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2007年9月9日 - 2007年9月15日の記事

2007/09/15

ロッシーニ/スターバト・マーテル

ロッシーニ/スターバト・マーテル@マルクス・クリード/ベルリン古楽アカデミー(ハルモニア・ムンディ・フランス:HMA1951693)

 1999年3月の録音.この作品の古楽派による演奏は初めて聴いたが,声楽を前面に立てた風通しのいい音楽作りで好感が持てる.

 ロッシーニ(1792-1868)は1829年,37歳で「ウィリアム・テル」を作曲した後はオペラの筆を折り,フランス政府から年金をもらいながら悠然と暮らしながら,気ままに手すさびのように作曲を続けた.
 この「スターバト・マーテル」はロッシーニ49歳の,1841年に完成した作品.元々は1831年末に,ある友人に依頼された「スターバト・マーテル」がロッシーニの病気で中絶してしまい,続きを別の作曲家に依頼して体裁を整えたもの.その合作版を依頼した友人は自分が仕えていた協会の僧院長にそれを献呈した.ところがその僧院長が亡くなると,献呈された楽譜はパリの出版者に売り飛ばされてしまい,合作版の形で出版が進められる.それを聞きつけたロッシーニは仰天して,その出版に抗議するとともに別人が作曲していた箇所も自ら作曲しなおすことにして,更に合作版を出そうとした出版者とは別の出版者から楽譜を出版することにした.この出版を巡る争いが法廷闘争にまで発展してしまうのだが,そのため否応無くこの「スターバト・マーテル」への注目度は上がってしまう.久し振りのロッシーニの新作と言うこともあり,そこを目ざとく立ち回るプロデューサーが現れて,1842年1月7日に,パリでこの作品は初演され大成功を収めることになる.

 「スターバト・マーテル Stabat Mater」は「悲しみの聖母」と訳される.14世紀の初め頃に成立した,『新約聖書』の「ヨハネ福音書」第19章に述べられる,十字架上のイエス・キリストを仰ぎ見て悲しむ聖母マリアの悲しみを,祈りや慰めの言葉とともに歌う聖歌で,古来多くの作曲家により題材として取り上げられているが,中でもジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージの「スターバト・マーテル」は以前取り上げたことがあるが,美しく悲痛な響きが全編を覆う傑作である.ロッシーニはペルゴレージの作品を若い頃に聴いて,自らは「スターバト・マーテル」は書くまいと思ったこともあったらしい.ロッシーニのこの作品は,多分にオペラティックで華やかな作風だが(第2曲のテノール・ソロのアリアなど),厳粛さを必要とする場面では充分に傷ましい音楽を書き分けており,ロッシーニの歌劇以外の作品ではよく演奏されている曲だろうか.

「僕はパパを殺すことに決めた」

 最初にお断りしておきますが,僕はこの本を読んでいません.ですから,以下の文章はその内容の当否を問題にしているものではありません.

 さて,昨日こんな出来事がありました.


奈良の放火少年調書漏えいで鑑定医宅など捜索

 奈良県田原本町で平成18年6月、医師(48)宅が全焼し母子3人が死亡した事件を題材にした書籍に、殺人などの非行事実で中等少年院送致になった長男(17)らの供述調書が引用されていた問題で、奈良地検は14日、調書の内容などを著者のフリージャーナリスト側に漏らしたとして、秘密漏示(ろうじ)容疑で、長男の精神鑑定を担当した京都市内の精神科医宅や勤務先病院の家宅捜索を始め、強制捜査に乗り出した。同容疑での強制捜査は異例で、「言論の自由」などとの関係をめぐって論議を呼びそうだ。

 問題となった書籍は、元法務省東京少年鑑別所法務教官の草薙厚子さんが今年5月、講談社から出版した「僕はパパを殺すことに決めた」。

 調べなどによると、精神科医は、当時高校1年だった長男の少年審判に際して長男の精神鑑定を担当。その後、草薙さん側に、事件の調書の写しを渡した疑いが持たれている。秘密漏示罪では、医師や弁護士らが正当な理由なく業務上知り得た秘密の漏洩(ろうえい)を禁じている。父親の医師らが著者や鑑定医を告訴していた。
(後略)

産経新聞 http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070914/jkn070914006.htm から
この件を受けて,今日(15日)の全国紙に真っ向から対立する2つの社説が出ています.

