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「貸出至上主義者」度チェックβ版

ココログ


ほし2

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2009年4月の記事

2009/04/30

マーラー/交響曲第9番

マーラー/交響曲第9番ニ長調@ヤッシャ・ホーレンシュタイン/ヴィーン交響楽団(VoxBox Legends:CDX2 5509)

 1954年初出(とCDにある).録音はいまひとつ.
 ホーレンシュタイン(1898-1973)壮年期の力演である.厚みに欠ける非力なオケを何とかドライヴしながら,出るべきどころは出る,といった趣き.オケも何とか,マーラーのスコアに必死で付いていってる,といった風情.何とか大きな破綻も無く乗り切っているのは,ホーレンシュタインのオーケストラ・ビルダーとしての能力の高さを示すものか.

2009/04/29

「予約」

 図書館業務のひとつとしての「予約」については,あまり面白くない記憶がまとわりついている.
 
 何時頃のことだったか,もう定かな記憶が無いけど,何かの拍子に何処かで「予約」について,増加するのはあまり好ましくない,といった意味のことを書いたんだと思う.そうしたら,実に感情的な猛反発を日図研だったか,図問研だったかでアクティブに活動している業界人から食らったことがある.何しろ感情的なものだったので,いったい「予約」の何処に,業界人をアツくする要素があるんだか,と不思議に思ったが,それ以来,僕は「予約」否定の急先鋒になった次第(^^;).それまでは,ある程度「予約」の数が増えるのは,それほど図書館に期待している「利用者」が多いのだよな,という感じで見ていたものの,他館からの相互貸借まで「予約」の数に入れるのは感覚的に奇妙な感じがしていたこともあって,「予約」数が増えることが「好い図書館運営」の指標になっているのは如何なものか,と疑問を呈したら,酷い目に遭ったわけ.まあ確かに,Webcatにて「本 予約」というキーワードで検索をかけると,「伊藤昭治」と「森崎震二」という名前がたちどころに出現するわけで,今となってはそうですか信仰なんですか,と当時の自らの無知を呪ってみたりもするところだが(^^;).

 信心深い方々の話はさておき,僕は「予約」という業務は必要だけど過大評価は避けるべき,というスタンス.必要悪,と評してもいいんじゃないかと考えている.「予約」が多い,ということをある種の業界人たちのように「好い図書館運営」の指標として捉えるのは,問題のすり替えじゃないかと思う.具体的な数値目標まで設定して「予約率の向上!」を謳っていた文章もあったかに記憶しているけど,何かがおかしい.極端な話,蔵書が1冊しかない図書館なら予約率は幾らでも上げられるでしょうが.と書いて思い当たったのは,「予約」にスポットライトを当てるやり口は予算減に悩む図書館における苦肉の策なのか,というところだけど,「予約」が脚光を浴びたのは(体感的な)バブル経済の絶頂期においてであり(森崎著が1993年の出版),やはり『市民の図書館』による高度経済成長にのっかった公共図書館伸張路線(貸出至上主義)の一環にあった政策だったと捉えるのが妥当だろう.拡大路線の終わりとともに,貸出至上主義の肥大化した信仰の残骸として「予約」が残った,というところなんだろうか.

 コントロールできない「予約」業務,というのは明らかに貸出至上主義の破綻が招いたサービスの行き詰まりである.最終的には貸出至上主義の解体的検証を通して,内容に対して何らかの見直しと再定義が必要になってくるのだろう.

キース・ジャレット・トリオ/スタンダーズ・ライヴ

キース・ジャレット・トリオ/スタンダーズ・ライヴ(ECM:ECM1317)

 1985年7月2日の録音.
 ECMのクラシック録音は幾つも聴いているけど,本領のはずのジャズを聴くのは初めてだったりする(^^;).このあたりが「誰も知らないものを知っているくせに,みんなが知っているものを知らない」と言われる僕のマヌケなところですが.
 にわか勉強でジャズのCDをあれこれ買って来ていろいろ聴いているわけですが,キース・ジャレットはJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア」や「ゴルトベルク変奏曲」で知っている演奏に比べると,ここでは実に自由闊達に軽やかに音楽しているなあ,という印象.聴いていて楽しいし,面白い.
 クラシックでの演奏では,当人は否定しているとしても,幾許かは構えてしまっているのかもしれない.

