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「貸出至上主義者」度チェックβ版

民間図書館らしい企画を生み続けた船橋北口図書館を助けて下さい!(岡直樹) - READYFOR?

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2007年11月11日 - 2007年11月17日の記事

2007/11/17

ベートーヴェン/交響曲第9番

ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125@クラウディオ・アバド/ヴィーン・フィル(DG:F35G 20112)

 1986年5月の録音.
 あの,インタビューにおける発言で物議をかもしたベルリン・フィルとの録音(ソニークラシカル)ではなく,その前にDGでヴィーン・フィルと録音したもの.一言で評すれば「オーソドックス」.こう言っちゃナニだが,普通の「第9」(^^;).ヴィーン・フィルを,ある程度振れる技術を持ったうたごころのある指揮者が振ればこうなるよな,という見本みたいなもの.楽譜も恐らく,ヴィーン・フィルに備え付けてあるもので振っているんじゃないの? 第2楽章の木管にホルンを重ねる,のような慣用的な変更があちこちで聴けるし.
 とにかく安定した解釈であり,演奏なので初めて「第9」を聴くひとには勧めるけど,すれっからしな聴き手には向いていない(^^;).

2007/11/16

絶滅危惧種

 「みんなの図書館」12月号(368号)が届いたので“特集 図書館の原点を見直す”を一読してみたのだけど,これはひどい.特に巻頭の文章.現在,公共図書館がおかれている状況を全く無視するか,またはおかしなこととして論難し,ひたすら『市民の図書館』への信心を説いている.例えば,ほとんどその箇所でしか言及していない「レファレンス」に言及している箇所を取り出して,『市民の図書館』がレファレンスにも目配りが効いているかのごとき言辞を弄している.これでは信者には圧倒的な説得力を持つかもしれないが,これから『市民の図書館』を読む人間にとっては贔屓の引き倒しとなろう.『市民の図書館』は「貸出し」については予算獲得の道具とすることまで具体的に百万遍を費やしているが,レファレンスについて具体論はひとつも語っていないのだから.

 それにしても,この巻頭文,その公共図書館が属する地方自治体全体の予算がどの程度削減されたかを提示もせずに,公共図書館の予算削減のみを取り出し冒頭で嘆いているが,それでは,いまの読者は納得しないだろう.自治体における予算が幾らから幾らに減少している中で,特に公共図書館関連の予算の減少率が自治体予算の減少率を超えている,と言うのであれば話はわかるが,公共図書館関係の予算の数値のみを引き抜いてこれだけ減った,と言われてもね.元から言及されている公共図書館の予算よりも少ない予算しかもらっていないところから見たら「何を言っているんだか」と思われても仕方あるまい.要するに,公共図書館が自治体の一部門であることに配慮が行き届かない,視野の狭い立論であると言わざるを得ない.例えば同じ自治体の中で,では保育所はどのような扱いを受けているのか,また同種の文教施設-美術館,博物館,文書館等-の予算はどのように扱われているのか,そこまで言及した上で公共図書館が如何に迫害(!)されているかを,語れなければ,そんなものは公共図書館業界人の単なるひとりよがりと片付けられるのがオチである.

 巻頭の文章を含め,総じて今号の特集から立ち上ってくるのは,『市民の図書館』信奉者による公共図書館が今や「絶滅危惧種」と化しつつあると,『市民の図書館』を奉じる図問研関係者が感じている閉塞感と焦燥感のようなものである.何だか,ある種の動物愛護団体の思想と行動みたいなもので,このままでは『市民の図書館』モデルの公共図書館は絶滅が危惧されるからお金と人手をかけて手厚く保護すべきだ,と主張しているようにさえ感じられる.貸出至上主義を支えているのは公務員による横並び意識,それからパターナリズムと反知性主義だけど,今回の特集はまさにそれを象徴するような内容になっている.それが,それだけ業界における貸出至上主義の基盤も脆弱化したということを意味するのであれば,僕にとってはそれなりに喜ばしい事態なのだが,さて状況はそれほど単純ではあるまい.

 しかしこのひとたちの主張,自由民主党の農政族と保護主義の発想が同じに思えて仕方が無いのだが.つまり,「自立した市民」というものをまったく信用していないのね,彼らは.市民とは自分たちが「保護」する対象だと思っているんじゃないのかしら?


追記:
というわけで,「みんなの図書館」の特集を読んだ方は,併せて

前田章夫: 図書館(員)に欠けていた「力」,「図書館界」59(4),2007.11,p252-257

を読むことをお勧めする.この文章もあくまで「貸出」中心ではあるものの,「社会システム」の中での公共図書館と言う捉え方をしているだけ,マトモな問題提起になっているので,一読して損は無い.

