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2008年2月10日 - 2008年2月16日の記事

2008/02/16

ICタグの盲点

ICタグで紙のコピーにDRM - Copy & Copyright Diary

 正直に言いますが,このことは可能性としても全く失念していました.盲点を突かれました_| ̄|○

 図書館資料へのICタグとかRFIDタグとか言われているものの貼付については,僕も2002年頃から関心があって,その頃はICタグを付けることにより,ICカードを持っている利用者がICタグの付いている資料を持ち出せばそれがそのまま貸出手続きになり,貸出期間内に利用者が書架に戻せば返却になる,というシステムを夢想していたものです.
 それどころか,ICカードを持ってない利用者が図書館外に資料を持ち出そうとすると,全館に警告音が鳴り響くとともにすべての出入口がロックされ,資料の窃盗を防止するシステムや,書架にもタグを付けて書架と資料をマッチングさせることにより資料の検索をより精密に行うことを可能にしたり,ある書架に排架した資料を別の書架に戻そうとすると書架が警告を発するシステムとか,書架から資料が引き出される回数を記録してより詳細な資料の稼働率を割り出して選書に役立てよう,と何時実現するかはわからないものの,そのようなシステムの導入を本気で考えていたものです.特に自動貸出・返却と書架のシステムは,『市民の図書館』や日本図書館研究会読書調査研究グループの思想に対抗できる有力な手段であり,実装できれば素晴らしい,という話をある活字媒体に書いたこともあります.

 しかし,末廣さんご指摘のように,


ICタグを用いることで、紙のコピーにDRMが実現してしまう。
となると,話はかなり変わってきます.DRM(Digital Rights Management)自体に反対というわけではないのですが,それがICタグの貼付によってすべての書籍に適用されることになると,私的複製のためには著作権管理団体に一々お伺いを立てなきゃいけない,どころか,著作権管理団体が膨大な個人情報を捕捉・把握できる仕掛けが出来上がってしまうということにつながるわけですよね.そうしたら,これは公共図書館が利用者の貸出履歴を保存していることよりも,遙かに大きな問題を抱えることになるんじゃないでしょうか? 館種を問わず,図書館から利用者個人のコピー履歴が簡単に流出する(と,敢えて書いておきましょう)ことになるのですから,今から何らかの対策を図書館業界は考える必要があります.

 僕自身も,ICタグについては少々考えを改めなければならないようです.

ショスタコーヴィチ/交響曲第4番

ショスタコーヴィチ/交響曲第4番ハ短調作品43@ヴラディーミル・アシュケナージ/ロイヤル・フィル(ロンドン:F00L-20448)

 1989年1月の録音.
 ようやくアシュケナージが指揮者らしい演奏をするようになった頃の録音である.最近のカリンニコフの録音などではようやく克服されたようだが,このひとが指揮をするときの欠点である,旋律をつないでいく息の短さが未だ随所に聴かれて,少々居心地の悪い演奏になっている.ここでは,それを表現主義的な,キツめのアクセントでメリハリを付けることによって克服しようとしているようだが,あまり上手くいってない.
 ちなみにカリンニコフを聴くまで,僕にとっての指揮者アシュケナージ最高の演奏は,ショスタコーヴィチの「祝典序曲」だった(^^;).

何だか懐かしい風景を見ているようです

平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ : 公立図書館はもっと寄贈に対して体制を整えるべき論
はてなブックマーク - 平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ : 公立図書館はもっと寄贈に対して体制を整えるべき論

 はてブのコメントが何だかなあ,という感じで.相変わらずの反「矢祭もったいない図書館」感情については後回しにして,気になるコメントを幾つか.


