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ココログ


ほし2

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2009年6月の記事

2009/06/29

シマノフスキ/交響曲第1番

シマノフスキ/交響曲第1番ヘ短調作品15@アントニ・ヴィット/ワルシャワ・フィル(ナクソス:8.570722)

 2008年1月2日と3日の録音.
 ナクソスで進行中(?)の,新しいシマノフスキ作品集から.1906年,シマノフスキ(1882-1937)最初期の作品であり,2楽章で18分ほどの,規模の小さな交響曲.作曲家自身はこの作品を「和声の怪物」と呼んだそうだが,劇的で華やかな音楽である.前の年に書かれた「演奏会用序曲」作品12がコルンゴルトのような響きを聴かせているのに対し,こちらはリヒャルト・シュトラウスの交響詩を思わせる.
 演奏は堅実だが,派手目の色彩は押さえている好演.

2009/06/28

マーラー/交響曲第6番

マーラー/交響曲第6番イ短調@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(DG:457 716-2)

 1975年と1977年の録音.
 既に別のCD(POCG-2256/2257)を持っていたのだが,たまたまTHE ORIGINALSが安売りで出ていたのを購入.一聴,音の違いに呆然とする.これは確かに,LP時代に聴いていた音だわ.高校時代,誰かに譲ってしまったのでもう手元に無いが,この録音のLPは何度聴いたかわからない.いま聴いても,「音楽の内面? ふん,そんな甘いこと言ってんじゃないよ」と言わんばかりの,凄まじいまでの恐ろしく完璧なアンサンブルのコントロールである.

2009/06/27

ニールセン/交響曲第3番

ニールセン/交響曲第3番作品27@ダグラス・ボストック/ロイヤル・リヴァプール・フィル(TIM:220563-205)

 クラシコ・レーベルのボストック/ニールセン交響曲集からのライセンス生産盤.
 ボストックは崩壊寸前だった古豪,ロイヤル・リヴァプール・フィルを立て直したということで名を上げた指揮者.ここで聴くロイヤル・リヴァプール・フィルも,ニールセンを演奏するには少々薄手かな,と思わなくも無いが健闘はしている.むしろ薄手なところを逆手にとってオーケストレーションをクリヤーに聴かせようという,ボストックの解釈やよし(^^;).
 なおこの録音では「alternative version」として第2楽章の異稿が録音されている.

2009/06/26

グレインジャー/リンカーンシャーの花束

グレインジャー/「リンカーンシャーの花束」@ティモシー・レイニッシュ/ロイヤル・ノーザン音楽学校吹奏楽団(シャンドス:CHAN 9549)

 1996年12月14日-16日の録音.シャンドスのグレインジャー作品集第4巻,吹奏楽作品篇である.
 このCDを通して言えることだが,シャンドスに各国の吹奏楽作品を録音しているこの吹奏楽団,このCDが一番音楽する歓びに満ち溢れて吹いているように聴こえる(^^;).やっぱり,オーストラリア生まれのグレインジャーは感覚が近しいのか.表現も音楽にぴったりはまっているところが,何とも言えず楽しい聴き物.

2009/06/25

ブラームス/クラリネット三重奏曲

ブラームス/クラリネット三重奏曲イ短調作品114@ペーター・シュミードル,乾まどか&テオドラ・ミテヴァ(ナクソス:8.557232)

 2002年11月17日-19日の録音.
 こじんまりとした演奏が,ブラームス晩年のモゴモゴ何か言ってますよ,という作風によく似合っている.雄弁に何かを語るのではなく,疲れて窓の外を眺めているひとに向かって,「はいどうぞ」とカモミールティー(ただし砂糖なし)がそっと出される,そんな風情.
 聴いてるほうも,若干疲れているかも.

2009/06/24

ヤナーチェク/グラゴル・ミサ

ヤナーチェク/グラゴル・ミサ@ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団(DG:463 672-2)

 1964年11月の録音.
 ヤナーチェク(1854-1928)は晩成のひとで,代表作のほとんどが晩年の作品.「シンフォニエッタ」もこの「グラゴル・ミサ」も1926年の作曲である.初期の作品は本人が捨ててしまったらしいし,また「運命の人」に出会ったのが63歳のとき,という話もあるのだが(^^;).
 この録音は重厚さに焦点を当てた演奏で,若干重く聴こえる向きもあるが,宗教音楽らしからぬ情熱の荒れ狂う音楽を,よくよく押さえつけてよどみなく,なかなかしっとりと聴かせる.
 
 なお,作品の成立と内容については日本ヤナーチェク協会のサイトに,関根日出男氏による「グラゴル・ミサ」についてという懇切な解説があるので,そちらを参照してほしい.

2009/06/23

ヤナーチェク/シンフォニエッタ

ヤナーチェク/シンフォニエッタ@ロヴロ・フォン・マタチッチ/ザグレブ・フィル(ザグレブ・フィル:CD 37596)

 1979年12月19日の録音.
 なんつーか,録音もおぼつかなければ,アンサンブルもタガが外れたような調子っぱずれで,音もあちこちで外しまくっているし,何の参考にもならないんじゃないかという迷演奏(^^;).それがとにもかくにも聴けてしまうのは,何と言っても指揮者マタチッチの腹芸と,途中から何とか立ち直ってマタチッチの棒に忠誠を誓うザグレブ・フィルの献身あってのものかと.こうなってくるとヤナーチェクさえ関係なくなる(^^;).いや,もちろんヤナーチェクの野趣は充分に表現されているのだが,それすら超えてしまう指揮者の芸を聴くべき録音だろうな,これは.

