チャイコフスキー/交響曲第5番
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調作品64@ジョージ・セル/クリーヴランド管絃楽団(ソニークラシカル:SRCR9867)
1959年10月23日・24日の録音(恐らく原盤はCBSじゃなくてエピック).
先日,友人と3人で食事していたら何故かチャイコフスキーのコーダがくどい,という話になる(^^;).これで終わりだよ,終わりだよと延々念を押すのだよね,と僕が言ったらAさん(元はアマチュア絃楽器奏者)が「だから,終わってないのに拍手しちゃう観客も出ちゃうのよね(^^;)」.クラシックは不案内,というBさんのために,僕がその話を受けて,このチャイコフスキーの第5番の終楽章,コーダ直前の大フェルマータの話をする,といった按配.「実際に,スラットキンが振ったN響の演奏会の録画中継見ていたら,ホントにそこで拍手した客がいたのにはびっくりしたよ.だって,都市伝説だと半ば思っていたからね」
しかし,この終楽章は余程の難物だと見えて,メンゲルベルクやロジンスキやパウル・ファン・ケンペンはバッサリと中間部分をカットしてしまうし,ストコフスキーは細かくカットした挙句に大フェルマータをカットしてコーダをつなげてしまうし.セルはカットこそしないものの,終楽章のコーダの頂点でシンバルを打ち鳴らす.1番や4番の終楽章,6番の第3楽章で盛大にシンバルを鳴らしまくるチャイコフスキーが,どういうわけだかこの曲では1回もシンバルを鳴らさない.ケンペンは終楽章のコーダで2度シンバルを挿入したが,セルは1回だけ.
ところで,セルとチャイコフスキーの相性はまんざらでもないとみえて,この第5番でも,デッカに残した第4番でも,それなりに聴かせる演奏に仕上がっている.第6番「悲愴」が見当たらないのが不思議なくらい.同世代のカール・ベームが残したチャイコフスキーが,ベームのファンからさえ「あれは残して欲しくなかった」と嘆かれることさえあるのに比べれば,かなりのモノであるといってもよさそう.
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