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「貸出至上主義者」度チェックβ版

民間図書館らしい企画を生み続けた船橋北口図書館を助けて下さい!(岡直樹) - READYFOR?

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2008年7月13日 - 2008年7月19日の記事

2008/07/19

シューベルト/八重奏曲

シューベルト/八重奏曲ヘ長調D803@ヴィーン室内アンサンブル(DG:437 318-2)

 1980年2月と3月の録音.
 直接にはフェルディナント・トロイヤーというクラリネット奏者の依頼を受け,ベートーヴェンの七重奏曲作品20に範を採り1824年に書かれたという,絃と木管のための合奏曲である.6楽章からなり,演奏に小1時間ほどを要する.晩年の「無暗に長いシューベルトの器楽曲」という作風がそろそろ出始めている作品で,規模の大きさから「交響曲の下書き」説さえあったらしい.まあ,交響曲とするには少々求心力を欠いた音楽で,むしろセレナーデ的な,肩のこらない親しみやすさがこの作品の取り柄である.

「財政難図書館、不要本に埋まる 寄贈募るが多くは廃棄」

asahi.com(朝日新聞社):財政難図書館、不要本に埋まる 寄贈募るが多くは廃棄

 ちと遅きに失したが,この記事について.

 善かれ悪しかれ,公共図書館の現場にいる図書館員の中で『市民の図書館』やその解釈(日本図書館研究会読書調査研究グループ等による)が正典化し,その解釈が教条化/硬直化しているのがよくわかる記事である.そもそも『市民の図書館』は選書論(あるいは蔵書構成論とも)において,「住民の要求に基づく選書」(「要求論」という)というあり方を打ち出し,それまでの「本の価値を判断する選書」(「価値論」という)を超克し,住民を公共図書館に呼び寄せることによって公共図書館の(住民と当局に対する)存在価値の向上と,それに伴う予算増を目指した政策文書だった(参考までに昔僕が書いたもの),というのが現行の(公式の)歴史的評価になるか.

 しかし,この記事に描き出される現状を読む限り,「要求論」とは「価値論」の1変種にすぎない(利用者の要求に至高の価値を見出す),という意見に同意せざるを得ない.何故なら,特定の本に予約が集中するのも住民の要求だが,


「もったいなくて捨てられない」と寄贈の申し出
があったこともまた,住民の要求であるにもかかわらず,こちらは「要求論」として処理されていない.それどころか

「専門的な教育本などが多く、図書館向きでなかった」
コメントした当人は「要求論」的物言いだと思っているかもしれないが,これはどう考えても「価値論」の物言いであろう.そこには,本と住民に対する明らかな二重基準と,それに気がつかない図書館員(とこの記事を書いた記者)における意識の断層が見える.

 この意識の断層は,元をたどれば,恐らく「公共図書館は設置母体/設置場所/規模の大小を問わず,みんな同一の思想と機能を有しなければならない」という発想にたどりつくのだろう,と思う.ひと口に「公共図書館」と言っても,設置母体/設置場所/規模の大小に応じて異なる機能や方向性を持たせるのは政策として間違っていないと考えられるのに,公共図書館の側から見るに,横並びを是とする小役人の体質と,視野狭窄な専門職集団が『市民の図書館』を正典化して,すべてを同一視してしまったのが,この断層の原因のひとつだろう(参考:ケペル先生のブログ: 兵庫県と全国図書館大会).誤った「単独館主義」(すべての公共図書館機能を単独の図書館ごとに担う)と言ってもいい.このため,例えばデポジット・ライブラリー(保管図書館)の考え方が充分に行き渡らず,専門職集団の思想と行動が却って公共図書館の衰退に手を貸すことになってしまったのは,何とも皮肉なことである.


 転回点となるべき箇所は,僕が業界に関わるようになってからでも何度かあった.京都市立図書館の財団委託が問題視されたとき,浦安市立図書館の活動が脚光を浴びたとき,津野海太郎が「図書館雑誌」の巻頭論文を書いたとき,「○○支援」が公共図書館の機能として注目されたとき・・・・・・.それをことごとく外した挙句に,「これからの図書館像」すら押さえているとは思えない新聞記者によって,『市民の図書館』のプロパガンダ記事が書かれるのだから,公共図書館におけるこれからの展望は,住民にとっても公共図書館にとっても,あまり明るくは無さそうである.