2009/06/22

ヤナーチェク/シンフォニエッタ

ヤナーチェク/シンフォニエッタ@フランティシェク・イーレク@ブルノ・国立フィル(スプラフォン:SU 3888-2)

 1986年4月14日-16日の録音.
 ヤナーチェクの故郷モラヴィアのオケと,ヤナーチェクのスペシャリストとして鳴らした指揮者イーレク(1913-1993)による「シンフォニエッタ」である.ヤナーチェクの野趣溢れる楽想とオーケストレーションが楽しめる演奏なのだが,日本での世評はそれほど高くないように思われるのが残念.正直,どの楽器も同じ色に聴こえてしまうあれよりは,こちらの原色っぽい演奏の方がヤナーチェクらしいぞ(^^;).

2009/06/21

第4回ARGカフェ&ARGフェスト@仙台(続き)

承前

 というより,これからが本番か(^^;).

 開場の16時ちょっと前に会場に行ったら,まだ前の部(新しい時代の図書館研究会)が終わっておらず,ちょっと待たされて不安になる(^^;).終わって会場設営が始まったと同時に受付して,席を確保.最初は後方に陣取ったのだけど,せっかくだからと前に出て場所を取り直す.プロジェクターの隣りに座ろうと思ったら,これが熱い(^^;).のでその後ろへ.ARGの主催者である岡本さんにご挨拶.開始直前,発表者が集められて最後の確認.発表者のひとりに声をかけられる.「××さんも聞きたかったけど,と言ってました(^^;).どこでお知り合いになったんですか?」学生時代の古い知人の名前が出てきて軽く驚く.ところが驚きはそれで終わらない(^^;).出席者名簿を見たら,カミさんの同期生の方を見つけるし,それこそ古い知り合いで現在も仕事でお世話になっている方の名前もあるし,すっかりうわわわに(>_<).いや,ここまで来たら,いちいちそんなことを気にしていたらはじまりませんぜ,奥さん(誰?).

 他の皆さんの発表をまとめるのは,僕の手に余るのでついったでの実況(tsudaっていただいた図書館退屈男さんとmyrmecoleonさん感謝!)を参考にしていただくことにして,僕の分を.上記ついったの実況が実は僕の分は上手く反映されていなくて,図書館退屈男さんのついったも見ていただきたいのですが,どうにかこうにかそのようなことを話しました.カミさんに「原稿をちゃんと書いていくように!」と厳命されていたので,書いたことは書いたのですが(その原稿がこれ),書いたことで話したことは「図書館は共同体の記憶を云々する記憶の共同体」と,あと何か,という程度で,矢祭のことなぞひとことも触れてませんねorz ホワイトボードを準備してもらうのでしたと反省.

 トークとディスカッションが終わった後で,お集まりの皆さんとご挨拶.隣りでしきりに端末を叩いている女性が,学生時代に懇意にしていた後輩とソックリなんだけど,彼女が来ているわけもなく誰だろう,と思っていたら,その方が110kAさん.曰く,何でも僕が出るから見に来たと(^^;).えー.他の方からも同じようなことを言われましたが,そうかそんなに謎だったのか,このblogの中の人は.懇親会でも誰かに「あのblogで辛口なことを書いている人ってどんな人なのだろうと思って実物を見たら,あまりの雰囲気の違いに驚きました」と言われたような(^^;).本人は辛口なことを書いているつもりは全然なくって,いつも話したり考えたりしていることをそのまま文章化してエントリー書いているつもりですが,文章だけになっちゃうと切り口がクローズアップされるのかしらん.そういえば以前にも友人に「僕らはG.C.W.さんが書いているってわかっているからいいですけど,文章しか知らない人は」云々と言われたことがあったっけ.

 図書館系bloggerの方では他にレファ協ほめまくりTraveling LIBRARIAN -旅する図書館屋図書館退屈男Myrmecoleon in Paradoxical Library稼ぐ大学図書館をつくる!ヨネザアドの学びの杜・遊びの海(米澤誠の公式ブログ)の皆さんにご挨拶m(_ _)m こんなに名刺をいただいたのも,名刺がはけたのも初めてかも.出掛けに20枚増刷してよかったよかった.

 blogつながりではない知人にも何人か.カミさんの同期生(僕には先輩になります)の方にもご挨拶.「あちこちで敵ばかり作って歩いてます」と恥ずかしい内幕を.それから,仙台市民図書館の方.こちらにもここで会えるとは思わずちょっとびっくり.挨拶したら「図問研の委員長が会いたいと言ってますよ」と言われた(^^;).こちらはウェルカムですので,アポさえとっていただければ会いますよ.ただし,糾弾とか査問とかは無しでお願いしまーすm(_ _)m 20年以上前から旧知の,東北大の課長さんとは二次会で音楽談義.セルの「シンフォニエッタ」のLPを持っていると言われて,上には上が,と仰天する.カップリングはヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」だとか.

