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民間図書館らしい企画を生み続けた船橋北口図書館を助けて下さい!(岡直樹) - READYFOR?

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2008年11月23日 - 2008年11月29日の記事

2008/11/29

ハチャトゥリアン/仮面舞踏会

ハチャトゥリアン/組曲「仮面舞踏会」@スタンリー・ブラック/ロンドン交響楽団(デッカ:448 252-2)

 1977年の録音.
 ミハイル・レールモントフの戯曲にハチャトゥリアンが付けた音楽から,作曲家自身が全5曲の組曲を編んだもの.「ガイーヌ」や「スパルタカス」と異なり,全曲が演奏されたCDというのは見たことが無いが,この組曲版の録音は割と見かけるような気がする.が,まさか我がライブラリーに既にあるとは思わなかった(^^;),というのも,このCDのお目当てがルッジェーロ・リッチの弾くヴァイオリン協奏曲にあったからで,「仮面舞踏会」やリマスターで見違えるほど音がよくなっていて仰天した作曲家の振る交響曲第2番は,実は望外のオマケなのであった.

 【NHK杯、浅田V・中野3位…安藤と3人でGPファイナルへ : ウインタースポーツ : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)】浅田真央が踊った「ワルツ」だけなら西本智実の録音(キング)も我が家にあったけど,ここはひとつ,組曲版で.しかし,我が家にあったのがスタンリー・ブラック/ロンドン響というのは想定外だったなあ(^^;).
 スタンリー・ブラック(1913-2002)は,映画音楽好きなら一度は名前を耳にしたことがあるんじゃないかと思う,イギリスの作曲家兼指揮者.ロンドン交響楽団などイギリスのオケを振って映画音楽の派手な編曲モノの録音を残している.この「仮面舞踏会」もさすがにツボを心得た好演.

2008/11/28

伊福部昭/ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲

伊福部昭/ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲@舘野泉&大友直人/日本フィル(キング:KICC 179)

 1997年8月18日から20日の録音.
 1942年に初演されたものの,戦時中に失われたと思われていたパート譜が,ひょっこり出現したことから録音が実現した幻の作品.CDのライナーノートに「ショスタコーヴィチの7番やハチャトゥリアンの2番と同時代の作品」という意味のことが書かれているけど,こちらの思い込みのためか,それほどこの作品が戦争の影を宿しているようには聴こえないし,戦意高揚という雰囲気でもないような気がする.なるほど,第1楽章は高らかに前進する音楽だけど,第2楽章の静寂が高揚した気分ををすっかりぶち壊してしまう.終楽章はまた,伊福部らしい雰囲気の横溢したリズムとオスティナートの音楽だけど,オネゲルの第3番を思わせるような雰囲気もある.
 全体を通しても音楽的には戦前から戦後への流れから逸脱しておらず,ほとんどぶれていないような感じがする.伊福部は常に「伊福部昭」であった,と.それが前衛音楽礼賛の評論家からは不評を買ったのであろうな.

2008/11/27

坂本龍一/Tong Poo

坂本龍一/Tong Poo(ピアノ連弾版)@岡城千歳&ジューイン・ソン(プロピアノ:KKCC4303)

 2000年1月の録音.
 「坂本龍一ピアノワークス」という,坂本龍一のピアノ作品集から.最初期の印象派風な曲(結構意識的に書いていると思うけど)からテクノのための曲の編曲まで,変幻自在な芸風が楽しめます.

 当方,図書館総合展にも行けずに,本拠地に張り付きで,しかも割と目立ってしまった新規事業に多少の不具合が発生しているという(^^;).でも,千代田区立千代田図書館がLibrary of the Year 2008の大賞を受賞した(参考1参考2)ので,個人的には随分と溜飲を下げた(^^;)のでありますよ.需要がある限り,公共図書館は成長する有機体であり,その枠組みは変化していくものなのだよ.何処かの石頭には永久にわかるまいが.

 ざまあみろ!!!

