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2008年9月14日 - 2008年9月20日の記事

2008/09/20

J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲(バリトン・サックス版)

J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲BWV1007-1012@ヘンク・ファン・トゥイレルト(ブリリアント:93637)

 2000年8月の録音.
 ご存知バッハの無伴奏チェロ組曲を,バリトン・サックスのソロで演奏したもの.演奏者は名前から見てオランダ系ですかね? 心なしか,低音で幾分粘り気味になるのが,かのカザルスの名盤を連想させるのが面白い.以前聴いた,清水靖晃のテナー・サックスによる録音(ビクター)が実に都会的でソフィスティケイテッドされた演奏だったのに比べると,こちらは普段に聴かれるバッハ演奏(ただし,古楽よりはモダンによるそれ)の様式の延長線上にある演奏に聴こえる.

 それにしても,鈍重であろうバリトン・サックスを,ここまで自在に操っての演奏は大変だったのではあるまいか(sigh).

2008/09/19

そこまで私は楽天家にはなれません

 日頃「ブログ論壇」などとは無関係に生きているはずなのだが,何だか最近,我がはてなブックマークに付しているコメントが左右両翼から評判が悪いようで(^^;).右でも左でも極端と極端から悪評を蒙るというのは「連帯を求めて孤立を恐れず」というくらいのもので,それほど悪い気分では無いですが,しかし言ってもいない意味を押し付けられたり,痛くも無い腹を探られるのも癪の種,ではありますね.

 少なくとも「ホームレスに人権が無い」とblogにもはてブにも書いた記憶は無いし,そのように考えたことは勿論生まれてからこの方一度も無く,その辺を深読みし僕に対してラベリングしようとするヒトは今後も無視します.悪しからず.正直,この手のデマを流しているヒトには怒りを禁じえません.

 次は「人権は自明のもの」ですが,各自がそう思うのはご自由にどうぞ.ただし,それを「禁欲的な自己を正当化するプロパガンダ」に用いるのは危険だ,ということくらいは認識しておいて欲しいのですよ.それは善意の人だったと思しきサヴォナローラやロベスピエールが陥った過ちですから.

 そもそもみなさん一口に「人権」と言いますが,この言葉の意味するところの変容,あるいはこの言葉の中にどれだけ多くの権利が内包されているか,そしてその中である「権利」とある「権利」がある場面においては衝突することがありうることについての理解は,どれだけあるのでしょうか.そして,それらのことは今や何処にでも発生している言わば日常茶飯事であり,少なくとも個々人の自律と信頼による予定調和としての(自然権としての)「人権」を考え肯定することは,現状では困難なことではありますまいか.何らかの形で,そこには「政治」が関与せざるを得ない.「日本国憲法に書いてあるから自明」なのではなく,「(憲法制定当時は)自明ではなかったが故に日本国憲法に書き込む必要があった」と考えるべきでしょう(なお,僕が指摘するまでも無いはずですが,日本国憲法は「不磨の大典」ではなく「改正」できることにもう少し留意すべきです.その危機は2007年に現実のものとなりかけたのですから).


id:wackunpapa >いや、考えたらいいじゃないですか。で、考えて、人権を否定するんですか?肯定するんですか?肯定するんなら、僕とあなたの間で、人権は「自明の前提」です。
mojimojiさんのような頭のいい人(これは皮肉ではなく)でさえ,シンガポールにおける山下大将のように振る舞い,僕ごときに「イエスかノーか」を迫るほど,現状「人権」の存立する基盤には危うさがあると考えています.繰り返しになりますが,現在考えられうる「人権」の中には個人と個人の関係においてさえ衝突する恐れのある「権利」が包含されている以上,「人権は自明」などと,「人権」をクルマのバンパーに張るステッカーのように扱うわけにはいかないでしょう.僕にはそれがもたらす結果が恐ろしくて,そのようなリバタリアン的な振る舞いはいたしかねます.いくつかのクリアすべき要件(それは誰かが言うような「義務と権利」云々ではなく「権利と権利」のことになります)を解決することによって合意の形成を計ることは可能でしょうが.そこに好き好んでカール・シュミットの述べる「友・敵」関係を持ち込むのは,あまり上手なやり方とは思えません.

 ましてや「差別する/人権を認めない奴には人権を認めない」と言っているヒトは,あまりにナイーヴに過ぎます.彼らは以前,イラクで人質になった方々を「税金泥棒」などと非難した連中を批判したヒトと相当数が同一人であろうと思われますが,結局は連中と同じ穴の狢ですからね.どのような主義主張を持っている国民であろうとも,国家は国民を庇護する義務があると言っていたはずですから,あなた方は.ヴォルテールに仮託されている「私はあなたの意見には反対だが,あなたがそれを主張する権利には賛成する」を思い起こしていただきたい.