 その他二次会でも面白い話をいろいろと伺ったのですが,酒の席での話の覚えが年々悪くなっていて,我ながら情けないorz 食事も美味しかったし,お酒も美味しかったし(ビールが久し振りにサッポロだった),いい会でした.ホントにしばらく,会合に顔を出してなかったし,ましてや飲み会も機会がなかったし,疲れたけどストレスの発散(!?)にもなったし.帰路の都合で中座したのが残念.
 次の機会を楽しみにしてます(^o^)/

第4回ARGカフェ&ARGフェスト@仙台

 と言う訳で,昨日第4回ARGカフェ&ARGフェスト@仙台に出席し,お話をしてきました.様々な事情から最近はすっかり出不精になっていて,図書館関係者が会する催しにも顔を出さなくなっていたので,久し振りの機会に少々羽目を外したんじゃないかと(^^;).

 そもそも,鈍行を乗り継いで仙台まで行こうとしたら,うっかり1本早い電車に乗ってしまい,福島駅で2時間待ちになってしまったのが躓きの始まりで(^^;).ええい面倒とばかり,新幹線に乗り換えたら10時前に到着する始末(>_<).しょーがねーなー,とまずはスタバで一服(がまじゃんぱー先生のタンブラー持って行き,ここで使ったのに,ARGで披露するのをすっかり忘れた).仙台で観光したいスポットは何年かかけてあらかた見倒しているので,タワーレコードでウィンドーショッピングしながら時間を潰し,お昼はエスパルのAfternoon Tea.ここのランチが実は好きで,量的には多少物足りないものの味にひかれて仙台ではよく食べる.ご当地グルメに興味がないわけじゃないけど,さすがに昼から牛タンは,もう無理っぽい(^^;).
 そうそう,タワレコには例の『1Q84』に登場した,ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」(もちろん,ジョージ・セル/クリーヴランドのもの)が大々的に置いてありましたよ(^^;).

 ランチを終えて,フラフラと定禅寺通へ出て古本縁日「わめぞの古書・雑貨市」へ.book cafe火星の庭で本を1冊『なつかしの大阪朝日会館』を買う.建築より舞台装置と文化に関する本.雑貨はトートバックとかいろいろ買いたかったのだけど,これを買い始めると切りがなくなるので文化系マスク(?)とやらをひとつのみ.太宰治の言葉が縫いこんである.「ちくま」で写真を見た,火星の庭のご主人の姿を見かける.お見かけできただけで大満足(^^;).残念ながら珈琲は飲む気力がこちらになく,30分ほどで切り上げてせんだいメディアテークへ.途中,もう1箇所の縁日会場ものぞいたけど,こちらでは気を惹く本を見つけられず.

 本日の会場,せんだいメディアテークは3回目の訪問.時間は盛大に余っているので,カフェでお茶を飲んだり仙台市民図書館を散策したり.この図書館,せっかくメディアテークという粋で不思議な空間にあるのに,例えば配布物が昔から変わらぬ,如何にも「図書館」な雰囲気と内容のものなのが実に残念.せっかくの地の利を,もう少し悪ノリでいいから生かそうという試みは出て来ないのかなあ? 勿体無いと思うのだけど.メディアミックスとは言わないまでも,もう少し配布物のレイアウトとか字体とか,「メディアテークにある図書館」を意識したつくりがなされてもいいんじゃないかと思う.

 15時半ごろ,猛烈にお腹がすいて(^^;),慌てて1階のカフェでケーキを食べる.普段は15時にお茶してるからなあ.

Imgp206802

 長くなりそうなので,いったん切ります.

2009/06/19

ショスタコーヴィチ/森の歌

ショスタコーヴィチ/オラトリオ「森の歌」作品81@ヴラディーミル・アシュケナージ/ロイヤル・フィル(ロンドン:POCL-1457)

 1991年10月の録音.明日は杜の都に出かけるので「森」つながりである(^^;).
 このCD,他に祝典序曲とか交響曲第2番とか交響詩「10月」とか収録されているが,何故か「森の歌」だけ録音が遠い(-_-;).前3曲と同じ音量で聴こうと思うと何も聴こえない.合唱を使う作品だからと録音技師が下手な気を回したのか.おまけに,妙にソフトフォーカスで音がボケている.演奏もオケが薄い上にアクセントが変に軟らかくて,迫力不足.カップリングなど企画はいいのに,肝心の演奏がこれではイカン.

「図書館」を持続可能なものとするために(仮題)

 上手いタイトルが思いつかなかったので,取り敢えず仮題を付けておきます.

 この仕事をする上で何を考えているか,一番大きな視点は「図書館の持続可能性」に尽きると思います.公共であれ,大学であれ,「図書館」という概念なり組織なり容器なりが,今後も現在の形で存続することが可能なのか,あるいは別の概念なり組織なり容器なりにドラスティックに変わるのか,徐々に移行していくのかはわからないまでも,現行の「図書館」が変わってしまう可能性の方が高いのか.

 僕個人は,以前知人に「急進的保守派」だの「新し物好きの割には考え方が古い」だの「天邪鬼」だの言われたような性向ですから(^^;),「図書館」という概念の根っ子の部分,と僕が考えている「共同体(Community)の記憶を納め,何時でも引き出せるようにしておく記憶の共同体(Utility)」は,恐らく今後も変化することはないだろう,と踏んでます.ただし,その使いうるインターフェースは,新しいメカニックが登場するたび,その都度変わっていくのだろう,と考えます.僕が時々使う「古い皮衣に新しい酒を入れる」という表現は,ほぼこのことを別の言い回しで表現しているのだろう,と.

