過剰な期待
言いたいことは過去に書いた,以下のエントリーで言い尽くしているので,再論の必要は無いでしょう.
正直なところ,このところ議論している皆さん,公共図書館に対する前提がバラバラである上に,(一部の方を除いて)公共図書館にいささか過剰な期待をかけていませんか? もちろん,公共図書館は皆さんの都合のよろしいように使われなければ存在する価値はありませんが,それにしても,意義と機能を前提とした可能・不可能の「棲み分け」は考えていただきませんと,前提がバラバラな上に後ろ盾も無く「過剰な期待」をかけられても,それによって公共図書館が本来果たすべき機能が崩壊してしまったのでは元も子もありません.行政機関と言えども,二兎は追えないのです.
しかし,この一連の論争を見て思ったのですが,現状のままでいると,公共図書館に誰が何を求めているのか,という前提を業界が構築しなおさないといけなくなるのは必定かと.そうなる前に業界側が新しい政策なり何なりを何とかするのか,それともなおもズルズルと状況に引きずられていくのか.このあたり,この件に限らず業界関係者のお偉方に危機感があるようにはさっぱり見えません.連中がコップの中の嵐を弄んでいる間に,市井の人における公共図書館に対する見方・考え方が,図書館情報学における「先人の蓄積」は大切だけど,それが無意味なものになりかねないほど,急速に流れるように変っていくことを,業界に君臨している方々がどれだけ真剣に捉えていることか.これまで幾度と無く警告してきたつもりですが,いよいよ状況は切迫してきているような気がします.
愚智提衡而立治之至也: 公共図書館が保障するもの
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2004/12/post_23.html
愚智提衡而立治之至也: 公共図書館の「ホームレス支援」
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2006/01/post_7d46.html
愚智提衡而立治之至也: 公共図書館における「場所」と「機能」
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2008/05/post_ea7a.html
2008年9月21日追記:こちら↓も参照してもらえれば幸い.
愚智提衡而立治之至也: 「友・敵関係」と公共性の喪失
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/memorandum/2007/09/post_513f.html
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