2022年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

コメント・トラックバックの取り扱いについて

  • コメント・トラックバックをお寄せいただき,ありがとうございます.blog主が確認ののち,公開されますのでしばらくの間,お待ちいただくことがありますがご了承ください.当blogに無関係な内容のコメント・トラックバックはblog主の判断で削除されるものもあります.

「貸出至上主義者」度チェックβ版

ココログ


ほし2

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月の記事

2008/02/29

芥川也寸志/エローラ交響曲

芥川也寸志/エローラ交響曲@湯浅卓雄/ニュージーランド交響楽団(ナクソス:8.555975J)

 2002年1月29日から31日の録音.
 CDの解説書(片山杜秀執筆)に拠れば.何やら,非常に小難しいことを前提に聴かなければならないらしい,15の断片からなる,20分もかからない交響曲である.確かに小難しい顔をした作品だが,ストラヴィンスキーやプロコフィエフを聴いた耳なら,それほど音楽自体を楽しむには困らないだろう,と個人的には思うところ.芥川の音楽は,まるで体操競技の床運動のような,音とリズムの運動と饗宴に,どの作品でも聴かれる芥川の専売特許のような不思議な音色(これは,どのような理屈で作られているのか楽典に疎い僕にはよくわからない)を楽しむもので,小難しい理屈抜きでも充分に楽しめる(はず).

 図書館情報学的なモノ書きは,先月から今月にかけて少々放電し続けたので,ここらで充電期間に入ります.何か刺激されたら,放電があるかもしれないけど基本的に3月一杯充電しようと考えてますが,さて上手くいくでしょうか(^^;).

2008/02/28

シェーンベルク/浄夜

シェーンベルク/「浄夜」作品4(絃楽合奏版)@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(DG:457 721-2)

 1973年12月の録音.
 カラヤン最高の遺産のひとつである,新ヴィーン楽派管絃楽曲集の1枚ですが,しかしそのカラヤンを以ってしても,僕にはシェーンベルクはいまひとつピンと来ない作曲家なのですね(^^;).何しろ好きなのは室内交響曲第1番と「モーゼとアロン」という,随分と両極端な方向の2作品くらいで,初期の「浄夜」「ペレアスとメリザンド」「グレの歌」など,どうもよくわからない.ましてや「ピエロ・リュネール」や「管絃楽のための変奏曲」はさっぱり,ということになります.
 で,そのよくわからない「浄夜」を,カラヤンが全盛期のベルリン・フィルを完璧に練り上げて,官能的な演奏を繰り広げているこの録音.カラヤンという指揮者は,徹頭徹尾音楽の外側に立つことによって,逆に音楽の持つ内面を音楽自身により勝手に浮き上がらせようという戦略をとった指揮者ですが,ここでもその解釈は変わらず,それが却ってこの演奏の凄みを際立たせることになります.この手は,カラヤンくらいオケのアンサンブルを練り上げる才能のある指揮者でなければ出来ない芸当でしょう

2008/02/27

ブラームス/セレナーデ第2番

ブラームス/セレナーデ第2番イ長調作品16@クラウディオ・アバド/ベルリン・フィル(DG:00289 477 5424)

 1967年11月の録音.
 今日は,昨日の胃痛はかなり改善したものの,今月末締め切りのモノを抱えていて,しかもそれが残り1箇所で閊えてしまっているため,今日も生存報告のみで遁走させていただく.
 ・・・・・・「資源」の元ネタは何だったっけ(-_-;)?

2008/02/26

マーラー/交響曲第10番(クック版)

マーラー/交響曲第10番嬰ヘ長調(クック補筆完成版)@ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団(ヘンスラー:CD 93.124)

 2005年3月17日から19日の録音.
 今日は図書館だの歴史だの,朝からいろいろと書きたいことがあったのだけど,昼から猛烈な(と言うほどでもないか)胃痛に苦しめられているため,何をするにも集中できない.本を読むことさえやっとなので,取り敢えずは生存証明だけして遁走します.また明日m(_ _)m

2008/02/25

ブラームス/交響曲第4番

ブラームス/交響曲第4番ホ短調作品98@エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管絃楽団(デッカ:UCCD-3046)

 1963年3月の録音.
 一体アンセルメ(1883-1969)の独墺系音楽の演奏は,仏露系のそれほどの評価はついぞ得ず仕舞いだったようだが,ここに聴くブラームスの録音はなかなかどうして,侮り難いモノである.元来が数学者で,指揮者になるについて相談した相手がアルトゥール・ニキシュとフェリックス・ヴァインガルトナーであったことを考えると,精密機械のようなブラームスの音楽は,アンセルメの肌に合う独墺系の音楽であったような気がする.タメが無い(歌い込みが浅い)のが難ではあるものの,ベートーヴェンの録音(の一部)に聴かれるような違和感は,このブラームスには感じられない.

 ・・・・・・今日は仕事のせいか右手首が痛いので,この辺で.

2008/02/24

「図書館の自由に関する宣言 20××年改訂」の可能性

葦岸堂之日々是日々: 練馬の貸出履歴保存一件、回答書

相変わらず,このblogの中の人らしい皮肉と「政治」的センスにすぐれたエントリーです.悔しいけど,追いつきたくても追い越せないのが正直なところで(-_-;).


この辺り、こうした「図書館の自由」の原則に基づく発想を<古い><昔の基準を引きずっている>とする批判の論調がネットでは見られますが、「9・11」以後のアメリカ合衆国で起こっている事態として現在的な問題なんですけどね。「WEB2.0」はそういう社会性・歴史性をどう媒介しているんでしょうか? ネット論議を見る限りではどうにも読み取れません。
まったく,そう思うなら,まず自らが範を垂れよ,と嫌味のひとつも言いたくなるのですけどね(^^;).彼のヒトは,自らが取り上げた問題に対しては,既に自分で何らかの答をはじき出していながら,それを明示することなく,それを「謎」としてボールを投げ返すヒトですから.

