旧「おぼえがき」から再録(「クローズアップ現代」について)
市民・市立図書館の「複本購入」問題批判の底の浅さについて - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080921/fukuhon
↑こちらにて登場する「読無字書弾無絃琴」は,現行のものではなく,blog移行以前にhtmlで書いていた「日々のおぼえがき」なので,現在web上に置いてありません.ですので,こちらにいらした方への便宜に,以前の「おぼえがき」から関係する箇所を,以下↓に再録しておきます.なお,都合により一人称のみ書き直しまた.また,取り急ぎテキストを再録することを優先したので当時張られていたリンクは張りなおしてません.悪しからずご了承ください.
2003年1月25日付
►「クローズアップ現代」
►同じく「図書館雑誌」2003年1月号に〈NHK「クローズアップ現代-ベストセラーをめぐる攻防」の取材について〉という記事が掲載されている.恐らく,先日の番組が「一方的だ」という抗議の余波が日本図書館協会にもあったらしい.これを読むと,一方であの番組を高く評価する声があるにもかかわらず,番組を「一面的」と評価してしまうあたり,日本図書館協会は相変わらず「日本公共図書館協会」なのかと思ってしまう.
►僕があの番組に危惧していたのは,むしろ「そういう風潮にもかかわらず孤塁を守る図書館員」という悲壮な(?)イメージを増幅することだったが,それが杞憂に終わっただけでも「よし」である.
2003年2月2日付
►〈クローズアップ現代〉続き
►昨年11月7日にNHKで放送された〈クローズアップ現代〉「ベストセラーをめぐる攻防~作家vs図書館~」に関して町田市立図書館が出した見解がポット出版サイトの連載〈図書館での出来事・考え事〉(2003年1月27日付)に掲載されているのを読む.一読して納得のいく箇所と納得できない箇所があるわけだが,納得できない箇所には現在方々で聞かれる公共図書館への批判を誤読している部分があり,それがこの文書の瑕疵になっているのが残念.「フローとストック」の部分など,明らかに根本彰『情報基盤としての図書館』の(意図的な,とは思いたくないが)誤読の上で反論を展開している.
2003年2月4日付
►ふたたび〈クローズアップ現代〉
►〈たそがれSpringPoint〉2月3日の「日々の憂鬱」(この文章を公共図書館関係者は必ず読むべし)にも取り上げられた,NHK〈クローズアップ現代〉をめぐる町田市立図書館の「見解」だが,活字媒体として入手しやすいのは,出たばかりの「出版ニュース」2003年2月上旬号(通巻1961号)だろうか.「図書館雑誌」では記事だけで掲載されなかった公共図書館関連文書が「出版ニュース」に全文載るのも少々不思議な話ではある.
►「出版ニュース」には,「見解」以外にも「町田の図書館活動をすすめる会」なる団体の「抗議文」も掲載されているので読んでみたが,これはヒドイ代物である.相手の視点や立脚点に対する配慮と考察が欠落した,一方的な表現に終始するアジ文書の見本としては評価できるが.モノには言い様があるだろうに「(図書館の)こうしたサービスに対するメディアの無知ぶりはほとんど呆れ果てるもので」(カッコ内は引用者による補足)こーゆう文章を当事者宛の文書に書くことのできるシュギシャ的な無神経さにはそれこそ「呆れ果てる」しかない.そしてその要求はNHKの「反省と謝罪」だという.この団体,いったい何様のつもりなのだろうか.報道機関の「調査報道」に要請文を提出するなら,せめて『ニュースキャスター』(田草川弘著/中公新書1051/中央公論社/1991年12月初版/本体660円)程度の報道に関する基礎的な資料を読んでから,戦略・戦術ともに練り直してNHKへの提出文・作戦ともに再構成した方が賢明だっただろうに.
►戦後50年を過ぎた現在の日本に,「民主制」という制度が未だ全く根付いていないことは,どれほどの「戦後民主主義」擁護者でも,この文書を読めばよく理解できるだろうな(他の誰よりも,まず僕が戦後民主主義な人間なので,それを痛切に感じている).このような知性と教養を持ち合わせている人々に公共図書館を弁護されても,却って逆効果なのでは,とさえ感じてしまう.
2003年2月5日付
►またまた〈クローズアップ現代〉
►〈たそがれSpringPoint〉2月4日の「日々の憂鬱」に脱帽.「予算編成期に図書館にとっては不本意な番組が天下のNHKで放送されたということは、来年度の資料購入費の大幅削減の危機を意味する。」あの「見解」が,実は役所・議会対策のためのものだという視点は,僕には無いものだ.滅・こぉるさんの洞察力に敬意と感謝を表する.
►僕にこの視点が無いのは,勤務先の体制に「予算折衝」という概念が欠落しているから,というのが最大の理由か.以下愚痴は自粛.
2003年2月8日付
►またもや〈クローズアップ現代〉
►「創」33巻2号(2003年3月号)の投書欄に町田市立図書館の職員による,〈クローズアップ現代〉の取り上げ方を「公平さを欠いている」と批判する投書が掲載されている.取材を受け情報を開示した当事者が,放送内容に納得できない旨を表明するのはいいのだが,自らの主張と相容れない相手の主張を「貧困な図書館観」と切り捨ててしまうのはどんなものか.「偏った図書館観」ならまだしも,である.ここでの「貧困な」という表現は,否定的な「イメージ」の表現として俗耳に入り易いだけに,デマゴギーや全体主義の温床になりかねない危険性をはらんでいるもののように僕には読める.戦前(「2・26事件」の頃?),以前は「見解の相違」と言っていたものを最近は「認識の不足」と言い換えて切り捨てる風潮があるがそれは危険だ,と喝破していたのは永井荷風だったか.
►先日取り上げた「町田の図書館活動をすすめる会」の「抗議文」とやらもそうだったが,相手の主張が気に入らないからといって,相手のすべてを否定するような文言をぶつけてどうしようというのだろうね.結局,批判している相手と同じことをやっているだけにしか見えないし,そもそも相手が「そうやっている」と主張しているのはあなた方だけのような気もするし.
取り急ぎ,見つけたのは以上のテキストです.しかし,あれから5年も経っているのに述べている主張に成長の跡が見られませんね,ワタシは(^^;).何ともはやorz
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