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ココログ


ほし2

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2008年7月の記事

2008/07/31

ベートーヴェン/交響曲第3番

ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」@ホルスト・シュタイン/バンベルク交響楽団(BMG/新星堂:SRC-1002)

 1987年4月6日と7日の録音.


訃報:ホルスト・シュタインさん80歳=N響名誉指揮者 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/person/obituaries/news/20080729k0000e060067000c.html

 シュタイン(1928-2008)は新奇なものを好む向きからは評判が芳しくなかったようだが,的確な表現を選ぶ職人芸を持ち,重厚で純朴な独墺系音楽を聴きたい愛好家からの支持は根強いものがあったと思う.しかしながら,創り出す音楽が実直に過ぎてロマンティックな風味に欠けていたがために,メジャーレーベルでの注目度が低く,いわゆる「カリスマ」にはなれずに終わった.惜しい指揮者だった.70そこそこで病気のため音楽活動を停止したこともあり,ここに聴く「エロイカ」のような名演を残してはいるものの,ベートーヴェンやブルックナーのまとまった録音が残らなかったことも惜しまれる.今後,ベートーヴェンやブルックナーのライヴが発掘されることを期待する.

2008/07/30

J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲第1番

J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調BWV1046@ヘルマン・シェルヘン/ヴィーン国立歌劇場管絃楽団員(ウェストミンスター:MVCW-14027/14028)

 1960年3月の録音.
 ブランデンブルク協奏曲の6曲中,最も規模の大きな作品.今や,発掘されたライヴ録音での奇矯な演奏で知られるシェルヘン(1891-1966)だが,ウェストミンスターへのバッハ録音では一貫して(時代の制約はあるにせよ)原典への回帰を目指した,真摯な演奏を繰り広げている.未だ古楽派が勃興していなかった時期に,新古典主義風なバッハを,しかも今でも聴ける水準で(シェルヘンより若かったはずのカール・ミュンヒンガーなど,一時期は大いにもてはやされたにもかかわらず,忘れ去られ廃れてしまった演奏家もいると言うのに)録音したというのは,如何にも八方破れなシェルヘンらしい(^^;)仕事ぶりのような気がする.

2008/07/29

ヴェーベルン/パッサカリア

ヴェーベルン/パッサカリア作品1@ピエール・ブーレーズ/ロンドン交響楽団(ソニークラシカル:SM3K 45845)

 1969年2月の録音.
 ブーレーズ監修による,記念碑的ヴェーベルン全集から.当時のブーレーズは,まさに「前衛音楽の作曲家が前衛的に音楽を解釈し,指揮をする」という雰囲気で,感情移入を排し,実に冷酷非情な指揮をしていたものである.この「パッサカリア」をカラヤン(DG)や,ケーゲル(エーデル)と比べてみれば,その精密機械のようなアンサンブルのコントロールがわかろうかというもの.音楽が如何に熱くなろうとも,指揮者はまったく冷静に音楽を突き放す.それがハードボイルドなヴェーベルンの音楽に見事にハマって,空前の記念碑的な全集がここにある.

 え,DGに再録したもの? これだけの完成度の後で,例え同じ指揮者が演奏しているとしてもこれ以上の結果が出るとは思えないし,ましてブーレーズはDG移籍後,苛烈な冷酷非情さがすっかり影を潜めてしまっているので,恐らく聴いても無駄だと思ってますが何か.

2008/07/28

ヴィラ・ロボス/バッキアーナス・ブラジレイラス第1番

ヴィラ・ロボス/バッキアーナス・ブラジレイラス第1番@ベルリン・フィルの12人のチェロ奏者たち(EMI:5 56981 2)

 2000年1月の録音.
 CMに起用されて話題になったものとは,別の録音であり,企画である.こちらは“South American Gateway”というタイトル(これはバート・バカラックの曲のタイトル)の企画のために録音されたもの.CMになった同じ曲の演奏よりもテンポが速い,と記憶する.
 まあしかし,この曲はこんなにスタイリッシュにカッコよく弾いてもいいものなんですかね? もう少し,土俗的な泥臭さがこの作品には相応しいような気がしますが.

2008/07/27

デュティユー/交響曲第2番

デュティユー/交響曲第2番「ル・ドゥーブル」@ハンス・グラーフ/ボルドー・アキテーヌ国立管絃楽団(アルテ・ノヴァ:74321 80786 2)

 2000年9月の録音.
 シャルル・ミュンシュ/ボストン交響楽団によって1959年に初演された交響曲.バロックのコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)に範を採り,管絃楽と何人かのソロ奏者によるアンサンブルとが対比される形で音楽が進行する.音楽はオネゲルを思わせる硬質で渋めの性格のもので,ミュンシュが好んで振りそうな感じ(^^;).もっとも,ミュンシュが振ったらさぞ色彩豊かな音楽に仕上がったのだろうけど,ここでのグラーフによる解釈では,オネゲルに似た硬質なところが前面に出ているようである.他の指揮者による演奏が聴きたい.

2008/07/26

ベートーヴェン/悲愴

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタハ短調作品13(第8番)「悲愴」@ワルター・ギーゼキング(EMI:TOCE-8355)

 1956年10月の録音.このCDがステレオ初出との由.
 ギーゼキング(1895-1956)は,かの内田光子が「レコード芸術」のインタビューで「あのひとだけは,なにがやりたかったのかよくわからないピアニスト」という意味のことを話していた記憶がある(^^;).何しろ,ブルーノ・ワルター/ヴィーン・フィルとベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番を録音したときはお互いに失敗だと思っていたのに,メンゲルベルク/コンセルトヘボウとラフマニノフを共演しているのは,それだけメンゲルベルクの方がモダンな感覚を持っていた,と言うことなのか(ギーゼキングはメンゲルベルクとの共演についてはコメントしていないらしい.何しろ共演は第二次大戦中のことで,メンゲルベルクは戦後対独協力者ということで演奏を禁じられてしまっていたので,自らは危険を回避したのだろうか)?

