すれ違い・めぐり合い
【愚智提衡而立治之至也: 此れ臣の未だ解せざるの一なり】にブクマ(【はてなブックマーク - 愚智提衡而立治之至也: 此れ臣の未だ解せざるの一なり】)をはじめ,いろいろな感想・意見をいただくことができ,大変参考になりますとともに,寄せられたご意見の中には多少びっくりするものもありまして.
あのエントリーは,特定の誰かの意見に対しての回答とか反論とか意見とか,そういった類のことを意図して書いたものではなかったのでした.あのエントリーを書いた,もともとの動機は河北新報の記事【レコード文化後世に 天童オルゴール博物館が収集活動】(リンクが切れましたorz)を見たことによるものです.天童オルゴール博物館(リンク先を開くと音が鳴りますので,勤務先で見ている方はご注意を)による「倉庫などに眠っているレコードがあれば、譲ってほしい」という呼びかけを記事で読んで,新冠町のレ・コード館を思い出し,そこから翻って「矢祭現象」(図問研周辺では「矢祭問題」と呼んでいたようですが,最近は雨後の筍の如く同種の手法を用いて蔵書構築を図る公共図書館が続出しているので,もはや矢祭単独の「問題」ではなく,公共図書館整備のための「運動(movement)」として捉えるのが適当であり,「矢祭現象」とでも呼ぶのが適切な命名であるかと考えます)を考え直そうとはしたものの,どうしても本とレコードの間にある差異を見出すことが出来ず-これは,僕個人の経験と属性が大きく関わっているのかもしれません.小学生のときから学校図書館の,中学生のときからの公共図書館のヘヴィユーザーであり,高校時代通った県立図書館と市立図書館はレコードを貸出資料にしていましたから.それ故か,施設の種類が異なるにしても,資料の収集方法として同じ手段を取っているにもかかわらず,公共図書館のみが「本の寄贈」について批判を受けるのはどうにも解せない部分が残っているので【此れ臣の未だ解せざるの一なり】を書きました.その際,取り敢えず本とレコードが共通して抱えているもののひとつが著作権だったので,そう言えばと思いついて著作権にも言及してみたわけです.自分の率直な疑問を吐き出して,世に問うた,と書くと格好よすぎますが(^^;),とにかく,そんなスタンスでのエントリーです.
ですから,【図書館員の愛弟子: 自分自身も寄贈はしたいんですけどね】を読み「相変わらず議論がかみ合っていないな…と思います」(相手にしていただいていないかもしれませんが)。と言われて「えー」とびっくりしたのでした.roeさんに限らず,特定の誰かを想定して書いたものではなかったものですから.「相手にしてない」わけじゃなくて,むしろ議論どころか「自分語り」しかしていなかったつもりだったんですよ.ところが,【愚智提衡而立治之至也: 「全国ありがとう文庫」のことなど】以来の文脈で読まれてしまったわけですね.すみませんm(_ _)m
いずれまた,今度はみなさんのご意見を踏まえて,矢祭に関するエントリーを書きますので,しばらくお待ちください.
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