それじゃぁ、本当に必要な本は集まらない。全集や百科事典ぐらいならいざ知らず、新聞縮刷版、高価な美術書、専門的な事典、その外論文集、白書や郷土史料。図書館は無料貸し本屋ではない。
一瞬,掬すべきご意見だと思ったのですが,よく読むと「郷土史料」が購入すべきものに含まれています.残念ながら,郷土資料の相当部分は灰色文献(gray literature)に近いものでして,一般の出版流通のルートに載らず売買の形での入手が難しいものなのですよ.僕も仕事で,ある方から寄贈された郷土資料を図書館の目録に載せたことがありますが,地域の篤志家や郷土史家により作成・配布された自費出版物や,発行元の如何を問わず「非売品」となっている資料の実に多かったこと.それこそ見開き4ページのパンフレットまで目録作った記憶がありますが,そのほとんどが勤務先に当時所蔵の無い資料ばかりでしたね.
 そんな経験をした身からすると,郷土資料を購入で揃えろなどというのは,それこそ机上の空論です.図書館員が自らの目と足で稼ぐ(現地まで出向いて収集する)のが一番ですが,それでも見落としていたものは寄贈されてくるのを待つかしかないのが,上記で示した郷土資料の性格上,止むを得ない収集策でしょう.

寄贈を呼びかけても狙い通りの選書が実現するとは到底考えられないところに想像が至らない限界。
公共図書館における「選書」って基本的に権力の行使なんですよね.これは業界でも意外に見過ごされている(と言うより,プロ公共図書館員は自らの立場が公務員であるにもかかわらず,自分たちを「公的権力の敵」だと看做しているので,自分たちが権力を行使しているとはゆめゆめ考えていない)ことなんですけど,だから公共図書館による「狙い通りの選書」がパターナリズムに陥らない保障は,現状では何処にも無いのです.これとほとんど同じ理由で「選書ツアー」が批判されたことを考え併せると,むしろ【平太郎独白録】の中の人の発想に,公共図書館に対する反パターナリズムの萌芽を見るのですよ,僕は.橋下徹大阪府知事は「図書館は知のセーフティネット」と言ったらしいですが(参考:葦岸堂之日々是日々: 「図書館は知のセーフティネット」と橋下知事は言っているが),権力の行使とも思わずに「選書」を惰性で行っている公共図書館の「選書」が,「知のセーフティネット」とまで持ち上げられる公共施設のすることかどうか,実際に内情を確認してみたほうがいいと思います.【本読みの記録:図書館のラインナップについて物申す】実際に,このような報告を上げている方もいらっしゃいますし.
 ついでに言えば現状では,結構な数の公共図書館の選書が,某社による納品システムを中心にしているんじゃないでしょうか?

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2008/02/15

シューベルト/交響曲D.944

シューベルト/交響曲ハ長調D.944(第9番)@カール・ベーム/ベルリン・フィル(DG:471 307-2)

 1963年6月の録音.
 ベーム(1894-1981)全盛期の充実したシューベルトである.未だカラヤン色に完全には染め上げられていなかったベルリン・フィルから,かなり渋い音色を引き出しているところも,さすがというところ.もっとも,金管はなかなか派手目になってきてはいますが(^^;).

 ところで【神功皇后陵:22日に立ち入り調査 考古学研究者が参加 - 毎日jp(毎日新聞)】これ見て思い出したけど,僕にとって「もりこういち」とは,今でも森耕一ではなく森浩一ですよ(^^;).『古墳の発掘』(中公新書)は高校生のときに買ったものを,今でも持ってます.

2008/02/14

W.A.モーツァルト/交響曲第41番

W.A.モーツァルト/交響曲ハ長調K.551(第41番)@カルロ・マリア・ジュリーニ/ベルリン・フィル(ソニークラシカル:SMK87866)

 1991年5月24日から26日の録音.
 ジュリーニ(1914-2005)やバーンスタイン(1918-1991)のようなタイプのモーツァルト演奏,つまり古楽派の影響下に無いロマンティックなタイプの演奏は,テンシュテット(1926-1998)を最後(北ドイツ放送響とのK.551のライヴ録音が出ています)に,残念ながら録音の上では滅んでしまったのでしょうか.

