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ココログ


ほし2

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2008年6月の記事

2008/06/29

ベートーヴェン/交響曲第9番

ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125@ニコラウス・アーノンクール/ヨーロッパ市内管絃楽団(テルデック:2292-46452-2)

 1991年6月21日の録音.
 基本的にイン・テンポでサクサク進み,あまり見得を切らない演奏なので,それほど攻撃的な感じはしないベートーヴェンではある.コンセルトヘボウと録音したモーツァルトのK.550の衝撃があまりに大きくて,それからこちらは何を聴いてもアーノンクールが物足りなくなってしまった(^^;)こちらの事情はあるけれども,ホグウッドなどに比べれば遙かに「大人」のベートーヴェンだろう.いい演奏である.

 今次の大雨で被害に遭われた皆様にお見舞い申し上げます.
 こちらも今日は酷い雨降りなので,ひとつ「雨」をテーマにこのカテゴリーのエントリーを幾つか書こうかと考えてはみたものの,もっぱら器楽中心で歌劇とリートを聴かない当方,思いついたのがショパンの「雨だれ」前奏曲とブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」くらいしかなくて,今回は見送りです.

2008/06/28

J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番(シューマンによるピアノ伴奏付き)

J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004(シューマンによるピアノ伴奏付き)@ジャン=ジャック・カントロフ&ゴードン・バック(ナショナル・トラスト:CD 010)

 1996年9月26日と27日の録音.
 ご存知,あの「シャコンヌ」を含むバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータに,ローベルト・シューマンがピアノによる伴奏を付したという,少々風変わりな作品(?)の録音.ここでのシューマンは,バッハの音楽には手を加えずに,ピアノで音楽を補強した,ということであるらしい.シューマンはバッハの無伴奏チェロ組曲やパガニーニの「24の奇想曲」作品1でも同様のピアノ・パートを付けている(パガニーニはデイヴィッド・ギャレットというヴァイオリニストがDGに24曲中,23曲を録音しているのを聴いたことがある.あの有名な主題を持つ24番のみ本来の無伴奏で録音しているのはヴァイオリニストの矜持なんですかね).全体的にピアノは控え目で,何のためにピアノを追加したのか,実のところよくわからない(^^;).

 まあ,作品は単に珍しいものを聴いた,という程度のもの(カントロフのヴァイオリンはさすが)だが,最後の「シャコンヌ」で俄然,ピアノが分厚く鳴り響く箇所があるのが如何にもシューマンらしい(^^;)ような気はする.

2008/06/27

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ嬰ハ短調

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ嬰ハ短調作品27の2(第14番)@ルドルフ・ゼルキン(ソニークラシカル:SRCR 1534)

 1962年12月の録音.
 中学生のときに初めて聴いた「月光」がこれで,そのままこれが「月光」の規範になって現在に至る(^^;).とにかく「鮮やか」の一言に尽きる演奏で,音は何処までも澄んで輝かしく,終楽章も完璧な技術を以って十全の響きである.これや「熱情」を聴くにつけ,全盛期のゼルキンが,ベートーヴェンのソナタをすべて録音し残さなかったことが残念でならない.

「大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント」について

 既に報道等で伝えられているように,大阪府立国際児童文学館は現在,橋下徹府知事による『大阪維新』プログラム(案)中の財政再建プログラム試案 に基づく公の施設の方向性により,一方的に施設の廃止・大阪府立中央図書館への移転・統合という名のコレクションの解体,という未曾有の危機に直面しています.1984年,国際児童年を期に12万冊のコレクションを寄贈した鳥越信氏が未だご健在であるにもかかわらず,これまでの功績へのリスペクトも感じられぬ府知事により,大阪府が貴重な資産を失おうとしているのは残念を通り越して言葉がありません.

 この事態に対して危機感を抱いた方が,僕の関心をそちらに向けてくれたおかげで,この前代未聞の暴挙が行われることについての理解を深めることが出来,その危機感からパブリックコメントを作成,送付しました.急いで書き上げたものなので,制限字数を超過してしまい,3分割して送ったために文章が一部重複しております上に,数字の間違いなどもありますが,大局は外していないつもりです.大阪府立国際児童文化会館存続のパブリックコメントを推敲するために,当blogの読者の方で必要とされる方がいらっしゃいましたら,ご自由にお使いください.

大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その1)
大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その2)
大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その3)

 そもそも成立する上で思想の異なる二つの施設を,単に活字媒体を扱っているからという理由で統合するのは,府立中央図書館にとっても迷惑この上ない愚挙です.公共図書館業界関係者のみなさまも,府立中央図書館を守るためにも大阪府に対して統合反対のパブリックコメントを送っていただきたく存じます.パブリックコメントの送付先はこちら↓です.

大阪府電子申込みサービス
https://www3.shinsei.pref.osaka.jp/ers/Uketuke/Form.do?tetudukiId=2008060006

 まったく,この貴重なコレクションが解体されるくらいなら,せめて日本学に関心のあるオイルマネーにでも売却し,合衆国もしくはヨーロッパにおける東洋文庫として活用していただいたほうが余程マシです.大阪府立国際児童文学館をここで潰したら,大阪府民末代までの恥になるでしょう.


参考:いま廃館の危機にある大阪府の国際児童文学館を応援します!

