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「貸出至上主義者」度チェックβ版

民間図書館らしい企画を生み続けた船橋北口図書館を助けて下さい!(岡直樹) - READYFOR?

ココログ


ほし2

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2008年1月27日 - 2008年2月2日の記事

2008/02/02

マーラー/交響曲第5番

マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調@レナード・バーンスタイン/ヴィーン・フィル(DG:476 7129)

 1987年9月の録音.
 この曲は,個人的には最近あまり聴かなくなりましたね.一時期,海外オケの来日時には必ず演奏会にかかっていたほどの人気曲でしたが,そのためか近頃は食傷気味です(^^;).冒頭の葬送行進曲から終楽章まで,実は諧謔と皮肉とユーモアがたっぷり注がれている音楽なのですが,それを感じさせてくれる演奏には,なかなかめぐり合いません.みんな意外に真面目に,この曲を「闘争から勝利へ」の図式で解釈してしまうんですね.皮肉もたっぷり聴かせてくれるのはテンシュテットと,カラヤンくらいなもので.

 それならもう,「こうなんだ!」と脇目も振らずに邁進するバーンスタインやクーベリックの録音の方が,却って好もしい,ということになりますか(^^;).ニューヨーク・フィルとの録音に比べると,テンポの変化など細かいところを動かすようになっていますが,バーンスタインの解釈の基本線は一貫してますね.旧録音の破天荒さが薄れただけ,新録音に魅力が無いと言う方がいても不思議じゃないですが,どんなものでしょうか.

2008/02/01

ラフマニノフ/「鐘」

ラフマニノフ/合唱交響曲「鐘」作品35@ドミトリー・キタエンコ/デンマーク国立放送交響楽団(シャンドス:CHAN8966)

 1991年1月18日-19日の録音.
 これを買ったとき,ラフマニノフで「鐘」というタイトルが付いているので,てっきりロシア正教の教会の鐘がごーんごーんと打ち鳴らされる様を合唱使って描いているのかと思ったら大間違い(^^;).エドガー・アラン・ポー(1809-1849)の「鐘」という詩を,コンスタンチン・バリモント(1867-1942)がロシア語に翻訳したテキストを用いて,約40分,4楽章からなるソプラノ,テノール,バリトンの独唱,合唱と3管編成の管絃楽のための,落日の絢爛たる夕映えを思わせる音楽をラフマニノフは書いたのだった.

 ちなみに,ポーの原詩はこれかな? ポーは4つの鐘(銀,金,銅,鉄)の音色をそれぞれ人生の情景に例えてうたっているそうで,如何にも厭世的な感性の持ち主だったらしいラフマニノフに相応しいものであるらしい(僕の英語力では,原詩から深いところまで読み込むのは無理.あとで何処かから日本語訳を仕入れてこないと).

2008/01/31

アルヴェーン/交響曲第1番

アルヴェーン/交響曲第1番へ短調作品7@ネーメ・ヤルヴィ/ストックホルム・フィル(BIS:CD-395)

 1988年2月11日と13日の録音.寒いから,やっぱり北欧系の音楽を引っ張り出します.

 このヒロイックでニールセンを髣髴させる華麗なオーケストレーションを鳴らす作品は,アルヴェーン(1872-1960)の交響曲では,もっともまとまりのいい,求心力のある交響曲ですね.2番以降,アルヴェーンの交響曲は求心力より遠心力が働くような音楽になっていきます.そこにハマるかハマらないか,の別が出て来るような気がしますが,この第1番はアルヴェーンの音楽にのめり込めないひとでも,充分に楽しむことが出来るでしょう.

