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ココログ


ほし2

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2009年3月の記事

2009/03/31

リムスキー・コルサコフ/シェヘラザード

リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェヘラザード」作品35@ヘルマン・シェルヘン/ヴィーン国立歌劇場管絃楽団(ウェストミンスター/289 471 217-2)

 1957年5月の録音.
 ご存知怪演で鳴らす(^^;)シェルヘンが,説明不要の通俗名曲の雄「シェヘラザード」を振った録音.ところが,何故か至極真っ当な解釈で,雄大に華麗にオケを鳴らすのにビックリさせられる.ヴィーン国立歌劇場管絃楽団も,この録音のときはいいメンバーが揃っていたのか,破綻もなく(「ボレロ」のように小太鼓が止まることもなく)シェルヘンの棒についてゆく.録音がまた,音の良さを売り物にしていたウェストミンスターらしく,録音年からしたらかなりの水準で録れている.
 というわけで,トンデモを期待すると裏切られるが,普通の意味で好演であるよ(^^;).

2009/03/30

ラフマニノフ/交響曲第2番

ラフマニノフ/交響曲第2番ホ短調作品27@サイモン・ラトル/ロサンゼルス・フィル(EMI:TOCE-4015)

 1984年1月の録音.
 録音当時,ラトルは28歳くらいではなかったかな? ラザレフ/ボリショイ(エラート)の重苦しい雲の立ち込めたロシア風ではなく,西側風の絢爛豪華な演奏で,しかも退廃的ではなく清潔な雰囲気のする,言うなれば「あっけらかん」とした仕上がり.
 僕はこの演奏,結構好きです.

2009/03/29

シューマン/交響曲第1番

シューマン/交響曲第1番変ロ長調作品38「春」@ポール・パレー/デトロイト交響楽団(マーキュリー:462 955-2)

 1958年3月の録音.
 突然ですが,交響曲で四季を巡らせると,チャイコフスキーの交響曲第1番(冬)→シューマンの第1番(春)→マーラーの第1番(初夏)→ベートーヴェンの第6番(夏から秋)というところ.この中で僕になじみが薄いのはシューマン.昔々,世話になった部活の顧問に「シューマンのオーケストラは下手だよ」なんて言われたのが尾を引いているのか,シューマンのいい演奏にめぐり会えなかったからなのか.数年前にパレーの全集を聴くまでシューマンの交響曲はピンと来ない作品群でしたね.

 とはいえ,第2番以外はさほどの名曲とも思えないところが何とも(^^;).この交響曲よりピアノ五重奏あたりのほうがいい音楽じゃないかしら? とにかく,シューマンを聴くならピアノ曲です.

2009/03/28

ベルヴァルド/サンフォニー・サンギュリエール

ベルヴァルド/サンフォニー・サンギュリエール(交響曲第3番)@エサ・ペッカ・サロネン/スウェーデン放送交響楽団(ムジカ・スヴェシエ:MSCD531)

 1990年3月13日の録音.
 フランツ・ベルヴァルド(1796-1868)はスウェーデンの音楽家として世に立ちたかったのに,その音楽は当時の水準ではあまりに独創的過ぎてスウェーデンでは最晩年まで理解されず,身過ぎ世過ぎとしてベルリンで始めた整形外科が却って当たってしまうという,いささか気の毒な生涯を送ったひと.この3楽章からなる「サンフォニー・サンギュリエール(風変わりな交響曲)」も1845年には書き上げられパリで初演されるはずが,1848年の2月革命のあおりをくらってその機会を失い,結局初演は1905年だったという.その後,この曲は指揮者のイゴール・マルケヴィチが気に入って自らの演奏会によくかけたこともあり,次第に知られるようになったようである.なお,マルケヴィチの残した録音(DG)は,さすがにこの指揮者らしいとんがった(^^;)演奏.

 で,こちらサロネンの録音は,なかなか軽快なリズムでよどむことなく進んでいく好演に仕上がっている.清涼なロマンティシズム,というところか.

2009/03/27

案の定

図書館退屈男: JLA「専門職員認定制度」の門はジブラルタルより狭い
http://toshokan.weblogs.jp/blog/2009/03/jla-ed58.html

 ↑こちらを読んで,さすがに堪忍袋の緒が切れた.
 僕は日本図書館協会専門職員認定制度特別検討チームに対して,去年の12月11日に質問のメールを送り,お返事をいただけなかったため,さらに12月25日に検討チームと日図協のinfo宛てに再度メールを出したのですが,返答がなく,結局時間切れで「専門職員認定制度」に申し込まなかったのですね.そうしたら案の定(-_-;).何と言う事だ.