大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その3)

 「大阪維新」プログラムの「改革プログラム」の中で,「公の施設の方向性」25番にあります大阪府立国際児童文学館の廃止,大阪府立中央図書館への蔵書の統合を見直していただきたく存じます.大阪府立国際児童文学館は,1984年の国際児童年を記念した施設としては恐らく国内最大級のものであり,日本のみならずアジアにも目配りの行き届いた,歴史的かつ国際的にも素晴らしい児童文学・マンガのコレクションを所有するのみならず,児童文学に関する図書館・博物館・研究機関の機能を併せ持った,他都道府県にその類例を見ない貴重な施設であります.なお,児童文学館を廃止の止む無きに至ったとき(その可能性は無いと信じていますが)は,コレクションは一括して売却するのが望ましいと考えます.1917年,三菱合資会社の岩崎久彌は中華民国総統府顧問であったモリソンのアジア・中国に関するコレクションを一括して買い取った結果が,現在の財団法人東洋文庫として存続しております.東洋文庫の歴史的,学術的価値はここで説明するまでもありません.この際,合衆国やヨーロッパの日本学の発展のために,海外の資産家への一括売却も視野に入れては如何でしょうか.その方が,府立中央図書館への無理な統合・移転よりも素晴らしい学術的貢献を後世,謳われることになるのは確実です.残念な事態が招来した際は,ご一考をお願いいたします.以上字数制限もあり意を尽くせませんが,後世に禍根を残さないためにも大阪府立国際児童文学館のコレクションを後世に残していただきたく,謹んでお願い申し上げる次第です.

大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その2)

 「大阪維新」プログラムの「改革プログラム」の中で,「公の施設の方向性」25番にあります大阪府立国際児童文学館の廃止,大阪府立中央図書館への蔵書の統合を見直していただきたく存じます.資料の集約化は資料管理のリスクを増大化する結果になり,万が一にも自然災害(将来予想される南海地震,中南海地震)等により,ひとつに集約された拠点図書館が破壊されれば,その損失は計り知れないものになります(これは東海地震等で国際子ども図書館が損害を蒙った場合,府立国際児童文学館がそのバックアップたりえることをも意味しています).また,この統合により必要以上に早期の府立中央図書館の増改築が必要になるだけではなく,児童文学館を廃止した後の建物の解体撤去にも莫大な費用がかかることになり,これは結果として大阪の未来のための「負の布石」を打つことになります.それであれば,むしろ府立中央図書館から子ども資料室を引き上げ児童文学館に移転し,児童図書館・児童文学研究の拠点としての(子どもの「知のセーフティネット」としての)府立児童文学館,大規模な大人の「知のセーフティネット」としての府立中央図書館,ビジネス,法律,医療等市民活動に必要な支援活動を行う市民の「知のセーフティネット」としての府立中之島図書館という3館体制を整備し,必要に応じてその機能を融通することにより,吹田市・東大阪市・大阪市という大阪府内の一角に偏在することのない知のネットワークを構築することが可能になり,府知事のおっしゃる「知のセーフティネット」としての他都道府県に例を見ない,充実した府立図書館の業務が可能になると愚考いたします.後世に禍根を残さないためにも大阪府立国際児童文学館のコレクションを後世に残していただきたく,謹んでお願い申し上げる次第です.

大阪府立国際児童文学館廃止に反対するパブリックコメント(その1)

 「大阪維新」プログラムの「改革プログラム」の中で,「公の施設の方向性」25番にあります大阪府立国際児童文学館の廃止,大阪府立中央図書館への蔵書の統合を見直していただきたく存じます.大阪府立国際児童文学館は,1984年の国際児童年を記念した施設としては恐らく国内最大級のものであり,日本のみならずアジアにも目配りの行き届いた,歴史的かつ国際的にも素晴らしい児童文学・マンガのコレクションを所有するのみならず,児童文学に関する図書館・博物館・研究機関の機能を併せ持った,他都道府県にその類例を見ない貴重な施設であります.これまで出版社等の協力を仰ぎつつ築き上げたコレクションは70万冊と言われておりますが,これは東京都にある国立国会図書館付属の国際子ども図書館(ちなみにこちらは「子ども読書年」を記念して設置された施設であり,府立児童文学館とは設立の意義も内容も大きく異なります)における約28万冊を遙かに超える点数です.この児童文学館のコレクションは改革プログラムが実行され一たび解体されれば恐らく,二度と構築することは不可能であり,大阪府知事が危惧している将来世代の児童文学・マンガ研究者に大きな負担を強いることは確実であり,日本の児童文学研究史に大きな禍根を残すことになることは確実であります.また,大阪府立中央図書館へのコレクションの移転は,府立国際児童文学館と府立図書館という,その成立時から異なる思想により構築された資料の運用を府立中央図書館が単独で担うことになり,これは府立中央図書館にとって運営の多大な非効率を生み出すことになります.図書館において「集約化」は必ずしも「効率化」には結びつきません.そこのところをよくお考え頂き,児童文学館の存続をお計り頂きたくお願いいたします.

2008/06/26

マーラー/交響曲第6番

マーラー/交響曲第6番イ短調@ジョージ・セル/クリーヴランド管絃楽団(ソニークラシカル:SBK 47654)

 1967年10月の録音.音質がイマイチなのはセヴェランス・ホールのライヴだからか.

