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2007年8月26日 - 2007年9月1日の記事

2007/09/01

テーマ展示

 というわけで,昨日までの8月1か月間(実質は7月30日のショスタコーヴィチ/交響曲第8番から)の「今日のBGM」で取り上げる音楽をすべて,第一次,第二次の両世界大戦に限らず,何らかの形で戦争に関わりのある作品(一部,取り上げた「録音」が何らかの形で戦争と関わりのある作品も含みましたが)として,ひとりの作曲家もダブらないように埋め尽くしてみました.要するに,図書館もすなる「テーマ展示」の真似事です(^^;).「戦争と文学」はありがちだけど,「戦争と音楽」はあまり見かけないような気がしたので,物は試しとやってみましたが,どの程度ご理解いただけたのやら?

 ときに,結局33人の作曲家による33の作品の33の奏者/団体による録音が,よくも自前で揃ったもので(-o-)/.何とかなるだろうと,大した下調べもせず始めたので,思ったよりも早くに想定していたネタが尽きてしまい,とにもかくにも戦争に関わりのある作品を思い出したり,探し出したりするのが一苦労.おまけに演奏家もダブらないようにしたかったため,結局ペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」のみはこのテーマ展示のために,新規に買い込む羽目になりました(その際,ペンデレツキの自作自演が入手できたのは幸運だったと言えましょう).
 それにしてもプロコフィエフは「アレクサンドル・ネフスキー」ではなく,交響曲第5番かピアノ・ソナタ第7番を取り上げるのでした.これが失敗.

 誰かひとりでも,8月の途中でこの「テーマ展示」に気がつかれた読者の方がいらっしゃったら幸甚です.ご愛読ありがとうございました.

リヒャルト・シュトラウス/英雄の生涯

リヒャルト・シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」作品40@ロリン・マゼール/バイエルン放送交響楽団(BMG:09026 68775 2)

 1996年11月の録音.
 実はクリーヴランド管絃楽団と録音したマゼールの「英雄の生涯」(CBSソニー)こそが,僕が初めて聴いた「英雄の生涯」だったのですね.日本では確か,岡本太郎デザインのジャケットでLPが発売されたモノで,それを発売直後にFMで聴いたのでした(昔はFMにそんな番組もあった).恐らく1977年ごろの録音だったと記憶しているので,旧録音から約20年.このバイエルン放送響との新録音を聴いて一言「マゼールも丸くなったものだ」と思いました(^^;).旧録音に聴かれた,颯爽かつ漲る覇気がすっかり影を潜め,福徳円満な指揮振りに変貌しているマゼールは,意外につまらないものですね.

2007/08/31

メシアン/世の終わりのための四重奏曲

メシアン/世の終わりのための四重奏曲@長沼由里子,ジャン=ルイ・サジョ,ポール・ブルティン,アン=リーズ・ガスタルディ(カリオペ:CAL9898)

 2006年2月の録音.この録音で,初めてこの作品を聴くが,作品の内容をよく伝える,優れた演奏であると思う.

 全8楽章,45分超の大作.ヴァイオリン,クラリネット,チェロ,ピアノという風変わりな編成は,1941年にゲルリッツ(シュレジェン,現ポーランド)のドイツ軍第8A捕虜収容所に偶々居合わせた,作曲者オリヴィエ・メシアン(1908-1992)を含む捕虜の音楽家4人による四重奏を作曲したため.「Quartuor pour la fin du temps」というタイトルは,恐らく霊感を受けたという「ヨハネの黙示録」と,当時の捕虜収容所という絶望的な環境を重ね合わせて付けられたのであろうか.

 メシアン自身が書いた楽譜への序文には,この作品を書くにあたって霊感を受けたという「ヨハネの黙示録」第10章の一節が引用されている.また,この作品が8楽章であるのは6日間の天地創造の次に来る7日目の安息日が延長され,「永遠の光と普遍の平穏の第8日目」が来るからとされる.絶望的な状況下においても,メシアンの信仰は揺らぐことなく,希望を見出そうとしていたことが示されていると考えていいだろう.

2007/08/30

グレツキ/交響曲第3番

グレツキ/交響曲第3番「悲しき歌の交響曲」@デイヴィッド・ジンマン/ロンドン・シンフォニエッタ(エレクトラ・ノンサッチ:7559-79282-2)

 1991年5月の録音.
 とにもかくにも,第2楽章をロンドンのラジオ局が使ったことから人気に火がつき,UKビルボードのヒット・チャートに載ってしまったということで有名になってしまった交響曲である.日本でも,すっかり「癒し系」現代音楽の定番のように思われているフシが無いでもない.

 実のところ「前衛の時代」のポーランドにおいてグレツキが,前衛的な作品を書いていたことはあまり知られていないし,その頃の作品が紹介される機会もそれほど多いとは言えない.それが結果的にペンデレツキのように前衛からの転回を攻撃されることもあまりないが,この作品ばかりがもてはやされてグレツキの全体像が見えにくい原因にもなっているようである.

 1976年の10月から12月にかけて作曲され,翌77年の4月に現代音楽を得意とするエルネスト・ブール指揮の南西ドイツ放送交響楽団が初演した.第1楽章では15世紀ポーランドで「聖十字架の哀歌」として知られた詞を,第2楽章ではゲシュタポの強制収容所の壁に書かれていた18歳の少女(1944年9月26日から収容されていた)の詞を,第3楽章ではオポーレ地方(ポーランド南西部)なまりの民謡がそれぞれ歌詞として用いられている.ルイジ・ノーノのような作曲家が未だ健在であった時代に,この作品が理解されたとは到底思えず,初演から15年以上を経過しての爆発的ヒットは,前衛の崩壊がもたらした,ある種の必然であったのかもしれない.