読売新聞【調書本出版 漏えいは少年法の精神にもとる
毎日新聞【社説:少年調書引用 強制捜査まで必要なのか

個人的には,読売新聞がことさら少年法を持ち出すのは天に唾するような(^^;)ものだと感じてますが,それはさておき.また,産経新聞webが意外にも,まめに著者をはじめ鳩山邦夫法相,講談社などの声を拾っていますので,興味のある方は参照してください.

 この件は早かれ遅かれ,対岸の火事に止まらず公共図書館業界に波及してくるものと思われます.全国の公共図書館各位,また日本図書館協会のリスクマネジメント能力がまたまた試される事態に陥らないよう,細心の注意を払っていただくことを,関係者に希望しておきます.なお,日本ペンクラブは既に法務省から勧告がなされた際,8月30日付で抗議の声明を出しています.【PEN声明 出版社及び著述家に対する法務省勧告に抗議する声明

2007/09/14

ショスタコーヴィチ/交響曲第15番

ショスタコーヴィチ/交響曲第15番イ長調作品141@クルト・ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(ドイツ・シャルプラッテン:TKCC-15036)

 1978年5月から6月の録音.
 実はこの交響曲の初演は1972年1月なので,初演から6年しかたっていない時点での録音である.この一筋縄ではいかない難解な交響曲を,ザンデルリンク(1912-)の指揮は相変わらず派手さを抑えた渋めの音色で,がっちりと隅々まで音楽を把握し一角一点もゆるがせにしない.このフル・オーケストラを用いた室内楽じゃなかろうか,と思えるほど薄いオーケストレーションの施された音楽を,実に丹念に演奏している.特に終楽章は,他の指揮者のこの作品の演奏よりも演奏時間が長く,ほとんど20分を費やしてその静謐なコーダまでキリキリと緊張感を持続させている.
 いま,ふと気がついたのだが,第2楽章のトロンボーンのソロが意識しているのは,マーラーの交響曲第3番の第1楽章で朗々と吹かれるトロンボーンだね.

2007/09/13

ヴァイル/ベルリン・レクィエム

ヴァイル/ベルリン・レクィエム@フィリップ・ヘレヴェッヘ/アンサンブル・ムジーク・オブリーク(ハルモニア・ムンディ・フランス:HMA1951422)

 1992年5月の録音.
 ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)とクルト・ヴァイル(1900-1950)の共同作業のひとつとして1928年に作曲された,ブレヒトのテキストによるレクィエムである.「大いなる感謝の合唱」「おぼれた少女のバラード」「記念碑」「凱旋門の下の無名戦士のための報告第1」「凱旋門の下の無名戦士のための報告第2」「大いなる感謝の合唱」の6章からなる,20分少々の作品.当然ながら,同時期に作曲された「三文オペラ」によく似た雰囲気の音楽が展開されるが,「三文オペラ」の滑稽さに代わってこの作品を支配するのは,怒りと絶望であるように感じられる.元来はローザ・ルクセンブルク(1871-1919)への追悼のメッセージがこめられていたというテキストは,検閲のために変更されたというが,音楽は充分にそのメッセージ性を残している.

 しかし,ヘレヴェッヘって古楽ばかりじゃなくて,シェーンベルクの「狂気のピエロ」も録音しているし,ヴァイルのこんな作品も録音しているんですねえ.面白いひとだ(^^;).

2007/09/12

「現場」と「研究」,「普遍」と「独創」

 単刀直入にお尋ねしますが,「現場」と「研究」は乖離していてはいけない代物なんでしょうか? いや,僕はあなたにお尋ねしているのです.