 頭を使う必要があるときは重なるもので,明日の補講のネタとか,とある物書きとか,言葉探しとか,取り敢えずひとつひとつ片付けていくしかないだろう,と.幸い,物書きと補講ネタを若干かぶらせることに成功したので,まあ内容の筋道は立ったと.そんなときにマーラーを聴くのは変な奴だと思われそうだが,6番はもう30年近く同伴してもらっているので,沈思黙考するときには頭の中身の整理に役立つのである.特に,このセルの演奏は誰かが「批評の産物」と形容したほど,四角四面なフレージングで面白くない演奏なので,こーゆうときには却って邪魔にならない.アンサンブルはセルらしく完璧だし,余計なことを考えなくてもいいのも助かる.

2008/06/25

ヴァーグナー/ジークフリートの葬送行進曲

ヴァーグナー/楽劇「神々の黄昏」から〈ジークフリートの死と葬送行進曲〉@クラウス・テンシュテット/ベルリン・フィル(EMI:5 68616 2)

 1980年10月の録音.
 とある方から,瀕死の状態にある物件について意見を求められており,とにもかくにも現在それに全力を傾倒中です.最初は漠としたイメージしかその物件には持っていなかったのですが,いろいろと情報を頂いたりこちらで収集したりしているうちに,徐々に方向性が見えて来たようです.

 ただし,最悪の場合,資料の散逸を防ぐ(コレクションとしての価値を保たせる)ためには,中華民国総統府顧問モリソンの蔵書を岩崎久彌が買い取って,現在の財団法人東洋文庫の基礎を築いたようなことも想定しておかなければならないかもしれません.つまり,外国資本による購入→コレクションの海外流出も止む無しというところまで踏み込まなければ,デマゴーグの暴走に対抗するだけの論理を展開できるかどうか,不安もあります.

 それにしても,図書館業界関係者は,この物件について何をどう考えているのか,これまた不安です.日本図書館研究会や,現理事長がそちら方面の出身であるはずの日本図書館協会は動いているのでしょうか?

 さて,また思案と執筆(まだ思案がほとんどですが)に戻ります.

2008/06/24

レーガー/無伴奏チェロ組曲第1番

レーガー/無伴奏チェロ組曲第1番ト長調作品131cの1@グイド・シーフェン(アルテ・ノヴァ:74321 65428 2)

 1999年1月の録音.
 当代きってのJ.S.バッハ通として知られていたマックス・レーガー(1873-1916)による,3曲の無伴奏チェロ組曲のひとつである.冒頭など,ホントにバッハの無伴奏チェロ組曲第1番にそっくり(^^;).レーガーの作品に漏れず,ロマンティックな響きをたたえているが,チェロ1本ということもあるのか,晩年の平明な作風が始まっているのか,音楽はそれほど晦渋ではなく,レーガーにしてはわかりやすい部類に属する.何処に連れて行かれるかわからない,あの分厚い響きは影を潜めている.

 ちなみに作品131aが無伴奏ヴァイオリンのための前奏曲とフーガ(6曲),作品131dが無伴奏ヴィオラ組曲(3曲)というのだから,さすが多作でならしたレーガー(131bは何だろう?).ところで作品132は,かの「モーツァルトの主題による変奏曲」である.

2008/06/23

ウェーバー/ピアノ協奏曲第1番

ウェーバー/ピアノ協奏曲第1番ハ長調作品11@ペーター・レーゼル&ヘルベルト・ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン(ドイツ・シャルプラッテン:TKCC-15156)

 1984年9月の録音.
 カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)の音楽は,僕にはあまり相性がよくないようで,今に至るまでよく理解できないところばかり(^^;).軽やかで,聴いていて気持ちがいい音楽なんだけど,聴いた後で「だから何?」と謎をかけられたような気分にさせられる.どこか,つまらないのですよね.さて,その理由は何なのだろう?

2008/06/22

マーラー/交響曲第10番から「アダージョ」

マーラー/交響曲第10番嬰ヘ長調から第1楽章「アダージョ」@ジュゼッペ・シノーポリ/フィルハーモニア管絃楽団(DG:POCG-1148/1149)

 1987年4月の録音.
 そもそも僕がシノーポリ(1946-2001)に注目したきっかけは,1981年だったかにシュトゥットガルト放送交響楽団の演奏会がNHK-FMで放送されたときで,そのときの曲目はシルヴァーノ・ブソッティ(1931-)の「ラーラ・レクィエム」とこの「アダージョ」である.あとで気がついたのだが,既にDGにはブソッティ(「ロレンザッチョ交響曲」など)を録音しており,最初期のシノーポリは後年のような「普通のレパートリー」を普通に振る指揮者ではなかったのであった(^^;).実際,この「ラーラ・レクィエム」の演奏時も,終了後は拍手とブーイングが飛び交う凄まじいものだったと記憶する.

