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「貸出至上主義者」度チェックβ版

民間図書館らしい企画を生み続けた船橋北口図書館を助けて下さい!(岡直樹) - READYFOR?

ココログ


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2007年9月2日 - 2007年9月8日の記事

2007/09/08

アルヴェーン/交響曲第2番

アルヴェーン/交響曲第2番ニ長調作品11@ネーメ・ヤルヴィ/ストックホルム・フィル(BIS:BIS-CD-385)

 1987年12月の録音.
 ヒューゴ・アルヴェーン(1872-1960)の交響曲第2番(1898年作曲)は求心力よりも遠心力のはたらいたような音楽で,演奏時間50分を超える大作である.第1楽章では親しみ易い旋律が滔々と大河の如く流れ出るが,第2楽章以降はラフマニノフの第2番から甘さと親しみ易さを差っぴいたような重々しい音楽が流れていく.そのあまりのコントラストの激しさ故か,どうしても交響曲としての求心力が僕には感じられない.

 ヤルヴィの指揮は何時もの如く職人的手堅さの上にホットな情感を漂わせているものだが,この作品では静謐なところで充実と情感が欠けているようにも感じられる.「アルヴェーンとヤルヴィは相性がよくないのでは?」という声も聞くので,機会があれば他の指揮者による録音を聴いてみたいところ.

2007/09/07

ヴィヴァルディ/四季

ヴィヴァルディ/「和声と創意の試み」作品8から「四季」作品8の1-8の4@イル・ジャルディーノ・アルモニコ(テルデック:WPCS-6471)

 1993年6月の録音.
 とにかくフツーではない「四季」(^^;).いきなりテンポは停滞するし,そうかと思えばとんでもない高速で突進するし,オーケストレーションのバランスは変だし,なるほど「創意(インヴェンション)」とはこのことであったか,と妙な納得をさせられる不思議な演奏である.間違っても「癒される」ような演奏ではないので,「四季」だからと思って購入し聴き始めると,そこには別の世界が広がりかねない(!)ので注意が必要かと.
 僕のようなすれっからしにはバカウケしましたがね(^^;).

2007/09/06

ストラヴィンスキー/3楽章の交響曲

ストラヴィンスキー/3楽章の交響曲@オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管絃楽団(EMI:5 67337 2)

 1962年3月と5月の録音.
 さすがに最近は,クレンペラー(1885-1973)が同時代音楽の果敢な演奏者であったことが疑われるようなこともあるまいが,それにしてもストラヴィンスキー(1882-1971)の「3楽章の交響曲」は1945年の作品である.ストラヴィンスキーの新古典主義時代後半の作品で,かなり諧謔風味の音楽なのだが,それをクレンペラーがまた随分と格調高く演奏しているのが何とも可笑しい(^^;).
 クレンペラーがストラヴィンスキーと一緒に写った写真もあるし,「春の祭典」は演奏したのかどうか僕は知らないが,「ペトルーシュカ」は1947年改訂版による1967年3月の録音(数年前にテスタメントが世に送り出すまで発売されていなかった)があるくらいで,ストラヴィンスキーのことはある程度評価していたのだろう.

「公共図書館=無料貸本屋」説雑感

 そもそも一般的な状況としては,「公共図書館=無料貸本屋」という位置付けは『市民の図書館』が住民の支持を得るためと予算獲得のために採用した戦術ですから,それが廻り巡って自らの首を絞めているわけで,そのことについては業界の側にも責任があるわけですよ(追記:このことについては【愚智提衡而立治之至也: 違います】このエントリーも参考にしていただければ).

 でね,僕は10年以上前に,公共図書館の窓口委託が話題になっていたときだったかなと覚えてますが,「公共図書館員=公務員」であらねばならぬ,としても「公務員の既得権益護持」にしか思えない反対運動だったら,周囲の理解は得られませんよ,と,申し上げたことがありました.そうしたら「これは戦術ですから」と言う大意の返答でしたっけ.しかし結局のところ,この戦術も,使い物にならない正規職員を配置して公共図書館は熱意のある人材でなきゃダメだ,という空気を醸成されるのに逆に利用されてしまった感があります.