 それはさておき,例の「図書館の自由に関する宣言1979年改訂」には,わざわざ「1979年改訂」という言葉が付されている,この意味は案外重要なんじゃないかと思うわけですよ.つまり,これを制定された先人も,この宣言が永久不滅の「不磨の大典」だとは考えていなかったひとつの証左にはなるだろうと.で,「1979年改訂」の理念なり内容なりが「古い」かどうかの当否はともかく,それがいま現在の状況に反応し得ているのかどうか,については,多少なりとも考える余地はあるのではないかい,と思うのですが,どんなものなのでしょうね.

 例えば,誰かが言及していたように,日本図書館協会における「貸出業務へのコンピュータ導入に伴う個人情報の保護に関する基準」が1984年5月25日という日付で採択が行われた後,20年以上そのまま据え置かれて見直された形跡が無いことなど,明らかに技術の進歩が(いい意味でも悪い意味でも)「基準」を置き去りにしてしまっている現状というのは,やはり日図協の詰めが甘い,と言われても仕方が無いんじゃないかと思いますよ.そこで,僕は何処かのエントリーでレコメンドサービスについて述べたついでに「図書館側ではなく,利用者が自らの履歴をコントロールできるシステム」について,そこはかとなく言及したような気になってますが,それについては,もう少しはっきりと書いた方がよいのでしょう.

 ただですねえ,自分が過去に何を借りたかを確認したい利用者って,想像以上に存在するぞ,というのがこの仕事をしていての実感でもあるわけで,少なくとも利用者の「希望」を選別し,あれは可だけどこれは不可,とするのに,「みんなの図書館」2月号掲載の「図書館は利用者の秘密を守る」(21-26頁)に見られるような官僚的発想は採用したくないんですよねえ(^^;).【葦岸堂之日々是日々】の中の人なら,それが法治における正解と言いそうですが,それならば「自由に関する宣言」の新たな改訂を視野に入れることもまた,問題ないと思うのですがね.


 ・・・・・・何だか,自分で書いていて何が言いたいのだかわからなくなってしまいましたが,取り敢えず未整理のまま,後考のためにここへ放り出しておきます.

チャイコフスキー/交響曲第6番

チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」@セルジュ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル(EMI:5 56523 2)

 1992年11月14日と16日のライヴを編集したもの.
 チェリビダッケのブルックナーは,シュトゥットガルトからミュンヘンに移ってテンポが格段に遅くなったものだが,ロシア音楽についてはシュトゥットガルト時代からテンポが遅いことが知られていた.NHK-FMでシュトゥットガルトでのチャイコフスキーの5番と,リムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」が放送されたとき,既に両曲ともに50分を超える演奏で,その日の番組が(当時は午後8時から10時までの2時間番組)この2曲で終わってしまったことは,もう何度か書いたような気がする(^^;).

 この「悲愴」もその例に漏れず,前後の拍手を除いても60分近い時間をかけて,峻厳に演奏している.多分にロシア風というよりはゲルマン風な解釈なのだろうが,絃の美しさもさることながら,金管の嚠喨たる音色が印象的な演奏である.

2008/02/23

プロコフィエフ/絃楽四重奏曲第1番

プロコフィエフ/絃楽四重奏曲第1番ロ短調作品50@ロシア絃楽四重奏団(アルテ・ノヴァ:74321 65427 2)

 1996年5月と6月の録音.
 プロコフィエフ(1891-1953)は交響曲などの管絃楽作品とソナタなどのピアノ曲はよく聴かれるけど,いわゆる室内楽ジャンルの作品は,ショスタコーヴィチの絃楽四重奏ほどは聴かれていないように思う.しかし,この絃楽四重奏曲第1番は埋もれてしまうには少々惜しい作品.ソ連への帰還前,1930年に作曲された3楽章からなる23分ほどの作品で,如何にもプロコフィエフらしい皮肉と「ずらし」に満ちた佳作である.恐らく,ショスタコーヴィチはこの作品の存在を知っていて,自らの絃楽四重奏曲の作曲に活かしたんじゃないか,と想像したくなるくらい,何処か面影が似ているところが面白い(^^;).

2008/02/21

ブルックナー/交響曲第1番

ブルックナー/交響曲第1番ハ短調@スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放送交響楽団(アルテ・ノヴァ:BVCE-38004)

 1995年6月13日から18日の録音.
 スクロヴァチェフスキ(1923-)は通称「ミスターS」と呼ばれる,ポーランド出身の指揮者.作曲もする.日本で人気の出る指揮者の例に漏れず(?),70歳を過ぎてから注目され出した指揮者だが,1960年代からミネアポリス交響楽団などを指揮した録音に隠れたファンが多かったらしい.職人芸でオケをキリリとまとめあげ,細部を練り合わせた上で,独特のバランスで聴かせる音色が持ち味である.
 アルテ・ノヴァでのブルックナー全集は海外でも評価の高いものだが,録音のためか解釈のためかオケのためか,ちょっと音のバランスが腰高なのが気になる演奏が多い.どうも低音が弱いというか,オケがブルックナーの大伽藍を支えきれていないような感じがする.細かいところまで神経の行き届いた,嫌味の無い,すっきりした表情の演奏なのだが.

2008/02/20

シューマン/ピアノ協奏曲

シューマン/ピアノ協奏曲イ短調作品54@ゲザ・アンダ&ラファエル・クーベリック/ベルリン・フィル(DG:415 850-2)

 1963年9月の録音.
 ゲザ・アンダ(1921-1976)はブダペスト生まれのピアニスト.同じくハンガリー出身のフェレンツ・フリッチャイとバルトークのピアノ協奏曲の素晴らしい録音を残す一方,弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲全集を録音し,そのK.467(第21番)の第2楽章が映画のサウンドトラックに使われたこともある.ここでは,クーベリックと組んで,「ピアノの吟遊詩人」とフルトヴェングラーに呼ばれたという逸話に相応しい,リリシズム溢れる好演を展開している.それでいて嫋嫋とした感じではなく,抑制されながらも出るところは出る,というダイナミズムをも感じさせるのが,アンダが生前名ピアニストとして遇された所以であろう.20年近く前の買い物で,買った当初はわからなかったけど,今聴くと,終楽章など技巧的にも余裕たっぷりに弾いているのがよくわかる.

