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ココログ


ほし2

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2008年11月の記事

2008/11/30

the glory of Gabrieli

the glory of Gabrieli: Antiphonal music for brass choirs@エンパイア・ブラス・クィンテット&フレンズ(テラーク:CD-80553)

 1999年8月31日から9月2日の録音.
 アンドレーア&ジョヴァンニ・ガブリエリやパレストリーナ,トマス・タリスなどの作品を最大3群に分かれた15人の金管合奏で演奏している録音.似たような内容のアルバムをカナディアン・ブラスも録音している(こちら).

 この頃の音楽様式に詳しく無いので詳細はよくわからないのだけど,聖堂のあちこちに分散した演奏者によってエコーのように掛け合う音楽として作曲されたらしい(それが「antiphonal」の意味するところかな?)作品群を演奏しているようである.実に荘厳で華麗で(どれだけ頻繁に動いても基本的には)のんびりした音楽であり,明らかに現代とは時間の感覚が違う(^^;).

2008/11/29

ハチャトゥリアン/仮面舞踏会

ハチャトゥリアン/組曲「仮面舞踏会」@スタンリー・ブラック/ロンドン交響楽団(デッカ:448 252-2)

 1977年の録音.
 ミハイル・レールモントフの戯曲にハチャトゥリアンが付けた音楽から,作曲家自身が全5曲の組曲を編んだもの.「ガイーヌ」や「スパルタカス」と異なり,全曲が演奏されたCDというのは見たことが無いが,この組曲版の録音は割と見かけるような気がする.が,まさか我がライブラリーに既にあるとは思わなかった(^^;),というのも,このCDのお目当てがルッジェーロ・リッチの弾くヴァイオリン協奏曲にあったからで,「仮面舞踏会」やリマスターで見違えるほど音がよくなっていて仰天した作曲家の振る交響曲第2番は,実は望外のオマケなのであった.

 【NHK杯、浅田V・中野3位…安藤と3人でGPファイナルへ : ウインタースポーツ : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)】浅田真央が踊った「ワルツ」だけなら西本智実の録音(キング)も我が家にあったけど,ここはひとつ,組曲版で.しかし,我が家にあったのがスタンリー・ブラック/ロンドン響というのは想定外だったなあ(^^;).
 スタンリー・ブラック(1913-2002)は,映画音楽好きなら一度は名前を耳にしたことがあるんじゃないかと思う,イギリスの作曲家兼指揮者.ロンドン交響楽団などイギリスのオケを振って映画音楽の派手な編曲モノの録音を残している.この「仮面舞踏会」もさすがにツボを心得た好演.

2008/11/28

伊福部昭/ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲

伊福部昭/ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲@舘野泉&大友直人/日本フィル(キング:KICC 179)

 1997年8月18日から20日の録音.
 1942年に初演されたものの,戦時中に失われたと思われていたパート譜が,ひょっこり出現したことから録音が実現した幻の作品.CDのライナーノートに「ショスタコーヴィチの7番やハチャトゥリアンの2番と同時代の作品」という意味のことが書かれているけど,こちらの思い込みのためか,それほどこの作品が戦争の影を宿しているようには聴こえないし,戦意高揚という雰囲気でもないような気がする.なるほど,第1楽章は高らかに前進する音楽だけど,第2楽章の静寂が高揚した気分ををすっかりぶち壊してしまう.終楽章はまた,伊福部らしい雰囲気の横溢したリズムとオスティナートの音楽だけど,オネゲルの第3番を思わせるような雰囲気もある.
 全体を通しても音楽的には戦前から戦後への流れから逸脱しておらず,ほとんどぶれていないような感じがする.伊福部は常に「伊福部昭」であった,と.それが前衛音楽礼賛の評論家からは不評を買ったのであろうな.

2008/11/27

坂本龍一/Tong Poo

坂本龍一/Tong Poo(ピアノ連弾版)@岡城千歳&ジューイン・ソン(プロピアノ:KKCC4303)

 2000年1月の録音.
 「坂本龍一ピアノワークス」という,坂本龍一のピアノ作品集から.最初期の印象派風な曲(結構意識的に書いていると思うけど)からテクノのための曲の編曲まで,変幻自在な芸風が楽しめます.

 当方,図書館総合展にも行けずに,本拠地に張り付きで,しかも割と目立ってしまった新規事業に多少の不具合が発生しているという(^^;).でも,千代田区立千代田図書館がLibrary of the Year 2008の大賞を受賞した(参考1参考2)ので,個人的には随分と溜飲を下げた(^^;)のでありますよ.需要がある限り,公共図書館は成長する有機体であり,その枠組みは変化していくものなのだよ.何処かの石頭には永久にわかるまいが.

 ざまあみろ!!!

