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2011/07/28

その日のこと(5)

承前

そんなわけで自宅に帰ります。築40年を超えるボロアパートは,崩壊もせずに建っております。いや,もうそれだけで充分な感じ。入居したときに聞いたのは,大家さんの先代が趣味でかなり贅沢に,あちこち凝った作りのアパートを建てたんだ,という話で,そのせいかちょっとやそっとの地震ではびくともしなかったのが,今回も役に立ったようです。

しかし,玄関の鍵を開けて中に入り居間を見たときは,さすがに力が抜けました。

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・・・・・・もしも本震が襲ったその時,ここにいたらひょっとすると生命がなかったかもしれません。たまたまパソコンの電源を切らずに出かけたので,ディスプレイが光っているのは確認できた(一度は電源が落ちたようでパスワード入力画面になっていた)のですが,とにもかくにも本とCDとその他もろもろが折り重なって崩れ落ちており,ディスプレイとキーボードのある机まで辿りつけない。これは困ったぞ,と。取り急ぎ,ケータイからツイッターにつないで,自らの無事を発信します。

当日ツイッター,メールなどでご心配していただいた皆様には,ただただ感謝してます。本当にありがとうございます。皆様のお声がなかったら,現在このような形で自らの経験を報告できるところまで持ちこたえられたかどうか,わかりません・・・・・・。この場を借りて,改めて篤く御礼申し上げます。

それから,ケータイで連絡先のわかる教え子や友人たちに取り敢えず無事を送信。中に,13日に仙台で一献傾ける約束をしていた教え子がいて,なかなか連絡が取れず。ちと心配。

さて,電気ガス水道を確認したところ,電気とガスは供給されていましたので,さっそくラジオをNHK第一に合わせ,テレビをNHK総合に合わせてスイッチオン。水道は水圧が弱くこれは時間の問題かもしれない,と考え,まずは食料と飲料を確保せねば,と再度クルマを走らせたときは既に午後7時を回っていて,市内のスーパーは軒並み罹災して閉店,コンビニも行きつけの店は罹災して閉店,罹災からかろうじて立て直した店も灯りは灯っているものの商品はほぼ空っぽ,という状況になっていました。これがこの日,僕の最大の失敗だったかもしれません。定期通院の日は朝食を摂らず,夕方に買い物に行くのが通例で,冷蔵庫の中も空っぽになっていたのです。

コンビニを2軒廻って手に入ったのは500ミリのペットボトル2本とヨーグルト3個。仕方がないな,と帰宅してDKのテーブルの上を見たら,そこに手付かずの無印良品のバウムクーヘンが! このころ新発売されたバームクーヘンをひとつ買い込んであったのですね。実はこのひと,無類のバウムクーヘン好きで,あの形をしていれば高かろうが安かろうがほとんどのものは満足して食べてしまうという(^^;)。無印良品のバウムクーヘンは,以前は大きな円形のものがあったのですが久しく廃番で,長いタイプのものしか無く敬遠していたところに,しばらくぶりで大型の円形のタイプが出たので喜んで買っておいたのでした。これを細かく切って食べれば,当座2日くらいはもちそうだな,と気を取り直しました。

この時点で長女は大学に避難(もともとこの日は大学でアルバイトの最中に罹災し,大学の体育館に避難した)ことは連絡がついたので,あとは実家(栃木県)に連絡を,と家電もケータイも総動員で連絡をつけようと試みたのですが,一向につながらず。年寄りはメールとか171(災害伝言ダイヤル)とか使えないので,これは諦め,残り湯を沸かして風呂に入ります。1日1回は髪を洗わないと翌日が汗だくで気持ち悪くなる体質なので,風呂は必須なのですが,どうも水の出が悪く,これは大変なことになるかも,との予想は翌日的中します。

同じ頃,都内在住の賢弟は帰宅難民となり,都心の勤務先から自宅マンションまで,全線運休となった鉄道を尻目に決死の(?)夜間行軍を決行し,4時間かけて自宅にたどり着いた由。兄弟揃って歩くのは苦にならないとは言え,何とも凄まじいことです。

そうとも知らずに呑気な兄は,寝室がほとんど無傷だったのをもっけの幸いとばかり,テレビは消してラジオをつけたまま午後10時には布団で就寝します。報道は刻々と岩手,宮城の凄絶な状況を伝えています。こちらも明日からどんなことに遭遇するかわからないので,休息が取れる時には休息するぞ,と。この日は15分から20分おきに,断続的に余震が続いていましたが,大きな余震なら目が覚めるでしょうね(この考えが甘かったことは,のち4月9日深夜の大規模な余震の際,目が覚めても身動きが取れなかったことで実証されてしまうのですが)。

次は翌日の話。

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(承前) 3月12日(土)です。 あの本震のあと,断続的に余震が続く中,まあまあ [続きを読む]

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