 「現場」の方々は,「研究」の側が現在見られる公共図書館の「惨状」(指定管理者委託を含めた業務委託や非正規職員の雇用がもたらす業務の非効率と不安定)を側面から支援していると主張しています(ケペル先生のblogにおける公共図書館に関する主張がweb上での好例).しかし,毎日毎日,公共図書館で繰り広げられるルーティンワークも含めた一場面,一場面における事例の積み重ねと言う,刹那的(他の場所での応用が出来るのかどうかもわからない,という意味で)な「現場」が自らを「学問」と称して闊歩したことが,公共図書館業界に『市民の図書館』の正典化をもたらし,『市民の図書館』の正典化が貸出至上主義による図書館司書の疎外という現象を生み出したことの方が,現在の公共図書館における「惨状」を説明するのにより相応しいと,僕のような立ち位置にいる人間には見えるのですね.

 刹那的な現場主義の限界は,公共図書館を語るときのケペル先生のblogにおける惨憺たる内容や,自らが属する組織と主義主張を守らんとするが余りに,「目的は手段を神聖にする」とばかりに公務員として,また公共図書館員としての倫理を踏み外してしまい,結局は公共図書館を公務員が運営することについての疑義を露呈させた,とあるblogに典型的に現れていると僕は見ますが如何.

 「現場」と「研究」における乖離(例えば,現状認識の差異)に,積極的な意義は見出せないものなのでしょうか? あるいは,見出してはいけないものなのでしょうか? いや,僕はあなたにお尋ねしているのです.

 正直に申し上げて,みなさんよく30数年前の既製服で満足していますよね.僕など中学のときから無類の制服嫌いで,お仕着せや出来合いの思考に自らを合わせることなど,今に始まったことでもなく随分前から,すっかりウンザリしております.おかげで,身内からさえ「アマノジャク」と言われる始末ですが,まあそれはともかく,自らを満足させるためにも,「哲学とはカントについて考えることではなく,カントのように考えることだ」とのひそみに倣い,原典(さすがに語学が×なので翻訳頼みではありますが)を寡聞ではありますが読み込んだ上で自分の頭と言葉で考え,綴ることを以って思考を鍛えて生きたいと,改めて思い及んでいます.

 ついでに言えば,自分の頭で考える際には「普遍的であること」と「独創的であること」を両立させるべく,どちらかと言えば前者に軸足を置いてその落とし所を考える必要があるのでしょうが,ついついそこで「独創的であること」に軸足を置いてしまうのが,多々ある失敗の原因のひとつであるところが,我ながら痛いところですね.

 でも,「現場」ではお仕着せの思考に自らを合わせることばかりが重要で,普遍を目指すのが当然で,独創的なことを考え実行するのは禁忌なのでしょうか? いや,僕はあなたにお尋ねしているのです.

ショスタコーヴィチ/交響曲第5番

ショスタコーヴィチ/交響曲第5番ニ短調作品47@クルト・ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(ベルリン・クラシックス:BC2063-2)

 1982年1月の録音.
 読売新聞【安倍首相が退陣の意向、記者会見で表明】今日のこの日に,この曲を取り上げるのはもちろん皮肉(^^;)なんだけど,正直なところ,これ以上安倍晋三政権が続いたら,他の民主制国家なら連日デモやストライキが国中で繰り広げられていても不思議じゃないところだったと思う.他ならぬ2000年代の日本だったから,何も起こらなかっただけ.1960年代だったら,日本でもデモが連日発生していたんじゃないの.

 東京新聞【道半ば 無念の退陣 参院選惨敗響く 順調な滑り出し激変】この記事に曰く


「安倍首相が進めてきた一連の「戦後レジームからの脱却」路線は、国民が真っ先に取り組んでほしいと思うテーマとは、かけ離れていたのだ。」
結局,これがすべてだったんじゃないかしらん.当人としては「改憲」を一枚看板にして祖父・岸信介の無念を晴らしたかったのだろうけど,もはや日本国憲法はこの国の生活にすっかり根付いてしまっていて,如何に自衛隊を国防軍にしたくとも,復古主義的な教育を上から押し付けたくとも,他におびただしい数の国民の関心事がある状況下では,世論に訴えるところが無かったわけではないにせよ,優先順位が間違っていたということなんでしょう.