2008/07/18

ロドリーゴ/コンチェルト・セレナータ

ロドリーゴ/コンチェルト・セレナータ@竹松舞&飯森範親/日本フィル(デンオン:COCQ-83580)

 2001年8月8日-10日の録音.

 クーラーの無い我が家では,この暑いさなか,なかなか読書もエントリーの執筆も思ったように進まず,取り敢えずキレイで罪の無い音楽を聴きながら,とにもかくにも頭の中でいろいろと思案しているところ.

 一時,人気を博したアイドルハープ奏者,竹松舞による,ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)のハープと管絃楽のための協奏曲.19世紀への郷愁をセレナード風な音楽に託したという,かわいらしい協奏曲である.もともとロドリーゴの音楽には何処か哀愁と郷愁を誘うところがあるのだが,この作品もご他聞に漏れず,この録音を聴きながらハープを弾いている竹松のポートレートを眺めていると,何だかしみじみとしてしまう(^^;).浮世の憂さを忘れるひとときがあってもいいじゃないですか.

 皮肉られても蔑まれても,全力でスルーしますよ(^^;).

2008/07/17

ヴァレーズ/アメリカ

ヴァレーズ/「アメリカ」@ケント・ナガノ/フランス国立管絃楽団(エラート:8573-85671-2)

 1992年ごろの録音.
 音楽史上の鬼才のひとり,エドガー・ヴァレーズ(1883-1965)は初期に書いていた作品をほぼすべて破棄してしまい,この「アメリカ」(1918-1922年)以降の,前衛的な作品のみを残した.その作品はどれもこれも,オーケストラからどのような「音響」を引き出せるかを実験しているような音楽ばかりである.この作品でも,ヴァレーズのオーケストレーションは多様な打楽器群のみならずサイレンまで動員して,オケからまばゆいばかりの,信じ難いほど多彩な響きを引き出している.

 ナガノの指揮は,さすがに分析的な解釈で鳴らすだけに,ヴァレーズの複雑とも聴こえる音楽の連続を,一種の必然のように聴かせてしまう.見事である.

2008/07/16

昭和59年,夏

KK倒した取手二V腕石田さん急死、41歳 - 野球ニュース : nikkansports.com

 昨晩,一報を見たときは愕然としましたよ.こんなことがあっていいものか,と.


 1984(昭和59)年の取手二高は,県立高校にこれだけのメンバーが揃うのは奇跡,とまで県内では言われていたチームだった.監督はもちろん,多くの名選手を育てた名将・木内幸男.主将としてチームを引っ張った1番・遊撃手の吉田剛(のちバファローズ-タイガース),勝負強い打撃と好リードで貢献した中嶋彰一(住友金属鹿島),甲子園では投げると負けないと言われ「ミラクル」の異名を奉られた左のサイドスロー柏葉勝己(投げないときは外野を守る)などなど,監督も選手も型に囚われない豪快な野球が「のびのび野球」の異名をとる.

 しかし,夏の甲子園での初戦はいきなり,プロ注目の嶋田章弘(のちタイガース-バファローズ-ドラゴンズ),杉本正志(のちカープ-オリオンズ-ブレーブス)の二枚看板を擁する箕島高校(和歌山代表).石田が故障を抱えていたこともあり,案の定,7回まで0-3でリードされ敗色濃厚だったものを,8回表に嶋田・杉本から一挙5点を入れて試合をひっくり返す.嶋田が8番打者に打たれた当たりを「あれが三塁打になってしまうんだから勢いは怖い」と箕島の名監督・尾藤公をして言わしめる.よほどうれしかったのか,取手二高ナインはダッグアウト裏で万歳三唱をやって大会役員から大目玉を食ったという記事を読んだ記憶がある.

 二戦目は石田が福岡大大濠を5安打9三振に抑え,打線が終盤小刻みに点を入れ終わってみれば8-1.準々決勝の鹿児島商工戦は記憶に無いところを見ると,見ていなかったかもしれない.準決勝は取手二高に負けず劣らず個性的なチーム(確か初戦の勝利後,こちらも審判から厳重な注意を受けているはず)だった鎮西高校(熊本代表).独特の二段モーションの右サイドスローからきっぷのいいピッチングを見せたエース松崎秀昭(のちホークス)は,のちに投球フォームについて「ボークをとられるかもしれないとわかっていた」と言ってのけたほど度胸のよかった投手だったが,取手二高の強力打線には通じず18-6で大勝する.

