プロコフィエフ/チェロ・ソナタ
プロコフィエフ/チェロ・ソナタ ハ長調作品119@トルルス・メルク&ラルス・フォクト(ヴァージン:4 82067 2)
1996年5月6日から10日の録音.
1949年,序破急の3楽章をとる作曲家晩年の作品だが,相変わらず辛辣で皮肉が効いている.演奏は,楽章を追うごとに調子が上がっていく感じ.第1楽章ではロストロポーヴィチを意識したであろう音楽の野太さが充分に描き出しきれていないが,快速調の楽章ではそれなりに歯切れのよさを聴かせる.
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プロコフィエフ/チェロ・ソナタ ハ長調作品119@トルルス・メルク&ラルス・フォクト(ヴァージン:4 82067 2)
1996年5月6日から10日の録音.
1949年,序破急の3楽章をとる作曲家晩年の作品だが,相変わらず辛辣で皮肉が効いている.演奏は,楽章を追うごとに調子が上がっていく感じ.第1楽章ではロストロポーヴィチを意識したであろう音楽の野太さが充分に描き出しきれていないが,快速調の楽章ではそれなりに歯切れのよさを聴かせる.
The Quintet: Jazz at Massey Hall(デビュー:UCCO-5117)
1953年5月15日,トロントのマッセイ・ホールでのライヴ(ただし,いろいろと曰くつきらしい).
チャーリー・パーカー,ディジー・ガレスビー,バド・パウエル,チャールズ・ミンガス,マックス・ローチと,バップの神様が5人集まってのライヴである.僕はジャズの真っ当な聴き手ではないので,この録音の歴史的価値についてあれこれ述べることはできないが,とにかくここで「カッコいい」音楽が奏でられていることは間違いない.音は悪いし,曰くもいろいろあるらしいのに,これだけスゴイ音楽が聴こえてくるというのは,もう言葉では形容できない「音楽の力」を感じる.
なんと,ついにこの日が来ました.
ついに復刊です.復刊に投票してくださった皆様に感謝申し上げます.ありがとうございました.
■『通信の数学的理論(仮)』(最終得票数 106 票)
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【著者】クロード・シャノン、ワレン・ウィーバー/植松友彦訳
【発行】筑摩書房
【定価】1,260円(税込み)
【発送時期】8月中旬
ショスタコーヴィチ/オラトリオ「森の歌」作品81@ウラジーミル・フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団(ビクター:VICC-83)
1991年8月16日,17日の録音.
録音日が,あの「8月政変」クーデター(1991年8月19日)の発生直前で,録音場所がモスクワで,しかも曲がこともあろうに(^^;)「森の歌」だったので,発売当初は色物扱いだったような記憶のある録音.とはいえ,演奏は指揮者がこのときが「最後のチャンス」と意気込んでのものだけに,透明感を漂わせた好演に仕上がっている.
この作品は毀誉褒貶がかまびすしいわけだが,やっぱり一聴以上の価値はある名曲だと信じて疑わない.お祭りムードといい,緩急の駆け引きといい,旋律といい,20世紀にこれ以上わかりやすいクラシック作品が,あと何曲あるというのだ(^^;)?
ところで,演奏者を見て改めて驚いたのだが,この録音でもバス独唱はヴェデルニコフが歌っているのだな.確か,スヴェトラーノフ盤でもそうだったが,さすがの迫力である.
ヘンデル/オラトリオ「メサイア」HWV56@カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管絃楽団(DG:480 1889)
1964年6月の録音.
カール・リヒターにはロンドン・フィルを振った「メサイア」のスタジオ録音(1972,1973年録音)もあるが,こちらはリヒターの手兵だったミュンヘン・バッハ管絃楽団との,ドイツ語歌詞による録音(故に,英語版に慣れきっている当方など違和感があるのは止むを得ない).例の「マタイ受難曲」などをはじめとする,バッハの引き締まった快演を連発していた時代の演奏であり,引き締まったアンサンブルながらも,豊穣としか言い様のない音楽の力をキラキラと振り撒いている.男声の独唱者がエルンスト・ヘフリガーとフランツ・クラスであることも,この演奏の魅力を大いに高めている.
ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」@カール・ベーム/ヴィーン・フィル(アルトゥス:ALT-026/027)
1977年3月2日,NHKホールでのライヴ録音.
正直,新即物主義の指揮者ベームの手の内はとっくの昔にわかっているような気がしていたので,DGの全集は未だ買う気が起きず.このCDもそういえば「実演の人」ベームだと思ったのと,投売り同然の安値だったので買って来たようなもの.
