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ココログ


ほし2

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2008年3月の記事

2008/03/31

ブリテン/春の交響曲

ブリテン/「春の交響曲」作品44@アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団(EMI:CDM 7 64736 2)

 1978年6月28日・29日の録音.
 1949年に作曲された,全4部・12章からなる,大規模な声楽と管絃楽のための交響曲である.「交響曲」とは名づけられているものの,むしろ「春」を讃える世俗オラトリオ(ショスタコーヴィチの「森の歌」のような)の態をなす.ベンジャミン・ブリテン(1913-1976)の作品でも,明るく親しみやすい音楽のひとつだろう.

 プレヴィンの指揮は絶好調(^^;).この遠心力で拡散しそうな作品を見事にまとめあげ,一定の求心力を持った音楽に仕立てている解釈は見事だ.

2008/03/30

ジョン・ウィリアムズ/管楽アンサンブルのためのシンフォニエッタ

ジョン・ウィリアムズ/管楽アンサンブルのためのシンフォニエッタ@ドナルド・ハンスバーガー/イーストマン・ウィンド・アンサンブル(DG/タワーレコード:PROA-24)

 1969年5月の録音.
 ジョン・ウィリアムズ(1932-)というのは,もちろん「ジョーズ」「スター・ウォーズ」「スーパーマン」「1941」「ハリー・ポッター」などの映画音楽の作曲家として知られるジョン・ウィリアムズのこと(^^;).彼の作曲の師匠はギター作品で知られるカステルヌオーヴォ・テデスコ(1895-1968)で,映画音楽に比較すると数は少ないながらもシリアスな作品も書いている.
 
 そのひとつが演奏時間20分弱のこの「シンフォニエッタ」で,なんと無調とジャズの融合が図られているらしい.緩-緩-急の3楽章からなる緊張感に満ちた音楽で,あの華麗な映画音楽を支えているオーケストレーションの確かな職人的腕前は,この作品でも既に明らか.前衛的で表現力の確かな,なかなか面白い作品なので,日本の吹奏楽団体でも,たまには取り上げられないものかな?

疑問

 いま,blog界隈で大阪府立国際児童文学館存続運動に賛同しているひとって,じゃあ「府立施設見直しの一環として,大阪府立図書館をひとつにします」とあの府知事が主張していたら,国際児童文学館の存続運動同様に盛り上がってくれるんだろうか? そうじゃないのなら,館長の「文学館だからこそ寄贈が受けられる。統合されたら受けられない。」に象徴されるあの運動は,公共図書館に対する「反知性主義」の発動なんじゃないかという疑いを抱いてしまうのですが.府知事の「反知性主義」に対して,別の「反知性主義」を対置されても,さてどうしたものだか,という感じがします.

2008/03/29

SBMを応用したパスファインダー,稼動します

 (承前

 SEさんによる多大なる努力のおかげで,「SBMを応用したパスファインダー」(という表現が,今のところ最もしっくりくると思います)の器が,昨日ようやくサーバで稼動しました! 結局,pliggを利用した形に落ち着きました.Xiggは結局ダメで,Drupalも試してくれたそうですが,XOOPSとバッティングしてしまい,ウチのサーバでは稼動できなかった由.

 カテゴリーは当座18個(下位のカテゴリーを持つものが幾つかあります),タグクラウドを付すのに作り手がどれだけ禁欲的になれるか(何しろ,僕のはてブはタグが現時点で900を超えていて収拾が付かない.ありゃ図書館員のつくるブックマークじゃないな),論文ナビゲーション機能をどのような形で持ちえるか,このあたりが当座の課題でしょうか.なお,当分の間利用者からのコメントとvoteは受け付けないことになりました(spam対策).

 僕の,わけのわからない「思いつき」なアイデアを形にしてくれた業者Fさん,ARGさん,kunimiyaさんをはじめ,ご声援いただきましたみなさま,ありがとうございましたm(_ _)m

 なお,出来上がったのは,まだ「器」だけですので,中身はまだありません(^^;).これから半年ほどかけて,ある程度は中身を整えた上で勤務先のサイトのトップページからリンクを張る予定です(いろいろと内部事情が絡んでまして(^^;)).ですので,しばらくの間は何らかの機会に偶然見つけられても,まだ整備途上のものを見ることになりますのでご了承ください.あの手のモノは「常に未完成品」と,ある知人が申しておりましたが,空の器にリンクする度胸は,ちょっと無いです(>_<).

 というわけで,パスファインダーとしての本稼動までは,もう少々お待ちをm(_ _)m

ドヴォルジャーク/ヴァイオリン協奏曲

ドヴォルジャーク/ヴァイオリン協奏曲イ短調作品53@諏訪内晶子&イヴァン・フィッシャー/ブダペスト音楽祭管絃楽団(フィリップス:464 531-2)

 1999年12月の録音.
 チェロ協奏曲ほど有名では無いが,それなりにファンがいるとみえて時々録音される佳品である.1879年に作曲され,作曲の動機になった大ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に献呈されたが,ヨアヒムはこの作品が好きではなかったらしく,公けの場では一度も弾かずに終わる.ヴァイオリンがそれほど輝かしく扱われず,中音域を忙しく動き回りすぎるのが嫌われたか(^^;).

 この作品の演奏では終楽章が難関で,急激な場面転換とくどいほどの同じ音形の繰り返しのため,とかく音楽がタコのぶつ切りの如くあちこちで切れてしまう状態に陥りやすい.この録音では,さすがにソロ・オケともに「うたごころ」が豊かで変化に富んだ上手に流れを作っており,音楽がぶつ切りになるのを避けている.

2008/03/28

ドビュッシー/ピアノのために

ドビュッシー/ピアノのために@ポール・クロスリー(ソニークラシカル:SRCR9560)

 1992年の4月と11月の録音.
 酒飲んで帰宅した夜中でもなければ,ドビュッシーなんか聴かない(^^;).それほど,僕から縁遠い作曲家.好んで聴く作品が1曲も無い大作曲家は,まず彼くらいだろうな.フォーレでも,初期のピアノ作品は時々取り出したくなるけど,ドビュッシーは(好きな方には申し訳ないが)つまらなくてわからない,どうでもいい作曲家であり,作品なんだよねえ.

 ただ商売柄,ドビュッシーの作品は知らないと仕事にならないことが時々あり,見通しをつけるために,ピアノ独奏曲を一通り揃えたのですね.だから,ごく稀にはドビュッシーを聴くこともないではない,ということはあります.

2008/03/27

ブラームス/交響曲第4番

ブラームス/交響曲第4番ホ短調作品98@ジョン・バルビローリ/ヴィーン・フィル(EMI:TOCE-3096)

 1967年12月の録音.
 バルビローリ節全開(^^;)の名演である.憂愁と諦観,という第4番のイメージにもっとも相応しい解釈であり,演奏であろうか.ヴィーン・フィルの絃がまた,ふるいつきたくなるような美音を奏でていて,哀愁に満ちたブラームスを表現するのにもってこいの音を撒き散らかしている.自分でも,今日はこりゃ「ブラームスの交響曲第4番」を評するに世間に広まっているステレオタイプなことしか書いてないと思うけど,そのステレオタイプを生み出したのは,実はこの演奏じゃあるまいな(^^;)?

2008/03/26

マーラー/交響曲第2番

マーラー/交響曲第2番ハ短調@ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団(ヘンスラー:CD93.130)

 1996年6月3日-7日の録音.
 昨晩はココログ,21時間に及ぶ長時間なメンテナンスで,何もせずにBS2の石森章太郎特集で「がんばれ!!ロボコン」や「怪傑ズバット」なんぞ見てました.「ニッポンじゃあ,二番目だ」「ズバッと参上,ズバッと解決.かぁいけぇつずばっっっっと!」(^^;).

