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ココログ


ほし2

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2008年1月の記事

2008/01/31

アルヴェーン/交響曲第1番

アルヴェーン/交響曲第1番へ短調作品7@ネーメ・ヤルヴィ/ストックホルム・フィル(BIS:CD-395)

 1988年2月11日と13日の録音.寒いから,やっぱり北欧系の音楽を引っ張り出します.

 このヒロイックでニールセンを髣髴させる華麗なオーケストレーションを鳴らす作品は,アルヴェーン(1872-1960)の交響曲では,もっともまとまりのいい,求心力のある交響曲ですね.2番以降,アルヴェーンの交響曲は求心力より遠心力が働くような音楽になっていきます.そこにハマるかハマらないか,の別が出て来るような気がしますが,この第1番はアルヴェーンの音楽にのめり込めないひとでも,充分に楽しむことが出来るでしょう.

2008/01/30

ショパン/幻想曲

ショパン/幻想曲ヘ短調作品49@小山実稚恵(ソニークラシカル:SRCR2458)

 1999年6月14日-17日の録音.
 最初にこの曲を聴いたとき(確かルービンシュタインのステレオ録音だった)は,最初の旋律が「雪の降るまちを」(中田喜直作曲)そっくりで仰天したんだけど,中田喜直当人が何処かに,「雪の降るまちを」とショパンのこの曲のつながりを回想的に文章化しているらしい.あいにく,出典が見つからないので真偽の程はよくわからないのだが,中田喜直はこの曲のモチーフを借用して「雪の降る町を」を書いたことは確かなようではある.
 この作品は,ショパンが自ら「幻想曲」と銘打った唯一の作品で,ソナタ形式を根っ子に据えながらも,目まぐるしいテンポの変化を多用する,不安定な雰囲気の音楽である.最後は静かに終わるかと思いきや,ポーン,ポーンと「はい,おしまい」という感じをわざわざ醸し出して終わる.

 小山の演奏は安定した好演だが,安定しているが故に,もう少し突き抜けた何か-例えば「狂気」-が欲しくなる.

此れ臣の未だ解せざるの一なり

 矢祭もったいない図書館の成功を受けて,あちこちの公共図書館もしくは文庫的な施設で,本の寄贈を受けて資料を充実させようという動きが見られるようです.今年に入ってからでも(最初の2つは同じ福島県中島村の記事ですが),

図書寄贈呼び掛け 中島の文化複合施設 - 福島民報 | 福島のニュース
中島村:「読んだ本、寄贈を」 新図書室の収蔵に余裕 /福島 - 毎日jp(毎日新聞)
神戸新聞|社会|絵本は捨てないで 全蔵書寄贈の図書館開設へ 明石市
東京新聞:空き店舗に絵本図書館 親子連れ気軽に利用 壬生の商店街 『蘭学童夢館』 蔵書500冊は町民が提供:栃木(TOKYO Web)

これだけ見つかります.また,多少毛色は異なりますが,このようなものもあります.

京都新聞電子版 - 「かえる文庫」が好評 左京 旧堰源小・中校舎】(学校統合後の廃校の蔵書を譲り受けての開館)

 しかし,どうも「寄贈による蔵書構築」というのは,いろいろな理由からか,玄人筋の評判がいまひとつのようです.それも公共図書館業界だけではなく,著作権をフィールドにしている方々からも受けが悪い.「著作権ドロボー」と声高に叫んだヒトの意見はわからないでもありませんが,以前三田誠広辺りが主張していた「消尽しない譲渡権」に反対の立場をとる方々からの,矢祭への反感というのは,ちょっと解せないものがあります.正直,拠って立つところが違うのか,と思うしかありませんが,残念なことです.

 そういえば,矢祭町が3億円かけて建物を整備した,その3億円が地方債の一種を活用したものだったらしいことに目をつけて「3億円あれば図書館を新築できる」だの「3億で本を買え」という批判も聞きますが,まず建築を知らない人間のたわごとですね.概算ですが,10万冊を開架で並べられる図書館建築は新築で25億はかかるそうです.3億じゃ逆立ちしても立ちません.某市で潰れた百貨店の建物を公共図書館に転用したら,という意見が通らなかったのも,図書館建築というものが特殊な内部構造を必要とするうえに,書籍と書架を並べても建物が崩壊しないだけの強度が必要だったため,断念したらしいですし.また,「3億で本を買え」と言ったヒトは,買った本を何処に並べておくつもりなのでしょう.露営地にでも置いておこうというのでしょうかね(^^;).
 矢祭に関して言えば,もったいない図書館に近接するJR水郡線の東館駅を改造するという手も素敵だったかもしれませんが(^^;)<<ここ「鉄」入ってますね,すみません.

 そんなことを考えている折もおり,10日ほど前の河北新報にこんな記事が載りました.

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2008/01/29

垂直構造・水平構造

図書館、書店の共存(出版不況の原因について)|黒澤公人のドキュメンテーションシステムの100年(1960年-2060年)
はてなブックマーク - 図書館、書店の共存(出版不況の原因について)|黒澤公人のドキュメンテーションシステムの100年(1960年-2060年)

 ブクマに拠れば,何故か埼玉県には,同じ建物内の違う階に公共図書館と書店が同居しているケースが何軒かあるようですね.何か考えあってのことなのか,偶々の偶然なのかよくわかりませんが(^^;).

 極めて個人的な考察では,同一の建物内で階が違うところにある公共図書館と書店の関係は,隣接する2つの建物に公共図書館と書店があることとは,必ずしも同じことである,と考えることが出来ないのですね.この感覚が何処から来るものなのか,自分でもいまひとつ不分明なところがあるので,しばし考えてみたいところです.垂直な構造と水平な構造の違いに,無意識(!?)が何か意味を見出したがっているのかもしれません.あるいは都市計画的なところの問題なのかなあ? 