ところがどっこい,ベームはやはり只者ではなかったのであった(sigh).伊達に吉田秀和や岩井宏之のようなウルサ方から実演で賞賛されていたわけではないことが,この録音を聴いてよくわかった.何というか,漲っている「音楽の力」が明らかに桁違いなのである.とても80過ぎた指揮者の演奏とは思えない.この録音をまだ聴いたことのないひとが羨ましいくらいだ.これだから昔の人を追いかけるのが止められなくなってしまうのだよなあ.
ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調作品93@ハンス・プフィッツナー/ベルリン・フィル(グラモフォン/プライザー:90221)
1933年の録音.
プフィッツナーが指揮した録音では,宮沢賢治も高村智恵子も聴いていた「田園」がのんびりしたテンポでじっくりと音楽を作っていたが,8番では音楽に合わせたか,ところどころで粘りながらも,なかなか軽妙な指揮を聴かせる.ただし,プフィッツナーの味らしいところは,その粘るところだったりもする(^^;).なかなか手の込んだところを聴かせる,いい演奏.
はじめより憂鬱なる時代に生きたりしかば然かも感ぜずといふ人のわれよりも若き
ブラームス/ホルン三重奏曲変ホ長調作品40@ナッシュ・アンサンブル(crd:CRD3489)
1991年11月25日-27日の録音.
たまには内圧の低い音楽を,と言ってブラームスを持ってくる辺りが問題っちゃ問題か(^^;).この作品はホルンとヴァイオリンとピアノの三重奏で,ブラームスらしい哀愁も漂うけれども,ホルンをフューチャアしているだけあって伸びやかでそれほど「影」は感じられないかと.ナッシュ・アンサンブルは室内楽らしく,琴瑟相和す好演を聴かせます.
マーラー/交響曲第9番ニ長調@若杉弘/ケルン放送交響楽団
1982年6月25日,ケルン放送大ホールでのライヴ録音.NHK-FMで1983年4月26日に放送されたもののエアチェックである.今どき「エアチェック」という言葉も死語だろうか.
asahi.com(朝日新聞社):指揮者・若杉弘さん死去 新国立劇場芸術監督 - おくやみ・訃報
http://www.asahi.com/obituaries/update/0721/TKY200907210298.html
訃報:若杉弘さん 74歳=新国立劇場オペラ芸術監督 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/person/news/20090722ddm041060183000c.html
1980年前後にNHK-FMで海外オケのライヴを聴いていた人間には,小澤征爾より若杉の方がなじみの指揮者だったのではないか.ケルン放送響のライヴ演奏は時々番組でかかったけど,小澤/ボストン響のライヴは「著作権の関係」とかで,NHKではザルツブルク音楽祭のライヴ録音すらかからなかった.番組の司会者(誰だったか.あのときは渡辺学而だったか)がいかにも残念そうな口ぶりで小澤のことを釈明していたものである.
話が逸れた.若杉は後期ロマン派から新しい時代の音楽を盛んに当時は取り上げていた.マーラーは若杉のレパートリーとしては古い時代の音楽だったような覚えがある.一度,例外のようにブラームスの第3番がかかったときは,番組の司会者が「先日も古典を楽譜を見っぱなしで指揮しててちょっと暗譜が怪しかった」などと皮肉っていたものである.
時にマーラーは僕にとっても当時(今でも,か)のめりこんでいた音楽で,この若杉の演奏が堂々たる押し出しの立派な演奏であることに感激したものである.確か1番はシュターツカペレ・ドレスデンとの録音がメジャーレーベルに残されたはずだが,他の交響曲を含む全集は東京都響との録音で(フォンテック),指揮者の意図を十全に体現できないオケの非力さばかりが目について,1番などはハンブルク稿の録音として歴史的価値があるものの,あとはすれっからしのマニアでもなければおススメできない代物だったのが,何とも残念である.おまけに,N響と録音を始めたブルックナーはオケと決裂し結果中絶してしまったのは,かえすがえすも勿体無かった.
ちょっと早かったんじゃないか,という思いは消えない.
マーラー/交響曲第6番イ短調@ジョージ・セル/クリーヴランド管絃楽団(ソニークラシカル:SBK 47654)
1967年10月の録音.
ライヴ録音であまり音は良くないが,さすがにセルのアンサンブルのコントロールは完璧.ただそれが却ってあだになり,一点もゆるがせにしないセルのフレージングのおかげで,音楽は随分と息苦しくせせこましくなっていて,マーラーの(特にこの作品では顕著に聴かれる)破天荒さが充分に表現されているとは言い難い.セルは恐らくこの作品が古典派の外見をしているから,内容も古典派の枠組で収まるものなのだろうと解釈したのかもしれないが,ところがシェーンベルク以来,この作品がところどころで古典派の枠を超えた破調の美を体現していることを分析した評論は片手に余るのではなかったかしらん?
