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2007年8月19日 - 2007年8月25日の記事

2007/08/25

ハチャトゥリアン/交響曲第2番

ハチャトゥリアン/交響曲第2番イ短調@アラム・ハチャトゥリアン/ヴィーン・フィル(デッカ:448 252-2)

 1962年3月の録音.以前出ていたCD(425 619-2)より音質が改善されており,聴き易い.演奏は,自分の作品しか指揮しなかったハチャトゥリアンの,完璧に手の内に入った解釈をヴィーン・フィルが余すところ無く表現しきっている,稀有の熱演である.

 この交響曲は,第二次世界大戦時,1940年のナチによるソ連侵攻(ソ連では「大祖国戦争」と呼称された)をきっかけに作曲され,1943年に完成,初演されている.同時期に作曲されたショスタコーヴィチの交響曲第8番との雰囲気の類似を指摘する向きもあり,全曲を通じて非常にテンションの高い,悲劇的で激烈な音楽である.
 当時既に誰かの指揮によって録音されていたのか,1945年2月のドレスデン空襲を伝える当時のニュース映画のBGMでこの作品の冒頭が使われていたと記憶する.

2007/08/24

バルトーク/絃楽四重奏曲第6番

バルトーク/絃楽四重奏曲第6番Sz114@ハンガリー絃楽四重奏団(DG:457 740-2)>

 1961年9月27日から30日にかけての録音.ベーラ・バルトーク(1881-1945)の薫陶を直接受けたひとりであるゾルタン・セーケイ(1903-2001)が率いたハンガリー絃楽四重奏団による,バルトークの絃楽四重奏曲全集から.

 この絃楽四重奏曲は,1939年11月にブダペストで書き上げられる.バルトークがヨーロッパで完成させた最後の作品である.実は,この作品をバルトークに委嘱したのは他ならぬセーケイそのひとだったのだが,一旦はハンガリーを離れたバルトークがスイスからハンガリーへ戻りこの作品を完成させた後,1940年10月にはナチの戦火を避けてUSAに亡命したため,当時オランダにいたセーケイとは連絡がとれなくなってしまう.そのため,この作品はユダヤ系のためUSAに亡命していた左利きのヴァイオリニスト,ルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)率いるコーリッシュ絃楽四重奏団(絃楽四重奏曲第5番の初演者)によって1941年1月20日にニューヨークで初演されることになり,作品もコーリッシュ四重奏団に献呈される.

 バルトークは第4番と第5番の絃楽四重奏曲において,第3楽章を中間点として1・5と2・4楽章がそれぞれ相似形をなす5楽章形式を採用していたが,第6番では一般的な4楽章構成を採用している.しかし,各楽章の冒頭には「Mesto(悲しげに)」という表情記号を付した同じ旋律を「モットー」として置き,そこからそれぞれ音楽を出発させるという形式をとった.終楽章はMestoのモットーが主要主題となり,悲しみの中に全曲が閉じられる.

2007/08/23

イベール/祝典序曲

イベール/祝典序曲@山田耕筰/紀元二千六百年奉祝交響楽団(日本コロムビア:COCA-13182)

 1940年12月18日録音.
 こちらも先日取り上げたヴェレシュの交響曲第1番と同様,「皇紀2600年奉祝曲」のひとつで,山田耕筰(1886-1965)が振った初演もヴェレシュの作品と同日.次いで12月18日にはイベールとヴェレシュの作品が内幸町にあったNHKの放送会館から生中継されており,その際に日本コロムビアが録音したのが当CDに聴かれる演奏である.

 ここで聴かれるオーケストラは,当時東京で活動していた6つの楽団を糾合した総勢160名超という臨時編成のオーケストラで,途中で金管がこけたりはしているものの,如何にも「国家総動員体制」の賜物,という感じがする.何分,編成が大きすぎて当時の録音技術では音が収まりきらず,音楽の細部にわかりにくいところがあるのは如何ともし難いところ.