音楽から受け取るもの


 先日,受講生相手にしゃべったものの,上手くまとまらなかった話を再構成してみる.

 ・・・・・・先日来,『東京大学のアルバート・アイラー』(文春文庫)という本を読んでいて,取り上げられている音楽をいくつか聴こうと(クラシックならクラヲタの端くれなのである程度の持ちネタはあるけど,ジャズは全く不案内で音源も持ち合わせが無い)近所のタワレコに出向いたら,たまたまそこでジャズのワゴンセール中.おお,これは僕のために安売りをしているのだな,とそのワゴンの中から僕でも知っているプレイヤーのCDを5枚ばかり引き抜いて購入し,まずはジョン・コルトレーンの「A Love Supreme」というアルバムを聴き始めたわけですよ.前の晩に,「Giant Steps」という曲をYou Tubeで聴いて「ほほう」と思った(3連符だ,5連符だと考えられないような装飾音を付けながら疾走するサックス!)ので,これも似たようなものかと予断を持って聴き始めたらとんでもない(^^;).疾走するどころか,その場所をぐるぐる廻り続けて出口のない音楽が延々と続く,といった趣きで,とても「Giant Steps」のような耳にわかりやすい(楽典的には,コード進行が非常に難しいらしいが)音楽ではなかったのでありました.が,ジャズ初心者の僕の耳でも取り敢えず「やたらと情報が詰まっている」音楽だということは理解できて,演奏時間以上に長い曲だと感じたわけですよ.
 
 これはどういうことなのかな?

 取り急ぎ,こういうことは言えるでしょう.僕は曲がりなりにも一応クラヲタなので,取り敢えず「音楽」そのものについてはある程度の基礎知識というものがあり,それが初めて聴く音楽に対しても無意識のうちに作用して,「A Love Supreme」が発信している「情報」を何がしか受け取っているから,よくわからないまでも「情報が詰まっていて長く感じる」ことになったのではないか,と(その無意識を「暗黙知」と呼ぶのかどうかまでは,さすがにわかりかねます).

 でね,その音楽が何がしかの「情報」を発信しているかどうか,を感じるには取り敢えず「基礎知識」が必要だ,ということなんだけど,これはみなさんに出した課題でも同じことなんですよね.つまり,目の前にある課題に出て来る名前が誰であるか,を知っていれば(その名前に関する基礎知識があれば),その名前自体が何かをみなさんに伝えてくるわけ.そうであればしめたもの(^^;)で,何処を見れば目指すものが手に入るか,ある程度の目鼻は立つんですよ.問題はまったく未知の名前があるときですが,それについては基礎知識を得るための作業をすればいいだけの話なんですよ.まったく未知の音楽家の演奏でも,こりゃいい曲/演奏だとなれば,その演奏家が誰なのか探しに行くわけじゃないですか.それと同じことですよ.ましてや相手は僕の場合,John Coltraneだ,大物だということはすぐにわかる(^^;).課題だから面倒になるわけで,調べるプロセスに異なる作業があるわけじゃない.調べて基礎知識を得れば,その基礎知識が発信元から何かを受け止めるんですよ.

 『家栽の人』に,盆栽が何かを伝えるんじゃない,じいさんが盆栽から何かを読み取るんだ,ということを孫に桑田判事が教える場面がありますが,分類における手順・作業も同じようなものだと思いますよ.


2009/04/28

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35@ミッシャ・エルマン&エイドリアン・ボールト/ロンドン・フィル(ロンドン:POCL-4594)

 1954年6月の録音.
 エルマン(1891-1967)は,全盛期には「エルマン・トーン」と謳われた美音で一世を風靡したヴァイオリニスト.レオポルド・アウアー門下の著名なヴァイオリニストの中では,もっとも「芸人」的なヴァイオリンを弾くひとのような気がする.ここでも故意に崩しているのか衰えから崩れているのか,音程もリズムもところどころかなり怪しくはなっているものの,あちらこちらで見得を切る,ケレン味たっぷりの演奏を繰り広げる.それにボールトが見事にぴたっとオケを合わせているのが見事である.