 それはさておき,この「悲愴」ソナタは凄い.ちょっと調子の悪いときに聴くと,第2楽章で涙が止まらなくなるくらい,しみじみとした好演である.両端楽章ではキリッと引き締まった演奏を聴かせる.ルドルフ・ゼルキンほどカッチリぎっちりした技巧では無いが,粒立ちの良い音で軽やかながらも説得力を持って迫ってくる.

2008/07/25

ガーシュウィン/ラプソディー・イン・ブルー

ガーシュウィン/ラプソディ・イン・ブルー@アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団(EMI:CC33-3291)

 1971年6月の録音.
 CDが1枚3300円していた時代(しかも消費税導入前!)に購入したCDだから,かれこれ20年ほど前のものだと思うけど,まだ聴けます(^^;).取り敢えず,CDは20年は保つ媒体のようですよ.もっとも,このあとで購入したCDでダメになってしまったものも若干ありますが.例えばユニコーン・カンチャナから出ているホーレンシュタインのマーラーの6番など.チリチリ音が混入してきた挙句にプレーヤーにかからなくなりました.

 CMで有名になったプレヴィン(1929-)の「ラプソディ・イン・ブルー」は,これのあとに録音されたロイヤル・フィルとのものですが,こちらもLPの初出時は評判をとった録音だったと記憶してます.ノーブルで綺麗な演奏です.個人的には,カットの無いジャズ・バンド版(レヴァインがDGに録音した版)の方が好きですが,フルオケ版ではこのプレヴィンの録音があれば充分かもしれません.

2008/07/24

シューベルト/交響曲ハ長調

シューベルト/交響曲ハ長調D944(第9番)@カール・ベーム/シュターツカペレ・ドレスデン(DG:POCG-6089)

 1979年1月,ドレスデンでのライヴ録音.
 初出は,ベーム(1894-1981)の死後に発売された,追悼盤的な意味合いを持ったLPだったと記憶する.ベームにとってドレスデンは特別な位置付けのオケだし,またベームは徹頭徹尾「現場の人」だったので,ライヴでは強烈な力を放射することがあるわけで.

 それでも,この頃のドレスデンは「底」だったんじゃないかなあ? 最晩年のベームの棒がユルいせいもあるのだろうけど,あまりよいオケに聴こえないんだよね.ベームのD944なら,やっぱりベルリン・フィルとの全集(DG)の方をおススメします.こちらは,好事家向け.

 サイドバーに出していた積読中の本を,書影がきちんと表示されないのでひっこめますぜ.あしからず.

2008/07/23

バルトーク/絃楽四重奏曲第1番

バルトーク/絃楽四重奏曲第1番イ短調作品7・Sz.40@アルバン・ベルク四重奏団(EMI:3 60947 2)

 1983年から1986年にかけて録音された全集から.
 1907年ごろ,バルトークが民謡収集のフィールドワークを精力的に行っていたころの所産である.同時期の失恋も,特に第1楽章に反映されているらしい.3楽章からなるが,ラルゴ-アレグレット-アレグロ・ヴィヴァーチェという「序・破・急」のような構成をとるところが,もう独墺風じゃない(^^;).この作品によって,ベートーヴェンとシューベルト以来沈滞していたかに見えた絃楽四重奏曲というジャンルは息を吹き返し,バルトークの6曲からショスタコーヴィチまで命脈を伝えることになる.

 あまり始終聴くような作品ではないので,演奏について的確な評価を下すのは難しいが,各人の技巧が高すぎるのか何なのか,少々易々と弾かれすぎているような気もする.バルトークの音楽って,もう少し内圧の高いものだと思うのだが.

「ブログ通信簿」やってみた

Tushinbo_img

 近頃話題の【ブログ通信簿 - goo ラボ】なるものを試してみました.結果が上の画像.
 「影の支配者」まさか(^^;).そりゃもちろん,僕じゃなくて「あのひと」でしょう.
 「もっと自分の意見を言ってみてもいいのでは」えーそうですか(^^;).じゃあ,今後はもう少し「図書館」ついて騙りますか.ちょっといま,時間と余裕が不足気味なので,本当にそうするかどうかは未定ですが.

2008/07/22

ブラームス/交響曲第4番

ブラームス/交響曲第4番ホ短調作品98@オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(エーデル:0002812CCC)

 1986年の録音.
 力のこもった,いい演奏である.こーゆう抑え目の音色が,ブラームスの雰囲気によく似合う.ブラームスやベートーヴェンの交響曲に関しては,こちらの聴き方が歳をとるごとに保守的(^^;)になっていくような気がしているが,このスウィトナーや,あるいはバルビローリ/ヴィーン・フィル(EMI)などの雰囲気は,いわゆる「枯れている」のとはちょっと違う,夕映えの栄光のような,何ともいえない充実の諦観が漂っているような気がする.

 そうか,今日あたり何も書いていないのにアクセス数が多いのはレポートか(^^;).ウチは業界の異端ですから読んでも役に立たないですよ.

2008/07/21

ショスタコーヴィチ/交響詩「10月」

ショスタコーヴィチ/交響詩「10月」作品131@広上淳一/ノールショピング交響楽団(タワーレコード/BMG:TWCL2013)

 1993年9月の録音.
 この作品は,交響曲第14番や15番,晩年の絃楽四重奏曲の目晦ましに書かれたんじゃないかと思うような,まるで交響曲第5番や12番の素材の焼き直しみたいな音楽なんだけど,それでも最後思い切り盛り上げて聴き手を感動の渦に引き込んでしまう,ショスタコーヴィチの力技というか,手腕にはほとほと恐れ入る(^^;).誰が振っても,これくらい効果の上がる音楽も珍しいのではないかと.