2008/11/26

ブルックナー/交響曲第4番

ブルックナー/交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」@オットー・クレンペラー/ヴィーン交響楽団(ヴォックス:CDX2 5520)

 1951年3月19日から23日の録音.
 恐らくハース版による演奏だが,全曲を51分強で走り抜ける,戦慄の「ロマンティック」である.これほど非ロマンティックな「ロマンティック」はふたつとあるまい.後年録音したフィルハーモニアとのスタジオ録音,バイエルン放送響とのライヴでも60分を少々超える程度のテンポなので,どの演奏でもこの曲にしては速目なのだが(晩年のチェリビダッケは例外としても,シューリヒトのライヴでも66分ほどかかっているし,テンシュテット/BPOは70分かけていた),それにしてもこの録音のテンポの速さは,尋常ではない.ちなみに,ブラームスの第1番では新旧の録音でそれほどテンポが変わって無いので,これは1950年ごろのクレンペラーに特有の現象なのか,それともブルックナーに対する世界観が変わったのか(もっとも,ブルックナーに関しては後年の録音でも「手触り」のようなものが変わっているわけではない),何ともよくわからない.

2008/11/25

ブルックナー/交響曲第1番

ブルックナー/交響曲第1番ハ短調@オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(ドイツ・シャルプラッテン:TKCC-15011)

 1987年5月12日から15日の録音.
 DGも録音場所として愛用していた(例えばフルトヴェングラー/BPOによる1951年12月録音のシューベルト/交響曲ハ長調D944)ベルリンはダーレムというところにある,彼のイエス・キリスト教会での録音である.これが何をどう考えたのか知らないが,とにかく残響を取り入れすぎた録音で,わんわん残響が入っているものだから音楽がボケボケになってしまい,単にやかましいだけの音楽にしか聴こえないという.どうやらこの教会,それほど広い建物ではないようなのだが,それにしても強奏がただ喚いているだけにしか聴こえない録音に仕上がるか普通に考えて,と思わざるを得ない.
 と,言うことはスウィトナーのブルックナー解釈にもいささか難があるのだろうか? 確かに,明らかに楽譜の指示を遵守していない箇所もあるし.うーむ.

2008/11/24

ヴィヴァルディ/フルート協奏曲集作品10

ヴィヴァルディ/フルート協奏曲集作品10@カメラータ・ケルン(ドイツ・ハルモニア・ムンディ:05472 77848 2)

 1988年12月の録音.
 フルート協奏曲集として出版された作品10の諸曲を,原曲のあるものは原曲のほうで演奏している,ちょっと面白い録音.例えば,「ごしきひわ」作品10の3(RV428)は原曲のフラウト・トラヴェルソ,オーボエ,ヴァイオリン,ファゴットと通奏低音のための協奏曲(RV90)が演奏されている,という按配である.ヴィヴァルディに詳しいひとが聴いたら,それは面白いのだろうが,残念ながらこの面白さがわかるほどには,僕はヴィヴァルディに精通していないので,それがちょっぴり残念(^^;).
 演奏は如何にもヴィヴァルディの音楽に相応しい,肩の凝らない楽しげなもの.当方もようやく一息つける状態になったので,たまには息抜きをさせてもらおう.

学問と政治

 「みんなの図書館」12月号(No.380)が届いたので,早速読む.内容の詳細は【ともんけんウィークリー: みんなの図書館2008年12月号が出ました】に譲る.

 巻頭の「特集にあたって」を読んで,最初は栄光の「みんなの図書館」もこれを以って終刊なのか,と思いベートーヴェンの「エロイカ」を聴きながら茶化しのめすか,と読み始めたのだが,これがなかなかどうして,素晴らしく意気軒昂な特集で,今更ながらに図問研の,『市民の図書館』の強靭な生命力に舌を巻く思いである.これは皮肉で言っているのではない.公共図書館に関して,どのような立場に身を置くひとであれ,公共図書館に関心のあるひとなら一度は目を通すべき特集であることは間違いあるまい.僕自身も,付箋を貼ったり傍線を引いたりして,いろいろと勉強させられる内容であった.当初の偏見をお詫びする.

 それを踏まえた上で,1箇所どうしても首肯出来ない文章がある.


歴史認識が欠けていては将来を豊かに描くことは出来ないと思います.「『中小レポート』に何時までしがみついているのか」「『市民の図書館』の役割は終わった」「貸出しにうつつをぬかしていたから,今そのツケが回ってきたのだ」などという声を時々聞きます.私は何と傲慢な言葉かと思います.(29頁)
やれやれ(sigh),というしか無い.それは,何も僕が常々当blog等で最早『市民の図書館』の寿命が尽きかけていることを説いている,という立場にあるからそのような感慨をもらしているだけでは無い.他ならぬ「歴史認識」という言葉が,この文脈で使われていることに危惧を抱かざるを得ないからなのである.
 言い方を変えたほうがいいかもしれない.この箇所でこの文章の筆者が「歴史認識」という表現で問題視すべきは,『中小レポート』『市民の図書館』「貸出し」それぞれが現在この時点において,公共図書館の政策,機能として評価しうる内容であるかどうか,のはずであろう.それにもかかわらず,それらに疑問を差し挟むことを「傲慢」と切り捨てることにより,「歴史認識」を極めて政治的な文脈に回収しようとしているのである.これはとどのつまり,「学問の否定」に他ならない.

