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「貸出至上主義者」度チェックβ版

民間図書館らしい企画を生み続けた船橋北口図書館を助けて下さい!(岡直樹) - READYFOR?

ココログ


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2007年9月16日 - 2007年9月22日の記事

2007/09/22

W.A.モーツァルト/交響曲第40番

W.A.モーツァルト/交響曲ト短調K.550(第40番)@ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団(BMG:82876 65842 2)

 1994年3月の録音.
 その晩年,明らかにオケの統率やテンポに弛緩が聴かれたカール・ベームと異なり,ヴァント(1912-2002)は最晩年に至るまで,オケに対する抜群の統率力としなやかなテンポを維持し続けることが出来たようである.この録音も80歳を過ぎたあたりでの演奏であるが,アンサンブルにもテンポにも破綻が無いどころか,見事な職人芸を聴かせてくれる.ザッハリヒで飾り気の無い,それでいて活力を聴かせてくれるモーツァルトである.

2007/09/21

J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲

J.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲BWV988@キース・ジャレット(ECM:J00J 20356)

 1989年1月,八ヶ岳高原音楽堂での録音.
 ジャズ・ピアニストとして鳴らしているキース・ジャレット(1945-)は,実は20世紀最高のクラシック音楽教師のひとりナディア・ブーランジェ(1887-1979)の門下でもある.そのことが関係しているのかどうか,この録音はジャズの要素を微塵も感じさせず,また下手に弾き崩すこともなく,「ゴルトベルク変奏曲」の持つ高雅な自発性を高度なレベルで達成している好演になっている.
 なお,ここで用いられているチェンバロは古い楽器の複製ではなく,日本の独創的なヒストリカル・チェンバロ製作者である高橋辰郎が1988年に製作したものが使用されている.ジャレットは他のバロック作品でも,チェンバロは高橋が製作したものを一貫して使用しているとの由.

2007/09/20

公共図書館の「イノヴェーション」

 「イノヴェーション(innovation)」とは,オーストリア出身の経済学者・社会学者のヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(1883-1950)が定義した言葉です.一般的には「技術革新」と訳されるようですが,むしろ経済学の方で「新結合」という訳があるように,「イノヴェーション」には単なる技術(メカニック)の新しい創造にはとどまらない意味があります.経済学・社会学の素人なりに考えてみると,それは技術,生産,流通,消費の組み合わせによるダイナミズムをあるいは新しく創造し,あるいは過去にあった組み合わせを創造的に(大胆に)組み直し,それらを新たに組織化するところまでが「イノヴェーション」という言葉が意味するところであると考えることが出来ます.

 ところで,「出版ニュース」2007年8月下旬号で,田井郁久雄氏が「行革の流れの中で-岡山市立図書館についての「事業仕分け」」と題する文章の中で,飽きもせず相変わらずの「ビジネス支援」批判を繰り返しています.自ら(あるいは自らの意見に賛同する者)が観察したビジネス支援を主たる業務としている公共図書館の部門(あるいはビジネス支援が主目的である公共図書館そのもの)が閑散としていることに対して,岡山市立図書館の盛況振りを比較し後者を激賞しています.しかし,僕はビジネス支援という,ある程度明確な目的を持つお客が来館する公共図書館と,主題に囚われることなく誰にでも開かれているのであろう公共図書館を,その差異について検討することもなく単に来館者数のみを比較することに何らかの意味があるとは考えません.また後者の職員の献身的かつ超人的な努力(それはもちろん,十二分に賞賛に値するものです)を賞賛し,後者が今後の公共図書館のあるべき姿であり,それが今後の公共図書館の繁栄を保障するかの如き田井氏の論陣には賛同しかねます.

 ここにおける田井氏の論の立て方は,例えるなら主題と利用層が限定されている専門図書館と,誰にでも開かれている公共図書館を比較してお客の多寡を比較し,専門があるが故にお客の絶対数が少ない専門図書館を「利用者が少ないからダメ図書館」と評価するに等しい,巧妙なプロパガンダです.これは,田井氏の賞賛する公共図書館のあり方が果たして現在の「民主制」や「公共性」に相応しい公共図書館のあり方であるかどうかも含めて,非常に疑問の余地がある議論の立て方でしょう.