 いや,それはさておき\(^^\)(/^^)/

 ギーレンの「復活」は何をどう音楽を動かしているわけじゃないけど,シャープでアンサンブルの練られた,まずは油の乗ったヴェテランの味というところか.ギーレンの音楽は世紀をまたいだあたりから急速に巨匠っぽいテンポになるとともに精気が失われていっているような感触があるけど,マーラーの2番や7番は全集中でも初期の録音なので,まだまだ元気な「現代音楽の専門家」としてのギーレンが振るマーラーを聴くことが出来ると思うよ.

2008/03/24

思想が無いから理想を語られたくないのでしょう

 これそのブクマから始まる,一連の話なのですが,取り敢えず元ネタのblog主が図書館業界(そうそう,自慢じゃないけど,僕は20年前から「図書館業界」って言ったり書いたりしてますよ.彼のblogが「業界」呼称の先駆みたいに思われるのは心外だな)の労働環境について一家言を持っているらしいことはわかりました.ただし,他業界の労働環境にどの程度通じているのかはよくわかりませんが.図書館業界の非正規雇用に言及するヒトが,他業種の非正規雇用(保育士とか幼稚園教諭とか,委託とか指定管理者とかという点では図書館の後塵を拝してますが,非正規雇用の蔓延という点では10数年前には図書館を遙かに凌駕してましたけど,そのことを10数年前にある会合で指摘されたらモノの見事にスルーされてしまい,それ以来,ある労働組合系図書館業界団体には含むところがありますのよ)に言及している例を(rajendraさんなどの他には)あまり知らないので.

 それにしても正直なところ,他所のblogを批判するのに,何を以って「高い理想を掲げて」と言っているのかが何度読んでも,よくわからないのです.元ネタの続きも書かれていますが,(少なくとも僕が理解するために)肝心なことはほとんど明らかにされていないばかりか,わからないことだけが増えていくという(^^;).で,取り敢えず労働環境に一家言を持ち,「ず・ぼん」への言及もあるところから推定するに,日図研図問研の発想に近しいところに元ネタを書いたblog主の,「あるべき図書館の労働環境」≒「あるべき理想の図書館像(≒『市民の図書館』)」があるのかな,と.そうでなければここ


図書館の状況に対して批判的なことを主張すると、反論としてその状況を現状追認する人がいます。そうした現状追認の意見ってわざわざ表明して何か役に立つんですかね。で、こうした主張をする人間とかつて議論をしたことが複数回あるんですが、彼らのイメージする理想の図書館は、現在の利用者から苦情が出そうな劣悪なものだったり、断片的な印象に基づく図書館だったりします。前提となる基本的な知識がないと議論は成立しない。だからその後この手の批判をする人に対しては逃げることにしています。
とは書かないでしょうから.ここで「現状追認」と非難されている人々の中に僕がいるのか,はたまた元ネタの「高い理想を掲げて」の中に含まれているのかさえも,本当によくわからないのですよ.元ネタのblog主が日図研≒図問研系の方なら,僕は恐らく前者に含まれているでしょうが,何せ元ネタ続きのエントリーにおける「理想」という言葉の含意が混乱しているようですから,そこのところは何とも判断しかねるところです.

 この,何故元ネタにおいて「理想」という言葉の含意が混乱している理由を考えるに,元ネタのblog主に図書館をめぐる「思想」もしくは「戦略」が欠けているからなんじゃないでしょうか? 恐らく,こんなことを彼のblog主は,僕には言われたく無いだろうと思いますけど(^^;).でも結局のところ,以前僕が別件で指摘したように


短期的な戦術を作成する術は持ち合わせていた(その具体的な戦術文書が『市民の図書館』であり,戦術を実行するための指南役が伊藤昭治を中心とする日本図書館研究会読書調査グループであったわけです)ものの,長期的展望に立った戦略/グラウンドデザインは持ち合わせていなかったし,ましてや戦略を構築するだけの知恵も度量も彼らが持ち得なかったことが,現在の公共図書館を廻る言説のダメダメさを招いているのですね.
を,まさに地で行くような言説に陥ってしまっているのではないでしょうか? だから「この手の批判をする人に対しては逃げること」になってしまうのでしょう.相手を説得するのに賞味期限切れの言説を持ち出し「Eine Zunft, eine Bibliothek, ein Fuhrer!」と言って議論を排除する以外に手が無いでしょうから.

 他のblogはさておき,今や僕が当blogで図書館を取り扱う際に僕が考えていることは,賞味期限が切れ袋小路に陥っているにもかかわらず,もはや「宗教的な」としか形容しようの無い情熱で支えられている「思想なき実践」「排除の論理」の帰結である図書館の現状を変えるための一助となることであり,そのための下支えとなるような「思想」を何らかの形で紡ぎ出すことです.ある意味,「高い理想」よりハードルは高いかもしれませんが,それを書こうと努力するだけの価値が「図書館」にはあると考えてます.


 ・・・・・・「空虚な中心」に向かって書くのは疲れます(^^;).

ベートーヴェン/交響曲第5番

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調作品67@カルロ・マリア・ジュリーニ/ロサンゼルス・フィル(DG:UCCG-3967)

 1981年11月の録音.
 ジュリーニがLAフィルの常任指揮者になって充実していた頃に,満を持して録音した「運命」だったかと記憶している.もちろん,この大交響曲の演奏にただひとつの解などありはしないのだが,この演奏はジュリーニの「うたごころ」とLAフィルの輝かしい音色が絶妙にブレンドされた名演奏であろう.

2008/03/23

J.S.バッハ/復活祭オラトリオ

J.S.バッハ/「復活祭オラトリオ」BWV249@アンドリュー・パロット/タヴァナー・コンソート(ヴァージン:7243 5 62068 2 3)

 1993年ごろの録音か.
 今日は2008年の「復活祭」,スヌーピーが踊りながらイースター・エッグを配っていることであろう(^^;).去年は手元にこの作品の音源が無く,しくじったような記憶があるので,今年はこれをあらかじめ購入しておいたことですよ.
 パロットの他の演奏と同じように,薄手ではあるが伸びやかで,主の復活を奏でるに相応しい華やかな演奏.個人的には,もう少し厚手の演奏も聴きたいところだけど,まあよしとしよう(^^;).

2008/03/22

ハイドン/スターバト・マーテル

ヨーゼフ・ハイドン/「スターバト・マーテル」Hob.xxbis@ラースロー・ヘルタイ@アーゴ室内管絃楽団(デッカ:433 172-2)

 1979年録音.
 1768年ごろに書かれたらしい,ハイドン(1732-1809)初期の管絃楽と声楽による大規模な宗教曲.1781年4月にはパリで演奏されて成功を収めているようです.「スターバト・マーテル」は「哀しみの聖母」「聖母哀傷」などと訳され,イエスがゴルゴダの丘で磔刑に処せられた際の,母マリアの哀しみをうたう詩であり,パレストリーナやペルゴレージ,ロッシーニ,ヴェルディ,ドヴォルジャーク,プーランクらの大作曲家が曲を付けている名作です.

 この録音,自分でも購入した経緯を良く覚えていないのですが,アーリーン・オージェやアンソニー・ロルフ・ジョンソンといった有名どころの歌手が参加しています.残念ながら指揮者やオケには知るところがありませんが,よくまとまったアンサンブルで淡々と自然体な音楽が流れていきます.作品も過度に悲劇を強調するものではないので,この淡い味付けの演奏が良く合っていると思います.