 例えば【かたつむりは電子図書館の夢をみるか - アウトソーシングが「不可能」な業務は存在しない、が・・・】むしろ行政の場合は,ゼネラリストは委託でも賄えるけど,スペシャリストは自前で準備するのが正当だと,僕は何年も前から言っているわけでね.「すべて公務員で!」を押し通した労働組合(自治労)的発想を採用したことが,「委託」闘争において公共図書館が敗北した原因だと思うのですよ.はっきり言ってしまえば,自治体においては総務や経理のような部署こそ委託の対象とするべきで,公共図書館や博物館のような専門的な知識と経験の必要なところこそ,ある意味採算の取れないところこそ,自前で雇用することが行政には求められるはずなのですよ.採算が取れるのであれば,第三セクターや委託をしなくとも民間が乗り出しているはずなんだから.

 ちょうど『「慰安婦」問題とは何だったのか』(大沼保昭著/中央公論新社/中公新書1900/2007年6月))という本を読み上げたところですが,この本の中で著者は


「慰安婦」問題にかかわった多くの支援団体,NGO,弁護士,学者,ジャーナリストは,みずからが政治闘争の主体であり,みずからの言動は結果責任を問われるという自覚をどれだけもっていたのだろうか.そうした自覚とリアリズムを欠いたまま,裁判闘争やメディアの圧力,国連などを利用した外圧によってみずからの主張を実現できると考え,被害者たちにそう助言してきたのではないか.こうした希望的観測のもとに被害者を引っ張ってきた支援団体や弁護団は,結果に対する責任を負うべき主体として,将来の予測と政治闘争の立て方において大きな過ちを犯したのではなかろうか.(p154-155)
と書いています.日図協や図問研,そして読書調査研究グループという貸出至上主義の牙城を抱える日図研にも,この言葉は当てはまるでしょう.そして誰よりも,過去に「『市民の図書館』はバイブル」と過日「図書館界」誌上で断言した日図協の理事長がまず,これまでの戦術の誤りを自ら認めない限りは,図書館業界に未来が開けるとは思えません.

 それにしても, 何故この業界には「公共図書館は無謬である」ことを信じて疑わない方々がこうも多いのかしらん.これまでの公共図書館の概念から運動まで,すべてが正しかったとしたら,現在の公共図書館を巡る事態はもう少し好転していそうなものですが.正しいことをしていたとしても,それが時代に受け入れられるかどうかは,また別の話,ということも承知してますが,それでもそう思わずにはいられない頑迷固陋さがこの業界には蔓延しているような気がしますよ.

 第一,業界に未だに「先進的」な公共図書館の在り様を「そこまで辿り着いていない公共図書館が沢山あるのだ」という理由で否定する意見があります.そのような意見の存在そのものは,民主制と自由主義を旨とする社会にとっては当たり前のこととはいえ,「先進的」な公共図書館をモデルとすることを極力阻止しようとするような発想があるうちは,ホントにダメですよ.「公共」図書館運動に巣食っている,多様性と寛容を否定するファシズム(スターリニズムか?)が,どれだけ世の中の公共図書館観に害をなしていることか! 


 ・・・・・・まあ,ぐだぐだと書いてきましたが,最終的には,例えば「委託される公共図書館」という「政策」が,果たして市民の支持を得ることが出来るかどうか,なんですよね.市民が委託を支持せず,公務員による直営を望めば市会議員に陳情も行われるでしょうし,市役所にもご意見が寄せられるでしょう.また昨年だったか,静岡市の計画していた委託が潰されたことには(市民運動に予断・予見を持たない)マスメディアの理解(一過性に終わらない,継続的な報道)があづかって力になったところがないとは言えないわけです.マスメディアを信用しないのは古い左翼系言論にありがちな固定観念ですが,戦術を間違えておいて後日繰言を述べても,それは引かれ者の小唄ですわ.

