形式について
「パネルディスカッションのときに、案の定会場からレポートの書き方を教えるのは教員の役目ではないのかという反論が出た。」
まだ,こんなことを言っている大学(?)図書館関係者がいるのか(^^;).この反論者,意識が10年は遅れているな,と思う.ランガナタンを持ち出すまでも無く,図書館司書がプロである所以のひとつは「利用者の時間を節約する」ことにあるわけだから,時間の節約のために必要な知識を学生に授ける(と,敢えて書く)ことは,大学図書館が果たすべき当然の役回りだろうに.それが図書館員・学生双方に有益なことだ,と言う視点が持てないようなら図書館司書なぞ辞めたほうがいい.
ついでに言えば,大学図書館で教える「レポート・論文の書き方」ってのは,あくまでも書き方の「形式」そのもののことを指している.学生自身がレポートなり論文なりを書くモチベーションを大学図書館が教えるわけではないし,その必要も無いはず.そのあたりをごっちゃにして考えているから,「書き方を教えるのは教員の役目」という発想がしぶとく生き残っているんだろうな,と思う.
例えば,音楽教師はソナタ形式(序奏-提示部[第1主題-第2主題-結尾]-展開部-再現部-コーダ)という形式を教えることはできるけど,そこにどのような楽想を盛り込み,どのような魅力を発散させるかは,その形式をどう活用するかも含めて,音楽を作曲する当人の才能如何にかかっているのと同様,大学図書館はレポート・論文の書き方として「序論-本論-結論」という形式を教え,レポート・論文を書く際に情報検索の技術が必要であることについては他者による「検証」の必要性,「反証可能性」の重要性を教えればよく,その先-学生が何を検索し,どのような観点からレポート・論文を書くのか-のモチベーションにまで言及する必要は皆無であり,それこそ,そこからが教員の出番である,と心得た方がよいのではないか.
・・・・・・と,先日久し振りで「レポート・論文の書き方」について講義した大学図書館員は考えるのだけど.
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コメント
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少し前まで、短大図書館に勤務していました。短大こそ学生に時間がないので、図書館は学生に教えることがたくさんありました。しかし、図書館に来る学生が少ない! これも学生に時間がないからです。学生掲示板にひんぱんに広報紙を貼り出すなど、ささやかな努力はしましたが。
図書館職員が講義に出張して、論文作法などを教える、というのも他の短大ではやっているのを聞いていましたが、私のいた短大では、それさえもできませんでした。それはわれわれ司書の力不足もあったとは思いますが、教員の中に少なからず、司書ふぜいが学生に教えるなんて...という感覚がないではなかったです。情けないことですが。
投稿: ワタリドリ | 2007/11/11 23:52
>>ワタリドリさん
コメントどうもですm(_)m
ウチでも,実は出張講義は久し振りのことでした.図書館内で,少人数相手と言うのは時々やっていたのですが.どうやら,母校で大学図書館から論文作法の講義を受けてきた若い教員が呼んでくれたみたいです.80人を相手にやると汗びっしょりになりますですよ(^^;).それも文系じゃなくて理系の学生が相手でしたから.
> 司書ふぜいが学生に教えるなんて
団塊世代に多いですね,こーゆう感覚の教員がウチには.理系の実技系で,データ重視の学問が主体なので余計にそうなのかもしれません.僕個人は,このあたりの意識改革(?)は僕と同世代,さらに若い世代の教員にいろいろと期待をかけているところです.
投稿: G.C.W. | 2007/11/13 19:58