 何かね,図書館の門を出るとそこに書店があった! 的な,文学的(?)なワクワク感を水平の移動では感じるけど,垂直の移動では感じ難いというか,見出し難いというか,そんな感じがしています.まあ,こんなことは,業態的には何の関係も無いことなんでしょうがね.

チャイコフスキー/交響曲第4番

チャイコフスキー/交響曲第4番ホ短調作品36@ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル(DG:419 872-2)

 1976年12月9日-10日の録音.
 このblogで既に一度ならず取り上げた録音だとは思うが,まずはカラヤン(1908-1989)全盛期の名演奏・名録音である.言葉のあらゆる意味で「完璧」とは,このような演奏を指すんじゃないかと思われるほどの完成度に達している.とにかく,LPから30年近い付き合いだが,何度聴いても飽きることが無いばかりか,その素晴らしさを堪能するのみという有様(^^;).僕にとっては,ムラヴィンスキーは別世界の演奏なのでそれはさておき,他の録音は「お呼びでない」と言いたくなる衝動に駆られる,ほとんど唯一の録音ではないかと.

 カラヤンによるベートーヴェンやブラームスの録音が忘れ去られても,カラヤンのチャイコフスキーとリヒャルト・シュトラウス,それから新ヴィーン楽派の録音は最後まで音楽愛好家の記憶に残るだろうな.

「法の下の平等」とレコメンドサービス

 でまあ,懲りもせず(^^;)「みんなの図書館」2008年2月号(No.370)を話題に載せる.特集は〈図書館の自由,いまとこれから〉.何でも図問研の自由委員会が再起動するのに合わせての特集との由.忙しくてblogにエントリーが書けなかった1月号(No.369)の特集〈としょかんきほんのき〉が意外に(失礼!)良い特集だったので(安心して図書館を勉強する学生にも薦められる),今回も期待したのだけど,残念ながらハズレである.

 中でも感心しないのは「図書館は利用者の秘密を守る」(21-26頁)という文章.これ,期せずして折からblog界隈で話題になっていた,例の練馬区立図書館における貸出履歴保存の問題と,そこから派生して話題になった,公共図書館が貸出履歴を利用してレコメンドサービスを展開することの是非(参考:貸し出し履歴保存延長問題(まとめ) - 図書館学の門をたたく**えるえす。)を,生真面目な融通の利かない公共図書館員がどう捉えるか,を考える上で非常に示唆に富んでいる.
 あわてて誤解のないように断っておくが,もちろんこの文章が直接,練馬区立の話やレコメンドサービスの話を扱っているわけではない(執筆から掲載までのタイムラグを考えても,それらが当該文の執筆の動機とは考え難い).

 当該文の筆者はこう書く.


商店などでは,お得意様セールと称して,よく来る客を優遇する場合がある.(中略)では,この手法は図書館で使えるのか.答えは否である.日常的によく利用する利用者,いわゆる常連のかたと,今日カードを作って初めて利用する利用者の間に,対応の差があってはならない.してはいけないことである.憲法第14条,地方公務員法第13条によって規定されている「法の下の平等」である.(23頁)
憲法まで持ち出して,さても,公僕の鑑であることよ,と一見もっともらしいことを書いているように見える.彼は更に

常連に「こんな本が入りましたよ」とは言えないことである.
とまで説く.この発想で考えれば,確かにblog界隈で論じられている,貸出履歴に基づくレコメンドサービスを,公共図書館員が「法の下の平等」に外れる,と考えるのも無理はないのかもしれない.

 しかし,むしろ当該文から立ち上ってくるのは過度なまでにかたくなに「結果の平等」にこだわり,「図書館の自由」にこだわり,それらを達成するためには地域のコミュニティを破壊しても構わないとする官僚乃至は擬似インテリの傲慢である.こーゆう主張を「法のために人がある」と言うのだろうか.何しろ,上記引用で「(中略)」としたところには,実はこう書いてあるのだから.


実際には,顧客を囲い込んで他の店へ行かせないようにするのが目的だと思われるが,客にとっては優遇されることが優越感をくすぐって,両者とも満足であることが多い.
これが地域住民に対する公務員の視線の実態である,としたらどうだろう.斯様に地域住民を愚民視するパターナリズムに染まりきっている公共図書館員に「法の下の平等」を説かれても,そんなものが信用できますか? 当該文の筆者が現在,マツダか三菱のクルマに乗っているのであれば,確かに筆者自身は近代の公共図書館思想が想定している近代市民なのかもしれませんがね.
 まあ,「常連に「こんな本が入りましたよ」とは言えない」これさえ許されないのであれば,公共図書館が「利用者の時間を節約する」ことは永遠の絵空事に終わるだろう.

 挙句に,大学図書館の図書館システムで取り入れられている「My Library」機能(当該文の筆者は文章では明示していないが,注記で取り上げられている大学図書館のサイトを見てみたら,明らかに「My Library」機能のことを指していると確認できる)にまで苦情を申し立てている有様である.余計なお世話だ.図書館は機能を利用する「機会」をお客に提供しているのであって,全員に機能の利用を強制しているわけでもなし.使わない自由は保障されている(と思う).

 いや,むしろ公共図書館の図書館システムに貸出履歴をコントロールできる「My Library」や「レコメンドサービス」機能を積極的に導入することにより,個々の貸出履歴を図書館側ではなくお客個々がコントロールできることになれば,貸出履歴に対する国家権力の介入が,そのまま住民の自治への介入に直結することになるのではなかろうか.公共図書館において,そのような個々による多元的な自治を目指すことの方が,近代市民社会を形成している,と形容するに相応しい社会なのではないだろうか,と愚考するのだが如何?