2008/07/19

シューベルト/八重奏曲

シューベルト/八重奏曲ヘ長調D803@ヴィーン室内アンサンブル(DG:437 318-2)

 1980年2月と3月の録音.
 直接にはフェルディナント・トロイヤーというクラリネット奏者の依頼を受け,ベートーヴェンの七重奏曲作品20に範を採り1824年に書かれたという,絃と木管のための合奏曲である.6楽章からなり,演奏に小1時間ほどを要する.晩年の「無暗に長いシューベルトの器楽曲」という作風がそろそろ出始めている作品で,規模の大きさから「交響曲の下書き」説さえあったらしい.まあ,交響曲とするには少々求心力を欠いた音楽で,むしろセレナーデ的な,肩のこらない親しみやすさがこの作品の取り柄である.

「財政難図書館、不要本に埋まる 寄贈募るが多くは廃棄」

asahi.com(朝日新聞社):財政難図書館、不要本に埋まる 寄贈募るが多くは廃棄

 ちと遅きに失したが,この記事について.

 善かれ悪しかれ,公共図書館の現場にいる図書館員の中で『市民の図書館』やその解釈(日本図書館研究会読書調査研究グループ等による)が正典化し,その解釈が教条化/硬直化しているのがよくわかる記事である.そもそも『市民の図書館』は選書論(あるいは蔵書構成論とも)において,「住民の要求に基づく選書」(「要求論」という)というあり方を打ち出し,それまでの「本の価値を判断する選書」(「価値論」という)を超克し,住民を公共図書館に呼び寄せることによって公共図書館の(住民と当局に対する)存在価値の向上と,それに伴う予算増を目指した政策文書だった(参考までに昔僕が書いたもの),というのが現行の(公式の)歴史的評価になるか.

 しかし,この記事に描き出される現状を読む限り,「要求論」とは「価値論」の1変種にすぎない(利用者の要求に至高の価値を見出す),という意見に同意せざるを得ない.何故なら,特定の本に予約が集中するのも住民の要求だが,


「もったいなくて捨てられない」と寄贈の申し出
があったこともまた,住民の要求であるにもかかわらず,こちらは「要求論」として処理されていない.それどころか

「専門的な教育本などが多く、図書館向きでなかった」
コメントした当人は「要求論」的物言いだと思っているかもしれないが,これはどう考えても「価値論」の物言いであろう.そこには,本と住民に対する明らかな二重基準と,それに気がつかない図書館員(とこの記事を書いた記者)における意識の断層が見える.

 この意識の断層は,元をたどれば,恐らく「公共図書館は設置母体/設置場所/規模の大小を問わず,みんな同一の思想と機能を有しなければならない」という発想にたどりつくのだろう,と思う.ひと口に「公共図書館」と言っても,設置母体/設置場所/規模の大小に応じて異なる機能や方向性を持たせるのは政策として間違っていないと考えられるのに,公共図書館の側から見るに,横並びを是とする小役人の体質と,視野狭窄な専門職集団が『市民の図書館』を正典化して,すべてを同一視してしまったのが,この断層の原因のひとつだろう(参考:ケペル先生のブログ: 兵庫県と全国図書館大会).誤った「単独館主義」(すべての公共図書館機能を単独の図書館ごとに担う)と言ってもいい.このため,例えばデポジット・ライブラリー(保管図書館)の考え方が充分に行き渡らず,専門職集団の思想と行動が却って公共図書館の衰退に手を貸すことになってしまったのは,何とも皮肉なことである.


 転回点となるべき箇所は,僕が業界に関わるようになってからでも何度かあった.京都市立図書館の財団委託が問題視されたとき,浦安市立図書館の活動が脚光を浴びたとき,津野海太郎が「図書館雑誌」の巻頭論文を書いたとき,「○○支援」が公共図書館の機能として注目されたとき・・・・・・.それをことごとく外した挙句に,「これからの図書館像」すら押さえているとは思えない新聞記者によって,『市民の図書館』のプロパガンダ記事が書かれるのだから,公共図書館におけるこれからの展望は,住民にとっても公共図書館にとっても,あまり明るくは無さそうである.

2008/07/18

ロドリーゴ/コンチェルト・セレナータ

ロドリーゴ/コンチェルト・セレナータ@竹松舞&飯森範親/日本フィル(デンオン:COCQ-83580)

 2001年8月8日-10日の録音.

 クーラーの無い我が家では,この暑いさなか,なかなか読書もエントリーの執筆も思ったように進まず,取り敢えずキレイで罪の無い音楽を聴きながら,とにもかくにも頭の中でいろいろと思案しているところ.

 一時,人気を博したアイドルハープ奏者,竹松舞による,ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)のハープと管絃楽のための協奏曲.19世紀への郷愁をセレナード風な音楽に託したという,かわいらしい協奏曲である.もともとロドリーゴの音楽には何処か哀愁と郷愁を誘うところがあるのだが,この作品もご他聞に漏れず,この録音を聴きながらハープを弾いている竹松のポートレートを眺めていると,何だかしみじみとしてしまう(^^;).浮世の憂さを忘れるひとときがあってもいいじゃないですか.

 皮肉られても蔑まれても,全力でスルーしますよ(^^;).

2008/07/17

ヴァレーズ/アメリカ

ヴァレーズ/「アメリカ」@ケント・ナガノ/フランス国立管絃楽団(エラート:8573-85671-2)

 1992年ごろの録音.
 音楽史上の鬼才のひとり,エドガー・ヴァレーズ(1883-1965)は初期に書いていた作品をほぼすべて破棄してしまい,この「アメリカ」(1918-1922年)以降の,前衛的な作品のみを残した.その作品はどれもこれも,オーケストラからどのような「音響」を引き出せるかを実験しているような音楽ばかりである.この作品でも,ヴァレーズのオーケストレーションは多様な打楽器群のみならずサイレンまで動員して,オケからまばゆいばかりの,信じ難いほど多彩な響きを引き出している.