2008/01/30

ショパン/幻想曲

ショパン/幻想曲ヘ短調作品49@小山実稚恵(ソニークラシカル:SRCR2458)

 1999年6月14日-17日の録音.
 最初にこの曲を聴いたとき(確かルービンシュタインのステレオ録音だった)は,最初の旋律が「雪の降るまちを」(中田喜直作曲)そっくりで仰天したんだけど,中田喜直当人が何処かに,「雪の降るまちを」とショパンのこの曲のつながりを回想的に文章化しているらしい.あいにく,出典が見つからないので真偽の程はよくわからないのだが,中田喜直はこの曲のモチーフを借用して「雪の降る町を」を書いたことは確かなようではある.
 この作品は,ショパンが自ら「幻想曲」と銘打った唯一の作品で,ソナタ形式を根っ子に据えながらも,目まぐるしいテンポの変化を多用する,不安定な雰囲気の音楽である.最後は静かに終わるかと思いきや,ポーン,ポーンと「はい,おしまい」という感じをわざわざ醸し出して終わる.

 小山の演奏は安定した好演だが,安定しているが故に,もう少し突き抜けた何か-例えば「狂気」-が欲しくなる.

此れ臣の未だ解せざるの一なり

 矢祭もったいない図書館の成功を受けて,あちこちの公共図書館もしくは文庫的な施設で,本の寄贈を受けて資料を充実させようという動きが見られるようです.今年に入ってからでも(最初の2つは同じ福島県中島村の記事ですが),

図書寄贈呼び掛け 中島の文化複合施設 - 福島民報 | 福島のニュース
中島村:「読んだ本、寄贈を」 新図書室の収蔵に余裕 /福島 - 毎日jp(毎日新聞)
神戸新聞|社会|絵本は捨てないで 全蔵書寄贈の図書館開設へ 明石市
東京新聞:空き店舗に絵本図書館 親子連れ気軽に利用 壬生の商店街 『蘭学童夢館』 蔵書500冊は町民が提供:栃木(TOKYO Web)

これだけ見つかります.また,多少毛色は異なりますが,このようなものもあります.

京都新聞電子版 - 「かえる文庫」が好評 左京 旧堰源小・中校舎】(学校統合後の廃校の蔵書を譲り受けての開館)

 しかし,どうも「寄贈による蔵書構築」というのは,いろいろな理由からか,玄人筋の評判がいまひとつのようです.それも公共図書館業界だけではなく,著作権をフィールドにしている方々からも受けが悪い.「著作権ドロボー」と声高に叫んだヒトの意見はわからないでもありませんが,以前三田誠広辺りが主張していた「消尽しない譲渡権」に反対の立場をとる方々からの,矢祭への反感というのは,ちょっと解せないものがあります.正直,拠って立つところが違うのか,と思うしかありませんが,残念なことです.

 そういえば,矢祭町が3億円かけて建物を整備した,その3億円が地方債の一種を活用したものだったらしいことに目をつけて「3億円あれば図書館を新築できる」だの「3億で本を買え」という批判も聞きますが,まず建築を知らない人間のたわごとですね.概算ですが,10万冊を開架で並べられる図書館建築は新築で25億はかかるそうです.3億じゃ逆立ちしても立ちません.某市で潰れた百貨店の建物を公共図書館に転用したら,という意見が通らなかったのも,図書館建築というものが特殊な内部構造を必要とするうえに,書籍と書架を並べても建物が崩壊しないだけの強度が必要だったため,断念したらしいですし.また,「3億で本を買え」と言ったヒトは,買った本を何処に並べておくつもりなのでしょう.露営地にでも置いておこうというのでしょうかね(^^;).
 矢祭に関して言えば,もったいない図書館に近接するJR水郡線の東館駅を改造するという手も素敵だったかもしれませんが(^^;)<<ここ「鉄」入ってますね,すみません.

 そんなことを考えている折もおり,10日ほど前の河北新報にこんな記事が載りました.

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2008/01/29

垂直構造・水平構造

図書館、書店の共存(出版不況の原因について)|黒澤公人のドキュメンテーションシステムの100年(1960年-2060年)
はてなブックマーク - 図書館、書店の共存(出版不況の原因について)|黒澤公人のドキュメンテーションシステムの100年(1960年-2060年)

 ブクマに拠れば,何故か埼玉県には,同じ建物内の違う階に公共図書館と書店が同居しているケースが何軒かあるようですね.何か考えあってのことなのか,偶々の偶然なのかよくわかりませんが(^^;).