 「図書館」という古くからある容器に,新しい道具を放り込む.そこで起きる「新結合」即ちイノヴェーション(この言葉を使うと嫌がるひとがいるけど,他に適当な言葉もないので)による,新しい可能性をどれだけ引き出すことができるのか,そこに「図書館」の生き残り戦術(メカニックの話なので戦略とは言えないかと)を,どれだけ可能性豊かなものとして提示できるかにつながるものがあると考えてます.

 思うに,新しいことを「新しい」という理由で拒否することは,少なくとも「図書館」においては,あってはならないことなんじゃないかと.何が起きるかわからないのであらば,それは試してみたほうが面白いに決まってます(^^;).人死にが出るような代物は止めておいた方が無難ですが,そうでない限りは,「図書館」はビックリ箱で一向に構わないと思いますよ.その方が衆目も集めるでしょうし.そう,衆目の集め方,という点で矢祭は実に上手かったなあ,と(^^;).あの前町長の「情報発信力」は,相当なものでした.功罪はさておき,メディアの上で,あのコイズミと互角に渡り合うだけの発信力があったわけですから.そーゆうところを,残念ながら同じようにコイズミ改革に反対していたはずの,何処かの業界は評価することも,ましてや真似することもできなかった.それどころか,足を引っ張るような態度で「もったいない図書館」を遇したわけですから,そりゃ世間の評判を下げますわなあ(sigh).

 話が脱線しそうなので軌道を修正します.

 で,個別の案件ですが,これについては既に2度も書く機会に恵まれてまして,技術的なことは書き尽くしているような気がします.そもそも,僕は「アイデアを出す人」で,オープンソースをサーバに入れてどうこうするようなITスキルの持ち合わせは無いのですよ.自分でオープンソースが扱えるスキルがあれば,仕事ももう少し楽に出来そうなものですが,取り敢えずはアイデアを出して指示を出して,こちらのイメージを的確に言葉にして,作業をしていただくのが僕の役目ということで(^^;).

 要するに,図書館が提供する知識と人間のインターフェースをwebでの展開に合わせて組み替えていく,という試みのひとつとして,あのパスファインダーのようなアイデアがあるわけです.容器の中身ごとドラスティックに変えていくのではなく,これまでストックしてきた中身を現在の技術を活用して再構成し,提供していくだけのメカニックを身に付け活用していくことが図書館の生き残り戦術,ひいては戦略を組み立てる上で,図書館司書にとって必要な技術になっていくのではないでしょうか.

2009/06/18

ヴァーグナー/ジークフリート牧歌

ヴァーグナー/ジークフリート牧歌@カール・シューリヒト/バイエルン放送交響楽団(スクリベンドゥム:SC011)

 1961年9月の録音.
 コンサートホール・レーベルで発売されていた録音である.シューリヒトが振ったこのレーベルへの録音は残響が乏しく音が貧しいのが通例だが,バイエルン放送響を振った幾つかの録音は,平均点よりやや低い程度で何とか踏みとどまっている.
 で,相変わらずシューリヒトの演奏は速い(^^;).この録音も16分40秒で仕上がっている.それでもあまり素っ気無さを感じさせず,そこはかとなくロマンティックな風情を感じさせるところが,シューリヒトの芸である.

2009/06/17

ブラームス/交響曲第4番

ブラームス/交響曲第4番ホ短調作品98@エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル(BMG:74321 29401 2)

 1973年4月28日,レニングラードでのライヴ.
 ムラヴィンスキーのブラームスは何故か意外に(^^;)好きで,特にヴィーンでの2番のライヴは,あれは録音の悪さを超えて「みんな聴け!」的な中毒を起こしているところ.この4番も優れた演奏.激しいブラームスがお気に入りらしい>>筆者.ブルックナー(7番や9番)では気になるオケ(中でも金管)のロシア風味が,ブラームスでは不思議と気にならないのは,録音のせいかムラヴィンスキーの解釈か.いや,ブラームスのオーケストレーションでは,金管が咆哮する場面というのはあまりないのだった.

2009/06/16

ブルックナー/交響曲第9番

ブルックナー/交響曲第9番ニ短調@ジョン・バルビローリ/ハレ管絃楽団(BBC:BBCL 4034-2)

 1966年7月29日,ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ録音.
 1966年にしては録音が貧しくて,バルビローリの音楽が捉え切れてない,という印象.音楽の激しさに焦点を当てて,ブロックごとにテンポが切り替わるような解釈だが,どうもあまりうまくいっているように聴こえないのは,多分に録音のせいのような気がする.あのシベリウスのように,金管がとろけるような音を出しているところまではわかるのだが,惜しいことだ.

