【葦岸堂之日々是日々: 練馬の貸出履歴保存一件、回答書】
相変わらず,このblogの中の人らしい皮肉と「政治」的センスにすぐれたエントリーです.悔しいけど,追いつきたくても追い越せないのが正直なところで(-_-;).
この辺り、こうした「図書館の自由」の原則に基づく発想を<古い><昔の基準を引きずっている>とする批判の論調がネットでは見られますが、「9・11」以後のアメリカ合衆国で起こっている事態として現在的な問題なんですけどね。「WEB2.0」はそういう社会性・歴史性をどう媒介しているんでしょうか? ネット論議を見る限りではどうにも読み取れません。
まったく,そう思うなら,まず自らが範を垂れよ,と嫌味のひとつも言いたくなるのですけどね(^^;).彼のヒトは,自らが取り上げた問題に対しては,既に自分で何らかの答をはじき出していながら,それを明示することなく,それを「謎」としてボールを投げ返すヒトですから.
それはさておき,例の「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」には,わざわざ「1979年改訂」という言葉が付されている,この意味は案外重要なんじゃないかと思うわけですよ.つまり,これを制定された先人も,この宣言が永久不滅の「不磨の大典」だとは考えていなかったひとつの証左にはなるだろうと.で,「1979年改訂」の理念なり内容なりが「古い」かどうかの当否はともかく,それがいま現在の状況に反応し得ているのかどうか,については,多少なりとも考える余地はあるのではないかい,と思うのですが,どんなものなのでしょうね.
例えば,誰かが言及していたように,日本図書館協会における「貸出業務へのコンピュータ導入に伴う個人情報の保護に関する基準」が1984年5月25日という日付で採択が行われた後,20年以上そのまま据え置かれて見直された形跡が無いことなど,明らかに技術の進歩が(いい意味でも悪い意味でも)「基準」を置き去りにしてしまっている現状というのは,やはり日図協の詰めが甘い,と言われても仕方が無いんじゃないかと思いますよ.そこで,僕は何処かのエントリーでレコメンドサービスについて述べたついでに「図書館側ではなく,利用者が自らの履歴をコントロールできるシステム」について,そこはかとなく言及したような気になってますが,それについては,もう少しはっきりと書いた方がよいのでしょう.
ただですねえ,自分が過去に何を借りたかを確認したい利用者って,想像以上に存在するぞ,というのがこの仕事をしていての実感でもあるわけで,少なくとも利用者の「希望」を選別し,あれは可だけどこれは不可,とするのに,「みんなの図書館」2月号掲載の「図書館は利用者の秘密を守る」(21-26頁)に見られるような官僚的発想は採用したくないんですよねえ(^^;).【葦岸堂之日々是日々】の中の人なら,それが法治における正解と言いそうですが,それならば「自由に関する宣言」の新たな改訂を視野に入れることもまた,問題ないと思うのですがね.
・・・・・・何だか,自分で書いていて何が言いたいのだかわからなくなってしまいましたが,取り敢えず未整理のまま,後考のためにここへ放り出しておきます.
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