 そして決勝のPL学園戦,あの桑田真澄(のちジャイアンツ),清原和博(のちライオンズ他)の「KKコンビ」を筆頭に中村順司監督が広岡達郎ばりの管理野球で締め上げた強力なチームである.延長10回に中嶋の決勝3ランで取手二高が劇的な勝利を収めた,雨の下での試合のことはあちらこちらで,沢山の方々が述べているので,僕までもがくどくどと書くこともあるまい.
 ただ,雨か選手の怪我かで,試合が中断したのはてっきり,この決勝だと覚えていたのだが,この試合について書いている誰もそのことに触れていないところを見ると,それは決勝とは別の試合だったのかもしれない.その中断のとき,PL学園の応援団は「ウルトラ警備隊のうた」をブラスバンドが延々と演奏していて,危うくこちらがPLに肩入れしそうになったのだった(^^;).

 この年は他にも金足農業の水沢博文,都城高校の田口竜二(のちホークス),松山商業の酒井光次郎(のちファイターズ)などの好投手を輩出した年であった.都城の1年生で遊撃を守っていたのが,のちにファイターズで2000本安打を達成する田中幸雄だったっけ.

 忘れてはいけない.境高校(鳥取)の安倍投手が9回までノーヒットノーランを達成しながら味方の援護に恵まれず,延長10回の裏2死から投じた初球をサヨナラホームランされたのも,昭和59年の夏だった.


 ・・・・・・あの頃が,ほとんど同年齢ということもあって,高校野球を実に熱心に見ていたので,石田の死は衝撃です.あまりのことに今日一日は仕事も上の空でした.残念です.悔しいです.早稲田大学を中退して遠回りした挙句にプロで大成しなかった上に,こんなに早く亡くなるなんて,悲しすぎます.

 謹んでご冥福をお祈りします.

シュールホフ/絃楽四重奏曲第1番

シュールホフ/絃楽四重奏曲第1番作品8@イザイ四重奏団(フィリップス:434 038-2)

 1989年7月の録音.
 エルヴィン・シュールホフ(1894-1942)はナチの強制収容所で命を落とした作曲家.ジャズに影響を受け,リズムの饗宴を全面的に展開した作品を書いた.師の一人が,あのマックス・レーガーであることもあってか,ブラッハーやハルトマンのような暗い情念のリズムではなく,皮肉混じりながらも豪胆であっけらかんとしたリズムの音楽である.
 絃楽四重奏曲第1番は1924年の作品.急-急-急-緩の4楽章からなり,前3楽章が飛び跳ねているのに,終楽章がガラッと変わって,死に絶えるような陰陰滅滅とした音楽なのが風変わりである.

2008/07/15

アッターベリー/交響曲第2番

アッターベリー/交響曲第2番ヘ長調作品6@アリ・ラシライネン/フランクフルト放送交響楽団(cpo:999 565-2)

 2000年3月6日から11日の録音.
 完全に遅れてきたスウェーデンの後期ロマン派/民族派の作曲家クルト・アッターベリー(1887-1974)の交響曲は,前衛全盛の1970年代まではすっかり忘れ去られていたのだが,前衛の時代が終わってグレツキの交響曲第3番がヒットチャートに躍り出る時代になると,そのわかりやすい作風が幸いしてか,復権を果たす.とはいえ,日本で演奏会のレパートリーとして聴くのは,まだまだ難しいかしらん? 何しろ,スウェーデンの特許庁に80歳過ぎまで在職していたということで,生業として作曲をする必要もなく,やりたいように作曲していたひとだったようである.ちなみにスウェーデンの著作権協会の設立にも一役買っているらしい.

 交響曲第2番は1911年から1913年にかけて作曲されている.アッターベリーの交響曲は3楽章制を採るものが多いが,この作品も多聞にもれず急-緩-急の3楽章からなる,40分ほどの作品である.柴田南雄がどこかで書いていたように,この曲もホルンののんびりした旋律から始まる.ベートーヴェンとかブラームスを好むひとが聴くとかなり冗長に聴こえそうな音楽だが,大河の流れが奔流のように進む第2楽章から第3楽章はなかなかのもの.疲れた神経に心地よい流れである.