 で,どうして田井氏や前川恒雄氏(とその取り巻き)がここまで「ビジネス支援」に対してあからさまな嫌悪を示すのかを,少々考えてみたのですが,「ビジネス支援」が話題になり始めた当初から「ビジネス支援は古くから公共図書館が行ってきたサービスのひとつであり,ことさらに新しいサービスとして取り上げるべきではないという声が常に彼らから上がります.そのような声に対して僕は「では何故,ビジネス支援という言葉が公共図書館に対して,業界の外側からもたらされ,なおかつそれを期待されるようになったんですか,と尋ねたいところではある」3年も前に書いているのですが(^^;),3年後の現在もなお,僕を納得させるような回答は業界の内側からは聞こえてこないのが実情です.現在では,ある種の出羽守の皆様が評価していたBritish Libraryのサイトにも「Services for Business」があるのに,『市民の図書館』にこだわる方々にはそれも見えないようです.

 つまるところ,田井氏や前川氏,そしてその取り巻きの方々は実のところ「ビジネス支援」に代表される動きが,公共図書館における「イノヴェーション」であることを直感的に見抜いているんじゃなかろうか,と思うのです.ひとつひとつの手法はどうあれ,その総体から紡ぎ出されるこの動きが本質的に新しい創造であることを.そして,それを「イノヴェーション」として認めることは,即ち「貸出し」を最前線に押し出すことで進めて来た彼らの公共図書館を発展させるために採用した戦術(そのバイブルが『市民の図書館』であり,『図書館の発見』初版です)の否定と崩壊につながることを,理屈ではなく感じ取っているのでしょう.ひとつひとつの行動・事象は旧来からのものであっても,その組み合わせの発想が大胆な再創造たりえれば,それは「イノヴェーション」であり,「イノヴェーション」とは旧来の手法を否定する発想の組み換えまでも含め求め得るものですから.
 ときに「ビジネス支援」が何故「イノヴェーション」たりえたのか,私見では「利用目的の具体化・明確化」「ポスト・バブル期のベンチャービジネス勃興との絶妙なマッチング」「『貸出し』に代表される排除の論理からの転換」このあたりが,ビジネス支援が公共図書館におけるイノヴェーションたる要素を満たしていると考えます.

 現在,僕らが考えなければいけないのは,そこで貸出至上主義の正典『市民の図書館』に立ち返ることではなく,公共図書館における「イノヴェーション」に相応しい,公共性と民主制を維持するための新しい科学としての公共図書館像を創造することです.本来なら100年の大計を見据えた創造を目指すことが望ましいのでしょうが,例えばこれから僕らが考えまとめる公共図書館像がよしんば10年の寿命しか持ち得なかったとしても,既に業界が30年以上しがみつき社会的寿命の尽きている『市民の図書館』に,更にこれから10年以上しがみつくことに比べれば,よほどマシなことでしょう.


 しかし,どうしてあのヒトたちは「公立図書館の単一性と不可分性」を,すべての公共図書館と図書館業界関係者に押し付けたがるのですかねえ.

フランク/交響曲

フランク/交響曲ニ短調@小澤征爾/ボストン交響楽団(DG:437 827-2)

 1991年11月の録音.
 こう言っちゃナニですが,聴いた後,見事に何も残らない.これほどスカスカで余韻もへったくれも残らないフランクも,他に無いのではないだろうか,と思ったことですよ.蒸留水だって,もう少しのどごしとか何か残りそうなものだが.

2007/09/19

マーラー/交響曲第6番

マーラー/交響曲第6番イ短調@マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団(サンフランシスコ交響楽団:821936-0001-2)

 2001年9月12日から15日にかけてのライヴを編集した録音.この録音は,確かサンフランシスコ交響楽団の自主レーベル第1作だったと記憶する.
 風貌や奏でる音楽の雰囲気から,何となく「万年青年」という感じのするティルソン・トーマス(1944-)だが,気がつけば60歳を過ぎて,いよいよUSA出身の指揮者ではダントツの存在感を示しているように感じられる.この録音は50代半ばでのものだが,若い頃のシャープな切れ味は失われつつあるものの,よりスケールアップした大柄な演奏に仕上がっている.