シマノフスキ/交響曲第2番変ロ長調作品19@アントニ・ヴィット/ワルシャワ・フィル(ナクソス:8.570721)
2007年4月16日と19日の録音.
2楽章からなり,第2楽章が6つの変奏曲とフーガという構成.響きはこれはまた,かなりリヒャルト・シュトラウス+スクリャービン(^^;)な雰囲気.なかなか派手な音楽で聴き手を飽きさせない.
J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001@アルテュール・グリュミオー(フィリップス:PHCP-9637/9638)
1960年11月の録音.
とにかく美音.四の五の理屈を並べ立てる必要が無い美音.それだけでアドヴァンテージが高い.
シューベルト/交響曲ハ長調D944(第9番)@ジョン・バルビローリ/ハレ管絃楽団(EMI/新星堂:SAN-2)
1966年の録音.にしては,音がいまひとつ.リマスタリングが上手くいってないのか? このCDは1990年のリマスタリングだが,その後リマスターがやり直されたという話も聞かない.
演奏は遅めのテンポで諄々と進む晩年のバルビローリ節のはずだが,絃の音が何やらキンキンしていて聴きづらいのが難.独特のバランス感覚など,面白い箇所があちらこちらに聴けるだけに残念である.
ブルックナー/交響曲第9番ニ短調@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(DG:429 648-2)
1975年9月の録音.
まあ,全然神秘的でも夢幻的でもないブルックナーで,割と現実的というか実務をバリバリこなすブルックナー,という感じ.彼岸ではなく此岸の音楽ですね.それがつまらないかと言われれば,そんなことはないのが不思議(^^;).アンサンブルは完璧だし,鳴るべき音楽は鳴っているし,ブルックナーのツボというツボはすべて抑えてあるから.そのあたりが徹頭徹尾ダメなメータとは,さすがに違う.
マーラー/交響曲「大地の歌」@フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団(BMG:60178-2-RG)
1959年11月7日と9日の録音.
季節外れとは思うが「大地の歌」.ライナーの剛直な指揮は当然,ここでも健在である.「秋霜烈日」という形容がぴったり当てはまるような,おおよそ感傷からは遠い,涼やかで激しい演奏を展開する.「大地の歌」はロマンティックな音楽だが,意外に(?)新即物主義的なかっちりした解釈と相性がいい.
ニールセン/交響曲第2番ロ短調「4つの気質」作品16@ダグラス・ボストック/ロイヤル・リヴァプール・フィル(クラシコ:CLASSCD 296)
1999年8月2日と3日の録音.
4つの楽章でそれぞれ「胆汁質」「粘液質」「憂鬱質」「多血質」という4つの気質を表現した作品.物語のある標題音楽というよりは,音楽によって一定の雰囲気を表現しようとしたものであろう.ボストックの演奏は,派手にスペクタクルにやろうと思えばいくらでもできそうなこの作品を,渋めの鈍色な音色で,安全運転だが出るところは出る,という感じでまとめている.
マーラー/交響曲第10番嬰ヘ長調@エリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団(デンオン:COCO-75129)
1992年1月15日-17日の録音.
インバルのマーラーというのはよくわからないな.マニアックなほどに,瞬間瞬間の美に拘泥しているような感じはするが・・・・・・.
本日,大変残念なことに臓器移植法の改正が国会において成立いたしました.
僕は脳死は人の死ではないと考えます.そこで謹んで,それが必要とされた場面における,自らに対する脳死判定を辞退し,脳死判定に基づく臓器移植への自らの臓器の提供をお断りするとともに,それが必要とされた場合における,他者への脳死判定に基づく自らへの臓器の移植を辞退いたします.
何より,公共広告機構などにより,脳死判定に基づく臓器の提供を是・善とし,不提供を非・悪とする価値観が醸成されることを危惧します.迷う自由,提供しない自由が認められないのは「強制的同一化」以外の何者でもありません.そのような価値観の醸成が行われなければならないこと,それ自体が,脳死を人の死とすることが国論を二分している問題であることのあらわれです.
今後,脳死が人の死でないことを認める自由,迷う自由,脳死判定により臓器を提供しない自由が雪崩を打って圧殺されないことを願います.