 なるほど,(図書館業界内における)政治においては,そのような文脈が「運動」として一定の力を持ち得た時代があったのかもしれない.しかし,現在においてその文脈の上で「傲慢」を指摘すること自体が,どれほどの意味を,力を持ち得るというのか.それは「歴史認識」ではなく,その時代を生きてきた人間による単なる「郷愁」では無い,と言い切れるのだろうか.僕は,ここで言われている「歴史認識」や「傲慢」は,この文章の筆者による郷愁でしか無いと考える.

 「歴史認識」という言葉が出ているので,ついでに改めて書いておくが,僕は『中小レポート』→『市民の図書館』→『公立図書館の任務と目標』という,現在に至る日図協の政策文書3部作の流れ,また『市民の図書館』→日本図書館研究会読書調査研究グループという学問的な流れは,必ずしも進歩的かつ単線的な「歴史」では無く,各々の連続性よりもその差異の方が現在では重要な研究すべき論点だと考えている.もしこれから公共図書館史を構想するのであれば,「連続する流れ」としての歴史認識の基本線としては,むしろ『中小レポート』→『市民の図書館』→浦安市立図書館→静岡市立御幸町図書館,千代田区立千代田図書館,矢祭もったいない図書館,アカデミーヒルズ六本木ライブラリー(以下煩雑になるので略)・・・・・・という線を設定したほうが,広がる公共図書館の枠組みと意義,という「歴史認識」として余程健全な立脚点となるであろう.

 『市民の図書館』を信奉する方々がそれを正典視するのは結構だが,「思想信条の自由」「学問の自由」「信教の自由」は日本国憲法でも保障されているわけだから(^^;),少なくとも僕が『市民の図書館』を正典視しないことを,こともあろうに公共図書館関係者から「傲慢」と切り捨てられる謂れは無い.

2008/11/23

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲

チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35@アンネ・ゾフィー・ムター&ヘルベルト・フォン・カラヤン/ヴィーン・フィル(DG:419 241-2)

 1988年8月15日,ザルツブルク音楽祭でのライヴ.
 昨日出かけた,近所のレコード屋でワゴンセールやってた中から買ってきた,帝王最晩年の貴重なドキュメント.ムターの相変わらずの美音はともかく,亡くなる約1年前(1989年7月16日死去)のカラヤンがここまで衰えていたことに驚く.音楽に力がまるで欠けていて,ともすると止まりかねない.ピアノが基調でフォルテにまったく迫力が無い上に,テンポが力無くダラダラと遅くなっている.なるほど,彼の場合は肉体の衰えが音楽の衰えに直結していたのだね.哀しいほどに.さすが,運動神経抜群を謳われていただけのことはある.

 ここでは明らかにムターがカラヤンの衰えに合わせて,あるときは寄り添うように,またあるときは奮い立たせるように弾いている.ここでのオケに前進する力が感じられるとすれば,それは指揮者ではなく,ソリストが放射しているものから来るものだ.フィナーレの終わりも「やっとこさ,ここまでたどり着いた(sigh)」という感じに聴こえてしまう.

 カラヤンに「人生の夕映え」は確かに来なかったようだ.

2008/11/21

シューベルト/絃楽四重奏曲「死と乙女」

シューベルト/絃楽四重奏曲ニ短調D810@ケルビーニ四重奏団(EMI:7 49901 2)

 1989年4月30日-5月3日の録音.
 クリストフ・ポッペンが第1ヴァイオリンを務めるピリオド楽派のクァルテットによる「死と乙女」である.これがシューベルトっぽいノンビリした演奏かと思えば,意外にも(?)そうではなく,さすがに曲に相応しい,緊迫した内面のドラマがよく表現されている,いい演奏.しかし,このブルックナーの第7番のような楽章間の規模のアンバランス(16分45秒,14分49秒,3分41秒,8分51秒)は一体何なんだ?

やっとこさ試験運用を始めますよ(遅い!)

 以前,話題にしていたSBMを使ったパスファインダー,今日ようやく試験運用を勤務先のサイトでアナウンスしました.ここまでアナウンスが遅れたのは,ひとえに僕がサボっていたからなのですが,pliggを使ったおかげで,「カテゴリー」と「タグ」の使い分けがどうしても上手くまとめられずに,最初につくった18個のカテゴリー(学科ごとに主題をカテゴライズした)と,こちらで付けようとしたタグの整合性が,どうしてもつけられなかったことが原因のひとつです.

