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「貸出至上主義者」度チェックβ版

民間図書館らしい企画を生み続けた船橋北口図書館を助けて下さい!(岡直樹) - READYFOR?

ココログ


ほし2

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2011年7月24日 - 2011年7月30日の記事

2011/07/29

翌日のこと(1)

承前

3月12日(土)です。

あの本震のあと,断続的に余震が続く中,まあまあ寝ることができたようで,6時20分頃起床する。朝一番でツイッターをケータイから更新し,朝食。昨日見つけたバウムクーヘンを8分の1ほどとヨーグルト。昨晩からつけっぱなしのラジオにテレビもつけて,両方をしばし追いかけながら情報を収集する。奇跡的に朝刊も届いていて,次から次に岩手県,宮城県の悲劇的な罹災状況が入ってきます。取り敢えず,自分のベースを復旧しないと他人を助けることもできないし,何より居間を片付けてパソコンに触れるようにしなければ,というわけで,8時過ぎから片付けを始めます。

この時点で長女は避難先の大学から帰宅したものの,自宅アパートは停電中で,手回し充電器を借りてケータイの充電をしていたという話。

部屋の出入口まで本が雪崩をうっていたので,まずは手前から本を寝室へ移して作業スペースを確保するところから。最初の橋頭堡(^^;)が確保されたのが9時半過ぎですから,ここまで1時間ほどかかってます。


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これがその橋頭堡。この橋頭堡から手を伸ばして手前で傾いていた本棚を元の位置に戻すとともに,本棚の下敷きになっていたパソコン本体を復旧します,それからコードレスキーボードを取り出して,パソコンを立ち上げて動作を確認します。どうやらパソコンは無事に動くようです。


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この写真,左側の隅にこのとき起動できたパソコンのディスプレイが写っているんですが,わかりにくいですね(^^;)。何分にもこれしか残ってないもので(もっともディスプレイがすべて写ってる写真だと,何を壁紙に使っていたのかバレてしまうのも恥ずかしい)。


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パソコンだけが復旧したパソコン周り。本体は家具調こたつの上に置いてあるのですが,こたつは埋もれてなにがなんだかわからない有様。
さてパソコンでwebを見るか,と思ったら,今度はマウスが何処に行ったかわからないという。いまのパソコンは,マウスがないと動かすのに手間がかかるんですよね,というわけで,ひと息入れて片付け再開。


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真ん中奥に転がっているケースはカセットテープが入っているもの。これが本棚の上から落ちて窓ガラスがよく割れなかったものです。CDケースはガラスの扉がほぼ全滅です。だから,本を取り上げるとガラスの破片がボロボロこぼれてくることもあって,少しスペースができると掃除機をかけ,また前進して本を片付ける,という感じで作業を進めます。

幸い停電はしなかったので,ひと息ついたときにケータイを充電しながらツイッターを眺めていると,やたらと「アレが悪い」「コレがいけない」評論が目について「ふざけるなおい」。そんなことよりも罹災者の無事を確認するのが先だろう,と思うのですが,非常時に鼎の軽重を計ることのできないひとというのは必ずいるわけで。そんなひとたちは相手にしなければいいのですが,その手の方々に限って声が大きいし,罹災してないようだから暇だし。疲れがいや増します。

ふと気がついてオーディオの電源を入れたら,これも生きていたので景気づけにBGMをかけます。ツイッターでのつぶやきによればブラームスをまずはかけたことになっているようですが,さて誰の録音をかけたのかまでは,もう覚えてないですね。カイルベルトだったか,クレンペラーだったか,ヴァントだったか。プリンタのコードが切断されていたのには驚きました。雪崩た本のためプリンタ本体がかなり移動してしまったことが原因だったようですが,万が一の事を考えると・・・・・・。

作業中,ラジオから午前10時の時報が聴こえただけでうれしかったですよ。というのも,11日から12日の朝にかけては非常時体制で,時報さえも聴くことがなく,この10時の時報が久しぶりの「日常」だったわけです。