2008/01/28

W.A.モーツァルト/2台のピアノのための協奏曲

W.A.モーツァルト/2台のピアノのための協奏曲変ホ長調(第10番)K.365(316a)@マルコム・ビルソン,ロバート・レヴィン&ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(アルヒーフ:463 113-2)

 1987年10月の録音.
 メンバーを見ればわかるように,古楽派による演奏である.個人的に,フォルテピアノによるモーツァルトには「輝かしさ」が欠けるような気がしてならないのだが,この演奏もその例に漏れない.全体としては音楽する歓びにあふれた,すこぶる充実した好演であるにもかかわらず,聴き終わっての充足感にいまひとつ欠けるのは,フォルテピアノの渋すぎる音色のためじゃあないかと愚考している(^^;).
 昔々,N響がチック・コリアとキース・ジャレットをソリストにこの作品を演奏したのをテレビで聴いたことがあるのだが,それと同じくらいにこの録音から音楽する歓びを感じるのに,モダンピアノの方がモーツァルトには合っているように感じてしまう.不思議なものである.

2008/01/27

ベートーヴェン/交響曲第5番

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調作品67@エーリヒ・クライバー/ケルン放送交響楽団(メディチ・アーツ:MM002-2)

 1955年4月4日の放送用録音.
 今日(1月27日)は名指揮者エーリヒ・クライバー(1890-1956)の命日である.1月27日が誕生日であったW.A.モーツァルトを得意の演目にしていたクライバーに,1956年1月27日は演奏会の予定が無かったのだと言う.ある本に拠れば,フルトヴェングラー亡き後のカラヤンによるイジメの標的になっていたのが,同じような芸風の大指揮者クライバーだったと言うのだが,本当かどうかはわからない.カラヤンの死後にフリッチャイやマルケヴィチのDGへの録音が大量にCD化されたことを考え合わせると,実にありそうな話ではある.

 クライバーの「運命」には,コンセルトヘボウを振ったスタジオ録音(デッカ)もあるが,基本的な音楽の解釈は変わらない.剛毅で率直なテンポと表情の「運命」である.

2008/01/24

シベリウス/交響曲第1番

シベリウス/交響曲第1番ホ短調作品39@ロベルト・カヤヌス/交響楽団(コロンビア/フィンランディア:FACD81234)

 1930年5月録音.
 ロベルト・カヤヌス(1856-1933)はフィンランドの作曲家・指揮者で,作曲家としてもフィンランド音楽史上重要な存在のひとりだが,対外的には指揮者としてシベリウスをはじめとするフィンランドの音楽を盛んに紹介したことで名を残した.シベリウスに関しては,トマス・ビーチャムやセルゲ・クーセヴィツキーなどとともに,その十字軍として作品の広い受容に貢献している.
 この第1番の録音は,フィンランド政府の後援を受けてカヤヌスが交響曲第2番とともにコロンビア・レコードのSP盤に録音したもので,両作品の世界初録音にあたる.オーケストラ名は伏せられたまま発売されたが,他のシベリウス録音がロンドン交響楽団とのコンビであることから,恐らくはロンドンのオケではないかと思われる.
 演奏は,過度にロマンティックな叙情に溺れることなく,リズムの扱いに時々様式化したクセが聴かれるものの,さすがにスケールの大きい堂々たるもの.

2008/01/23

レコメンド!

 時間がないので推敲無しに書きなぐり.乱文悪文ご容赦m(_ _)m

 「公共図書館のレコメンドサービス」ですが,確かに片方にはAmazon的な買い物(貸出)履歴からおススメ資料を(雑誌論文だって構わないでしょ)新着資料が出る毎に,メールを自動生成してでサービスするなり,AmazonのようにIDとパスワードを入力してアクセスしたらトップページにおススメ資料がドーンと出る(先日『よつばと』関連商品をAmazonで買ったおかげで,現在僕のAmazonトップページには,涼宮ハルヒ(!)関連のフィギュアがこれでもかと出て来るのには困ったものですが)なりしたっていいんじゃないですか.当人が希望すれば.そのようなレコメンドの希望が住民の側から出ているにも関わらず,「図書館の自由」を盾に貸出履歴の利用を妨害しようってのは,どういう了見なんだかさすがの僕もよくわからない.貸出履歴が個人情報であるなら,登録した住民自らがコントロールできればいい,という話なんじゃないの? 正直,図書館の仕事を全うしないことを屁理屈で糊塗したり,個人の年金記録を勝手に見たりする公務員よりはwebのセキュリティの方が信用できるかもしれない.

 「機会」は提供したらいいじゃないですか.その機能を使うか使わないかは,貸出証を登録した住民の自由と裁量にゆだねられても,まったくおかしくないと思うのですが.何で公共図書館業界人は「すべてかゼロか」で何でも捉え考えようとするんでしょうね.レコメンドサービスの機能を備えたら,すべての登録者にサービスを提供しなくちゃいけない,という話でもありますまい.『市民の図書館』信者は何かというと「結果の平等」にこだわり,「守秘義務」にこだわるわけですが,既に幾つかのblogによってどちらもその欺瞞が指摘されているじゃないですか.

 図書館システム作成しているメーカーは,物は試しに貸出履歴に基づくレコメンド機能を付加してみたらいいんじゃないんですか? もし個別のシステムにひとつひとつ実装するのは無理かも,と言うのであればASP・SaaSだって構わないでしょう.って言うか,ASP・SaaSで公共図書館の広域サービスとしての所蔵目録を組んでしまっても,ある程度の規模の公共図書館なら複数でひとつのシステム使うということも,何とかならない話でもないんじゃないのかしらん? ひょっとしてASP・SaaSだと実入りが減ります(^^;)?