 結局,最初に作成したカテゴリーを全部削除して,新たに3つのカテゴリーを「内容説明」代わりとして,タグを主題別にする-つまり,最初の構想とは真逆に構成する-ことによって,それを解決したわけですが,これを考え付くまでに,密かに随分と悩んでおりましたですよ(^^;).

 タグを主題別にすることによって,パスファインダーの作り方をかじった図書館員なら,このシステムを使ってパスファインダーを作成することは,恐らくそれほど苦にならないと思います.僕以外の図書館員がパスファインダーを作らなければならなくなる局面で,システムの操作以外のことを教えることなくパスファインダーが作成できることを,このシステムの隠れた利点(^^;)にしなくちゃいけないな,と考えていたので,まあ悪くないかな,と思っております.

 今日現在,タグはまだひとつだけ,というお粗末なものですが,年度内にはせめて5つ程度には拡充したいと思います.今後ともよろしくお願いします.

2008/11/20

ブルックナー/交響曲第3番

ブルックナー/交響曲第3番ニ短調@カール・シューリヒト/ヴィーン・フィル(EMI:25 2924 2)

 1965年12月2日から4日の録音.
 シューリヒト(1880-1968)最晩年の録音だが,なかなか剛毅な演奏である.剛毅な中にも,どこか軽味があるのが普段のシューリヒトの芸風だが,ここでは曲調の故もあってか,あまり軽妙な味は出さずに,ヴィーン・フィルから存分に重厚な味を引き出している.
 3番は少々苦手な曲なので,この演奏も半ば敬遠気味だったが,40を過ぎて,ようやくこの演奏の良さが少しだけ,わかってきたような気がする.

2008/11/19

ブラームス/交響曲第4番

ブラームス/交響曲第4版ホ短調作品98@ジョン・バルビローリ/ヴィーン・フィル(EMI:TOCE-3096)

 1967年12月の録音.
 この録音は一時期,よく聴いていた録音で,確か某県立図書館(?)の所蔵LPを借りてダビングしたテープを高校時代,散々聴いたのだった.いま聴いても,憂愁と諦観のブラームス,という第4番のイメージを最も良く再現した演奏だと思う.同時期に,やはりよく聴いていたもうひとつの録音,カイルベルト/ハンブルク国立フィル(テレフンケン)の演奏が剛直と赫怒のブラームスだったのとは対照的な演奏である.どちらもこの音楽に相応しい表現だろうけど,個人的な好みはカイルベルトの方かな(^^;).ただ,だんだんと自分に残された時間が少なくなってきていることを感じ始めてきている身としては,バルビローリの表現が身に沁みるようになってきているような気もする.

 おかげで,昨日の混乱からは落ち着いてきたようなところ.やっぱり僕に必要なのは,生身の人間(出来れば異性)との知的な対話だよ,ということを再認識した次第.これで何とかなれば.

2008/11/18

マーラー/交響曲「大地の歌」

マーラー/交響曲「大地の歌」@ブルーノ・ワルター/ヴィーン・フィル(EMI:7 64297 2)

 1936年5月23日,24日の録音.
 
 いまちょっと,「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」がせめぎあっていて,「やらなきゃいけないこと」に集中できない状況.今度の3連休は,部屋に籠って「やらなきゃいけないこと」を集中豪雨的に片付けなければいけなくなりそう.

 ワルターとも「大地の歌」とも関係の無い話で申し訳ない.

2008/11/17

ベートーヴェン/交響曲第9番

ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125@フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団(BMG:BVCC-1011)

 1961年5月1日と2日の録音.
 日頃はジョージ・セル同様に剛直な演奏で知られるライナー(1888-1963)だが,ここでは緩急を織り交ぜ,なかなか駆け引き上手に迫ってくる(^^;).「ミスター・メトロノーム」と揶揄された指揮者とは思えないような,テンポの動かし方や柔軟な響きを聴くことが出来る.特に第1楽章では,演奏している途中でテンポがずり下がるように遅くなり,また元に戻るというライナーにしては不思議な箇所さえある.いま手元にスコアが無いので小節数を明示できないのが残念だが,そこの箇所は何度聴いてもヘンである.
 全体としては格調の高い好演なのだが,時々不思議な一面(同じく第1楽章のクライマックスにおけるティンパニの扱いなど)を見せるのがこの演奏のユニークなところではある.

2008/11/16

ベートーヴェン/交響曲第3番

ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」@ヴィクトル・デ・サバタ/ロンドン・フィル(ロンドン:POCL-3904)

 1946年5月2日と3日の録音.
 デ・サバタ(1892-1967)はイタリア出身の指揮者.歌劇は勿論,器楽も振るイタリア出身の指揮者としては,トスカニーニとジュリーニ,カンテルリらの中間に位置する世代の指揮者で,これからという1953年に病に倒れ1957年には引退してしまったため,録音は意外に少ない.1939年に録音されたブラームスの4番(DG)にファンが多いのは,恐らく吉田秀和による言及があづかって力があったのだろうと思う.

