「認定司書事業」がわたしに語ること(リハビリ7番勝負その3)
日本図書館協会がこのほど導入した「認定司書事業」なるものに関して,その制度設計の欠陥はすでに心ある図書館業界人から幾度と無く提出されているにもかかわらず,日図協に制度のあり方を見直す姿勢が皆無である以上,もはや制度設計論じることは時間の無駄にも思える。マニュアルを見ると,非常に複雑な計算をしなければ自らに「認定司書事業」への申請資格があるのかないのかさえわからない有様である。また,公共図書館以外の図書館への勤務が,最高でも5掛けでしか評価されないのは,ずいぶんと露骨な公共図書館厚遇であり,この差別的な図書館業務への評価が果たして,これから日図協が認定さることを目指すのであろう「公益法人」が担う「公益目的事業」に相応しい評価なのかどうか,大変に疑問である。例えば,「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」の第5条14項のイ「社員の資格の得喪に関して、当該法人の目的に照らし、不当に差別的な取扱いをする条件その他の不当な条件を付していないものであること。」にこの差別的な待遇は抵触しないのかどうか。
法律については知識も準備も足りないので,今のところはこれ以上の深追いはできない。
ところで,この「認定司書事業」は公共図書館への勤務を,他の図書館業務に比べて高く評価する姿勢で一貫しているが,同時に常勤職員と非常勤職員の間に格差を付けようとする意図があることも,その制度設計からまた明らかである。いちいち根拠となる箇所を引くことはしないが,どう考えてもこの事業は「公共図書館に10年以上勤務した常勤職員」のみを顕彰するための事業である。そのような事業を実施することが,果たしてこれからの公共図書館における持続可能性を考えたとき,正しい戦略に基づいた判断であると言えるのだろうか。
僕は,正しい判断ではないと考える。
そもそも,現在の生産も消費も縮小に向かっている社会・経済の状況下においてもなお,図書館業界人は「(公共)図書館だけは別」だと思っているフシがあるが,ルサンチマンとプロパガンダの嵐にさらされている行政の公共サービスの中で,公共図書館だけが別腹のわけがないではないか。これからもなお,司書有資格者は大量生産されていくのかもしれないが,大量生産されている有資格者が常勤職員として雇用される戦術については無策同然でありながら,現時点で10年以上の勤務を果たした常勤職員を厚遇するための制度を現行の司書資格の上に作り出すことは,既に「やりがいの搾取」が指摘されている図書館業界において,結局のところは世代間の分断をもたらすだけに終わるのではないかという危惧を抱くのだが如何だろうか。
これからの「公共図書館の持続可能性」の担い手が誰であるかを考えたとき,今回の「認定司書事業」は撤回されてしかるべきであろう。縮小しやがては失われるであろう旧世代への顕彰を重視した制度ではなく,将来の担い手を励まし,育てられる制度への再設計が必要である。
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