小手調べ
図書館学は実学だと言うのであれば,やはり具体的な書名を挙げて「面白い」「つまらない」と批評するのがよい.批評精神のあるところに真っ当な学問が育つのだから,書名を挙げず具体的な言及を避けながら論敵を非難し自説を称揚するのはおおよそ不健全な姿勢であろう.例えば最近の伊藤昭治の手によるものでは,「出版ニュース」掲載の駄文よりは日本図書館協会「2008年度中堅職員ステップアップ研修(1)」におけるレジュメの方が,具体的に論難している相手の名前がわかるだけマシというもの.
斯様な点からこちらのエントリーは,ちと物足りない(^^;).具体的な書名を挙げて,『公立図書館の歴史と現在』(森耕一)は面白い,『図書館情報学入門』(藤野幸雄ほか)はつまらない,『新版図書館の発見』(前川恒雄)は素晴らしい,『日本公共図書館の形成』(永末十四雄)は公共図書館と名乗っている時点でダメ,などと書いてくれなければ,発展的な議論を展開しようにも,対手が受ける術がないではないですか.
もう少し踏み込んでみましょうか.
これは,まだ拾い読みしかしてない本で恐縮ですが『創造都市・横浜の挑戦』(野田邦弘著/学芸出版社/2008年8月初版)という本.著者は2004年まで横浜市の職員として文化行政にたずさわり,「横浜トリエンナーレ」も手がけた方.「創造都市」という概念については当方も研究途上なので,今回は言及を控えるが,とにもかくにも横浜市には「創造都市」というグラウンドデザインに基づいた文化政策が組み立てられているらしい.ところが,文化政策を立案,実行している様を描いているこの『創造都市・横浜の挑戦』において公共図書館の姿は影も形も見当たらないのである.この本は丁寧なつくりの本で,索引も付いているのだが,そこには「横浜市立大学」「横浜美術館」「横浜みなとみらいホール」は立項されていても「横浜市立図書館」は見当たらない.横浜市の「文化」には公共図書館は無関係であるとおぼしい.これは一体,如何なる理由からだろうか?
上記リンク先のエントリーの著者,あるいはその著者が属する団体の関係者で,この課題を政治的策動(労働運動)の視点抜きで,誰にでも理解可能な形に解説できる人間がいるのかどうか.恐らく政治的策動が前面に出る形でしか説明できないんじゃないだろうか.つまりそれは,「創造都市」というグラウンドデザインに対する公共図書館のグラウンドデザインを彼らが持ち得ていない,ということであることを意味している.
この先は,また媒体を改めて論じるつもり(^^;).
・・・・・・図書館学の本を俎上に載せなくても,公共図書館の話は斯様に,十二分に展開できるんですよ.何も上記リンク先のエントリーのように,今更大見得を切る必要なんか,もう何処にもないの.実のところ,出来る人は,とっくに僕の10歩先を行っているわけで,ここに書き出したようなものは畢竟小手調べに過ぎないのではないかな.
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