 昨年の質問メール(これは実は再質問で,最初の質問は公共図書館勤務以外の図書館業務が「図書館類似業務」にされていたことついて)を,僕のプライヴァシーに関わる箇所のみを改変した上で,以下に貼り付けて起きます.


G.C.W.氏(仮名)です.お忙しい中,お返事をいただきありがとうございました.変更されたことは確認いたしました.

その上で,再度質問させていただきます.

幾ら考えても,よくわからないのですが,「日本図書館協会専門職員認定制度」というものは,公共図書館に勤務する正規職員以外については,どの程度考慮に入っている制度になるのですか?

周囲の大学図書館員や公共図書館員にも訊ねてみたのですが,

・図書館勤務歴
・「公立図書館」以外の図書館及び他の類縁機関等における業務

という区別について,

「日図協が公共図書館とそれ以外の館種を区別する理由がわからない」
「(公共・大学・専門等を含む)〈図書館〉業務と〈文庫活動〉〈お話ボランティア〉のようなものを分けるのならわかるけど」

という意味の声が圧倒的なのですよ.

> 三村敦美:日本図書館協会中堅職員ステップアップ研修と専門性確立の方向性,図書館雑誌,100(2), pp84-87

上記文献に読みとれるような意識が前提になっているのだろうとは想像出来ますが,もしそうだとしたら,そもそもの前提が間違っていると愚考します.そもそも,公共図書館に勤務する司書でも,大学図書館に勤務する司書でも,等しく日本図書館協会は個人会費9000円を徴収してますよね?

公共図書館以外の図書館に勤務する司書にも適用される制度だとするならば,このような区別が行われることには,等しく会費を払っている身としては承服いたしかねます.この認定制度が公共図書館に勤務する司書以外を射程の外に置いているのであれば日図協は「日本〈図書館〉協会」の看板を下ろし,個人会員,団体会員から公共図書館以外の館種を外すべきでしょう.

上記文献に見られるような公共図書館を偏重する意識から脱却し,ステップアップ研修を「児童図書館員養成講座」の実施,という方向ではなくステップアップ研修の他館種への拡充,こそが喫緊の課題だと思われますが如何ですか? 何よりもまず,どの館種に属する個人会員も等しく会費を払っている,という事実から出発していただきたい.

万が一にも日図協が他館種に勤務する職員に対してステップアップ研修を実施するだけの体力が無いのであれば(個人会員に9000円払わせておいて,「体力が無い」という言い訳は苦しいと思いますけどね),他の協会(専門図書館協議会や私立大学図書館協会など)が実施している研修を後援するなり,ステップアップ研修と同等の評価を与えるなり,方法は幾らでもあるはずです.

この件は,各館種の融和を掲げておられた竹内前理事長体制から,塩見現理事長体制になって栗原元理事長時代への揺り戻しが始まった,格好の事例であると一部で受け取られていることを各位にはご承知おきいただきますよう.

長々と書いてきましたが,とにもかくにも,まずは公共図書館勤務者と他の館種の勤務者を峻別しなければならない事情なり理由なりをご教示ください.それがわからないと始まりません.よろしくお願いします.

なお,メールでのお返事は,このメールの発信元である [メアド削除]にお願いします.これは日図協の個人会員として書いているメールであり,仕事で書いているメールではございませんので,図書館で業務に使用しているアドレスにご回答を送られませんように.

これで,日図協を辞める大義名分が出来たというものです.大学図書館に勤務している方で日図協に加入している方は,一日も早く辞めたほうがいいでしょう.斯様な状況では,年会費をドブに捨てているようなものですから.

ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調作品47@クルト・ザンデルリング/ベルリン交響楽団(ベルリン・クラシックス:BC2063-2)

 1982年1月19日から22日の録音.
 LPを持っているけど(ET-5168),まずはアナログ最晩期の優秀録音であった.ジャケットも当時のドイツ・シャルプラッテンらしい美しいもので,レコードジャケット用の簡易な額縁を手に入れて飾っていたものだ.
 演奏はもちろん,悪いわけがない(^^;).ザンデルリングのショスタコーヴィチ録音について語らないショスタコーヴィチ評論は昔から信用して無いが,この演奏で問題になるフィナーレの楽譜の指定を無視した解釈が,指揮者曰く,作曲者からのサジェスチョンに基づく以上は,取るべきところがあるのだろう.