2009/04/26

ビル・エヴァンス/alone

ビル・エヴァンス/「alone」@ビル・エヴァンス(Verve:0602498840320)

 1968年9月と10月の録音.
 ただいま,ある本を読んでいる最中のため,無性にジャズが聴きたくなってレコード屋に入ったら,1枚1390円で輸入盤が山をなしていた(^^;).山の中から掘り出してきた1枚.個人的には,もう少し疾走感のある音楽が聴きたかったのだけど(コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」のような),このアルバムは僕のようなジャズ初心者にも優しい(sigh).なごみのピアノ.

裏blogに「新型インフルエンザ」情報のまとめエントリー作りました

 表題の通り,裏blogに「新型インフルエンザ」に関する情報サイトのまとめを作りました.新しい情報を見つけ次第,順次更新していきますが,5月1日-5月6日は私用のため更新できません.

欲訥於言而敏於行: 豚インフルエンザに関する情報サイト
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/lib_disasters/2009/04/post-ffef.html

5月17日追記:
状況が刻一刻と変化しているので,そのつど新しいエントリーを起こしています.カテゴリーは下記.
なお,現在では名称が「新型インフルエンザ」と改称されていますが,過去のエントリーは記録性も鑑み,このエントリーも含めタイトル・本文等を訂正していません.あしからずご了承ください.

欲訥於言而敏於行: パンデミック
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/lib_disasters/cat21240329/index.html

愚智提衡而立治之至也の取り急ぎブックマークしました - パンデミック
http://b.hatena.ne.jp/wackunnpapa/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF/

5月18日追記:
このエントリーのタイトルと本文は一部修正しました.

2009/04/25

スクリャービン/法悦の詩

スクリャービン/「法悦の詩」作品54(交響曲第4番)@ピエール・ブーレーズ/シカゴ交響楽団(DG:POCG-10164)

 1995年11月の録音.
 ブーレーズが絢爛豪華なオーケストレーションをこれでもかと前面に押し立てて,雄弁にオーケストラをドライブする.スクリャービンが信奉していた神秘主義とか神智学とか,音楽の外の要素にこだわりすぎるとわけがわからなくなるので,これはこれでひとつの解釈であろう.実際,この演奏は面白いし(^^;).何処に連れて行かれるのか何とも捉えどころの無い音楽を,音響の魅力で聴かせてしまう.

2009/04/22

シューベルト/交響曲D944

シューベルト/交響曲ハ長調D944(第9番)@ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団(ヘンスラー:CD93.057)

 1996年4月27日,ロンドンはロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのライヴ.
 ライヴとはいえ,ギーレン(1927-)の棒は相変わらずクールで明晰.全力投球だがホットなところが微塵も無いあたりが現代音楽のスペシャリストたるギーレンの真面目(しんめんぼく)か.おかげでシューベルトの夢見ごこちな雰囲気はどこかに飛んで消えてしまい,まるで大バッハか何かのような手触りに聴こえるのが不思議.

2009/04/21

ベートーヴェン/交響曲第3番

ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」@ニコラウス・アーノンクール/ヨーロッパ室内管絃楽団(テルデック:2292-46452-2)

 1990年7月3日の録音.
 涼やかで戦闘的な「エロイカ」である.アーノンクールらしい,バロックでごつごつした響きを残しながらも,流れるような軽やかで伸びやかな音楽が展開する.

2009/04/20

アイヴズ/交響曲第4番

アイヴズ/交響曲第4番@小澤征爾/ボストン交響楽団(DG:UCCG-9253)

 1976年の録音.
 アイヴズ(1874-1954)を聴くのは久し振りか.この何とも形容し難い不思議な音楽が好きで,一時期はよく聴いたもの.この作品の第2楽章など,左右の路地から違う音楽を奏でる楽隊が出て来たのに出くわしたマーラー言うところの「これがポリフォニーだ」というところで,何だかんだ言っても,実験的な音楽を生み出すアイデアには何度聴いても脱帽するしかない.オモチャ箱をひっくり返したようなカオスを,ニコリともせず書いていたんだろうな,このひとは.

2009/04/19

会津五桜縦断ツアー:その他の桜など

 「会津五桜」以外にも,いろいろ行って来ましたですよ(^o^)/

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立木観音(福島県会津坂下町,会津ころり3観音のひとつ)


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上宇内薬師堂(調合寺,会津坂下町)に鎮座する木造薬師如来像(会津五薬師のひとつ,国指定重要文化財)


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会津美里町の八幡神社の桜.お見事.


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米沢の千歳桜(会津美里町)


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法用寺三重塔(会津美里町)


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伊佐須美神社仮本殿(会津美里町).旧本殿は2008年10月焼失.