 フランスは1940年6月にナチス・ドイツの傀儡であるヴィシー政権が成立したため,建前では枢軸国側の友好国となっていた.ジャック・イベール(1890-1962)は当時イタリアのローマにあったフランス・アカデミー(パリ音楽院の「ローマ大賞」受賞者が,更に研鑽を積むべく送り込まれたのがここ)の館長を務めており,ローマに住んでいたため,この作品もローマで作曲されている.14分ほどの作品で,リヒャルト・シュトラウスの祝典曲同様,それほど中身のある作品とも聴こえないが,練達の管絃楽法がそれをカヴァーしている.

2007/08/22

ヴァーグナー/ジークフリートの葬送行進曲

ヴァーグナー/楽劇「神々の黄昏」から「ジークフリートの葬送行進曲」@ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ベルリン・フィル(DG:POCG-2342/2344)

 1933年の録音.フルトヴェングラー(1886-1954)壮年期のドイツ・ポリドールへの録音である.フルトヴェングラーとナチの関係については,あまたの参考文献があるのでここでは触れない.

 ナチの独裁者・総統アドルフ・ヒトラー(1889-1945)が第二次大戦の最後に自殺したとき,その死を伝えるニュースと共にラジオから流されていたのが,この「ジークフリートの葬送行進曲」(この録音かどうかまでは,僕は知らない).ヒトラーは1905年ごろからヴィーンで画家を志して勉強していたが,その頃からヴァーグナーの音楽をヴィーン宮廷歌劇場に通いつめる生活をおくっていたという.
 後年反ユダヤ主義の最悪の事例となるヒトラーだが,その反ユダヤ主義は,例えばヴァーグナーの娘婿だったヒューストン・スチュアート・チェンバレン(日本の「お雇い外国人」だったバジル・ホール・チェンバレンの弟である)からの影響も大きい.しかし,実のところ当時の宮廷歌劇場音楽監督は,他ならぬユダヤ人でヴァーグナー指揮者としても鳴らしたグスタフ・マーラーであり,その舞台装置を組んでいたのがこれまたユダヤ人のアルフレッド・ロラーである.
 これこそ「歴史の皮肉」以外の何物でも無さそうだが,それにしてもヴァーグナーの自筆譜も含めて,あまりに失われたものが大きすぎる.

2007/08/21

マーラー/交響曲第9番

マーラー/交響曲第9番ニ長調@ブルーノ・ワルター/ヴィーン・フィル(HMV/DUTTON:CDEA5005)

 1938年1月16日,ヴィーンのムジークフェラインザールでのライヴ録音.第二次世界大戦前夜の,ワルターとヴィーンによる協同作業の,最後の果実である.この録音からわずか2か月後の3月13日,オーストリアはナチス・ドイツに併合され(アンシュルス),アムステルダムに演奏旅行に出ていたワルターはヴィーンに帰還することが出来なくなってしまう.

 この時期のワルターの演奏を評して「耽美的」「旋律を嫋嫋と歌い上げる」ということが言われるが,この録音に関する限り,ワルターは相当に切迫した表情付けをこの作品に施しているように思う.何しろ,クレンペラーの手にかかると80分を超え,レヴァインやジュリーニでは演奏時間が90分近くなるこの作品が,なんと70分強で駆け抜けられているのである.第1楽章の冒頭では演奏直前にもかかわらずドタバタと会場がごたついている音がするし,第3楽章など11分を少し超える程度,終楽章に至っては18分少々と,コンドラシンも驚くようなテンポで演奏されている.第3楽章では急激なテンポのアクセルとブレーキの踏み替えが行われるため,アンサンブルが乱れる箇所が1箇所や2箇所に止まらない.

 そのような数々の悪条件にも関わらず,この録音が今に至るまで名盤とされているのは,明日にも迫り来るであろう外敵(ナチ)の脅威がもたらしたのであろう,高い使命感と厳しい緊張感のなせる業ゆえ,だったのだろうか.終楽章の高揚は,他のほとんどの録音にも聴くことのない,情感のこもった響きである.

