分断統治を肯定しているのは誰か?
「みんなの図書館」3月号が来たので一読.内容はこちらを参照【ともんけんウィークリー: みんなの図書館2010年3月号が出ました】していただきたい.特集は「図書館イマドキ情報」.前2本が技術的な課題,後半3本が労働争議にまつわる論考.
珍しいな,と思ったのは特集の文章で公共図書館以外の事例が取り上げられていることで,大学図書館での労働争議が主題の論考と,区立保育園での労働争議が幾つかある事例のひとつとして取り上げられている論考が掲載されている.公共図書館にしか興味が無い図問研にしては非常に珍しい.5本目の論考が,広く非常勤職員の問題を取り上げているのは,輪をかけて珍しい.これまで,大学図書館はおろか行政の他部署でさえ歯牙にもかけなかった図問研にして,ついに他部署にも触れざるを得なかったのかと思うと,当方にいささかの感慨がないわけでもない.
が,しかし,後半3本の文章の仔細を丹念に点検してみると,相変わらず傲岸不遜な官業礼讃,民業蔑視,反知性主義がそこかしこで衣の下に見え隠れする.特集内5本目の論考「図書館の雇用と労働―雇い止めにどう立ち向かうか」(橋本策也執筆)の一節に,
とある.この文章には,「しんぶん赤旗」に出て来そうな,単純な二元論に基づく修辞が散りばめられているのにお気づきだろうか.「大学の先生」と「市井の人」,「大企業」と「派遣・請負労働者」,「正規・常勤」と「非正規図書館員」.現状が,斯様に単純な善悪二元論で弱者を救済することが可能な状況下にあるとは,もはや到底考えられないし,何より「図書館」という概念と機能は斯様に単純な二元論に基づく愚劣な一般化を厳しく拒絶しなければならないところではなかったのか.何よりここには図書館司書が専門職として遇されてこなかった「公務員制度」に対する疑義というものがすっぽり抜け落ちている.
図書館は,例えば選書においても,大学の先生ばかりでなく「市井の人」の著作を大事にするところだと思ってました.正規・常勤の公務図書館員は,大企業が派遣・請負労働者を切り捨てて正社員雇用を守ったように,非正規図書館員の権利や働きがいを切り捨てて図書館を「守ろう」としているのではないでしょうか.委託・指定管理の蔓延は職務の分断のみならず,人としてのあり方も切り裂いてはいないでしょうか.(p47)
傲岸不遜な官業礼讃,民業蔑視,反知性主義がユリウス・シュトライヒャーばりに,最も愚劣な形で露わになっているのが「シナリオ「図書館委託したらどうなるの?」―笑いを取りつつ、委託の本質を見事にとらえています! 」(真木美紗緒執筆)ここで「見事にとらえ」られているのは委託の本質ではなく,如何に公務員が,常勤公共図書館員が反知性主義を露わにしたまなざしで民業を蔑視しているか,である.正直なところ,まったく論評するに値しない.上記橋本氏の文章をもう一度引く.
この評価がまさに当てはまる,度し難いデマゴギーである.この寸劇を前振りで紹介しているのは図問研大阪支部のアクティブと思しき方だが,指定管理者・委託業者で働く労働者を分断しようというデマゴギーを「リアルで説得力があります」「大いに普及させたい」と嬉々として紹介し,天下の公器である雑誌に載せるというのは,正直人間性を疑う.少なくとも,労働者,労働者の連帯への想像力の欠如は疑い得ないが如何.
正規・常勤の公務図書館員は,大企業が派遣・請負労働者を切り捨てて正社員雇用を守ったように,非正規図書館員の権利や働きがいを切り捨てて図書館を「守ろう」としているのではないでしょうか.
それにしても,彼の寸劇のような噴飯物のデマゴギーを放置することは,単に指定管理者・委託業者に対する営業妨害であるにとどまらず,図書館業界の矜持に関わるのではないか.寸劇で槍玉に上げられている丸善,TRCはもとより,指定管理者・業務委託を引き受けている企業,NPO法人においては法的措置も含めた,何らかの抗議を行うに足る内容であろう(TRCに連なる方で,当エントリーを読まれた方は,是非当該雑誌を確認の上,然るべき行動を起こして欲しい).実際に指定管理者,業務委託にて図書館に勤務している方々は,日本弁護士連合会に人権救済の申立を行うのがいいかもしれない.それが例え愚劣で風刺の効いていない噴飯物のレベルであっても,デマゴギーが何度も繰り返されることによってその内容が刷り込まれていくことの効果は,ヨゼフ・ゲッベルスによる宣伝の効果を見るまでも無く大きいものがあるのだから.斯様なデマゴギーを放置することは,決して「大人の対応」ではない.
置かれた状況を打開できずにどんどん追いつめられていった挙句,その主張を先鋭化させ,暴発して崩壊した組織や団体というものは,歴史を繙けば数限りなく存在する.主張を先鋭化させる過程で愚劣なデマゴギーやプロパガンダの類を撒き散らかした責任は,どのように回収し名誉回復を図るつもりか.そもそも回収する気もないのだろうが,撒き散らかしたデマゴギーのおかげで貶められるのは,そのデマゴギーが意図した相手だけではないことに,どうして気がつかないんだろう? 連中は撒き散らかしたデマゴギーで,指定管理者・委託を引き受けている企業や団体に傷がつけば,それで気が済むのだろうが,それだけで済むと本当に思っているのだろうか.そうだとしたら,これは相当におめでたい.おめでたすぎる.目的が手段を神聖にするわけがないし,ましてや,目的を共有しないひとがその手段を見たときに,図書館業界についてどのような判断を下すのか.それに思いをめぐらす想像力も欠けているのだとしたら,もはや「図書館」に勤務する労働者たりえない.デマゴギーを撒き散らかす下劣な人間に「図書館」に関わって欲しくないよ,僕は.分断統治を肯定しているのは,いったい誰なんだ(sigh).
こんなデマゴギーがこれからも続けて掲載されるのであれば,退会後も個人で続けてきた「みんなの図書館」の購読も考え直す時期にきているのだろう.
共同通信の佐々木氏が,同じ「みんなの図書館」3月号に寄稿しているエッセイのタイトルは「被害者遺族への想像力はあるか」である.「みんなの図書館」3月号で彼の寸劇を紹介した方には,いま現在この瞬間にも指定管理者,業務委託で働いている労働者への想像力はありますか?
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