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伊佐須美神社復興予定図.まるで出雲大社の復元想像図のような本殿(^^;).


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昼食に食べた「白孔雀食堂」(会津若松市)の「ソースカツ丼」1150円也.若松に行く機会があれば一度は食するべし(^^;).


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滝沢本陣(会津若松市).戊辰戦争の古戦場.弾痕や刀傷が残る.


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復元された慧日寺中門と金堂(福島県磐梯町).慧日寺は徳一によって開かれた,古代-中世の会津仏教を代表する寺院.明治の廃仏毀釈後衰微していたが,発掘調査の成果に基づき2008年と2009年に相次いで復元.


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磐梯神社の木ざし桜.磐梯神社は旧慧日寺の故地に創建された神社.慧日寺の発掘・復元に際し移転し,桜は復元された慧日寺の境内に残された.


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磐椅(いわはし)神社(猪苗代町).天平元年創建と伝えられる.延喜式式内社.保科正之を祭る土津神社は磐椅神社の末社として創建されたもの.


これだけ廻って,走行距離200キロ(^^;).

会津五桜縦断ツアー

 昨日(4月18日),クルマを駆って「会津五桜」縦断ツアーを敢行しました.結果がこちら↓

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杉の糸桜(福島県会津坂下町の薬王寺,ほぼ終わり)


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虎の尾桜(福島県会津美里町[旧・会津高田町]の法用寺,まだ3輪)


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薄墨桜(福島県会津美里町[旧・会津高田町]の伊佐須美神社,ぼちぼち)


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石部桜(福島県会津若松市,満開!)


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大鹿桜(福島県猪苗代町の磐椅[いわはし]神社,全然ダメ)


まだ開花してない桜が多いのでした.要するに,由緒正しい桜というのは,えてしてソメイヨシノじゃない(^^;),ということですね.残念.

2009/04/17

ドヴォルジャーク/交響曲第8番

ドヴォルジャーク/交響曲第8番ト長調作品88@ヴラディミール・ヴァーレク/プラハ放送交響楽団(スプラフォン:SU 3802-2)

 2000年10月8日,13日,15日の録音.
 この曲の第1楽章は,ちょっと聴いたところでは同じような動機を使いまわしているように聴こえてその実,かなり細かくリズムをいじくりまわしている.そのあたりを指揮者が押さえて,リズムを厳格に弾き分けさせているかどうか,仔細に聴いてみると意外に勢いだけで弾いていて,あまり弾き分けてない録音が多い.中にはバルビローリ(パイ/EMI)のように,リズムどころか音楽が崩れてしまっているケースもあったりする(^^;).このヴァーレク(1935-)の録音も,勢いをとったもので細かいリズムは徹底されていないところがある.全体としては爽快な好演なだけに,瑕疵が惜しい.

2009/04/16

ヴァイル/小さな三文音楽

ヴァイル/小さな三文音楽@オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管絃楽団(EMI:5 67337 2)

 1961年10月と12月の録音.第3曲が省略されている.
 この組み合わせは,意外に思われそうだけど,第二次大戦前のクレンペラーは過激なモダニスト(^^;).同時代の作曲家の中で,ヒンデミットとヴァイルのことを,クレンペラーは「例外的に」高く評価していていた.戦前にもこの組曲からの抜粋を録音していたが(1931年,初演からわずか3年後のこと),そちらの方が驚くほど同時代の空気を伝えているのに対し,こちらは同時代の生々しさは幾分後退しているものの,爛熟した時代の雰囲気は伝わってくる.
 いろいろな意味で,聴かれていい録音である.

2009/04/13

ブルックナー/交響曲第4番

ブルックナー/交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(1874年稿)@ケント・ナガノ/バイエルン国立管絃楽団(ソニー:88697368812)

 2007年9月17日の録音.
 ブルックナーと必ずしも相性がいいとは思えないケント・ナガノによる第4番だが,これは成功しているのでは,と思う.その理由のひとつは,バイエルン国立歌劇場のオケを起用していることで,何となくブルックナーらしい(?)音がしている.そしていまひとつの理由として,ナガノがここで1874年稿という,ところどころに裂け目のあるような,場面転換の連続でできあがっているテキストを採用していることがあげられるだろう.ナガノは分析的な解釈の棒を振ることで他の追随を許さない指揮者だが,ともすると音楽が流れずに渋滞を引き起こしたり,音楽がブロックとブロックの衝突じみた様相を呈するのだが,ここではテキスト自体が渋滞したり,休符や突然の強奏で楽想が転換したりする構造になっているものだから,ナガノの分析的な解釈がすんなりと受け入れられることになっている.
 それにしても,どこで締めくくりがついているんだかわからない,不思議な音楽をスマートにねじ伏せてしまうナガノの能力は,さすがと言うべきだろうな.