2009/06/15

ショスタコーヴィチ/交響曲第15番

ショスタコーヴィチ/交響曲第15番イ長調作品141@ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管絃楽団(BMG:BVCC-38300)

 1972年10月4日と5日の録音.
 我が尊敬おくあたわざる先達のひとり柴田南雄が「作曲家の心情とは無関係にハッピーな音を鳴らしている」と批判した録音だが,いま聴くとその評価は不当であると言わざるを得ない.ここに聴けるフィラデルフィアのアンサンブルはよく練り上げられており,多分に虚飾を排したオーマンディの解釈が,フィラデルフィアの暖かで虚無的には聴こえない音をクローズアップする結果になったのが誤解の因であろう(地獄の釜の蓋を開けたような深遠を聴かせるザンデルリンクあたりを聴きこんでいると,物足りなく感じることはあるだろうが).それとも,当時のオーマンディ≒俗悪,という日本の楽壇における悪宣伝に,さすがの柴田も耳が曇ったのであろうか.

2009/06/14

シベリウス/交響曲第2番

シベリウス/交響曲第2番ニ長調作品43@ロベルト・カヤヌス/交響楽団(EMI/フィンランディア:FACD 81234)

 1930年5月録音.
 カヤヌス(1856-1933)は,シベリウス(1865-1957)の作品受容にあづかって力のあった指揮者である.この録音は,1930年から1933年にかけてカヤヌスがシベリウスの作品を録音した中での1枚で,音はこの頃の復刻の平均値程度の音.全曲を通して38分あまりと,ポール・パレーと同じくらいテンポが速いのが特徴で,細かいニュアンスよりも全体の雰囲気を大づかみに鳴らす,といった感じである.残念ながらオケの技量がいまひとつで,このテンポについていけないのか,ところどころアンサンブルが崩壊しかかっているのが何とも.

2009/06/13

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第8番

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタハ短調作品13(第8番)「悲愴」@ルドルフ・ゼルキン(ソニークラシカル:SRCR 1534)

 1962年12月の録音.
 本当の「ブリリアント」なピアノというのは,こーゆう演奏だぞ,と声を大にして(^^;)訴えたくなる演奏.技術的には何の不安も無く,ベートーヴェンの音楽の十全な再現としてまず完璧ではないかと.この頃のゼルキンがベートーヴェン全集を残さなかったのは,かえすがえすも残念無念.特に晩年の作品に,この頃のライヴなどLCにでも残ってないモノか?

さらに過去に遡って朝日新聞の記事を引く

 昨日のエントリー書物奉行さんからブクマでいただいたコメントを読んで,朝日新聞が昨日引いた記事より以前に掲載した記事を思い出したので引っ張り出してきました.1992年10月16日付,昨日引用した記事の,さらに5年前のものです.


義務づけ(ひずみ列島 足踏みの地方分権:4)

 「館長さーん」と呼ばれて、真新しい図書館の受付に現れたのは、小学校の元校長だった。
 中国地方の小さな町。今春、還暦を迎えて退職したのを機に、新設された町立図書館の初代館長にスカウトされた。しかし、彼は「図書館長」と刷り込まれた名刺を、持ったまま使わずにいる。
 「文化の時代」といわれながら公立図書館のある町村はまだ全体の2割強。この町にとっても、図書館建設は住民の長年の夢だった。
 総工費は5億円。自前で賄う力は町にはない。文部省の補助金と、補助を受けることで許された起債で、やっとかなった。


○補助を受ける条件

 補助を受けるには、図書館法でこまごまと義務づけられている条件を満たさなくてはいけない。13条には「館長となる者は、司書となる資格を有する者でなければならない」とある。
 元校長は高校卒業後、通信教育で教員資格をとった。もちろん司書の資格はない。改めて取ろうにも、大学を卒業していないため、まず司書補の資格をとり、それから3年以上勤務する必要があった。町にも、元校長自身にも、そんなヒマはなかった。
 開館にこぎつけたいま、図書の貸し出し冊数は、住民1人当たり年約2冊の全国平均を上回り、目の不自由な人へのテープを吹き込む朗読奉仕会や、幼児を対象にした読書会などが活発に行われている。
 「経験や地元の人とのつながりから見て、彼こそ館長にふさわしい人物」と町幹部は評価する。しかし、資格のない者を館長にすると、補助金の返済を迫られる。
 「だから名刺は使えないのです」と、元校長は苦笑した。
 国や県への報告では、ここの館長は、受付に座る23歳の女性司書になっている。
「資格をもつ館長」に悩む自治体は少なくない。


○急きょ、集中講習

 秋田県仙北郡西仙北町に今春、町立図書館がつくられた。初代館長は、今野幸宏さん、まだ37歳だ。町中央公民館の係長をしていた昨夏、いきなり翌週から、隣県の岩手県花巻市の大学まで、図書館学の夏季集中講習を受けにいくよう命じられた。
 コメが基幹産業の人口約1万2000の町。「生涯学習の拠点に」と図書館新設に乗りだしたが、司書資格をもつ職員がいない。だれかが資格を取りにいくしかなかった。
 初めの計画では公民館の副館長が図書館長になるはずだった。ところが講習が始まる直前に急病で入院。講習を見送ると、開館時に館長がいないことになる。大卒で、同じ公民館で働く今野さんに、お鉢が回ってきた。大学近くに住み込んで66日間。「図書館の機能」や「図書の分類法」の勉強に明け暮れた。
 「これも運でしょう」と、今野さんはいう。資格が必要な以上、当分、後任が現れる見込みはない。「館長を勤めあげていく」覚悟を決めた。
 文部省は「国が補助するうえは、モデル的な良い図書館にすべきだ。司書を監督する館長も資格をもつのが当然」とする。レベルアップを目的に、来年度からは館長会議の開催や職員研修も始める考えだ。