マウスが発掘されたのが10時40分過ぎ。そこでようやくブラウザ起動して,パソコンからツイッターにつなぎ,改めて無事を送信します。その後も片付けをしながら,自治体のサイトがほとんど更新されていないことや,日本図書館協会が震災時にはやっぱり役立たずであることを,断腸の思いで確認します。災害時には,websiteは機動性に欠け,ツイッター程度にお手軽に起動できるサービスのほうが即時対応可能ということになりますか。

このblogも取り敢えず更新し,自らが無事であることを発信します。

そろそろお昼です。この日は何を食べたか記録もなく,記憶が曖昧ですが,おそらくヨーグルトだったのでは。

続く

2011/07/28

その日のこと(5)

承前

そんなわけで自宅に帰ります。築40年を超えるボロアパートは,崩壊もせずに建っております。いや,もうそれだけで充分な感じ。入居したときに聞いたのは,大家さんの先代が趣味でかなり贅沢に,あちこち凝った作りのアパートを建てたんだ,という話で,そのせいかちょっとやそっとの地震ではびくともしなかったのが,今回も役に立ったようです。

しかし,玄関の鍵を開けて中に入り居間を見たときは,さすがに力が抜けました。

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・・・・・・もしも本震が襲ったその時,ここにいたらひょっとすると生命がなかったかもしれません。たまたまパソコンの電源を切らずに出かけたので,ディスプレイが光っているのは確認できた(一度は電源が落ちたようでパスワード入力画面になっていた)のですが,とにもかくにも本とCDとその他もろもろが折り重なって崩れ落ちており,ディスプレイとキーボードのある机まで辿りつけない。これは困ったぞ,と。取り急ぎ,ケータイからツイッターにつないで,自らの無事を発信します。

当日ツイッター,メールなどでご心配していただいた皆様には,ただただ感謝してます。本当にありがとうございます。皆様のお声がなかったら,現在このような形で自らの経験を報告できるところまで持ちこたえられたかどうか,わかりません・・・・・・。この場を借りて,改めて篤く御礼申し上げます。

それから,ケータイで連絡先のわかる教え子や友人たちに取り敢えず無事を送信。中に,13日に仙台で一献傾ける約束をしていた教え子がいて,なかなか連絡が取れず。ちと心配。

さて,電気ガス水道を確認したところ,電気とガスは供給されていましたので,さっそくラジオをNHK第一に合わせ,テレビをNHK総合に合わせてスイッチオン。水道は水圧が弱くこれは時間の問題かもしれない,と考え,まずは食料と飲料を確保せねば,と再度クルマを走らせたときは既に午後7時を回っていて,市内のスーパーは軒並み罹災して閉店,コンビニも行きつけの店は罹災して閉店,罹災からかろうじて立て直した店も灯りは灯っているものの商品はほぼ空っぽ,という状況になっていました。これがこの日,僕の最大の失敗だったかもしれません。定期通院の日は朝食を摂らず,夕方に買い物に行くのが通例で,冷蔵庫の中も空っぽになっていたのです。

コンビニを2軒廻って手に入ったのは500ミリのペットボトル2本とヨーグルト3個。仕方がないな,と帰宅してDKのテーブルの上を見たら,そこに手付かずの無印良品のバウムクーヘンが! このころ新発売されたバームクーヘンをひとつ買い込んであったのですね。実はこのひと,無類のバウムクーヘン好きで,あの形をしていれば高かろうが安かろうがほとんどのものは満足して食べてしまうという(^^;)。無印良品のバウムクーヘンは,以前は大きな円形のものがあったのですが久しく廃番で,長いタイプのものしか無く敬遠していたところに,しばらくぶりで大型の円形のタイプが出たので喜んで買っておいたのでした。これを細かく切って食べれば,当座2日くらいはもちそうだな,と気を取り直しました。