2008/07/14

ドヴォルジャーク/交響曲第4番

ドヴォルジャーク/交響曲第4番ニ短調作品13/B41@リボル・ペシェク/チェコ・フィル(ヴァージン:5 61853 2)

 1987年-1989年ごろの録音.
 ドヴォルジャークの交響曲では,求心力の働いている最初の作品という位置付けになるかと.最初の2曲はアルヴェーンのような遠心力の働いた,散漫な作品で冗長だったものを,第3番で3楽章制をとることによってある程度「整理」ということを身に付けたドヴォルジャークが,独墺系の交響曲の王道を踏まえて書いた,初期の佳作である.
 ペシェク(1933-)は地味だがいい仕事をしているチェコの指揮者.ここでも,オケのアンサンブルをきちんと整えて,過不足の無い再創造を行っている.

道徳ではなく規則だろうに

東京新聞:区立図書館 貸し出し破損に苦悩 異例の履歴保存 効果:社会(TOKYO Web)

 はてなブックマークに僕は


この問題,正直,キレイごとではやってられません! 日図協の如く正論を吐くことは僕でもできるけど,この件に限っては,そんなもの屁のツッパリにもなりませんね.残念ながら.
と書いた.そう,自らの経験(大学図書館に勤務する者として,また過去の公共図書館利用時の経験)から考えても,まったく「キレイごと」では片の付く問題ではなくなりつつある.正直なところ,貸出履歴の保存が「図書館の自由」に抵触し,利用者のプライヴァシーを侵害する可能性があるかどうか,という次元の話を超えている.

 東京新聞の記事は


図書館の蔵書を切り取ったり、CDを破損したりするなど利用者のマナーが乱れている
と記すが,これはもはや「マナー」の問題ではないと考える.公共でも大学でも,図書館を利用する際の「ルール」を遵守できない輩が現実に存在し,図書館側はそれに対して対処しなければならない,ということなのであろう.

 ひとつ考えなければならないのは,特に公共図書館は「近代市民社会」という概念にその多くを負っている存在であり,その社会を形成する「近代市民」とは,個人の自由を享受できることが可能な立場にあるが,その自由は常に自らの意思で統制しなければ,権力によってあっという間に奪い取られてしまう性質のものである,ということである.その自由を自らの力で統制できない,即ち「自由からの逃走」を繰り返している輩を,これまで公共図書館は利用者として迎える準備をしてきたわけではない.そして,公共図書館が公共施設として地方自治体の傘下にある以上,公共図書館もまた権力を行使しうるのである.公然と公共図書館に対して「自由からの逃走」を繰り返す輩に対して公共図書館が持てる力として「権力」を行使するのは,当然と言えば余りにも当然の仕儀じゃないの?

 つまり,現状では公共図書館という概念/存在を成立させている前提が一部で崩壊し始めているわけ.記事にある日図協のコメントが正論であっても現状に対して何ら効力を持ち得ないのも同様の理由から.この状況を打開して近代市民社会を構築しようとなおも努力するか,「朽木不可雕也,糞土之牆,不可杇也」(『論語』公治長篇)と監視社会へ流されていくか,それを決めるのは公共図書館の側ではない.

2008/07/13

マーラー/交響曲第1番

マーラー/交響曲ニ長調「巨人」@若杉弘/東京都交響楽団(フォンテック:FOCD 3274)

 1989年10月20日,サントリーホールでのライヴ録音.
 1888年の「ブダペスト稿」を改訂した1893年の「ハンブルク稿」による演奏であり,第2楽章に「花の章」があり,「巨人」の標題に正当性があり,という演奏.「ブダペスト稿」は終楽章に原稿から削除された箇所があるため,現在では演奏不能との由(だったはずだが,何処かで「ブダペスト稿」と銘打ったCDが出たという記事を見た記憶がある.ありゃ何だったのだろう?).

 なんとなーく,ひ弱な感じがするのは,少々遠い録音のためばかりではあるまい(^^;).終楽章ではホルンに立ち上がらせる指示も無いし,「花の章」が第2楽章としてしっくり来るような,夢見心地なところがハンブルク稿の美点でもあり,また弱点でもあることがわかる.これを更にがっちりと4楽章の交響曲に仕立て直すことにより,現在普通に聴くマーラーの「交響曲第1番」が完成するのは,実に1906年に出版されるウニフェルザル社のスコアである.


 今日からCDプレーヤーが,1年ほど使用したソニーのDVDプレーヤーからデノンのDCD-755AEになりました.音の柔らかさがさすがに違います(^^;).他のシステムは相変わらずテクニクス(!)のバラコンのままです(MDプレーヤーのみ追加で買ったケンウッド).あと何年保つかなあ,このアンプ(SU-A900).かなり酷使していると思うのだけど,1回も故障したことが無い.ありがたいことです.

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