 ・・・・・・話が当初流そうと思っていたのと随分ズレました.ホントは某書店webのレコメンドサービスのような,自分で興味関心のある分野をあらかじめ登録しておいて,それを毎週の新着資料に合わせてメールを自動生成して送信するなり,ログインするとwebページに出るようにするなりするやり方の方が,貸出履歴を利用したレコメンドサービスよりは,公共図書館業界には抵抗が少ないんじゃないかしらん,という話を書くつもりだったんですよ(^^;).

ベートーヴェン/「ヴァルトシュタイン」

ベートーヴェン/ピアノ・ソナタハ長調作品53(第21番)@フレデリック・ラモンド(HMV/ビダルフ:LHW043)

 1930年5月5日の録音.
 フレデリック・ラモンド(1868-1948)はイギリスのグラスゴーに生まれ,14歳でドイツに渡ってフランツ・リストに師事したこともある,往年の大ピアニストである.何故か昨年の今頃もベートーヴェンの「悲愴」ソナタを取り上げているのだが,特に冬になると聴きたくなるようなピアニストでもない(^^;).ただの偶然だとは思うが,「悲愴」ソナタのときも指摘した「テンポのゆれ」は,この「ヴァルトシュタイン」でも凄まじい.どちらかと言えば,中庸なテンポで出発するのだが,そのテンポは自在に伸縮し,さらにはリズムの取り方が実に特徴的.いまどきのひとが聴いたら「何を大げさな表情付けを」と一笑に付しそうな音楽だが,時代がそろそろ一回りしそうな気配も漂う昨今,斯様な演奏が(その大仰さを除いたポスト・モダン風味な形で)復権することも充分にありえるだろう.

2008/01/22

シューベルト/絃楽五重奏曲

シューベルト/絃楽五重奏曲ハ長調D.956@アルバン・ベルク四重奏団&ハインリヒ・シフ(EMI:TOCE-7228)

 1982年12月の録音.
 アルバン・ベルク四重奏団も今年の8月を以って活動を停止すると伝わっている.考えてみれば,30年以上にわたって四重奏団を維持してきたばかりか,1980年代以降現在に至るまで現存する最高の絃楽四重奏団とされてきたのだから,その地位はこのあともしばらくの間は,揺るがないものなのであろう.

 ときに,僕個人はあまりアルバン・ベルク四重奏団の演奏は好きじゃなかったんですよね(^^;).例えば,このシューベルトの絃楽五重奏.確かに緊密なアンサンブルでうたごころにも事欠かない,内容の濃い演奏を聴かせてくれるのだけど,これではシューベルトが窒息してしまう.こんな高密度の密閉容器の中に押し込められたのでは,シューベルトの伸びやかさは失われてしまいかねないじゃないですか.これほどきついアクセントを音楽に込めながら,伸びやかさをなおも醸し出しているアルバン・ベルク四重奏団の演奏は,それはそれで素晴らしいものなのだろうけど,僕はもう少し緊張から解放された,緩やかで穏やかな絃楽五重奏が聴きたいですよ(^^;).それが例えば,ロストロポーヴィチが参加してDGに録音した2種の演奏(古い方がメロス四重奏団,新しいほうがエマーソン四重奏団)のように,演奏時間が60分になんなんとするような,ゆっくりした時間の流れる演奏を好む理由なのですね.


 相変わらず,図書館系blogではアツい論戦が交わされていますが,僕は年度末の土壇場になって,補講をやってから単位を出さなきゃならない羽目に陥ってしまって余裕がありません(-_-;).よって,しばらく議論への参加は見送りです.
 余裕がないのに逃避で「ウルトラセブン」のDVDなぞ見ているんだから,世話ないですがね(^^;).

2008/01/21

マーラー/交響曲第7番

マーラー/交響曲第7番ホ短調@ピエール・ブーレーズ/クリーヴランド管絃楽団(DG:POCG-1956)

 1994年11月の録音.
 ブーレーズの一連のマーラー録音では,もっとも成功している演奏じゃないかしら(1,2,4,5,8は聴いてないけど).何しろクリーヴランドの玲瓏な響きがブーレーズの情熱皆無な解釈に相応しい音色で,ブーレーズはヴィーン・フィルなど中途半端に使わずクリーヴランドのみを振ってマーラー全集を作るべきじゃなかったかね(^^;),と思わせる.

 ・・・・・・うーん,疲れが2,3日あとに出てくるというのは,年取った証拠か(-_-;).眠い眠い(-_-Zzzz.

2008/01/20

ホルスト/軍楽のための組曲第2番

ホルスト/軍楽のための組曲第2番ヘ長調作品28の2@フレデリック・フェネル/クリーヴランド・シンフォニック・ウィンズ(テラーク:CD-80038)

 1978年4月の録音.“The Cleveland Symphonic Winds”はクリーヴランド管絃楽団の管楽セクションの構成員たち.
 1911年に作曲された,それぞれ民謡を編曲し再構成した4楽章からなる,吹奏楽(原題では“Military Band”つまりは軍楽隊)編成でのオリジナル作品である.作曲の経緯などは明らかではないようだが,吹奏楽が野外での実用音楽からコンサートホールでの演奏会でも聴かれるようになる,その黎明期に作曲された重要な作品で,ホルストの盟友だったRVWや,パーシー・グレインジャーなどの作品とともに,録音,演奏される機会も増えている.
 この録音は「吹奏楽の神様」フレデリック・フェネル(1914-2004)の円熟期に,クラシカルなオーケストラの重厚な管楽セクションを振って録音された,スグレもの.吹奏楽専門のバンドがクラシック畑の作曲家が作曲した作品を演奏すると,ともすると音に深みが欠けるケースが昔はままあったが,この録音はその手の不満を全く感じさせない.


 ところで,ホルストの組曲「惑星」作品32の次の作品番号(作品33)を与えられている作品は「日本組曲」という,伊藤4兄弟の長兄伊藤道郎(1893-1961,息子がジェリー伊藤)のために作曲されたバレエ音楽なのだが,なかなか録音に出会えないこの不思議(^^;).見つけたCDは既に品切れだったりするし(-_-;).誰か「惑星」や「セント・ポール組曲」録音した余白に録ってくれないかしらん?