この時点で長女は大学に避難(もともとこの日は大学でアルバイトの最中に罹災し,大学の体育館に避難した)ことは連絡がついたので,あとは実家(栃木県)に連絡を,と家電もケータイも総動員で連絡をつけようと試みたのですが,一向につながらず。年寄りはメールとか171(災害伝言ダイヤル)とか使えないので,これは諦め,残り湯を沸かして風呂に入ります。1日1回は髪を洗わないと翌日が汗だくで気持ち悪くなる体質なので,風呂は必須なのですが,どうも水の出が悪く,これは大変なことになるかも,との予想は翌日的中します。

同じ頃,都内在住の賢弟は帰宅難民となり,都心の勤務先から自宅マンションまで,全線運休となった鉄道を尻目に決死の(?)夜間行軍を決行し,4時間かけて自宅にたどり着いた由。兄弟揃って歩くのは苦にならないとは言え,何とも凄まじいことです。

そうとも知らずに呑気な兄は,寝室がほとんど無傷だったのをもっけの幸いとばかり,テレビは消してラジオをつけたまま午後10時には布団で就寝します。報道は刻々と岩手,宮城の凄絶な状況を伝えています。こちらも明日からどんなことに遭遇するかわからないので,休息が取れる時には休息するぞ,と。この日は15分から20分おきに,断続的に余震が続いていましたが,大きな余震なら目が覚めるでしょうね(この考えが甘かったことは,のち4月9日深夜の大規模な余震の際,目が覚めても身動きが取れなかったことで実証されてしまうのですが)。

次は翌日の話。

2011/07/27

その日のこと(4)

承前

勤務先には僕以外に3人の職員(総勢4名)がいます。この日は僕と職員Aが不在で,職員Bと職員Cが留守をあずかっています。駅前の駐車場からクルマを出す前に職員Cのケータイにメールを送ってみたところ,たどり着く前に「館内はめちゃめちゃ,みんな避難します」という内容の返事が来たので,いやこれはどうしたものかと足早に構内を抜けたところ,正門で職員Bと職員Cと学生数名が集まっているところに出くわします。無事でよかったよかった・・・・・・。

挨拶もそこそこに誰かの「こちらに集まってください」という声を聞いて,構内でもっとも新しい建物の1階に集まります。もっとも頑丈,という触れ込みでしたが,確かにびくともしていないようです(壁に若干の亀裂は入ったものの,本当に頑丈でした)。教職員と学生と何人くらいいたでしょうね。大学は既に春休みでしたが,学生宿舎からも学生が避難してきていたので,結構な数の学生がいたと思います。

「今日は休暇をとってましたが,地震を受けて取る物も取り敢えずこちらに戻ってきました。街の中は停電やガス漏れが起きてましたよ」
「街から来たのなら,◯◯◯が街の情報を知りたいようだから説明してやって」
あ,いたいた。
「◯◯◯先生,無事で何よりです」
「おー,G.C.W.くんかあ。今日はお前が四股踏んだんだろう」
(・・・・・・おいをい。)

「男性の職員は集まってください。震災の被害を確認するのに数名ずつに別れて各方面に行っていただけますか」
「G.C.W.さんのグループは図書館へお願いします」
ここでこの日,初めて図書館棟に入ることになります。

あまりのことに唖然とするしかない光景が,眼の前に広がってます。

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これは図書館棟の基礎にみとめられた液状化現象。ここは明治頃まで沼地だったらしく,地盤が柔らかめだったらしい。


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建物と踊り場をつなぐ部分が崩落したところ。


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3階の閲覧室で書架が倒壊し,排架されていた楽譜が散乱しました。ここに写っている机に資料を広げていた学生は,地震発生の前に図書館を離れていたため難を逃れました。


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2階閲覧室。木製の雑誌架は最初の地震ではなく,みんなが避難したあとに発生した余震で倒壊したものとの由。奥に見える参考図書架は,7割ほどの本が落下してます。