 この「エロイカ」は久し振りに引っ張り出して聴いたが,どうもところどころ甘くて厳しさに欠ける「エロイカ」に聴こえるのは,サバタの解釈なのか,オケがサバタの要求に応じ過ぎているのか.強奏で押すところは颯爽としていていいのだが,弱奏で旋律が甘やかに歌いだすとどうもいけない(^^;).旋律を歌いすぎるのである.おかげで,聴いていてどうにも居心地が悪い.だから滅多に聴かなかったのだが,しばらく振りに聴いたら印象が変わるところもあるかと思って引っ張り出してみたところ,やっぱり居心地の悪さは変わらなかったのであった.うーむ.

2008/11/15

リード/アルメニアン・ダンス

アルフレッド・リード/アルメニアン・ダンス Part 1 & Part 2@アルフレッド・リード/東京佼成ウィンドオーケストラ(佼成出版社:KOCD-3016)

 1991年ごろの録音.
 日本でも吹奏楽の作曲家として著名なアルフレッド・リード(1921-2005)の「アルメニアン・ダンス」は,元々全4楽章の作品として作曲されたものだそうだが,最初に持ち込まれた出版社が長すぎると判断したのか,第1楽章が「Part 1」として,残りが「Part 2」として,それぞれ別の出版社から出版年も別々に出版されている.出版後は,特に第1楽章にあたる「Part 1」が豊かで明るく親しみやすい旋律のためか単独でしばしば吹奏楽の演奏会にかけられたり,コンクールの自由曲に取り上げられたり,とにかく有名になっている.「Part 2」が少々暗めなのも事実ではあるが.

 で,このCDは,僕の記憶に間違いが無ければ,世界で2枚目の「アルメニアン・ダンス」全曲を収録した録音だった.世界で最初に全曲を収録した録音は,確か日本の大学の吹奏楽部が収録したものだったはずである.
 ここでは作曲者自身が棒を振っているが,どうも専門の指揮者ではないためか,楽しげに振っているのはともかく,何となくユルいのが「味」として取り柄なのか,玉に瑕なのかよくわからない(^^;).何処かリヒャルト・シュトラウスの自作自演(DG)に似た雰囲気を感じる瞬間がある.

2008/11/14

ドビュッシー/絃楽四重奏曲

ドビュッシー/絃楽四重奏曲ト短調@カペー絃楽四重奏団(EMI:TOCE-6169/6174)

 1927年の録音.
 僕が持っているのは,CDになって最初に復刻された(確か1991年頃)カペー四重奏団の全集(?)なので,ノイズを除去するのに急なあまり,必要な音や残響まで取り去ってしまったらしく,あまり評判のよろしくない復刻のようである.恐らく,今ではもっと音の良い復刻盤が出ていることであろうが.
 それでもこの録音に聴くカペー四重奏団の音は,実に独特なもので,ドビュッシーを弾くにはこうであらねばならぬ,と思わせるに足る素晴らしい演奏の片鱗くらいは,嫌でもわかる(^^;).僕はドビュッシーの良い聴き手では決して無いが(絃楽四重奏もこれ以外持っていない),それでもカペーには脱帽である.

2008/11/13

ブラームス/4つの小品作品119

ブラームス/4つの小品作品119@ヴィルヘルム・ケンプ(DG:POCG-90117)

 1963年3月の録音.
 4曲通して12分ほどの,ブラームス晩年の静かな音楽.1曲目から3曲目は「間奏曲」,4曲目は「狂詩曲」と題されているが,タイトルはほとんど意味を成さず,世間の喧騒とは無縁の,作曲者のつぶやきが音楽になったような,「珠玉の老成」といった趣きの作品群に仕上がっている.これはもう,ケンプやエドウィン・フィッシャーのようなピアニストが弾くに相応しい,としか評しようのない音楽であり,またケンプがその音楽を地で行くような演奏を,ここで繰り広げてくれているのは僕にとっての幸いである.

2008/11/12

チャイコフスキー/胡桃割り人形

チャイコフスキー/バレエ音楽「胡桃割り人形」作品71@アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団(EMI:TOCE-3207/3208)

 1972年5月の録音.
 組曲版(作品71a)ではなく,全曲版の録音なので,組曲版では聴けないあんな曲やこんな曲が聴けてお得(^^;).もともと,「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」に比べて演奏時間の短い作品(90分程度)なので,マーラーが聴ける方なら,全曲に挑戦して損はないですよ.個人的には,「眠れる森の美女」やプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」のような作品は,舞台を見るか舞台を録画したものを見ないと理解できないところがあるような気がするのですが(実際「眠れる森の美女」は,熊川哲也が踊っていたビデオを借りて見て,ようやく曲の良さが理解できた有様),この作品は音楽だけでも,ある程度自立したものとして聴けるんじゃないかなあ,と.リヒャルト・シュトラウスの交響詩が,その筋書きがわからなくても面白く聴けるのと同じような意味で.