リヒャルト・シュトラウス/英雄の生涯

リヒャルト・シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」作品40@カール・ベーム/シュターツカペレ・ドレスデン(DG:POCG-2691/2692)

 1957年2月の録音(モノラル).
 ベーム(1894-1981)には後年,ヴィーン・フィルと録音した演奏もある(DG)けど,あれは既に晩年のベームでまさに「英雄の引退」を地で行くような演奏だったのに対し,こちらは全盛期のベームが古馴染みのドレスデンのオケと,ザッハリヒなタイプにおける最良の演奏を繰り広げる,といった態のもの.もちろん,モノラルにしてはそれなりに輝かしい演奏だけど,カラヤンやショルティなどと比較してはいけない(^^;).今時のひとには,キビキビとした,色気の無い演奏に聴こえるだろうか.1年後にはあの「ツァラトゥストラ」をベルリン・フィルとステレオ録音で残しているのだから,この「英雄の生涯」や,やはりドレスデンとモノラルで録音した「アルプス交響曲」もステレオで残しておいてくれれば,あのブラームスの第1番同様,剛毅で引き締まった好演として聴き継がれることになっただろうに,惜しいことである.

「編集」力の不在について

 「みんなの図書館」2008年4月号(372号)届く.特集は「神奈川の図書館」,多少イデオロギッシュなところはあるが,思ったよりも良い内容.「貸出サービス」を大々的に取り上げた文章も,そもそも未開の地に公共図書館のサービスを届けていく話であり,公共図書館未開の地を開拓するために貸出(「貸出し」ではない)が利用できるのは当然なので,僕の批判するところではありません.

 ひとつ,気になったのは特集のあとに続く「展示のチカラ」(一戸町立図書館職員一同)という文章.いや,文章そのものの内容ではなく,この号での扱い方がわかりにくい,ということ.確かに「みんなの図書館」では毎号掲載されるクロスワード・パズルが特集と,その他の話題(文章)の区切りを務めているのは,毎号読んでいるひとならわかるだろうけど,例えば初めてこの号で「みんなの図書館」を手に取ったひとに,それがわかると思います? 「みんなの図書館」を10年以上読んでいる僕でさえ,最初は「一戸町立図書館って神奈川の図書館なのかな?」と,とまどってしまったほど.ちなみに,「展示のチカラ」自体には一戸町立図書館の所在地等の記載は無く,最後にあるサイトのURLを見て,ようやく岩手県の公共図書館かと得心がいった次第.

 こーゆう場合は,もう少し親切な編集が求められると思うのだが如何です? 当方,常々「みんなの図書館」については,編集者が出しゃばり過ぎることに苦言を呈してきたが,だからといって編集者の構成能力が必要なところまで手を出すな,とは言ってない(^^;).このケースでは,提出された文章に当該図書館の地理上の場所を示す一文を冒頭に挿入するように校正をかけるとか,編集で導入部を作成して一戸町立図書館の紹介をするとか,やり様があるはずなんですよね.

 もっともこの4月号,毎号必ず掲載されていた図問研の活動報告さえ掲載されていないほど切羽詰ったところで編集されているようなので(^^;),あまり多くを求めるのは酷なのかもしれないけど,いささか誤解を招きかねない編集が行われているのは事実なので,取り急ぎ指摘しておきます.せっかくの良い内容がもったいないですよ.

2008/03/21

新入生オリエンテーションをめぐるよしなしごと

 年度末なので,〆とともに新年度のことをそろそろ考えなくてはならない時期に来まして(^^;).今日はもう学生もあまり来なかったので,雑用をこなしながら「新入生オリエンテーション」のことを,あれこれ考えているのでした.

 何しろ,これまでがあまりにも質量ともに脆弱なオリエンテーションを繰り返してきたので,そろそろ転換を図ろうかと,ここ数年いろいろ工夫をしてみたり,外圧を利用してみたり(全体会で演説をぶつ機会をもらえた)して動かない職員をなだめすかしてきました(もちろん,こちらの意を挺して行動してくれる職員もいますが).昨年度は全体会でパワーポイントを導入するだけの環境が整ったので,ようやく説明に活用してみました.昨年度,僕がしでかした失敗は「全体会」と「学内見学で図書館までやってくる学科毎の案内」の内容をきちんと区分けできなかったこと.そのため,どちらもがガイダンスなんだかオリエンテーションなんだか,よくわからない状況に陥ってしまった(-_-;).

 他所の大学図書館ですと,入学して一段落したところで図書館オリエンテーションを希望する学生に対して行ったり,既に図書館の利用法に関する講義を受講することが義務付けられたりしているのでしょうが,仮にウチでそれをやろうと思ったら僕の負担が増えるばかりで,僕が辞めた後にその仕事を引き継げるひとがいなくなってしまう危険性が高いんですよ.これ,僕が「仕事が出来る」と自慢しているわけでも何でもなく,スタッフがラインも兼ねて仕事している小規模図書館の実情はそんなものです,というだけのことです.昨年度,とある教員に頼まれて「レポート・論文作成の手引き」を講義時間内に解説してきましたが,これだって僕自身が出馬せずに済めば,いろいろな意味で組織内に「図書館の力」を認めてもらえるんですよねえ.現状,それが出来ないところに僕の悩みの種(のひとつ)があるわけで(誤解の無いように書いておくと,ある個人に対して,ある仕事が出来るだけの人格と識見があると認めることと,その個人にその仕事を任せると決断することの間には,海よりも深い裂け目があるのです).

 そんなこんなで,何とか現状の形式を維持しつつ,オリエンテーションの質を向上させるとともに,効率よく新入生に「大学図書館は何が出来るところか」及び「大学図書館ではどのように振舞えばよいか」というふたつのことを大学入学という人生の節目に舞い上がっている(?)新入生に伝える,という難事業を敢行しなければならないのですね.で,恐らく当blogに図書館関係のエントリーを目当てに来ている学生諸賢には信じ難いことと思われそうだけど,僕の経験上,ウチに来る学生で,高校までに公共図書館や学校図書館を頻繁に利用した経験のある学生は5分の1もいないのが実情です.だから,そもそも18歳に対して「図書館とは何か」ということから教えなければいけない,という面倒な作業から始める必要があり,しかも,この18歳は年齢が18歳というだけで,学問や知識の経験値が年齢相応になっているのかどうかは,いささか疑問無しとしないわけですよ.このあたり,僕はオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』の愛読者だから,どうしても懐疑的かつ悲観的(^^;).

 取り敢えず,まずは「ガイダンス」と「オリエンテーション」をきちんと分けて,ガイダンスは全体会で「図書館とは何か」「大学図書館は何が出来るところか」を騙り,オリエンテーションでは「大学図書館での振舞い方」を必要最低限伝授する,というところを基本に据えて,全体を俯瞰しながら制度の設計(と書くと大袈裟だな)をいま一度,叩き直してみましょうか.もっと詳しい話を聞きたければ,その機会を作ってくれ,と相手にお願いするのも一興.

J.S.バッハ/ヨハネ受難曲

J.S.バッハ/ヨハネ受難曲BWV245@フィリップ・ヘレヴェッヘ/ラ・シャペル・ロワイヤル管絃楽団(ハルモニア・ムンディ・フランス:HMX2951264/2951265)

 1987年4月の録音.ヘレヴェッヘにとっては旧録音になる.
 今日(3月21日)が2008年の「聖金曜日」であることを,つい2,3日前に知ったという間抜けぶりだが,当方クリスチャンというわけではないのでお目こぼしを乞うm(_ _)m

 一般的にJ.S.バッハの「ヨハネ受難曲」は「マタイ」に比べて表現が劇的,という評価であるようだが,このヘレヴェッヘは何処か静謐なものを感じさせる演奏である.僕のような不心得者にも,「敬虔」という言葉を思い出させてくれるあたり,見事な作品であり,見事な演奏であろうか.これ以上,今日は言葉は必要ないか.