 ナガノの指揮は,さすがに分析的な解釈で鳴らすだけに,ヴァレーズの複雑とも聴こえる音楽の連続を,一種の必然のように聴かせてしまう.見事である.

2008/07/16

昭和59年,夏

KK倒した取手二V腕石田さん急死、41歳 - 野球ニュース : nikkansports.com

 昨晩,一報を見たときは愕然としましたよ.こんなことがあっていいものか,と.



 1984(昭和59)年の取手二高は,県立高校にこれだけのメンバーが揃うのは奇跡,とまで県内では言われていたチームだった.監督はもちろん,多くの名選手を育てた名将・木内幸男.主将としてチームを引っ張った1番・遊撃手の吉田剛(のちバファローズ-タイガース),勝負強い打撃と好リードで貢献した中嶋彰一(住友金属鹿島),甲子園では投げると負けないと言われ「ミラクル」の異名を奉られた左のサイドスロー柏葉勝己(投げないときは外野を守る)などなど,監督も選手も型に囚われない豪快な野球が「のびのび野球」の異名をとる.

 しかし,夏の甲子園での初戦はいきなり,プロ注目の嶋田章弘(のちタイガース-バファローズ-ドラゴンズ),杉本正志(のちカープ-オリオンズ-ブレーブス)の二枚看板を擁する箕島高校(和歌山代表).石田が故障を抱えていたこともあり,案の定,7回まで0-3でリードされ敗色濃厚だったものを,8回表に嶋田・杉本から一挙5点を入れて試合をひっくり返す.嶋田が8番打者に打たれた当たりを「あれが三塁打になってしまうんだから勢いは怖い」と箕島の名監督・尾藤公をして言わしめる.よほどうれしかったのか,取手二高ナインはダッグアウト裏で万歳三唱をやって大会役員から大目玉を食ったという記事を読んだ記憶がある.

 二戦目は石田が福岡大大濠を5安打9三振に抑え,打線が終盤小刻みに点を入れ終わってみれば8-1.準々決勝の鹿児島商工戦は記憶に無いところを見ると,見ていなかったかもしれない.準決勝は取手二高に負けず劣らず個性的なチーム(確か初戦の勝利後,こちらも審判から厳重な注意を受けているはず)だった鎮西高校(熊本代表).独特の二段モーションの右サイドスローからきっぷのいいピッチングを見せたエース松崎秀昭(のちホークス)は,のちに投球フォームについて「ボークをとられるかもしれないとわかっていた」と言ってのけたほど度胸のよかった投手だったが,取手二高の強力打線には通じず18-6で大勝する.

 そして決勝のPL学園戦,あの桑田真澄(のちジャイアンツ),清原和博(のちライオンズ他)の「KKコンビ」を筆頭に中村順司監督が広岡達郎ばりの管理野球で締め上げた強力なチームである.延長10回に中嶋の決勝3ランで取手二高が劇的な勝利を収めた,雨の下での試合のことはあちらこちらで,沢山の方々が述べているので,僕までもがくどくどと書くこともあるまい.
 ただ,雨か選手の怪我かで,試合が中断したのはてっきり,この決勝だと覚えていたのだが,この試合について書いている誰もそのことに触れていないところを見ると,それは決勝とは別の試合だったのかもしれない.その中断のとき,PL学園の応援団は「ウルトラ警備隊のうた」をブラスバンドが延々と演奏していて,危うくこちらがPLに肩入れしそうになったのだった(^^;).

 この年は他にも金足農業の水沢博文,都城高校の田口竜二(のちホークス),松山商業の酒井光次郎(のちファイターズ)などの好投手を輩出した年であった.都城の1年生で遊撃を守っていたのが,のちにファイターズで2000本安打を達成する田中幸雄だったっけ.

 忘れてはいけない.境高校(鳥取)の安倍投手が9回までノーヒットノーランを達成しながら味方の援護に恵まれず,延長10回の裏2死から投じた初球をサヨナラホームランされたのも,昭和59年の夏だった.


 ・・・・・・あの頃が,ほとんど同年齢ということもあって,高校野球を実に熱心に見ていたので,石田の死は衝撃です.あまりのことに今日一日は仕事も上の空でした.残念です.悔しいです.早稲田大学を中退して遠回りした挙句にプロで大成しなかった上に,こんなに早く亡くなるなんて,悲しすぎます.

 謹んでご冥福をお祈りします.

シュールホフ/絃楽四重奏曲第1番

シュールホフ/絃楽四重奏曲第1番作品8@イザイ四重奏団(フィリップス:434 038-2)

 1989年7月の録音.
 エルヴィン・シュールホフ(1894-1942)はナチの強制収容所で命を落とした作曲家.ジャズに影響を受け,リズムの饗宴を全面的に展開した作品を書いた.師の一人が,あのマックス・レーガーであることもあってか,ブラッハーやハルトマンのような暗い情念のリズムではなく,皮肉混じりながらも豪胆であっけらかんとしたリズムの音楽である.
 絃楽四重奏曲第1番は1924年の作品.急-急-急-緩の4楽章からなり,前3楽章が飛び跳ねているのに,終楽章がガラッと変わって,死に絶えるような陰陰滅滅とした音楽なのが風変わりである.