2009/03/26

ベートーヴェン/交響曲第6番

ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」@ペーター・マーク/パドヴァ・エ・デル・ヴェネト管絃楽団(アーツ:47247-2)

 1995年2月5日と6日の録音.
 マーク(1919-2001)はスイスの指揮者.玄人好みの堅実な芸風を身上とし,モーツァルトとメンデルスゾーンの演奏で高く評価され,晩年にいたって(チェリビダッケやヴァントほど爆発的では無いが)地味ながらも録音を量産した.このCDもその1枚で,カリスマには欠けるものの,無理のないかっちりした造型で,こちらが年齢を重ねるにしたがって味わいが深くなるような演奏に仕上がっている.

2009/03/25

リヒャルト・シュトラウス/ツァラトゥストラはかく語りき

リヒャルト・シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30@セルゲイ・クーセヴィツキー/ボストン交響楽団(BMG:BVCC-7079/7080)

 1935年1月22日の録音.
 数あるクーセヴィツキー(1874-1951)の録音の中で,柴田南雄が「あれはじつに良かった」(『私のレコード談話室』朝日新聞社)と評した名演奏である.実際,今聴いても実によい(^^;).少々ぶっきらぼうだが嫌味のないテンポ,軽妙なポルタメント,他の音楽でやったらアクが強すぎるのかもしれないがシュトラウスなら許容範囲になる表情付け,みな「ツァラトゥストラ」に誂えたかのようにハマっていく.見事なものである.

2009/03/24

策士だ(>_<)

 何はともあれ,勝ったからいいですけど.

侍ジャパンWBC連覇、延長の死闘制す…韓国に5-3 : WBC : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/wbc/2009/news/20090324-OYT1T00326.htm

 野球について,腹が立ったのは久し振り(^^;).9回裏,何故あの場面でダルビッシュだったのか,どうしても解せないのである.如何に藤川が不調だったとはいえ,馬原もいるはずなのに敢えてダルビッシュをつぎ込んで,危うくサヨナラ負けのピンチを招いたのだから,結果的に延長戦を制したからオーライ,ということにはならないのではいか.藤川が故障で投げられなかったというのであれば理解できなくも無いが,万が一,あの場面でサヨナラ負けしていたらダルビッシュと藤川と,日本を代表するふたりの投手の今季を潰しかねなかったわけで,これは原辰徳もなかなかの策士だわいと(-_-;).

 これで今年のセリーグ,ドラゴンズが優勝したら笑ってやる.

予定された結論

 さて,幾つか書かなければならないネタを抱え込んでいるのですが,どうもこのところ「図書館」のことを書く気が起きない.正確に言えば,「図書館」ネタでblogを書く気が起こらない(^^;).ネタはあるのですから,真っ白に燃え尽きたはずもなく,時々陥るスランプ(!?)だとは思うのですが.実のところ,いただいているメールなどのお返事も滞ってますゴメンなさいm(_ _)m
 まあ,ボチボチやっていきます.

 というわけで,取り敢えず今日は「図書館雑誌」2009年3月号(103巻3号)の特集「検証:指定管理者制度」について.この特集は何だか,最初から予定されている結論があり,そこへすべての流れが落とし込まれるように,なかなか巧妙にしつらえてある,という感じがします.で,その結論がどう読んでも「指定管理者制度は悪の制度である」というステレオタイプにしか思えず,それを先だっては「あの特集はひどかった」と形容したのですね.

 なかなか巧妙だというのは,この特集のキモとなるイデオロギーを構築する論文を,公共図書館プロパーではなく教育法学と教育行政学を専門としている研究者にゆだねたことにも現れています(「公立図書館の多面性と指定管理者制度」).図書館業界に外側からの目を,というのは僕も常々提唱しているところですが,今回はまた,予定された結論に相応しい論者を充てるることが出来たようです.このイデオロギー論文を最初に読んだとき,てっきり日本図書館研究会読書調査研究グループか,それに近い業界関係者が書いたものだと勘違いしたほど,用語の使い方や予定された結論への落とし込み方がそっくりです.それは業界人のお眼鏡には適うことでしょうが,さてこのイデオローグが指摘していることを,これまでの公務員を中心に廻ってきた公共図書館業界が達成していたのかどうか,という肝心要の部分が(この特集に限らず指定管理者制度を巡る業界論壇では)プロパーによって全く検証されていない/不問に付されているのは,外側の目を以ってしても如何ともし難いところですね.ヴィジョンもミッションも,それが過去にあったかどうかも検証されていないのに「図書館業務の継続性確保」(p150)などと謳われても,そもそも継続すべき思想/業務は何なのですか? と突っ込みたくなります.