2008/03/20

マーラー/交響曲第9番

マーラー/交響曲第9番ニ長調@クラウス・テンシュテット/ロンドン・フィル(EMI:CMS 7 64481 2)

 1979年5月の録音.
 今日3月20日は地下鉄サリン事件から13年【地下鉄サリン事件:きょう13年 「忘れないで」被害女性が会見 - 毎日jp(毎日新聞)】,イラク戦争開戦から5年【全米各地で反戦集会・デモ、イラク犠牲者を追悼 : イラク情勢 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)】という,忘れるわけにはいかない出来事の起きた日なのですね.僕は,「死」を思いながら作曲されたこの作品を聴いて,事件や戦争に巻き込まれて亡くなられた方々に追悼のまことを捧げることにします.

 テンシュテットの録音は,今日の日に相応しい翳りと緊張感が沢山詰まっている,名演.

2008/03/19

シューベルト/交響曲D.944

シューベルト/交響曲ハ長調D.944(第9番)@ヘルマン・アーベントロート/ライプツィヒ放送交響楽団(ドイツ・シャルプラッテン:27TC-238)

 1950年1月11日の録音.
 どうもアーベントロート(1883-1956)というと,べた褒めに褒められて神格化されるか,ケチョンケチョンに貶されて貶められるか,周囲の評価が極端に別れがちという,不思議な指揮者である(^^;).この録音を聴く限りでは,マックス・フィードラーやヴィレム・メンゲルベルクのような「様式化されたロマン主義」の指揮者であり,フィードラーやメンゲルベルクのような強烈な個性に乏しい分,幾分軽量級で親しみやすいことは確かだが,「テンポが硬直化している」「表情付けが一本調子」「機知に欠ける」というような批判も受けやすいのであろう,と思われる.

 なお,ある本に拠ればアーベントロートがライプツィヒ・ゲヴァントハウスの指揮者だったとき,ゲヴァントハウスの合奏力は低下したそうで,この録音に聴くライプツィヒ放送響のアンサンブルも豪快なもの(^^;).オーケストラ・トレーナーとしてはいまひとつだったのかな,と思う.

公共図書館とフリーペーパー

 そんなわけで,地域メディアがRSS吐き出していれば,それを拾うことにより,何も料金取らなくてもある程度の地域情報を集め,サイトに掲載することは公共図書館でも技術的には充分可能だろうと思うのですが(^^;).例えば東北なら,河北新報岩手日日新聞社東奥日報のサイトはRSSを吐いているわけで,取り敢えずそのあたりから手を付けるもよし,もっとご近所さんの情報が必要なら,その公共図書館が立地する地域で配布されている「フリーペーパー」を活用するのも一案では.

 と書いてから,ふと気がついたのですが,そもそも現在の公共図書館が発信している「情報提供」って,「フリーペーパー」ほどの地域への浸透力が,過去も現在もあるのでしょうか? 

 僕のような田舎に住んでいる人間のところにも,15,6年前から毎週2誌の「フリーペーパー」が配布されるようになってましたが,ここ1,2年でスーパーや駅前に「フリーペーパー」専用の籠棚があちらこちらに増殖し,硬軟取り混ぜ(?)10数種の「フリーペーパー」がある公共スペースも少なくない状況が出て来ています.先日読んだ『フリーペーパーの衝撃』(稲垣太郎著/集英社新書/集英社/2008年1月初版/680円+税)がリポートしている状況が,首都圏から地方に大きな広がりを見せているのが,まさに実感できます.実は「大学」も「フリーペーパー」専用の籠棚を置く有力な場所でして,僕の勤務先でもいながらにして5タイトルほどの「フリーペーパー」を入手することが出来ます.性別に偏りのある大学なので,主に女性向けの記事が多い「フリーペーパー」ばかりなのが僕には難で(^^;),僕が利用するのは食事(ラーメン,居酒屋等)の情報程度ですが.

 先に挙げた『フリーペーパーの衝撃』でも,その広告効果について「信頼性の乏しさ」(77頁)が問題にはなっているものの,それまで存在した有料のタウン誌を駆逐し,街の書店までが「R25」を置き代目当てに置こうとする状況というのが存在するわけです.そのような状況に対して,公共図書館の情報発信,乃至は情報提供が地域情報を提供したい側,情報を受け取りたい側にとって有力な選択肢たりえるのかどうか,さらには「フリーペーパー」が百花繚乱に近い現下の状況に楔を打ち込めるほどのインパクトを持ちえるのかどうか,業界人は「フリーペーパー」について考えてみたら如何でしょうか.

学術機関リポジトリがRSSを吐いてないような気がする話

 SBMを利用したパスファインダーの計画は,あれ以降進展がありません.与えられたサーバ環境が問題の根源なので,SEさんも苦戦しているようで,音沙汰がありません.うーむ.

 当方,今日は休暇をもらった(昨日が卒業式→謝恩会で,謝恩会の終了時刻が読めなかったため)ので自宅から,勤務先のサイトに新しく実装された,サイトのリンク集に掲載したリンク先が吐いているRSSを拾って新着記事を掲載する機能について,幾つかのリンク先からRSSフィードをリンクに追加する作業を,ちょこまかとやっていたのですが,大学の学術機関リポジトリでRSS吐いているところは意外に少ないことに気がつきました.北海道大と京都大と名古屋大くらいなんですね.

 僕個人は,ブラウザにSleipnir使っているくせに,最近までRSSをほとんど利用していなかったのですが,ようやくこの頃7,8箇所のメディア(カレントアウェアネス・ポータルなど)についてRSSを拾うようになりまして,でもそれほど個人では使いどころも無いかな,と感じているところではあります.ですが,図書館のサイトのようなところが他所のRSS拾って記事を集めるのは,それなりに意味のあることのような気がしてきています.LCBritish LibraryのRSSを拾ってみたら記事が膨大でどうしてくれよう,と思ってもいますが(^^;).

 それはともかく,もう少しRSSを吐いてくれる機関リポジトリが増えてくれると学術的な記事が収集できて有難いかなあ,と思う昨日今日です.ちなみに自分の勤務先は図書館に紀要等に関する権限が絶無なので,そもそもリポジトリどころの話では無いのです.ふう(sigh).

2008/03/18

マーラー/交響曲第8番

マーラー/交響曲第8番変ホ長調@リッカルド・シャイー/アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃楽団(デッカ:475 6686)

 2000年1月17日-20日の録音.
 今日は勤務先の卒業式と謝恩会があったので,まあこの作品が相応しいだろうと(^^;).シャイーの演奏はどこまでもビロードのように美しく,破綻はどこにも聴かれない.そこが「マーラーらしくない」と評するひとはいるだろうけど,僕は現在のマーラー演奏のスタンダードには,迷わずこのシャイーの演奏を押す.重きを置くところが違うひとには,例えばベルティーニの全集やテンシュテットの全集を押してもいいけど,最初にマーラーを聴くひとに対して彼らの全集を薦めると毒が強すぎやしないか(^^;).すべてにおいて高い次元でバランスのとれた録音ということでシャイーの全集を押すわけだ.
 この第8番もその例に漏れない.祝祭に相応しいスケールの大きさと,アンサンブルの練り込みがお見事.

2008/03/17

プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第4番

プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第4番変ロ長調作品53@アレクサンデル・トラーゼ&ヴァレリー・ゲルギエフ/キーロフ管絃楽団(フィリップス:PHCP-11089/11090)

 1996年7月の録音.
 例のパウル・ヴィトゲンシュタインに「この曲のどの音符も理解できません」と拒絶された,左手のためのピアノ協奏曲である.そのまま埋もれてしまい,プロコフィエフの死後,その作品表からこの作品を見つけ出した東ドイツのピアニスト,ジーグフリート・ラップ(1917-)がプロコフィエフの遺族からスコアの提供を受けて,1956年9月5日にようやく初演された.第二次大戦で右手を失ったピアニストであったラップによる録音も残されているが,僕は未聴.この録音のときなのかどうかはわからないが,ラップには録音中にディレクターから「ラップさん,そこはもう少し右手を効かせてください」と言われた,というエピソードがある.