2008/07/15

アッターベリー/交響曲第2番

アッターベリー/交響曲第2番ヘ長調作品6@アリ・ラシライネン/フランクフルト放送交響楽団(cpo:999 565-2)

 2000年3月6日から11日の録音.
 完全に遅れてきたスウェーデンの後期ロマン派/民族派の作曲家クルト・アッターベリー(1887-1974)の交響曲は,前衛全盛の1970年代まではすっかり忘れ去られていたのだが,前衛の時代が終わってグレツキの交響曲第3番がヒットチャートに躍り出る時代になると,そのわかりやすい作風が幸いしてか,復権を果たす.とはいえ,日本で演奏会のレパートリーとして聴くのは,まだまだ難しいかしらん? 何しろ,スウェーデンの特許庁に80歳過ぎまで在職していたということで,生業として作曲をする必要もなく,やりたいように作曲していたひとだったようである.ちなみにスウェーデンの著作権協会の設立にも一役買っているらしい.

 交響曲第2番は1911年から1913年にかけて作曲されている.アッターベリーの交響曲は3楽章制を採るものが多いが,この作品も多聞にもれず急-緩-急の3楽章からなる,40分ほどの作品である.柴田南雄がどこかで書いていたように,この曲もホルンののんびりした旋律から始まる.ベートーヴェンとかブラームスを好むひとが聴くとかなり冗長に聴こえそうな音楽だが,大河の流れが奔流のように進む第2楽章から第3楽章はなかなかのもの.疲れた神経に心地よい流れである.

2008/07/14

ドヴォルジャーク/交響曲第4番

ドヴォルジャーク/交響曲第4番ニ短調作品13/B41@リボル・ペシェク/チェコ・フィル(ヴァージン:5 61853 2)

 1987年-1989年ごろの録音.
 ドヴォルジャークの交響曲では,求心力の働いている最初の作品という位置付けになるかと.最初の2曲はアルヴェーンのような遠心力の働いた,散漫な作品で冗長だったものを,第3番で3楽章制をとることによってある程度「整理」ということを身に付けたドヴォルジャークが,独墺系の交響曲の王道を踏まえて書いた,初期の佳作である.
 ペシェク(1933-)は地味だがいい仕事をしているチェコの指揮者.ここでも,オケのアンサンブルをきちんと整えて,過不足の無い再創造を行っている.

道徳ではなく規則だろうに

東京新聞:区立図書館 貸し出し破損に苦悩 異例の履歴保存 効果:社会(TOKYO Web)

 はてなブックマークに僕は


この問題,正直,キレイごとではやってられません! 日図協の如く正論を吐くことは僕でもできるけど,この件に限っては,そんなもの屁のツッパリにもなりませんね.残念ながら.
と書いた.そう,自らの経験(大学図書館に勤務する者として,また過去の公共図書館利用時の経験)から考えても,まったく「キレイごと」では片の付く問題ではなくなりつつある.正直なところ,貸出履歴の保存が「図書館の自由」に抵触し,利用者のプライヴァシーを侵害する可能性があるかどうか,という次元の話を超えている.

 東京新聞の記事は


図書館の蔵書を切り取ったり、CDを破損したりするなど利用者のマナーが乱れている
と記すが,これはもはや「マナー」の問題ではないと考える.公共でも大学でも,図書館を利用する際の「ルール」を遵守できない輩が現実に存在し,図書館側はそれに対して対処しなければならない,ということなのであろう.

 ひとつ考えなければならないのは,特に公共図書館は「近代市民社会」という概念にその多くを負っている存在であり,その社会を形成する「近代市民」とは,個人の自由を享受できることが可能な立場にあるが,その自由は常に自らの意思で統制しなければ,権力によってあっという間に奪い取られてしまう性質のものである,ということである.その自由を自らの力で統制できない,即ち「自由からの逃走」を繰り返している輩を,これまで公共図書館は利用者として迎える準備をしてきたわけではない.そして,公共図書館が公共施設として地方自治体の傘下にある以上,公共図書館もまた権力を行使しうるのである.公然と公共図書館に対して「自由からの逃走」を繰り返す輩に対して公共図書館が持てる力として「権力」を行使するのは,当然と言えば余りにも当然の仕儀じゃないの?

 つまり,現状では公共図書館という概念/存在を成立させている前提が一部で崩壊し始めているわけ.記事にある日図協のコメントが正論であっても現状に対して何ら効力を持ち得ないのも同様の理由から.この状況を打開して近代市民社会を構築しようとなおも努力するか,「朽木不可雕也,糞土之牆,不可杇也」(『論語』公治長篇)と監視社会へ流されていくか,それを決めるのは公共図書館の側ではない.

2008/07/13

マーラー/交響曲第1番

マーラー/交響曲ニ長調「巨人」@若杉弘/東京都交響楽団(フォンテック:FOCD 3274)

 1989年10月20日,サントリーホールでのライヴ録音.
 1888年の「ブダペスト稿」を改訂した1893年の「ハンブルク稿」による演奏であり,第2楽章に「花の章」があり,「巨人」の標題に正当性があり,という演奏.「ブダペスト稿」は終楽章に原稿から削除された箇所があるため,現在では演奏不能との由(だったはずだが,何処かで「ブダペスト稿」と銘打ったCDが出たという記事を見た記憶がある.ありゃ何だったのだろう?).

 なんとなーく,ひ弱な感じがするのは,少々遠い録音のためばかりではあるまい(^^;).終楽章ではホルンに立ち上がらせる指示も無いし,「花の章」が第2楽章としてしっくり来るような,夢見心地なところがハンブルク稿の美点でもあり,また弱点でもあることがわかる.これを更にがっちりと4楽章の交響曲に仕立て直すことにより,現在普通に聴くマーラーの「交響曲第1番」が完成するのは,実に1906年に出版されるウニフェルザル社のスコアである.


 今日からCDプレーヤーが,1年ほど使用したソニーのDVDプレーヤーからデノンのDCD-755AEになりました.音の柔らかさがさすがに違います(^^;).他のシステムは相変わらずテクニクス(!)のバラコンのままです(MDプレーヤーのみ追加で買ったケンウッド).あと何年保つかなあ,このアンプ(SU-A900).かなり酷使していると思うのだけど,1回も故障したことが無い.ありがたいことです.