ベートーヴェン/交響曲第9番

ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125@レオポルド・ストコフスキー/ロンドン交響楽団(デッカ:452 487-2)

 1967年9月の録音.一世を風靡した「フェイズ4」シリーズの1枚である.
 それにしても,やりすぎるくらいやりすぎたオーケストレーションへの加筆修正は,むしろ「ストコフスキー編曲」の名が相応しい,華麗で玩具箱をひっくり返したような「第9」に仕上がっている.それでも,第3楽章はしっとり聴かせているし,第4楽章の冒頭のように他の指揮者も手を入れているようなところで,意外にも一般的なやり方とは違う修正をしているところが,ストコフスキーの一筋縄ではいかないところ(^^;).それにしても終楽章はチェロとコントラバスを何本使っているんだろう? 低絃が実に砂を噛むようなガッチリネットリした音を聴かせる.

2007/11/15

ベートーヴェン/交響曲第9番

ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125@ジュゼッペ・シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン(DG:POCG-10056)

 1996年3月の録音.
 シノーポリのことだから,何か小難しい手の込んだ解釈で振っているのかと思えば,大した仕掛けも無く,それほど面白くも無い演奏である.真面目と言えば真面目だが,それにしても生真面目すぎる.
 僕が持っているのが日本盤なので,外盤ならシノーポリ自身が執筆した,例の如く精神医学を援用したエッセイでも掲載されているのかもしれないが,あのシノーポリのエッセイは,シノーポリ自身の演奏とは何の関係も無い代物だからなあ(^^;).「巨人の星」における大リーグボールの御託と同様の,目晦まし効果はあるかもしれないけど,シノーポリの演奏自体はもう少し本能的なもので,実際に振っているときは何も考えずに突っ走ったときの方がよい演奏が生まれることが多いと思う.シューマンの2番の旧録音やマーラーの5番がいい例.僕個人では,シノーポリの名演はエルガーの第2番(DG)に止めを刺す.

2007/11/14

ベートーヴェン/交響曲第9番

ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調作品125@エーリヒ・クライバー/ヴィーン・フィル(デッカ:425 955-2)

 1952年6月の録音.
 先日,YouTubeを散策していたら,たまたまエーリヒ・クライバー(1890-1956)が「第9」を振った映像を見つける.

これは1949年の「プラハの春」音楽祭の際に,チェコ・フィルを振ったときのリハーサルの映像だそうだが,以前取り上げたフルトヴェングラークナッパーツブッシュの指揮に比べると,とてもわかりやすい拍の取り方をしている(^^;).なるほど,この楷書体の振り方から,クライバーのかっちりしたテンポによる緩みの無い演奏が生み出されたわけだ.また,このような振り方でなければ当時の新音楽だったアルバン・ベルク(クライバーは歌劇「ヴォツェック」の初演者であるが,初演までに137回のリハーサルを繰り返したという)など,オケをドライヴするのは不可能に近かっただろうな,と感じさせる映像である.

 で,ヴィリーやクナとは異なり,クライバーには幸い,ヴィーン・フィルを振ったスタジオ録音が残されている(残されて市販されているヴィリーの「第9」はライヴ録音ばかり).この世代の指揮者で,「第9」のオーケストレーションにあまり手を入れていないのは珍しいのでは? スケールは少々物足りないものの,テンポをほとんど動かしていないにも拘らず音楽をしなやかに聴かせるクライバーの音楽性は,さすがと思わせる.

2007/11/13

ブラームス/交響曲第4番

ブラームス/交響曲第4番ホ短調作品98@セルジュ・チェリビダッケ/シュトゥットガルト放送交響楽団(DG:POCG-10157)

 1974年3月23日,ヴィースバーデンでのライヴ録音.
 結局,チェリビダッケと相性のいい作曲家は,ブラームスに止めを刺すのか(^^;).僕は昔々にNHK-FMが放送した同じ第4番のライヴ(1982年11月11日,当初この日に予定されていた演目は何とマーラーの第9番だったそうな)を持ってますけど,CD化されたこちらの演奏よりも更に好調で凄絶な,叫び声全開(ありゃ「唸り声」なんてもんじゃない,叱咤激励だ)の名演ですから.多分に「こしらえもの」の要素が強いチェリビダッケの解釈(天衣無縫にそれを達成していたフルトヴェングラーに近づくにはそうするしかなかったんじゃないか[大意],という柴田南雄の説に同意)には,精密機械のようなブラームスの音楽が適していたんじゃないですかね.
 だから,ミュンヘンに移って,ブルックナーに合わせた超微速前進主義な解釈に転じたチェリビダッケのブラームスは,意外につまらないのですよ,僕には.

