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「貸出至上主義者」度チェックβ版

ココログ


ほし2

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2008年5月の記事

2008/05/26

チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番

チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23@ホルヘ・ボレット&シャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団(ロンドン:POCL-9818)

 1987年5月の録音.
 「絢爛豪華」を絵に描いたような演奏.ピアニストにおける「グランドマナー」を示すことの可能だった最後の世代になるのであろうボレット(1914-1990)による,悠揚迫らぬチャイコフスキーである.

 今日はどうにも喉が痛いために集中できないので,こんなところで失礼m(_ _)m 体調が戻るまでblog休むかも.

2008/05/25

マーラー/交響曲第2番

マーラー/交響曲第2番ハ短調@オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管絃楽団(EMI:7 69662 2)

 1961年11月と1962年3月の録音.
 ちと仔細あって留守してました.久し振りの更新ですから,やっぱりここは「復活」か(^^;).仔細の関係者にも,一日も早く「復活」して欲しいことだし.とは言え,ことがことだけに,慎重に一歩一歩(これは文字通りの意味ですよ)歩み出して回復してくれればいいかな,と思うところです.

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2008/05/16

ハルトマン/交響曲第4番

ハルトマン/交響曲第4番@インゴ・メッツマッハー/バンベルク交響楽団(EMI:7 54916 2)

 1993年2月11日-13日の録音.
 ハルトマン(1905-1963)には珍しい,絃楽合奏のための交響曲.緩-急-緩の3楽章から構成されるが,全編ハルトマンらしい粛然とした,悲痛な響きを終始響かせている.

 元々は1938年に作曲された「絃楽合奏とソプラノ独唱のための交響曲」であった作品を,第二次大戦時の国内亡命を挟んで,声楽の入る終楽章を破棄し別の楽章を新に作曲しなおした.1946年から47年にその改訂が行われ,1948年4月2日にハンス・ロスバウト指揮,バイエルン放送交響楽団の演奏で初演される.完成順からいうと2番目の交響曲だが,何故か番号付けは「第4番」.

 メッツマッハーはオケの限界を心得てか,あまりオケを締め上げることなく豊かな響きをまとめあげることで,昔のヴェルゴ盤全集のような峻厳なハルトマンの再現とは,また異なる味わいを音楽から引き出している.

2008/05/15

ベートーヴェン/交響曲第3番

ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」@セルジュ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル(EMI:TOCE-55042)

 1987年4月のライヴ録音.
 チェリビダッケ(1912-1996)はその昔,読売日響を振りに来日した際のインタビューで「ベートーヴェンの『エロイカ』や『第9』は終楽章が失敗しているから演奏しない」という意味のことを言っていたはず(^^;).ところがミュンヘンに行ってから宗旨替えをしたのか,失敗作でも上手く繕う手法を見出したのか,「エロイカ」も「第9」も演奏し録音(放送用?)が残されている.

 恐らく,シュトゥットガルト時代の方が,峻烈な演奏を展開していただろうし,面白い記録が残されただろうと想像できるのだが,このミュンヘン・フィルとの演奏は正直,あまり面白いものではない.チェリビダッケのテンポに付いていけるオケの技量は大したものだし,音色も素晴らしいのだが,どうにも好々爺っぽく聴こえるのが物足りない.福徳円満な「エロイカ」である.

2008/05/14

ベートーヴェン/交響曲第5番

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調作品67@エーリヒ・クライバー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(デッカ:417 637-2)

 1952年の録音.
 読むほうも書くほうも日本語力の衰えを感じる今日この頃,音楽も原点からやり直すか(^^;).でも,こうして読解力が衰えているおかげ(?)で新しいネタへのヒントが与えられ,それを熟成することもできるし,これからそれを進める方向にも得るものがあるのだから,こうして年を重ねるのも悪い話ではないのだろう,と思い始めている.

 わけのわからない,謎の話はさておき.
 エーリヒ・クライバー(1890-1956)は天才指揮者カルロス・クライバー(1930-2004)の父で,やはり天才指揮者だったひと.残された録音はすべてモノラルだが,その録音からも「光彩陸離」とはこのひとを形容するためにある言葉だな,と思わされるほど素晴らしい演奏の記録を残している.この録音もそのひとつ.演奏における新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)というものがあるならば,その最良の遺産のひとつだろう.どこを取っても隙の無い,キリキリと締め上げたオケからこれだけの豊穣な音楽を引き出す指揮者を,僕は他に(全盛期の)カール・ベームくらいしか思いつかない.せめてあと5年,生きてステレオ録音を残して欲しかった.