 で,この「アダージョ」も一般的には演奏時間が23,4分ほどのところ,前記シュトゥットガルトとの演奏が29分を超え,このフィルハーモニアとの録音にいたっては32分もかけている.この粘着質なところと,その奇妙な分析癖と,実際の演奏の熱狂が全く違うところで成立しているところが,この指揮者のユニークな所以で,それ故マーラーやシューマンの第2番(ヴィーン・フィルとの録音),エルガーなどの録音が成功していたのだが,ブルックナーなどがサッパリだったのは,シノーポリの手法が常にどのような音楽を相手にしても通じる代物ではなかったことを示していたと思う(録音で残っているブルックナーは,何故か粘着質気質がすっかり失われて,ただの壮麗な音のがらんどうに堕している).本人の意向だったのかレコード会社の戦略だったのか知らないが,普通のスター指揮者として,ジュリーニやアバドの系譜に無理やりつながろうとしたことが,結果として失敗であったことが惜しまれる.

2008/06/21

演奏会用行進曲集@パリ警視庁音楽隊

演奏会用行進曲集@パリ警視庁音楽隊(カリオペ:CAL 9516)

 2000年の録音.
 ビゼーやシャブリエやサン・サーンスなどフランスの作曲家の作品が並んでいる中(作曲者への解説がブックレットにも無い「サン・キュロットのマーチ」「マレンゴの戦いのマーチ」などというものまである)で,「ラデツキー行進曲」やサリエリ,プロコフィエフ,ホルストはともかく,何故か最後がジョン・ウィリアムズの「レイダース:失われたアーク」なのが謎(^^;).
 吹奏楽という分野は,どういうわけだかオケ以上に「お国柄」のようなものが出るのだが,真面目なUKや,豪快なUSAのそれに比べて,フランスの吹奏楽は柔らかな音色とアンサンブルで,隣りのドイツの勇壮かつ剛毅なものとも全く違うのが面白い.

2008/06/20

ショスタコーヴィチ/絃楽四重奏曲第14番

ショスタコーヴィチ/絃楽四重奏曲第14番嬰ヘ長調作品142@ボロディン四重奏団(BMG/メロディア:74321 40717 2)

 1981年の録音.
 作曲家最晩年の1973年に作曲された,急-緩-急の3楽章からなる,約30分の作品.急がどちらも「アレグレット」なのが,如何にもショスタコーヴィチである(^^;).ディヴェルティメント風な楽想で始まる第1楽章は,途中で軋むような痛々しい叫びを上げながらも快速に,軽やかに進むが,途中から突然スローテンポの深刻な楽想に転じてしまう.まるでそれまでの軽快さが「強要された」とでも言わんばかりに.コーダで最初の楽想が回想されるように戻ってくるが,それは今にも消え入りそうであり,実際フッと消えてしまう.第2楽章は,同じショスタコーヴィチの交響曲第14番の緩徐部を思い起こさせる深刻な音楽.それがベートーヴェンの交響曲第5番もどきのピチカートがはじまるとアタッカで終楽章に入るのだが,これがまた何とも皮肉な音楽で,プロコフィエフだってこんな辛辣なジョークは飛ばさなかっただろうよ,と思わせる耳障りな音楽が展開する.それが3分ももたずにまたしてもスローテンポの,晩年のベートーヴェンのようなしんねりむっつりした楽想のトリオを挟んで,再び最初の皮肉な音楽が戻ってくるのだが,これもまた最初の勢いは失われていて,しんねりむっつりの影響を大きく受けたまま,さらに別の絃楽四重奏(何番だか忘れた)の楽想らしきモティーフが引用されたりしながら,息も絶え絶えに終わる.
 演奏については,僕がとやかく言うまでもない.ショスタコーヴィチの絃楽四重奏はロシアの絃でなければ再現できない,ということをわかっていただければ充分.

2008/06/19

リヒャルト・シュトラウス/英雄の生涯

リヒャルト・シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」作品40@フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団(BMG:BVCC-1009)

 1954年4月6日の録音.ステレオ最初期の録音だが,驚くほどよく録れている.
 今日も今日とて,隣りの建物からはオケによるヨハン・シュトラウスが聴こえてきたのだが,あるひと曰く「無声映画のBGMみたいですね」(^^;).と言うわけで,今日は口直しにリヒャルト・シュトラウス.それも,とびきりアンサンブルの縦の線が揃っている演奏で.オーケストラのトレーニングというものが如何に大切かを思い知らされるような好演.こういう演奏を聴くと,昼間の欲求不満も吹き飛ぶというもの.

 なお,ヨハンとリヒャルトには何の関係もありません.1947年だったか,リヒャルト・シュトラウスがロンドンに行った際,記者から「〈青きドナウ〉を作曲したのはいつですか?」と真顔で尋ねられたことはあるらしいです.

2008/06/18

ラッスス/レクィエム

オルランドゥス・ラッスス/5声のレクィエム@ロンドン・アンサンブル・プロ・カンティオーネ・アンティカ(ドイツ・ハルモニア・ムンディ:88697 281822/24)

 例の50枚組中の1枚.
 ラッスス(1532頃-1594)は現在のベルギーに生まれ,主にミュンヘンで活動した作曲家で,「教会音楽の父」パレストリーナ(1525頃-1594)と並び称される後期ルネサンスの巨匠.非常な多作家であり,若い頃から既に「有名な作曲家」として遇されていた.またかなり洒脱な性格の人物だったらしく,とかくの逸話に事欠かない.

 レクィエムは4声のものと,この5声の作品が伝えられているそうで,この5声の曲は30分ほどの音楽.本人の洒脱な性格とは恐らく全く異なるのではないかと思われる,敬虔で祈りに満ち溢れている傑作である.

