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民間図書館らしい企画を生み続けた船橋北口図書館を助けて下さい!(岡直樹) - READYFOR?

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2010年1月17日 - 2010年1月23日の記事

2010/01/23

「図書館」はもっと猥雑なものであっていいんじゃないか

 これまでの「図書館」は,「図書館であらねばならぬ」ことにいささかこだわりすぎていたのではないかと思う.六本木ライブラリーが出現したとき,山中湖情報総合館山中湖情報創造館が出現したとき,矢祭もったいない図書館が出現したとき,ある一群の業界人から漏れ聞こえてきた非難の中に「あれは〈図書館〉じゃない」という類のものがあったことを覚えているひともいるだろう.でも,「排除の論理」は,もうお腹いっぱい.って言うか,もう既に「排除の論理」でいっぱいになった母カエルのお腹は破裂しているぞ.「図書館」を身の丈よりも大きく見せようとした誰かさんの犠牲になって(^^;).いつまでも内向きの争いにエネルギーを注いでいる業界であり続けるわけにはいかない.そもそもいま現在,いかなる形態であれ,図書館に勤務しているひとが楽しくなるような業界ですか,図書館業界は? 

 僕は「公共図書館の単一性と不可分性」とか「唯一の世界観に基づく図書館運動」とかには,まったく興味が無い.そろそろ図書館業界と業界を主導する主要な業界人は「図書館であらねばならぬ」ことから「図書館であることに意義がある」ことへ,意識の転換を図らなければならないのでは,と思う.もはや,任意の単独館ひとつとっても,これまで業界を主導してきた一群の人々の思うような「図書館」ではありえなくなっている.すべてが予定調和のごとく大伽藍を打ち立てることが可能な時代ではないのに,いつまでも「全体が部分を規定する」メソッドを当てにして図書館経営が成り立つのかどうか.「全体が部分を規定する」メソッドを信奉して,そぐわない「部分」を持つ「図書館」を「あれは図書館ではない」「これは図書館ではない」と排除し続けることが,これからの図書館ばかりではなく,いまある「図書館」にも負の影響をもたらすことになりはしないか.

 「図書館であらねばならぬ」ことから「図書館であることに意義がある」ことへの転換とは,即ち「全体が部分を規定する」から「部分が全体を生成する」への転換に他ならない.今回ここでは,概念と機能の「解体-再構築(deconstruction)」までは踏み込まず,ある施設において,それが何がしか「図書館」の機能を有していれば,それは「図書館でありえる」ということを,「図書館であることに意義がある」と考えたい.それは同時に「排除の論理」から「包含の論理」へ,を意味する.「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」でもなく,「あれとこれと」である.

 ある部分が「図書館」であれば,その他の部分が「図書館」ではなくとも(『市民の図書館』にそぐわない図書館であっても),その施設は「図書館」として遇され,図書館として評価の対象になっていいのだと思う.それを「不純だ」と言う業界人がいるかも知れないが,これまで純血主義が何か良い結果を出したとは,こと図書館業界に関する限り聞いた記憶も無く,むしろ「包含の論理」から猥雑なほどに雑多な「図書館」が出現し,澱んだ空気が一掃されれば,これを僥倖と言わずして何と言おうか(^^;).自浄能力は最早限界を超えて,母カエルのお腹は破裂してしまっているのだから.


 なお,「あらねばならぬ」から「であることに意義がある」へ,については,『「まちづくり」のアイディアボックス』(橋本憲一郎,山中新太郎編著/彰国社/2009年1月初版)から啓示示唆を受けたことをここに付記して,感謝に代えます.

2010/01/20

ショスタコーヴィチ/交響詩「10月」

ショスタコーヴィチ/交響詩「10月」作品131@広上淳一/ノールショッピング交響楽団(RCA/タワーレコード:TWCL2013)

 1993年9月の録音.
 この作品はショスタコーヴィチの,練達の職人芸を聴く曲.ショスタコーヴィチの交響曲を聴き込んだ聴き手なら,何処かで聴いたことのあるような素材ばかりが投入されているのに,気がつくとその高揚感にあれよあれよと巻き込まれて,心が熱くなってしまうという(^^;).途中で聴こえる小太鼓やティンパニの炸裂が,否が応にも音楽を盛り上げる.見事なものである.

2010/01/19

まちづくりと「図書館」の機能

 「図書館」に足を向けてもらうことが,「図書館」のある地区の活性化につながれば,「図書館」に出向いてもらうこと自体に価値が生まれるはず,とこのところ考えています.これは専門図書館はさておき,公共でも,大学でも,学校でも事情は変わらないと踏んでいます.ところによっては大学の中央,まちの繁華街に図書館があることもありますが,機能はともかく,むしろ図書館の立地はこれまで郊外を志向してきたのではないかしら? 少なくとも『市民の図書館』は先考の指摘の通り「郊外型公共図書館」(1970年代に林立した,ニューファミリーの多く居住するベッドタウンとかニュータウンとか呼ばれてきた郊外型集合住宅を,主な来館者群として捉えている)に来館者を呼び込むための運営メソッドだったわけですよ.メソッドを「バイブル」と誤読した一群の方々から,日本の公共図書館の悲劇はもたらされた,という話は繰り返してきたからここではしませんが.それはさておき.