2008/01/19

J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第1番

J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007@ペーター・ブルンズ(OPUS111:OPS 30-176/177)

 1996年5月の録音.使用楽器は1730年ごろのカルロ・トノーニとの由.
 このチェリスト,10年前も今もあまり知られてないんじゃないかしらと思うけど,僕は好きなのね.演奏が実に人間味に溢れているというか,音楽に注ぐ眼差しがあたたかいというか,とにかく音楽に対して近寄りがたさというものをほとんど感じさせない,素敵な音楽性の持ち主だと思うのです.音楽に「神」がいても一向に構わないけど,それが崇拝の域に達して挙句に排他に作用するのはどんなものかと考えるわけで,それは実のところ図書館業界も同じ事だろうな,と.何時までも「信仰」一本槍で,現状は魔女裁判か異端審問しか道が無くなっているというのは如何なものかな?
 これからしばらくは,行く道を探す旅をしている暇はないのだけど,年度初めの何時ものドタバタが一段落したら少し考える時間を作りたいなと考えてますよ.

2008/01/18

リヒャルト・シュトラウス/英雄の生涯

リヒャルト・シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」作品40@ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管絃楽団(シャンドス:CHAN8518)

 1986年12月の録音.
 予定調和とご都合主義と管絃楽法の天才リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)最後の,華麗でエネルギッシュで悪趣味でなおかつ傑作という交響詩,と言っても作曲されたのは1898年で,シュトラウス未だ34歳のときである.ライヴァルのグスタフ・マーラー(1860-1911)はこのとき,まだ交響曲第4番を作曲していない.この作品を最後に,シュトラウスは歌劇の作曲を自らの仕事の中心に据えるようになる.

 実はいろいろあってちょっと滅入っているので,こーゆう派手な曲でも聴いて態勢を立て直そうというわけです(^^;).人生には上手くいくことよりも上手くいかないことの方が多いだろうに,上手くいったこと(と,これから上手くいくだろうこと)だけを取り上げて傑作に仕立ててしまうシュトラウスの才能には,恐れ入るしかない.
 明日が皆,無事に済みますように.

2008/01/17

マーラー/交響曲第2番

マーラー/交響曲第2番ハ短調@ブルーノ・ワルター/ニューヨーク・フィル(ソニー:SM2K 64477)

 1957年2月と1958年2月の録音.この間,ワルター(1876-1962)は心臓発作を起こして休養しているため録音が2年にわたっているが,ワルター最初のステレオ録音でもあり,ワルターがマーラーから直接薫陶を受けた指揮者である故に,この録音の価値は大きい.「では何故クレンペラーの録音と解釈が違うのか」それはワルターとクレンペラーのテンペラメントの違い.

 【阪神大震災13年:あの朝、教訓の原点 1.17から、能登、新潟、あすへ… - 毎日jp(毎日新聞)】正直なところ,今日だけあれこれ報道を,教訓を追いかけても仕方がない.ただただ,災害時に僕が何をすることが出来るか,何をすることが出来ないのか,ということの確認だけはしておくのみ,である.

 僕個人にとってもあの地震は,その後の人生の何かが変わってしまった出来事ではあるけど,これまたここで何かを書いたところで,あのとき何も出来なかったことへの贖罪の足しにもなりはしない.もし何かを書くことが僕に許されるのであれば,それは「業界団体は当てにできない」ということを初めて知ったことくらいだろうか.その後,何度も煮え湯を飲まされているのに,そのたび懲りずに同じ事で怒りを覚える僕も,進歩がないのだろう.

 今日は「復活」という愛称を持つこの作品を聴きながら,自らの来し方の情けなさと,現地の方々の苦労に思いを馳せることとする.

2008/01/16

ニールセン/交響曲第5番

ニールセン/交響曲第5番作品50@ヤッシャ・ホーレンシュタイン/ニュー・フィルハーモニア管絃楽団(ユニコーン・カンチャナ:UKCD2023)

 1969年9月29日と10月1日の録音.
 今日も寒さは募るばかりで,聴く音楽も北国を彷徨うことに(-_-;).ホーレンシュタイン(1899-1973)の演奏は大人の風格で悠揚迫らぬ,春風駘蕩に始まると見せかけて,突然凶暴なパーカッション群が襲いかかって来る,という雰囲気のモノ.それでも,何処か「終わらない冬はないです」と言いたげな雰囲気が漂っているのが面白いところですね.クレンペラーの厳しさとはちょっと違う,何でも呑み込んでしまうような包容力を感じさせる,というのがわかりやすいかな?

 今日は「図書館員に相応しいblogの書き方は?」なんて質問をされたのだけど,その場では「ウチは,今はCD批評blogだから」と流してしまいました(^^;).

2008/01/15

ヴォーン・ウィリアムズ/南極交響曲

ヴォーン・ウィリアムズ/南極交響曲(交響曲第7番)@アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団(RCA:82876-55708-2)

 1968年9月14日と16日の録音.
 今日もあまりの寒さに,南極走破に絶望的な戦いを挑んだスコット隊の悲劇を描いた映画「南極のスコット」へのBGMから再編されたRVWの「南極交響曲」を聴く.RVWが各楽章のスコア冒頭に掲げた引用句を楽章間に差し挟みながらの演奏である.元々が映画音楽であるためか,大規模な管絃楽に加えてヴォカリーズの女声合唱,ソプラノ独唱,パイプオルガン,ウィンドマシーンまで動員され描写音楽の趣きをなすが,それがリヒャルト・シュトラウスのように悪趣味寸前に堕すことがないのは,さすがにRVWの徳(?)によるものであろうか.最後,音楽がウィンドマシーンの響きとともに朧に沈んでいく様は,スコット隊の悲劇的な最後を象徴して余すところがない.

