絶滅危惧種
「みんなの図書館」12月号(368号)が届いたので“特集 図書館の原点を見直す”を一読してみたのだけど,これはひどい.特に巻頭の文章.現在,公共図書館がおかれている状況を全く無視するか,またはおかしなこととして論難し,ひたすら『市民の図書館』への信心を説いている.例えば,ほとんどその箇所でしか言及していない「レファレンス」に言及している箇所を取り出して,『市民の図書館』がレファレンスにも目配りが効いているかのごとき言辞を弄している.これでは信者には圧倒的な説得力を持つかもしれないが,これから『市民の図書館』を読む人間にとっては贔屓の引き倒しとなろう.『市民の図書館』は「貸出し」については予算獲得の道具とすることまで具体的に百万遍を費やしているが,レファレンスについて具体論はひとつも語っていないのだから.
それにしても,この巻頭文,その公共図書館が属する地方自治体全体の予算がどの程度削減されたかを提示もせずに,公共図書館の予算削減のみを取り出し冒頭で嘆いているが,それでは,いまの読者は納得しないだろう.自治体における予算が幾らから幾らに減少している中で,特に公共図書館関連の予算の減少率が自治体予算の減少率を超えている,と言うのであれば話はわかるが,公共図書館関係の予算の数値のみを引き抜いてこれだけ減った,と言われてもね.元から言及されている公共図書館の予算よりも少ない予算しかもらっていないところから見たら「何を言っているんだか」と思われても仕方あるまい.要するに,公共図書館が自治体の一部門であることに配慮が行き届かない,視野の狭い立論であると言わざるを得ない.例えば同じ自治体の中で,では保育所はどのような扱いを受けているのか,また同種の文教施設-美術館,博物館,文書館等-の予算はどのように扱われているのか,そこまで言及した上で公共図書館が如何に迫害(!)されているかを,語れなければ,そんなものは公共図書館業界人の単なるひとりよがりと片付けられるのがオチである.
巻頭の文章を含め,総じて今号の特集から立ち上ってくるのは,『市民の図書館』信奉者による公共図書館が今や「絶滅危惧種」と化しつつあると,『市民の図書館』を奉じる図問研関係者が感じている閉塞感と焦燥感のようなものである.何だか,ある種の動物愛護団体の思想と行動みたいなもので,このままでは『市民の図書館』モデルの公共図書館は絶滅が危惧されるからお金と人手をかけて手厚く保護すべきだ,と主張しているようにさえ感じられる.貸出至上主義を支えているのは公務員による横並び意識,それからパターナリズムと反知性主義だけど,今回の特集はまさにそれを象徴するような内容になっている.それが,それだけ業界における貸出至上主義の基盤も脆弱化したということを意味するのであれば,僕にとってはそれなりに喜ばしい事態なのだが,さて状況はそれほど単純ではあるまい.
しかしこのひとたちの主張,自由民主党の農政族と保護主義の発想が同じに思えて仕方が無いのだが.つまり,「自立した市民」というものをまったく信用していないのね,彼らは.市民とは自分たちが「保護」する対象だと思っているんじゃないのかしら?
追記:
というわけで,「みんなの図書館」の特集を読んだ方は,併せて
前田章夫: 図書館(員)に欠けていた「力」,「図書館界」59(4),2007.11,p252-257
を読むことをお勧めする.この文章もあくまで「貸出」中心ではあるものの,「社会システム」の中での公共図書館と言う捉え方をしているだけ,マトモな問題提起になっているので,一読して損は無い.
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