2008/05/13

ブルックナー/交響曲第5番

ブルックナー/交響曲第5番変ホ長調@エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(フィリップス:464 950-2)

 1959年3月の録音.
 ヴァン・ベイヌム(1900-1959)はメンゲルベルクが追放になったあとのコンセルトヘボウの屋台骨を常任指揮者として支えた名指揮者.この録音は4月13日に心臓発作で急逝する直前のライヴ録音である.音楽をあまり揺らさずタメを作らずに,速めのテンポで前へ前へと進んでいく演奏で,ブルックナーらしい重心の低さはあまり感じられないが,同世代のホーレンシュタインやセルのブルックナーにも共通する流麗さを感じさせる.ホーレンシュタインのスケール感やセルのザッハリヒな音楽の代わりに,ヴァン・ベイヌムには質実さがある,と言うところか.

2008/05/12

ブックステフーデ/夕べの音楽

ブックステフーデ/ソナタ集@カプリッチョ・ストラヴァガンテ(ドイツ・ハルモニア・ムンディ:88697 281822/15)

 1992年ごろの録音.
 「北ドイツの巨匠」ディートリヒ・ブックステフーデ(1637-1707)の室内楽作品を集めたアルバム.「ABENDMUSIK」(夕べの音楽)と題されているのは,それがブックステフーデがリューベックで活動していた際に催していた演奏会の名称であり,ブックステフーデは勤務先の聖マリア教会で「ABENDMUSIK」を通じて音楽家としての名声を,リューベックを越えた一帯に広めたとされる.ブックステフーデの名声を伝え聞き,リューベックを訪れてそのオルガン演奏に魅了された音楽家のひとりが,他ならぬヨハン・セバスティアン・バッハであるが,他にも大勢の音楽家がリューベックを訪れている.

 なお,ブックステフーデが晩年に作曲した最後の「ABENDMUSIK」は消失してしまったそうで,残された作品にも「ABENDMUSIK」として演奏された確証のある作品はほとんど無いらしく,この録音は研究に基づき(?)復元された「ABENDMUSIK」であるようだ.音楽はいずれも,リューベック奉職後はほとんど旅行らしい旅行もしなかったという「精神の自由人」ブックステフーデの明るく,実直で幾分茶目っ気のある人柄を偲ばせるに足る佳作ぞろいである.

2008/05/11

J.S.バッハ/音楽の捧げ物

J.S.バッハ/音楽の捧げ物BWV1079@シギスヴァルト・クイケンほか(ドイツ・ハルモニア・ムンディ:88697 281822/4)

 1994年2月22日から25日の録音.例の50枚組の1枚である.
 確かこの作品,楽譜に使用楽器の指定が無いので,いろいろな編曲/解釈が可能.でもって,「6声のリチェルカーレ」をアントン・ヴェーベルンが編曲したものは,近代のオーケストレーション技法史上,不滅の価値を持つものだが,古楽としてはこちらのほうがより妥当な編曲/解釈ということで.

 音楽における「秩序と形式」の近代は,恐らくW.A.モーツァルトとベートーヴェンの線で出発し,ブラームスとマーラーとレーガーを経て,新ヴィーン楽派が極北なんだろうと思う.この「音楽の捧げ物」は極北まで行き着いたモダニズムの揺り戻し(それは「古楽復興」の名の下にモダニズムから出発し,プレ・モダン回帰の衣装をまとったポスト・モダニズムがもたらした成果である)が見事な着地点を見出した,その実践例であろう.

 「秩序と形式」の近代を未消化のまま,「混沌と自由」のポスト・モダニズムへの移行を計るのはプレ・モダンへの退行であり,「先王に法とらず礼義を是とせず」(『荀子』非十二子編)という謗りを免れ得ぬまい.

2008/05/10

マーラー/交響曲第7番

マーラー/交響曲第7番ホ短調@ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団(インターコード:INT 860.924)

 1993年4月の録音.
 現代音楽の守護神として鳴らしたギーレン(1927-)最盛期の録音である.ヘンスラーで全集がまとめられたときも,この作品は(第9番とは異なり)再録音されずにこの録音が収録されたが,まず正解だろう(^^;).指揮者もオケも絶好調だから.
 同時期にラトルやベルティーニ,シャイーなどの第7番も録音されたが,いずれ劣らぬ好演奏で,1980年代後半から1990年代前半がマーラー録音の一画期だったことは間違いないと思われる.