 と言うわけで,mojimojiさんへのお答えとしては,僕も「人権はある」と考えています.しかし,それによってmojimojiさんと僕の間に成立するのは「自明の前提」ではなく,「了解した事項」がひとつ,程度のことであろうと考えます.恐らく,mojimojiさんと僕の想定する「人権」の中身については,幾つか吟味しなければならないこと/ものがあるのではないでしょうか? それを突き合わせて一致点を見出したとき,初めて「人権」はmojimojiさんと僕の間で「自明の前提」になるでしょう.「人権」とは,その程度には重いものであり,軽々に「自明の前提」としては取り扱えないものではありませんか? もっとも,そもそも「人権」を説くに当たって粗雑でかつ情緒的なプロパガンダに訴えるのは如何なものか,という違和感の表明に対して,「人権はあるのか無いのか」という僕が言外にも述べる意図の無いことをぶつけてくるのは,何となく議論のすり替えを計ろうとしている,と考えられなくもありません.

 しかし,他者に対して「人権」を突きつけるのに,他者の「はてなID」を誤記する無神経さというのは如何なものかと思いますけどね(^^;).未だ訂正も無いところをみると,mojimojiさんのおっしゃる「人権」は口先だけのものなんですね?

過剰な期待

 言いたいことは過去に書いた,以下のエントリーで言い尽くしているので,再論の必要は無いでしょう.

 正直なところ,このところ議論している皆さん,公共図書館に対する前提がバラバラである上に,(一部の方を除いて)公共図書館にいささか過剰な期待をかけていませんか? もちろん,公共図書館は皆さんの都合のよろしいように使われなければ存在する価値はありませんが,それにしても,意義と機能を前提とした可能・不可能の「棲み分け」は考えていただきませんと,前提がバラバラな上に後ろ盾も無く「過剰な期待」をかけられても,それによって公共図書館が本来果たすべき機能が崩壊してしまったのでは元も子もありません.行政機関と言えども,二兎は追えないのです.

 しかし,この一連の論争を見て思ったのですが,現状のままでいると,公共図書館に誰が何を求めているのか,という前提を業界が構築しなおさないといけなくなるのは必定かと.そうなる前に業界側が新しい政策なり何なりを何とかするのか,それともなおもズルズルと状況に引きずられていくのか.このあたり,この件に限らず業界関係者のお偉方に危機感があるようにはさっぱり見えません.連中がコップの中の嵐を弄んでいる間に,市井の人における公共図書館に対する見方・考え方が,図書館情報学における「先人の蓄積」は大切だけど,それが無意味なものになりかねないほど,急速に流れるように変っていくことを,業界に君臨している方々がどれだけ真剣に捉えていることか.これまで幾度と無く警告してきたつもりですが,いよいよ状況は切迫してきているような気がします.


愚智提衡而立治之至也: 公共図書館が保障するもの
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2004/12/post_23.html

愚智提衡而立治之至也: 公共図書館の「ホームレス支援」
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2006/01/post_7d46.html

愚智提衡而立治之至也: 公共図書館における「場所」と「機能」
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2008/05/post_ea7a.html


2008年9月21日追記:こちら↓も参照してもらえれば幸い.

愚智提衡而立治之至也: 「友・敵関係」と公共性の喪失
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2007/09/post_513f.html

ブラームス/交響曲第4番

ブラームス/交響曲第4番ホ短調作品98@エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル(メロディア/BMG:74321 29401 2)

 1973年4月28日の録音.
 出張が続いたり,パソコンの周辺機器がトラブったりで数日更新できずに失礼しました.取り敢えず一段落したので更新再開.

 で,いきなりブラームスの4番を選択するとは,我ながら何だか人間が枯れてきたかと思うわけで(^^;).ただし,ムラヴィンスキーの演奏は何処と無く少々風変わり.楽器間のバランスと音色が,いささかブラームスらしくないためか.説くに玲瓏な木管の音色が際立ってブラームスらしくないけど,それで押し切ってしまうムラヴィンスキーの解釈の凄みは,独特の風格を感じさせるもの.

2008/09/14

クロンマー/2本のクラリネットのための協奏曲第1番変ホ長調

クロンマー/2本のクラリネットのための協奏曲第1番変ホ長調作品35(Padk III: 3)@ヴラスティミル・マレシュ,イシュリ・フラヴァーク&リボル・ペシェク/プラハ室内管絃楽団(スプラフォン:SU 3748-2 031)

 1992年6月11日と12日の録音.演奏家の読みは推定です(^^;).

 フランツ・クロンマー(1759-1931)はヴィーンとハンガリーで主に活動した,モラヴィア生まれの作曲家.活躍した時期がW.A.モーツァルトやベートーヴェンと同時代だったために,チェコではさておき,他の地域ではすっかり忘れ去られてしまったようで,近頃ようやくレパートリーとして復活してきているところか.生涯に300曲以上の作品を残しているとか.オーボエやクラリネットなどの木管楽器をフィーチュアした協奏曲や室内楽も多く作曲している.

 この作品は,他にあまり聴いたことの無い,2本のクラリネットのための協奏曲(1802年作曲).クラリネット同士のかけあいなどあってなかなか楽しい音楽だが,クラリネットの扱い方があまりに「琴瑟相和す」状態で,わざわざ2本のクラリネットを起用する必然性がそれほど感じられないのはどうしたものか(^^;).2本のクラが揃って重低音を吹くと,それなりに迫力はあるのだが.

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