2008/02/19

ベルリオーズ/レクィエム

ベルリオーズ/「死者のための大ミサ」作品5@ノエル・エディソン/エローラ祝祭管絃楽団(ナクソス:8.554494/554495)

 1998年11月8日から11日の録音.
 400人を超える大編成の演奏者を求める,とにもかくにも壮大なレクィエムである.初演されたパリのサン・ルイ教会の空間を考えた,編成の配置まで細かく指定されており,4つのバンダと16台のティンパニを動員した「怒りの日」がとにかく凄まじい効果を以って訴えかけてくる.生で聴いたら,音楽の内実云々の前に,その音響効果に圧倒されてしまうこと間違い無しである.今の僕なら,クルマに積んで聴くのが,一番いいこの音楽の再現環境かもしれない(^^;).
 ベルリオーズは,実に多彩な音色のパレットを持ち,それを存分に活用するだけの技術を持った作曲家だったが,惜しむらくは「全体設計」に無頓着だったか,敬愛するベートーヴェンのようなコーダがついに書けず,その音楽は壮大になればなるほど,どうしても拡散してしまう傾向を免れ得なかったように思う.

2008/02/18

シューベルト/グランド・デュオ

シューベルト/ピアノ連弾のためのソナタハ長調D.812@エフゲニー・キーシン&ジェイムズ・レヴァイン(ソニーBMG:LC00316)

 2005年5月1日,ニューヨークはカーネギー・ホールでのライヴ録音.
 連弾のためのソナタだが,ジャケット写真を見る限り1台をふたりで弾くのではなく,2台のピアノで弾いているみたい.片や技巧派で鳴らすピアニスト,こなた本業は指揮者のピアノだが,意外にしっくり噛み合っている(^^;).なかなか面白い聴きモノである.何故か,連弾を専門にするピアニストの演奏と違って,音楽が引き締まっているのが,何よりの特徴.

 しかし,疲れているときは,やはりシューベルトに限る(^^;).それも,頭脳労働で疲労困憊気味のときは,この曲のような和気藹々とした雰囲気が横溢している作品を聴いて,脳を休めるのもたまには必要なんだろうな.さすがに,意に沿わぬことがあるときも常に笑顔を絶やすなと言うのは,シンドイわ.
 では,また明日m(_ _)m

2008/02/17

ブルックナー/交響曲第7番

ブルックナー/交響曲第7番ホ長調@ジョージ・セル/ヴィーン・フィル(ソニークラシカル:SMK 47 646)

 1968年8月21日,ザルツブルク音楽祭にて,祝祭大劇場でのオーストリア国営放送によるライヴ録音.BBCと異なり,1968年の時点で,未だモノラル録音なのにガッカリである.
 
 演奏されているのがブルックナーであるにもかかわらず,実にセルらしい,感情移入の無いあっけらかんとした演奏で,しかも残響がほとんど捉えられていない録音なのか,このホールが残響に乏しいのかどちらなのかわからないが,とにかく潤いに乏しい.曲が8番ならまだしも(CBSへのセルの最後の録音が第8番で,これはそれなりに好演)第7番であるだけに,この砂を噛むような乾燥感は,演奏を楽しむのには致命傷のように聴こえて仕方が無い(^^;).ヴィーン・フィルを起用してもこれだから,手兵クリーヴランドと7番の録音を残していたら,それはそれで面白かったのかもしれないが.
 なお,ほぼ1年後にやはりザルツブルク音楽祭でのライヴで残されたヴィーン・フィルとのオール・ベートーヴェン・プログラム(オルフェオ,こちらはステレオ)は非常な熱演で,やはりセルとブルックナーの相性に問題があったということなのだろうな.

2008/02/16

ICタグの盲点

ICタグで紙のコピーにDRM - Copy & Copyright Diary

 正直に言いますが,このことは可能性としても全く失念していました.盲点を突かれました_| ̄|○

 図書館資料へのICタグとかRFIDタグとか言われているものの貼付については,僕も2002年頃から関心があって,その頃はICタグを付けることにより,ICカードを持っている利用者がICタグの付いている資料を持ち出せばそれがそのまま貸出手続きになり,貸出期間内に利用者が書架に戻せば返却になる,というシステムを夢想していたものです.
 それどころか,ICカードを持ってない利用者が図書館外に資料を持ち出そうとすると,全館に警告音が鳴り響くとともにすべての出入口がロックされ,資料の窃盗を防止するシステムや,書架にもタグを付けて書架と資料をマッチングさせることにより資料の検索をより精密に行うことを可能にしたり,ある書架に排架した資料を別の書架に戻そうとすると書架が警告を発するシステムとか,書架から資料が引き出される回数を記録してより詳細な資料の稼働率を割り出して選書に役立てよう,と何時実現するかはわからないものの,そのようなシステムの導入を本気で考えていたものです.特に自動貸出・返却と書架のシステムは,『市民の図書館』や日本図書館研究会読書調査研究グループの思想に対抗できる有力な手段であり,実装できれば素晴らしい,という話をある活字媒体に書いたこともあります.

 しかし,末廣さんご指摘のように,


ICタグを用いることで、紙のコピーにDRMが実現してしまう。
となると,話はかなり変わってきます.DRM(Digital Rights Management)自体に反対というわけではないのですが,それがICタグの貼付によってすべての書籍に適用されることになると,私的複製のためには著作権管理団体に一々お伺いを立てなきゃいけない,どころか,著作権管理団体が膨大な個人情報を捕捉・把握できる仕掛けが出来上がってしまうということにつながるわけですよね.そうしたら,これは公共図書館が利用者の貸出履歴を保存していることよりも,遙かに大きな問題を抱えることになるんじゃないでしょうか? 館種を問わず,図書館から利用者個人のコピー履歴が簡単に流出する(と,敢えて書いておきましょう)ことになるのですから,今から何らかの対策を図書館業界は考える必要があります.

 僕自身も,ICタグについては少々考えを改めなければならないようです.