2008/07/12

ショスタコーヴィチ/チェロ・ソナタ

ショスタコーヴィチ/チェロ・ソナタニ短調作品40@ペーター・ウィスペルウェイ&デジャン・ラジツェ(チャンネル・クラシックス:CCS 20098)

 2002年9月の録音.
 ショスタコーヴィチはヴァイオリン,ヴィオラ,チェロのために1曲ずつソナタを書いているが,このチェロ・ソナタだけが初期(1934年)の作品になる.作品番号でいくと交響曲第3番(作品20)と交響曲第4番(作品43)の間の,もっともモダニスティックでアヴァンギャルドな時代の作品で,ピアノ協奏曲第1番(作品35)に通じるラプソディックな雰囲気もある一方で,アヴァンギャルドな方向は抑えられて,新古典主義的な方向を示しているようでもある.
 ウィスペルウェイは,要所を押さえた好演.

2008/07/11

マーラー/交響曲第7番

マーラー/交響曲第7番ホ短調@ロリン・マゼール/ヴィーン・フィル(ソニークラシカル:SX14X 87874)

 1983年の録音?
 例の如く,「健康的な作曲家マーラー」を標榜するマゼールの演奏,マーラーとしては全く面白くない(^^;).この録音でも,何か作業をしたり思案をしながら聴くには適しているだろうし,劇伴にはなかなかよろしいだろうけど,マーラーを聴こうと思ったら聴かないほうがマシ.とは言え,クルト・マズアの「録音しなかったほうがマシ」な録音(ドイツ・シャルプラッテン)よりは,ヴィーン.フィルの美音が聴けるし,マゼールが時々クスグリを入れる(^^;)ので,マズアほど資源の無駄,ということはない.
 マゼールなら,もう少しハチャメチャなことをやってもハマると思うんだけどねえ(^^;).

2008/07/10

ベートーヴェン/交響曲第6番

ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」@オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管絃楽団(EMI:7 63358 2)

 1957年10月の録音.
 何だか昨日今日,突然「田園」が聴きたくなったんだけど,あまり好きな曲じゃないのが災いして,あまりCDの持ち合わせが無いのね.悠揚迫らぬテンポのものがいいので,昨日はプフィッツナー(ポリドール/プライザー)を聴いていたんだけど,これは以前当blogで取り上げた記憶があるので,今日は普段ほとんど聴かないクレンペラーの「田園」を引っ張り出す.
 「格調高い」とは,まさにこのような演奏を言うのであろう.意外に音色がふくよかで,第5や第9で聴かせる,禁欲的で剛毅な印象からは若干遠い.もちろん,アンサンブルは素晴らしいもので,すべてがクレンペラーの意思の下に統一されているのだが,「田園」の音楽にクレンペラーの方が歩み寄っているような演奏である.

2008/07/09

アイヴズ/交響曲第2番

アイヴズ/交響曲第2番@マイケル・ティルソン・トーマス/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(ソニークラシカル:SRCR8519)

 1981年8月24,25日の録音.
 実はアイヴズ(1874-1954)は好きな作曲家のひとり.特に,この底抜けに明るくたくましい第2番は名曲だとおもうのだが,オーマンディ(BMG),ティルソン・トーマス,シャーマーホーン(ナクソス)と録音によって微妙に音楽が異なるのが,さすがにニコリともせず斜に構えて,音楽と文章で謎をころがしまくったアイヴズらしいところ,のような気がする.
 誰ですか,「斜に構えてる」ところが好きなんだろ,などと言っているのは(^^;).


 あ,そうそう,何でもいいけど,最近,サイドバーの書影が落ちるのは何故ですか>>ココログ運営者?

2008/07/08

「レファレンス・サービスを促す図書館施設計画」ですか(^^;)

レファレンス・サービスを促す図書館施設計画について考えよう - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20080704/1215189635

 min2-flyさんのこのエントリーに付けた,僕のブクマに星が3つも付いているのは,ひょっとして回答を期待されているのかしら(^^;).と,勝手に解釈して回答を書いてみましょう.この回答,どの程度40過ぎの頭が硬くなっているかを確かめる,リトマス試験紙みたいなものかもしれませんね.


問い.


「これからの図書館像」にあるような「レファレンス・サービスの(充実と)促進」を実現するための図書館施設について考えよう

回答.

 一応,公共図書館を前提に.
 最初に考えたのは,対人サービスとしてのレファレンス・サービスということで,レファレンス・デスクがユーザーの動線上に存在する必要がある,ということ.ユーザーによる図書館員への質問は,わざわざデスクに出向くよりも館内で作業している図書館員へ質問するほうが質問しやすい,という経験則を説くひとが多いことを考えると,図書館内でわざわざ足を向けなければいけない位置にレファレンス・デスクがあるのは適切な配置とはいえないと考えられる.
 また,持込と据置とにかかわらずweb端末を利用するユーザーは今後増加することこそあれ,減少に転じるとは考えにくいので,web端末を利用できる設備(電源,有線LANを確保できる机,無線LANなど)は必須になるだろう.また,これは直接施設とは関係無いが,今次の図書館法改正により第三条一項に「電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録」が図書館資料に加えられたことにより,商業データベース,電子ジャーナルの無料提供が公共図書館に求められるのは必定であることから鑑みても,web環境の整備が不用であるはずが無い.
 とはいえ,歴史,文学の研究を中心に,資料として紙媒体(活字資料)群が今なお重要な役割を担っている分野があり,また自然科学分野においても何がしかの紙媒体群が「参考図書」として必要であることもまた,ここでくだくだと述べるまでも無く明らかなことであると考える.
 個人的には「ハイブリッド・ライブラリー」という機能は,ユーザーがweb資料と紙媒体資料をハイブリッドに使いこなせて(^^;)はじめて成立するものであると考えるので,そのようなユーザーが来館するとすれば,当然web媒体と紙媒体の間を往復しながら課題解決を図る,という行動を示すものと思われる.そこで,web媒体と紙媒体の間にレファレンス・デスクを配置し,ユーザーの動線上にデスクが存在するような施設の配置を考えるのが適当ではないだろうか.