 プレヴィンの演奏は,ロンドン交響楽団の常任指揮者に就任したばかりの頃の録音だが,早くもオケを手の内に納めたばかりか,存分にドライヴしてRVWの見事な解釈を聴かせ,間然するところが無い.

2008/01/14

ショスタコーヴィチ/交響曲第7番

ショスタコーヴィチ/交響-曲第7番ハ長調作品70「レニングラード」@ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団(ヴェイトブリック:SS0028-2)

 1972年5月16日のライヴ録音(ステレオ).
 今日は一日中氷点下の真冬日,とにかく寒いので朝からロシア音楽ばかり(^^;).午前中はチャイコフスキー,午後はショスタコーヴィチ.夜も更けたころに順番が回ってきたのが,こともあろうにケーゲルが振る「レニングラード」で,寒さが骨身に染み渡るというもの.必ずしも一級のオケとも思えないライプツィヒ放送響を練りに練り上げて引きずり回すケーゲルの指揮が冴え渡っている.

 この寒い中,食料調達以外は外に出ず,杉森久英『大政翼賛会前後』(ちくま文庫,2007年12月初版)を読む.これは博覧強記で鳴らした著者にしてはもっと書きこめるところを,わざわざ筆にしなかったところがあるような本で,著者自身もそのことを「はしがき」でほのめかしているようだし,「諸君」での連載から削られた箇所もある由(鞆谷純一:満洲開拓地読書運動-中田邦造を中心に-,「図書館文化史研究」24,2007による).文庫本解説で粕谷一希が書いているように「自分の出処進退を語りつくしている」のかもしれないが,韜晦が多すぎ回想録としてそのまま一次資料に使うのは危険な感じがする.
 ちなみに僕は『大政翼賛会前後』読了後,欲求不満が昂じて酒井三郎『昭和研究会』(講談社文庫,1985年6月初版)を書棚から引っ張り出して読み直しているところ.酒井三郎は『大政翼賛会前後』にも後藤隆之助の懐刀として名前の出る人物で,『昭和研究会』を読み直すのは,ほとんど20年ぶりかと.ページを開いて,その活字の細かさに一瞬ビックリする.昔はこれが文庫本の標準だったんだよねえ(^^;).

『安来市誌』問題

東京新聞:郷土史、異例の削除要請 図書館に「差別助長」と:社会(TOKYO Web)
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郷土史に差別表現 安来市と旧伯太町 図書館で閲覧制限に - 島根 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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「「差別表現切り取って」図書館に異例の要請 市の郷土史で」話題!‐話のタネニュース:イザ!
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 正直,幾重もの意味で取り上げるのに気が重い/荷が重い話題ですが,取り上げないわけにもいきますまい.内容は産経新聞の「イザ!」が残念ながら(と言うのも,産経が「図書館の自由」を持ち出すときは,一般的に自らの立場に都合がいいとき,という経験則があるので)一番詳しい.日図協図書館の自由委員会委員長のコメントもあります.

 今回は,事象としては,全く以って事後の対応について安来市当局が下手を打ったことに尽きるでしょう.僕のように北関東で22年煮しめられ,その後20年にわたって南東北に在住している人間には感覚的にわかりにくいのですが,西日本ではその方面に関してかなり敏感なところがあるようで,公共図書館業界においても幾つもの事例が積み上げられてきたはずです(例示は避けます).おまけに近来,隣りの鳥取県のみならず島根県内でも斐川町や出雲市の公共図書館が注目され,また(その当否はともかく)ハンセン病に関する件名標目への対処依頼を発信した方が近在の鳥取県大山町在住であり,さらに昨年図問研の全国大会が島根県であったわけで,それにもかかわらず安来市当局が「公共図書館」の何たるかを全く学習していなかったことが白日の下に晒される始末となりました.恥ずかしい(-_-;).

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2008/01/13

チャイコフスキー/協奏的幻想曲

チャイコフスキー/協奏的幻想曲ト長調作品56@ピーター・ドノホー&ルドルフ・バルシャイ/ボーンマス交響楽団(EMI:5 85540 2)

 1989年7月と8月の録音.
 ピアノと管絃楽のための2楽章からなる,華麗で哀愁を帯びた旋律と技巧が華々しくピアノでかき鳴らされる作品.何でも若きオイゲン・ダルベーア(1864-1932)の演奏にインスパイアされた作品だそうで,とにかく派手で演奏効果も充分,長さも30分に少々満たない程度なので,グリーグの有名なピアノ協奏曲イ短調作品16が10回演奏されるうちの2回くらいはこちらに廻しても,聴く側の元が取れるんでないかい(^^;).と思わせるほど,演奏される機会に恵まれていないんじゃないかな,この曲は.交響曲第4番以降の,チャイコフスキーの傑作の森の作品群の中ではピアノ協奏曲第2番とともに,もう少し表舞台に立たせてあげたい作品であるよ.

 まあ,作曲者自身が「幻想曲」と名づけたくらい,変化に富んでいるといえば聞こえがいいが,とにかく音楽が散漫(!?)で次から次へと旋律が繰り出されて惜しげもなく消費されてしまう(^^;)作品なので,演奏する側にしてみればどう手をつけていいかわからない音楽なのかもしれない.そういえばダルベーア自身のピアノ協奏曲が,やっぱり散漫で求心力を欠いた音楽で,演奏家に「グランド・マナー」が備わってなければ聴けた代物じゃない(^^;)のであったことを思い出した.

 この演奏はピアノ,オケ共に技巧も解釈も健闘していると思う.何処に行ってしまうかわからない作品を,とにもかくにもまとめあげて,華麗な演奏を聴かせてくれる.