2008/11/11

リヒャルト・シュトラウス/英雄の生涯

リヒャルト・シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」作品40@ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管絃楽団(シャンドス:CHAN 8518)

 1986年12月8日,9日の録音.
 最近は息子のパーヴォ(1962-)がめきめきとのしてきて(^^;)多少影が薄くなっているかもしれないネーメ・ヤルヴィ(1937-)がシャンドスで売り出し始めた頃の録音.

 とにかく,明るく伸びやかで豪快な力演.劇的だが,いささか一本調子で陰翳には乏しいので,そーゆうのがお好みの方には好かれないし,また緻密な演奏をお求めの方にも不向きかも.しかし,難しいことを考えずに「英雄の生涯」を楽しみたい方にはおススメかと.リヒャルト・シュトラウスだし,「英雄の生涯」だし,ということで(^^;).

2008/11/10

開かれた公共図書館とその敵(続)

 承前

 ところで,公共図書館業界関係者の中には,片方で「専門性」の未確立を嘆きながら,実のところ他方では『市民の図書館』とそれを発展・継承させたと称する疑似科学によって,その専門家としての自我を肥大化させ,そこに奇妙かつ巨大なコンプレックスを現出させた連中がいます.これはオルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』の中で“「専門主義」の野蛮性”という章を立てて,指摘している専門家と称する人々の知的傲慢,そのものではないでしょうか.自分たちだけが公共図書館を識る者であり,祖師が作り上げた「枠組み」が妥当かどうかを検証することも無くその「枠組み」を信奉して,そこから外れていると「彼らが」認識したものは「あれは公共図書館ではない」「これは“図書館的”だが公共図書館とは認められない」などなど,妥当かどうかもわからない「枠組み」,確立もしていない「専門性」に依拠して夜郎自大な批判を繰り返します.

 そのような専門家による夜郎自大を,例えばポール・ファイヤアーベントは自由社会における最終決定を専門家にのみ任せることなく,素人が最終決定に参画できる仕組みを必要不可欠のものとして組み込むことによって,排除することが可能であろうと指摘するわけです.USAにおける「図書館評議会」の役割は,くだんの『図書館ねこデューイ』を読む限りにおいては,ファイヤアーベントが批判する専門家の夜郎自大を防ぐための安全装置として働いている(それがあるときは障壁になっていることも否定できませんが)ように思えます.

 しかし,こと日本においては「図書館司書」が近代化する手前で「近代」が崩壊した,つまり専門化する以前に専門化するための前提が崩れてしまった-丸山眞男(前川恒雄でも構いませんが)が待望していたような形での「近代市民社会」はついぞ実現されていない-わけです.近代化による「正のスパイラル」が望んでいた形で訪れなかった以上,業界はそもそも妥当かどうかわからなかった「枠組み」を,より妥当な形に再構成しなければならなかったはずなのです.ところが,今もって「再構成」は実現する兆しさえ見えません.

 それは何故なのか,その理由こそ打ち砕かなければならない「開かれた公共図書館の敵」ではないだろうか,というのが,目下の僕の見立てです.


 なおアダム・スミスについては『アダム・スミス』(中公新書)を,ポール・ファイヤアーベントについては『パラダイムとは何か』(講談社学術文庫)を参考にしましたが,その読解については僕に責任があります.それからエントリーのタイトルはカール・R・ポパーの名著のパクリですが,彼の本『開かれた社会とその敵』(未来社)は未読ですごめんなさいm(_ _)m

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第14番

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27の2@エリー・ナイ(コロッセウム:COL9025-12.2)

 1967年の録音.
 第二次世界大戦前,ベートーヴェン弾きとして勇名を馳せたエリー・ナイ(1882-1968)最晩年の録音である.大ピアニストでありながら,ナチへの忠誠があまりに明らかであったために戦後は長らく不遇をかこつことになる.それでも晩年に至るまで健在で,この録音に聴かれるような全盛期を偲ばせるに足る演奏を聴かせ続けたようである.

 この録音でも,さすがにフィナーレでは技巧の衰えと思しき箇所が散見されるものの,同じくフィナーレで突然轟く雷鳴のようなフォルティッシモは,間違いなく演奏として様式化された解釈であり,老いからくる誇張や弛緩ではあるまい.「楽聖ベートーヴェン」の見事な解釈であり,演奏であろう.