2009/04/11

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こせこせ書いたエントリーが消滅してしまったので,今日も桜の写真でご勘弁を.

2009/04/10

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咲いた咲いた,桜咲いた♪

2009/04/09

ベートーヴェン/交響曲第8番

ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調作品93@パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ベルリン(ソニーBMG:86967 00655 2)

 2004年8月26日-28日の録音.
 昨日のエロイカの併録.相変わらずバロックで,結構やかましい(^^;).

 ところでこの曲は,意外に第2楽章や第3楽章を知ってるひとが多いのね.曰く「給食の時間のBGMだった」「掃除の時間のBGMだった」.そういえば,僕の母校の小学校では,給食のBGMはサン・サーンスの「白鳥」だったっけ.中学では,放送委員が適当に選曲していて,放送委員のひとりだった僕はマーラーの第6番の第3楽章を給食の時間に,「軍艦マーチ」を掃除の時間にかけたことがある.ちなみに,ベートーヴェンの「運命」を掃除の時間にかけたのは僕ではない(^^;).

2009/04/08

ベートーヴェン/交響曲第3番

ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」@パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ベルリン(ソニーBMG:86967 00655 2)

 2005年8月27日-29日の録音.
 先日に続いてパーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェン.古楽派風の奏法なので,響きが硬質なバロックでユニークなのはいいんだけど,どうもやっぱり表情付けが過多なんだよねえ.第1楽章のコーダのクライマックス,例のトランペットが途中で消えてしまう辺りでも,楽譜に無いクレッシェンドが多用されていて,落ち着かない.もう少し,堂々と押し切れないものですか.
 向きとしては好きな部類なので,演出で上手く聴かせようと考えているところが昇華されることを期待してみる.

2009/04/07

知識について

 まあ,僕も知らないことは沢山あるよ(^^;).

 問題は「知らないこと」を知っているかどうか,「知らないこと」を克服する姿勢があるかどうかなんであって,ひとより何かを知っていることは,それだけでは自慢にはならないですよ.

 それで,テクニックとメカニックは違うんだよね.ただ指が廻るだけなら,それはメカニックに過ぎないわけで,そんなメカニックを沢山知っていても,へのツッパリになるかどうかも定かじゃないわけですよ.必要なのは「ちょうどのときに,ちょうどのキーを押す」(ヴィルヘルム・ケンプ)ことのできるテクニック.テクニックは,単にメカニックを知っているだけでは養えない.指がどれだけ廻っても,指やキーに,そして奏でられる音に自らの意思を載せることが出来なければ,それはテクニックじゃない.「歌いたい」という気持ちを載せることが出来なければ,単に「指がよく廻る」で終わってしまう.それじゃつまらないでしょ.音楽も,人生も,図書館業務も.

 あるテーマについて「ひとより何かを知っている」だけじゃダメなんだよね.その周縁領域まで含めたところで,何を知っているかまでを,トータルで見なくちゃいけない.部屋に図書館関係の本しか持って無い奴は図書館で仕事しちゃいけない,と僕が常々言ってるのは,そういうことなんだよね.プログラムが書けなくても,最新の業界事情に疎くても務まるものは務まるのです.それは知識がある/なしだけじゃなくて,その知識を得るためにどのような手法を駆使したか,を身体が覚えていることの方が,より重要なポイント.身体が覚えているやり方の中から,別の主題に対しても使える手法を,ちょうどよいときによい加減に使いこなせるかどうか,それをそのつど判断できるかどうかが大切なことじゃないかな.