ショスタコーヴィチ/交響曲第4番

ショスタコーヴィチ/交響曲第4番ハ短調作品43@ヴラディーミル・アシュケナージ/ロイヤル・フィル(ロンドン:F00L-20448)

 1989年1月の録音.
 ようやくアシュケナージが指揮者らしい演奏をするようになった頃の録音である.最近のカリンニコフの録音などではようやく克服されたようだが,このひとが指揮をするときの欠点である,旋律をつないでいく息の短さが未だ随所に聴かれて,少々居心地の悪い演奏になっている.ここでは,それを表現主義的な,キツめのアクセントでメリハリを付けることによって克服しようとしているようだが,あまり上手くいってない.
 ちなみにカリンニコフを聴くまで,僕にとっての指揮者アシュケナージ最高の演奏は,ショスタコーヴィチの「祝典序曲」だった(^^;).

何だか懐かしい風景を見ているようです

平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ : 公立図書館はもっと寄贈に対して体制を整えるべき論
はてなブックマーク - 平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ : 公立図書館はもっと寄贈に対して体制を整えるべき論

 はてブのコメントが何だかなあ,という感じで.相変わらずの反「矢祭もったいない図書館」感情については後回しにして,気になるコメントを幾つか.


それじゃぁ、本当に必要な本は集まらない。全集や百科事典ぐらいならいざ知らず、新聞縮刷版、高価な美術書、専門的な事典、その外論文集、白書や郷土史料。図書館は無料貸し本屋ではない。
一瞬,掬すべきご意見だと思ったのですが,よく読むと「郷土史料」が購入すべきものに含まれています.残念ながら,郷土資料の相当部分は灰色文献(gray literature)に近いものでして,一般の出版流通のルートに載らず売買の形での入手が難しいものなのですよ.僕も仕事で,ある方から寄贈された郷土資料を図書館の目録に載せたことがありますが,地域の篤志家や郷土史家により作成・配布された自費出版物や,発行元の如何を問わず「非売品」となっている資料の実に多かったこと.それこそ見開き4ページのパンフレットまで目録作った記憶がありますが,そのほとんどが勤務先に当時所蔵の無い資料ばかりでしたね.
 そんな経験をした身からすると,郷土資料を購入で揃えろなどというのは,それこそ机上の空論です.図書館員が自らの目と足で稼ぐ(現地まで出向いて収集する)のが一番ですが,それでも見落としていたものは寄贈されてくるのを待つかしかないのが,上記で示した郷土資料の性格上,止むを得ない収集策でしょう.

寄贈を呼びかけても狙い通りの選書が実現するとは到底考えられないところに想像が至らない限界。
公共図書館における「選書」って基本的に権力の行使なんですよね.これは業界でも意外に見過ごされている(と言うより,プロ公共図書館員は自らの立場が公務員であるにもかかわらず,自分たちを「公的権力の敵」だと看做しているので,自分たちが権力を行使しているとはゆめゆめ考えていない)ことなんですけど,だから公共図書館による「狙い通りの選書」がパターナリズムに陥らない保障は,現状では何処にも無いのです.これとほとんど同じ理由で「選書ツアー」が批判されたことを考え併せると,むしろ【平太郎独白録】の中の人の発想に,公共図書館に対する反パターナリズムの萌芽を見るのですよ,僕は.橋下徹大阪府知事は「図書館は知のセーフティネット」と言ったらしいですが(参考:葦岸堂之日々是日々: 「図書館は知のセーフティネット」と橋下知事は言っているが),権力の行使とも思わずに「選書」を惰性で行っている公共図書館の「選書」が,「知のセーフティネット」とまで持ち上げられる公共施設のすることかどうか,実際に内情を確認してみたほうがいいと思います.【本読みの記録:図書館のラインナップについて物申す】実際に,このような報告を上げている方もいらっしゃいますし.
 ついでに言えば現状では,結構な数の公共図書館の選書が,某社による納品システムを中心にしているんじゃないでしょうか?

続きを読む "何だか懐かしい風景を見ているようです" »

2008/02/15

シューベルト/交響曲D.944

シューベルト/交響曲ハ長調D.944(第9番)@カール・ベーム/ベルリン・フィル(DG:471 307-2)

 1963年6月の録音.
 ベーム(1894-1981)全盛期の充実したシューベルトである.未だカラヤン色に完全には染め上げられていなかったベルリン・フィルから,かなり渋い音色を引き出しているところも,さすがというところ.もっとも,金管はなかなか派手目になってきてはいますが(^^;).

 ところで【神功皇后陵:22日に立ち入り調査 考古学研究者が参加 - 毎日jp(毎日新聞)】これ見て思い出したけど,僕にとって「もりこういち」とは,今でも森耕一ではなく森浩一ですよ(^^;).『古墳の発掘』(中公新書)は高校生のときに買ったものを,今でも持ってます.

2008/02/14

W.A.モーツァルト/交響曲第41番

W.A.モーツァルト/交響曲ハ長調K.551(第41番)@カルロ・マリア・ジュリーニ/ベルリン・フィル(ソニークラシカル:SMK87866)

 1991年5月24日から26日の録音.
 ジュリーニ(1914-2005)やバーンスタイン(1918-1991)のようなタイプのモーツァルト演奏,つまり古楽派の影響下に無いロマンティックなタイプの演奏は,テンシュテット(1926-1998)を最後(北ドイツ放送響とのK.551のライヴ録音が出ています)に,残念ながら録音の上では滅んでしまったのでしょうか.

 当世流行の,速いテンポと鋭いアクセントを用いたものではなく,音楽を大づかみに捉えた,柔らかなアクセントでふわっと演奏する,夢見心地なアマデウスは恐らくもう過去のものなのでしょうが,僕も旧世代の切れっ端とみえて,アーノンクールのような演奏ばかりではなく,時々ジュリーニやヨッフムの「ジュピター」,バーンスタインの「プラハ」とか聴きたくなります.ベームの40番やK.297Bは,また別の流派をなすものでしょうが,旧世代の立派なアマデウスとして,ついつい感傷的になりながら聴いています.