Photo

「作業机群」と書いたが,実態は持込・据置双方を含むweb端末のスペースになるだろう(もちろん,紙と鉛筆によるユーザーを排除するものではない).出入口からレファレンス・デスクまでの間に空間があるのも,来館後まっすぐレファレンス・デスクに尋ねてに来るユーザーを想定してのものである.

以上


 さて,すっかり硬くなっているか,それとも少しは柔らかなところが残っているか,この頭? 自分では判断できませんわ(^^;).
 それにしても,まだ駆け出しの頃(いや,今でも「駆け出し」は駆け出しですか),ある老図書館人から「図書館建築の思想的な寿命は20年がいいとこ」と言われたことが,築40年を超えた建物に勤務していると,実に納得できます(^^;).先日の耐震補強に伴う改装で壁が増えて職員,ユーザーともにますます使いづらくなってしまい,この回答のような施設は夢のまた夢です.ル・コルビュジェじゃないけど,図書館建築の理想は「白い箱」だよな,と思う今日この頃ですよ.
 お目汚しでしたm(_ _)m

シューベルト/グランド・デュオ

シューベルト/ピアノ連弾のためのソナタハ長調D.812@ヤーラ・タール&アンドレアス・グロートホイゼン(ソニークラシカル:SRCR 1677-1678)

 1995年6月26日から30日の録音.
 シューベルトの作品は,その早すぎた晩年に向かって大曲であればあるほど,どんどん長くなっていくのだが,1824年に作曲されたこのソナタも長い長い(^^;).全曲を演奏するのに40分かかる(最晩年の作品である連弾曲「人生の嵐」D.947にいたっては17分前後かかる.これが4楽章のソナタだったら全曲演奏するのにどれだけかかったことか).その大きさゆえにたびたび「交響曲の下書き」説が唱えられるが,どうも聴いているとピアノ曲として作られたとしか考えられない技巧がこらされているように聴こえるので,これはやはり原曲のとおりがシューベルトの意図だったのだろう.
 規模からすると,理由も無くベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」のようないかめしい音楽だと思われるかもしれないが,シューベルトの連弾曲はほとんどが作曲家と友人が楽しんで弾くことが目的のハウスムジークのようなものであり,この作品もその例に漏れない.翳りはあるがそれほど深刻なものではなく,作品の彩り程度のものにとどまる.全体的に温かみのある,おだやかで明るい作品である.

2008/07/07

ドヴォルジャーク/新世界より

ドヴォルジャーク/交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」@西本智実/ブダペスト・フィル(キング:KICC694)

 2008年3月29日から31日の録音.
 「新世界」に関しては当方,カレル・アンチェル/チェコ・フィル(スプラフォン)を中心に,右にはフリッチャイ/ベルリン・フィル(DG),左にはポール・パレー/デトロイト交響楽団(マーキュリー)という両極端を判断の座標に据えている.西本の演奏はアンチェルとフリッチャイの間の線.もう少し豪快に振るのかと思っていたら,意外にそうでもない(^^;).アンサンブル重視の,丁寧な演奏である.それも楽章を追うごとにドライヴが慎重になっていくので,終楽章があまり盛り上がらないように聴こえるのは気のせい? 

 あのクルマのCMから受けた印象のおかげで,豪快かつ躍動感溢れる演奏をこちらが期待しすぎたのかもしれない.単に作品と相性がよくないだけなのかもしれないが,残念ながら「悲愴」や「革命」ほどはおススメできない.

2008/07/06

ショパン/ピアノ協奏曲第1番

ショパン/ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11@ダン・タイ・ソン&フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ(フレデリック・ショパン協会:NIFCCD004)

 2005年9月8日,ワルシャワのフィルハーモニー・コンサート・ホールでの録音.

 ここでダン・タイ・ソンが使用しているのは1849年(まさにショパンが没した年だ)製のエラール.このCDを購入したのは,古楽オケと古楽器によるショパンの協奏曲だったから.そして先日こんなことを書いたにもかかわらず,このCDを購入する気になったのは,春秋社のPR誌「春秋」2008年6月号掲載の「コンサートをつくる-「静岡文化芸術大学の室内楽演奏会」全三回を終えて-」(小岩信治)が頭の片隅に引っかかっていたからだろう.その演奏会の中で,ショパンのピアノ協奏曲第1番のピアノ六重奏版(ピアノ+絃楽五重奏)が取り上げられているのだが,そこでは浜松市楽器博物館が所蔵している1830年製のプレイエルが用いられて,演奏の上で相当な効果を挙げたことが紹介されている(なお同内容のCDも発売されている由).

 確かにオケも薄いが,ピアノも同程度に響かない.というより,オケが強奏するとピアノが霞んでしまう(^^;).なるほどショパンは,このような響きを想定してこの協奏曲を作曲したのだろう.とは言え,このエラールの響きがショパンの音楽には物足りないこともまた確かで,そう思ってしまうことが既に近代のピアニズムに絡め取られてしまっているのも承知の上で,やっぱりこの曲では輝かしいピアノの音色を聴きたくなってしまうのである.困ったものだ(sigh).