2008/01/12

渡辺美里/eyes

渡辺美里/eyes(エピックソニー:32・8H-44)

 1985年発表.
 渡辺美里のデビューアルバムである.今やすっかり貫禄がついてウチの娘たちには「友近だ!」と言われる始末だが,冗談じゃない(-_-;).

 ドラマ「セーラー服通り」(女子高生3人組のコミカルな日常を描いたこのドラマを,毎週金曜のバイト先の厨房で板前さんと見ていた.3人組のひとりが石野陽子で,もうひとりが「紘川淳」というデビューしたての若い女優さんだったことまでは覚えていたけど,残るひとりが藤原理恵だったことは,先程調べるまで忘れていたよ.それよりも何よりも,その紘川淳が芸能界を早くに引退していたことは何となく知っていたけど,今では立教大学准教授になっていたとは! 驚き桃の木山椒の木である)の主題歌になった「My Revolution」が大ブレイクしたのは翌86年1月ごろのことで,85年の暮れか86年の年頭には「My Revolution」をFMで聴き,エアチェックしてみんなに紹介した記憶がある.ところが気がつくと周囲の方が僕よりも熱を上げていたのであった(^^;).まあ僕の来し方は,当時からだいたいそんなもので,「多くの先の者は後になり,後の者が先になるであろう」という箴言を地で行くような,いろいろなことを誰よりも先に見つけてくるけどそのときはみんな「ふーん」で終わり,その後周囲が騒ぎ出すと却って醒めてしまうという役回りで,如何にも裏方稼業な図書館員に向いている?

 それはさておき,このCDウチのオーディオで聴くのは,実は初めて.学生時代にレンタルで借りてきた(いや,誰か3200円はたいて購入した友達がいたんだっけ?)CDからダビングしたテープは持っていたけど,CD自体は長いこと廃盤で入手困難になっていて(各社が出した1500円のシリーズにも入ってなかったんじゃなかったかな?)僕もほぼ完全に手に入れることを諦めていたのだが,今日たまたま何の気なしに立ち寄った近所のブックオフの,それも105円コーナーにひっそりと並んでいたのだ.心の中で「ラッキーちゃちゃちゃ,うー!」と叫んだことは言うまでもない(^^;).「My Revolution」は収録されてないけど(2ndアルバムに収録),収録曲を眺めてみると小室哲哉,岡村靖幸,後藤次利,大江千里,大村憲司,木根尚登,白井貴子,清水信之と,まあ(今から考えると)錚々たるメンバーが参加しているわけで,このアルバムの完成度の高さも当然と言えば当然か(面白いことに「My Revolution」をアレンジした大村雅朗の名前はこのアルバムにはない).感激のあまり,涙でディスプレイが見えない,と言うほどでは無いが,それにしてもよくも手に入ったものである.

 ・・・・・・うーん,今日は()書きがやたらと多い文章だ(^^;).


 「死んでるみたいに生きたくないだけ」

2008/01/11

ブラームス/交響曲第3番

ブラームス/交響曲第3番ヘ長調作品90@ジョン・バルビローリ/ヴィーン・フィル(EMI:TOCE-3095)

 1967年12月の録音.
 何か今日は非常に疲れているのか,頭が何も文章を捻り出してくれないので,取り敢えず生存報告のみで失礼します.

2008/01/10

グラズノフ/交響曲第5番

グラズノフ/交響曲第5番変ホ長調作品55@エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル(アルトゥス:ALT064)

 1979年6月8日,NHKホールでのライヴ録音.
 柴田南雄『レコードつれづれぐさ』(音楽之友社)に拠れば,ロシア革命から逃れてきた白系ロシア人の演奏家が多く滞在していた第二次大戦前の日本楽壇で,グラズノフの5番や昨日取り上げたカリンニコフの第1番などは,既に演奏されていたそうで,他の資料と付き合わせてみるとカリンニコフの日本での初演者は,かの近衛秀麿(1925年4月)だったらしい.

 それはさておき,グラズノフの音楽は一般的に旋律は美しいものの,長めの作品になるとメリハリが少なくて退屈なことがあったりもするのだが(当方,グラズノフの名曲とされるヴァイオリン協奏曲が退屈で退屈で,フィナーレのトランペットが聴こえてきてようやく「救われた」と思ってしまうヒトです),この交響曲第5番は音楽が可憐で美しい瞬間がある上に,古典的な造形による適度な求心力もある.とはいえムラヴィンスキーがチャイコフスキーやブラームスのように演奏したら壊れてしまいかねない音楽なので,さすがにムラヴィンスキーも手綱を抑え解釈を作品に合わせている.レニングラード・フィルの硬質の美音がたまらない1枚である.

2008/01/09

カリンニコフ/交響曲第1番

カリンニコフ/交響曲第1番ト短調@ネーメ・ヤルヴィ/スコティッシュ・ナショナル管絃楽団(シャンドス:CHAN8611)

 1987年4月の録音.
 間違いなく,ヴァシーリ-・カリンニコフ(1866-1901)再評価のきっかけになった録音.何処か感傷的な「懐かしさ」を感じさせるこの作品をスヴェトラーノフやアシュケナージが振ると,妙に粗暴で豪快な演奏に仕上がるのだが(それはそれで,ロシア人がカリンニコフをどう受け止めているかを考える興味ぶかい材料ではある),ヤルヴィはいたづらに豪快さを求めることなくリリックにこの音楽を振っているのが,この録音が成功している一因だろう.まず「好演」と言える.


