知識について
まあ,僕も知らないことは沢山あるよ(^^;).
問題は「知らないこと」を知っているかどうか,「知らないこと」を克服する姿勢があるかどうかなんであって,ひとより何かを知っていることは,それだけでは自慢にはならないですよ.
それで,テクニックとメカニックは違うんだよね.ただ指が廻るだけなら,それはメカニックに過ぎないわけで,そんなメカニックを沢山知っていても,へのツッパリになるかどうかも定かじゃないわけですよ.必要なのは「ちょうどのときに,ちょうどのキーを押す」(ヴィルヘルム・ケンプ)ことのできるテクニック.テクニックは,単にメカニックを知っているだけでは養えない.指がどれだけ廻っても,指やキーに,そして奏でられる音に自らの意思を載せることが出来なければ,それはテクニックじゃない.「歌いたい」という気持ちを載せることが出来なければ,単に「指がよく廻る」で終わってしまう.それじゃつまらないでしょ.音楽も,人生も,図書館業務も.
あるテーマについて「ひとより何かを知っている」だけじゃダメなんだよね.その周縁領域まで含めたところで,何を知っているかまでを,トータルで見なくちゃいけない.部屋に図書館関係の本しか持って無い奴は図書館で仕事しちゃいけない,と僕が常々言ってるのは,そういうことなんだよね.プログラムが書けなくても,最新の業界事情に疎くても務まるものは務まるのです.それは知識がある/なしだけじゃなくて,その知識を得るためにどのような手法を駆使したか,を身体が覚えていることの方が,より重要なポイント.身体が覚えているやり方の中から,別の主題に対しても使える手法を,ちょうどよいときによい加減に使いこなせるかどうか,それをそのつど判断できるかどうかが大切なことじゃないかな.
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