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2007/09/20

公共図書館の「イノヴェーション」

 「イノヴェーション(innovation)」とは,オーストリア出身の経済学者・社会学者のヨーゼフ・アロイス・シュンペーター(1883-1950)が定義した言葉です.一般的には「技術革新」と訳されるようですが,むしろ経済学の方で「新結合」という訳があるように,「イノヴェーション」には単なる技術(メカニック)の新しい創造にはとどまらない意味があります.経済学・社会学の素人なりに考えてみると,それは技術,生産,流通,消費の組み合わせによるダイナミズムをあるいは新しく創造し,あるいは過去にあった組み合わせを創造的に(大胆に)組み直し,それらを新たに組織化するところまでが「イノヴェーション」という言葉が意味するところであると考えることが出来ます.

 ところで,「出版ニュース」2007年8月下旬号で,田井郁久雄氏が「行革の流れの中で-岡山市立図書館についての「事業仕分け」」と題する文章の中で,飽きもせず相変わらずの「ビジネス支援」批判を繰り返しています.自ら(あるいは自らの意見に賛同する者)が観察したビジネス支援を主たる業務としている公共図書館の部門(あるいはビジネス支援が主目的である公共図書館そのもの)が閑散としていることに対して,岡山市立図書館の盛況振りを比較し後者を激賞しています.しかし,僕はビジネス支援という,ある程度明確な目的を持つお客が来館する公共図書館と,主題に囚われることなく誰にでも開かれているのであろう公共図書館を,その差異について検討することもなく単に来館者数のみを比較することに何らかの意味があるとは考えません.また後者の職員の献身的かつ超人的な努力(それはもちろん,十二分に賞賛に値するものです)を賞賛し,後者が今後の公共図書館のあるべき姿であり,それが今後の公共図書館の繁栄を保障するかの如き田井氏の論陣には賛同しかねます.

 ここにおける田井氏の論の立て方は,例えるなら主題と利用層が限定されている専門図書館と,誰にでも開かれている公共図書館を比較してお客の多寡を比較し,専門があるが故にお客の絶対数が少ない専門図書館を「利用者が少ないからダメ図書館」と評価するに等しい,巧妙なプロパガンダです.これは,田井氏の賞賛する公共図書館のあり方が果たして現在の「民主制」や「公共性」に相応しい公共図書館のあり方であるかどうかも含めて,非常に疑問の余地がある議論の立て方でしょう.

 で,どうして田井氏や前川恒雄氏(とその取り巻き)がここまで「ビジネス支援」に対してあからさまな嫌悪を示すのかを,少々考えてみたのですが,「ビジネス支援」が話題になり始めた当初から「ビジネス支援は古くから公共図書館が行ってきたサービスのひとつであり,ことさらに新しいサービスとして取り上げるべきではないという声が常に彼らから上がります.そのような声に対して僕は「では何故,ビジネス支援という言葉が公共図書館に対して,業界の外側からもたらされ,なおかつそれを期待されるようになったんですか,と尋ねたいところではある」3年も前に書いているのですが(^^;),3年後の現在もなお,僕を納得させるような回答は業界の内側からは聞こえてこないのが実情です.現在では,ある種の出羽守の皆様が評価していたBritish Libraryのサイトにも「Services for Business」があるのに,『市民の図書館』にこだわる方々にはそれも見えないようです.

 つまるところ,田井氏や前川氏,そしてその取り巻きの方々は実のところ「ビジネス支援」に代表される動きが,公共図書館における「イノヴェーション」であることを直感的に見抜いているんじゃなかろうか,と思うのです.ひとつひとつの手法はどうあれ,その総体から紡ぎ出されるこの動きが本質的に新しい創造であることを.そして,それを「イノヴェーション」として認めることは,即ち「貸出し」を最前線に押し出すことで進めて来た彼らの公共図書館を発展させるために採用した戦術(そのバイブルが『市民の図書館』であり,『図書館の発見』初版です)の否定と崩壊につながることを,理屈ではなく感じ取っているのでしょう.ひとつひとつの行動・事象は旧来からのものであっても,その組み合わせの発想が大胆な再創造たりえれば,それは「イノヴェーション」であり,「イノヴェーション」とは旧来の手法を否定する発想の組み換えまでも含め求め得るものですから.
 ときに「ビジネス支援」が何故「イノヴェーション」たりえたのか,私見では「利用目的の具体化・明確化」「ポスト・バブル期のベンチャービジネス勃興との絶妙なマッチング」「『貸出し』に代表される排除の論理からの転換」このあたりが,ビジネス支援が公共図書館におけるイノヴェーションたる要素を満たしていると考えます.

 現在,僕らが考えなければいけないのは,そこで貸出至上主義の正典『市民の図書館』に立ち返ることではなく,公共図書館における「イノヴェーション」に相応しい,公共性と民主制を維持するための新しい科学としての公共図書館像を創造することです.本来なら100年の大計を見据えた創造を目指すことが望ましいのでしょうが,例えばこれから僕らが考えまとめる公共図書館像がよしんば10年の寿命しか持ち得なかったとしても,既に業界が30年以上しがみつき社会的寿命の尽きている『市民の図書館』に,更にこれから10年以上しがみつくことに比べれば,よほどマシなことでしょう.


 しかし,どうしてあのヒトたちは「公立図書館の単一性と不可分性」を,すべての公共図書館と図書館業界関係者に押し付けたがるのですかねえ.

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コメント

>ビジネス支援という,ある程度明確な目的を持つお客が来館する公共図書館

そういうものは、

>主題に囚われることなく誰にでも開かれているのであろう公共図書館

がちゃんと身近にある前提の下に作られるのであれば全然否定しませんけど、その前提がないのが現状だろうと思います。利用者を限定してしまうようなサービスに特化するくらいならまだしも貸し出しに特化してくれてたほうがマシです。それでは公共図書館というものが生き残れない、というならそりゃもう絶滅するのが運命なんだとしか。

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