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「貸出至上主義者」度チェックβ版

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2009/10/11

「選書論」の消滅

 そういえば「選書論」の話を書きかけて放擲していたのでした(^^;).

 細かい説明は省略しますが,これまで主流だった「要求論」が貸出至上主義の牙城である日本図書館研究会読書調査研究グループにより極限まで推し進められた結果,もたらされたものが片やTRCによる「新刊急行ベル」であり,此方図書館利用者による「選書ツアー」です.面白いことに貸出至上主義を奉じる面々が,ほとんど皆と言っていいくらい,両者を蛇蝎の如く嫌っているわけで(選書ツアーについては,例えばこちら),こーゆうところに貸出至上主義のお役人的なパターナリズムを見る思いがするのですが,それはさておき(このあたり,興味がある方は『図書館は本をどう選ぶか』[安井一徳著,勁草書房]を読んでくださいませ.僕が下手なまとめを書くより面白いはず).

 遠からず,「選書論」という枠組みはその有効性を失ってしまうだろう,と僕は考えてまして.それは上に挙げたような「新刊急行ベル」や「選書ツアー」を真っ当に評価できない(文字通り「現場」において広く行き渡ってきた仕組みを,自称「現場」な人々が酷評する不思議)業界の硬直ぶりもさることながら,図書館資料と図書館経営という2つの議論の枠組みの「これから」を考えていけば,自ずと浮かび上がってくる視点ではなかろうかと思うのですが如何?

 こんなことは僕が指摘するまでもないことですが,今や「図書館資料」は本のみに非ず,視聴覚資料はもとよりweb資料まで,その扱う範囲は日図研読書調査研究グループによる選書「理論」が猖獗を極めた1980年代後半から1990年代前半まで(その頂点に伊藤昭治による浦安市立図書館の収書方針批判が来ます)と比較しても,図書館資料として扱うべき形式は多岐に渡るようになっています.僕はどこかに「マーラーの交響曲第7番のCDを,貸出至上主義のモデルによって1枚,選べるものなら選んでみろ」という意味のことを書きましたが,これは未だに誰によっても解決されてませんね(^^;).また一時期,web資料は図書館資料か否かという議論があり,「図書館資料ではない」ということで図書館法第17条の枠外に置かれそうになったことがあるかと記憶してますが(この件は解決したのでしたっけ?),本や雑誌などの紙媒体の資料以外の,ある種の資料が図書館資料ではない,とされることにより密かに快哉を叫んだ貸出至上主義者がいなかったかどうか(^^;).

 ついでに言えば,最近Amazonがその電子ブックリーダーKindleを日本でも発売するというニュースが報じられたところですが,近い将来電子ブックの普及が紙媒体の本を駆逐するような事態に陥れば,「貸出し」という図書館業務の拠り所が消滅するわけで,そうなると貸出至上主義とそれに依拠した「要求論」選書論というのはたちどころにその基盤を失うことになります.そうなったときに慌てても遅いんですよ,主義者諸賢.あなた方があなた方の大義に殉じて滅び去るのは勝手ですが,僕はあなた方の巻き添えを食うのは真っ平ゴメンです.ましてや「図書館」をあなた方の大義に殉じさせることなど,断じて許しはしませんよ(^^;).

 こう書いていて,話が矮小化してしまうのに我ながらうんざりしているのですが,むしろ図書館経営論の方なんですよね,選書論が枠組みの有効性を失う,という話の本筋は.つまり,本来は各図書館のミッション・ステートメントの類によって,各館の裁量で進められるべき選書という作業が,如何なるわけか図書館業界全体の総意に基づく「選書論」という形で思考の一元化が強力に推し進められようとした(『現代の図書選択理論』[論集図書館学の歩み:第9集,日外アソシエーツ,1989年初版]にその時代の空気が刻印されていますよ),そのこと自体がそもそも間違いだったんじゃないでしょうか? おまけにその方向性が貸出至上主義によって醸成されたものだったことが,図書館の大衆化という成果を挙げたものの,図書館において「貸出」という手段が「貸出し」として目的化されてしまうことにつながったのは,いろいろな意味で失策だったと思うのです.声の大きな人が勝つのは世の習い,とは言え.

 と言う訳で,図書館経営という枠組みにおいて,各図書館がミッション・ステートメントを成文化するのはもちろんのことですが,その過程で,例えばある一定の地区でミッションをすり合わせたりしながら,方策のひとつとして選書のあり方を考える,そのような作業の工程の一部として選書を捉えることが必要だと考えます.最初に「どの本を選ぶか/選ばないか」ありきの,これまでの「選書論」はもはや(縮小均衡を探らなければならない)現状にそぐわないものとなりつつあるのではないでしょうか.


 しかし,既に2006年の時点で「みんなの図書館」の選書論特集に「何で今更」と思っていた自分がいるのにビックリして,何年経っても業界も変わってないし私も変わってないのね(^^;),という感を強くしているところで(sigh).それはいくら何でも拙いだろう,と思うところ.

(2009年10月12日追記)
ともんけんウィークリー: 図書館司書の仕事ってなに?
まるで当方の記事へのカウンターのように出て来ましたが(^^;),ここで語られていることは僕に言わせれば「貸出至上主義の選書論のエッセンス」.図書館と愉快な仲間たち,で世界が完結している,幸福な時代の理想像ですが,現状はここでとどまっていられるほど気楽な商売ではありませぬ.今時,図書館のカウンターだけが最大かつ最良の情報収集の場であるはずがないですからね.
それに,これだけ多種多様な資源があるのに「本」しか見ていないというのも如何なものかと.


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