2008/11/09

開かれた公共図書館とその敵


asahi.com(朝日新聞社):ボーイズラブ小説は不適切?図書館貸し出しで議論白熱 - 社会 http://www.asahi.com/national/update/1105/OSK200811040115.html

28万冊いずこに…全国公立図書館で不明、被害4億円超す : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20081109-OYT1T00123.htm

 こーゆう記事を読んでいると,1970年代に『市民の図書館』の成立を支え,また成立以降の『市民の図書館』とその信奉者が目指してきたものが,名実ともにあっけなく破綻したなあ,と思わざるを得ません.残念ながら.

 『市民の図書館』には,このような文章があります.


「住民は,一人一人の自由意志によって公共図書館を利用するのであり,どのような強制も押しつけもあってはならない.」(p11-12,強調は引用者による)
問題は,住民における「自由意志」なるものが,例えばアダム・スミス言うところの「賢明さ」によって「弱さ」を自ら制御できるだけの近代市民としての自覚を持った住民によって行使されうる状況が,『市民の図書館』を理想とする公共図書館の発展によって現出したのか,というところにあるわけです.もちろん,公共図書館の発展のみによって住民の近代市民化は達成できるものではなく,むしろ他の要因の方がそれを達成するためには大きく働くと思われますが,少なくとも『市民の図書館』は貸出しによって公共図書館が発展(進歩)することが近代市民社会の構築に不可欠である,という貸出至上主義の立場に立って書かれており,故に「貸出し(利用者)増→予算獲得→さらに貸出し(利用者)増→さらに予算獲得→以下略」という正のスパイラルを公共図書館の発展(進歩)として念頭に置いていたわけです.そして,それは公共図書館の発展(進歩)が近代市民社会の成立に必要不可欠のものであるとともに,近代市民社会において公共図書館は必要不可欠のものである,という「信仰」によって支えられていたのです.

 それ故,『市民の図書館』が正典であった時代(1970年代後半から1990年代前半まで,と見ていいでしょう)は,「問題利用者」のことを取り上げることについて憚られるような雰囲気がありました.これにも,『市民の図書館』のみがその要因ではないのでしょうが(やたらと「良書主義」を振り回す業界関係者がいたのも事実だろうし,良い意味で公共図書館の利用に「自覚的な」利用者がいたことも事実でしょう),少なくとも公共図書館業界関係者において「利用者」を「神聖ニシテ犯スベカラズ」な存在に祭り上げてしまったことの,責任の一端が『市民の図書館』の説いた貸出至上主義にあったと見るのは,それほど誤った見方だとは思いません.

この項続く

新日本紀行:冨田勲の音楽

新日本紀行:冨田勲の音楽(RCA:BVCF-1525)

 1994年4月と5月の録音.

 今日は,すべては2曲目「ジャングル大帝」のために.


西武、逆転で4年ぶり日本一…巨人に3─2 : プロ野球 : スポーツ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20081109-OYT1T00474.htm

ナベQは同年代なので感慨もひとしお.今日の試合はジャイアンツの継投ミス(7回は片岡への死球,もしくは同点の時点で越智を山口でも豊田にでも交代させるべき)がライオンズに逆転する隙を与えたようなものだけど,14回3分の2を無失点で抑えた岸が象徴するように,先発陣のフル回転が怪我人続出の打線を救いましたね.今日も西口→石井一久→涌井と先発陣が中継ぎに回らなければならないほど,中継ぎ陣が当てにならない中,踏ん張ったのはお見事でした.ジャイアンツは磐石の中継ぎ陣の中で,左腕の山口を使うところに恵まれなかった(ライオンズに栗山と石井義人以外,いい左打者がいなかったためでもありますが)のが,今日の継投の失敗につながりましたね.
 個人的には,岸よりも平尾にMVPをあげたかったような気がしないでもないですが(^o^)/

 何はともあれ,優勝おめでとうございます>>埼玉西武ライオンズ!

2008/11/08

VOLTA MASTERS Presents Nu Christmas Club Classics

VOLTA MASTERS Presents Nu Christmas Club Classics(レヴォリューション・レコーディングス:RRCRK-80137)

 ちと早いが,クリスマス・アルバムを.何でもタワーレコード限定発売の由.
 “VOLTA MASTERS”というのは,僕には未知のひと.このCDで歌っている歌手も全く知らない名前ばかり.ちょっと街に用事があってお出かけして,たまたまフラッと立ち寄ったレコード屋(タワレコに決まっているか(^^;))で視聴してみたら面白そうだったので購入.結果,当たり(^o^)/ クルマを走らせているときに聴けるゴキゲンなクリスマス・アルバムは何枚あってもいいのでね.

ホルスト/惑星

ホルスト/組曲「惑星」作品32@グスターヴ・ホルスト/ロンドン交響楽団(コッホ・シュヴァン:3-7018-2 H1)

 1926年6月から10月の録音.
 先日,ジョン・ヴィクトリン・ユウのじれったくなるテンポの演奏(エクストン)を聴いて欲求不満に陥ったので,口直し(^^;).EMIから出ている復刻CDもあるが,こちらの方が音がいい.