2008/02/13

チャイコフスキー/交響曲第1番

チャイコフスキー/交響曲第1番ト短調作品13「冬の日の幻想」@エフゲニ・スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立交響楽団(メロディア/BMG:74321 34163 2)

 1967年録音.
 スヴェトラーノフ(1928-2002)最初のチャイコフスキー全集から.やはり,こう寒いとチャイコフスキーとかラフマニノフとか,ロシア系の音楽が恋しくなりますね(^^;).しかも,この第1番はチャイコフスキー自ら副題を付けただけあって,冬に相応しい雰囲気の作品です.このスヴェトラーノフの演奏は,若いときのものだけあって相当な力演(よく言われる「爆演」ではない)ですが,しっとり聴かせるべきところは思った以上に細やかな情感を出しています.とはいえ,やはり出色は終楽章のパワー全開な突進かもしれません(^^;).ムラヴィンスキーの狂気さえ漂わせる「統率された阿鼻叫喚」とはまた違った,現実主義的ではありますが一糸乱れぬ重戦車の馬力が聴けます.

もう「学問」のレベルで解決できる話じゃない

司書と書誌ーn氏の批判に答えるー - 総合歴史研究会 - Yahoo!ブログ

 僕も今,ちょっと忙しくて頭がちゃんと回っているかどうかもさだかじゃないんだけど(何しろ「n氏」と言われて真っ先に思い出したのは星新一のショートショートと真鍋博の絵だった),

愚智提衡而立治之至也: 図書館神授説

僕がいつ「書誌学を否定するかのごとき発言」を弄したというの? もう一度↑このエントリー読んでくださいよ.


書誌(特に郷土資料に限りませんが)を作成する能力は必要でしょうが,それが求められてくる場はこれまでよりも限られてきているし,これからはもっと狭められてくることになっていくでしょうね.市民から求めらているスキルは,明らかに変化していますから.
これの何処をどう読んだら書誌学を否定しているんだか? 僕は,書誌学を否定している(と言うよりは,書誌学じゃない,別の能力を図書館員に求めている)のはこちら側(図書館)じゃない,そちら側(利用者)に立っている方々なんですよ,と言っているんですがね.

 実のところ,すでに10年前には,僕も「郷土資料の書誌が書けない若い公共図書館職員」に関する嘆き節を知人の図書館関係者から聞いてますが,それまで求められてもこなかったことを,いきなり要求しても,経験も知識も無いのに出来るわけが無いだろう,と.恐らく,郷土史家が求めるレベルの「書誌」を資料を見ながら,いきなり書けるだけの修練を大学等で積んでいるのは,ぶっちゃけた話,手書きの目録カードを書いた経験のある世代まで.

 ときに,ここで「書誌」と読んでいるものは,恐らくは図書館学における目録法での「書誌記述」と,歴史学などで作られる「解題書誌」の両方が混同されているきらいがあるんだけど,例えばこれ.

会津坂下町史 / 会津坂下町史編さん委員会編

現物を入手次第,訂正を入れる予定だけど,これが間違っているの,わかります? 少なくとも,その程度には僕も仕事をしているわけで,だから「求められているスキルが変わってきている」ことは,自らの肌で感じているんですよ.僕個人は,少数派の要求を無視するようなことはしないつもりだけど,それが世代が変わってからも,何時まで続けられるかは,「書誌学」云々のレベルで決められるようなところには,もう無いの.政治と行政と民主制によって答えが導かれるレベルの話なんですよ.

2008/02/08

マーラー/交響曲第9番

マーラー/交響曲第9番ニ長調@ガリー・ベルティーニ@ケルン放送交響楽団(EMI:3 40238 2)

 1991年2月20日,サントリーホールでのライヴ録音.
 ベルティーニ(1927-2005)のマーラーは,日本から人気に火がついたようなものである.1982年だったか,都響へ客演した際の6番が場外ホームラン的な名演だったことから評判になり,日本での人気に支えられて当初は散発的だった録音が,結果的に全集として録音が成立したようなところがあるんじゃなかったかしらん?

 僕は1985年の3月に,ベルティーニが都響を振った第5番を簡易保険ホールで聴いているが,これは都響の金管がヘタレ気味だったものの,大変な好演で終了後は観客はスタンディング・オベイション,何度も指揮者がカーテンコールに呼び戻されるほどだったことを記憶している.閃光のような鋭角的な棒を振る指揮ぶりで,充実した演奏であった.

 ベルティーニの演奏は,例えばバーンスタインのように「あちら側」の世界に引っ張り込むものでもなく,ジュリーニのように神々しい清澄なものでもなく,クレンペラーのように鋼鉄の意志の世界にあるものでもない.耽美的でありながらも何処か現実主義的な匂いを漂わせている,こちら側の世界のマーラーであるが,テンシュテットのようにカオスをカオスのまま聴き手に投げつけるようなことはしない.音楽は手際よく,それこそ職人の技で磨かれている.磨かれていながらも,何処かマーラーの「裂け目」をも感じさせるという離れ業を演じているのが,ベルティーニの解釈である.

2008/02/07

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73@エドウィン・フィッシャー&ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ベルリン・フィル(EMI/新星堂:SGR-7109)

 1951年2月の録音.
 言わずと知れた,いにしえの名盤(^^;).ここに流れるのは,この作品に相応しいゆったりした「時間」と,ベートーヴェンに対する解釈への揺るぎの無い「自信」である.恐らく何度も公開の場で演奏し,練習でも反復していたであろうが,全くマニエリスムに陥ることなく,音楽する歓びと古典的な造形が高度な次元で達成されている.フィッシャー(1886-1960)は「グランドマナー」という名の派手な演出をするピアニストではなく,また正確無比のテクニシャンでも無く,むしろ地味で音楽の内面に没頭してその良さを引き出すタイプの演奏家だったが,ここでもその点で変わるところは無い.ここでは,伴奏を付けているフルトヴェングラーが天衣無縫な振りをして,実は細心の注意を払うことも出来る指揮者だったが故に,フルトヴェングラーのスケールの大きさがほどよくフィッシャーの美点を際立たせることに成功している.

NDC・NCRの電子化と公開はいつになるの?