 まずは幅広い視点を持った戦略/グラウンドデザインがなければ,結局は場当たり的な玉砕戦術に陥るしかないのは,それこそ大東亜戦争が実証しています.公共図書館には『中小レポート』以降,責任ある団体がまとめた戦略的分析文書は存在しないわけで(『市民の図書館』は目先の戦術文書です),本当ならば,もうそこからやり直すしかない.ところが日図協には,先日の「図書館雑誌」8月号の総会・評議員会・理事会の記録を見た限り,とてもそんな余裕は無いようです.

 取り敢えず,僕らは出来るところから始めるしかないのでしょう.

2007/09/05

ドヴォルジャーク/交響曲第8番

ドヴォルジャーク/交響曲第8番ト長調作品88@オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(エーデル・クラシックス:0002812CC)

 1977年の録音.NHK交響楽団にたびたび客演し,日本でもおなじみだったスウィトナー(1922-)のドヴォルジャークとブラームスの交響曲全集を併せた8枚組の廉価盤CDから.スウィトナーのドヴォルジャークは某県立図書館から借り出して聴いた高校生の頃から欲しかったモノのひとつなので,まずは入手できたことを喜んでいるところ(^^;).

 さてこの演奏,テンポをかなり動かし突っ走るところは突っ走る熱演であるが,アンサンブルをぶち壊してまで爆走するのではなく,充分にアンサンブルを練り合わせ,縦の線を合わせた上で個性的で熱っぽい表情を付けている.ここまで指揮者の意思がオケにいきわたっているのには恐らく,相当な練習量がこの好演の裏にはあるのであろう.東ドイツのダメダメなところも今ではすっかり白日の下にさらされたから,あまりこーゆう言い回しは使いたくないけど,やっぱり「古き良き」時代はあったのだな,と懐古的な気持ちにさせられる録音である.

2007/09/04

ブルックナー/交響曲第1番

ブルックナー/交響曲第1番ハ短調@エリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団(テルデック:0630-14195-2)

 1987年1月の録音.
 実はブルックナーの1番って好きな曲で(^^;),昔はヨッフムの旧盤(DG)くらいしか入手できなかったのを繰り返し聴いたものです.おかげでそれが刷り込まれちゃって,他の演奏には多少不満を感じてしまうのが何とも.ヨッフムの新盤(EMI)でも我慢できないことがあるくらいですから.
 その中で,このインバル盤はマシな方.少々テンポを動かしすぎるのが難ですが,颯爽とした響きがいい.逆にテンポがもっともしっくりくるアバド盤(DG)は,せっかくヴィーン・フィルを起用しているのに音が寝ちゃっていてブルックナーらしくないところがダメ.

2007/09/03

本寄贈呼び掛けから1年・・・

 先日(8月26日)の福島民友新聞3面に「本寄贈呼び掛けから1年・・・ 「図書の町」誕生へ着々」という,矢祭もったいない図書館の記事が大きく掲載されました.何でも「ライブラリーオブザイヤー2007」の最終選考に残ったとか(福島民友8月16日付記事参照).この記事,「経過」「現状」「課題」などを丹念に跡付けた,大変に好意的なトーンで書かれており,ささやかながらも応援していた人間としては,ちょっとホッとしています(^^;).何しろ記事に拠れば,


寄付を募り始めたころは,全国から善意の本が寄せられる一方で「古本を集めたようなのは図書館ではない」など,心ない電話やメールも数多く寄せられたという(強調は引用者)
そうですから.ちなみにこの箇所,僕の周囲では記事中もっともウケたところでしたよ.まあ,公共図書館業界人や関係者には,よもや「心ない」電話やメールをした方はいないと僕は固く信じておりますが(^^;),さてどうでしょうか?