 実は,我が家の古いCDプレーヤー(テクニクスのSL-PS860)では,SACDを聴くことが出来ずにいたのを,その17年使ったCDプレーヤーが不安定になった(CDを読んだり読まなかったり)機会を捉えて,再生専用のCD/DVDプレーヤー(ソニーのDVP-NS53P)と取り替えたことにより,面倒な切り替えをしなくても聴くことが出来るようになったのを記録しておくために,この録音を取り上げる次第.7500円でストレスが解消されれば安いものだ(^^;)が,何となく音の解像度も上がっているように聴こえるのは気のせいかしらん?

2007/09/18

ブラームス/交響曲第2番

ブラームス/交響曲第2番ニ長調作品73@ヨーゼフ・カイルベルト/ベルリン・フィル(テルデック:WPCS-6050)

 1960年代前半の録音と思われる(某所では1962年とあった).
 カイルベルト(1908-1968)はミュンヘンとハンブルクを中心に活躍した指揮者だが,ここではベルリン・フィルを振ってのブラームスである.一発録りなのか,時々オケが細かいところをミスっているのがそのまま残っていたりもするけど,ブラームスを「語らせる」タイプの指揮者がことごとく第2番の録音に失敗している中で,カイルベルトはそれなりにオケを歌わせて,自らの重厚な音楽作りと第2番の音楽を上手くマッチングさせている.
 スウィトナー同様,取り立てて精緻でもない,今日では流行らないタイプのブラームスかもしれないが,僕は今ではあまり聴くことのないこの手の演奏,好きである(^^;).

2007/09/17

ブラームス/交響曲第1番

ブラームス/交響曲第1番ハ短調作品68@オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(エーデル・クラシックス:0002812CC)

 1986年の録音.
 最盛期のスウィトナーとシュターツカペレ・ベルリンのコンビによる,円熟のブラームス.聴く耳をそばだたせるような展開も,奇を衒うような解釈もないけれども,秋の夕焼けのような充実した音楽がそこにはある.特に終楽章のコーダに向かう燃えるような高揚,絃セクションの純朴な響きは特筆モノだろう.

2007/09/16

「図書館員の匿名性」について

 前のエントリーにうっかり書き落としたので,別のエントリーにします.

 「情報の科学と技術」9月号の竹内論文が取り上げていた「図書館員の匿名性」ですが,これは僕が学生時代に受講した某大学での,竹内さとる教授(日本図書館協会前理事長)の授業で,既に竹内先生が問題視していたことでして,今に始まった問題ではないですわ.15年程前には,僕も何処かで誰かと議論した記憶もありますし.この話をしたある友人には「とにもかくにも,企業では考えられないことだ」と痛罵されましたことですよ(^^;).

 これは竹内論文が指摘する問題もありますし,別の議論ではむしろ「図書館員の専門性」故,つまり誰がそのレファレンスを引き受けても同じ結果が得られるはずだから匿名で構わない,という意見もありました.個人的には(公共図書館においては)正規職員が公務員であったことの方が問題だった(スペシャリストではなくゼネラリストが求められていた=誰でも同じ仕事が出来る代替性が重要視されていた)と思いますが.

 でもねえ,レファレンスなどご指名があるのはありがたいのですが,人数の少ないところでは,それはそれで大変なんですよ(^^;).仕事が重なったりすると名指しが無ければ他の職員に振り分けることもできますが,そういうわけにもいかないこともありますし.しかもその主題が僕でなければお客の「時間の節約」にならないようなケースであればあるほど.あ,これは僕が有能な図書館員である,と言う話ではなく,単に僕の趣味がクラシックだから,という「芸は身を助ける」程度の話ですよ(-_-;).
 もっとも,頼りにされるうちが花ですね(^^;).がんばろっと.