2007/08/29

フュルスト/バーデンヴァイラー行進曲

フュルスト/「バーデンヴァイラー行進曲」@ヨーゼフ・スナガ/グラモフォン吹奏楽団(DG:POCG-3951/3953)

 1927-1930年ごろの録音.
 この勇壮な行進曲は,バイエルン王国近衛歩兵連隊の軍楽隊長だったゲオルク・フュルスト(1870-1936)によって,第一次世界大戦中の1914年8月に北フランスのバドンヴィレでのドイツ対フランスの激戦を記念して作曲された.ナチの総統アドルフ・ヒトラー(1889-1945)の大のお気に入りの行進曲であり,ナチの時代には「ホルスト・ヴェッセルの歌」などとともに第2の国歌のような扱いを受けていた.元は「バドンヴィレ行進曲」というタイトルであったものをドイツ語の「バーデンヴァイラー行進曲」と呼称したのも,恐らくはヒトラーの指示であろう.
 第二次大戦でナチが消滅すると,西ドイツでは公式演奏を禁じられたこともあるが,バイエルンの軍楽隊にはヒトラーとの絡みは別にしても思い入れのある行進曲であったためか,元々の「バドンヴィレ行進曲」として演奏する分にはおかまいなしになったようである.

2007/08/28

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番

ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73@ヴィルヘルム・ケンプ&ペーター・ラーベ/ベルリン・フィル(DG:POCG-6073)

 1936年の録音.20世紀を代表する名ピアニストのひとりでベートーヴェン弾きとして鳴らしたヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)による,最初の「皇帝」の録音である.

 が,それよりも何よりも,この録音はリヒャルト・シュトラウスがナチの作った帝国音楽院の総裁をクビになった(1935年6月)あと,帝国音楽院総裁を務めることになる指揮者ペーター・ラーベ(1872-1945)の演奏が聴ける唯一のCDなのであった.このCDの解説書がケンプのことばかり書いていてラーベに一言も触れないのは,偶然なのか当然なのかはよくわからない.まあ,ラーベとナチの関係を述べれば,ケンプもまたナチ時代のドイツで活躍していたことに触れないわけにはいかなくなるから,ラーベについては無視を決め込むことでケンプの栄誉を守ろうとしたのであろうか.

 ラーベはアーヘンの音楽総監督を辞職したところでゲッベルスからお声がかかり,帝国音楽院総裁を引き受けたのだが,アーヘンを辞職した理由は,地味な自分の音楽が颯爽と派手な指揮ぶりで登場したヘルベルト・フォン・カラヤンには到底かなわないことを悟ったからだったらしい.確かにこの録音で聴くことの出来るラーベの指揮は,純朴で実直なものであり,地道にまとめてはいるものの,派手な演出や見栄には無縁であったようである.フランツ・リストの研究で博士号をとった立派な業績もある(リストの作品表で使われることのある「R」番号は,ラーベのふったもの)人物だったが,熱烈なヒトラー支持者であり,ナチの文化政策を推進したひとりでもあった.1945年4月12日,ナチの崩壊直前に死去するが死因は自殺説もあるとの由.

2007/08/27

ミヨー/交響曲第3番

ミヨー/交響曲第3番「テ・デウム」作品271@アラン・フランシス/バーゼル放送交響楽団(cpo:999 540-2)

 1997年6月の録音.
 この交響曲は,フランス国営放送から第二次世界大戦の終結を祝う「テ・デウム(我ら神であるあなたを讃えん,キリスト教の讃歌のひとつ)」の作曲をミヨー(1892-1974)が依頼されたことから,1946年に作曲された.4楽章からなり,第1楽章は「闘争」を,第2楽章は「瞑想」による宗教的感情を,第3楽章は「地上への復帰」をそれぞれ抽象的に表現し,終楽章は「アンブロジオ讃歌」と題された「テ・デウム」による楽章である.第2楽章ではヴォカリーズによる合唱が,終楽章には「テ・デウム」を歌う合唱がそれぞれ導入されている.楽章の構成や各々のテンポは伝統的な交響曲の様式(急速調-緩徐楽章-スケルツォ-威儀のあるフィナーレ)に則っているが,フランスの交響曲らしく,確固たる「ソナタ形式」は用いられていない.
 ミヨーの交響曲では幾分,親しみ易い作品かとは思うが,感傷を排したこの手の軽く,乾いた諧謔味を理解するのが難しいことと,旋律の魅力に欠けているためか,なかなか人口に膾炙しないのが惜しまれる.

2007/08/26

アイスラー/ドイツ交響曲

アイスラー/「ドイツ交響曲」(アンチ・ファシスト・カンタータ)作品50@ローター・ツァグロセーク/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管絃楽団(デッカ:448 389-2)

 1995年5月の録音.
 ベルトルト・ブレヒトの協力者で,シェーンベルクの弟子から筋金入りの共産主義者に,ただし官僚は大嫌いでイデオロギーを問わず官僚的なものをおちょくった逸話には事欠かなかったらしい(そのくせ東ドイツに定住した)ハンス・アイスラー(1898-1962)がナチの政権奪取以来,漂泊の作曲家となりながら1935年から1959年までかけて書き上げた,全11楽章からなる4人の独唱者とふたりの語り手,合唱と管絃楽のための11楽章からなる大作である.「Deutsche Sinfonie」というタイトルは,あからさまにブラームスの「Ein Deutsches Requiem」を意識したものだろう.ブレヒトとの音楽劇のスタイルをとる楽章や,オケのみの楽章もあり,全体で60分を超える長丁場にいろいろ変化をつけているが,華美さは避けられ,全曲が暗い色調で塗りつぶされている.

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