 極めて個人的な考察では,同一の建物内で階が違うところにある公共図書館と書店の関係は,隣接する2つの建物に公共図書館と書店があることとは,必ずしも同じことである,と考えることが出来ないのですね.この感覚が何処から来るものなのか,自分でもいまひとつ不分明なところがあるので,しばし考えてみたいところです.垂直な構造と水平な構造の違いに,無意識(!?)が何か意味を見出したがっているのかもしれません.あるいは都市計画的なところの問題なのかなあ? 

 何かね,図書館の門を出るとそこに書店があった! 的な,文学的(?)なワクワク感を水平の移動では感じるけど,垂直の移動では感じ難いというか,見出し難いというか,そんな感じがしています.まあ,こんなことは,業態的には何の関係も無いことなんでしょうがね.

チャイコフスキー/交響曲第4番

チャイコフスキー/交響曲第4番ホ短調作品36@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(DG:419 872-2)

 1976年12月9日-10日の録音.
 このblogで既に一度ならず取り上げた録音だとは思うが,まずはカラヤン(1908-1989)全盛期の名演奏・名録音である.言葉のあらゆる意味で「完璧」とは,このような演奏を指すんじゃないかと思われるほどの完成度に達している.とにかく,LPから30年近い付き合いだが,何度聴いても飽きることが無いばかりか,その素晴らしさを堪能するのみという有様(^^;).僕にとっては,ムラヴィンスキーは別世界の演奏なのでそれはさておき,他の録音は「お呼びでない」と言いたくなる衝動に駆られる,ほとんど唯一の録音ではないかと.

 カラヤンによるベートーヴェンやブラームスの録音が忘れ去られても,カラヤンのチャイコフスキーとリヒャルト・シュトラウス,それから新ヴィーン楽派の録音は最後まで音楽愛好家の記憶に残るだろうな.

「法の下の平等」とレコメンドサービス

 でまあ,懲りもせず(^^;)「みんなの図書館」2008年2月号(No.370)を話題に載せる.特集は〈図書館の自由,いまとこれから〉.何でも図問研の自由委員会が再起動するのに合わせての特集との由.忙しくてblogにエントリーが書けなかった1月号(No.369)の特集〈としょかんきほんのき〉が意外に(失礼!)良い特集だったので(安心して図書館を勉強する学生にも薦められる),今回も期待したのだけど,残念ながらハズレである.

 中でも感心しないのは「図書館は利用者の秘密を守る」(21-26頁)という文章.これ,期せずして折からblog界隈で話題になっていた,例の練馬区立図書館における貸出履歴保存の問題と,そこから派生して話題になった,公共図書館が貸出履歴を利用してレコメンドサービスを展開することの是非(参考:貸し出し履歴保存延長問題(まとめ) - 図書館学の門をたたく**えるえす。)を,生真面目な融通の利かない公共図書館員がどう捉えるか,を考える上で非常に示唆に富んでいる.
 あわてて誤解のないように断っておくが,もちろんこの文章が直接,練馬区立の話やレコメンドサービスの話を扱っているわけではない(執筆から掲載までのタイムラグを考えても,それらが当該文の執筆の動機とは考え難い).

 当該文の筆者はこう書く.


商店などでは,お得意様セールと称して,よく来る客を優遇する場合がある.(中略)では,この手法は図書館で使えるのか.答えは否である.日常的によく利用する利用者,いわゆる常連のかたと,今日カードを作って初めて利用する利用者の間に,対応の差があってはならない.してはいけないことである.憲法第14条,地方公務員法第13条によって規定されている「法の下の平等」である.(23頁)
憲法まで持ち出して,さても,公僕の鑑であることよ,と一見もっともらしいことを書いているように見える.彼は更に

常連に「こんな本が入りましたよ」とは言えないことである.
とまで説く.この発想で考えれば,確かにblog界隈で論じられている,貸出履歴に基づくレコメンドサービスを,公共図書館員が「法の下の平等」に外れる,と考えるのも無理はないのかもしれない.