2008/06/17

ショパン/ピアノ協奏曲第1番

ショパン/ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11@マルタ・アルゲリッチ&シャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団(EMI:5 56798 2)

 1998年10月の録音.
 このところ天気がいいものだから,勤務先も窓を開け放って風を通しているところなんだけど,隣りが芸術関係の学科が入っている建物で,あちらも窓を開けているものだから,時々いろいろな音楽が聴こえてくる.聴いたことの無い作品でも,30年もクラシックと付き合っているためか,ある程度「あ,こりゃドビュッシーか」「ラヴェルだ」「モーツァルトだろうな」と見当が付くようになっている(^^;).

 で,今日はまた下手糞なショパンらしき音楽(「バラード」だったと思うけど,ほとんど残骸)が聴こえてきて,いささか辟易してしまい,帰宅後は口直しに普段あまり聴かないショパンのピアノ協奏曲を引っ張り出す.1番のCDって,ひょっとしてこれしか持ってないかもしれない.正直,僕の場合はこれがあれば充分なような気がする.特段,これが「決定盤」とかそういう話ではなく,僕とショパンの関わりが,今のところまだその程度,ということなんだろうと思う.

年齢と感性

 ひょっとしなくても,ある種の本には「ある年齢までに読まなければダメ」「ある年齢時に読まなければダメ」なものがあるようだ.ある年齢までしか持ち得ない感性,ある年齢時にしか持ち得ない感性,そのようなものの持ち合わせがあって初めて,その内容と思想が理解,というよりは体得できる本というのがあるらしい.

 知人にそれを指摘されたのは,確か宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』だったと思う.


「これは二十歳過ぎてから読んでもわからないよ」
すみません,大学4年になってから読んだので,さっぱり何が言いたかったのかわかりませんでした(>_<).『グスコーブドリの伝記』はまだわかりやすかったけど,幻想的な物語(「ファンタジー」って言うの?)は肌に合わないのかもしれない.宮澤賢治と並び称される新見南吉の民話調の作品の方が,25過ぎてから代表作を幾つか読んだにもかかわらず,僕にはなじみやすかったから.

 そんなこともあって,30代に入った頃から「文学」はほとんど読まなくなったんだろうと思う.実のところ,現存する「好きな作家」は辻井喬だ.流行りじゃないね(^^;).

 こんな「ワタシ語り」をしたくなったのは,もしも学生時代に『市民の図書館』を読んでいたら,自分が熱心な貸出至上主義者になったのかどうか,ちょっと考えてみたからで(^^;).僕は小・中・高と公共図書館と学校図書館のヘヴィユーザーだったところから図書館の隘路に迷い込んだ人間なので,学生時代も『市民の図書館』はおろか『中小都市における公共図書館の運営(中小レポート)』もまともに読んでない.学生時代でさえ,自分が図書館を運営する側に回るかも,という自覚が徹底的に欠けていたダメ学生(^^;).

 両方とも,腰をすえて読んだのは30代に入ってからで,そのとき『中小レポート』には,その溌剌とした精神に非常な感銘を受けたものの,『市民の図書館』はその官僚臭が鼻につく文体と,唯物史観に寄り添っているらしい単純な進歩主義(すべての図書館の頂点は公共図書館であり,公共図書館に収斂する)が,如何にも「時代」を感じたもの.その後,『図書館の発見』の初版と新版を読み比べて,明らかに新版が初版より劣化していることを当blogに書いてみたことがある

 恐らく,『市民の図書館』を今でも信奉している方々って,それを読むべき年齢時に『市民の図書館』と幸福な出会い方をし,その感激をそのまま今日まで大切に守り続けている人たちなんだろうなあ.これは皮肉じゃなくて,そのような信仰の書を読むべき時期にウォルター・リップマンの『世論』(岩波文庫)を読み耽って「ステレオタイプ」の勉強をしていた人間の,いささか複雑な感慨.恐らく,ストレートに信仰できる本など,もう読めないでしょう.

2008/06/16

シューベルト/交響曲ニ長調D.936A

シューベルト/交響曲ニ長調D.936A(未完)から第2楽章アンダンテ変ロ短調(ブライアン・ニューボールト補筆版)@ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団(ヘンスラー:CD93.029)

 1998年9月5日の録音.
 マーラーの交響曲第6番と,アルバン・ベルクの「管絃楽のための3つの小品」作品6をカップリングしたCDの,余白にささやかに録音されているこの作品は,シューベルトが最後に手がけた交響曲と思われる作品で,恐らくはその早すぎる死の直前に作曲されている.本来は3楽章もしくは4楽章の交響曲の第2楽章として作曲されたはずの音楽だが,演奏時間が11分を超える,かなりの規模の緩徐楽章であり,内容的にも交響曲ロ短調D.759の第2楽章に勝るとも劣らない凄絶なものをたたえているためか,他の断片に比べて単独で取り上げられることがあるらしい.僕は以前,NHK-FMでシノーポリがこの作品を単独で取り上げているのを聴いて吃驚した記憶がある.あのときは確か,この作品とストラヴィンスキーの「3楽章の交響曲」ともう1曲(曲名を忘れた)という演奏会で,番組の解説者が「音楽の落穂拾いのような演奏会」と評していた.