2008/11/26

ブルックナー/交響曲第4番

ブルックナー/交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」@オットー・クレンペラー/ヴィーン交響楽団(ヴォックス:CDX2 5520)

 1951年3月19日から23日の録音.
 恐らくハース版による演奏だが,全曲を51分強で走り抜ける,戦慄の「ロマンティック」である.これほど非ロマンティックな「ロマンティック」はふたつとあるまい.後年録音したフィルハーモニアとのスタジオ録音,バイエルン放送響とのライヴでも60分を少々超える程度のテンポなので,どの演奏でもこの曲にしては速目なのだが(晩年のチェリビダッケは例外としても,シューリヒトのライヴでも66分ほどかかっているし,テンシュテット/BPOは70分かけていた),それにしてもこの録音のテンポの速さは,尋常ではない.ちなみに,ブラームスの第1番では新旧の録音でそれほどテンポが変わって無いので,これは1950年ごろのクレンペラーに特有の現象なのか,それともブルックナーに対する世界観が変わったのか(もっとも,ブルックナーに関しては後年の録音でも「手触り」のようなものが変わっているわけではない),何ともよくわからない.

2008/11/25

ブルックナー/交響曲第1番

ブルックナー/交響曲第1番ハ短調@オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(ドイツ・シャルプラッテン:TKCC-15011)

 1987年5月12日から15日の録音.
 DGも録音場所として愛用していた(例えばフルトヴェングラー/BPOによる1951年12月録音のシューベルト/交響曲ハ長調D944)ベルリンはダーレムというところにある,彼のイエス・キリスト教会での録音である.これが何をどう考えたのか知らないが,とにかく残響を取り入れすぎた録音で,わんわん残響が入っているものだから音楽がボケボケになってしまい,単にやかましいだけの音楽にしか聴こえないという.どうやらこの教会,それほど広い建物ではないようなのだが,それにしても強奏がただ喚いているだけにしか聴こえない録音に仕上がるか普通に考えて,と思わざるを得ない.
 と,言うことはスウィトナーのブルックナー解釈にもいささか難があるのだろうか? 確かに,明らかに楽譜の指示を遵守していない箇所もあるし.うーむ.

2008/11/24

ヴィヴァルディ/フルート協奏曲集作品10

ヴィヴァルディ/フルート協奏曲集作品10@カメラータ・ケルン(ドイツ・ハルモニア・ムンディ:05472 77848 2)

 1988年12月の録音.
 フルート協奏曲集として出版された作品10の諸曲を,原曲のあるものは原曲のほうで演奏している,ちょっと面白い録音.例えば,「ごしきひわ」作品10の3(RV428)は原曲のフラウト・トラヴェルソ,オーボエ,ヴァイオリン,ファゴットと通奏低音のための協奏曲(RV90)が演奏されている,という按配である.ヴィヴァルディに詳しいひとが聴いたら,それは面白いのだろうが,残念ながらこの面白さがわかるほどには,僕はヴィヴァルディに精通していないので,それがちょっぴり残念(^^;).
 演奏は如何にもヴィヴァルディの音楽に相応しい,肩の凝らない楽しげなもの.当方もようやく一息つける状態になったので,たまには息抜きをさせてもらおう.

学問と政治

 「みんなの図書館」12月号(No.380)が届いたので,早速読む.内容の詳細は【ともんけんウィークリー: みんなの図書館2008年12月号が出ました】に譲る.

 巻頭の「特集にあたって」を読んで,最初は栄光の「みんなの図書館」もこれを以って終刊なのか,と思いベートーヴェンの「エロイカ」を聴きながら茶化しのめすか,と読み始めたのだが,これがなかなかどうして,素晴らしく意気軒昂な特集で,今更ながらに図問研の,『市民の図書館』の強靭な生命力に舌を巻く思いである.これは皮肉で言っているのではない.公共図書館に関して,どのような立場に身を置くひとであれ,公共図書館に関心のあるひとなら一度は目を通すべき特集であることは間違いあるまい.僕自身も,付箋を貼ったり傍線を引いたりして,いろいろと勉強させられる内容であった.当初の偏見をお詫びする.

 それを踏まえた上で,1箇所どうしても首肯出来ない文章がある.