一回りして避難所の建物に戻り,そこで「復旧は来週から」という指示を受け,いったんは図書館棟へ引き上げます。揺れが来たとき,館内で国家試験の勉強をしていた学生も避難所から教員の誘導で戻ってきて,荷物を片付けて帰路につきます。館内には書架や本が散乱し,事務室も足の踏み場がない状況で,まずはみんな立ち話です。ここでいろいろここまでの話を職員B,職員Cから聴きます。たまたま消防設備の点検が来ていたこと,ブックトラックが踊ったこと,キャレルディスクが将棋倒しになったこと,正面入口を倒れた書架と本が塞いでしまったこと,消防設備の点検に来ていた方々にお願いして取り急ぎ通路を確保したこと,学生がひとり行方がわからなくなったこと(実は昼過ぎに荷物をおいて誰か教員のところに遊びに行っていたらしく,避難所で確保したが,ひと悶着あったらしい)などなど。幸い,窓ガラスなどは割れておらず,端末も僕が使っていたものが机上から落下した以外はみんな無事。「危険なので構内の電源を落とすから,サーバ等電源を切ってください」という連絡が来ましたが,肝心のサーバまで辿りつけないんでないの?


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遠くに見えるのが無停電電源装置。

「ごめんなさいごめんなさい踏むよ」
落下して折り重なっている本を踏み分けてサーバにたどり着き,何とか電源を切ることに成功します。では取り敢えず定時になったので退勤! 明日明後日は休日,自分もまずは寝る所が確保できるかどうか。

帰り際に一時避難した建物の前を通ったら,すでに近隣の住民が何人も避難してきています。どうやら住居が損壊したようです・・・・・・。

続く。

2011/07/26

その日のこと(3)

承前

さて,百貨店から駐車場まで約1キロほどの道のりをてくてく歩いて行きます。途中,駅前通りを横断するのですが交差点に景観が出て交通整理をしています。

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「信号機が故障!」ここで初めて,一帯が停電したらしいことを知ります。百貨店は一瞬暗くなったものの,すぐに灯りがともったので停電したとは思ってなかったんですね。あとで考えると,あれは非常用の予備電源が作動したものかと。

駐車場までの道すがら,そちらこちらで壁が落ちたり,瓦が落ちたりした建物を何軒も見ます。割と古い建物が残っている通りですが,全壊した建物は管見の限りでは見当たらず(のちの建物診断で住むのに「不適」とされた建物は何軒もあった模様)。

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てくてく歩いて駐車場にたどりつき,クルマは地震の被害もなく健在だったので,まずは車内に落ち着き,ケータイを確認します。通話はダメだろうと思ってメールを確認したら,仙台在住の長女から早くも「無事」の着信があり,一息つきます。このときはまだiモードがつながったので(地震当日はひんぱんにやりとりできていたiモードがつながりにくくなったのは早くても3月14日のことだったかと[7月31日訂正。3月12日の午後には自宅アパートでも「圏外」表示が出るようになり,断続的につながりにくくなっていたようです]),勤務先の部下に「これからそちらに向かう」とメールし,さらに長女(仙台)と妻(島根県)と賢弟(東京)にメールを打って無事を知らせます。

さてクルマを出そうとしたら,停電のためか地震で故障したためか,出車側のバーが動かなくなっていて,クルマが出せないという。さすがにこれには頭を抱えそうになりましたが,どこからともなく駐車場の管理人さんらしき方が登場し,取り敢えずバーを上げてクルマを誘導し始めました。さて,出車しようと料金を支払う段になって,またまた問題発生。今度は小銭がない。J書店で本を買ったお釣りでここの料金用の小銭を作る予定だったんですね。
「100円でいいよ,100円で」
「ごめんなさい,90円しかありません」
「仕方がない。今日はこれでいいから」
管理人さんに頭を下げてクルマを駐車場から出します。非常時とは言え申し訳ない。