2007/08/20

深井史郎/ジャワの唄声

深井史郎/交響的映像「ジャワの唄声」@ドミトリ・ヤブロンスキー/ロシア・フィル(ナクソス:8.557688J)

 2004年10月28日から11月2日の録音.
 深井史郎(1907-1959)は戦前派の日本の作曲家の中でも,もっとも批判的精神が旺盛で皮肉と諧謔と韜晦を専らとしたひとりである.没後に編纂された『恐るるものへの風刺』(音楽之友社,1965年出版)を読んだことがある方なら,ある程度はそのことが理解できるのではないかと思う.

 だから,この作品がいわゆる「大東亜共栄圏」の理想に忠実な主題を持ち,「大東亜戦争」中の1942(昭和17)年9月に完成し翌年初演(ちなみに初演を指揮したのは朝比奈隆)・録音された作品であるにも拘らず,実はその骨格がモーリス・ラヴェルの「ボレロ」そっくりだったとしても驚くにはあたらない,というのがひとつ.さらに片山杜秀が執筆したこのCDの解説に拠れば,ラヴェルの「ボレロ」は当時の日本の作曲家が,日本的な音楽作品を書く際の素晴らしいお手本だった可能性が強いらしい,というのがもうひとつ.

 ただし,この作品が「ボレロ」と異なるのは,「ボレロ」のように高揚して終わるのではなく,高揚の後に静かな終結部が付いてポツンと終わってしまうところである.これが予言なのか,美意識の問題なのかは,今となってはわからない.

2007/08/19

夏休み終わり

 今日で夏休み終わり,明日から通常営業します.が,しばらくの間はこれまでと同じような更新が続くでしょう悪しからず.

ブリテン/戦争レクィエム

ブリテン/「戦争レクィエム」@ヘルベルト・ケーゲル/ドレスデン・フィル(ドイツ・シャルプラッテン:TKCC-15165)

 1990年の録音.東ドイツで活躍した指揮者ケーゲル(1920-1990)はこの作品を録音した直後,ピストル自殺している.東ドイツという,官僚的で保守的な共産党政権下の国で,新ヴィーン楽派などの現代音楽を果敢に取り上げていた.何度か来日して日本のオケも指揮しているが,日本で現在のようなカルト的な人気を獲得するのは,その死後に一部の評論家がその「猟奇的なほどの美の追求」を褒めちぎってからのことである.

 この作品は1962年5月30日,UKのコヴェントリーで第二次大戦中のドイツ空軍による空襲で破壊された聖ミカエル教会の再建がなった,その献堂式にて初演された.ブリテンは,この作品のソリストにそれぞれ特定の歌手,即ちヴィシネフスカヤ(ソ連),ピアーズ(UK),フィッシャー・ディースカウ(ドイツ)を想定していたが,諸事情によりヴィシネフスカヤは初演に参加できず,のちにブリテンの指揮でこの作品が録音された際,初めて演奏に参加する.
 その録音は「戦争レクィエム」の最高の名盤として指揮した作曲家自身が満足したというほどの出来栄えだったのだが,それを高校生のときに某県立図書館から借りて聴いた僕には,その崇高な目的はともかく,さっぱり音楽が理解できなかったことを,ここに正直に記しておく.それから20年以上,ブリテン自身の録音を聴いていないので,今ならば,また異なる感興があるのかもしれない.

 ケーゲルの演奏は,非常に繊細で神経質で,鬼気迫る緊迫感を以ってこちらに訴えるものがある.それが,ブリテンがこの作品の冒頭に掲げたウィルフレッド・オーウェンの言う「警告」なのだろう.ケーゲルの悲劇的な最後を考え合わせると,この言葉もなかなか重層的な意味合いを持っているような気がする.

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