脳死は「人の死」、改正臓器移植法が成立 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090713-OYT1T00561.htm
臓器移植法:参院も「A案」で成立 「脳死は人の死」 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/today/news/20090713k0000e010076000c.html
臓器移植法:「脳死」から8年、身長も伸びた - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/science/news/20090619k0000m040100000c.html
asahi.com(朝日新聞社):「脳死は人の死」臓器移植法成立 A案、参院でも可決 - 政治
http://www.asahi.com/politics/update/0713/TKY200907130189.html
asahi.com(朝日新聞社):「子の命は」親心明暗 「脳死は人の死」成立 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0713/TKY200907130237.html
長期脳死、本人の意思表示@参議院での発言 - 感じない男ブログ
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20090708/1247014793
参議院での「臓器移植法改正案」(A案)可決に対しての緊急声明 平成21(2009)年 7月13日 - 大本
http://www.oomoto.or.jp/Japanese/jpOpin/090713.html
生命倫理会議: 参議院A案可決・成立に対する緊急声明
http://seimeirinrikaigi.blogspot.com/2009/07/blog-post_8864.html
ドヴォルジャーク/交響曲第4番ニ短調作品13@リボル・ペシェク/チェコ・フィル(ヴァージン:5 61853 2)
1987-1989年ごろの録音.手元のCDが交響曲全集で不親切な表記なのであったorz
叙情的な旋律に溢れたドヴォルジャーク初期の佳作.個人的にも,30年来の付き合いで8,9番以外ではもっとも馴染んでいる作品であり,9番より聴く機会が多いかもしれない.ペシェクの演奏は地味で堅実で取り立てた特徴は無いけど,アンサンブルを手堅く練り合わせた好演.ドヴォルジャークの録音では,案外アンサンブルが軽視されているというか,音楽の勢いをとった演奏の方が多いような気がするので,アンサンブルが押さえられている録音はそれだけで得点が高い(^^;).
マーラー/交響曲第10番嬰ヘ長調(クック版第2版)@クルト・ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(ドイツ・シャルプラッテン:32TC-72)
1979年11月29日-30日の録音.
デリック・クックの補作による,未完成の交響曲第10番の演奏用ヴァージョン第2版に,ザンデルリンクが大幅に手を入れた(特に打楽器)もの.ひんやりした渋いオケの音色とザッハリヒなザンデルリンクの解釈に,補筆された打楽器が厳しく,涼やかに響き渡る様は,マーラーの暖色系のオーケストレーションとは若干齟齬を来たすものの,これはこれでなかなかの説得力を有している,と言えようか.
マーラー/交響曲第9番ニ長調@レナード・バーンスタイン/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(DG:476 7134)
1985年5月29日-6月3日の録音.
マーラーの他の交響曲はともかく,こと第9番に関しては,バーンスタインの演奏というものは凄まじいまでのオーラを放っている.あのベルリン・フィルとの一期一会な名演(DG)ばかりが高名だが,このコンセルトヘボウとの録音もおさおさひけを取るものではない.両端楽章に延々30分前後の時間をかけ,音楽は爛熟して今にも崩落せんとしているが,オケの素晴らしいアンサンブルと古風な響きがそれを押しとどめて,雄大な大河の奔流のような演奏を繰り広げている.
マーラー/交響曲第8番変ホ長調@山田一雄/東京都交響楽団(ソニー:SICC 957/958)
1979年2月12日,藤沢市民会館でのライヴ録音.
山田一雄(192-1991)はこの作品の日本初演(1949年12月8日,日比谷公会堂)を振った指揮者.残された初演時の映像(第1部のコーダ)を見たことがあるが,山田は髪を振り乱し大きなゼスチュアで指示を出し,まさに「獅子奮迅」といった表現がピッタリくる指揮ぶりであった.
このCDのジャケット(LP初出時と同じ)でも,オケと反対側にいる合唱に向かって指示を出している山田の姿が映し出されているが,とにかく特徴的な指揮姿であったらしい.このCDに収められているライヴも,ライヴ故のゆるさは聴かれるものの,ひたむきに前へ進む,壮烈で豪快な演奏である.
マーラー/交響曲第6番ホ短調@オットー・クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管絃楽団(EMI:7 64147 2)
1968年9月の録音.
超弩級戦艦の如く,超微速漸進で進む壮大なスケールの演奏.第1楽章が27分超,第5楽章が24分超,全体を合わせて100分少々という凄絶さである.クレンペラーはプラハにおけるこの曲の,作曲家自身による初演に立会い手伝いもしたはずなのだが,そのときマーラーがこのテンポで演奏したとは思えないし,何を考えて指揮していたのやら.しかし,聴き進めていくうちに何時しかクレンペラーの演奏に取り込まれて,終楽章が終わるとその圧倒的な存在感に,もうテンポなんかどうでもいい,と思わせてしまうところがクレンペラーの端倪すべからざるところ.