少しクルマを走らせると,いつも渋滞する交差点がやっぱり渋滞。右手に大きな病院があるのですが,そこの患者さんや看護師さん,病院事務の方々がぞろぞろと建物の外に出て,体育館座りで路上に待機しています。みんな,これからどこに避難するんだろう・・・・・・。

どこからか都市ガスの臭い。どこかでガス管が破損してガス漏れが起きているらしい。

まずは大通りを走っていれば問題ないだろうと大きな通りを走らせたら,渋滞に次ぐ渋滞で,とある大型スーパーの前で立ち往生。幸い,ガソリンは半分以上残っているので多少の遠回りはOKだな,と裏通りにクルマを突っ込んで路地をぐるぐると。大型スーパーの隣りにある,前記とは別の大きな病院の患者さんや看護師さんたちが,やはりここでも病院の駐車場の一角に固まって体育館座りで待機。地震直後の風雪はおさまり,路上に雪も積もっていなかったのは助かったけど,どの病院でも毛布が何枚も運びだされていました。

裏道をすり抜けて,勤務先にたどり着いたのが記憶に間違いがなければ午後3時40分すぎ。正面は避難者が集まっていることが想像できたので,裏門からクルマを構内に入れて,正面に歩いて回ることに。大して広くもない構内を歩いて突っ切りますが,見たところ崩壊した建物はないようで(素人が見てもわからないだけで,実は壁にひび割れが入ったり,大きく傾いたりした建物があります。これを書いている7月26日現在もなお復旧工事が継続しています)まずはよかったよかった。

さて,まずは部下の無事を確認するため図書館棟に向かいます。

続く。

2011/07/25

その日のこと(2)

承前

さて,揺れが収まって最初に考えたことは「どうやってこの建物から出ればいいのかな?」です。J書店の入っている百貨店は数年前に建て替えられた建物なので,この揺れに耐えられたのであれば,これからすぐに倒壊することはあるまいと思ったものの,何しろ9階なので早めに地上に降りたいところ。溜息をひとつふたつついたあと,何とか笑顔を作って周囲を見渡してみると,そこかしこにお客さんが2人3人寄り集まって,今体験したばかりの地震の凄まじさを語り合っているようです。中には座り込んで泣き出してしまった若い女性の背中をさすっている若い男性の姿も。
デジカメは常に持ち歩いていますので,とっさに何枚か写真を撮ります。

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ややあって,男性の声が聞こえてきました。
「落ち着いて行動してください! 建物の中は危険ですので,階段を使って建物の外に出ます。誘導しますので,指示に従い,落ち着いて行動してください。」
細部の表現は記憶が曖昧ですが,おおよそこのような意味のことを,店員さんが大きな声でお客さんに指示しています。
「こちらになります。壁が崩れたり天井が落ちたりしているところがありますので,足元に気をつけて階段を降りてください」
お客さんがぞろぞろと階段に向かい,列をなして階段を降りていきます。ひょいっと見ると,女性の店員さんの中にも泣き出している方がいましたが,それでも気丈に階段に向かって手を振って誘導しようとしています。あまりそちらこちらをキョロキョロして迷惑をかけるわけにもいかないわな,とゆっくりとした足取りで一歩一歩階段を降ります。

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この写真,自分で撮影しておいてこれまで気がつかなかったのですが,右側に写っている緑色のエプロンの女性はJ書店の店員さんです。この混乱した状況の中,お客さんが歩きやすいように崩落した本を片付けています。その結果が写真手前の積み上げられた本と真ん中に広く開いたスペース,ということだったんですね。

階段で隣りを降りている年配の女性が,どうやら勤務先を随分前にお辞めになられた元教員だったようですが,とうとう声をかけそびれました。

無事に地上に到着したら,何と外は一瞬吹雪いています。どうなることかと1階で待機していたら,すぐに収まったので,取り敢えずクルマを停めてあった駐車場に向かおうかと思い,道路を挟んだ建物に何気なく目をやったら,大きな窓ガラスが路面に落ちて砕け散ってます。