歴史認識が欠けていては将来を豊かに描くことは出来ないと思います.「『中小レポート』に何時までしがみついているのか」「『市民の図書館』の役割は終わった」「貸出しにうつつをぬかしていたから,今そのツケが回ってきたのだ」などという声を時々聞きます.私は何と傲慢な言葉かと思います.(29頁)
やれやれ(sigh),というしか無い.それは,何も僕が常々当blog等で最早『市民の図書館』の寿命が尽きかけていることを説いている,という立場にあるからそのような感慨をもらしているだけでは無い.他ならぬ「歴史認識」という言葉が,この文脈で使われていることに危惧を抱かざるを得ないからなのである.
 言い方を変えたほうがいいかもしれない.この箇所でこの文章の筆者が「歴史認識」という表現で問題視すべきは,『中小レポート』『市民の図書館』「貸出し」それぞれが現在この時点において,公共図書館の政策,機能として評価しうる内容であるかどうか,のはずであろう.それにもかかわらず,それらに疑問を差し挟むことを「傲慢」と切り捨てることにより,「歴史認識」を極めて政治的な文脈に回収しようとしているのである.これはとどのつまり,「学問の否定」に他ならない.

 なるほど,(図書館業界内における)政治においては,そのような文脈が「運動」として一定の力を持ち得た時代があったのかもしれない.しかし,現在においてその文脈の上で「傲慢」を指摘すること自体が,どれほどの意味を,力を持ち得るというのか.それは「歴史認識」ではなく,その時代を生きてきた人間による単なる「郷愁」では無い,と言い切れるのだろうか.僕は,ここで言われている「歴史認識」や「傲慢」は,この文章の筆者による郷愁でしか無いと考える.

 「歴史認識」という言葉が出ているので,ついでに改めて書いておくが,僕は『中小レポート』→『市民の図書館』→『公立図書館の任務と目標』という,現在に至る日図協の政策文書3部作の流れ,また『市民の図書館』→日本図書館研究会読書調査研究グループという学問的な流れは,必ずしも進歩的かつ単線的な「歴史」では無く,各々の連続性よりもその差異の方が現在では重要な研究すべき論点だと考えている.もしこれから公共図書館史を構想するのであれば,「連続する流れ」としての歴史認識の基本線としては,むしろ『中小レポート』→『市民の図書館』→浦安市立図書館→静岡市立御幸町図書館,千代田区立千代田図書館,矢祭もったいない図書館,アカデミーヒルズ六本木ライブラリー(以下煩雑になるので略)・・・・・・という線を設定したほうが,広がる公共図書館の枠組みと意義,という「歴史認識」として余程健全な立脚点となるであろう.

 『市民の図書館』を信奉する方々がそれを正典視するのは結構だが,「思想信条の自由」「学問の自由」「信教の自由」は日本国憲法でも保障されているわけだから(^^;),少なくとも僕が『市民の図書館』を正典視しないことを,こともあろうに公共図書館関係者から「傲慢」と切り捨てられる謂れは無い.

2008/11/23

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35@アンネ・ゾフィー・ムター&ヘルベルト・フォン・カラヤン/ヴィーン・フィル(DG:419 241-2)

 1988年8月15日,ザルツブルク音楽祭でのライヴ.
 昨日出かけた,近所のレコード屋でワゴンセールやってた中から買ってきた,帝王最晩年の貴重なドキュメント.ムターの相変わらずの美音はともかく,亡くなる約1年前(1989年7月16日死去)のカラヤンがここまで衰えていたことに驚く.音楽に力がまるで欠けていて,ともすると止まりかねない.ピアノが基調でフォルテにまったく迫力が無い上に,テンポが力無くダラダラと遅くなっている.なるほど,彼の場合は肉体の衰えが音楽の衰えに直結していたのだね.哀しいほどに.さすが,運動神経抜群を謳われていただけのことはある.

 ここでは明らかにムターがカラヤンの衰えに合わせて,あるときは寄り添うように,またあるときは奮い立たせるように弾いている.ここでのオケに前進する力が感じられるとすれば,それは指揮者ではなく,ソリストが放射しているものから来るものだ.フィナーレの終わりも「やっとこさ,ここまでたどり着いた(sigh)」という感じに聴こえてしまう.

 カラヤンに「人生の夕映え」は確かに来なかったようだ.

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