「図書館史」がわたしに語ること(リハビリ7番勝負その6)
ここ数日,思った以上に多忙で筆が進みませんで・・・・・・。
図書館史については,いろいろ調べたいことがあるんですよ。森有礼については先日,ようやくの思いで小論をものしたわけですが(「森有礼の「銀座煉瓦街図書館構想」再評価への試み」なお,ここには明確には書かなかったけど,森有礼の「挫折」はあまりに先走りすぎたことと,森自身の経営能力の欠如に原因があったんじゃないでしょうか),この国の図書館活動において大きな足跡を残しているはずなのに顧みられることの少なくなった明治・大正期の「私立図書館」の再評価というのは,首都圏に住んでいたら絶対に手をつけたであろう分野ですよねえ。地方在住だと,一次資料へのアクセスが金銭的にも肉体的にも困難なので,しばらく資料を集めていた南葵文庫と南葵音楽文庫のお勉強も最近はご無沙汰。
『日本の近世』(中央公論社)に載っていた三河国の国学系「前図書館(pre-library)」の話は実に面白く,このような動きが他の地方にもあったのかどうか,気になってはいるのですが,これもなかなか調べている余裕がなくて・・・・・・。明治時代初期の新知識系(明六社や共存同衆)や自由民権運動系のものは,既にいろいろな研究の蓄積があるわけですが,江戸時代からつながっていた「前図書館」の系譜というのがどこで途切れてしまったのか,については寡聞にして知らないものですから,機会を見つけて文献をあさってみたいなあ,と。
先だって亡くなった知人が「誰でも使える施設でなければ『公共図書館』とは言わないのですから,仙台にあった『青柳文庫』のような施設を『日本で最初の公共図書館』というのはいかがなものかと思いますよ」と繰り返し述べていたのですが,これも「前図書館」を日本の図書館史の中に,正しく位置づけることができずにいることに原因があるのかな,と思うところです。大雑把にまとめてしまえば,明治維新の前後,どっと西洋の新知識が入ってきた際に,「図書館」という概念も天から降ってきたかのごとく(特にUSAから)上陸してきて,さらにアジア・太平洋戦争(「大東亜戦争」の方が言葉の座りはいいのですが)敗戦後に,またしても「公共図書館」の概念が天から概念が降ってきたようなところがあって,「あるべき図書館」の理念ががっちりと図書館史においても組まれてしまい,「あるべき図書館」もしくは「すべての図書館は公共図書館に収斂する」という進歩史観に当てはまらなかった「前図書館」や私立図書館は,図書館史における「正史」の中から弾き飛ばされてしまった感があります。
もっとも,私立図書館における限界というものは,特に南葵文庫を調べているとそこここに出てくるわけで,最終的に南葵文庫が閉館したのは関東大震災が画期であったわけですが,結局は侯爵徳川頼倫が「飽きてしまったから」という指摘が,古い「日本医事新報」に掲載されていた医師のエッセイにありました。また,その子徳川頼貞の南葵音楽文庫は頼貞の経済的基盤の崩壊と共に崩壊し,経済的に行き詰まったらしい頼貞は日本図書館協会との間で裁判沙汰を起こすところまで追い詰められたわけです(この裁判,最終的にどうなったのか調べがついてない)。
とは言え,個人的には,江戸末期を含めた明治以降の知識の流通と需要を考える上で私立図書館が果たした役割は小さくないし,その目的と機能としたところは,貸出至上主義が行き詰まって以来迷走している日本図書館協会の専門職制論に資するところもあるはずだと,睨んでますがいかがでしょうか。
反知性主義からの脱却には,真っ当な歴史研究が必要だと思いますよ・・・・・・。
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