 ところで,日本図書館協会はNDC(日本十進分類法)とNCR(日本目録規則)の各版を電子化して,有料・無料の別を問わず(さすがに一月1万円も取られたら勘弁して欲しいけど)webで公開する予定は無いのかな? できたら画像データじゃなくてテキストデータで,図書館向きにIPアドレス認証で年間3万円程度ならペイするんじゃないのかしら.いや,本当は無料で公開するのが図書館振興と日図協の宣伝を兼ねた良策だと思うけど,J-BISCで大損した日図協には,そんな余裕は無いだろうから,まあ折り合いのつきそうな価格での,有料公開でも構わないや.

 何しろ,自分で司書課程の片棒担ぐようになって10年以上立つけど,一向にNDCもNCRも電子化される気配が無い.だから『図書館講習資料』の無くなった今,学生にテキストを作るのにも余計な手間がかかるし,勤務先には「指定図書」と称して学生向けに,大量に購入するだけの余裕も無いわけで,NCRの輪読会さえ企画倒れに終わりそうな雲行きなのよね(-_-;).コピーを渡すにしても金がかかるし,ましてやこれから業界に就職できるかどうかわからない学生にNDCやNCRを購入させるのは,いささか酷というもの.え,『JLA図書館情報学テキストシリーズ』? あのね,NDCやNCRに関する教科書や解説書は,もういらないの.欲しいのは,テキストそのもの.

 K社やM社では,NDCやNCRを電子ブック事業に取り込む予定はございませんか(^^;)?

2月8日追記:
 USAでは,Library of Congressが【Cataloger's Desktop】なるページを公開しているですよ.AACR2やMARC21 Formatが有料ながらwebで見れるらしい.Single concurrent userが年間$525だから,だいたい6000円見当ですか.真面目な話,日本図書館協会は本気で考えませんか?

2008/02/06

どうなる? SBMパスファインダー

 承前

 さすがに専門家は探すのも早い.今朝出勤してメーラー立ち上げたら,もうXiggというXOOPSのモジュールを見つけてきた旨メールが入っている(^^;).見た目は「はてなブックマーク」よりも「livedoorクリップ」に似たものが出来上がりそうなモジュール.Scuttleが現在の環境で動かないのであれば,元々図書館のwebsiteを動かしているXOOPSの圏内で安全策を取った方がいいでしょう.
 というわけで,Xiggを入れることに決定.voteとコメント・トラックバック機能もあるからweb2.0っぽいサービスもゆくゆくは可能だし(今回は,試運転的状況でもあるので,そのあたりの機能は活性化しない).

 今のところ,3月中には試運転が可能になる予定でスケジュールを組んでもらうつもり.試運転までに,カテゴリーとタグを絞り込んでおかないと.自分のはてブみたいに自然語でタグが溢れかえる事態は避けないといけないからね

2008/02/05

ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調作品47@エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル(アルトゥス:ALT-002)

 1973年5月26日,東京文化会館でのNHKによるライヴ録音.
 リーフレットの裏表紙にある写真を見ると,明らかにチェロが12本いる(^^;).恐らく16-16-12-12-8という絃の編成ではないかと思われるが,恐らく現場で聴いたひとは,分厚いにもかかわらず清冽なオケの音色と,その緊密なアンサンブルに度肝を抜かれたであろう.当時の衝撃を偲ぶに足りる,いい録音が残っていたものである.ムラヴィンスキーの解釈が,ショスタコーヴィチの唯一無二の解釈だとは思わないが(と言うよりも,これは孤高の天才による,真似の仕様が無い演奏であろう),これだけのモノを聴かされてしまうと,やはりムラヴィンスキーを生で聴けたひとは幸せだったに違いない,と思わざるを得ない.カラヤンとは別の意味で,ムラヴィンスキーもまた1回限りの傑出した指揮者だったようだ.

SBMパスファインダー改め,ただの「タグクラウド」パスファインダーになるかも?

 ・・・・・・(承前)というわけで,今日は某社さんとSBMを利用したパスファインダーについて打ち合わせしました.が,どうも僕と業者さんの抱いていた「SBM」という言葉に対するイメージがズレていたらしくて,業者さんは利用者-図書館間の双方向コミュニケーションを考えたMyLibraryっぽい機能の実装を想定して,わざわざNetCommonsを調べてきてくださったのでした(^^;).僕の3歩くらい先を行ってるわ(^^;).いや,ウチが現在使用している図書館システムに「MyLibrary」機能が無いのは事実ですからねえ

 で,あれこれざっくばらんに話をして,「あれこれのようなページを,タグクラウドとコメント付ける形で簡単に作りたい」という線で内容の一致を見たのですが,せっかくweb2.0的な構想をあれこれ考えてもらったのと,現在のサーバが実装しているMySQLやphpの関係で,まずはphpのヴァージョンアップでセキュリティの強化を優先するとともに,現在図書館のwebsiteを構築しているXOOPSのモジュールでSBMっぽくタグクラウドが付けられるものがあるかどうかを確認してもらうことにしました.で,それがあればそちらを実装するか,もしくはSBMのソースをScuttleではなくPliggに変更し,web2.0っぽく図書館-利用者による双方向のコミュニケーション(vote機能で「これは役に立った!」を投票してもらう)を計るという方向か,今のところはどちらかになりそうな雰囲気です.僕の発想のみですと,現在XOOPSで作っているリンク集との差別化が難しいのと,どうも今の状態では,Scuttleが勤務先の環境で上手く動作しそうにないようなのが問題になりまして

 ・・・・・・あ,図書館間の相互協力でパスファインダー作るかも,という話をするのを忘れた_| ̄|○

2008/02/04

ブラームス/クラリネット三重奏曲

ブラームス/クラリネット三重奏曲イ短調作品114@ミシェル・ポルタル,ミハイル・ルディ&ボリス・ペルガメンシコフ(EMI:7 54466 2)

 1991年10月または12月の録音.
 ミシェル・ポルタル(1937-)はフランス生まれの,クラシックからフリージャズまでこなす異能のクラリネット奏者.ここではロシア生まれのピアニストとチェリストを従えての,ブラームスである.
 実はこの録音,初めて聴いたときから何度聴き直しても非常につまらない演奏にしか聴こえず,どうしたもんだろうと思っていたら,数年前にあるひとから「曲がつまらないんだよ」と言われて,目からウロコ(^^;).言われてみればこの作品,幾らブラームスとは言え,あまりに晦渋で余計な感情の入る余地が余りにも抑制された音楽なので,他者を受け入れる間口が非常に狭いと思う.この曲がわかるようになるまで,いったいあとどれだけの試練を人生で乗り越えなければならないのだろう,というところか.
 当方,まだまだこの境地には達してないし,恐らくこれからも達することは無いだろうな.