 この演奏,おおよそ「ロマンティック」を削ぎ落としたギーレンの棒が,却って仮借なくシューベルトが「シューベルト」を超えようとしていた,その可能性の大きさと失われたものの儚さを気持ちが悪くなるほど表現しつくして,余すところが無い.年がら年中,聴きたいとは思わない演奏である.この曲の後に聴く,同じギーレンによるD.944(CD93.057)が何と現実的に響くことよ(^^;).

2008/06/15

ルベル/トリオ・ソナタ集

ルベル/トリオ・ソナタ集@アンサンブル・ルベル(ドイツ・ハルモニア・ムンディ:88697 281822/41)

 例の50枚組廉価盤から.
 ジャン=フェリ・ルベル(1666-1747)は,あのバレエ音楽「四大元素」で冒頭にペンデレツキもビックリの(?)不協和音を炸裂させた作曲家.このCDは,残されたルベルのトリオ・ソナタ7曲を集めたもので,リュリの弟子らしい,軽やかで朗らかな音楽を中心に展開していく,佳作ぞろいの録音である.ここでは,さすがに不協和音が炸裂することは無い(^^;).短調の作品でも,翳りがあまり感じられないところがフランス・バロックらしいところなのかな? そのあたりは勉強不足でよくわからない.

2008/06/14

ショスタコーヴィチ/交響曲第4番

ショスタコーヴィチ/交響曲第4番ハ短調作品43@ルドルフ・バルシャイ/ケルン放送交響楽団(ブリリアント:6324)

 1996年4月と10月の録音.
 今日はNHKのテレビとラジオを延々見たり聞いたりしているが,どんどん暗澹たる気持ちになってくる.都市部を襲った地震ではないので被害に遭われた人数は少ないとは言え,被害の状況が悲惨であることに都市だろうが田舎だろうが変わりがあるわけでは無い.一刻も早い救助と復旧が望まれる.しかし,情報が錯綜していて新聞社のサイトをザッピングすると,同じ被害について異なる状況が書かれているのが,何とも辛い.東北は割合と地盤が固いと思っていたのだけど,山間部が多いことをすっかり失念していましたよ.
 被災地で孤立している方々が,一刻も早く救助されますように.

平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震について

 「平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震」にて被害に遭われたみなさま,また救助・復旧作業にご努力されているみなさまに,慎んでお見舞い申し上げます.

 至らぬところばかりですが,別blogにて情報の収集と提供を出来る範囲で行っておりますので,当blogをご覧の方の中で,特に大学・公共図書館に関する被害情報をご存知の方がいらっしゃいましたら,コメントでもメールでもお知らせいただけますよう,お願いいたします.

欲訥於言而敏於行: 平成20年(2008年)岩手・宮城内陸地震
http://jurosodoh.cocolog-nifty.com/lib_disasters/202008/index.html

2008/06/13

マーラー/交響曲第7番

マーラー/交響曲第7番ホ短調@ジョン・バルビローリ/BBCノーザン交響楽団&ハレ管絃楽団(BBC:BBCL4034-2)

 1960年10月20日,マンチェスターの自由貿易ホールにおけるライヴ録音.この年の10月19日・20日と催された,マーラー(1860-1911)の生誕100年を祝う特別なコンサートでの演奏だったらしい(ニールセンの交響曲第5番とのプログラムだった由).
 特別編成のオケだったためか,バルビローリもあまり曲のテンポを動かさずにイン・テンポで流すところもあり,晩年の粘りを髣髴させるところありと,万全の統率とはいかない,なかなかスリリングなアンサンブルと相まって,独特な演奏を聴かせている.どの程度オケ同士がすり合わせたのかはわからないが,バルビローリの人徳を考慮に入れてもなお,それなりにリスクを負ったコンサートではあったであろう.

2008/06/12

とあるブクマ


nekora ハイパーリンクはOK、PDFファイルは怖い、印刷や配布は監視、らしい。

 あなた,練馬区光が丘図書館利用者の会の関係者ですか? それとも,単に歴史に無知なだけですか?
 あ,お返事は結構です(^^;).

ブルックナー/交響曲第1番

ブルックナー/交響曲第1番ハ短調@クラウディオ・アバド/ヴィーン・フィル(DG:453 415-2)

 1996年1月の録音.
 テンポは申し分ないのだけど,ヴィーン・フィルを振っているのにどうしてここまでムーディな音になってしまうの(^^;).僕はブルックナーについてはピューリタンでは必ずしも無いのだけど,ジュゼッペ・シノーポリとアバドのブルックナーは,解釈にはともかく,正直ブルックナーの音を聴くことが出来ないのが非常に不満.スビン・メータのどうしようもないブルックナー(さすがの僕でも,あれは「ブルックナーではない」と言い切る)よりはマシとはいえ,どうにも欲求不満が残るんだよな.

2008/06/11

ブルックナー/交響曲第5番

ブルックナー/交響曲第5番変ロ長調@ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管絃楽団(CBS:MB2K 45669)

 1965年4月13日の録音.
 7番(BMG)ほどではないが,割りに速めのイン・テンポで演奏されるブルックナーである.何しろオケはフィラデルフィアなので分厚く極彩色で優美な雰囲気さえあるが,ブルックナーの音楽を踏み外すほどではない.多少,オーケストレーションに手を入れていて(ティンパニの追加など),ピューリタンの耳には耳障りに聴こえるかもしれないが,こーゆう明るい,辛気臭くないブルックナーは結構好きだったりする(^^;).