2008/07/05

シューベルト/交響曲ロ短調D.759

シューベルト/交響曲ロ短調D.759(第8番)(ブライアン・ニューボルトによる補筆完成版)@ネヴィル・マリナー/アカデミー・オヴ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(フィリップス:470 890-2)

 1984年の録音.
 イギリスの音楽学者ブライアン・ニューボールトの補作による第3楽章の完成版と,終楽章に「ロザムンデ」第1幕の間奏曲を使用した,未完成交響曲の完成版.

 京都新聞に【「幻の第三楽章」演奏へ 京都市芸大・管弦楽団が6日初披露】という記事が掲載されていたので,おやおや(^^;)と思って取り上げてみる.京都新聞の記事には楽譜の出所が書いてあるものの,京都市立芸術大学の音楽学部イベントのページにも,使用する補作版のことまでは説明されていないので,詳しいことはわからない.もっとも,ニューボールト以外にも「未完成交響曲」を完成させようとしたプロジェクトはある(エイブラハムという学者の補作版がある.こちらも終楽章は「ロザムンデ」間奏曲).マーラーの第10番では,音大の院生が修論で補作を行ったという話もあったような記憶があるので,ひょっとすると埋もれてしまったプロジェクトの蘇演かもしれない,などと妄想をたくましくしてみる(^^;).

 悪趣味かどうかはともかく,先行する完成した2楽章に比べて,後の楽章はちょっと受け切れていないかな,というのが正直な感想.第3楽章は単独で聴く限り,哀愁を感じさせる旋律がなかなか切なくて,悲恋を描いた映画「未完成交響楽」で何度も鳴らされた,というのはわかるような気がする.ただ,あの第2楽章があまりにも質・量ともに壮大で,そのすぐあとにこの音楽ではちょっともたないな,という感じである.もっとも,シューベルトが勇気を持って書き切っててしまっていても,ブルックナーの第7番のようにアンバランスさを指摘されることはあっただろうが,音楽自体が埋もれることはなかっただろうと思うと,書き上げられなかったのがいささか残念.

シューベルト/交響曲D.944

シューベルト/交響曲ハ長調D.944(第9番)@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(EMI:5 86067 2)

 1977年6月の録音.
 カラヤンによるシューベルトの交響曲全集録音の中のひとつ.何故かEMI(ドイツだからエレクトローラ社か).1968年にDGに録音したものと,ほとんどリヒャルト・シュトラウスのように聴こえる,流麗で豪壮という解釈の基本線は変わらないが,よく聴いてみると細部の仕上げが少々雑な気がする(第1楽章のコーダなど).が,それにしてもギリギリとオケを締め上げているようにも感じられないのに,よくこれだけピシッとアンサンブルを纏め上げられるものだと,改めてカラヤンの才能には感心させられる.

2008/07/04

講演会のご案内

 来る7月19日(土)に社団法人茗渓会支部 図書館情報学橘会社団法人日本図書館協会の共催で,国立国会図書館長の長尾真氏(元京都大学総長,元日本図書館協会会長)の講演会が茗渓会館で開催されます.定員は200人ですが,まだ席に若干の余裕がございますので,よろしければお申込の上,ご来場ください.

 詳しくは下記をご覧くださいませ.

イベント・会合情報 - 図書館情報学橘会
http://www.tachibana-kai.com/forum/meeting/index.html

2008/07/03

ニールセン/交響曲第4番

ニールセン/交響曲第4番作品29「消しがたきもの」@ダグラス・ボストック/ロイヤル・リヴァプール・フィル(クラシコ:CLASSCD298)

 2000年8月7,8,9日の録音.
 新しい校訂に基づく全集録音中の1枚だが,サボっていて全曲を集めていない(^^;).録音のためか,オーケストレーションの風通しよりも音の重なりを重視したような演奏に聴こえる.元々ダンゴになりやすいオーケストレーションではあるのだが,ドーンと身体ごとぶつかってくるタックルのようなひたむきさである.

2008/07/02

カリンニコフ/交響曲第1番

カリンニコフ/交響曲第1番ト短調@ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管絃楽団(シャンドス:CHAN8611)

 1987年4月17日から21日の録音.
 実は日本初演が戦前の近衛秀麿だったらしい,カリンニコフの傑作.ロシア圏以外ではしばらく忘れられていたフシがあるが,このヤルヴィの録音が(恐らく)嚆矢となってカリンニコフ・ルネサンスが始まったかのごとき感である.今では片手では足りない程度には,録音が出回っているのではあるまいか.
 初めて聴いたときから,どこか懐かしい香りのする音楽.はかなげで物悲しく感じるのは,作曲者の悲劇的な生涯とどうしても重ねてしまうから,ますますそのように聴こえてしまうのかもしれない.「ロシアのシューベルト」とでも形容したくなるような類の美しさである.
 スヴェトラーノフでもアシュケナージでも,豪快な解釈で振る指揮者の多い中にあって,ヤルヴィの演奏はパワフルな中にもリリカルな味わいを活かした好演.

2008/07/01

リヒャルト・シュトラウス/ドン・キホーテ

リヒャルト・シュトラウス/交響詩「ドン・キホーテ」作品35@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(DG:429 184-2)

 1965年12月27日から30日の録音.
 この作品,カラヤンの絢爛豪華で完璧なアンサンブルによる演奏を聴いても,あまり面白くない,というのが正直な気持ち(^^;).「ツァラストゥラ」や「英雄の生涯」と比べても,劇的な箇所が少なくて盛り上がりに欠けるのが,フィーリングが合わない原因かもしれない.いや,最大の原因は僕が昔,この録音のLPのジャケットに何故風車が描かれていたのかさえわからなかった(賢弟は知っていた),『ドン・キホーテ』への無知であったか.
 というわけで,今日は全盛期のカラヤン/ベルリン・フィルとチェロのソロをとる絶好調なピエール・フルニエの絶妙なコンビをお楽しみください,くらいのことしか言えないのでした.

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