貸出履歴の保存は資料破壊の抑止力たりえるか?

 貸出履歴の保存の話は,すっかりレコメンドサービスの方へ流れていましたが,そもそもの発端は2008年1月11日付朝日新聞の記事


図書館の貸し出し履歴、保存 東京・練馬区「利用マナー悪化、蔵書守る」

図書館で利用者のマナーが悪化し蔵書が破損するケースが増えているとして、東京都練馬区立の11図書館が今月から、本の貸し出し履歴を一定期間職員が参照できるシステムを導入した。

ここからでしたね.その後,いち早く練馬区立に対する意見を表明したのが【東京の図書館をもっとよくする会: 「練馬区立図書館貸し出し履歴保存」報道に関して】だったものですから,敢えてそちら側には首を突っ込まないようにしていたのですが,どうやらそうも言っていられなくなってきたようですので【参考:貸出履歴の話 - 図書館を読む】,取り急ぎ一言書いておきます.

 要するに,練馬区立図書館が貸出履歴を保存することによって目指したことは,資料破壊に対する抑止効果なんでしょう.いわゆる「核抑止論」とか「死刑存置による犯罪抑止論」みたいなものを,貸出履歴の保存に求めたというわけで,それは正直,貸出履歴の利用としては逸脱であると(図書館側がコントロールできる状態化に置かれていると意味も含めて)言わざるを得ないところだとは思いますよ.明示化されないルールを以ってモラルの向上を狙う,というのは全体主義国家のやるこった,という点では東京の図書館をもっとよくする会に左袒してもいいけど,正直なところ専門職問題を労働問題として捉えている団体が提示する,資料破壊への解決策が


本を貸すときには破損していない本を貸し、本が返されたときはその場で異常がないかチェックして受取るようにするという、原則的な窓口対応を行わなければならない。本は区民の財産である。破損していれば弁償してもらう。その当然のことができなければ、切抜きや書き込みは増えるばかりである。図書館が行わなければならないのは、窓口対応の能力を向上させることである。
というのは如何なものかと思う.何よりこの解決策,練馬区民を近代市民として全く信用していないことがバレバレじゃないですか(^^;).だって「その当然のことができなければ、切抜きや書き込みは増えるばかりである。」って書いちゃっているもの.ここで提示されている解決策のようなものは,公共図書館の夜警国家化の推進に他ならないことくらい,自分たちでわからなかったのかなあ?

 破壊行為に対する抑止効果をルールに担わせるならば,むしろ図書館を設置する根拠となっている条例を改正して「当図書館を利用する者において,図書館が所蔵する資料を故意に破壊し,また故意と過失とによらず資料を破壊しその行為を隠蔽しようとした者は,3か月以下の懲役または100万円以下の過料と処す」とでも条例に明記するのがせいぜいと違いますか? それを現場での対応でカバーしようという姿勢は一見麗しいものだけど,実際には自分たちが反対している石原慎太郎の方針とコインの裏表でしかない対応をやろうとしているにすぎないことくらいは,お願いだから弁えていただきたく.結局根っ子は都下の公務員という,同じ穴の狢なんですかね.

SBMパスファインダー更にその後

 例のSBMを利用したパスファインダー構築話の続き(承前).

 出入りのSEさんが協力してくれて,テスト用にとノートパソコンを仮サーバとしてphpとMySQLを仕込み,そこへScuttleをインストールしたまではよかったのですが,起動したら画面が真っ白_| ̄|○ どこをどういじっても白い画面しか出ず,さてどうしたものかと頭を抱えたのが年の初め.

 その後,だるまさん状態で2月に突入したら突如,理由は申し上げられませんが3月までにあげること,という条件で予算が天から降ってきまして(^^;).そこで渡りに船とばかりに,XOOPSで作ってある図書館のwebsiteのセキュリティ面からのヴァージョンアップとともに,Scuttleのページ作成もプロに構築を丸投げすることになりそうです.上手くいけば,これで4月からweb上で仮稼動できるかも.

 技術面での目処が立てば,あとは運用面での取り扱いと言うことで,これについては暇を見つけて1本きちんと書いておかないといけないですね(僕以外の人間でも運用できるようにしておくためにも.僕自身,仕事を何もかも抱え込むだけの余裕はもう無い).私立大学図書館協会東地区企画広報研究分科会 パスファインダーバンクが言うところの「ナビゲーション機能」をどう担保するかが,目下の課題です.先日この話をした知人には「そこまで難しく考えなくちゃいけないの?」と言われましたが,まあ考えておいて損は無いのではないかと(^^;).結果,単なるリンク集と言われるのも癪の種なのでね.


 ・・・・・・この件,今後もあまり期待なさらずに,続報を気長にお待ちくださいm(_ _)m

2008/02/03

すれ違い・めぐり合い

 【愚智提衡而立治之至也: 此れ臣の未だ解せざるの一なり】にブクマ(【はてなブックマーク - 愚智提衡而立治之至也: 此れ臣の未だ解せざるの一なり】)をはじめ,いろいろな感想・意見をいただくことができ,大変参考になりますとともに,寄せられたご意見の中には多少びっくりするものもありまして.

