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2008/07/14

道徳ではなく規則だろうに

東京新聞:区立図書館 貸し出し破損に苦悩 異例の履歴保存 効果:社会(TOKYO Web)

 はてなブックマークに僕は


この問題,正直,キレイごとではやってられません! 日図協の如く正論を吐くことは僕でもできるけど,この件に限っては,そんなもの屁のツッパリにもなりませんね.残念ながら.
と書いた.そう,自らの経験(大学図書館に勤務する者として,また過去の公共図書館利用時の経験)から考えても,まったく「キレイごと」では片の付く問題ではなくなりつつある.正直なところ,貸出履歴の保存が「図書館の自由」に抵触し,利用者のプライヴァシーを侵害する可能性があるかどうか,という次元の話を超えている.

 東京新聞の記事は


図書館の蔵書を切り取ったり、CDを破損したりするなど利用者のマナーが乱れている
と記すが,これはもはや「マナー」の問題ではないと考える.公共でも大学でも,図書館を利用する際の「ルール」を遵守できない輩が現実に存在し,図書館側はそれに対して対処しなければならない,ということなのであろう.

 ひとつ考えなければならないのは,特に公共図書館は「近代市民社会」という概念にその多くを負っている存在であり,その社会を形成する「近代市民」とは,個人の自由を享受できることが可能な立場にあるが,その自由は常に自らの意思で統制しなければ,権力によってあっという間に奪い取られてしまう性質のものである,ということである.その自由を自らの力で統制できない,即ち「自由からの逃走」を繰り返している輩を,これまで公共図書館は利用者として迎える準備をしてきたわけではない.そして,公共図書館が公共施設として地方自治体の傘下にある以上,公共図書館もまた権力を行使しうるのである.公然と公共図書館に対して「自由からの逃走」を繰り返す輩に対して公共図書館が持てる力として「権力」を行使するのは,当然と言えば余りにも当然の仕儀じゃないの?

 つまり,現状では公共図書館という概念/存在を成立させている前提が一部で崩壊し始めているわけ.記事にある日図協のコメントが正論であっても現状に対して何ら効力を持ち得ないのも同様の理由から.この状況を打開して近代市民社会を構築しようとなおも努力するか,「朽木不可雕也,糞土之牆,不可杇也」(『論語』公治長篇)と監視社会へ流されていくか,それを決めるのは公共図書館の側ではない.

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