 曲は4楽章からなる.如何にもプロコフィエフらしい,諧謔交じりの急速な楽章を両端に置き(しかも第4楽章は第1楽章のダイジェストみたいな内容),冴え冴えと美しくありながらラフマニノフ風の厚ぼったいロマンティシズムを慎重に避けているかのような第2楽章と,ちょっと不思議な感触の行進曲風な第3楽章からなる.確かに古典的な協奏曲の形式からは逸脱した奇妙な形の協奏曲ではある.演奏は,いささか正攻法で真面目に押し過ぎているような感じ.

2008/03/16

ドヴォルジャーク/チェロ協奏曲ロ短調

ドヴォルジャーク/チェロ協奏曲ロ短調作品104@ムスティラフ・ロストロポーヴィチ&エフゲニ・スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立交響楽団(BBC:BBCL4110-2

 1968年8月21日,ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ録音.
 1968年8月20日の深夜,ソ連軍はチェコスロヴァキアに侵攻・占領し,いわゆる「プラハの春」と呼ばれたチェコスロヴァキア共産党による改革路線を共産主義の親玉たるソ連が叩き潰した,その当日にUKで敢行されたソ連の演奏家による凄絶なライヴの記録である.ロストロポーヴィチ自身がこの録音について,このCDに簡単な手記を寄せているが(2002年10月付),ロイヤル・アルバート・ホール中の数千人の聴衆が「Soviets go home!」と叫び,ソ連に対する抗議を表していた由.この録音の冒頭にも,何を言っているのかはよくわからないが激しい叫び声が残されている.もっとも,手記に拠れば反対側のバルコニーからは「Go to your basket!」と言い返す観客もいたという.ロストロポーヴィチも演奏中に投石があるのではないかと心配したほどで,演奏会前にマネージャーは彼の弾くチェロに保険をかけたとか.「私の人生の中でもっとも厳しい演奏会のひとつでした」
 演奏は,張り詰めた雰囲気の中,さすがに前のめり気味に始まるが,第2主題にさしかかるあたりでは落ち着きを取り戻し,と言っても非常な緊張感の中,胃の痛くなるような演奏が展開される.演奏中の観客は抗議行動を起こすことも無く,そして終楽章,最後のティンパニが鳴らされるとともに,ものすごい大歓声に包まれるのである.

諸井三郎/交響曲第2番

諸井三郎/交響曲第2番作品16@山岡重信/読売日本交響楽団(ビクター/タワーレコード:NCS608-609)

 1972年7月の録音.
 1937(昭和12)年から38年にかけて作曲され,1938年10月12日,ヨーゼフ・ローゼンシュトック指揮の新交響楽団により初演された.初演後久しく演奏されず,このレコーディングが2回目の演奏であったそうである(柴田南雄執筆のCD解説による).諸井三郎(1903-1977)の交響曲は先般,重厚晦渋な第3番作品25の録音が世に出ているが(ナクソス:8.557162J),この作品も第3番ほど晦渋ではないにせよ,内省的で重厚でマックス・レーガーを思わせるような重苦しさを漂わせる音楽が展開される.「闘争から勝利へ」というよりも「闘争に次ぐ闘争」という雰囲気なのは,やはり満洲事変からこちらの世界大戦の時代の反映でもあろうか.

 演奏は,手堅く作品を音にしてみました,というところだが,それでもこの作品の重苦しさや時代の苦悩は充分に伝えることが出来ていると思われる.いい演奏である.

2008/03/15

ベートーヴェン/交響曲第9番

ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125@トマス・ビーチャム/ロイヤル・フィル(BBCレジェンド:BBCL 4209-2)

 1956年8月19日,エディンバラでのライヴ録音.ソリストはシルヴィア・フィッシャー,ナン・メリマン,リチャード・ルイス,キム・ボルイの面々.
 ビーチャム(1879-1961)のライヴというと,こちらは勝手に,スケールは大きいもののアンサンブルゆるゆるのだらけた爆演を想像してしまうのだが,なかなかどうして,この録音はアンサンブルも引き締まった演奏である.ビーチャムを「ディーリアス以外は二流」などととほざいている評論家の顔色を無からしむるのではないかと(^^;).さすがにフルトヴェングラーを「マイ・ボーイ」と呼んでいただけのことはある,見事な演奏である.
 フィナーレの土壇場で踏み外すのはご愛嬌だが(^^;).

2008/03/14

アイヴズ/交響曲「アメリカの休日」

アイヴズ/交響曲「アメリカの休日」@ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管絃楽団(BMG:BVCC-38302)

 1974年10月7日の録音.
 例によってチャールズ・アイヴズ(1874-1954)の不思議な音楽である(^^;).元々はバラバラに作曲された音楽を「Holidays Symphony」という形に作曲家自身が強引に(?)まとめあげた作品なので,楽しげだったり敬虔な雰囲気だったり,あれこれ取り混ぜて「古きよきアメリカ」な雰囲気が横溢しているものの,一般的な「交響曲」のイメージからは遙かに遠いところで成り立っている(^^;).第1楽章では「Jew's Harp」まで動員されているが.これはとある西部劇(これが何だったか,さっぱり思い出せないのは記憶力の衰えか)のテーマ音楽でも使われている楽器じゃなかったかしらん?

 例によって,オーマンディの指揮はあたたかい.作品をリスペクトする姿勢が伝わってきて好もしい.これが1970年代までの,奇妙にストイックな姿勢が好まれた日本のクラシックマニアには受け入れられなかったのだった(sigh).

2008/03/12

ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための協奏曲

ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102@マルク・カプラン,ダーフィト・ゲリンガス&ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団(インターコード:INT 860.903)

 1989年4月の録音.
 20代の頃に聴いた際はつまらなかった作品/演奏が,40過ぎにふと聴いてみたら意外に面白かった,という経験をしたところ(^^;).最初はこのCDに併緑されているブラームスの交響曲第4番を今日は取り上げるつもりで,たまたま前半の二重協奏曲から聴き始めて.昔々聴いたときは「つまんねー曲だな」と感じていたのに,久し振り(この曲は10年ほど,まともに聴いてない)に聴いたら「あれれ?」と思ったのでした.

 いま聴くと,案外面白いではないですか,この作品.ブラームスは5番目の交響曲を書くつもりでこの曲を作曲しはじめたものの,自らの衰えを自覚して現行の二重協奏曲にプランを変更したと言うのですが,ギーレンの棒で聴いてみると,全然枯れてないじゃないですか(^^;).確かに萌黄のような若々しさは感じられませんが,風格豊かに成熟した「大人(たいじん)の音楽」ですよね,これは.

 自分が歳をとっただけなのかもしれないけど,音楽を聴く楽しみが広がるのはいいことですね(^^;).

2008/03/11

チャイコフスキー/交響曲第5番

チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調作品64@ジョージ・セル/クリーヴランド管絃楽団(ソニークラシカル:SRCR9867)

 1959年10月23日・24日の録音(恐らく原盤はCBSじゃなくてエピック).

 先日,友人と3人で食事していたら何故かチャイコフスキーのコーダがくどい,という話になる(^^;).これで終わりだよ,終わりだよと延々念を押すのだよね,と僕が言ったらAさん(元はアマチュア絃楽器奏者)が「だから,終わってないのに拍手しちゃう観客も出ちゃうのよね(^^;)」.クラシックは不案内,というBさんのために,僕がその話を受けて,このチャイコフスキーの第5番の終楽章,コーダ直前の大フェルマータの話をする,といった按配.「実際に,スラットキンが振ったN響の演奏会の録画中継見ていたら,ホントにそこで拍手した客がいたのにはびっくりしたよ.だって,都市伝説だと半ば思っていたからね」

 しかし,この終楽章は余程の難物だと見えて,メンゲルベルクやロジンスキやパウル・ファン・ケンペンはバッサリと中間部分をカットしてしまうし,ストコフスキーは細かくカットした挙句に大フェルマータをカットしてコーダをつなげてしまうし.セルはカットこそしないものの,終楽章のコーダの頂点でシンバルを打ち鳴らす.1番や4番の終楽章,6番の第3楽章で盛大にシンバルを鳴らしまくるチャイコフスキーが,どういうわけだかこの曲では1回もシンバルを鳴らさない.ケンペンは終楽章のコーダで2度シンバルを挿入したが,セルは1回だけ.

