【あるべき図書館(公共施設)とは - Arisanのノート】
この種の論調は,僕が忘れた頃にひょっこり現れる(^^;).しかし正直,この種の論調には食傷気味.何しろ,僕は少なくとも2度(【愚智提衡而立治之至也: 公共図書館が保障するもの】【愚智提衡而立治之至也: 公共図書館の「ホームレス支援」】)既にこの問題に触れているので,また同じ事を書かなければならないのかと思うところ.
・・・・・・図書館業界内でも時々,「ホームレス支援も出来ないのに,何がビジネス支援だ」みたいな論調で「ビジネス支援」非難をする人々がいた(今もいる?).公共図書館でホームレスに居場所を提供し,風呂を提供し,炊き出しをするのが社会正義だ,と言わんばかりの勢いで.少なくとも僕には,彼らの言う「ホームレス支援」の究極の目標は,そこにあると感じられたが,実際のところ彼らはどこまで想定していたんだろう.
しかし,前川恒雄が『新版図書館の発見』(日本放送出版協会/2006年1月初版)で「○○支援」を十把ひとからげに非難した頃から,業界ではぱったり「ホームレス支援」と言うことが言われなくなったような感触があるのは,僕の気のせいか? 他の「○○支援」はビジネスでも医療でも法律でも活発なのに.
批判を承知で言わせてもらうが,(ホームレス支援に限らず)直接的な支援活動を公共図書館が引き受けることは,行政/地方自治という組織内においても,その存立にかかわる概念から考えても公共図書館の任ではない.特に直接的なホームレス支援については,行政/地方自治の中にそれを行う,しかるべき部署があるのだから.その部署が支援を怠っているが故に公共図書館が,炊き出しのような直接的なホームレス支援に乗り出すというのは本末転倒の謗りを免れない.もし公共図書館に可能な「ホームレス支援」というものがあるとすれば,それは『図書館の力』(森崎震二, 戸田あきら著/新日本出版社/1993年6月初版)の冒頭を飾る挿話のような,ビジネス支援の原点とも言うべき,公共図書館が持つ「知識」の集積を基礎にしたものであるべきで,炊き出しなどの直接的な支援行為ではありえないはずである.
結局,反知性主義,とまでは言わないにせよ,「公共図書館」という概念に対する認識の相違と,民主制や行政/地方自治への批判と,「知」あるいは「知識」への軽視とがないまぜになっての結果が,この種の論調を生み出す素地になっているのかと思う.何しろ当事者である公共図書館の職員自身が目を瞑っていることが多いが,公共図書館もまた行政/地方自治の一部署であり,図書館職員は本人が好むと好まざると行政/地方自治における権力の一翼を担っているのである.時として,どこまでいっても交わらない「価値」「評価」の判断をせざるを得ない立場に置かれていることをもう少し,業界の内と外とを問わず,きちんと捉えなおしておかなければ今後ますます拙い立場に追い込まれることになるだろう.
なお,Arisanさんは
そういう役目をあえて負うこと(意識すること)によってでなければ、図書館という場所の持つ公共空間としての価値は、再生できないのではないか、ということです。
とおっしゃられているが,ここで僕が述べているのは「公共空間」の問題ではなく,公共図書館が帯びている概念と機能の話である.公共図書館という「場所」を利用して,ホームレス支援のNPOなどが支援活動を行うことについては,また別の話であり,それは公共図書館を「公共空間」として新たな価値の創造をもたらすか,あるいはその利用/再生には有効な手段たりえるかもしれないことを,付記しておく.
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