 結果,小泉純一郎の「郵政民営化」という一枚看板の,目の付け所の冴えに今更のようにクラクラしてしまうことになります.やれやれ.

2007/09/11

ヤナーチェク/絃楽四重奏曲第2番

ヤナーチェク/絃楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」@スメタナ絃楽四重奏団(デンオン:COCO-85021)

 1976年6月の録音.
 ヤナーチェク(1854-1928)死の年に作曲された,作曲家の室内楽作品の掉尾を飾る傑作.「ないしょの手紙」というタイトルは,ヤナーチェクが晩年に愛した38歳年下の人妻との間に交わされた,10年ほどで600~700通(!)にも及ぶという手紙のことを指している.手紙の数もさることながら,その晩年の10年間には数々の傑作が生み出されたのだから,ただごとではない(^^;).何しろヤナーチェクというひとは,70歳のときに作曲した木管六重奏曲にヌケヌケと「青春」なるタイトルを付けてしまうような爺さんではあった.
 もちろん音楽の価値は,ヤナーチェクの性格や性向とは必ずしも関係があるわけでは無いが,それにしてもこの作品もいささか不思議な雰囲気を醸し出す,自由奔放な音楽である.

 ちなみに,僕はスメタナ四重奏団の最後の来日公演(1988年秋)を聴いたひとです.昔は,アルバン・ベルク四重奏団などもこの街に来たんだけどねえ(-_-;).

2007/09/10

シューマン/チェロ協奏曲

シューマン/チェロ協奏曲イ短調作品129@ヨーヨー・マ&コリン・デイヴィス/バイエルン放送交響楽団(CBSソニー:30DC5074)

 1985年10月の録音.まだ社名が「CBSソニー」だ(^^;).
 この録音当時,ヨーヨー・マ(1955-)はまだ30そこそこにもかかわらず,既に「天才」の名をほしいままにしていたチェリスト.テクニックはもう,まったく破綻も無く綺麗に流暢ににこの協奏曲をまとめている.指揮のデイヴィスもヴェテランらしいサポートで,ヨーヨー・マの蒸留水のような音楽に合わせている.

 実は,そこが気に入らないのが僕のアマノジャクたる所以で(^^;).シューマンのチェロ協奏曲からソロとオケの衝突する青臭い甘さが聴こえてこなかったら,どうしてくれようと言うのだ.この曲には,もっと破綻と不安が交錯するキリキリした雰囲気が必要なのに,すべてにおいて安定している演奏ではつまらないじゃないですか.

2007/09/09

シューベルト/交響曲ハ長調D.944

シューベルト/交響曲ハ長調(第9番)D.944@ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ベルリン・フィル(DG:447 439-2)

 1951年12月の録音.
 ヴィーンの,と言うよりは北ドイツ(ハンブルク?)のシューベルト,という厳しい趣きのある演奏.戦後のフルトヴェングラーが残したスタジオ録音の中でも,まず1,2を争うし,それどころか,シューベルトのD.944の録音の中で1,2を争うだろう桁外れの名演である.

 確か僕は中学2年のときにLP(MG6007)を入手して,そのトリコになってしまい,この録音を聴くとその頃の(今となっては)甘酸っぱい想い出までもが,演奏にまとわりつくように次から次へと思い出される始末(>_<).本来,この演奏はそんな感傷とは無縁の,背筋を伸ばして「神」の光臨を拝聴すべき音楽なのだが,それほど昔はこの録音に入れ込んでいたし,今でもその思いは変わってない.あらゆる意味であの頃に戻りたいとは思わない(いま,会いたいひとは何人かいますが)けど,この録音にあの頃めぐり合えたのは,本当に僥倖だったと思う.

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