 ・・・・・・無知には勝てない.

愚か者

あなたと同じ考えを持たないひとのこと.

フローベール『紋切型辞典』(岩波文庫)

2008/06/10

W.A.モーツァルト/ピアノ協奏曲第15番

W.A.モーツァルト/ピアノ協奏曲変ロ長調K.450(第15番)@アンドラーシュ・シフ&シャーンドル・ヴェーグ/ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ(デッカ:448 140-2)

 1990年11月の録音.
 何とも楽しげでうららかなアマデウス,というところ.シフのピアノが古楽の影響を受けたかのような,響かせないものなので,そのオモチャのような音が何ともかわいらしい(^^;).ヴェーグの指揮もシフのピアノを受けて万全のサポート,かわいらしい音楽を奏でる.実のところ,ヴェーグの弾くJ.S.バッハからはちょっと想像ができない(^^;).高速で回転させた頭を冷やしたり,ストレス三昧で疲れた生活を忘れるには,いい音楽であり,いい演奏であるか.

 恐らく,僕の好みのような,大きく音を響かせるピアノは,モーツァルトに関する限り最早聴く機会に恵まれそうに無いので,これでいいのだろうなあ.

「殉教者」の驕り

 昨日の件に関する続きを,もう少し書いておきます.他の方々と重複するところはあると思いますが,取り敢えず自分の言葉で書いておくべきことは書いておきます.

 正直なところ,今回の一件について著作権的に特別怒っているというようなことはないのですね(僕を含む論者の「冷静さ」について関係者をミスリードさせたがっている方が若干,いらっしゃるようですが)(^^;).恐らく,僕の知らないところでこのblogがプリントアウト/コピー&ペーストされ,何がしかの用に供されているであろうことは,アクセスログを見ていると何となく想像できますから(そういえば一度,「古城探訪記」を僕が担当している某演習にて,受講生がプリントアウトして発表の典拠に使用したことがありましたっけ.あのときはさすがにビックリしましたね).

 まあ,転載についてはみなさんが問題視していることでもありますので,そのうちかの団体が自ら落とし前をつけることになるでしょう.それが如何なる形で決着するのか(しないのか),それはそれで見届けようと思いますが,むしろこの件で露わになった,イデオロギッシュな公共図書館系団体の「驕り」を僕はどうしても取り上げたいのですね.

 既にrajendraさんが指摘していますが【怒らないから、何に使ったのか言ってみなさい。 - The best is yet to be.】転載された側として,とにかく,このpdfファイルが作成された目的がわからないことに生理的な恐怖と嫌悪感を感じるんですよね.この団体が,自らの主張するところ(「東京の図書館をもっとよくする会」へは普通のリンクが張ってあるというダブルスタンダードからして,そちらの見解がその団体の主張に最も近似しているであろうことに,疑う余地はあまりないでしょう)に反論したblogの該当箇所を収集し,印刷と配布を通じて(恐らくは)学習会という名の「監視」(あわよくば「糾弾」まで?)を行う以外の理由が思いつかないからです.

 昨日の繰り返しになりますが,貸出記録の保存に反対していると思われる団体が,web言論の監視まがいのことをやっているのは明らかに矛盾する行為/行動なのですが,自分たちでそれに気が付かないのでしょうか? あまり右だ左だということは言いたくは無いのですが,正直なところ左翼系のイデオロギーに囚われた公共図書館運動の最も悪い部分が露わになったとしか,この件については評価の仕様がありません.それ故,敢えて大嫌いな「糾弾」という言葉まで持ち出して,かの団体があのファイルを作成した意図をお節介にも(^^;)考察しているのですよ.

 僕は,以前からある種の公共図書館系団体が「ファシズム」「プロパガンダ」「デマゴギー」などと親和性の高いことを指摘してきましたが,今回,それが「普通のリンク」と「pdfファイル」という,非常にわかりやすい形で表面化したことに,改めて自説の正しさを確認するとともに,この団体の行為/行動がこれまでの/これからの公共図書館運動に与える悪影響について,かの団体はその責を問われなければならないと考えます.このあたり,既にmin2-flyさんのところで岡本さんがコメントしている通りです.

 基本的に,公共図書館の運営方針は公共図書館の数だけあっても構わないと僕は考えてます.ただ,ひとつだけの主義主張(例えば『市民の図書館』)のみを以って正典として,あとの主張は「敵」として切り捨て潰しにかかる,その手段の陰険さと姑息さと,殉教者気取りの不寛容が許せないのですね.それ故,今回の団体の如き『市民の図書館』を正典視することによって自らの行為/行動を正当化している方々については,これからも機会のあるごとに批判します(^^;).例え僕の「言葉」が先方に届くことが絶望的であったとしても.あしからず.