 しかし,むしろ当該文から立ち上ってくるのは過度なまでにかたくなに「結果の平等」にこだわり,「図書館の自由」にこだわり,それらを達成するためには地域のコミュニティを破壊しても構わないとする官僚乃至は擬似インテリの傲慢である.こーゆう主張を「法のために人がある」と言うのだろうか.何しろ,上記引用で「(中略)」としたところには,実はこう書いてあるのだから.


実際には,顧客を囲い込んで他の店へ行かせないようにするのが目的だと思われるが,客にとっては優遇されることが優越感をくすぐって,両者とも満足であることが多い.
これが地域住民に対する公務員の視線の実態である,としたらどうだろう.斯様に地域住民を愚民視するパターナリズムに染まりきっている公共図書館員に「法の下の平等」を説かれても,そんなものが信用できますか? 当該文の筆者が現在,マツダか三菱のクルマに乗っているのであれば,確かに筆者自身は近代の公共図書館思想が想定している近代市民なのかもしれませんがね.
 まあ,「常連に「こんな本が入りましたよ」とは言えない」これさえ許されないのであれば,公共図書館が「利用者の時間を節約する」ことは永遠の絵空事に終わるだろう.

 挙句に,大学図書館の図書館システムで取り入れられている「My Library」機能(当該文の筆者は文章では明示していないが,注記で取り上げられている大学図書館のサイトを見てみたら,明らかに「My Library」機能のことを指していると確認できる)にまで苦情を申し立てている有様である.余計なお世話だ.図書館は機能を利用する「機会」をお客に提供しているのであって,全員に機能の利用を強制しているわけでもなし.使わない自由は保障されている(と思う).

 いや,むしろ公共図書館の図書館システムに貸出履歴をコントロールできる「My Library」や「レコメンドサービス」機能を積極的に導入することにより,個々の貸出履歴を図書館側ではなくお客個々がコントロールできることになれば,貸出履歴に対する国家権力の介入が,そのまま住民の自治への介入に直結することになるのではなかろうか.公共図書館において,そのような個々による多元的な自治を目指すことの方が,近代市民社会を形成している,と形容するに相応しい社会なのではないだろうか,と愚考するのだが如何?

2008/01/28

W.A.モーツァルト/2台のピアノのための協奏曲

W.A.モーツァルト/2台のピアノのための協奏曲変ホ長調(第10番)K.365(316a)@マルコム・ビルソン,ロバート・レヴィン&ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(アルヒーフ:463 113-2)

 1987年10月の録音.
 メンバーを見ればわかるように,古楽派による演奏である.個人的に,フォルテピアノによるモーツァルトには「輝かしさ」が欠けるような気がしてならないのだが,この演奏もその例に漏れない.全体としては音楽する歓びにあふれた,すこぶる充実した好演であるにもかかわらず,聴き終わっての充足感にいまひとつ欠けるのは,フォルテピアノの渋すぎる音色のためじゃあないかと愚考している(^^;).
 昔々,N響がチック・コリアとキース・ジャレットをソリストにこの作品を演奏したのをテレビで聴いたことがあるのだが,それと同じくらいにこの録音から音楽する歓びを感じるのに,モダンピアノの方がモーツァルトには合っているように感じてしまう.不思議なものである.

2008/01/27

ベートーヴェン/交響曲第5番

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調作品67@エーリヒ・クライバー/ケルン放送交響楽団(メディチ・アーツ:MM002-2)

 1955年4月4日の放送用録音.
 今日(1月27日)は名指揮者エーリヒ・クライバー(1890-1956)の命日である.1月27日が誕生日であったW.A.モーツァルトを得意の演目にしていたクライバーに,1956年1月27日は演奏会の予定が無かったのだと言う.ある本に拠れば,フルトヴェングラー亡き後のカラヤンによるイジメの標的になっていたのが,同じような芸風の大指揮者クライバーだったと言うのだが,本当かどうかはわからない.カラヤンの死後にフリッチャイやマルケヴィチのDGへの録音が大量にCD化されたことを考え合わせると,実にありそうな話ではある.

 クライバーの「運命」には,コンセルトヘボウを振ったスタジオ録音(デッカ)もあるが,基本的な音楽の解釈は変わらない.剛毅で率直なテンポと表情の「運命」である.

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