開かれた公共図書館とその敵
asahi.com(朝日新聞社):ボーイズラブ小説は不適切?図書館貸し出しで議論白熱 - 社会 http://www.asahi.com/national/update/1105/OSK200811040115.html
こーゆう記事を読んでいると,1970年代に『市民の図書館』の成立を支え,また成立以降の『市民の図書館』とその信奉者が目指してきたものが,名実ともにあっけなく破綻したなあ,と思わざるを得ません.残念ながら.
28万冊いずこに…全国公立図書館で不明、被害4億円超す : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20081109-OYT1T00123.htm
『市民の図書館』には,このような文章があります.
問題は,住民における「自由意志」なるものが,例えばアダム・スミス言うところの「賢明さ」によって「弱さ」を自ら制御できるだけの近代市民としての自覚を持った住民によって行使されうる状況が,『市民の図書館』を理想とする公共図書館の発展によって現出したのか,というところにあるわけです.もちろん,公共図書館の発展のみによって住民の近代市民化は達成できるものではなく,むしろ他の要因の方がそれを達成するためには大きく働くと思われますが,少なくとも『市民の図書館』は貸出しによって公共図書館が発展(進歩)することが近代市民社会の構築に不可欠である,という貸出至上主義の立場に立って書かれており,故に「貸出し(利用者)増→予算獲得→さらに貸出し(利用者)増→さらに予算獲得→以下略」という正のスパイラルを公共図書館の発展(進歩)として念頭に置いていたわけです.そして,それは公共図書館の発展(進歩)が近代市民社会の成立に必要不可欠のものであるとともに,近代市民社会において公共図書館は必要不可欠のものである,という「信仰」によって支えられていたのです.
「住民は,一人一人の自由意志によって公共図書館を利用するのであり,どのような強制も押しつけもあってはならない.」(p11-12,強調は引用者による)
それ故,『市民の図書館』が正典であった時代(1970年代後半から1990年代前半まで,と見ていいでしょう)は,「問題利用者」のことを取り上げることについて憚られるような雰囲気がありました.これにも,『市民の図書館』のみがその要因ではないのでしょうが(やたらと「良書主義」を振り回す業界関係者がいたのも事実だろうし,良い意味で公共図書館の利用に「自覚的な」利用者がいたことも事実でしょう),少なくとも公共図書館業界関係者において「利用者」を「神聖ニシテ犯スベカラズ」な存在に祭り上げてしまったことの,責任の一端が『市民の図書館』の説いた貸出至上主義にあったと見るのは,それほど誤った見方だとは思いません.
(この項続く)
« 新日本紀行:冨田勲の音楽 | トップページ | ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第14番 »
「図書館系」カテゴリの記事
- 小手調べ(2009.03.15)
- 「土佐派」の裏切り(^^;)(2009.03.07)
- 同床異夢(2009.03.02)
- 官尊民卑に弄ばれる「図書館の自由」(2009.02.15)
- レファレンス再考:インフォメーションとインテリジェンス(2009.02.14)
この記事へのコメントは終了しました。
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 開かれた公共図書館とその敵:
» 開かれた公共図書館とその敵(続) [愚智提衡而立治之至也]
承前. ところで,公共図書館業界関係者の中には,片方で「専門性」の未確立を嘆 [続きを読む]
コメント