 当世流行の,速いテンポと鋭いアクセントを用いたものではなく,音楽を大づかみに捉えた,柔らかなアクセントでふわっと演奏する,夢見心地なアマデウスは恐らくもう過去のものなのでしょうが,僕も旧世代の切れっ端とみえて,アーノンクールのような演奏ばかりではなく,時々ジュリーニやヨッフムの「ジュピター」,バーンスタインの「プラハ」とか聴きたくなります.ベームの40番やK.297Bは,また別の流派をなすものでしょうが,旧世代の立派なアマデウスとして,ついつい感傷的になりながら聴いています.

2008/02/13

チャイコフスキー/交響曲第1番

チャイコフスキー/交響曲第1番ト短調作品13「冬の日の幻想」@エフゲニ・スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立交響楽団(メロディア/BMG:74321 34163 2)

 1967年録音.
 スヴェトラーノフ(1928-2002)最初のチャイコフスキー全集から.やはり,こう寒いとチャイコフスキーとかラフマニノフとか,ロシア系の音楽が恋しくなりますね(^^;).しかも,この第1番はチャイコフスキー自ら副題を付けただけあって,冬に相応しい雰囲気の作品です.このスヴェトラーノフの演奏は,若いときのものだけあって相当な力演(よく言われる「爆演」ではない)ですが,しっとり聴かせるべきところは思った以上に細やかな情感を出しています.とはいえ,やはり出色は終楽章のパワー全開な突進かもしれません(^^;).ムラヴィンスキーの狂気さえ漂わせる「統率された阿鼻叫喚」とはまた違った,現実主義的ではありますが一糸乱れぬ重戦車の馬力が聴けます.

もう「学問」のレベルで解決できる話じゃない

司書と書誌ーn氏の批判に答えるー - 総合歴史研究会 - Yahoo!ブログ

 僕も今,ちょっと忙しくて頭がちゃんと回っているかどうかもさだかじゃないんだけど(何しろ「n氏」と言われて真っ先に思い出したのは星新一のショートショートと真鍋博の絵だった),

愚智提衡而立治之至也: 図書館神授説

僕がいつ「書誌学を否定するかのごとき発言」を弄したというの? もう一度↑このエントリー読んでくださいよ.


書誌(特に郷土資料に限りませんが)を作成する能力は必要でしょうが,それが求められてくる場はこれまでよりも限られてきているし,これからはもっと狭められてくることになっていくでしょうね.市民から求めらているスキルは,明らかに変化していますから.
これの何処をどう読んだら書誌学を否定しているんだか? 僕は,書誌学を否定している(と言うよりは,書誌学じゃない,別の能力を図書館員に求めている)のはこちら側(図書館)じゃない,そちら側(利用者)に立っている方々なんですよ,と言っているんですがね.

 実のところ,すでに10年前には,僕も「郷土資料の書誌が書けない若い公共図書館職員」に関する嘆き節を知人の図書館関係者から聞いてますが,それまで求められてもこなかったことを,いきなり要求しても,経験も知識も無いのに出来るわけが無いだろう,と.恐らく,郷土史家が求めるレベルの「書誌」を資料を見ながら,いきなり書けるだけの修練を大学等で積んでいるのは,ぶっちゃけた話,手書きの目録カードを書いた経験のある世代まで.

 ときに,ここで「書誌」と読んでいるものは,恐らくは図書館学における目録法での「書誌記述」と,歴史学などで作られる「解題書誌」の両方が混同されているきらいがあるんだけど,例えばこれ.

会津坂下町史 / 会津坂下町史編さん委員会編

現物を入手次第,訂正を入れる予定だけど,これが間違っているの,わかります? 少なくとも,その程度には僕も仕事をしているわけで,だから「求められているスキルが変わってきている」ことは,自らの肌で感じているんですよ.僕個人は,少数派の要求を無視するようなことはしないつもりだけど,それが世代が変わってからも,何時まで続けられるかは,「書誌学」云々のレベルで決められるようなところには,もう無いの.政治と行政と民主制によって答えが導かれるレベルの話なんですよ.

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