 それにしても何故,この号の中程に置かれている日本図書館協会の見解「公立図書館の指定管理者制度について」を特集の冒頭に置かなかったんですかね.これがあっての今回の特集であるはずで,その逆ではありえないはずですから.「九仞の功を一簣に虧く」というものでしょう.

マーラー/交響曲第6番

マーラー/交響曲第6番イ短調@エーリヒ・ラインスドルフ/ボストン交響楽団(BMG:BVCC-37325)

 1965年4月20日と21日の録音.
 ラインスドルフ(1912-1993)は名だたるオーケストラ・ビルダーであり,堅実な職人芸を身上とした指揮者.マーラーとはあまり相性がよくないような感じのする芸風だが,なかなかどうして,それなりに懐の深い演奏を繰り広げている.少なくともジョージ・セルが残したせせこましい6番(ソニー)に比べれば闊達な演奏である.惜しいかな八方破れのスケール感に欠けるのが,ラインスドルフの残念なところ.

2009/03/23

チャイコフスキー/交響曲第6番

チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」@西本智実/ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”(キング:KICC374)

 2002年1月4日-10日の録音.
 骨太の,ざっくり編んだセーターのような手触りの演奏.こーゆう「振れる」指揮者には,最近なかなかお目にかかれない.

 そう言えばつい最近,何かの雑誌(何だったっけ?)の表紙を見たら西本智実だった.いつの間にやらお茶の間に浸透していたのね.

2009/03/22

ブラームス/交響曲第4番

ブラームス/交響曲第4番ホ短調作品98@ヴィレム・メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(テレフンケン/ナクソス:8.110158)

 1938年11月30日の録音.
 録音年から押して知るべし,で音色の色艶などは想像するのが難しいものの,それでもそこかしこに聴こえるポルタメントがメンゲルベルクの個性を刻印しているな(^^;).おなじみのテンポの緩急も,メンゲルベルクに鍛えられているオケは一糸乱れずピタッと寄せる.見事なものである.
 こーゆう,自らが理想とするオケのドライヴを,練習でオケに染み込ませることで芸風を誇示するタイプの指揮者は,ムラヴィンスキーあたりまでかな.現在は,そもそもこのあり方が成立しないんだから仕方がない.


 ・・・・・・都合によりメンデルスゾーン30枚組は中断します.

2009/03/15

Mendelssohn: The Complete Masterpieces: CD 16

Mendelssohn: The Complete Masterpieces: CD 16(ソニー:88697420722-16)

 16枚目.ゲーテのバラードによる「最初のヴァルプルギスの夜」作品60とSiegfried Matthus(1934-)編曲による12の歌曲を,クラウス・ペーター・フロール指揮のバンベルク交響楽団で(1995年1月11日から14日の録音).

 「最初のヴァルプルギスの夜」は残念ながらピンと来ない(^^;).内容のかなりのところを,歌詞に依存しているからか.Siegfried Matthus編曲の方はなかなか面白い.先日のオラトリオといい,メンデルスゾーンには大部の合唱曲を有機的に構成できなかったのかしらん.

小手調べ

 図書館学は実学だと言うのであれば,やはり具体的な書名を挙げて「面白い」「つまらない」と批評するのがよい.批評精神のあるところに真っ当な学問が育つのだから,書名を挙げず具体的な言及を避けながら論敵を非難し自説を称揚するのはおおよそ不健全な姿勢であろう.例えば最近の伊藤昭治の手によるものでは,「出版ニュース」掲載の駄文よりは日本図書館協会「2008年度中堅職員ステップアップ研修(1)」におけるレジュメの方が,具体的に論難している相手の名前がわかるだけマシというもの.

 斯様な点からこちらのエントリーは,ちと物足りない(^^;).具体的な書名を挙げて,『公立図書館の歴史と現在』(森耕一)は面白い,『図書館情報学入門』(藤野幸雄ほか)はつまらない,『新版図書館の発見』(前川恒雄)は素晴らしい,『日本公共図書館の形成』(永末十四雄)は公共図書館と名乗っている時点でダメ,などと書いてくれなければ,発展的な議論を展開しようにも,対手が受ける術がないではないですか.