 ところで,セルとチャイコフスキーの相性はまんざらでもないとみえて,この第5番でも,デッカに残した第4番でも,それなりに聴かせる演奏に仕上がっている.第6番「悲愴」が見当たらないのが不思議なくらい.同世代のカール・ベームが残したチャイコフスキーが,ベームのファンからさえ「あれは残して欲しくなかった」と嘆かれることさえあるのに比べれば,かなりのモノであるといってもよさそう.

2008/03/10

ブルックナー/ミサ曲へ短調

ブルックナー/ミサ曲第3番へ短調@ハインツ・レーグナー/ベルリン放送交響楽団(東ベルリン)(エーデル:0002712CCC

 1988年9月の録音.
 ヴィーンの宮廷礼拝堂で演奏するために,オーストリア帝国の宮内省から委嘱された作品である.既にオルガニストとしてパリやロンドンでも大成功を収め,ニ短調とホ短調のミサ曲も作曲していたブルックナー(1824-1896)が自信を持って作曲した・・・・・・,と言いたいところだが,この作曲家にはどうにも不運と自信喪失が付いて回る.この作品を作曲していた当時も,交響曲ニ短調(第0番)は「(第4楽章の)主要主題はどこにあるのかね?」と疑問符を付けられて机の中にしまいこまれ,1869年9月にリンツで初演され大成功を収めたホ短調ミサは結局,作曲家の生前にはヴィーンでは演奏されずに終わる,と言った有様.このヘ短調ミサも,1868年に完成するも初演まで4年を要している.さすがに1872年6月に初演された際は成功を収め,エドゥアルド・ハンスリックの激賞もあってブルックナーは宗教音楽の作曲家としてはヴィーンでも認められるようにはなる.しかし,交響曲の作曲家としてのブルックナーが認められるようになるまでには,ここからまたしても長い道のりが待っているのである.
 さて,どういうわけだか,ブルックナーの交響曲の録音では軟体動物のような演奏を連発し,疑問符の多い解釈を繰り広げるレーグナーの棒が,この作品では水を得た魚のように生き生きと,劇的なミサ曲の再現に成功している.何か,声楽作品については勘所を掴んでいたのだろう.

2008/03/09

ショスタコーヴィチ/交響曲第14番

ショスタコーヴィチ/交響曲第14番「死者の歌」作品135@ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団(ヴェイトブリック:SSS0040-2)

 1972年3月28日のライヴ録音.初演から約3年後の演奏,ということになるか.
 ショスタコーヴィチが採用したテキストの,原語に基づくと思われる歌唱によるのが,ロシア語の歌唱に慣れている耳には聴きづらいが,ケーゲルの解釈はそれこそ地獄の釜の蓋を開けて覗き込んでいるような趣きがある.非力なオケの絃とアンサンブルが崩壊しかかっている箇所があることが,その印象に輪をかけている.ライヴ故の事故,で片付けられるレベルじゃない.何しろ独唱とオケの,縦の線が合ってないところさえあるのだから.
 それでも,この演奏から感じられる,もはや後が無い断崖絶壁に立っているような虚無感は,やはり只事ではないと思われる.このフィナーレには,「語りえぬものには,沈黙せねばならない」のかもしれない(sigh).

2008/03/08

ベートーヴェン/交響曲第8番

ベートーヴェン/交響曲第8番ヘ長調作品93@ペーター・マーク@パドヴァ・エ・デル・ベネト管絃楽団(アーツ:447245-2)

 1994年6月の録音.
 この作品は,曲名は知らなくても意外にみんな知っている,ということが時々ある(^^;).ユーモラスな第2楽章が掃除の時間に流れていたり,優雅な第3楽章が給食の時間に流れていたりしたことが,そこかしこの小学校や中学校であったらしい.そういえば,僕の出た小学校では給食の時間になるとサン・サーンスの「白鳥」を流していたので,今でも「白鳥」を聴くと不味かった給食のメニューや.臭かったビニール製のテーブルクロスの臭いを反射的に思い出してしまい,気分が悪くなるのであった.

 サン・サーンスはさておき,ベートーヴェン.マークの指揮は衒いの無い真っ正直な雰囲気のもので,終楽章の第1主題の刻みを丁寧に刻ませているあたりが誠実な職人芸を感じさせる.指揮者が背伸びしていない,等身大の好演である.

2008/03/07

ベートーヴェン/交響曲第7番

ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調作品92@ピエール・モントゥ/ロンドン交響楽団(デッカ:443 479-2)

 1961年の録音.
 モントゥ(1875-1964)86歳のときの録音だが,とても80代の老人が振った演奏とは思えない.例えば,86歳のベームが振り,その最後の録音になったベートーヴェンの第9(DG)と比べても,おおよそ弛緩というものが感じられない.それどころか,テンポは弾むようだし,表情が引き締まっていて非常に若々しく,終楽章の追い込みなどライヴ並みの興奮を聴かせてくれる.
 その終楽章で聴かれる第1・第2ヴァイオリンの掛け合いの迫力は両翼配置でなければダメで,その点でも古い録音ながらモントゥのこれは言うことなし.アーノンクールのようなひとでも,何故かここには無頓着なのか,ヴァイオリンの両翼配置をCOEとの録音(テルデック)では採用していない.残念なことである.

モデルの破綻

 結局,田井郁久雄氏のようなヒトがどう糊塗しようと,『市民の図書館』や『本をどう選ぶか』による公共図書館の経営モデルはとっくに破綻しちゃっている,ということでしょう.

 資料購入費の増額を目的とした,前川恒雄や伊藤昭治の生み出したモデルに従って如何に貸出を増やしても,経済が右肩下がりの現状では正規の税収が上がらない以上,公共図書館の資料購入費だけが上がる筈も無く,それでも前川や伊藤のモデルにしがみつけば,蔵書構築=選書のコントロールを正規の図書館員が手放すわけにはいかない(故に,内容の如何を問わず寄贈を大々的に活用し,結果的に60万冊を集めた「全国ありがとう文庫」や42万冊を集めた「矢祭もったいない図書館」などの,素人が考案したモデルは採用できない)となれば,正規の税収以外の収入源を何処かで確保しなければならなくなる.ところが悲しいかな,これまで「広報」「広告」「宣伝」というものの作り方を学んでこなかった-これは彼らが公務員だから,というよりは前川たちのバックボーンにある「正しいことをやっていれば必ず報われる」という,ある種のストイックな姿勢から来るものでしょう-それが次の事例に見られる「空回り」と言うか,結果として努力が報われないばかりか,その手法を採用するまでの思考法さえも疑わせることになる,原因のひとつを作り出しているのでしょう.

斐川町立図書館:財政難、募金1円も集まらず 図書購入費「みんなで育てて」 /島根 - 毎日jp(毎日新聞)
斐川町立図書館>お知らせ - 募金箱の設置について
斐川町立図書館からのお願い 図書購入に愛の手を!

広報媒体としての図書館サイトの価値 - Copy & Copyright Diary
平塚市図書館 みんなの掲示板

 高度成長期に生み出された公共図書館の経営モデルからの転換を,どのように組み立てていくのか,これからしばらくは「これではうまくいかない」という事例を幾つも積み上げていくことになるのでしょう.そして,その失敗から,何かを見つけ出し,新しいモデルを得るのが現場の知恵でもあり,学者の仕事でもあるはずです.