○「国の認定は不要」

 行革や地方分権の推進を図る民間組織「行革国民会議」の並河信乃事務局長はいう。「図書館の良い悪いを国に認定してもらう必要はない。地域ごとに様々な図書館があっていい。大切なのは館長会議より館長と住民の交流。まして、館長に司書資格を義務づける意味はない」
 児童館には児童厚生員、母子寮には母子指導員を配し、保健所の所長は医師に限る。職員の配置や組織の設置を、国が自治体に義務づける「必置規制」は、地方自治法に掲げてあるだけで、ざっと100にのぼる。



 公共図書館振興のための補助金行政をお役所仕事であると断じた記事です.要するに,この時点で朝日新聞は,それまでの行政がすすめていた公共図書館の運営の方法論に対して疑義をおぼえていたフシがあるわけですね.僕の見るところ,それはほとんど「郵政民営化」「行政改革」「公務員制度改革」,さらにそれらを通じた「経済活性化」への賛同と同じレベルでの,朝日新聞における「反権力志向」のなせるわざなのではないかと.そしてその反権力志向は,公共図書館業界の直営護持派が直近の記事にがっかりした理由であるらしい,朝日新聞の「文化への理解」とやらと実は同根のものだったんじゃないでしょうか.

 それ故,朝日新聞に対しその「文化への理解」を梃子にして【光る本棚・コンシェルジュ…図書館を変える民間委託】を批判するのは,おおよそ意味が無いことであると考えます.公共図書館業界は往々にして自らを反権力の側にいると唱えますし,また八木秀次のようにそれを是認する識者(^^;)もいますが,朝日新聞においてはそうではないということです.

2009/06/12

ブラームス/セレナード第2番

ブラームス/セレナード第2番イ長調作品16@イシュトヴァン・ケルテス/ロンドン交響楽団(デッカ:UCCD-9251)

 1967年10月の録音.
 ブラームス20代の作品で,ヴァイオリンを含まない2管編成のオケによる5楽章の音楽である.同時期のセレナード第1番に比べ,いささか渋いところがあって後年の作風を予感させないでもないが,ちっともアレグロに聴こえない第1楽章など,伸びやかで甘い陽光がさんさんと降り注ぐような雰囲気を醸し出している.ケルテスの指揮も,そんな若書きの美点を余すことなく引き出している好演.

朝日新聞の「公共図書館」への理解度

 6月に入って,相次いで掲載された【光る本棚・コンシェルジュ…図書館を変える民間委託】【万引き対策に電子タグ構想】という2つの記事で,公共図書館業界(特に指定管理者・委託反対の直営護持派)から総スカンを食っているらしい(^^;)朝日新聞ですが,正直なところ,朝日新聞の公共図書館への理解度は10年以上前からこの程度じゃないかと思うところがあります.その昔,1997年6月1日(これも6月か!)に掲載された連載「列島再見 分権の足音」という記事のことを,みんなすっかり忘れているんじゃないでしょうか.以下に当該記事の公共図書館に関する部分を引いてみましょう.


地方を縛る「必要規制」

 宇都宮市近郊にある小さな町の生涯学習係長(四四)が、東京まで二カ月分のJRの定期券を購入したのは、昨年七月中旬だった。朝七時前に自宅を出て、戻るのは早くても夜七時半。そんな生活を週六日続けた。文部省が委嘱している東京の大学で図書館の司書の資格を取るためだ。
 受講者百六十人のうち、似た立場の公務員が三分の一も。北海道や九州から来ている人もいた。「出張旅費をもらって来ているから落ちたら大変」。口々にそう話した。
 町は、長年の懸案である図書館の建設を計画している。一般会計の一割以上、単年度で約六億円にのぼる大事業だ。国の「縦割り行政」に従って県の生涯学習課に相談、文部省の「公立社会教育施設整備費補助金」を受けることになったが、図書館法は国の補助を受ける場合、「館長に司書の資格がなければならない」と定めている。そこで係長に白羽の矢が立った。
 「残った社会教育担当職員は四人。係長が抜けるのは痛いが、やむを得ない。職員総出で乗り切りました」と上司の課長は言う。
 係長は十月、司書資格を取った。だが三カ月後、県の知らせにがく然とする。国の歳出削減の一環で、あてにしていた補助制度が九七年度から新規分は廃止になったのだ。「いろいろ苦労したのに……。そもそも国が地方を縛ること自体がおかしい」。計画の見直しを迫られた町の幹部はため息をついた。


(中略)