ブルックナー/交響曲第5番

ブルックナー/交響曲第5番変ロ長調@フィリップ・ヘレヴェッヘ/エリゼー宮管絃楽団(ハルモニア・ムンディ・フランス:HMC902011)

 2008年2月の録音.
 ヘレヴェッヘによるブルックナーの交響曲録音の第3弾.以前録音された4番,7番でいささか失望していたけど,これは悪くなかった.2曲に比べると,ブルックナーらしさが解釈にも,オケの音色にも感じられるようになってきた(^^;).ブルックナーに似つかわしくない軽さを感じさせるところが減っている.オケがブルックナーの文法になじんできたのかな? 

 とはいえ,8番や9番では,まだまだ厳しいような気がする.

2009/04/06

ベートーヴェン/交響曲第7番

ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調作品92@パーヴォ・ヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ベルリン(ソニーBMG:88697129332)

 2004年6月18日,19日と2006年9月3日,4日の録音.カラヤンじゃあるまいし,間が2年もあるのは如何なものか.

 それはさておき,今や親父さん以上の注目株であるところのパーヴォ・ヤルヴィ(1962-)が振ったベートーヴェンである.抑えた編成による,バロックな解釈(時々へんてこな音がする)による演奏で,爽快だが陰影に乏しい.かなり細かく表情を付けているのだが,いまひとつしっくりこないのか,表情付けが無駄に感じてしまう瞬間がある.アンサンブルの練り上げ方はたいしたもので,これは親父さんより上かもしれない.
その意気を壮とすべし,というところか.

2009/04/04

ベートーヴェン/田園

ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」@ポール・パレー/デトロイト交響楽団(マーキュリー/タワーレコード:PROA-287/289)

 1954年11月26日の録音.モノラル.
 先日「ポール・パレー ベートーヴェン 第6番」で検索して当blogに辿り着いた方がいましたが,CDが出ていたんですね(^^;).SP時代にもパレーは「田園」を録音していて,あらえびす翁が『名曲決定盤』で「夢も詩もない」と嘆くような録音だったようですが(僕は未聴),この録音も常のパレーで透明な音色とテンポの速いこと(特に第1楽章の速さは何ですかね)はもちろん,言いたいことは音楽が勝手に自分で語るだろうと言わんばかりのそっけなさ.そういえば,アンセルメのベートーヴェンがパレーの演奏に近い感じであったな.もっとも,アンセルメよりパレーの方が体温が低いか.

 僕のようなすれっからしには面白いだろうけど(実際,面白かった),初心者にはおススメしません(^^;).

2009/04/03

ブラームス/交響曲第2番

ブラームス/交響曲第2番ニ長調作品73@シャルル・ミュンシュ/ボストン交響楽団(BMG:BVCC-7910)

 1955年12月5日の録音.
 マイクが近すぎるのか,音がガサツなのが気になるが,演奏はしごく流麗で,第2番は「語る」よりも「歌う」べき,という僕の年来の主張を補強してくれる(^^;)好演.この曲で語ったら,それでなくてもリズムでがちがちの音楽が,身動きが取れなくなる.ミュンシュのように流しても,この曲のリズムは充分に自己主張するから心配ない.終楽章も,ムラヴィンスキーのヴィーン・ライヴほどではないものの,さすがの突進力である.

2009/04/02

ドヴォルジャーク/交響曲第8番

ドヴォルジャーク/交響曲第8番ト長調作品88@コリン・デイヴィス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(フィリップス:PHCP-9059/9060)

 1978年11月8日の録音.
 コリン・デイヴィス(1927-)らしい,中庸の美学を十全に発揮した好演.この曲における,ほのぼの系の演奏の最右翼にあるのでは? 突出したところは無いが,オケのアンサンブル,コントロール,音色,テンポなどなど,実に高水準なところでまとめられている.こーゆう演奏を本当の意味での「いぶし銀」というのだろう.

2009/04/01

シューベルト/交響曲D944

シューベルト/交響曲ハ長調D944(第9番)@レナード・バーンスタイン/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(DG:427 646-2)

 1987年10月の録音.
 バーンスタインは割りと小男だった(いつだったかグラミー賞の特別表彰に出て来て,最後にエスコートしてきた人に両脇から釣り上げられて舞台を去ったのを見た)が,この演奏は「大男のデリカシー」だな(^^;).バーンスタインがオーケストレーションに手を入れていることもあってか,コンセルトヘボウにしては,意外に粗暴な音を金管が出しているし,コントラストは明確だし,推進力に溢れる明るい演奏に聴こえる.さすがに木管はところどころで切なげな音色を醸し出しているのがなかなか.

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