2008/03/06

ブルックナー/交響曲第7番

ブルックナー/交響曲第7番ホ長調@ヘルベルト・ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン(デンオン:COCO-70489)

 1980年6月30日から7月3日にかけての録音.
 デンオンによるブロムシュテット(1927-)のブルックナーは当時,4番と7番を録音しただけで終わってしまったと記憶しているが,残念なことであった.この頃から,長い長い円熟の時期を迎えつつあったブロムシュテットだっただけに,せめて5,8,9だけでも録音を続けて欲しかったものである.この7番でも,派手さは無いし,音楽のどこをどういじったわけでもないが,自然体で隅々まで神経の行き届いた,大変に充実した内容の好演を聴かせてくれる.一見ストレートに見えてこーゆう演奏の方が,実は難しいんだよねえ(sigh).

2008/03/05

スメタナ/我が祖国

スメタナ/連作交響詩「我が祖国」@カレル・アンチェル/チェコ・フィル(スプラフォン:COCO-80021)

 1963年録音.
 作曲途上にして梅毒によって聴覚を失い,最後には発狂したスメタナ(1824-1884)の運命,そして1968年の「プラハの春」で亡命せざるを得なくなり,最後はトロントで客死したアンチェル(1908-1973)の運命を考えると,軽々にこの演奏を論じるわけにはいかない気分にさせられる.

 スメタナにとってチェコの題材を扱って交響詩のような「標題音楽」を作曲することは,即ちチェコの音楽をドイツやフランスあたりの音楽と同じ技法を用いて作曲することで,チェコの音楽の価値を高め広くヨーロッパに知らしめる効果があると信じていたわけで,その意図は「我が祖国」においては達成されたと考えていいだろう.こうして,極東のチェコに縁も所縁も無い人間が,この作品のCDを聴いているわけだから(^^;).1曲目と2曲目とそれ以降の4曲では,少々出来にムラが無いとは言わないが,やっぱり傑作である.

 ところでアンチェルは,今年が生誕100年か.生誕100年と言えば,今年はカラヤンばかりにスポットライトが当たりそうだが,カイルベルトやアンチェルにも光が当たりますように.

幻に終わるか,SBMパスファインダー

 承前

 さて,本日業者さんが勤務先に来られて,サイトのXOOPSをXOOPS Cubeにアップデートしました.アップデートは順調で,サイトのリンク集で拾ったRSSをサイトのトップページに表示することや(もっとも,さっき確認したらRSSをちゃんと拾ってないかも拾ってました.1日2回更新のようです何だか拾いまくり始めました),リンク集にGoogle Mapでリンク先の所在地を示すことも出来るようになったのは,うれしい誤算です.正直,そこまで出来るようになるとは想像してませんでしたから(^^;).
 さらに,アクセス解析をGoogle Analyticsに変更して楽しい解析をやりましょう,と.覚えることが多いわ(>_<).

 ところが,僕がもっとも期待していたSBMを使ったパスファインダーの方は,Xiggが当館のサーバではISS(これは“Internet Security Systems”のことかな?)の関係で動かないことが判明したばかりか,Pliggまでもが業者さんのノートによる事前の動作確認では動いていたにもかかわらず,サーバに載せたら動作しなくなる有様_| ̄|○ これには正直,参りました.これは「はてな」や「livedoor」のブックマークでやったのではダメで(コメント欄の「炎上」が怖いだけではなく),やはり自サーバで動かしてこそ価値のある仕事だと思っているものですから.

 僕の頭の中にある,SBMを使ったパスファインダーに一番近いイメージを具体化しているのは,リニューアルしたカレントアウェアネス・ポータルのトップページですが,さてここまでたどりつくことが出来るでしょうか? もうしばらく,試行錯誤が続きます.

2008/03/04

コルンゴルト/ピアノ協奏曲

コルンゴルト/左手のためのピアノ協奏曲作品17@シュテファン・デ・グローテ&ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト/北西ドイツ・フィル(cpo:999 150-2)

 1988年6月の録音.
 早熟の天才作曲家コルンゴルト(1897-1957)が,第一次世界大戦で右手を失ったヴィーンのピアニスト,パウル・ヴィトゲンシュタイン(1887-1961)の委嘱を受けて作曲した,単一楽章で30分を超えるピアノ協奏曲である.しかしヴィトゲンシュタインは1924年に初演したものの,あとは1度も弾かなかったらしい.何しろラヴェルの協奏曲のピアノ・パートは書き換えるわ,プロコフィエフの第4番は「1音たりとも理解できない」と付き返すわ,ヒンデミットの「ピアノと管絃楽のための音楽」は演奏もせず仕舞い込むわで,かなり狷介な人物だったらしい(^^;).ちなみに,このピアニストの弟が哲学者のルートヴィヒ・・ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)である.なお当人はベンジャミン・ブリテンの「主題と変奏」作品21をもっとも評価していたとか.

 コルンゴルトのピアノ協奏曲は,如何にもこの作曲家らしい絢爛なオーケストレーションを伴っているが,なかなかに内省的で,無調以前のシェーンベルクや,あるいはストラヴィンスキーを思わせるところもあり,当時の新思潮にも目配りした気配のある作品に仕上がっている.演奏は健闘しているが,こーゆう曲こそカラヤンの棒で聴きたくなるのは,無いものねだりというものであろうな(^^;).

2008/03/03

陳鋼&何占豪/梁山伯と祝英台

陳鋼&何占豪/ヴァイオリン協奏曲「梁山伯と祝英台」(蝶の恋人たち)@西崎崇子&ファン・チェンブ/上海音楽学院交響楽団(ナクソス:8.554334)

 1992年10月の録音.
 「梁山泊」ではなく「梁山伯」で正しい(^^;).東晋時代に民話として起こったのが始まりという,悲恋の物語で古来中国では有名なものらしい.その物語を取り上げた越劇の旋律をモチーフに,1958年に上海音楽学院に学んでいた陳鋼と何占豪という二人の若い作曲家が「中体西用」(「和魂洋才」の中国版か)の理念を具現化すべく作曲したのが,このヴァイオリン協奏曲である.ところが,1966年から始まった文化大革命にて,上海音楽学院は徹底的に目の敵にされてしまい,この作品もほとんど忘れ去られかけていたもの.さしもの文化大革命が終息した後は復権し,長野オリンピックでは女子フィギュアスケートで中国の選手がこの作品を採用して銅メダルを獲得している.

 曲は,もう情緒纏綿たる正統派(?)の民族音楽をそのまま西洋のヴァイオリン協奏曲の様式に載せた,という態の作品で,実に親しみやすい音楽(^^;)に仕上がっている.「梁山伯と祝英台」は,さすがに中国で最初に洋楽が根付いた上海で学んだ作曲家が作曲しただけに,管絃楽法などに破綻は無いが,技法的には台湾生まれで東京音楽学校に学んだ江文也の戦前の作品の方が,問題意識において優れていると思われるところはある(それ故,江文也は日本敗戦後の中国で受け入れられずに苦難の道を歩むことになるのだが).

 ところで,ストーリー性はともかく,日本でも同じような音楽作法でヴァイオリン協奏曲を書いた作曲家がいたよな,と思い出したのは貴志康一のそれだった.いずれにせよ,西洋生まれの枠組みを中国(あるいは日本でも)根付かせるのには,それなりの道を一通り歩かなければならないのだろう.