 自治体にそっぽを向かれている点では、図書館建設の補助金も同じだ。毎年、全国で七十から八十の公立図書館ができるが、補助金を使うのは十館前後に減っている。大半は「地域総合整備事業債」(地総債)に向かう。
 地総債は、最大で総事業費の九〇%分の発行が認められ、元利償還金の三〇―五五%が交付税算定の基礎に組み込まれるからだ。日本図書館協会などの反対を押し切って文部省が補助制度の廃止を決めたのは、その実態を直視したためだ。
 滋賀県近江八幡市に今春完成した市立図書館は、特産の瓦(かわら)を生かした外観が自慢の一つ。「文部省の補助金は金額が少なく、館長資格以外に部屋の面積まで細かな規定がある。そのため思い切った建物にできず、どの町も似た図書館になってしまう。その点、地総債は規制が少なくて使い勝手がいいので、地域の特色が出せる」と担当者は言う。
 東京まで通って司書資格を取った係長の町の図書館も地総債を使い、六月に着工する。町民の意見を入れて瓦を乗せた白壁の建物だ。国同様、館長の司書資格を定めた県の補助制度も使うため、夏の経験が無駄だったとは言えないが、「文部省の補助金を使っていれば、つまらない図書館になっていたかもしれない」という考えが頭をよぎるという。
 少しずつ崩れつつある「国の縛り」。それは一面では、地方が自由に使える財源の確保を求める動きでもある。

いったい,「朝日新聞」という媒体に,公共図書館直営護持派はこの10数年,どんな幻想をいだいていたんでしょうね(sigh).学習能力がないのは諦めているとはいえ,記憶力も期待できないとなると,これは連中が支えている(と自負している)「図書館」という機能にも疑義を抱かれかねない危機的な状況なのかもしれません.

2009/06/11

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73@エミール・ギレリス&カール・ベーム/チェコ・フィル(オルフェオ:C 608 032 B)

 1971年8月8日,ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音.
 この録音より少し前に,ギレリスはセルと組んでベートーヴェンのピアノ協奏曲全集をEMIに録音しているのだが,これは録音が悪すぎてギレリスとセルの素晴らしい演奏を台無しにしてしまっている.同じくギレリスとセルによる,ザルツブルク音楽祭での3番のライヴ(オルフェオ)が素晴らしいだけに,録音の拙さがかえすがえすも残念.
 こちらの5番はそれなりに録音もよく,ギレリスの出るところは出る,硬軟うまく取り混ぜたピアノを,ベームとチェコ・フィルという珍しい組み合わせのサポートが,セルの鋭さの代わりに,仕立てのいい柄の大きな音楽を聴かせてくれる.

2009/06/10

ヤナーチェク/シンフォニエッタ

ヤナーチェク/シンフォニエッタ@ジョージ・セル/クリーヴランド管絃楽団(CBSソニー:CSCR 8211)

 1965年10月15日の録音.
 このCDは,ソニークラシカルがまだCBSソニーの名乗りを捨てていない,消費税が3%だった頃に入手したもの.確か1990年だったと思う.カップリングがバルトークの「管絃楽のための協奏曲」なのは,現行の国内盤と同じ.

 セルの演奏は速めのテンポで,あまりタメやシナを作らない,楷書で書かれた書のようの印象を受けるものが多い.ところがここでは若干遅めのテンポで,しかもあちこちでテンポを細かく動かし,じっくりとしかし熱く共感を語るが如く音楽を進めているのが珍しい.そしてセルらしい精緻なフレージングとアンサンブルで,見事な音の構築を聴かせる.
 惜しむらくは楷書よろしく,精密すぎるほど精密なセルのいつものフレージングが,ヤナーチェクの破天荒な音楽が持つ魅力を減じてしまっているところ.整理整頓が行き届いたアンサンブルがセルの持ち味でありこそすれ,破天荒を破天荒として原石のまま放り出すのはセルの任ではないが.

2009/06/09

ショパン/夜想曲第1番

ショパン/夜想曲変ロ短調作品9の1(第1番)@レオポルド・ゴドフスキー(スタインウェイ:456 805-2)

 1928年6月の録音.
 ゴドフスキー(1870-1938)は「ピアニストの中のピアニスト」と呼ばれたという,戦前の大ピアニスト.のはずなのだが,残された録音はあまりいいのがないという話ではある.この夜想曲は粘るところもそれほどなく,速いテンポで淡々とあっさり弾かれていて(例えばブライロフスキーの同じ曲の録音は,伸びたり縮んだり,のたうつようなロマンティシズムに溢れている),特にリズムがひっかかるでもなく,音楽が自分で語りたいことを語るぞ,といった趣き.

図書館経営論の教材として使うによく

 朝日新聞の記事が【光る本棚・コンシェルジュ…図書館を変える民間委託】【万引き対策に電子タグ構想】と連投された(^^;)おかげで影が薄くなってしまいましたが,数日前にほんの少し,図書館業界で話題になったこちらの包括外部監査報告書.

岡山市:外部監査
http://www.city.okayama.okayama.jp/soumu/gyoukaku/gaibukansa/index.html

平成20年度報告書 第8章(図書館について)
http://www.city.okayama.okayama.jp/soumu/gyoukaku/gaibukansa/pdf/H20%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8%E7%94%A8%E5%88%86%E5%89%B2%E3%80%81%E5%9C%A7%E7%B8%AE%E7%89%88/kansa20_06.pdf

ひと通り読んでみましたが,僕にはすこぶる面白い内容の報告書でしたね(^^;).一言で感想を述べればエントリーのタイトルの通り「図書館経営論の教材として使うによく」というところです.皮肉ではなく,頭のいい人がそれなりに公共図書館について参考文献を繙いた上で,図書館から提出された資料を読み解いてみたら「これがここも当てはまるじゃん」「こちらもこの文献の分析がっ!」と,自分の勉強の成果に驚いて突っ走った結果がこれ,という印象を受けます.
 こーゆう経験,ありませんか? 未知の分野について勉強したあとで,その分野を改めて見聞したとき「これはこんなことだったのか!」「これはこーゆう意味だったのか!?」と,それこそ「目からウロコ」状態になったのがウレシクて(^^;),という.で,ついつい無意識のうちに,そこかしこにトラップを仕掛けまくって楽しんじゃう,という知識を得ることが楽しくなりだした頃合にありがちな経験.この監査を担当した方が,それと似たような感覚だったんじゃないかなあ,とこの報告書を読みましたことですよ.