 このホルストの自作自演は「火星」が6:07であるのを筆頭に,とにかくテンポが速い.SPの録音時間が短いから,という説もあるが,「木星」でもテンポを落とすところは落としているので,それは当たらないと考える.電気録音以前の,喇叭吹き込みの録音(1923年)も残されているが,そこでもテンポはほとんど変わっていないので,これがホルスト自身が考えていた「惑星」のテンポであるとみていいのではないかと.同じ自作自演でも,リヒャルト・シュトラウスの新古典主義的な演奏スタイルとも,また違うし.
 とすると,まず昨今の「惑星」は,ほとんどが失格(^^;)じゃあないかしらん? 特に「火星」のテンポがどんどん遅くなっているのは,ちょっと度が過ぎていると思う.

2008/11/06

マーラー/交響曲第10番から「アダージョ」

マーラー/交響曲第10番嬰ヘ長調から「アダージョ」@クラウス・テンシュテット/ロンドン・フィル(EMI:7 64481 2)

 1978年の録音.
 今日はいろいろと考えることが多すぎて整理がつかず,とにかく音楽は昔なじみのものを.

2008/11/04

空騒ぎ

小室哲哉容疑者:5億円詐欺で逮捕…容疑認める 大阪地検 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/today/news/20081104k0000e040016000c.html

まあ,確かに一時代を築いた音楽業界のビッグネームだし,現在も固定客はいるし,早稲田実業や中島村に永続的な施設はあるし,(リメイクだそうですが)新曲もあったことだし,いろいろ迷惑を蒙る方々がいるのはわかるのだけど,ここまでマスコミが大騒ぎするような話かいな,と物は試しに

「これはきっと“田母神ショック”を糊塗し沈静化し隠蔽するために政治が警察権力を使って意図的にリークして騒動に発展させたに違いない」

と陰謀史観(?)を開陳してみたら,何と周囲の賛同を得てしまった,という事実はいったい何を物語るのでせうか(^^;).

防衛相、現役空幕長を更迭 政府見解に反すると判断 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081031/plc0810312209012-n1.htm

コレッリ/合奏協奏曲作品6

コレッリ/合奏協奏曲作品6@トレヴァー・ピノック/イングリッシュ・コンサート(アルヒーフ:POCA-2151/2152)

 1987年3月,4月,1988年1月の録音.
 8曲目に「クリスマス協奏曲」として知られる作品を置く,全12曲からなる合奏協奏曲集である.ピノックのしなやかな演奏で,華やかに進んでいく音楽が心地よい.

 今日はインフルエンザの予防接種を受けたためか,調子がいまひとつなので,これでおしまい.

2008/11/03

シューベルト/交響曲D944

シューベルト/交響曲ハ長調D944(第9番)@カール・シューリヒト/南ドイツ放送交響楽団(コンサートホール/スクリベンドゥム:SC011)

 1960年9月の録音.南ドイツ放送交響楽団(SDR Symphony Orchestra = SDR Symphonieorchester)は現在のシュトゥットガルト放送交響楽団(Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR)のこと.

 故・大木正興が「レコード芸術」誌上で酷評した録音である(^^;).随分昔のことだが,「指揮者もオケもやる気が無い」と評していた記憶がある.要するに大木正興にはベートーヴェンからブラームスに至る重厚深刻,以外の音楽の価値(軽妙洒脱など)を評価出来るだけの耳も意識も持ち合わせがなかっただけのことで,彼がその死後急速に忘れ去られた(例えば,Wikipediaに立項すらされていない)のも無理は無い.

 確かにオケが非力(^^;)なのは如何ともし難いが,枯れた職人芸のシューリヒトの胆力と抜群のリズム感(シューリヒトは確か,カール・ベームとともに,初期のボリス・ブラッハーの支持者だった)を醸し出す棒に必死で応えようとしているようではある.両端楽章での推進力は生半な指揮者では出せないものだし,第2楽章では何ともいえぬ玄妙な味をそこはかとなく出している.


 ・・・・・・ここ2日ほど,エントリーを上げなかったのは只見線にSL撮影しに行ったりして忙しかったこともさりながら,あることを書いてエントリー上げるべきかどうか悩んでいたところだった.結局,上げないことにしたので,それはそれでスッキリである.あるもの・ことについて,評価出来るだけの知識も意識も無い人間に,それを指し示したところで時間の無駄であることを,このシューリヒトの録音を聴きながら大木正興のことを思い出し,やがてそこに思い至ったというわけだ.専門外のことを教示して理解・評価させようとしても,所詮当人にその意識が無い以上,出来るものでもあるまい.
 特に残念でもない.

高見順『昭和文学盛衰史』から

「おのれを正しゅうせんがために,ひとを陥れるようなことを言ってはなりません」

折口信夫

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