 そう言えば「もったいない図書館」を「反図問研的公共図書館」と評した方も(この表現そのものは僕のひねり出した形容ですが,そのような意味のことを述べていた方は,僕の周囲には幾人もおりました(^^;))いましたが,図問研が「みんなの図書館」とは別途発行している雑誌(学術系もしくは理論誌)「図書館評論」の48号で,山本順一氏と中沢孝之氏による図問研研究集会での発表報告を掲載してます.これがまた僕の事前の予想を遙かに(^^;)上回る好意的な文言が並ぶもの.また本家の「みんなの図書館」2007年6月号では「もったいない図書館」の齊藤前館長(その節はお世話になりました)による「報告・矢祭町から 「矢祭もったいない図書館」開館す!!」という一文を掲載しているところを見ると,図問研の少なくとも一部の方々は「反・小泉改革路線」と「地方自治」の観点から「もったいない図書館」の評価を見直し転換したようにも思えます(敵の敵は味方!)が,一般の会員の見方もまたそれに倣っているのでしょうか.このあたり,公共図書館業界では今やもっとも官僚的かつ原理主義的な日図研の見解も知りたいところです.

 なお,現在のところ「もったいない図書館」は寄贈本の受付を中止していますが,8月26日の福島民友の記事では「もったいない図書館」が青森県の五所川原市立図書館に寄贈本を紹介したことが載せられています.五所川原市立図書館のサイトには「本を寄贈していただけませんか? ~めぐりあい、図書~」というページがあります.ご参考までに(ちょっと寄贈の条件が厳しいような気がしますが,まあそれは各館の経営方針と言うことで).

 思うにやはり,「もったいない図書館」を嚆矢とする「寄贈本による蔵書構築法」は,地域住民の参加による「選書ツアー」とともに『市民の図書館』が生み出した,公共図書館経営への市民参加の大きな実りだったのではないでしょうか? このふたつが『市民の図書館』支持者から非難されたところが,この国の公共図書館を巡る「捩れ」のようなものを感じ取ることは可能でしょう.
 と言うわけで,「お祭り」は終わったかもしれないけど,地の利も生かして(?)それなりに継続してウォッチしてますので>>誰かさんへ.

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15@イェフィム・ブロンフマン&デヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管絃楽団(アルテ・ノヴァ:82876 82857 2)

 2005年10月6日の録音.
 これは確か600円くらいで入手した廉価盤ですが,金額以上の価値はある好演ですね(^^;).ジンマンの指揮に古楽派を意識したあざとさがあって,それが少々鬱陶しくなる瞬間を除けば,ピアノは涼やかだしオケは身軽で快調だし,値段故に入門編の最初の1枚として買うにはもちろん,何枚もこの曲を聴いた後でも聴くに耐える演奏だと思いますよ.

2007/09/02

リヒャルト・シュトラウス/ツゥアラトゥストラはかく語りき

リヒャルト・シュトラウス/交響詩「ツゥアラトゥストラはかく語りき」作品30@カール・ベーム/ベルリン・フィル(DG:POCG-2701/2702)

 1958年4月の録音.初期のステレオ録音のため,シュトラウスの音響を拾いきれずにあちこち傷が残っているが,同じくベルリン・フィルと録音したブラームスの第1番(DG)などとともにベーム(1894-1981)の全盛期を今に伝える貴重な録音である.
 映画「2001年宇宙の旅」で使われた「ツァラトゥストラ」が実はこの録音なのだが(既にカラヤンの録音もあっただろうにベームを持ち出したのは,何となくキューブリックの趣味のような気がしないでもない),如何にもベームらしく剛毅なものの,およそザッハリヒで色気の無い実直な演奏であり,ショルティやメータあたりでスペクタクルな「ツァラトゥストラ」に馴らされた聴き手が聴いたら,恐らく面白くもなんとも無いかもしれない(^^;).

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