2007/11/12

ニーノ・ロータ/交響曲第3番

ニーノ・ロータ/交響曲第3番ハ調@大友直人/日本フィル(キング:KICC241)

 1997年8月の録音.
 「ゴッドファーザー」「太陽がいっぱい」「山猫」などの映画音楽で知られたニーノ・ロータ(1911-1979)は,そもそもミラノ音楽院でイルデブランド・ピツェッティに師事し,さらにローマの聖チェチーリア音楽院でアルフレッド・カゼッラにも師事した,歴としたクラシックの作曲家である.イタリアの現代クラシック音楽は,(カゼッラやジャチンド・シェルシのような当時の前衛ならまだしも)なかなか国境を越えられないので,ロータは第二次大戦後に始めた映画音楽の作曲では世界的な名声を勝ち得たものの,クラシックの作曲家としてはマイナーで終わる.このあたり,やはり20世紀に生まれて映画音楽で成功しながら,一生を通じてクラシック畑の作品を書き続けたミクロス・ローザに通じるものがある.
 交響曲は番号つきの作品を3曲残しているが,第3番は1956年から1957年にかけて作曲された.特に作曲に関する動機のようなことは伝えられていないようである.師のカゼッラやヒンデミット,初期のボリス・ブラッハーに通じる新古典主義(作曲当時は「時代遅れ」の烙印を押されていたであろう)と,都会的な抒情が楽章によって使い分けられて,なかなかにモダンな雰囲気を感じさせる.しかし,これはクラシックとしても,やっぱり1920年代から30年代のセンスじゃないかしら(^^;)? そこが今になってウケ始まっているのかもしれないけど.

2007/11/11

アニジャズ 1st note

アニジャズ 1st note@東京ブラス・スタイル(ハピネット:HMCH-1007)

 まるしーは2005年.
 近頃メジャーに進出した,女性ばかり12人編成の「東京ブラス・スタイル」のデビューアルバム.アニソンをホーンセクション中心のバンドがビッグ・バンドっぽいジャズ風味で軽快に奏でていく.何しろ聴いた記憶の無いアニソンが1曲だけなので,実に安心して聴けるのがいい(^^;).どう考えても収録されているほとんどの作品が,20代前半と思しきバンドの面々が同世代的に見ていたアニメじゃないとも思うのだけど,ノリは悪くないぞ.

形式について

 【第9回図書館総合展 2日目 - 図書館を読む】から.


「パネルディスカッションのときに、案の定会場からレポートの書き方を教えるのは教員の役目ではないのかという反論が出た。」

 まだ,こんなことを言っている大学(?)図書館関係者がいるのか(^^;).この反論者,意識が10年は遅れているな,と思う.ランガナタンを持ち出すまでも無く,図書館司書がプロである所以のひとつは「利用者の時間を節約する」ことにあるわけだから,時間の節約のために必要な知識を学生に授ける(と,敢えて書く)ことは,大学図書館が果たすべき当然の役回りだろうに.それが図書館員・学生双方に有益なことだ,と言う視点が持てないようなら図書館司書なぞ辞めたほうがいい.

 ついでに言えば,大学図書館で教える「レポート・論文の書き方」ってのは,あくまでも書き方の「形式」そのもののことを指している.学生自身がレポートなり論文なりを書くモチベーションを大学図書館が教えるわけではないし,その必要も無いはず.そのあたりをごっちゃにして考えているから,「書き方を教えるのは教員の役目」という発想がしぶとく生き残っているんだろうな,と思う.

 例えば,音楽教師はソナタ形式(序奏-提示部[第1主題-第2主題-結尾]-展開部-再現部-コーダ)という形式を教えることはできるけど,そこにどのような楽想を盛り込み,どのような魅力を発散させるかは,その形式をどう活用するかも含めて,音楽を作曲する当人の才能如何にかかっているのと同様,大学図書館はレポート・論文の書き方として「序論-本論-結論」という形式を教え,レポート・論文を書く際に情報検索の技術が必要であることについては他者による「検証」の必要性,「反証可能性」の重要性を教えればよく,その先-学生が何を検索し,どのような観点からレポート・論文を書くのか-のモチベーションにまで言及する必要は皆無であり,それこそ,そこからが教員の出番である,と心得た方がよいのではないか.

 ・・・・・・と,先日久し振りで「レポート・論文の書き方」について講義した大学図書館員は考えるのだけど.

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