「合築問題」がわたしに語ること(リハビリ7番勝負その2)
しかし,現場に『市民の図書館』を支持するひとはもういないのではないか,という反論には納得しかねるところがあります。「談論風発」は置くとしても,「図書館界」もまた『市民の図書館』への啓蒙に余念がないではないですか。数年前の誌上討論のことがきれいサッパリ忘れ去られているというのも如何なものかと思いますよ・・・・・・・。
高知県立図書館と高知市民図書館の「合築問題」(参考その1,その2,その3)は,高知県および高知市に固有の問題(例:もともと県立と市立の立地が非常に近いこと)も絡んでおり,外野が高知県や高知市の行政における「認識不足」を言い立てて一刀両断するのは難しく,その是非はひとまずここでは棚上げする。ただし,権威ある図書館業界人のひとりが合築問題に関して,図書館業界に対して後ろ玉を飛ばしていること(参考)については,公共図書館業界の無責任ぶりも含めて繰り返し厳しく指弾しなければならないだろう。
とは言え,この国におけるこれまでの公共図書館論,もしくは公共図書館経営論において欠落していたもののひとつが,県立図書館を含めた「都道府県立図書館」なる施設の存在価値を確認することであり,その意義と機能をいわゆる公共図書館のネットワーク(web以前から使われていた「相互協力体制」という意味での)の中で,どのように位置づけるか,という議論であったように思う。少し前には東京都立図書館の所蔵資料と運営をめぐる議論があったが,ここに来て長崎県立図書館の移転新築問題(参考)や福島県立図書館の資料費問題(参考),栃木県立図書館の建て替えを巡る議論(参考)がメディアをにぎわせているのも,ひとつには図書館業界において「都道府県立図書館」論の構築が疎かにされていたが故,という側面があることは否めない。
歴史的な経緯としては,国家総動員体制の一翼を担わされたとおぼしき「中央図書館制度」が敗戦後に否定され続けたこと(参考その1,その2)があるわけだが,今や「中央図書館制度」の否定そのものが歴史として検証されなければならない時期に来ているのではないか。これについては,これからの図書館史研究者の着眼を期待したい。
都道府県立図書館の機能については,やはり従前から業界で主張されているデポジット・ライブラリーとしての機能と,高度なレファレンスのための調査機能,それぞれの充実を,直接来館者をシャットアウトしてでも実現した方がいいのではないかとさえ思えるのだが,如何だろうか。以前には,某県立図書館が直接来館者への貸出しを開館当初実施していなかったことに対し,直接貸出し実現のために圧力をかけてそれが成功したことを誇らしげに語っていた向きもあるようだが,これも今となっては都道府県立図書館の意義と機能をまったく省みていなかった暴論暴挙であった。また,現在も都道府県立図書館への直接来館者の人数が多いことを誇る業界人もいるようだが,「数を誇る」ことに意味を見出すのは,予算獲得に功績を見出す役人の性とは言え,あまり好ましいものではあるまい。現に栃木県立図書館の建て替え問題の結論が難渋していることには,利用者数の減少も一因としてあげられている。目先の数字の増減に一喜一憂せざるを得ない状況は,持続可能な公共図書館経営という視点からも決して好ましいことではない。
まず解決すべき問題は,都道府県立図書館の果たすべき機能を明確にする。その上で,公共図書館のネットワークを公共図書館の機能面から再構築する途上で,都道府県立図書館と市町村立図書館という帰属する組織の異なる公共図書館をどのようにネットワークの中に取り込み,物流をコントロールし得るのか,というところだろうか。個人的には,都道府県立図書館と市町村立図書館を,自治体の枠組を超え一体化した独立行政法人のような組織を構築するのが近道だと思うのだが・・・・・・。
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