 時には歴史を押さえることも大切か.

2008/05/09

ヴィエニャフスキ/ヴァイオリン協奏曲第2番

ヴィエニャフスキ/ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調作品22@ヘンリク・シェリング&ヤン・クレンツ/バンベルク交響楽団(フィリップス:PHCP-9721)

 1972年5月28日から31日の録音.
 ヴィニャエフスキ(1835-1880)はポーランドに生まれ,モスクワで亡くなった,当時の名ヴァイオリニスト.華麗な技巧と演奏で鳴らしたというその芸風は,この協奏曲でもいかんなく発揮されている.彼の名前を冠したヴァイオリンのコンクール(確か第1回の優勝者がジネット・ヌヴー)は今でもあるのかな?

 作曲者と同じポーランド生まれのヴァイオリニストと指揮者が組んで録音したこの演奏,鈍重なオケに多少の不満はあれど悪いわけが無い(^^;).華麗なヴァイオリンをシェリングが細かいところまで神経の行き届いた音で聴かせてくれる.

公共図書館における「場所」と「機能」

あるべき図書館(公共施設)とは - Arisanのノート

 この種の論調は,僕が忘れた頃にひょっこり現れる(^^;).しかし正直,この種の論調には食傷気味.何しろ,僕は少なくとも2度(【愚智提衡而立治之至也: 公共図書館が保障するもの】【愚智提衡而立治之至也: 公共図書館の「ホームレス支援」】)既にこの問題に触れているので,また同じ事を書かなければならないのかと思うところ.

 ・・・・・・図書館業界内でも時々,「ホームレス支援も出来ないのに,何がビジネス支援だ」みたいな論調で「ビジネス支援」非難をする人々がいた(今もいる?).公共図書館でホームレスに居場所を提供し,風呂を提供し,炊き出しをするのが社会正義だ,と言わんばかりの勢いで.少なくとも僕には,彼らの言う「ホームレス支援」の究極の目標は,そこにあると感じられたが,実際のところ彼らはどこまで想定していたんだろう.
 しかし,前川恒雄が『新版図書館の発見』(日本放送出版協会/2006年1月初版)で「○○支援」を十把ひとからげに非難した頃から,業界ではぱったり「ホームレス支援」と言うことが言われなくなったような感触があるのは,僕の気のせいか? 他の「○○支援」はビジネスでも医療でも法律でも活発なのに.

 批判を承知で言わせてもらうが,(ホームレス支援に限らず)直接的な支援活動を公共図書館が引き受けることは,行政/地方自治という組織内においても,その存立にかかわる概念から考えても公共図書館の任ではない.特に直接的なホームレス支援については,行政/地方自治の中にそれを行う,しかるべき部署があるのだから.その部署が支援を怠っているが故に公共図書館が,炊き出しのような直接的なホームレス支援に乗り出すというのは本末転倒の謗りを免れない.もし公共図書館に可能な「ホームレス支援」というものがあるとすれば,それは『図書館の力』(森崎震二, 戸田あきら著/新日本出版社/1993年6月初版)の冒頭を飾る挿話のような,ビジネス支援の原点とも言うべき,公共図書館が持つ「知識」の集積を基礎にしたものであるべきで,炊き出しなどの直接的な支援行為ではありえないはずである.

 結局,反知性主義,とまでは言わないにせよ,「公共図書館」という概念に対する認識の相違と,民主制や行政/地方自治への批判と,「知」あるいは「知識」への軽視とがないまぜになっての結果が,この種の論調を生み出す素地になっているのかと思う.何しろ当事者である公共図書館の職員自身が目を瞑っていることが多いが,公共図書館もまた行政/地方自治の一部署であり,図書館職員は本人が好むと好まざると行政/地方自治における権力の一翼を担っているのである.時として,どこまでいっても交わらない「価値」「評価」の判断をせざるを得ない立場に置かれていることをもう少し,業界の内と外とを問わず,きちんと捉えなおしておかなければ今後ますます拙い立場に追い込まれることになるだろう.

 なお,Arisanさんは


そういう役目をあえて負うこと(意識すること)によってでなければ、図書館という場所の持つ公共空間としての価値は、再生できないのではないか、ということです。
とおっしゃられているが,ここで僕が述べているのは「公共空間」の問題ではなく,公共図書館が帯びている概念と機能の話である.公共図書館という「場所」を利用して,ホームレス支援のNPOなどが支援活動を行うことについては,また別の話であり,それは公共図書館を「公共空間」として新たな価値の創造をもたらすか,あるいはその利用/再生には有効な手段たりえるかもしれないことを,付記しておく.