 ・・・・・・ところで,誰ですか僕が最近,何処かの論争に首を突っ込んでいるという誤った情報をリアル世間で振り撒いている方は? 最近の図書館系blogでの論争と言えば「図書館無料/有料論争」か「図書館不要論争」あたりでしょうが,僕はどちらにも首を突っ込んではいませんよ(どちらにせよ,論陣を自blogでは張っていないという意味).『図書館戦争』をめぐる言論弾圧一件は,今のところ「論争化」しているとは言い難いですし.
 やってもいないことまで「お前さんが絡んでいるんだって」とこのblogを知らないリアル世間のひとから言われるのは,身から出た錆とは言え,願い下げです.

2008/01/08

W.A.モーツァルト/ピアノ・ソナタK.311

W.A.モーツァルト/ピアノ・ソナタ イ長調K.311@エリー・ナイ(コロッセウム:9025-12.2)

 1964年の録音.
 2008年に没後40年を迎える,両大戦間に正統派のベートーヴェン弾きとして勇名を馳せ,ヒトラー崇拝者でもあった(故に晩年は不遇であった)大ピアニスト,エリー・ナイ(1882-1968)最晩年のステレオ録音で,モーツァルトの「トルコ行進曲付きソナタ」を.録音が多少古ぼけてきており,高音や強音で時々割れるのが何とも惜しい.

 ベートーヴェン奏者としては,その雄渾なピアニズムを最晩年まで保持し続けたナイですが,このアマデウスはひたすらかわいらしく,下世話な表現をするならば「カマトト」ぶって弾いているんじゃないかしら(^^;).もちろん,K.311をベートーヴェンの最後の3つのソナタのように壮大に(鈍重に)弾く必要もないわけで,そのあたりはキチンと弾き分けているわけですね.

 ただ,正直,脂肪っ気の抜け切った音による,枯淡の境地に遊ぶピアニズムで,昨今の刺激の強いピリオド楽派的なアマデウス演奏に慣れた耳には面白くない演奏なんじゃないかなあ,と思わないでもないですね.今のピアニストなら,もっと水際立った演奏を聴かせるに違いないでしょう(特に第3楽章).

 でも,「古典」を古典らしく弾く,というのはこのような演奏のことなのでしょう,という説得力は充分に持っています.そのような意味では,大ピアニストとしての矜持は最後まで持ち続けたのかなあ,と.

2008/01/07

マーラー/交響曲第1番

マーラー/交響曲第1番ニ長調@小澤征爾/ボストン交響楽団(DG:UCCG-9292)

 1977年10月3日-17日の録音(LP[MG1106]に拠る).
 昨年の暮れにあるエントリーを書いていた際,そのエントリーを書き上げるまでマーラーの1番をとっかえひっかえ聴いていた.この作品自体,青春の甘さと大自然の抱擁感がよく体現されている音楽だが,中でもこの録音は,僕が生まれて初めて聴いた1番であり,いろいろな想い出を記憶の底から甦らせてくれる.おかげで,何かの拍子にレファレンスで尋ね人をしていたReaDで中学時代の同級生まで見つける羽目になる(しかも「所属機関確認中」ときた)(^^;).何しろ,現在も手元にある初出LPを購入したのが確か中学2年のときだったから,もう30年近く昔の話.

 現在の小澤が,この頃の小澤から大きく隔たったところに来てしまったように,聴く側も初出LPを聴いたときのような感激が失われているかと思えばそういうわけでもない(自分で言うな).いま聴いても,この録音はやっぱり名演なんだよなあ.あの頃の感激が,すっと自分の中に立ち戻ってくるのが,音楽の不思議というところですか.

 さて今年は「図書館」でも,blogを始めた頃,ホームページを立ち上げた頃,就職した頃,大学に入った頃の感激が,どれだけ自分の中に立ち戻ってくるか.これまで生きてきて,それなりにこびりついている錆や垢をこそげ落とし,古い皮衣に新しい酒が入るのかどうか試してみようじゃないですか.「感慨」ばかりじゃ人間,先へ進めませんからね.


 ・・・・・・でもね,ReaDで見かけた彼女に,何時か会えるかな(^^;),なんてちょっと思ってますよ.かれこれ25年は音信が途絶えているのだもの.

甘党の嘆き

 個人的には,近頃業界で話題の

大手自費出版社 株式会社新風舎など2社 民事再生法の適用を申請 負債25億円 - 大型倒産速報 | 帝国データバンク[TDB]

よりも

チーズケーキなどの製造販売 株式会社CCF 破産手続き開始決定受ける 負債12億6000万円 大型倒産速報 | 帝国データバンク[TDB]

後者のほうがショックが大きい_| ̄|○ だって,一度も食べてなかったんだもん.

 新風舎が自己破産でチーズケーキファクトリーが民事再生法の申請ならまだしも,と少々不謹慎なことさえ考えてしまったですがね.関係者各位ゴメンなさいm(_ _)m

2008/01/06

ベートーヴェン/交響曲第3番

ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」@ヨゼフ・カイルベルト/ハンブルク国立フィル(テルデック:3984-21335-2)

 1957年の録音.
 2008年はミュンヘンで「トリスタンとイゾルデ」を上演中に心臓発作で倒れ急逝したヨゼフ・カイルベルト(1908-1968)の生誕100年に当たる.ということで,新年第1回の「今日のBGM」はカイルベルトを記念して手兵のひとつだったハンブルク国立フィルを振っての「エロイカ」.
 いわゆる「何も足さない,何も引かない」タイプの典型とも思える剛直なスタイルで,「楽聖ベートーヴェン」をいやがうえにも意識させる,充実した演奏である.古楽派なアプローチが全盛の現在では,いささか古めかしいスタイルなのだろうが.

2008/01/01

新年のご挨拶


彼は何もなし遂げはしなかったし,これからも何もなし遂げることは無いだろう.というのも,彼は多くのことをしようとし過ぎるからだし,自分の義務のうちどれをなすべきか選択できないでいるからだ.


アルベール・カミュ『カミュの手帖』第三ノート130頁(新潮社)



今年もよろしくお願いいたします.

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