行為は,相当にパーソナルな部分に軸足を置いているはずの行為なのですが,さすがに図書館という公共機関では,パーソナルな「思い」を行為に載せることは難しいときもあります。そのため,「本を選ぶ」ことからパーソナルな(あるいはインフォーマルな)部分を捨象するために,その代替として現在で言うところの「市場原理」(と彼らは表現していませんが,事実上新自由主義者が言うところの「市場原理」と変わるところはないでしょう)を持ち込んだのが貸出至上主義,具体的に言えば日本図書館研究会読書調査研究グループによる主張だったわけです。「市場原理」を導入することで,パーソナルからマスへ,本を選択する際の選択基準の質的な転換を図った,と考えられます。
この「マスへの転換」が今や,あらゆる場面で齟齬をきたし始めているわけですが,恐らく1990年代に一旦できあがってしまった「マスを対象にする」という(新しい)公共図書館のイメージは,そう簡単に払拭できるものでもなく,例えばある新刊本に対して予約が100人待ち,みたいな現象が肯定的な文脈でも否定的な文脈でも,公共図書館の日常的な風景として語られることになります。
僕の妄想だと片付けていただいて結構ですが,あるきっかけで殺到する古本,というのは,この「予約100人待ち」が語られる公共図書館のイメージの裏返しのような気がするのですね。古本にせよ予約にせよ,そこには「本を選ぶ」「本を待つ」ひとの,顔の見えるパーソナルなイメージは,どこにもないのです。
ですから「本を贈る」ことを希望する方には,いましばらくお待ちいただきたい。あなたが「本を選ぶ」「本を贈る」その先に,「本を待つ」誰かの顔が,あなたにはっきりとわかるようになるまで,待って欲しいのです。
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