 出向いてもらうこと自体に価値を生み出すには,取り立てた用事の無いときにもフラっと入れるような敷居の低さが,特に公共図書館には欲しいところ(僕の体感的には,既に充分敷居は低いのですが,特定の機能に偏頗することに価値を見出し,結果的に敷居を押し上げようとしているひとが現在に到るまで存在します.如何?).この「敷居の低さ」は,誰かさんのところ(^^;)のような底辺校の大学図書館にも,もっともっと求められなきゃいけないんだけど,これは「大学図書館」という出来上がったイメージと機能からは,反対側にある話だから斯様な意識と機能の転換には理解を得るのが難しいかもしれません.ラノベ棚を作った大学図書館の話がありましたが,個人的に「こどもへのサービス」は受けたことも無いし担当したことも無いし,仄聞する関係者の「文化」が違いすぎるので,考えることさえできないんですよね(^^;).「図書館」を使ってもらうのに,こどもとおとなで,それぞれ違う導入が必要なんだろうけど,自分はそうじゃなかったものですから.小学校3年生の時に勧められたのは『日本歴史全集』(講談社)だったという(^^;).そのような本を勧めてくれた学校図書館は,過去の僕にとっては充分に敷居が低かったのですが(現在の僕には,あの業界は敷居が高(ry).

 さて,「図書館」によってもたらされる「人の流動」を確保するには,どんな機能が図書館には必要になってくるのでしょうか? というのが,僕がこれから考えなければいけないことのひとつです.僕の持論であるところの「情報の集まるところにひとが集まる」を立論としてはともかく,立証するために必要な素材は何でしょうね.

2010/01/18

連帯と連携の図書館経営を目指す

 難しい話をしようというのではありません.館種,運営形態・雇用形態,文化の違いをお互い認識しつつも対話と妥協を繰り返しながら相互に相互を理解し合い,専門知を提供する図書館・図書館員が連帯し,業務の上で相互に連携し,来るべき時代に対応した「図書館」を構築し,経営していく,というだけの話です.

 文字にするとこれだけのことなのに,現状では図書館業界は館種を見ても,業界人を見ても,連帯も連携もできていないように思えるのは何故でしょうか.

 原因はいろいろあります.20年以上この業界と付き合ってきて見たモノは,専門職制を求めるあまりに労働運動の側に傾斜してしまった図書館運動が足かせになってありとあらゆる勤務条件の非常勤職員を敵としか見れなくなった常勤職員の一群の存在,何かと言うと館種間の文化の違いを強調し挙句にレファレンスサービスを大学図書館に押し付けようとした公共図書館関係者,路線の違いが先なのか冷遇が先なのか塩見理事長下の日本図書館協会と衝突を繰り返す大学図書館の存在を歴史的経緯(第二次大戦前の日図協を盛り立ててきたのはどの館種だか調べてみるといい)をことさら無視して疎ましく思っている業界人,エトセトラ,エトセトラ・・・・・・.

 「ユネスコ公共図書館宣言」は「公共図書館のサービスは、年齢、人種、性別、宗教、国籍、言語、あるいは社会的身分を問わず、すべての人が平等に利用できるという原則に基づいて提供される。」と機会の平等の保障を謳っているのですが,それにもかかわらず,図書館で労働することについて機会の平等はおろか,結果の平等も日本の図書館業界が考慮に入れていないのは,どう考えてもおかしい.ある一群の業界人が非常勤の勤務を見る尺度ひとつ考えても「結果の平等」すら尊重できずにいる,そんな業界で働くことに意義が見いだせるのは,結局常勤で図書館司書を務める公共図書館の公務員という限られた一群でしかない(大学図書館員,専門図書館員がはじき出された,日図協の専門職員認定制度をめぐるごたごたを思い起こしていただければ)というのは,それほどまでに守られなければならない「意義」がそこにはあるということでしょうか?

 昨年出席したあるイベントでは「MLA連携」即ち博物館・図書館・美術館の3施設による連携が主題として取り上げられていましたが,私見では,図書館業界はMLA連携以前に「LLLL連携」即ち公共・大学・専門・学校の4館種の連携を図らなければならない,実に情けない状況にあります.実のところ僕個人は,日図協なり何なりが何か一つの旗の下に大同団結を模索する,というやり方は嫌いですし採りません.それは圧力団体としての活動にはふさわしいあり方でしょうが,結局は「つながり」ではなく「しがらみ」を作り出すだけで何も益するところがありません.そうではなく,対話と妥協を繰り返しながら,館種と雇用形態を乗り越えたところで生み出される個々の図書館の連携,個々の図書館業界人の連帯を基盤にしたところに,何か新しい「運動」が生み出されることによって,「つながり」が大きな力たりえることを目指すことが,現状では必要です.迂遠なことですが,縮小均衡に向かっている経済状況下で,図書館活動が何かを生み出すためには個々の図書館,個々の館種,個々の業界人の努力だけでは限界があるのは火を見るよりも明らかなことでしょう.

 縮小均衡の時代を乗り切るために,我々が切り捨てなければならないものは何か,拙エントリーを読まれた業界人各位は今一度よくお考えください.

2010/01/17

サイドバーに「Haiti Earthquake」を追加しました

当blogのサイドバーに「Haiti Earthquake」を追加しました.当面,ハイチ大地震関連の情報を追加していきます.

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