6月10日追記:ご指摘によりエントリーの題名変更しました.ご迷惑をおかけしますm(__)m

2008/06/09

チャイコフスキー/交響曲第5番

チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調作品64@コンスタンティン・シルヴェストリ/フィルハーモニア管絃楽団(EMI:5 68229 2)

 1957年2月の録音.
 シルヴェストリ(1913-1969)はブカレスト出身の指揮者.17歳で指揮者デビューした神童だったとか.ブカレストでキャリアを積んだ後,1956年以降は主にパリとロンドンで活躍した.大変に身振りの大きな指揮による,振幅の激しい演奏で知られ,僕は未聴だが,EMIに残したヴィーン・フィルとのショスタコーヴィチ/第5番はヴィーン・フィルを引きずり回した怪演らしい.毒舌家だったとおぼしきアレクサンドル・ガウクはシルヴェストリを「見掛け倒し」と酷評していたそうだ(もっとも,このガウクの話には続きがあって,「では,同じように派手な指揮姿で評判のバーンスタインは如何ですか」と訊ねられたガウク,「あいつだけは別だ,あれは天才だ」と評したと).

 で,このチャイコフスキー.さすがに得意の演目だったとみえて,テンポの動かし方など堂に入っている.テンポの動きが曲想にあっていて不自然さが感じられない.終楽章の突進力はなかなか(^^;).

監視を嫌う者の監視

http://homepage3.nifty.com/riyosha/betterlib/data/rireki_mondai_internet.pdf

 練馬区光が丘図書館利用者の会というところが作ったファイルのようですが,公共図書館利用者の貸出履歴をシステム内に残すことに反対していると思しき人たちが,web言論には監視の目を光らせているというのは,なかなかに矛盾しているんじゃないかと思いますが(^^;).何しろこれ,pdfファイルで作ってありますから,当然印刷を前提として作ったに相違ないブツですよね.監視されている側(^^;)としては実に気味が悪いわけでして,いったい斯様な品を作成して何事に使ったのか,作った方にお訊ねしてみたいものです.

 独裁を批判している奴が,自分は独裁者になっちゃっているという好例でしょうか(意識的なのか無意識なのかは知りませんが).何しろ当該サイトは「無断転載禁止」ですから.

2008/06/07

ブルックナー/交響曲第9番

ブルックナー/交響曲第9番ニ短調@ヨゼフ・カイルベルト/ハンブルク国立フィル(テルデック:WPCS-6053)

 1956年,1958年または1960年の録音(諸説紛々).
 今年は生誕100年なので,なるべくカイルベルト(1908-1968)の録音は紹介していくつもり.

 何でも,この録音は日本で最初に国内盤LPとして発売されたブルックナーという,歴史的な価値を持つ録音である由.カイルベルトらしい,如何にも質実剛健かつ禁欲的な演奏で,なるほど日本でのブルックナー受容はカラヤンのような絢爛豪華な演奏を受け付けなかったのも無理は無いか.そのくせヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン(EMI)の何とも明るく動きの激しいブルックナーが評判を取ったのはどういうことなんだか?

『公共図書館の論点整理』

 一度下がったテンションを戻すのに悪戦苦闘してますが(^^;).blogの記事について誰かに罵倒されたとかそういうのなら,まだ組み立て直しようもありますけど,何しろ今回は自分の生活のバックグラウンドがガタガタになってしまう目に遭ったので,とにかく条件が整わないことにはテンションの戻しようも無いという.まあ,ボチボチやっていきます.

 何はともあれ,まずは『公共図書館の論点整理』から.半月前に読み上げていたものですが,取り敢えず,自分がこれまで考えてきたことの方向性がそれほど間違っていなかったことを確認できただけでも,読んだ価値はあったというものです(^^;).特に,2,4,5の各章にはニンマリさせられました.他の章にもそれぞれ「なるほど」と.ホントに面白くて,2晩で読みきってしまいましたよ.

 必ずしも中立的な価値/視点に立った内容ではないので,恐らくこの本を読んでも,『市民の図書館』に拘泥し信仰しているひとびとには,何も響くところは無いでしょう.しかし,むしろこれから公共図書館について学ぶ人たち,また公共図書館について理解しようとしている人たちには,かの正典たる『市民の図書館』を相対化する視点が提供されていること自体が,大きな価値を持つことになるでしょうね.

 それから,何よりこの本を読むと「時間の節約」になります.文字通り「論点整理」がされていて,ここで取り上げられている主題について,この本が書かれた時点までに出た文献を,わざわざ自分で手間隙かけて探す時間を省くことが出来るでしょう.これはこの本を読むにあたっての,意外に大きな収穫だと思います.

 その他,一々細かい内容には言及しませんが,アダム・スミス言うところの「公平な観察者」(『道徳感情論』)たりえていないとしても,この本のような交通整理は折に触れて必要とされるところでしょうし,また行われるべきものです.何しろ,この業界において貸出至上主義/現場主義な方々は戦略と戦術を視点からして区別できないし,技術的な議論と政治的な議論も区別できないのが実情ですから.僕のような短気かつ短慮な人間がこんなことを言うと「お前が言うか」と笑われそうですが,公共図書館に関する「感情的な議論」はもうお腹一杯(^^;)です.

2008/06/05

温泉行きたい,のんびりしたい

 先週は猛烈な喉の痛みと高熱で仕事を休む羽目になり,今週は今週で非常に忙しく精神的な余裕に乏しいため,blogの本格的な更新再開は週末までお待ちください,って週末まで今日を入れてあと2日か(^^;).まずは明日を乗り切りましょう.

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