ある書店の閉店

 (注:3月4日一部改稿)

 3月中は充電するつもりでいた(^^;)のですが,さすがにこれは気になりまして.

asahi.com:全国初の公設書店「わかば」が閉店へ-マイタウン大分

 この書店は,出版文化産業振興財団(JPIC)による地域読書環境整備事業のトップを切って,1992年5月に旧・耶馬溪町の町立書店として開店したものです.当時,耶馬溪町には公共図書館も書店も無く,JPICのモデル事業の一環として公営書店が開設されました.JPIC自体,1991年3月に旧・通商産業省による生涯学習振興の動きを受けて出版業界が設立したばかりで,同じく1992年10月には岩手県三陸町でも町営書店「ブックワールド椿」の開店に関わり,書店経営のノウハウなどを提供したと伝えられています(参考:朝日新聞東京版夕刊1992年11月7日付「本の過疎に悩む町村 町営書店開設し対応も(スペクトル)」,「生涯学習政策における図書館関連事業--出版文化産業振興財団の事業をめぐって」三井幸子[「図書館学会年報」39巻3号,1993.9.]).

 開店当時,公共図書館業界関係者の中から,JPICとこの事業に対して猛烈なバッシングが沸き起こったことを記憶しています.「何故,公共図書館ではなく町営書店なのか」「書店は公共図書館の肩代わりにはならない」などと.それが影響したのかどうか,JPICは他に手がけている事業ほどはこの事業を熱心に進めることは無かったようです.当時の図書館業界によるバッシングの記録としては,「町村の図書館 1992年を振り返って」(「図書館雑誌」87巻2号,1993.2.)や「図書館問題研究会第40回全国大会基調報告(案)」(「みんなの図書館」194号,1993.7.)がありますので,お時間のある方はどうぞ(ちなみに前掲三井論文の注30に記載されている巻号データは誤りで,「1993.7」が正しい).面白いのは,朝日新聞1992年11月7日の記事で日本図書館協会の事務局長(当時)・栗原均氏が


「財政力の強弱より、行政としての考え方が問われているのではないか。文化行政のあり方としては図書館の設置が基礎的な条件。町村だけにそれを押し付けるのではなく、県や国の積極的な対応が必要だ
とコメントしていること(強調部分は引用者による).今更ながら,栗原氏のタヌキ振りには舌を巻くわ(^^;).

 あれから15年以上の歳月が過ぎ,何時の間にか耶馬溪町にも公共図書館が出来たようですが(「図書館雑誌」か『日本の図書館』を調べれば設置年がわかるのかな?),そのうち中津市・本耶馬溪町・三光村・山国村との平成の大合併で中津市に併合されたのちは,継子扱いをされたのか,朝日の記事に拠れば惨憺たる状態の中にその歴史を閉じることになったようです.ただ,よくわからないのは,中津市立耶馬溪図書館が図書館サイトの説明に拠れば「オープンして5年目の新しい建物なので、比較的所蔵資料が新しいことが自慢の図書館」とあることで,朝日の記事にある「開店後の数年間は、図書館にも本を納めるなどして」という記述と,いささか齟齬を来たしていることです.朝日の記事に出て来る「図書館」が耶馬溪町の図書館なのか,それとも隣りの本耶馬溪町の図書館(1983年開館)だったのか,大分に土地勘も情報源も無い当方には調べる術とて思いつきませんが.何故か中津市立図書館のサイトでは,耶馬溪図書館のみ略年表が付いていないし_| ̄|○.

 取り敢えず,今は1992年当時に旧・耶馬溪町とJPICを非難した方々の感想が知りたいと思うところです.

2008/03/02

ニールセン/管楽五重奏曲

ニールセン/管楽五重奏曲作品43@エマニュエル・パユ,ザビーネ・マイヤー,シュテファン・シュヴァイゲルト,ジョナサン・ケリー,ラデック・バボラーク(EMI:0946 3 94421 2 6)

 2006年12月8日の録音.
 1922年,交響曲では頂点を築く交響曲第5番と同年の作品だが,のちの交響曲第6番(1925年)を予感させる,独特の「軽み」と親しみやすさを備えた佳作である.フルート,クラリネット,ファゴット,オーボエ(コーラングレ持ち替え),ホルンという楽器編成の,3楽章からなる作品だが,第3楽章の「主題と変奏」が全曲の約半分の演奏時間を要する.ホルンの響きが,如何にもニールセンらしい響きを湛えている.
 この録音は,もちろん技術的には何の問題も無く,充分な余裕を持って演奏されているのだが,どうも響きに透明感や清涼感が足りない.ブラームスやレーガーならいいのだろうが,この作品ではちょっとどうだろう?

フォーレ/ピアノ四重奏曲第1番

フォーレ/ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15@エミール・ギレリス,レオニード・コーガン,ルドルフ・バルシャイ&ムスティラフ・ロストロポーヴィチ(DG:00289 477 7476

 1958年,モスクワでのモノラル録音.
 DGにこんな録音があったんだっけ,と一瞬ビックリしたのだが,付属のリーフレットには丁寧に初出LPが記録してあり,元はウェストミンスター原盤とわかる.それにしても随分な先物買いで,ギレリス(1916-1985),コーガン(1924-1982),バルシャイ(1924-),ロストロポーヴィチ(1927-2007)と,録音時最年長のギレリスでも40代前半である.ところが,同じCDに収録されているヨーゼフ・ハイドンのピアノ三重奏曲ト短調(Hob.XV:19)とベートーヴェンの三重奏曲変ホ長調(WoO38)は1950年(!)の録音という凄まじいまでの先物買い(と言うより青田買いだ).

 しかし,このメンバーでベートーヴェンやハイドン,シューマンはともかくもフォーレ(1845-1924)を録音させるとは,当時のウェストミンスターのプロデューサーも随分な冒険をしたものである(^^;).演奏は,もちろんメンバーから想像できる通りの骨太で重厚なもの.アンサンブルには問題のあろうはずが無いが,デジタル・リマスターのためか潰れ気味の音が重厚さに拍車をかける有様.かろうじてギレリスの音の輝かしさが,フォーレのエスプリらしきものを伝えているような気がしないでも無いが,それにしてもウェストミンスターって「音の良さ」が売り物のレーベルだったはずだから,LPがこんな音で鳴っていたとは信じ難い.LPからのダビングを敢行してくれるマイナーレーベルに期待したほうがいいかもしれない.
 個人的には,過度に「フランス」を強調していない分(というか,多分にロシア風味にされている分,と言うべきか),聴きやすいフォーレではありましたけどね(^^;).

2008/03/01

ブラームス/ピアノ三重奏曲第3番

ブラームス/ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品101@アルトゥール・ルービンシュタイン,ヘンリク・シェリング&ピエール・フルニエ(RCA:BVCC-8843/8844)

 1972年9月4日から10日にかけての録音.
 現在,勤務先で蔵書点検(専門用語ですね.平たく言えば「棚卸し」)をやっているところですが,何故かこの曲のポケットスコア(オイレンブルク版)が行方不明本で出て来まして.そこで探索隊を派遣したところ,見つけてきたスコアの表紙には「E♭ major(変ホ長調)」と表記してあったという(^^;).で,標題紙には「C minor(ハ短調)」と.確かに,ハ短調も変ホ長調もフラット(♭)3つですけどねえ(-_-;).僕が最初に捜索しに行ったときは「E♭ major」に騙されて,違う作品のスコアだと思い込んでしまったわけだ.
 生半可な知識ばかり持っているから,こういうミスをしでかすことになります.要注意ですね.

 この録音は1975年にグラミー賞(実はクラシック部門があり,USA在住の演奏家がよくもらっている記憶がある.晩年のバーンスタインがグラミー賞で挨拶しているのは見たな.フィーバーする観客を二度手を上げて押さえて「二度で静まった.私もまだ,指揮者として認識されているな(^^;)」一同爆笑)を受賞した録音なんだそうで,どうもブラームスとグラミー賞という組み合わせがしっくりこないのだが(^^;),演奏もブラームスにはいささか輝かしすぎるような気がする.大物3人ががっちり組んだ,アンサンブルもよい演奏なのだが.

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