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うひゃー,とそれを眺めていたら,いきなり

「せんせい! G.C.W.(仮名)先生じゃないですか!」

驚いたことに,僕が非常勤やってる課程の卒業生が,そのとき同じ百貨店に,買い物に来ていて声をかけてくれたのでした。教え子はおかあさんと一緒だったのでご挨拶し,地震がすごかったねと。
「とにもかくにも,これから勤務先に戻るわ」
「私も先程から勤め先に連絡しようとしているのですが,まったくつながらないんです」
「それは心配。とにかく無事で何より,これからも気をつけてね」

教え子母子と別れて,一路クルマを停めていた駐車場に向かいます。これがまた幸運だったのは,いつも停めている立体駐車場ではなく,このときに限って別の平面駐車場に停めていたことです。結局,この日はいろいろとツイていたようですね。市内の立体駐車場の中には,この地震で建物に被害を受けてすぐにはクルマが動かせなかったところもあるようですから・・・・・・。

続く。

2011/07/24

その日のこと(1)

後顧のためにも,どこにもない気力を振り絞って,まとめるべきものをまとめてしまいましょう。しばらくの間,お付き合いください。

3月11日(金)は午前中に定期通院の予約を入れていたため,1日休暇をとっていました。本来は土曜日に予約を入れるべきところ,昨年の12月以降入試の関係で予約を入れたい土曜日に出勤しなければならないことが重なり,定期通院日がズレていたのです。あとで考えると,このおかげで罹災後の投薬を1か月分確保できたことになるわけですから,人間の運命なんてわからないものです。

午前中はそんなことで潰れてしまい(我が主治医,予約を入れても1時間待ちはザラという繁盛ぶり),昼食はスーパーで惣菜パンを買っていったん家に戻ります。午後は思い立って駅前のJ書店にクルマで出かけることに。この書店は,駅前の百貨店の9階に昨年新たに開店した全国チェーンの書店で,以前同じ建物に入っていた別の全国チェーンが撤退したあと,その百貨店の改装オープンに併せて開店したばかりです(余談ですが,以前入っていた全国チェーンの店員はどうにも使い物にならなかったですよ)。

出たばかりの吉田秀和『マーラー』(河出文庫)がお目当てで,それ以外にも何冊か抱えて,さらに本を物色していたら,どこから何やらぶーぶー音が聞こえるんですよ。ウォークマンを聴いていたので,気づくのが遅れたのですが,それでもケータイが鳴っているのがわかったので,ベルトにくくりつけているホルダーから外してみると,それが「緊急地震速報」のエリアメール。とっさに側にあった柱に背中から寄りかかってやり過ごそうと身構えたら,次の瞬間,これまで聞いたこともない地鳴りの音と,これまで体験したこともない激烈な下からの揺れがほとんど同時に襲いかかってきたわけです。

正直なところ,これで死ぬとはまったく微塵も思いませんでした(^^;)。僕が高校を卒業した時,その卒業式で校歌を歌っているさなか,昔の基準で震度3の地震に襲われたこともあり,これまで何度となく地震は経験してきたから地震で死ぬことはないだろう,という根拠の無い自信です。

とはいえ,この日の地震はこれまで体験したこともない強烈な揺れです。目の前で本がぽっかーん,ぽっかーんと本棚から飛び出して落ちてゆく(雪崩たんじゃないですよ,弾けるように本が中空を飛んでいくのですよ)のを眺めるという,稀有の見物をこの目でしかと見ました。さすがに自分を支えるのに精一杯で,動画を撮る余裕はなかったですね。

どれくらいの時間,揺れていたのか。ようやく収まってやれやれと胸をなでおろしたわけですが,実は「収まった」どころか,これが今日まで延々と続く,長い長い「東日本大震災」の始まりだったのです。

続く(はず)

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平成23(2011)年東北地方太平洋沖地震

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