 あのエントリーは,特定の誰かの意見に対しての回答とか反論とか意見とか,そういった類のことを意図して書いたものではなかったのでした.あのエントリーを書いた,もともとの動機は河北新報の記事【レコード文化後世に 天童オルゴール博物館が収集活動】(リンクが切れましたorz)を見たことによるものです.天童オルゴール博物館(リンク先を開くと音が鳴りますので,勤務先で見ている方はご注意を)による「倉庫などに眠っているレコードがあれば、譲ってほしい」という呼びかけを記事で読んで,新冠町のレ・コード館を思い出し,そこから翻って「矢祭現象」(図問研周辺では「矢祭問題」と呼んでいたようですが,最近は雨後の筍の如く同種の手法を用いて蔵書構築を図る公共図書館が続出しているので,もはや矢祭単独の「問題」ではなく,公共図書館整備のための「運動(movement)」として捉えるのが適当であり,「矢祭現象」とでも呼ぶのが適切な命名であるかと考えます)を考え直そうとはしたものの,どうしても本とレコードの間にある差異を見出すことが出来ず-これは,僕個人の経験と属性が大きく関わっているのかもしれません.小学生のときから学校図書館の,中学生のときからの公共図書館のヘヴィユーザーであり,高校時代通った県立図書館と市立図書館はレコードを貸出資料にしていましたから.それ故か,施設の種類が異なるにしても,資料の収集方法として同じ手段を取っているにもかかわらず,公共図書館のみが「本の寄贈」について批判を受けるのはどうにも解せない部分が残っているので【此れ臣の未だ解せざるの一なり】を書きました.その際,取り敢えず本とレコードが共通して抱えているもののひとつが著作権だったので,そう言えばと思いついて著作権にも言及してみたわけです.自分の率直な疑問を吐き出して,世に問うた,と書くと格好よすぎますが(^^;),とにかく,そんなスタンスでのエントリーです.

 ですから,【図書館員の愛弟子: 自分自身も寄贈はしたいんですけどね】を読み「相変わらず議論がかみ合っていないな…と思います」(相手にしていただいていないかもしれませんが)。と言われて「えー」とびっくりしたのでした.roeさんに限らず,特定の誰かを想定して書いたものではなかったものですから.「相手にしてない」わけじゃなくて,むしろ議論どころか「自分語り」しかしていなかったつもりだったんですよ.ところが,【愚智提衡而立治之至也: 「全国ありがとう文庫」のことなど】以来の文脈で読まれてしまったわけですね.すみませんm(_ _)m

 いずれまた,今度はみなさんのご意見を踏まえて,矢祭に関するエントリーを書きますので,しばらくお待ちください.

リヒャルト・シュトラウス/アルプス交響曲

リヒャルト・シュトラウス/アルプス交響曲作品64@デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管絃楽団(アルテ・ノヴァ:74321 98495 2)

 2002年2月11日-13日の録音.
 1915年に初演された,リヒャルト・シュトラウスが大管絃楽のための作曲した最後の大作である.夜明けとともに登山者(説明によっては「さすらい人」と称されることも)が登山を開始し,登頂に成功した後,暴風雨に遭いながらも下山し日没を迎えるというストーリーを逐一なぞって音楽は進行する.ウィンドマシーンだのサンダーマシーンだのを動員した4管編成の豪壮華麗なオーケストレーションを随所で展開しているにも関わらず,どこか寂しげな雰囲気が漂うのは,ニーチェからの影響によるものらしい.
 一部では,曲中のある動機が「ウルトラセブン」のテーマにそっくりであることでも有名(^^;).

 ジンマンの演奏は,音楽が過度に重々しくなることを避け,ある種の「軽み」をたたえた明るく,親しみやすいもの.カラヤンや若い頃のメータによるシュトラウスのように,脂肪分たっぷりというわけではないので,物足りないと思う聴き手がいるかもしれない.

2008/02/02

マーラー/交響曲第5番

マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調@レナード・バーンスタイン/ヴィーン・フィル(DG:476 7129)

 1987年9月の録音.
 この曲は,個人的には最近あまり聴かなくなりましたね.一時期,海外オケの来日時には必ず演奏会にかかっていたほどの人気曲でしたが,そのためか近頃は食傷気味です(^^;).冒頭の葬送行進曲から終楽章まで,実は諧謔と皮肉とユーモアがたっぷり注がれている音楽なのですが,それを感じさせてくれる演奏には,なかなかめぐり合いません.みんな意外に真面目に,この曲を「闘争から勝利へ」の図式で解釈してしまうんですね.皮肉もたっぷり聴かせてくれるのはテンシュテットと,カラヤンくらいなもので.

 それならもう,「こうなんだ!」と脇目も振らずに邁進するバーンスタインやクーベリックの録音の方が,却って好もしい,ということになりますか(^^;).ニューヨーク・フィルとの録音に比べると,テンポの変化など細かいところを動かすようになっていますが,バーンスタインの解釈の基本線は一貫してますね.旧録音の破天荒さが薄れただけ,新録音に魅力が無いと言う方がいても不思議じゃないですが,どんなものでしょうか.

2008/02/01

ラフマニノフ/「鐘」

ラフマニノフ/合唱交響曲「鐘」作品35@ドミトリー・キタエンコ/デンマーク国立放送交響楽団(シャンドス:CHAN8966)

 1991年1月18日-19日の録音.
 これを買ったとき,ラフマニノフで「鐘」というタイトルが付いているので,てっきりロシア正教の教会の鐘がごーんごーんと打ち鳴らされる様を合唱使って描いているのかと思ったら大間違い(^^;).エドガー・アラン・ポー(1809-1849)の「鐘」という詩を,コンスタンチン・バリモント(1867-1942)がロシア語に翻訳したテキストを用いて,約40分,4楽章からなるソプラノ,テノール,バリトンの独唱,合唱と3管編成の管絃楽のための,落日の絢爛たる夕映えを思わせる音楽をラフマニノフは書いたのだった.

 ちなみに,ポーの原詩はこれかな? ポーは4つの鐘(銀,金,銅,鉄)の音色をそれぞれ人生の情景に例えてうたっているそうで,如何にも厭世的な感性の持ち主だったらしいラフマニノフに相応しいものであるらしい(僕の英語力では,原詩から深いところまで読み込むのは無理.あとで何処かから日本語訳を仕入れてこないと).

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

UNIQLOCK

ついった

「愚智提衡而立治之至也」のはてなブックマーク注目エントリー

「愚智提衡而立治之至也」のはてなブックマーク人気エントリー

あわせて読みたい

  • あわせて読みたい

只今積読中

ココログ図書館ネタ