マーラー/交響曲第6番イ短調@クリストフ・フォン・ドホナーニ/クリーヴランド管絃楽団(デッカ:436 240-2)
1991年5月20日の録音.
いったい,ドホナーニのマーラーは全集録音が中絶してしまったこともあってか,あまり評判にならないが,この6番は高性能のオケを,モダーンな芸風の指揮者がその性能を最大限まで引き出して,マーラーの乱反射する音楽を高度な次元で整頓した,実に見事な演奏.
マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調@ガリー・ベルティーニ/ケルン放送交響楽団(EMI:3 40243 2)
1990年1月29日-2月3日の録音.
ベルティーニの5番は,1度生で聴いた.1985年の3月に簡易保険ホールであった東京都響の演奏会で,曲目は5番のみ.さすがにこの録音で聴けるような金管の鮮烈さには,当時の都響の金管は比較すべくもなかったが,それでもベルティーニの閃光きらめくがごとき俊敏な棒捌きに反応していた.
この録音はさすがに手兵との録音で,ケルン放送響はベルティーニの解釈によく反応して優れた演奏を聴かせる.ベルティーニのマーラーは過度にロマンティックに陥ることの無い,現実主義的なもので,終楽章の冒頭でも夢幻のような雰囲気は出さない.平凡な日常の朝の目覚めのような感じで,そこが面白いところ.
マーラー/交響曲第4番ト長調@キリル・コンドラシン/モスクワ・フィル(BMGメロディア:BVCX-37008/37011)
1972年の録音.
コンドラシン(1914-1981)のマーラーは,リュッケルト交響曲(5,6,7番)や9番がいいので4番ではどうかな? と思って聴いてみると,どっこいちゃんと4番している(^^;).さすがにツボを外していない.
ちなみにこの演奏,最初は終楽章の独唱をロシア語で録音したのだが,1973年に同じ独唱者を起用してドイツ語で録音しなおしているのが面白い.ここでは両方の録音が収録されているので聴き比べが可能.なお第3番の録音でもコンドラシンは,同様にロシア語,ドイツ語の両方で録音している.
マーラー/交響曲第3番ニ短調@ジェームズ・レヴァイン/シカゴ交響楽団(BMG:BVCC-38132/38133)
1975年6月21日-23日の録音.
レヴァインが,シカゴ交響楽団の美点をフルに引き出し,一糸乱れぬアンサンブルでカラフルにマーラーの音楽をケレンミなく振り切った,という印象.3番に相応しく,実にすがすがしい好演である.
このCD,第1楽章が1枚目で第2楽章以下が2枚目に収録されている.この交響曲は第1楽章が第1部,第2楽章以下が第2部と分けられているので,このような収録方法は必然性があるのだが,同じように収録されているCDは意外に少ないのではないかしら.
マーラー/交響曲第2番ハ短調@オスカー・フリート/ベルリン国立歌劇場管絃楽団(ポリドール/パール:GEMM CDS 9929)
1923年の録音.年代からして当然,ラッパ吹き込み(機械録音)なので音は実に貧しい.
オスカー・フリート(1871-1941)が,マーラーから「復活」の解釈をみっちり仕込まれたことは,つとにクレンペラーが伝えるところであるが,それにしてもこの演奏は何なんだか(^^;).時々ハッとするようなポルタメントがあったり,テンポの揺れが激しく,特に追い込むようなアッチェレランドが聴かれるのはわかるのだが,とにかくアンサンブルがガサツで整えられてないことも,この貧しい音を越えて聴こえてくる.もう少し条件のよい録音とオケだったら,シェルヘンもビックリの奇矯な演奏が残されたのかもしれないが(この録音でも充分奇矯なのかもしれないが),惜しいことである.
マーラー/交響曲第1番ニ長調@ヘルマン・シェルヘン/ロイヤル・フィル(ウェストミンスター:471 246-2)
1954年9月の録音.モノラルだけど音はさすがに録音で売ったウェストミンスター原盤,厚みには乏しいがクリアな音がする.
ご存知,数々のライヴ録音ではアンサンブル無視で走り出し,マーラーをズタズタにカットしてしまうことで悪名高い(?)シェルヘンであるが,このスタジオ録音ではテンポやオケのバランスに独特の解釈が聴けるものの,カットも無く,アンサンブルも至極普通に整えられている.この録音より15年ほど前のミトロプーロスの録音(CBS)に比べれば,そのアンサンブルの整然さは一目瞭然.シェルヘンがマーラー演奏のためにオケをしごいたのだろうか(^^;).
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