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2010/11/14

「理想の図書館」がわたしに語ること(リハビリ7番勝負その1)

 しばらくです。
 すっかりblogの更新を疎かにしている間に,長文を書く能力が失われてしまったようで,今月に入って締切りを過ぎた原稿がウンウン呻るだけで何も書けない状況に陥っています。そこで,長文を書く能力を取り戻すために,今日から7日間,毎日blogにエントリーを上げていき,失われた力を取り戻す努力をしてまいります。


  「みんなの図書館」2010年11月号が伝える図書館問題研究会の第57回全国大会で,毎年全国大会にて提案,審議,承認の手続きがとられている「任務と課題」という文書について,その2010年度版が全体会で審議された際,本文中「理想の図書館」と表現されているところについて,「あるべき図書館」とすべきではないか,という疑義が出されたとか。最終的には「理想の図書館」が支持されて「あるべき図書館」への修正は行われなかった。図問研の会員ではないわたしも,後日この箇所を「みんなの図書館」11月号で読んで初めて知るとともに修正が認められなかったことに安堵したのだが,それにしても今時の図書館(図問研での出来事だから,当然ここは公共図書館を念頭に置いているのであろう)において「あるべき図書館」という枠組が成立すると考えている(考えていた)図書館業界人の現状認識とは,いったいどんなものなのだろう。

 「あるべき図書館」という枠組が現在でも成立しうると考えている業界人がその思考の基礎に置いているのは,1970年代から1980年代に勃興した公共図書館運動の「大躍進」を支えてきた政策文書であり,2010年においては歴史的文献としての価値を有するのみとなった『市民の図書館』(増補版1976)であることに疑いを差し挟む余地はあるまい。歴史的文献,と判断されるのは,『市民の図書館』で提示されているモデルがいわゆる日本経済の高度成長期と呼ばれる時期に合致した,しかもその時期にめざましい発展を遂げた郊外の団地群を中心とした地域を想定したものであり,現在見られるような経済・社会が高密度に集積された都市や,限界集落を抱えるような過疎地域を想定したものではないことによる。『市民の図書館』はその時期にふさわしいモデルを提示し成功したものの,そのモデルはその後の30年を俯瞰して想定したものではなく,『市民の図書館』の戦術的成功が却ってその後の図書館業界の戦略の足枷になっているのではないか。本来は業界人の不断の努力により『市民の図書館』のモデルは組み替えられ,書き換えられなければならないのに,現状は相変わらず『市民の図書館』のモデルが「あるべき図書館」として,他の公共図書館モデルを排除するからくりに用いられていることが,「みんなの図書館」11月号の議論から見えてくる。

 なるほど,「あるべき図書館」を言い立てるのは,あくまで一部の業界人だけであり,今回も「理想の図書館」が修正されずに終わったことを見ても,「あるべき図書館」にこだわる一部の業界人の影響力は低下している,と言うひともいるだろう。だが本当にそうなのか。今回「あるべき図書館」への変更を主張した業界人自身の影響力が他の立場に対しては皆無であったとしても,それは『市民の図書館』自体の公共図書館活動への影響力が低下したことを意味しているとは限らない。わたしたちは『市民の図書館』の歴史的価値はそれとして,現在各地で行われている公共図書館活動の実態に即した,なおかつ地域差の現状を射程に捉えた新しい政策文書の策定が求められるところである。ある場所で行われている公共図書館活動が他に隔絶したものであったとしても,そのことを以て「これは公共図書館ではない」「あれは公共図書館ではない」と排除の論理を発動させるのではなく,「これもまた公共図書館である」「あれもまた公共図書館である」と,その公共図書館としての価値を認めうる政策と戦略が必要になっているはずだ。

 公共図書館活動の多様性を認めうるようになって初めて,「理想の図書館」という枠組が実際に力を持つようになる。「あるべき図書館」という枠組は公共図書館をある定形(ここでは『市民の図書館』モデル)に落とし込んで,ピッタリはまった公共図書館のみが評価され,定形外は全てダメというスタンスだが,「理想の図書館」はそうではない。ある一定のモデルのみでは収まりきらない不定形な部分も含みながら,また移り変わる時間や空間や知識をあるときは蓄積し,あるときは流動化させながらその時々の市民社会や地域社会に求められる機能と要素を組み換えることを可能にできるのが「理想の図書館」という枠組である。そして「理想の図書館」を考える上で大切な事は,「理想の図書館」という枠組はわたしたちひとりひとりが個々に持ち合わせており,なおかつそれを共有することが可能だということ。あくまでも個の理想に依りながら,個々の「理想の図書館」をつないでいく結節点として現実の公共図書館が立ち上る,それが公共図書館の理想であり,それを個々の公共図書館がそれぞれのやり方で実現するための政策と戦略を模索していく必要があるだろう。公共図書館が「無用の長物」と化す前に。

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