2008/05/08

ヴィヴァルディ/和声と創意の試み

ヴィヴァルディ/協奏曲集「和声と創意の試み」作品8@イタリア合奏団(デンオン:COCO-70722/70723)

 1986年7月16日から22日にかけての録音.
 この12曲からなる協奏曲集の1番から4番が,いわゆる「四季」になります.この演奏は,特徴的なところがあるわけではありませんが,安定と安心がモットーのようなところがあって(^^;),疲れている身には何も考えずに聴くことが出来るところがいいです.元気なときは,こーゆう演奏って物足りなく感じるのですが(そーゆうときはイル・ジャルディーノ・アルモニコの「四季」がおススメ(^^;)),今日はもう衒いのある解釈を受け付けないほど,ゆとりと潤いが自分に欠けていますね.
 こちとらがくたびれているのは,連休の疲労よりも連休後に問題があるのですが(^^;).今月はホントに気の休まるときが無さそうです.やれやれ(sigh).

2008/05/07

サティ/ピアノ曲集

サティ/ピアノ曲集@アン・ケフェレック(ヴァージン:5 22050 2)

 1993年と1988年の録音.
 疲れているから流しているけど,いちいち曲目など確認もしていないという(^^;).「家具の音楽」なんだから,それが正しいんだろ,とサティに合わせて皮肉っぽく書いてみる.もっとも,この響きの美しさはさすが,たいしたものだと思う.癒されたい方向け.

 さて,5月はこれから公私共に,しばらく忙しくなるので,このblogも更新が止まるときがあるかも.月末には平常進行に戻れると思いますが,さてどうなるかなあ.

2008/05/06

黄金週間

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 予定外の行き先に行く羽目になり,ホントに行きたかったところには結界を張られてしまい行けませんでした(-_-;).こういうことになるなら,「この日に行くけど」と誰かに声をかけておいて,クルマの同乗者はTXで自宅へ返すのでしたよ.もったいなかったなあ.

2008/05/01

公共図書館の持続可能性

 取り敢えず,思いついたことをメモしておく.

 ・・・・・・持続可能な公共図書館は,(地域)住民の支持なしには存続し得ない.

 ・・・・・・住民を消費者としか捉え得ない『市民の図書館』に,スタグフレーション下での公共図書館を持続させるだけの説得力は,無い.供給は,無限ではありえない.どこかで「循環型社会」の発想を取り入れることが早晩必要になってくるだろう.

 ・・・・・・・公共図書館における「生産者」としての(地域)住民のあり方は,如何なる思想/方法論を以って位置付けることが可能か.

 ・・・・・・「思想なき実践」ほど危険なものは無い.それは如何なるものであれ,全体主義への道標である.労働運動系団体の如く,公共図書館は「持続」そのものが目的なのではない.

 ・・・・・・「公共図書館」という概念自体,それほど自明のものではない.その疑問それ自体を持つことが修正主義(リヴィジョニズム)だと言うのなら,それはあまりに教条主義というものだろう.

 ・・・・・・「空間」について,その重層性を考えてみること.


 明日から本格的な連休で,全然違うことを考えたり行動したりするだろうから,書いておかないと忘れる(^^;).

ミヨー/世界の創造

ミヨー/バレエ音楽「世界の創造」作品81@サイモン・ラトル/ロンドン・シンフォニエッタ(EMI:3 88680 2)

 1986年12月と1987年1月の録音.
 好きなのに何故か縁の無い(LPもCDも持ってない)作品というのが幾つかあって,この「世界の創造」はその最右翼だった曲(^^;).多作家だったダリウス・ミヨー(1892-1974)初期の作品で,USA公演時に聴いたジャズのイディオムを取り入れた,軽快でお気楽な性格の作品である.さっぱり訳のわからない(^^;)12曲の交響曲よりは,余程親しみやすくミヨーの代表的な管絃楽作品としての扱いを受けているようだが,さてミヨーはそのような扱いに満足しているかどうか.

 それはともかく,初めて聴いてから20年余来この曲になかなか出会えず,ようやく店頭で見つけたら,若き日のラトル(1955-)による録音だったという.ジャズの雰囲気をよく再現した,なかなか軽妙な演奏で,なるほどラトルは打楽器出身の指揮者だったっけ,と思わせる.

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