 もう少し踏み込んでみましょうか.


 これは,まだ拾い読みしかしてない本で恐縮ですが『創造都市・横浜の挑戦』(野田邦弘著/学芸出版社/2008年8月初版)という本.著者は2004年まで横浜市の職員として文化行政にたずさわり,「横浜トリエンナーレ」も手がけた方.「創造都市」という概念については当方も研究途上なので,今回は言及を控えるが,とにもかくにも横浜市には「創造都市」というグラウンドデザインに基づいた文化政策が組み立てられているらしい.ところが,文化政策を立案,実行している様を描いているこの『創造都市・横浜の挑戦』において公共図書館の姿は影も形も見当たらないのである.この本は丁寧なつくりの本で,索引も付いているのだが,そこには「横浜市立大学」「横浜美術館」「横浜みなとみらいホール」は立項されていても「横浜市立図書館」は見当たらない.横浜市の「文化」には公共図書館は無関係であるとおぼしい.これは一体,如何なる理由からだろうか?

 上記リンク先のエントリーの著者,あるいはその著者が属する団体の関係者で,この課題を政治的策動(労働運動)の視点抜きで,誰にでも理解可能な形に解説できる人間がいるのかどうか.恐らく政治的策動が前面に出る形でしか説明できないんじゃないだろうか.つまりそれは,「創造都市」というグラウンドデザインに対する公共図書館のグラウンドデザインを彼らが持ち得ていない,ということであることを意味している.

 この先は,また媒体を改めて論じるつもり(^^;).


 ・・・・・・図書館学の本を俎上に載せなくても,公共図書館の話は斯様に,十二分に展開できるんですよ.何も上記リンク先のエントリーのように,今更大見得を切る必要なんか,もう何処にもないの.実のところ,出来る人は,とっくに僕の10歩先を行っているわけで,ここに書き出したようなものは畢竟小手調べに過ぎないのではないかな.

2009/03/07

「土佐派」の裏切り(^^;)

旬刊 出版ニュース2009年3月上旬号の目次一覧
↑こちらに掲載の,↓この文章.


若い図書館職員に、あえて確認しておきたい図書館の役割: 館界に蔓延するおかしな論旨--伊藤昭治@元茨木市立中央図書館長
 無内容な代物であり,批判に多言を弄するのは時間の無駄なので1箇所だけ.

「歴史を学ぶことが大切だと言っているのは(以下略)(p.6)
では,こちらは如何ですか?

「このほか,立憲改進党の中心人物であった小野梓や馬場辰猪なども(以下略)
『新版図書館の発見』前川恒雄,石井敦著,日本放送出版協会,2006年1月,p.123
この程度の初歩的な間違いを30年以上指摘できない(初版でも間違っていた)方が「歴史を学ぶことが大切」とおっしゃる,その「歴史」って何ですか?
 ときに高知県(小野や馬場の出身地,立志社も高知人脈)には,図問研の有力な会員もいるかと聞いていますが,「土佐派」はこの箇所について指摘しないのでしょうか? 『市民の図書館』というイデオロギーの前には,「神」を守るために白も黒といわなければならないんでしょうか(sigh).

 ちなみにこの箇所,日本の近代政治思想史を多少なりとも齧った人間には,まったく些細な間違いではないですよ.小野梓(1852-1886)と懇意だった馬場辰猪(1850-1888)が,立志社との関わりがあったとはいえ,小野が設立に深く関与した改進党ではなく,板垣退助の自由党に参画し,「結党時の自由党で主導的な役割を果たしたのが馬場と枝盛だった」(『植木枝盛』米原謙著,中央公論社〈中公新書1086,p.5〉,1992年8月)ことはつとに常識であり,例えば馬場が「なぜ改進党をえらばなかったのであろうか」と,その評伝『馬場辰猪』(中公文庫,1995年6月)の著者である萩原延壽も問いを立て,わざわざその理由を考えているのですから(p. 206-222).


 というわけで,伊藤の文章はそもそものキモがダメです.そして,あとに延々と続く文章が信用にも信頼にも足らない,Gleichshaltungを意図したプロパガンダであることは,多言を要しますまい.この程度のものを載せる「出版ニュース」の見識を疑います.

(3月8日改稿)

2009/03/02

同床異夢

 去る2月15日に開催された「大阪国際児童文学館と府立図書館を考える集い」の資料群を,id:hana53さんのご好意で入手しました(hana53さんありがとうございました).先日で肉体労働もひと段落したところで,いただいた資料をためつすがめつしていましたが.