マーラー/交響曲第7番

マーラー/交響曲第7番ホ短調@ジェームズ・レヴァイン/シカゴ交響楽団(BMG:BVCC-38134/38135)

 1980年7月の録音.
 最近ではマーラーの第7番も,選ぶのに難渋するほどの録音が出ているが,このレヴァイン盤がLPで出た頃は,田舎のレコード屋の棚で7番を探しても無い,などということはよくあった.同じ頃にクーベリック盤とクレンペラー盤が廉価盤で再発され,それにノイマン/チェコ・フィルのスプラフォン盤があれば御の字(^^;).それほど,この作品はマーラーの作品の中でも不人気だったと記憶する.その中で,このレヴァイン盤は当時,もっとも説得力のある名演であり,その価値はラトルやベルティーニの録音が出現した今でも,いささかも減じるものではない,と僕は思っている.ある評論家がレヴァインの音楽を「ディズニーランドの音楽」と評したそうだが,その骨太の華やかさと柔軟な音楽作りと適切なテンポ感が,この録音では見事な結実を生んでいる,と言えよう.

「場所としての図書館」試論

 【図書館情報学を学ぶ - 次世代の「場としての図書館」のあり方を自分なりに考えてみました 】に触発されたので,何か書こうと思い立ち,会員だから毎月届くのに積読のまま(技術志向じゃないもので,どうしても後回し)になっている「情報の科学と技術」の57巻9号(2007年9月)を読んでみましたが・・・・・・.

 本題に入る前に一言.特集中非常に気になったのは,実は薬師院はるみ「図書館員のあり方と電子化の進行:不安の昂進と専門職化の画策」(434-440頁)における,内容の異形さ.ジョン・コンスタブルやトマス・ガーティンが描いた風景画が整然と並ぶ中に,ひとつだけ晩年のエゴン・シーレの自画像が混ざっているような雰囲気ですね(^^;).このヒト,僕の記憶に間違いが無ければ日図研が発行する雑誌「図書館界」の常連寄稿者ですが,如何にも日図研のイデオローグらしく,『市民の図書館』(「貸出」という前川派特有の用語を使っているにもかかわらず,筆者が『市民の図書館』に依拠していることを隠そう,隠そうとしているところがまたイヤらしい)の破綻を糊塗して時代の変化と要請を否定する内容であり,今回の特集の趣旨からは明らかに浮き上がった論文なんじゃないでしょうか?

 まあ,気を取り直して(^^;).

 ・・・・・・とは言え,kunimiyaさんが取り上げている竹内比呂也「デジタルコンテンツの彼方に図書館の姿を求めて」への僕の評価はいささか両義的なもので,この論文が論じている図書館,もしくは図書館司書への評価はともかく,その前提がいささか粗雑(性急?)で,例えば,学術雑誌に区分される雑誌(特に外国誌)の新着雑誌架は電子化の進展で早晩撤去されるだろうとしても,広告収入を前提としている一般雑誌(特に国内誌,高年齢層向けの論壇雑誌などね)の雑誌架がそれとほとんど同時に撤去されるとは,僕には考えられない(古い奴だとお思いでしょうが)ため,これに基づいて「場所としての図書館」を論じるのは気が進まない(^^;)のです.そこで,取り敢えず「場所としての図書館」という言葉だけを引き取って,自由に書かせてもらいますね.

 で,ようやく本題.

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少年調書の引用本、公立図書館で閲覧中止の動き

 【愚智提衡而立治之至也: 「僕はパパを殺すことに決めた」】で懸念した通りの事態が起きているようです.

読売新聞【少年調書の引用本、公立図書館で閲覧中止の動き

どの程度まで「公共図書館」に精通している人間が,どのような立場にあってどのような判断を示しているのか(「館長」をはじめとする,決定権を有する正規職員が司書有資格者とは限らないし,たとえ有資格者でも当てにならないことは,幾多の先行事例が示しています),報道からでは何ともわかりかねますが,【はてなブックマーク - 少年調書の引用本、公立図書館で閲覧中止の動き : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)】でhimagine_no9さんがおっしゃっているように


「しかしこの問題を多くの人が検証し考察するためにも図書館での閲覧を保証してほしい」
これが,日本図書館協会が制定している「図書館の自由に関する宣言」の中に述べられている「国民の知る自由を守り」が意味するところでしょう.違いますか?

 まあ,お役人のやるリスクマネジメントは所詮,この程度の発想しか出来ないのかもしれませんが,そうしたら同じくお役人である公共図書館の正規職員が「図書館の自由」について声高に発言するのは,自家撞着って言われても仕方が無いのではありませんか>>諸賢.

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