 細かくツッコミ入れると時間がいくらあっても足りないので,なるほどなあ,と思ったところをひとつふたつ.

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2009/06/08

ショパン/英雄ポロネーズ

ショパン/ポロネーズ変イ長調作品53(第6番)@イグナーツ・ヤン・パデレフスキー(BMG:BVCC-5200)

 1937年1月30日の録音.
 パデレフスキー(1860-1941)最晩年の録音.正直,復刻された音はだんごでテクニックも怪しくなっているが(明らかに外した箇所や,どう聴いても弾きやすく弾き崩したとしか聴こえない箇所も)(^^;),それでも往年の轟音と途方もないスケールは健在のようで,地鳴りのようなアルペジオや轟くフォルテがそこかしこに埋め込まれていて,なかなか楽しい.最近の,清潔で端正な表情を身上とするピアニストからは聴くことの出来ない「味」である.

2009/06/06

W.A.モーツァルト/交響曲第29番

W.A.モーツァルト/交響曲イ長調K.201(第29番)@オットー・クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管絃楽団(EMI:3 45815 2)

 1965年9月21日の録音.
 ベートーヴェンやマーラーなどで見せるのとは,別の顔を見せるクレンペラー(1885-1973)である.何と言うか,音楽が実に幸せな響きに満ちている.「アマデウスだからだろ!」と言われればそれまでだが(^^;),どっこい「ふんわり」はしていないところがミソ.ベートーヴェンの演奏と同様の剛直な音作りなのだが,それが何故か明るい雰囲気に仕上がっているのだ.フモールな木管の響きといい,懐かしささえ漂わせる,あたたかな音楽である.

2009/06/05

ブルックナー/交響曲第5番

ブルックナー/交響曲第5番変ホ長調@飯森範親/山形交響楽団(オクタヴィア:OVCX-00048)

 2009年1月20日-21日の録音.
 オケは健闘してます.大健闘です,これは保障します.一所懸命です.指揮者の解釈は,ところどころレーグナー(^^;)みたいなところがあって,全体にこじんまりとしている割には,テンポやクレッシェンドが表情過多なところはありますが,まあ様式をぶち壊しているほどではない,許容範囲内というところ.
 しかし,いくら何でも響きがデッドで残響が無いというのは如何なものか.ベートーヴェンならまだしも,ブルックナーなんですよ.「オルガンの響き」と形容される音楽を,潤いの無い響きで聴かされるのは厳しい.録音するホールを選んだ方がよかったんじゃないかなあ.ちと残念.

2009/06/04

ベートーヴェン/交響曲第5番

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調作品67@エーリヒ・クライバー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(デッカ:417 637-2)

 1952年の録音.
 光彩陸離たる快進撃.剛毅に直球をど真ん中に投げ込んでくる,そんなイメージの演奏.鋼鉄の芯が一本通っているかのようだ.行く手に待ち受ける苦難も何するものぞ,という気概さえ感じられる.それでいて,音楽は教条的に硬直化せず,しなやかに躍動する.そして終楽章は文字通り,歓喜の爆発である.音楽する歓びに溢れた好演.

2009/06/03

グノー/9つの管楽器のための小交響曲

グノー/9つの管楽器のための小交響曲@アテナ・アンサンブル(シャンドス:CHAN6543)

 1978年11月の録音.
 J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1曲にメロディを載せた「アヴェ・マリア」,あるいは「ヒッチコック劇場」で使われた「おもちゃの兵隊の葬送行進曲」で知られるシャルル・グノー(1818-1893)は,管絃楽のための交響曲を若い頃に2曲作曲した.この小交響曲は,その2曲とは別に,晩年(1885年)に作曲された作品で,ホルンを含む木管九重奏という編成をとる.20分ほどの作品だが,親しみやすく,愛らしい旋律が持ち味で,以前は現在よりも,よく聴かれた作品だったと記憶する.
 演奏は実直.誠実だが,もう少し華やかさと軽やかさが欲しいところ.

2009/06/01

ドヴォルジャーク/交響曲第9番

ドヴォルジャーク/交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」@ポール・パレー/デトロイト交響楽団(マーキュリー:434 317-2)

 1960年2月の録音.
 両端楽章の提示部繰り返しが省略されているのを差し引いても34分余り,という最速の「新世界」では,と思われる演奏.国民楽派が,とか民族主義が,とか言う御託はどこかに吹っ飛ばされてしまい,引き締まった表情で快速調に進む音楽である.余計なものを削ぎ落としたところに,音楽の微小なニュアンスが明滅する様は,他の指揮者ではなかなか聴けぬ芸当かと.

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