 結論から言ってしまえば,児童文学館の存続運動は府立図書館の市場化テスト(指定管理者委託の導入)問題とは別個の問題であり,これらは切り離して論じた方が,お互いの問題解決のためでもあると思わざるをえません.児童文学館の価値は府立図書館とは関係なく成立しているものですし,府立図書館の問題に触れずとも児童文学館の存続運動は可能です.ましてや配布された資料群のような形で府立図書館の問題を絡めたのでは,却って児童文学館存続への支持が減りはしないかと心配になってしまいます.

 というのも,資料群の中にある図書館問題研究会大阪支部の作成した資料が,教育行政からも文化財行政からも図書館行政からもおおよそかけはなれた,ヴィジョンもミッションも明確ではない既得権益護持を目的とした労働運動の産物であり,内容が「指定管理者」(=民業)を貶めるだけの拙劣なプロパガンダ(デマゴギーと言ってもいい)に堕しているからです.そもそも指定管理者の導入は「民営化」ではありません(国際児童文学館 寄贈者・関係者等と知事との意見交換会 発言要約によれば,橋下も「民営化」と言っているようですが).他の点についても,既に愚智提衡而立治之至也: 官尊民卑に弄ばれる「図書館の自由」で「官尊民卑」について述べているところなので,細々したところは一々繰り返しません.今回の件で言えば,例えば「大阪国際児童文学館と大阪府立図書館を考える集い」(2009.2.15)報告(1) - 帰ってきたハナログでhana53さんが紹介している,児童文学館へ鳥越氏の資料が引き取られるきっかけとなったらしい大阪府教育長の巧言令色ひとつとっても,公務員が公務員であるだけで無謬であるとは考えにくいところへ,指定管理者(=民業)を貶めるだけ(しかもどれひとつ取っても具体性に全く欠ける指摘ばかり)の資料を持ち出しても,彼らが期待するような効果があるとは思えないのですが.

 あるいは,やはりhana53さんにご紹介いただいた「トヨタ営業所で『お奨めの車ありまっか』と聞いて『日産エエですよ』とは言わないでしょう」という発言.そもそも公共図書館の指定管理者を引き受けるような企業・団体がそんなことを公共図書館という場所で公然とやれば,恐らくその企業・団体は来館者からも自治体の担当者からも信用を失うでしょうし,そのような企業・団体は淘汰されてしかるべきです.もしそのような行為を繰り返す企業・団体が何らかの力により淘汰されないのであれば,それはルールを定めている行政の失態であり,その場合企業・団体ともども信用を失うのは,ルールを運用している公務員だろうと思うのですが.そして,公共図書館においてトヨタと日産の比喩で想定される企業は出版流通関係の企業ではないかと考えられるのですが,出版流通業界は以前から児童文学館の維持に,公共図書館業界よりも遙かに貢献してきた業界であり,児童文学館の存続を考える場において,その業界を平然と揶揄できる政治的センス(リテラシーと言ってあげましょうか?)の欠如には恐れ入るばかりです.

 そもそも公共図書館における「資料」が書籍という形で成立するは,出版流通業界という「民業」によるところが大きいはずですし,公共図書館の来館者の過半は「民業」を生業とする人間とその家族じゃないかと思うのですが,資料群を作成した図問研大阪支部にはその程度の想像力を働かせるだけの能力も欠如しているんでしょうか? ついでにいえば,児童文学館の新規増加資料の多数は出版者の寄贈によるものであり,その出版者はほとんどが民業でしょう.そのような背景に想像力が働かないのであるならば,彼らには公共図書館に勤務するだけの経綸が不足しているのではないでしょうか.民業を謗ることで保身することのみを目的としている連中には,市場化テストにより公共図書館から退場してもらったほうがマシです.

 僕個人としては,大阪府立国際児童文学館を維持する運動の目的が,必ずしも大阪府立図書館の市場化テスト導入反対と目的を一にする必要がないと思われる現状では,両者を切り離して考えた方がいいと思います.ましてや府立図書館の市場化テスト反対に便乗して公務員の既得権益護持をはかり,民業への誹謗を繰り替えし,ひいては児童文学館の運営に多大の寄与をもたらしてきた出版者(=民業)を貶める行為をやめない連中とは,児童文学館の維持に知力体力を集中させるためにも手を切るべきです.


 手厳しい? まさか(^^;).

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